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花巻、最初の邂逅

今の明灘京司(きょうじ)とその妻であるひとみは解放感さえ覚えていた。娘が妄想を口走りはじめたときからずっと、隣近所の目がざらざらと彼らの自意識をこすり続けていたが、もはやそれに悩まされずに済むかもしれない可能性が見えてきたのだ。

親として心が痛まないわけではなかったが、それを上回る「これで終わったんだ」という安堵感。さらに槇院長の代理人という菊谷という男がわざわざ盛岡からきて手渡した現金はかなりの額だった。いや、あの子も最後には孝行なことをしてくれた……。

そういった諸々のことを、彼らは自身の脳内でさえ言語化したわけではなかったが、夫婦は互いが自分と似たようなことを考えているだろうことを暗黙に了解していたし、本当は自分の思いであるものを「妻は/夫はたぶんこんなことを考えているのだろう」と推測する形式で延々かみしめていた。愛というには醜悪さが過ぎる共犯関係だった。

「今日は久しぶりになにか食べに行くか。あの連絡があって以来、いろいろ疲れたからな」

夫が提案する。

「いいですね。何にします?」

「寿司ではどうだ?」と京司が応じる直前にひとみのスマートフォンが鳴った。表示される発信元は「公衆電話」とだけ表示されている。嫌な予感がした。妻の表情から、夫もなにかを察する。

「いったん取らないでおくわ。必要な電話なら不在着信にいれるでしょう」

京司はうなずいた。コール音が無機的な執拗さで繰り返される。それは単に電子機器の設定の問題であるにもかかわらず、二人はやけに苛立った。

『現在、電話にでることができません。発信音のあとに、お名前、ご用件をお伝えください』

電子合成された一定の周波数を持つ発信音が流れて、生成されたものではない女性の声が日本語で語り始めた。

『槇院長の代わりにかけています。明灘さん、みかげさんが見つかりました。お手数ですがすぐ会いにきてください。互いに人の目につくと差し障りがあるので、新花巻駅の近く、花巻大橋の似内(にたない)側でお待ちします』


「きますかね」

レンタカーの運転席で、ドゥリーパは何気なくつぶやく。

「絶対くる」

問いに深い意図があるようには聞こえなかったが、後部座席の楓は返答というより断言と表現した方が適切な口調で応じた。

「もう、明灘みかげが出会うべき相手と出会ってしまった以上、XYE(ザイ)の予測は信頼できません。だから未来はもうわからない。しかも、槇の代理だという証拠を提示したわけでもないのに確信できるんですか?」

「提示しないほうが彼らは信じてくる。彼らに後ろめたいことがあり、かつ今みたいに正規の通信ではすぐ足がつくような時代じゃね」

新花巻駅を指定したことにあまり意味はない。盛岡と仙台の中間で、それなりに互いにアクセスしやすそうで、そして人目を避けるに適切な場所を地図アプリで選んだ。

「へえ、このあたり宮沢賢治記念館なんてあるんだ」

「……観光しにきてるの、あなた」

スマホを見ながら頑是なく目を輝かせるドゥリーパに、楓はあきれている。

「そうですね。本来やるべきことの合間に観光できるならしておきたい」

「……」

「宮沢賢治、好きなんですよ」

「アメリカ西海岸で『銀河鉄道の夜』が流行してるって知らなかった」

「いえ、流行していません。それに私は『ポラーノの広場』とか『グスコーブドリの伝記』の方が好みかな……」

「あんた自由でいいね」

「そうでもないですよ」

皮肉のつもりだったが、ドゥリーパの声は予想に反して少しだけさみしそうだった。自嘲というには自分自身への視線が欠けている声。バックミラー越しの笑みは光学的な意味で歪んでいる。

ふと、この男はやり様もなくさみしいときに無表情無感覚になるのではなく、ただ微笑む、そういう人間なのかもしれないと感じた。

「宮沢賢治か。中学校以来、読んでいないな」

「文学とか読まないんですか?」

「そんなに積極的な興味はない。国語の教科書にのってたやつはそれなりに面白く読んだけど」

そういえば『やまなし』ってあったな。楓も場違いとは思いつつ、そんなことを考える。かぷかぷ笑い、そして殺されたのは何だった、あるいは誰だったのか。

「賢治が歩いていたころ、このあたりの夜空はさらに賑やかだったんでしょうね」

「東京よりはだいぶにぎやかだと思うけど」

「まあ、そうでしょう。僕が住んでいるところよりもかなり見える。それでも昔より見えないだろうと想像したんです」

もうスマートフォンの光もなく、ドゥリーパの表情はほぼわからない。「暗さにはそれに応じた読み解き方がある」、そんな箴言めいた言葉が心中に浮かんだ。あるいは、楓が忘れていたものを思い出したのかもしれないが、しかしそうだったとしたらどこでそんな言葉を覚えたのか?

「きましたよ」

物思いをドゥリーパの声がやぶった。たしかに向こうから一対のヘッドライトが近づいてくる。ハイビームになっている単一波長の光線は、闇になれかけた両眼には不快だった。

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