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それぞれの最終目的地

瀬戸内というのは決して深い海ではない。旧石器時代、この海底をナウマン象やオオツノジカが餌を求めて、繁殖相手を求めて、あるいは単なる本能的好奇心からうろついていた。今でも、瀬戸内の漁師で底引き網漁を生業とするものは化石化した象牙を引き上げることがある、という。

やがて氷期が終焉を迎え、北極南極に蓄えられた多量の氷が溶けて海水面があがると四国が独立とした島として本州から分かたれ、後の瀬戸内は海となり山の頂は諸島をなした。だから、燧灘海底環境測候所も決して海面下何百メートルといった深さにあるわけではない。手すりが結露に濡れた螺旋階段を長瀞、みかげ、ロベールが降りていく。階段を降りる前に長瀞はあっさりと、ロベールの手錠もみかげの手錠も外してしまった。

「いいのかい、俺まで自由にして」

「君の判断を見たくなってね」

「余裕だな」

「僕はね、真・善・美でいえば『真』を優先するタイプの人間だ。真実のためには相応の代償もリスクも払おうと思う。一応、学者だからかな」

ロベールは、長瀞の態度にかえって警戒を抱かざるを得ない。あるいはそれこそが狙いなのかもしれないが、ここが長瀞にとってホームグラウンドだという点を意識しないわけにもいかなかった。

螺旋階段はかなりの深さまで続いている。照明は最小限のものしかないが、下方から轟々(ごうごう)と、心拍と胎動の音量を極限まで上げたような音が響いている。もしも星が生き物だったら、その卵からはこんな音がするかもしれない。

「当たり前だが、測候所には毎秒途方もない量の海水が染みこんでくる。排水施設を止めることはできなくてね。騒々しいだろうが我慢してくれ」

階段は二百段ちかく続いたようだった。海の底であり地の底でもあるここに、いきなり防蝕加工された冷たい金属製の扉が現れる。長瀞は物理的な鍵で扉の封印を解いた。ここでは電子錠をつけてもメンテナンスが手間だし、そもそも好んで訪れる部外者もいないのだろう。

「階段もそうだったが、ここはこれまで以上に床が滑る。気をつけてくれ」

長瀞は扉を押し開けた。


「ヴァッツァリーノ」

「は」

「私は向かうべきところに向かう。後を任せる」

執事は(こうべ)のみを垂れた。リムジンの中ではいかに老練の使用人といえど、腰を曲げるのは難しかったのだ。すでにリムジンは空港まで10分の距離にあり、プライベート・ヘリは主人を待っている。

ド・メはヴァッツァリーノを眺めながら、この何も知らぬ初老の男を哀れんだ。三千年にわたり、フィロラオスの秘密を護る者たちは歴史、とくにヨーロッパと、後には南北アメリカのそれに介入しつづけ、自らの格式、権威、そして富を育てつづけた。結果、金銭だけで容易に動かせる手駒も、何も考えず盲従する奴隷もそれこそ売るほどある。が、結局はド・メに利用されて終わる。おそらくこの世界において、残されたヴァッツァリーノやらラームやらはいっとき、我が世の春を謳歌するだろう。だがそれは永遠ではないし、次の春もこない。可哀想なことだが、致し方ないことでもある。

真に世界を蘇生し、死と再生の秘儀を司る役はこのギイ・ド・メが果たす。組織において、ド・メと同格の最高位序列にある者は、なお何人かいる。いるが、これまでの功績、家格、また本人の才覚からいって、ド・メが適任であることを内心で歯軋りしつつ認めている。栄誉に浴す、とはこのことだった。

リムジンは空港の滑走路脇にとまった。そもそもカルロブルゴの私物に近いものであったため、何の問題もない。

「そうだ、ヴァッツァリーノ」

ヘリコプターに向かいながら、ふとド・メが言う。あと15メートルも進めば、スタンバイしているヘリの爆音で会話はできなかっただろう。

「は」

「カルロブルゴの遺産だが、多少の財産は家族に残してやってもいい。言い忘れていた」

ヴァッツァリーノは意外な表情をどうにか隠しきっていたが、隠しているだけであろうことは想像できることだった。

「承知いたしました」

ド・メはヘリに乗る。機外から、ド・メがパイロットに優美な仕草で出発させるように指示したのが見えた直後離陸した。ヴァッツァリーノは今度こそ腰を曲げて見送った。彼がどこに向かったのか、ヴァッツァリーノは知らない。ただ指示に従うだけだからだ。

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