パリの貴族
パリのみがローマにふさわしく、またローマのみがパリにふさわしい。パリ市民の多くはそのように自負し、そればかりかそれによってローマに栄誉を授けているつもりらしい、とカルロブルゴは観察している。ガリア遠征からの復路にあるユリウス・カエサルが聞けば、鼻で笑う価値も見出せないであろう言い草だ――なにしろ、その頃のパリなど少数住まうケルトの部族たちがお互いに小競り合いをする辺境でしかなかったのだから。
だというのに、今日パリから来訪する客が要求してきたのはカルロブルゴの属する社会階層にある者にとってさえなかなかのビンテージだ。
所詮彼もパリジャンか、とローマ人は思った。さらにはシルクのクロスが敷かれ、空の皿と銀のカトラリーが用意されたテーブルに正装で座すカルロブルゴをすでに二十分は待たせている。
貴族は様式とマナーにうるさいが、それ以上にお互いの序列について多大な関心を抱いている――平民にとっては想像するのが難しいほどに。イタリアもフランスも政治学上は共和政体に移行しずいぶん経つが、もちろん実質がそうすぐ変わるものでもない。カルロブルゴ家の爵位は伯、ド・メ家のそれは侯である以上、この程度じらされただけで不平をならすわけにいかないことを承知の上での行為だろう。相変わらず不愉快な御仁だ。
「ギイ・ド・メ候、ご到着されました」
苛立ちが一種の熟成に達した頃合いで告げられる一報。
「やあカルロブルゴ殿。遅くなって申し訳ない」
如才なさげな、そしてよくよく聞けば装われたものであることを察せられる陽気さで賓客は挨拶した。
カルロブルゴは居住まいを正し、上席に洗練された所作で座った相手を見る。ギイ・ド・メ。侯爵家当主として、また高等師範学校を首席で卒業した選良として、カルロブルゴの『同志』として、社会の表裏それぞれに辣腕を振るう。
年齢はカルロブルゴより若い――十五歳以上も若く、まだ四十代の半ばに達したに過ぎない。ライトブラウンの髪は生え際の後退も見せてはおらず、青い目から放つ眼光と端正な顔立ちもあって一般社会にも受けが良く、いくども与党から代議士として立候補しないかという話もきている。
要するに、カルロブルゴにとっては全ての面で自身を上回る相手であり、多くの人間はそうした相手に特定の感情を抱くもので、カルロブルゴもその点では多数派の一員だった。
「ド・メ候から足を運んでいただくというのはお珍しいですな」
「なに、たまにはこういった趣向もよろしいでしょう。相応の用件もあることですし」
ワイングラスに食前酒がそそがれる中、ド・メがカルロブルゴに言う。「用件とは?」とすぐさま聞き返したりはしない。貴族は浅慮しない。それに、品位というものもやはりある。本当に用件があるならいずれ話題にあげることだろう。
「カルロブルゴ殿は息災で?」
ド・メにしては当たり障りない社交辞令だ、とカルロブルゴは思った。裏の意図があるかもしれないが、いったんは奇をてらわない返しが無難か。
「万事つつがなく。退屈なほどです」
「あの少女が出現した、という報があってなお退屈ですか。心強い」
ド・メの瞳には何も感情が浮かんでいない。権力という機械において己が欠くべからざる部品であることへの誇り以外は。カルロブルゴは一瞬、本当に一瞬だけ自分がワイングラスを持つ手が震えたことへの怒りを覚えた。しかし、これは自分に向けるべき怒りだった。
「どちらでその報を」
「やはり動揺しておられる。私が素直にいうわけはない」
「……さようでしょうな」
「一つだけ申し上げれば、あの男からではない」
シェンケヴィッツから漏れたのではない。では他のルートがあるのか、あるいは今の発言それ自体がブラフか。
「とにかく、明灘みかげは現れた。そして、予定されていた相手と邂逅した。憂慮すべき事態だ、そのように私は思うのです」
「シェンケヴィッツが追跡している。遠からず我々の掌中のものとできる」
「それは貴殿が『そうあればよい』と願う願望だ。願望を現実としたければ努力されよ」
敢えて相手の矜持を傷つけ、そしての傷口を広げる言葉をこの男はいくらでも思いつける。そう事前に知ってなお、カルロブルゴは胃の付近に不快感を感じた。
「カルロブルゴ、あなたの家系は我らの一員となってまだ半世紀と経っていない。自らがその地位にふさわしいことの証明は十分とはいえない。失敗すれば尻拭いをするのは私だということは心に留めておいてほしいものです」
「……承知した」
「そもそも、あの若造、シェンケヴィッツは本当に信用なるのか。その点を私は疑っている。レーニン以来、我々は社会主義を経験した地域の出身者を登用していない上に、半分はヨーロッパ人でさえない」
「それはそうだが……」
「あなたの目論見としてはそこにこそ我々の間での起死回生を賭けたのかもしれないが、一つ覚えておいた方がよい」
ド・メはワイングラスをテーブルから手に取り、弄ぶ。
「我ら選良を選良たらしめるは特権でも矜持でも、ましてや倫理や責任でもなく、ただ力であるということだ。奇策を弄するより、まずはただ力のみを欲すること。力があれば倫理や神学といった言い訳は無用な上、妙な策も不要になる――策を弄するのではなく、"力としての策" で敵を、また弱々しい衆愚を踏みつける。それが我々を規定するものだ」
ド・メはアペリティフを一口、飲み下す。饒舌にすぎて喉が乾いてしまったという風に。カルロブルゴは自分の胸中に屈辱だけでなく、怯えを見出して戦慄を禁じ得なかった。




