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クロの黒歴史  作者: 小笠原慎二
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襲撃

闇使目線となります。

何が心配なのか分からないが、目視で妙子の無事を確認しなければやはり気が済まない。

となればやはりチラチラと妙子の方へ視線を投げてしまう。


(最早癖かの…)


我慢しようにもできない。目を放している間に何かあるのではないかと不安になってしまう。

そんな行動がやはり周りにばれているのか、女性からのお声がけは止まない。

いっそのこと妙子一筋とでも宣言してやろうかとも思うが、なんだか当の妙子がそれに耐えられない気がする。

今でも心無い女性からの痛い視線を受け止めていることは知っている。さりげなく防波堤になってはいるが、すべてを防げるものではない。

一番いいのは誘いのすべてにのってしまうことだ。そうすれば妙子への攻撃は減るだろう。

やり方は一応知っているので、できないことはない。だがしかし、知らない女性にベタベタ体を触られることなど断じて嫌だし、妙子に汚いものでも見るかのように見られるのも嫌だ。


(ううむ。ここに来てこの容姿が徒となるとは…)


せめて醜男とまではいかずとも、平々凡々の容姿であればこんなことにはならなかったはずである。

無駄にいい容姿がここに来て足枷となってきてしまった。

考え事をしながらも、やはり妙子の方へ視線を向けてしまう。無事に働いている姿を見てほっとする。


(何故妙子のことがこんなに心配なのだろうかの)


自分と妙子にどんな繋がりがあるのか分からないが、その繋がりが心配の種になっているのだろうとは思う。

記憶を取り戻せばそのあたりも解消するのであろうが、さっぱり戻る気配もない。


(どうにか記憶を取り戻すことが先決かの)


しかしどうやったら戻るものなのだろう。


休憩時間になると、また声をかけられた。


「君、闇使君、だっけ?」


見れば、そこいらの作業者とは違う、ぱりっとした恰好の女性。防衛隊に所属している女性だ。

労働者の監視と護衛を兼ねた彼らは、毎日畑の側で作業者を見守っている。

しかし目の前の女性のその瞳に宿る光は怪しいもの。いい加減、男色家だという噂を信じてほしいものである。

年は妙子とそう変わらないように見えた。なのに上から目線のように感じるのは、魔法という特別な力を使えるという優越感からきているのだろう。


「なんであろうか?」


無駄な衝突を避けるべく、愛想よく答える。


「君さ、私の御囲になる気はない?」


御囲。妾、愛人の意味があるが、この場合はこの女性の情夫にならないかというお誘いである。

働かなくていいというわけではなく、今よりも安全で楽な仕事に就けるようになる。

普通の者ならば二つ返事で了承するお誘いではあった。

防衛隊は魔力を持たない一般市民を守る大事な組織である。であるがため気に入った者を、人数制限はもちろんあるが、囲うことを許されている。

もちろんだが魔力を持たない者達が否やを唱えるわけもない。上手くいけば自分も甘い汁を吸える、わけではないが、安全な場所で魔物にびくびくせずに過ごせるようになるのだから。

