これは偶然ではない
扉の向こうに、明灘みかげ、月浜ロベール、そして長瀞遼太郎――否、明灘京司が待っていた。
「お久しぶりですね、明灘さん。もっとも、僕はこの世界のあなたには花巻でお会いしましたが」
「ああ、ご無沙汰している。いいタイミングだ。ヘルメティカの加速器も、ようやっと最終シーケンスに入った。君が無事にここまでたどり着けて、何よりだよ」
ドゥリーパ・シェンケヴィッツはコンバットナイフをゆっくりと構えた。切っ先は京司に向いている。他の誰も動けない。
「ドゥリーパ・シェンケヴィッツ。こういう場で言うのも不適切だが、君には感謝しているんだ。君の力添えがなければ僕とひとみは世界を渡り歩けるようにはなれなかった」
「……」
「ただ、感謝以上に憎悪が強いんだ。それで罪滅ぼしをしたつもりかね。みかげのことをあの研究者、フィロラオスになったあの男に報告したことが、その程度の行為で消えて無くなるとでも?」
ドゥリーパは、答えなかった。答えることができなかった。
「君の目的はおおよそ見当がついている……今の今まで君に対しても僕は自身の存在を隠し続けてきた。だから、きっと君でさえ最初は長瀞遼太郎が僕だとは気づかなかったはずだ」
「そうですね」
ドゥリーパはさみしげな微笑みさえ消して、ただ肯定した。必要最小限のYESを。
「おっしゃるとおりですよ」
「最初、君の目的は単にヘルメティカを滅ぼすことにあったのだろう。ヘルメティカと、それが永劫に続けようとする再生のサイクルを壊し、みかげが『これ以上』苦しまないようにと。しかし、君は僕と僕たちの目的に気がついた。……最初の世界への介入は、すなわちこの世界をも含んだ最初の世界以外すべてを抹消することでもある」
京司はドゥリーパをにらんだ。視線がこれほどの痛みを帯びることは、あまたの世界を渡ったドゥリーパさえ経験したことがなかった。
「僕は人の親として、なすべきことをなす」
ドゥリーパは本来の実力であれば対処しえた京司のトラップに対処できなかった。罪悪感が反応速度も注意力も鈍らせていた。ドゥリーパも楓も、出入り口付近の塩気を帯びて湿った床に流された電流に姿勢を崩し、倒れる。それはさらに強烈な責め苦を、二人にもたらした。
ロベールは動けなかった。恐ろしさもあったかもしれないが、それ以上に何が正しいか分からなかった。京司のいう、全ての世界のみかげを救うという目的には共感さえ覚えていた――たとえ、この世界ごと自分が消えるとしても。
「頼む、やめてくれ!」
ドゥリーパ・シェンケヴィッツが叫ぶ。京司はやめない。ただ黙って静かにもだえ死のうとしている男女を見下ろしている。
「お願いだ、彼女だけでも」
「そういうわけにもいかないな」
みかげは、変わらず椅子で眠ったように動かない。
「頼む……」
「この程度では、お前の罪は償ったことにさえならないんだ。弓弦楓には申し訳ないが、一緒に死んでもらうしかない。安心しろ、弓弦はともかく、お前は新たな不動点になるまでは生きていてもらわないと困る」
このとき、ロベールを一陣の驚愕が貫いた。
「ゆんづる……?」
「そうさ。弓弦楓、柏キャンパスで何度か見かけたことはあった――シェーファーのラボに留学してからはいろいろと調べたが、まあ大して役には立たなかったよ。せいぜい、スカイツリーの無人狙撃システムに気づいてもらったこと程度か」
京司は掌に隠し持ったスイッチを掲げた。
「最後だ。もっと苦しんでもらいたいが、時間がない」
だがスイッチが押される寸前、ロベールは猛然と、京司を突き飛ばした。京司は理解の追いつかない表情でロベールを見る。ロベールは渾身の力で京司の頬を殴り飛ばす。京司の丸眼鏡が割れ、口から血が流れ出た。
「何を……邪魔をするなといったはずだ!」
ロベールはすぐに答えず、全力で京司の手を締め上げる。スイッチを握る左手を。京司も人間という生き物が持つ意志そのもので抵抗したが、骨格が物理的に耐えきれなかった。手首が不自然な方向に曲がるとともに、スイッチは転がり落ちた。
「なぜだ」
苦痛に顔をしかめながらも、京司が問う。ロベールは京司の方を直接には向かず、楓の方を見た。
「弓弦さん、でしたね」
「ええ……」
楓もドゥリーパも、どうにか意識を保っている。
「お母さんの名前は旧姓で踊場凜、女医さんだったんじゃないですか」
楓の瞳孔が、大きく開いた。
「なんで、わかるの?」
「……僕があなたの弟だからです。異父弟、というやつですけど」
「まさか……」
まさか、と発話したのは楓ではなくドゥリーパで、楓本人は驚きのあまり言葉もなかった。弟?
「僕の母、というか僕たちの母親は初めての結婚でええと何というか……弓弦さんを生んで、そのあと離婚した。さらにコンゴに医療支援ボランティアとして赴いて僕を妊娠したんですが、僕の父とも結婚できなかった。僕の父方の祖父母がその頃病気をしていて、祖父母を置いたまま日本に行くのを嫌がったんです。二度にわたって結婚に失敗した母は故郷の盛岡に戻って僕を生んだ。ただ、そのあとすぐに死んでしまった。月浜というのは、僕を引き取った母の親類の苗字なんです」
「こんな偶然が……」
ようやく楓が言葉を取り戻す。
「偶然じゃない」
言ったのはみかげだった。京司以外の全員が、みかげを振り向いた。京司は床に倒れたまま、どこか悟ったような表情だ。
「私が呼んだ。楓さんとロベールの姉弟を。言ったでしょう、思い出してきたって」
みかげは自分の両手で、ゴーグルに似たデバイスを取り外す。
「ロベール。それに、いきなりだけど楓さんとドゥリーパさん。手伝って。ヘルメティカの加速器は最終シーケンスに入ったとお父さんが言っていたから、もう時間がない」




