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午後のシンポジウムで

東京大学・柏キャンパスは東京という大学名に反し、千葉県に所在する。正直、学外ではあまり知られていない。そのセミナールームのひとつの窓から、南東方向にある細長い池の水面はよくみえた。

今年も例年通り、十月になっても首都圏では真夏日が多く、水面は腐臭ただよう水草やらなにやらが繁茂して明らかな低酸素状態にあることは、五階のこの部屋からでもわかった。

「……前世紀中葉からなお継続する、コンピューティング技術の進歩はいまだ続いています。特に、その最たるものとして挙げられるのが我々チューリヒ工科大学が北京大学と共同で開発した指向性再帰型自己改善メタアルゴリズムです」

一瞬だけ池に気を取られていた弓弦楓は、『指向性再帰型自己改善メタアルゴリズム』、という長い単語で注意と意識を自分の身体がある、このセミナールームに戻す。

「ここからは、私のラボで博士課程に在籍中のカエデ・ユンズルが説明します――彼女は去年までこちらに在籍していたので、改めての紹介は不要かと思いますが」

ドクトル・ロタール・シェーファーは黒板(実際はホワイトボードだが、いまだ慣用的に「黒板」と呼ばれることが多かった)の前から退いて、楓にマイクを渡した。楓は、若く、かつ実績がある駆け出し女性研究者だった。黒い髪を後頭部でポニーテールにまとめ、細身の身体は品位を欠くほどには安くなく、かといって嫌味になるほど高すぎもしないスーツをまとい、その姿は研究者というよりは若手の外交官を思わせる如才なさもあった。

「ご紹介にあずかりました、弓弦(ゆんづる)です」

こういうとき、英語の自己紹介はある意味で気楽だった。日本人の多くは「弓弦」を「ゆづる」、あるいはひどい場合、「ゆみづる」などと読むが、ラテンアルファベットで "Yunzuru" とあれば読み方を訂正する手間が省ける。まあ、アメリカ人などはそれでも「ヤンズールー」などと発音したりするのだが。

「指向性再帰型自己改善メタアルゴリズム、長いので普通は Directive Recursively Auto-Improvement MetaAlgorithm の頭文字を取り、DIREAMA――ディリーマ、と発音しますが、これは皆様ご存知の通り特定の目的に合致し、かつ特定の条件を満たした場合のみ自身を改善するアルゴリズムと定義されます」

楓は講義室を見る。聴衆はいずれも相応の能力を持ち、相応の訓練をつんできた研究者たちだ。

「ここで、『自身を改善する』ということはどう定義されるべきか。三十年前から巷間にシンギュラリティなどとは言われていましたが、その点はかなり長い間、曖昧なままでした。あるいは、産業界が故意に曖昧としていた、と勘繰る向きもありますが」

ちらと講義室の前から4番目の席に座るセドナ・デバイセズからの出席者を窺う。アメリカ合衆国でも一二を争う半導体企業である。とくに表情に変化はなかったが、彼らの内心までいちいち想像する暇がなかった。観測しえぬものは、存在しないものと見做す。それは楓の今日までの行動指針でもあった。

「そもそも人工知能という観点ではなく、チューリング以来の歴史を踏まえ見たとき、自然な定義が与えられます。要は計算――与えられた入力をいかに大量に、いかに素早く処理するか。そうした定義が浮かんでくるものです」

「そうしたとき、以前から指摘されていた『クリップ問題』といった課題がはじめて現実的なものとなってくる」

ふと起こった声は、最前列の一番窓に近い席から発せられていた。楓は一瞥する。不規則発言の主は楓と大して歳が異ならない、あるいは二、三歳くらい年上の青年だ。ほぼ完全なアメリカ西海岸の英語だが、一見しても人種的な背景は分かりづらい。アジア系とヨーロッパ系が入ってはいそうだが。

濃い褐色の髪はゆるくウェーブし、窓の外から注ぐ陽光を散乱している。悪意による発言、というより単に人界の約束事に対する興味の欠如ゆえ、の発言であるようだった。

「論点先取ですが、ご指摘ありがとうございます。そのとおりです、人工知能に目的を与えたならば、その人工知能が強力であればあるほど、その目的のための副作用も強烈なものとなってしまう……そのために、我々が取ったアプローチも大変シンプルなものです」

楓はわずかな時間が許す限り、聴衆一人ひとりを見る。その表情を、その顔貌を。彼らは自分を品定めしているが、しかし一体となり品定めしているわけではない。そのことを思い出すには、一人ひとりを見るのが早い。相手が一枚岩となり自分に対峙しているのではない、そう言い聞かせる。

「つまり、単に『そのシステムの目的を達成するにあたり、どうしても計算能力が不足する場合のみにシステム自身の進化を許す』、そうしたプログラミングを施しました。実際、このアプローチはベンチマーク上でかなりよい成績をおさめ、数多提案されている自律進化手法の中でも指標から最有力の候補となっています」

プロジェクターから投射される映像に、ディリーマのベンチマークスコアが映され、会場はどよめく。楓は想定内の反応に対する自分の感情は、「拍子抜け」なのか、あるいは「失望」なのか、判断しかねていたが、若干の質疑応答のあとにこのセッションは解散した。

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