女性が胸を強調しながら、


「どう?」


と流し目で闇使を見上げてくる。

胸を強調されても何も感じないので、だからどうしたという感じで見下ろす。

はっきり言って答えはNOだ。妙子と引き離されてしまうなど論外だ。


「そうだのう…」


あまり速攻で断っても、この種のプライドの高そうな女性では反感を買ってしまうかもしれない。

少し思案する振りをして、闇使は答えた。


「魅力的なお誘いではあるが、申し訳ないが辞退させてもらうのだの」

「なんですって?!」


やはり腹を立ててしまったようだ。どう断っても同じだったかもしれない。


「我が輩が衆道趣味という噂は聞いておらぬかの?」


女性が一瞬怯んだ。


「そ、その噂は嘘なんでしょう?」


どうだとばかりに宣言してくる。

日頃の自分の振る舞いのせいで強気に言ってくるのかもしれなかった。


「いや、嘘ではないのだがの…」

「何言ってるのよ。あの女をしょっちゅう見てるじゃないのよ」


監視員にもばれていた。

見る以外に妙子の無事を確認する方法がないかと真剣に考えてしまう。


「いや別に、そういう目で妙子を見ているわけではないのだがの…」

「あたしの御囲になれば、今よりいい暮らしができるわよ?」


これでどうだとばかりに女性が胸を張る。最初の美香子ではないが、この女性もかなり自分の容姿に自信を持っているようだ。伴わせて魔法を扱えるということも大きいのだろう。

軽く溜息を吐く。


「もしだが、恩人の妙子も一緒に連れて行ってよいというのであれば、応えてもよいのだがの」

「はあ? 妙子って、あの女のこと?」


妙子をあの女呼ばわりされ、イラっとする。


「なんで女のあたしが女を囲わないといけないのよ」


まさにそうだ。


「我が輩、妙子に一生をかけても返しきれぬ恩があるのでの。それを返さなければ離れることなどできぬ。彼奴が共に行けぬのであれば、そちらへ行くことは叶わぬ」


こちらも引けぬと強気に返す。あまり揉めたくはないのだが仕方がない。

女性がキッとこちらを睨む。


「何よ! あの女とはできて、あたしとはできないって言うの?!」


闇使はお目目をぱちくりさせる。

できる、とは、とどのつまり男女のまぐわいのことであろう。

まあ言われてみれば、男女が一つ屋根の下で過ごしていればそういう関係になってもおかしくはない話だ。


(つまり周りからそういう目で見られていると…)


しまった。そこまで配慮していなかった。

どうも自分は性に関して疎いところがある。今さら自覚してもしょうがない話ではある。


「何か勘違いをさせているのかもしれぬが、妙子と我が輩は誓ってそういう関係ではないぞ?」

「はあ? 何言ってんのよ」

「妙子にも聞いてみるといい。それに妙子はまだ生娘であるぞ」

「・・・・・・」


何故なんだこいつみたいな顔をされるのだろう。


「え? 処女ってこと? え、なんで知ってるのよ…」

「さて、何かの話で聞いたかの?」


何故知っているのか。自分でも分からない。そんな話をした覚えもない。

女性が一歩身を引いた。


「まさか、男色家って噂…」

「否定はせぬの」


にっこり答える。

女性が渋い顔になる。


「ふ、ふん! せっかくのチャンスだっていうのに! 後で後悔するのね!」


そう捨て台詞を吐くと、女性は去っていった。


(ふむ。貴重な休憩時間が短くなってしまっただの)


