大晦日にワンオペでシステム更新する話
一年の終わりが迫る、12月31日、午前1時20分。
私は東京都内の総合病院である、光ヶ丘医療センターの会議室にいた。
大晦日の夜は、不思議と普段より静かに感じる。私は窓際に立ち、ふと外を見た。街灯がぽつんと立ち、澄んだ冷たい光を投げかけている。雪は降っていない。それでも、窓ガラス越しに伝わってくるひんやりとした空気が、外の冷え込みの厳しさを物語っていた。小さく息を吐くと、ガラスがほわりと白く曇った。
光ヶ丘医療センターでは今日、電子カルテシステムが更新された。病院に派遣されたシステムエンジニアである私の役目は更新された電子カルテシステムを無事に稼働させること――つまり、一新された病院内のすべてのシステムを、問題なく動作する状態にすることだ。
会議室には、白いキャスター付きの机が整然と並んでいて、その上には同じ型のデスクトップPCがいくつか配置されている。ケーブル類まですっきりと整った光景を見ていると、几帳面な性格のせいか、なんだか穏やかな気持ちになる。電子カルテシステムの更新のため、私とチームリーダーの向山さんはここ数か月、この会議室に缶詰になって働いてきた。少しでも役に立ちたくて、こまめに整理整頓してきた甲斐があったというものだ。
向山さんは一番入り口に近いデスクトップPCの前で、システム切り替え後の最後のチェックをしていた。デスクに身を乗り出し、スクリーンに映るログデータを真剣な表情で見つめながら、画面上のチェックリストを一つ一つ丁寧に確認していく。邪魔をしないようにその様子を背後からこっそりと覗き込むと、チェック作業はそろそろ仕上がりそうな雰囲気だった。
ふと、向山さんがキーボードを叩く手を止め、両手をグッと虚空に突き上げる。
「よし、システム切り替えテストは全項目クリア。システム切り替え作業終了だ!」
その言葉を聞いた瞬間、私の胸が一気に軽くなった気がした。どうやら、無意識に息を詰めていたらしい。
「流石向山さん、今のところトラブルゼロですね!」
私がそう言うと、向山さんはおどけたような表情を浮かべながら肩をすくめてみせた。
「俺も長いからな。たまには上手くいくこともあるよ」
「またまた、そんな」
少しだけ緊張が解けた会議室に、安堵の空気がふんわりと広がる。しかし、程なく着信音が鳴り響き、その和やかな空気に水を差す。向山さんはポケットからスマートフォンを取り出し、いつもの調子で電話を取る。
「はーい、向山です。……はい、はい」
向山さんは最初、いつも通りどこか気の抜けたような様子で電話に出たが、会話が進むにつれその顔は徐々に曇りはじめる。普段の余裕ある態度が消え、眉間に刻まれた皺が深くなる。その表情の変化は、電話の向こうで起きている事態の深刻さを物語っていた。
「はい。分かりました。すぐ向かいますわ。それじゃ」
向山さんは電話を切ると下を向き、眉間に手を当てながら小さく息をついた。
「向山さん、どうしたんですか?」
「東都医科大学病院の更新作業が難航しているらしくて、応援に行くことになった」
年末年始は診療が休みのため、この時期にシステム更新を行う病院が多い。県内有数の大規模病院である東都医科大学病院でも、私たちとは別のチームがシステム更新作業を行っていた。どうやらその作業中にトラブルが発生して、ベテランの向山さんにヘルプ要請が来たということらしい。
「それじゃあ……光ヶ丘医療センターの立ち合いは?」
立ち合いとは、システムが問題なく動作するかを見届けるためにシステムエンジニアが現場に待機することだ。光ヶ丘医療センターは総合病院で、入院患者さんもたくさんいる。夜間救急も受け付けている。何かトラブルが起きたとき、即座に対応できるように、今夜は向山さんと私の二人でこの会議室に泊まり込んで立ち合いをする予定だった。
「藤井に任せた」
向山さんがそう言った瞬間、私は思わず固まった。冗談かと思ったが、その表情からその言葉が本気であることを悟る。
「えっ、私だけで立ち合いですか?!」
