理由を知らずとも
ユキミチの家は社会からかなりの程度、遮断されている。交通の便が悪いとか、訪問者がいないせいもあるが、なにしろユキミチはスマホも持っていない。
「前は契約していたんだが」
ロベールとみかげのたどり着いた日の夕食で、ユキミチは味噌汁をすすりながら言った。
「契約を維持することそのものが面倒だった」
そのようなわけで、この老いた住宅は物理的にも情報的にも一般社会には背を向け続けている。最低限の生活必需品は月に一度、車に乗って買いに行くらしい。そういうわけでにぎやかにはなっても孤立状態はほぼ変わっていない。
ただ、二人が転がり込んだ次の日にユキミチが買い出しの折り、駐在所などを見てもとくにロベールやみかげを捜索している気配はなかった、という。
「なんで警察が捜索しないんでしょうね」
ロベールが雨漏りを修繕しながら聞いた。もともと手先も得意なほうなので、教わって一時間でもそれなりの様になっている。
「そりゃ、その院長にもずいぶん後ろめたいところがあるから素直に届けようという気にはならないんだろう」
「それはそうですね。それなら好都合なんだけど」
「だけど?」
「追っ手がいないとしても、どうやって瀬戸内、それも尾道の近くということしかわかっていない場所へ行けばいいんでしょうね」
ユキミチがコンロをとめると、沸騰した湯のなかにあるレトルトカレーのパックは不格好なダンスを中断した。
「なあ、ロベール君。君はなぜそこに行きたいと思っている? 単に疑問なんだが」
ロベールはすぐに答えられない。なぜ、己はあの場所を目指すのか。なぜ、院長を殴ったのか。なぜ、独断でみかげを減薬したのか。昔から「お前はなんでそれをやるんだ」と聞かれるのが、ある意味で苦手だった。一応、それらしいことを繕うことはできても、そもそも自分自身で納得できない言葉しか出てこない。
理由というものは絶対に言葉として説明されなくてはいけないものなのか。どうも世間ではそういう前提らしいが、そのわりに言葉として説明されなくてはいけない理由というものを明確に言葉で説明してくれる大人はほとんどいなかったし、例外的な大人に説明されても、本心から納得できたことは絶無だった。
なので、正直に言う。
「わかりません」
「そうか。でも、行ったらなにかあるのかもしれないな」
なにかある。それがなにかはわからずとも。気持ちが明るくなった、とまではいかずとも強張っていたものをほぐすような回答だ。
「なにかが待っていること、祈っています」
「あと、老人から忠告をひとつしておく。たぶん、そこには君たちだけで到達できないよ。必ず誰かの助力が要る。それが誰かもわからないし、なかには君たちに敵対するやつ、または利用しようとするやつもきっといるが、それでも助けを求めることを躊躇しちゃいけない」
「わかりました」
ロベールは答えると同時に最後の釘を打ち付け終えた。一宿一飯の恩義にしては安いな、と思う。みかげは着替え終わり、玄関の前で待っている。よほど「なにか」を渇望しているのか。
「本当にお世話になりました」
「そりゃ今生の別れに言ってくれ、一応送れる場所まで送るんだから」
老人の笑い方は二日前のぎこちないものよりずっと自然だった。本当はこういう笑い方をする人なのだ。そして、その人との「今生の別れ」は、おそらく三時間かそこらだけ引き延ばされるに過ぎない。
「行けるのはせいぜい平泉か一関だがいいか。宮城まで行くには車も持ち主もオンボロでね」
「助かります」
「じゃ、行こう」