足早に妙子達の元へと向かった。









家へ帰って夕飯後のまったり時間。いつも何気ない話をしているのだが、何気ない風を装って妙子が昼間の防衛隊の女のことを尋ねてきた。


「闇使さん、防衛隊の人に、声かけられてませんでした?」


ずっと聞きたいと思っていたのだろう。少し声が震えていた。

妙子としても、闇使がどこかに行ってしまうのではないかという不安があるのだろう。


「うむ。もちろん断っただの。それが何か?」

「え、だって、防衛隊の施設に行けば、ここより安全が保障されてて…」

「妙子の話が本当であれば、我が輩は素手で魔物を屠ることができるのであろう? であれば別にどこにいようとかわらぬであろうの」


確かにそうかもしれないけれどという顔をする。

妙子からすればおいしい話を何故蹴ったのか不思議であろう。


「妙子の安全を保障してくれるというのであれば、付いていったかもしれぬの」


妙子が赤くなって俯いた。本心であるのだが、何か勘違いをさせてしまっているかもしれない。

妙子の気持ちなどとうに気づいている。素直に顔に出るのでよくわかる。蘭子と美鈴が妙子をからかっているのもこの素直に顔に出るからなのだろう。

だが闇使はその気持ちに応えようという気はまったくない。妙子は大事な人ではあるが、他の女達のように性欲というものをまったく感じないのだ。

魅力を感じないというわけではない。性欲そのものが自分にはないのだろう。

妙子に迫られたらどうしようかとも思うが、おぼこ(・・・)な妙子にはそんな度胸も多分ないだろう。

その話はそれで終いになった。妙子も今の暮らしを壊したくはないのだ。








それを境に、女性からの声かけが少なくなっていった。ありがたい話だ。さすがに防衛隊の話まで蹴ったので、男色家の線が濃いということになったのだろう。

ただ、今度は一部の男性の視線がなんだかむず痒くなってきたのだが…。

それはさりとて無視して、代わり映えのない当たり前の日常を送る。

休みの日は二人で揃って配給所へ行って食料を調達。普段は畑へ行って汗を流す。

蘭子と美鈴は闇使男色家説を信じてはいないようだが、この二人は妙子をからかう方が面白いようで、闇使に迫るようなことはしなかった。というか二人の頭の中で、闇使と妙子恋人説が固まってしまっている。