向山さんは当然だ、とばかりに頷く。
「藤井がこの病院のシステム更新を進める姿を見て確信した。きっとできるよ」
「そんな、出来ません」一瞬、反射的にそんな言葉が脳裏に浮かんだけれど、すぐに飲み込む。システムエンジニアになって3年、そろそろ独り立ちするときが来ると……独り立ちしたいと、思っていた。
「……わかりました。頑張ります!」
覚悟を決めてそう返事をすると、向山さんは満足そうに頷き、椅子から立ち上がった。軽く伸びをすると、いつもの飄々とした調子で私に声をかけた。
「よく言った! それじゃあ角井さんに挨拶しに救急外来に行くか」
「はい!」
向山さんはスマートフォンをポケットにしまい、ダウンジャケットとリュクサックを手に持つ。私は自分のスマートフォンと病院から貸し出された院内用のPHSを持って会議室を出た。
***
会議室を出た後、私たちは人気のないエントランスホールを抜けて救急外来へと向かった。深夜の院内は昼間の慌ただしさが嘘のように静まり返っている。静寂の中、私たちの靴音だけが響く。
救急外来の処置室の前まで来ると、ちょうど扉から出てきたばかりの角井さんと鉢合わせになった。角井さんは救急外来部門に所属する、30代後半のベテランの男性看護師だ。システムに関する知識も豊富で、今回のシステム更新の病院側の担当者も兼任している。忙しいだろうにいつも優しく接してくれて、全く頭が上がらない。
「角井さん、お疲れ様です!」
「向山さん、お疲れ様。更新、無事完了しました?」
「もっちろん、バッチリですよ!」
向山さんと角井さんはこの病院に電子カルテが導入された時からの戦友らしく、二人の間の雰囲気は気安い。無事システム更新が終わったという報告を受けて、角井さんは安心したように深く頷いた。
「ただ……実は私だけ別の病院へ行くことになりまして。これからの立ち合いは藤井が務めることになりました」
申し訳なさそうに向山さんがそう告げると、角井さんの視線が私に向けられる。私は角井さんの反応を見るのが少し怖くて、思わず下を向いてしまいそうになる。けれど、それではいけないと思い直して、覚悟を決めて角井さんの視線を真正面から受け止める。
「よろしくお願いします。私は会議室で待機していますので、何かあればすぐ呼んでください!」
角井さんはしばらく私の目を見てから、やがて穏やかな笑みを浮かべる。
「藤井さんがいてくれるなら安心ですね。今晩もよろしくお願いします」
角井さんのその一言を聞いて、じんわりと私の胸が熱くなるような気がした。今までの仕事を評価してくれて、さらに独り立ちを後押しされているような気がして、自然とやる気が湧いてくる。
「藤井、よかったな。それじゃあ早速ですが私は一旦失礼します」
「了解。それじゃあ、向山さんは職員出口で入館証を返して行ってくださいね」
角井さんの案内に従い、私と向山さんは職員出口に向かった。出入口で守衛さんに挨拶をし、向山さんだけが首にかけていた入館証を返却する。差し出された入退出記録簿に退出時間とサインを書き込みながら、向山さんが誰に言うでもなく呟く。
「退出時刻は……午前1時51分。もうそんな時間か」
自動ドアを抜けて外へ出た瞬間、冷たい夜風が頬を撫でる。年の瀬の独特な雰囲気の空気が、じんと肌に染みた。
「それじゃ、行くわ」
向山さんは手に持っていたダウンジャケットを羽織り、短く言った。私は一人になる不安と緊張で、自然と体や顔に力が入ってしまう。私の表情があまりに固かったからか、立ち去りかけた向山さんが困った顔でこちらに向き直る。
「何もないから心配するな! って言いたいけど、こういう時ほど何か起こるもんだから、そうは言えないんだよな」
「そうなんですね……」
「そうそう。不思議なことにね」
問題が起こってほしくないタイミングにこそトラブルが起きるというのは、悲しいかな、システム業界の常だ。向山さんがいない間にとんでもない事態が発生して、顔を真っ青にしたまま右往左往する……そんな私がふっと頭に浮かぶ。きゅうと胃が縮んだような気がして、思わずお腹に手を当てる。
