はじまりの日
その日は岩手県の北上川流域に建設された国際リニアコライダーの一般公開イベントが行われていた。仙台の明灘一家も十歳になったばかりの娘が興味があるといったため応募し、当選したので参加者の一部になっていた。
それぞれにヘルメットをかぶり、研究員の説明を聞きながら巨大な施設の各所を見て回る。正直、その世界のその頃では単なる市役所の公務員だった京司には何も理解できなかった、といって過言ではなかったが、みかげははしゃぐように喜んでいた。
ほんとうに些細な出来事だった。一通り、実際に素粒子の類いが光速ぎりぎりまで加速される施設内部を見学し、参加者は中央管制室に戻って実際に施設が試運転する様を見学することになっていた。
「もちろん、リニアコライダーは何重にもセーフティを施された施設だった。万が一の事故があってはいけないからだ。しかし、その日だけは万が一より低い確率を引き当てた」
「何が起きたんだ」
「試運転がはじまり、素粒子がほぼ光速といってよい速度まで加速した。そこに、極めて高いエネルギーを持つ宇宙線が、それこそ考えられないほど低い確率で衝突した」
「宇宙船? UFOじゃあるまい」
「センはフネではなく、直線曲線のセンだ。地球外から降り注ぐ高エネルギーのビームみたいなものだよ。とにかく、それが亜光速の素粒子にあたった。もはや発生確率を計算することさえできないほど稀な事態を、リニアコライダーの設計者は検討こそしたが切って捨てた。合理的ではあるがね」
「……それで」
「今なお物理学では理解しがたい事態が起きた。後の検証では、そのとき光速をも超えた『なにか』が生じたようだ。そして、その一つは中央管制室に向かい、みかげの身体を射貫いた」
明灘みかげに、身体的な問題はまったく生じなかった。しかし、京司とひとみは胸をなで下ろすこともできなかった。
「その光速さえ超えた『なにか』がみかげの身体に残留している、ということがわかった。しばらくは様子を見るしかなかったが、ある日フランスから素粒子物理学の研究者と名乗る男が来て、娘さんの身体にとどまった粒子をどうしても調べたい、と言い出した」
京司は後悔の表情を見せる。人のつくる表情で、こんなにもその感情を素直に表したものを、ロベールは見たことがなかった。
「なぜあのとき、承諾してしまったのか。何度も一生を繰り返すなか、自分を責め続けたよ」
「研究者の目的は何だったんだ」
「みかげの中の『なにか』は、端的にいうと因果関係を超越するものだった。じつは、今の技術をもってすれば人間は別の宇宙さえ作れる。作れるが、それは別の宇宙であるためこちらから観測することも、介入することもできない。ある宇宙と別の宇宙は因果関係が切断されるからだ」
ロベールは息をのんだ。
「お察しの通りだ。みかげの中の――いや、その頃にはすでにみかげと一体化していた『なにか』を用いれば、別の宇宙をつくり、そして情報のやりとりができるんだ」
「……だが、なんでその研究者は別の宇宙を作りたがった?」
「この世で最も身勝手な動機からだ」