害がないからよいかと放っておいた。

穏やかで何も変化のない日常。自分の記憶の手掛かりを探しつつも、ぬるま湯のような日常に闇使もどっぷり浸かっていた。

このまま何も起こらず、ただ時間が流れて行くのではないか。そんな幻想を抱き始める。


畑仕事を終え、バスへと集まる。皆乗ったことを確認すると、バスは住宅街へ向けて走り始めた。

一日の疲れが出るのか、バスに乗ると皆ウトウトし始める。


「寄りかかってよいぞ」

「うん…」


近頃は妙子も寄りかかることに抵抗がなくなってきたのか、闇使に頭を預けることも増えた。

肩にかかる妙子の重さを感じ、その匂いを感じると闇使は安心できた。何よりも隣にいることに安心する。

自分が何を警戒しているのか分からない。そんな警戒心も日々の生活の中に薄れていく。

闇使も疲れからかウトウトし始めた。バスの揺れがまるで眠りを誘っているようだ。

バスの中に心地よいうたた寝の空気が充満する。運転手もつられて欠伸が出た。

住宅街へ向けて大きなカーブを曲がる。乗客の体もカーブに沿って傾く。


「うわ!!」


突然バスが急ブレーキで止まった。

ブレーキの擦れる甲高い音と衝撃で、乗客たちも皆目を覚ました。


「な、何よ…」

「あっぶねぇな…」


ところどころで頭をぶつけただの呟きが漏れる。

しかしバスは動く気配がない。


「おーい。何やってんだよ」


焦れた一人が運転手に向って声をかける。


「静かに! 気づかれる!」


運転手の抑えつつも緊迫した声がざわつきかけていたバスの中に静寂をもたらした。

皆何事かと前を見る。


「ひ!」


前の列に座る者から小さく悲鳴が漏れた。


「ま、魔物…」


その単語が聞こえた途端、バスの中に緊張が走った。


「だ、だめだ…。気づかれてる…」


運転手の声が聞こえ、皆どうしたらいいのかと視線を彷徨わせる。

行き帰りのバスに防衛隊が付き添うことなどない。安全の確保されている道を走っているはずだった。


「なんでこんなところに…」


誰かの呟きが聞こえる。


「うわあああああ!!」


運転手の絶叫に続いて、フロントガラスが割れた。

ガラスが落ち切るのを待たず、運転手は頭を掴まれたまま車外へと引きずり出される。


「たす、助けて!」


運転手の悲鳴が響く。

だが誰も動くことはできなかった。

魔物は運転手を掴んだ腕を、2、3度地面に叩きつける。運転手はぐったりとなって動かなくなった。

魔物がゆっくりと運転手の体を口の中へと入れていく。

誰も彼もがその光景から目を離せなかった。見たくもないのに視線は動かない。

闇使も突然のことに呆然となっていたが、そこでハッとなる。


「今のうちだの! バスから出るのだ!」


闇使の声に、皆がハッとなる。


「急げ! バスに閉じ込められたら終わりだの!」


パニックになる。皆急いでバスから降りようと出口に向かいだした。


「窓だ! 窓からでも出られる!」


闇使の声に気づいた者が窓を開け、そこから体を押し出していく。


「妙子、我が輩たちも窓から出るぞ」

「あ、闇使さん…」


妙子も今の光景を見てしまったのだろう。震えている。

闇使が身を乗り出し、妙子の横の窓を開ける。


「我が輩が先に出る。妙子、続くのだぞ」


身軽に闇使が窓から飛び出した。


「妙子!」


闇使の声に導かれるように、妙子も窓から体を乗り出した。

闇使に支えられ、なんとかバスから降り立つ。


「物陰に隠れて様子を見るのだの。走るぞ」


妙子の手を取って闇使が走り始める。

こわばって動かない足を、妙子も必死に動かす。


「きゃあ!!」


妙子の足が止まったと思ったと同時に、その手が闇使の手から抜け落ちる。


「闇使さん!!」

「妙子?!」


見れば、別の魔物が妙子の足を捕まえ、引き寄せているところだった。


「此奴! 妙子に何を!!」


闇使の思考が怒りに染まった。

思い切り地面を蹴る。信じられないほどの跳躍力だった。だが何故だろう。自分はそれを知っていた。

そんな考えは脇に置き、目の前のことに集中した。

真下に魔物。両手を組み、落下の勢いを合わせて振り下ろす。

妙子を引き寄せ、腕を持ち上げかけていた魔物が、隕石でも降ってきたかのように圧し潰された。

引きずられていた妙子が体を起こすと、魔物は消えていくところだった。


「妙子! 大丈夫かの?」


妙子の身を案じ、闇使は側に駆け寄った。


「あ、闇使…さん…」


少し前に見た運転手に自分の姿を重ねたのか、妙子は膝に力が入らず動けないようだ。


「すまぬ。ここで少し待っていてくれ。あちらを片付けてくるでの」

「闇使さん…? 待って…」


妙子の声を待たずに、闇使は駆け出した。

散っていったバスの乗客を探しているのか、魔物がバスの影で蠢いているのが見えた。


「思い切りぶん殴れば、消えるようだの」


触手のような腕が闇使を捕まえようと迫ってくる。それを軽く避けながら、闇使は魔物に迫った。


「消えるがよい!!」


闇使が思い切り腕を突き出す。魔物が吹き飛び、軌道上にあった建物にひしゃげながらぶつかった。衝撃で建物の壁が崩れる。崩れた瓦礫の間から、淡い光が空中に散った。

闇使が深いため息を吐く。何故魔力も持たない自分が魔物を退治できたのかは分からない。しかし、結果的に妙子を守れたのでよしとする。

しかし、周りの人間はどう思うか…。


恐る恐る隠れた者達が建物の影から出てくる。


「あ、あんた…」


何か言いたいことがあるようだったが、それよりも妙子が心配と、闇使は妙子の元へと向かった。


「妙子、大丈夫かの?」


妙子は俯きながら頷いた。


「歩けるかの?」


俯いたまま、妙子がゆっくりと立ち上がる。少しふらついていたので闇使がその手を取って支えてやった。

少し体が硬直したのが分かった。


(? なんだ?)