そんな私に苦笑しながら、向山さんは続ける。
「だけどな、藤井。万が一のときには、プロとして思い切って対応してほしい」
「思い切って……ですか?」
「失敗を恐れず、思い切ってドンとやれ! ってこと。藤井ならできるよ」
向山さんは親指をグッと立てて、明るく笑ってみせてくれた。その笑顔に励まされ、私も同じように親指を立て、意識してぐいっと口角を上げる。そうすると、少しだけ肩の力が抜けた気がした。
向山さんは「じゃあな」と言って、今度こそ私に背を向けて歩き出した。ロータリーに停めてあったタクシーに乗り込み、あっという間に暗闇に消えていく。私ひとりの立ち合いの夜が、いよいよ本格的に始まった。
***
12月31日、午前2時45分。
向山さんが去ってから、約1時間が経過した。
会議室は静まり返り、パソコンの微かなファンの音と時計の針が刻む音だけが耳に入ってくる。病院全体に広がる静寂と鳴らないPHSは、順調にシステムが動いていること証拠だ。しかし、その静けさが逆に、私の不安を掻き立てる。
「何も起こらないまま、朝になってくれるかな……」
それとも、やはり何かトラブルが起きてしまうのだろうか。そんなことをぼんやり考えながら、窓の外を見る。すると、街灯に照らされた雪がちらちらと舞い降りてきていた。今年最後の雪だろうか。スローモーションのようにも見えるゆったりとしたその光景が、私の心を少しだけ落ち着かせた。
しかしその時、不意にスマートフォンが振動し、机の上で音を立てる。画面には「向山」の文字が表示されていた。私は慌てて通話ボタンをタップする。
「はい! 藤井です」
「向山だけど、そっちどう?」
「今のところ特に問題なしです」
私がそう答えると、向山さんはホッとしたように息を吐いた。
「おー、よかったよかった。実はさ、これから俺、電波が通じないところで作業することになっちゃって……大丈夫かな?」
つまり、何か起こったとしてもしばらくは向山さんに頼ることが出来なくなる、ということだ。正直に言うと不安だ。けれど、東都医科大学病院の状況の方が大変なのだろうと思うと、弱音を吐くことはできなかった。
「はい、大丈夫です」
自分に言い聞かせるように、意識してはっきりと言った。向山さんは「頼むな」と一言だけ言って、電話を切った。会議室には再び静寂が戻ってくる。
しかしその数分後。再びこの静けさは破られる。今度は私のスマートフォンではなく、院内用のPHSの着信音がけたたましく鳴り響いた。
「はい、藤井です」
急いでPHSをとると、受話器から低く冷静な声で「角井です」と聞こえてきた。角井さんは私の相槌を待たずに続ける。
「救急の患者さんが運ばれてきたんですけど、念のため付き添ってもらえますか? 今、処置室です」
「わかりました。すぐ行きます」
今まさに問題が発生したわけではないことに少しだけ安心するが、油断はできない。私はスマートフォンとPHSだけを持って、急いで会議室を飛び出す。そして、誰もいないエントランスを走って抜け、救急外来に向かった。
救急外来は1時間前の静けさとは打って変わって、慌ただしさに満ちていた。処置室の前にたどり着くと、恐らく私を待っていた角井さんを見つける。「お待たせしました」と声をかけると、角井さんは受付を指さした。
「藤井さん、早速なんですが事務の方サポートに入ってもらえますか? 患者情報の登録で手間取っているみたいです」
私は即座に頷き、角井さんの指示に従い、受付に急ぐ。するとそこには年配の女性の医療事務員さんがパソコンの前で苦い顔をして座っていた。
「あの、電子カルテの担当の者です。どうされましたか?」
「ああ、助かった! 実はシステムが変わってボタンの色も何もかも変わっちゃって……どこから患者さんのお名前を登録するのか分からなくなってしまったの」
そう言いながら、彼女はパソコン上の患者登録画面を指さす。確かにこの画面は今回のシステム更新で大幅にバージョンアップされ、見た目が大きく変わっていた。確かマニュアルも用意していたはずだが、システムが更新されたばかりでまだ行きわたっていないのだろう。
