犬の死
先日、祖母の家の愛犬が亡くなった。年は十五、トイプードルの女の子で、写真コンテストで優勝したこともあるぐらいの美人さん。私より三年先輩のその犬は、寂しがり屋で、食いしん坊で、祖母が大好きで、そして、私のお姉さんでもあった。小さな頃は私が追いかけ回しては怒らせ、私に対して、また面白がってなかなか止めてくれない祖母や大人たちに対してわんわんと吠えていたそうである。だが、私が小学校高学年になり、身長もそれなり高くなった頃には、大人として認めてくれ、小さないとこたちにはなかなかさせないだっこまでさせてくれるようになっていた。それがちょうど14歳ごろ。それから半年後あたりから急激に体調を崩し、最期近くには自宅で点滴なども行っていた。
そのころ、私たち家族に、祖母からとうとう最期が近くなってきた、次会うのが最後になるだろうと連絡が来た。父と母が大急ぎで予定を開け、祖母の家に帰れたのは、亡くなる当日のこと。到着後すぐにお気に入りのベッドのところにいくと、覇気なく寝ている彼女の姿があった。その姿を見た瞬間、たくさんの思い出が蘇った。
もし、彼女が亡くなれば。もう一緒に散歩ができない。
もし、彼女が亡くなれば。もう拗ねて吠える姿が見られない。
もし、彼女が亡くなれば。もうあの暖かい体温を感じることができない。
もし彼女が亡くなれば、、、、、
私の心は不安でいっぱいになり、ぽとり、ぽとりと涙が溢れ出す。そんな私を見た祖母は、「大丈夫、大丈夫だよ。」と励ましてくれた。その瞬間、本当は祖母の方が辛いはずだと気づく。なぜなら、祖母の方がより永く彼女と接し、より深く彼女を愛し、より多く彼女のために動いているから。
―ああ、祖母に無理をさせてしまった。
申し訳なさで胸がいっぱいになりながらも、深く頷いた。
夜になり、容体が心配なので母と父が犬のすぐそばで眠り、交代で見ておくことになった。私も一緒に見ておくと提案したが、まだ子供なのだから寝ておきなさい、と言われた。妹、弟を寝かしつけ、自分のベッドに入る。
本当に大丈夫なんだろうか、という不安が私の胸を渦巻く。
―ぐるぐる。ぐるぐる。
なんとなく嫌な予感がして、不安がさらに広がる。私の胸に、青っぽい感情が、じんわりと広がった。結局、昼間ずっと泣いていたこともあり、疲れて寝てしまった。
「〇〇、〇〇」
父から自分の名前を呼ばれて飛び起きた。
「降りておいで。」
それだけ言うと、父は無言で部屋を出た。先ほどベットで浮かんだ嫌な予感が的中したような感じがした。またしても広がる不安。
黙って階段をおり、長い廊下を通り過ぎて、リビングに向かう。
そこには、犬の眠るベッドの周りに座り込み泣く、祖母と母の姿があった。
「〇〇ちゃん、亡くなったよ。」
そう犬の死を告げたのは、母。震えた声で紡がれたその言葉に、一瞬目の前が真っ暗になった。そして、まるで走馬灯のように犬との思い出が駆け巡る。
まだ小さい頃、彼女のリードを持ちたいと祖母にせがんだこと。公園でなら持っていいよ、と言われて大はしゃぎし、彼女と一緒に広い公園を駆け回ったこと。祖母のベットで一緒にねるとき、羽布団の中に潜り込む姿をみて、大笑いしたこと。
「ごめんね、苦しいことたくさんしたよね、辛かったよね。」
泣きながら遺体を撫で、後悔を重ねる祖母の姿は、私の脳裏に焼き付いている。
年は15、トイプードルという犬種の中では相当長生きで、大往生と言っても過言ではない、と火葬場のお坊さんに言われた。そう聞いて、また涙が止まらなかった。