妙子の心が、妙に頑なになっているのが分かった。何故そうなったのか、それ以上は読めない。

妙子の歩に合わせ、バスへと近づく。隠れていた者達もぞろぞろとバスの周りに集まり始めていた。


「あんた、さっき、魔物を倒してなかったか?」


現場を見ていたのだろう一人が、闇使に問いかけてきた。


「うむ。我が輩が倒した」


見られているのだ。嘘をついてもしょうがない。


「魔力持ちなのか? だとしたら、なんでここにいるんだ?」


当然の疑問だろう。


「いや。何故かは分からないが、我が輩は魔力を持っていない。しかし魔物は倒せたのだの」


ざわりとなる。そんなことが可能であるならば、魔力を持たない者達でも太刀打ちできるのでは? そんなことを考えているのかもしれない。


「勘違いしないでもらいたいのだが、我が輩はどうやらかなりの膂力の持ち主であるらしい」


ざわざわとした声が少し収まり、闇使に視線が集まる。


「記憶がないのは知っていると思うが、我が輩も自分のことを良く分かっておらぬ。故に、今の今まで自分がこれほどの力を持っていることも知らなかった」

「そ、そんなこと、あるのかよ…」

「知らぬ。しかし我が輩はそうであったということだの」


また少しざわめきが広がる。

闇使は小さく溜息を吐いた。


「とりあえずそれは置いておいて、折角助かった命だの。家に帰らぬか? 我が輩疲れたのだが」


闇使の言葉に皆目を見合わせ、確かにそうだと頷く。

一日の仕事で疲れていたところに魔物の襲撃だ。体だけではなく精神的にも疲れた。

運転はできるかという問いに、闇使は首を振る。運転は見たこともない気がする。

他に隠れている者がいないかを確かめ、生き残った者達の中から運転できる者を探し、交代で運転して帰ることになった。

ひと先ずの脅威が去り、皆ぐったりと座席に体を沈めた。バスはほどなく静かに発車した。

隣に座る妙子は、あれからずっと顔を俯かせている。気にはなったがなんとなく今は声をかけてはいけない気がして、闇使も黙ったまま皆と同じように座席に体を沈み込ませた。


バスがゆっくりと住宅街へと入っていく。

闇使は自分が何を心配していたのか、先ほどの襲撃で理解した。

ずっと魔物を警戒していたのだ。

魔物は魔素で構成されている。つまり生物とは違う存在だ。先ほど相対して分かった。

奴らの気配は察知できない。

自分が察知できるのは生物の気配。生き物ではない魔物の気配は察知できない。

おまけに大気には今魔素と呼ばれる存在が充満しているという。奴らを構成しているものは魔素。つまり大気に溶け込んでいるようなものだ。そんな者を察知するなどできやしない。

気配が察知できなければ、近づいてくることも分からない。つまりどうしても後手に回ってしまう。

妙子の無事をいつも目視で確認していたのは、妙子の無事を知ると共に、魔物がいないか目視で確認していたのだろう。

記憶を失くす前に妙子を助けたという話は聞いた。その時も背後に魔物が立ったことに気づかず、一発くらってしまったらしい。その時に頭でも打って記憶を失くしたのだろう。


(まさに、頭が痛い、だの)


魔物は目視で確認する以外、察知する手立てがない。

これからは今まで以上に妙子と離れることに不安を覚えてしまうだろう。

そも何故自分はこんなにもこの娘の心配をしてしまうのだろう。何故か強烈に、妙子を守らねばならぬという思いが胸の奥にある。

記憶を失くす前にも助けに入っていることから、自分にとって余程大切な存在だったのだろう。

だが妙子は闇使を知らないという。どういう関係なのかいまいち分からない。

そのあたりが分かれば、記憶を取り戻す手掛かりになりそうなものだが…。


そして横に座っている妙子から、なんだか刺々しい空気が漂ってくる。なのでなんとなく尻が落ち着かずそわそわしてしまう。かと言って問い質す勇気もない。

早く停留所に着かないかなと、バスの進行方向に視線を投げた。









バスから降りても、妙子の刺々しい雰囲気は変わらない。気まずい思いをしながら、闇使は妙子と共に家へと歩を進める。

何か話しかけた方がいいのだろうが、何を話せばいいのか分からない。

何故か思考も読めない。頑なに心を閉ざされている気がする。

玄関を入ったところで妙子がふらついた。


「っ、妙子…」


軽く支えようと手を伸ばしたが、


「触らないで!」


鋭い拒絶の声がして、闇使は伸ばした手を止めた。

よろけるように靴を脱ぎ、妙子が部屋に入っていき、そこでぺたんと床に座り込んでしまった。

闇使も靴を脱ぎ、妙子の側へ寄る。やはり先ほどの襲撃がかなりショックだったのだろう。


「妙子」

「気安く名前を呼ばないでよ!」


闇使は言葉に詰まる。何故か妙子が怒っている。しかも自分に向かって。

何かしただろうか?