「患者さんの情報を登録するときは、これからはこの緑のボタンから画面を呼び出してください」
私は実際に操作をしながら、なるべくわかりやすい言葉を使うよう気を付けて説明する。すると、医療事務員さんの顔に安堵の表情が広がる。
「ありがとう、助かったわ。システムが変わると覚えることが多くて……。こんな夜中だから、さらに慌てちゃって」
「ご不便をおかけします。でも、今夜は私が立ち会っていますので、何かあったら遠慮なく声をかけて下さいね」
問題をひとつ解決することができて、先ほどまで高鳴っていた胸がようやく落ち着き、肩の力も程よく抜けてきた気がした。しかし、それも束の間、「CT撮ります!」という医師の声が処置室から響くと同時に、再びPHSが鳴り響く。
「藤井さん。今からCT撮影をすることになりました。CT室の方に来てもらっていいですか?」
「はい! 今行きます」
角井さんの要請を受けて、私は再び走り出す。処置室の前を通り、エントランスを横切り、「CT室」という看板をめがけて院内を進む。やがてCT室の前に到着すると、入り口には角井さんが立っていた。
「藤井さん! 早速操作室に入りましょう。もうすぐ患者さんが運ばれてきます」
私は角井さんに促されるまま、操作室に入る。すると、真っ先に大きなガラス窓が目に入る。ガラス窓の向こう側には巨大なドーナツ型のCTスキャナーがあった。その外装は新品さながらで、どうやら電子カルテの更新と共に、この装置も最新のものに入れ替わったらしい。ガラス窓の手前には操作卓が配置され、その上には数台のモニターが並んでいる。操作卓には若い茶髪の放射線技師が待機していた。
「八木、患者さん来るけど大丈夫かな?」
角井さんが放射線技師に尋ねると、八木と呼ばれた彼はブイサインでそれに答える。角井さんはそんな彼の態度には慣れているようで、特にツッコむことなく新品のCTスキャナーに目を向ける。
「確か今回、このCTも新調したんだっけ」
「そっす。ついさっき業者の人が来て、なんか更新? 設定? していきました。なんで、この患者さんが検査第一号です!」
その言葉を聞いて、角井さんの表情が険しくなる。
「え? 装置の設定更新は昨日の予定だったはずだけど、なんで今日来てるんだよ」
嫌な予感が胸をよぎる。電子カルテの更新は、それ以外の機器やシステムの更新の後に行われているはずだった。だから、電子カルテの更新が完了した後に、私と向山さんは綿密なテストを行っていたのだ。もし八木さんのいう事が正しければ、テストが終わった後に、CTスキャナーの設定が変更されてしまった可能性がある。もしそうだった場合は……Tスキャナーと電子カルテの接続が正常に動作せず、通常通りに検査を実施することができなくなる。
「八木、すぐに検査指示入ってるか確認して」
「わ、わかりました!」
角井さんは手近なデスクトップPCを起動し、CT撮影を行うための検査指示がシステムに登録されているかを確認した。その上で、その情報がCTスキャナーに届いているかを確かめるため、八木さんに指示を飛ばした。しかし――
「CTに指示、来てないです……」
「何だって?!」
八木さんが焦りながら機械を操作するが、一向に検査指示がモニター上で確認できない。角井さんと八木さんが四苦八苦しているうちに、ガラス窓の向こうには、頭から血を流した壮年の男性が運ばれてきた。
その様子を目の当たりにし、私はようやく棒立ちしてしまっていた自分に気が付く。そして慌てて空いているパソコン探し、そこから電子カルテのサーバーログを確認する。
(電子カルテからCTスキャナーへの連携でエラーが発生してる……)
嫌な予感が的中してしまった。これでは、電子カルテをいくら操作してもCTスキャナーに検査指示の情報は連携されない。つまり、検査が開始できない。検査ができなければ、目の前で苦しむ患者さんに、安全に処置をすることができない……!
