ドゥリーパの所属する先
正午十分前に、東北新幹線は楓とドゥリーパを岩手の盛岡駅に運び終えた。横浜出身の楓は、失礼なこととは知りつつも「新幹線が停まるにしてはかわいい駅だな」などという感想を抱いた。無論、声に出すほど無分別ではない。
「西口のバスターミナルから行けるみたいですね」
ドゥリーパがナビアプリの検索結果を確認して言った。
「次のバスは何分発?」
「三十分ばかりは待つことになりそうです」
こういう時、小説やコミックの登場人物なら「やれやれ」とため息をついただろう。バスを待つのに三十分? 待つこと自体は問題ではないが、誰とその三十分を待つかが問題だ。楓はまだ、この男の捉えどころのなさを警戒している。が、「やれやれ」と口に出しては言わなかった。楓は博士課程の学生であり、今時の博士課程は半ば以上の社会人だ。むしろ、競争という意味では並の会社員より激しい。他人の前で表だった不機嫌さを露わにして、有利になる場合と不利になる場合、それぞれがある。
が、そうして気遣ってやっている相手は気遣われていることに気づいているのかいないのか、気づいていないなら敢えて無視しているのか、どうも図りかねるところがあった。
「僕、先に病院に電話して話を通しておきますよ」
「いいですけど、日本語はしゃべれるんですか」
楓自身でなければ気づかない程度の棘が声に含まれている。
「日本だと公的機関でも、リアルタイム翻訳嫌う人多いですよ。生成音声は不自然だと時代錯誤なこと言って」
ドゥリーパは聞いていない。もうスマホを耳に当てている。おかげでこの男に愛想よく振る舞うのはやめよう、と判断できた。
「はい、明灘みかげという患者です。たぶん二年か三年前から……ええ……」
当然、こちらの忠告は無視して英語で話している。
「え? はい。昨日ですか……」
ドゥリーパの表情に困惑めいたものが浮かぶ。人の話をろくに聞いていないのだ、たぶん病院職員の機嫌を損ねたのだろうと楓は思った。
「わかりました。ありがとうございます」
スマホを持った腕をドゥリーパは下ろす。腕が長く、指は細い。
「弓弦さん。明灘みかげは昨晩、病院を脱走したそうです」
「脱走?」
「はい。未だ捜索中だ、と」
シミュレーション内では未来予測について全能であるはずのXYEの、神託めいたビジョンをも曇らせる少女。どういうわけかこの現実においても存在する少女。彼女が逃げ出した。しかし、逃げ出して一体どこへ向かおうというのか。気にはなった。気にはなったが、楓はドゥリーパに告げる。
「では、残念ですが我々には追いかける手段もありませんし、東京に戻らせていただきますよ。新幹線のチケット代は立て替えましたが、あとで精算していただけるんですよね」
「いえ、まだ考えられる手はあります」
「XYEで逃げた先を予測するんですか?」
「そうじゃありません」
ドゥリーパは首を横にふり、楓の眉が動く。
「日本の警察は賄賂を渡しても情報を教えてくれないと思いますよ。さすがにそこまで落ちぶれていません」
逆に、融通も利きませんけどね、は心中で付け加えた。
「私が所属する組織に連絡し、サポートを要請します」
「組織?」
「はい」
そういえば、楓はまだドゥリーパ・シェンケヴィッツの所属を聞いていない。XYEのデモンストレーションでうやむやになっていた。
「どこの研究機関ですか」
「研究機関ではありません。企業でもありません。公的機関でもない」
「じゃ、犯罪組織ですか」
皮肉を言ったつもりだった。
「研究機関などに比べればたしかに比較的近いですね」
「……は?」
楓は思わず後ずさる。
「私の所属先は自分たちの名称を定めていません。だからはっきりと名乗れないのですが、ごく限られた外部の人たちは『ヘルメティカ』と我々を呼んでいるみたいです」
楓は余計に後ずさる。こいつ絶対ヤバい奴じゃん。




