16.5話 ペペロの独白①
私には身寄りがなかった。
母は10歳の頃に病気で亡くなり、そこからは1人で生きてきた。
朝から晩まで働き、死ぬまでこうしていくんだろうと思っていた。
パン屋で働いているが、「もうちょっと愛想良くできればねえ。」と女将さんには幾度となく言われた。「すみません」と返し、困った顔をされるとなんとなく罪悪感のようなものが心に残る。
でも、わからないのだ。愛想とか、笑顔とか。
その日は雨が降っていて、肌寒かった。
傘を差したいが、そんな上等なものは持っていないので走って帰るしかなかった。
家まで後少しといったところで、1人の男性が倒れているのが見えた。
いつもなら素通りしていただろう。
裏通りから近いここは、浮浪者や物乞い、それこそ倒れている人などは珍しくない。
でも、その人は道のど真ん中に倒れていた。
「あ、あの、大丈夫ですか。」
揺さぶっても返事がない。
体は冷えていて、もしかしてもう亡くなっているのではないかと思えてきた。
自分もずぶ濡れだし、もう帰ろうとその場を去ろうとする。
立ち上がった途端、咳き込む声が聞こえた。
なんだ、まだ息があるじゃない。
もう一度、「大丈夫ですか」と声をかけたところ、「すみません、退きますので。」と、のそっと男性は立ち上がった。見るからに具合が悪そうだった。
私は「あの、これ、よかったら。」とカゴの中からパンを差し出した。
いつも、店で廃棄されるパンをもらっていた。
それで食い繋いでいるようなものだった。
パンはもちろん、不味いだろうが、何も食べないよりはマシかと思って男性に渡した。
男性は「ありがとうございます。」とパンを受け取り、どこかへ向かっていった。
そんなことから数日経った頃、店から帰るとあの時の男性が立っていた。
素通りすると「あの!」と声をかけられる。
「あなたですよね、パンをくれたの。」
「ええ・・。」
「本当にありがとうございました。」
彼は深々と頭を下げ、お礼してくれた。
「あの時は本当に何も食べてないし、死ぬんだなって思ってたので。」
笑い事のように彼は語った。
「それならよかったです。それじゃあ。」
「あの、よかったらお礼させてくれませんか。」
断ろうと思ったが、変に逆上でもされたら怖いと思い、好意を受け取ることにした。
彼は屋台でお菓子を買ってくれた。
「お礼だなんて言って、こんなものですみません。」
「いえ、別に。」
広場に座って食べた。
時間は夕方だった。
いつものこの時間なら、パンを適当に食べて、特にすることもなく眠っただけだろう。
でも、今日は久しぶりに誰かと食を共にした。
彼は話しかけてくることもせず、黙々と食べていた。
それが案外心地よかったと思う。
食べ終わって、「それじゃあ、また。」と帰ろうとすると「また誘ってもいいですか!?」と聞かれ、「私でよければ」と素っ気ない返事を返してしまった。
男性は笑顔になって「また今度!」と小走りに帰っていった。
初めて、もっと自分に愛想があればいいのにと思った。
その後も何かと男性は食事に誘ってくれた。
「そういえば、名前を聞いてなかったですよね。俺はラブンって言います。」
「私こそすみません。ペペロと言います。」
私たちがお互いに名乗ったのは2回目か3回目くらいに会った時だったと思う。
普段はパン屋の女将さんと店にくるお客さんくらいしか話さないので、「名乗る」という
人付き合いにおいて初歩的なことを忘れていた。
ラブンさんに慣れてきたのか、色々話すようになった。
パン屋で働いていることを話すと、店に行ってもいいか問われ、好きにすればいいと返してしまった。
初めて彼が来た時に「ペペロさんが焼いたやつってどれですか!?」と大きな声で女将さんに聞いていた。
ちょうど、私は厨房にいたので女将さんが対応してくれたが、「ペペロちゃんの知り合いかい?」としばらく質問攻めにあったのは困った。
彼が本当に来てくれるとは思っていなかったが、その日は自分で感じられるほど機嫌がよかった。
しばらくしてラブンさんに会うと、「パンはとても美味しかった」とか「あんなに美味いのは初めて食べた」とか恥ずかしいことばかり言うようになった。
その後も時々パン屋に来てくれるようになった。
「彼女は可愛い、パンもその辺の店のより絶対美味い」とか話していた。
彼女って私のことだろうか。どうしても顔が熱くなる。
女将さんは「一途な男だねえ。」と言っていたが、私には「一途」の意味がわからなかった。
浮かれていたと思う。たぶん、人生で一番浮かれていた。
今日はラブンさんに会えなかったなと考えながら帰っていた。
カゴには廃棄されるパンがぎっしりと詰まっていた。
ダメだ。最近ミスが多い。気を引き締めなくては。
「お嬢さん、ちょっといいかな?」
ラブンさんとは全く違う声に引き留められる。
平気な顔をして振り向くが、怖くてたまらない。
知らない間に何かしてしまっただろうか。
「お嬢さん、最近ラブンってのと仲いいよね?」
「はい・・。」
私ではなくてラブンさんに何かあったのだろうか。
でも、それならば本人に直接聞けばいいのに。
「あいつさ、魔族だよ、あんた知ってた?」
思わず、顔を上げてしまった。
男性は2人組でガタイがよく、柄が悪い。
いや、それよりも。
魔族と言っていなかっただろうか。
私はこの街から出たことがない。だから、魔族なんて見たことがなかった。
「あいつはな、ウェアウルフって言って、人間・動物のありとあらゆるものに化けられる魔族なんだよ。金貨30枚の価値がある。どうだい?捕まえるのに協力してもらえればあんたに金貨5枚払ってやってもいい。」
ラブンさんが魔族だなんて信じられない。どこからどう見ても人間にしか見えないのに。
でも、私みたいに街から出たことがない人間よりも、この人たちの方がよっぽど世間に詳しいのかもしれない。
「私に何をさせる気ですか?」
「話がわかるお嬢さんで助かるよ。なに、ここから少し離れた通りでいい。5日後、連れてきてくれないかな。」
そんなことに協力なんてできない。
ラブンさんを捕まえて何をする気なんだ。
「魔族だったなんて」と驚きはあったが、不思議と「騙された」みたいな気持ちは湧かなかった。
「協力する気なんてない」と言おうと顔を上げる。
「断ってもいいが、あんたの無事は保証できないな。」
その一言で断ろうとした気持ちが一気に恐怖に変わった。
「はい」しか言えなかった。