「何かわかりましたか?」
角井さんは焦りを隠さずに私に問いかける。
「で、電子カルテ側は正常に動作しています。ただ、検査装置との連携設定がかみ合っていないようで……」
「撮影装置の更新がさっき入ったときにおかしくなったのか……八木、手動でデータ入力できないのか?」
「操作方法が色々変わっちゃって、電子カルテから指示があるパターンしか、やりかた習ってないです……」
涙目になってしまった八木さんと、八木さんの代わりに何とかしようとCTスキャナーを操作しようとする角井さんを横目に、今、私に何が出来るかを必死で考える。
角井さんの言う通り、恐らくCTスキャナーが更新されたタイミングで設定がおかしくなってしまった可能性が高い。でも私はその設定を変更する方法を知らない。電子カルテの設定をCTスキャナーの設定にあわせて変更する? でも、そうしたら別の設定に影響が出るかもしれない。連鎖的に問題が起きて、大きな医療事故が起きてしまったら、私に責任が取れるのか……?
「藤井さん! 何とかできませんか?」
角井さんが操作卓に目をやったまま、背中越しに訴えかけるような声で私に問う。私は口を開いて何かを言おうとしたが、喉が震えて声が出なかった。その事実がさらに私を追い詰める。背筋に冷たい汗が流れるのを感じる。
ガラス窓の向こうには苦しむ患者さんと、こちらの様子を忙しなく伺う医師や看護師たち。八木さんと角井さんの視線も、容赦なく私を追い詰めてくる。
私はその状況に耐え切れずぎゅっと目を瞑り、汗のにじむ手のひらをポケットの中で握りしめる。すると、指先になにか固い感触を感じた。私のスマートフォンだ。向山さんに電話しよう。そう反射的にそう思ったが、ついさっき、しばらく電話は通じないと連絡が来たばかりだ。
(どうしよう……どうしたら……)
自分の無力さに絶望しながら身を固くしていると、どこかから冷たい外気が吹き込んできた。そしてふと、向山さんと別れた時のことが蘇ってくる。
『万が一のときには、プロとして思い切って対応してほしい』
そうだ。向山さんは私にそう言い残して、この病院を任せてくれたんだ。怖がって何もしないわけにはいかない。苦しむ患者さんが、目の前で待っているのだ。私は意を決して角井さんに言った。
「角井さん。電子カルテの連携設定を変更させてください。他に影響が出るかもしれませんが、一時的に検査ができる状態にはできるはずです」
角井さんは私を振り返り、すぐに大きく頷いた。
「お願いします。あの患者さんには、一刻も早くCTが必要なんです」
私は即座に目の前のPCからサーバーにアクセスし、CTスキャナーと電子カルテの接続エラーのログを注意深く眺める。そして、CTスキャナーの間違った設定値を、ログの中に発見する。私はその設定値をパソコン上で控え、すぐに電子カルテの設定画面を開く。そして、CTスキャナーとの設定を変更し、連携モジュールを再起動する。
(お願い……上手くいって……)
祈りながら、連携モジュールが再起動するのを待つ。この設定変更が無意味だったらまだいい。設定変更の影響で予期しない大きなシステムエラーが発生してしまう可能性も大いにある。しかし、この操作がどれほど危険なのかを確認する時間はない。だから私は、今、祈ることしかできないのだ。
ほんの数秒がやけに長く感じる。プログレスバーが少しずつ進み、ようやくモジュールの再起動が完了する。その瞬間、八木さんが大きな声を上げた。
「あっ……情報きました! CT装置に検査指示が入ってます!」
「よし、すぐ撮影に入って!」
角井さんが指示を出すと、CT室では医師や看護師が再び動き出し、患者がCT装置の中へ運ばれていく。ほどなくして、装置の稼働音が室内に響き、検査が正常に開始された。検査が終わると、患者は無事に処置室へと戻っていった。その姿を見送りながら、操作室の緊張感がゆっくりと溶けていった。
「いやー、ほんと助かりました。やっぱプロは違いますね!」
八木さんが調子よく笑顔で言うと、角井さんも深く頷いた。
「藤井さんがいてくれて本当に助かった。本当に、ありがとう」
「いえ……私も何とかなって安心しました」
ほっとした笑顔を浮かべながら、私は震える両手を後ろに組んで隠した。もしかしたら患者さんの命がかかっていた状況で、少しでも役立てたことに胸の奥が確かに熱くなるのを感じた。
***
よろよろとした足取りでようやく会議室に戻ると、時計は午前6時56分を指していた。
CTスキャナーの一件のあと、私は設定変更によって予期せぬ不具合が発生していないかをチェックするため、角井さんと病院の隅から隅まで駆け回って再テストをしていた。結果はありがたいことに、オールクリアだった。
しかし、一晩中歩き続けたので足はパンパンだ。頭も疲れ切ってしまって、もう何も考える気にならない。それでも、なんとか頭を動かそうと、向山さんが置いていったぬるいエナジードリンクを一つ拝借し、一口飲む。すると甘味が口いっぱいに広がり、疲れ切った脳が少しだけ元気を取り戻してくれたような気がした。
私は椅子に深く座り込み、机に上半身を預けたまま窓の方に顔を向ける。すると、夜明けの光が差し込むのが見えた。白く差し込む光に、新しい一日の始まりを告げる気配を感じる。
「長い、夜だったなあ……」
思わずつぶやき、腕の中に顔をうずめる。改めてこの夜のことを思い返すと、じわじわと達成感が胸に蘇ってきて、少しだけにやけてしまう。しかし、まだまだ業務が続いていることを思い出し、顔を上げる。
スマートフォンを手に取り向山さんに電話をかけると、予想外にすぐに繋がった。向山さんの作業も、順調に終わったのだろうか。
「おー、藤井! そっちはどうだ?」
「無事に終わりました! CTスキャナーとの連携エラーがありましたけど、なんとか対応できました!」
電話越しに、向山さんは感心したように「へえー!」と声を上げた。いつも通りややオーバーなリアクションが、今は無性に嬉しい。
「さすがだな! 藤井」
「いやいや、もう手のひら汗だくでしたよ。後で話しますけど、色々あって角井さんにも再テストを一晩中手伝っていただいてしまって……」
向山さんは静かに私の話を聞き、「よくやった」と一言、感謝の言葉をくれた。
「この後すぐそっちに行くから、角井さんに一言挨拶して、家に帰ろう。藤井も年越しそばとかお節とか、準備するだろ?」
「向山さんじゃないんですから、もう年末年始の準備は終わってますよ! でも、早く来てくださいね。もうヘトヘトですから」
私は、我ながら珍しく冗談めかしたように言って、電話を切った。
疲れた体を思い切って起こし、私は会議室のブラインドを大きく開け放つ。窓の外には、静かに明けていく街の風景が広がっていた。
「よし、もうひと踏ん張りだ!」
私は大きく深呼吸して身体を大きく伸ばしてから、向山さんが普段座っているデスクに腰をかけ、システムログにエラーが上がってきていないか、確認を始める。そろそろ入院患者さんの回診が始まる時間だ。新たな問題が発生しないとも限らない。責任の重さを胸に抱えつつ、次の作業に向けて手を動かし始める――新しい一日が、そして新しい一年が、もうすぐ始まるのだ。