これまでの道のりのことを考えて見る。

襲撃の時まではいつもと変わらなかった。そうだ。襲撃の後からなんだか様子が変だった。その間に何かしただろうか? しかし何も心当たりはない。


「す、すまぬ…。我が輩、何かしただろうか…」


とりあえず訳が分からないので一先ず謝る。

しかし、返事がなかなか返ってこない。

何かしただろうか。何かしただろうか。

思い出せる限り考えてみるが、やはり心当たりはない。


「どうせ…でしょ」

「ぬ?」


妙子が何か呟いた。


「どうせ! 記憶が戻ったら、あたしの前から消えるんでしょう!!」

「?!」


何がどうしてそんな話に繋がるのだろう。


「だったら! 期待なんかさせないでよ!! 優しくなんてしないでよ!! こんな、こんな思いするなら、いっそ何も知らない方が良かった!!」


言っていることの内容は正確には分からないが、なんとなく妙子の押し留めていたものが吐き出されていることは分かった。


「妙子、何を言っているのだの…」

「触んないでったら!!」


肩に触れたら、思い切り振り払われた。妙子がこちらを睨みつけてくる。その瞳からは涙が溢れていた。


「分かってるわよ。あたし、そんな美人じゃないし、可愛くもないし、女として魅力がないなんて…。でも、大事な人とか、守りたいとか、そんな言われたら、いくら鈍感でも、勘違いしちゃうじゃない…」


妙子が鼻をすする。


「もうやめて。期待させないで…。疲れるの…。どうせ叶わないって分かってるの…。だから、もう優しくしないで…」


言いたいことはなんとなく分かった。だがしかし、大切な存在であることには変わりない。それを、どう言ったら伝わるのだろう。下手なことをすれば、妙子をもっと傷つけることになってしまう。


(女性として見てはいない。だが、大切な存在であることには間違いがないのだの…)


心の中で呟いても、妙子には届かない。

妙子の心を弄んでいるわけではなかったが、結局弄んだという風になってしまった。これは自分の落ち度だ。恋愛感情というものを理解していなかった。

妙子を傷つけたくなかったのに、自分の言葉が妙子を傷つけていたのだ。

妙子が悩んでいたことも知っていたのに。想いを寄せていることも知っていたのに。それを分かろうとしなかった。


「妙子、すまぬ…。すまぬ…」

「触らないでよ!」

「お主の想いには気づいていた。しかし我が輩はそ知らぬ振りをしていた。まことに申し訳ない…」

「もうやめてよ。もう何も聞きたくない…!」


妙子が耳を塞ぐ。


「妙子。今までの非礼は詫びる。お主を傷つけるつもりはなかった。だが結果としてお主を傷つけてしまった。許してくれ。我が輩が愚かだったのだの」


だが妙子は手を放そうとしない。


「妙子、頼む。許してほしいのだの。我が輩にできることならなんでもする。だから…」


耳を塞いでいても、完全に音を遮断することはできない。

闇使の言葉が聞こえたのだろう、妙子がゆっくりと手を下ろす。


「本当に、なんでもするの?」

「できることなら」

「だったら、あたしを抱いてよ」


闇使が目を見開く。


「できないでしょ? ほらね? 結局口だけじゃない。なんでなんとも思ってない女なんか、一番大切だとか守りたいとか言えんのよ。あんたにとってあたしは、いったいなんなのよ! もう放っておいて!」


闇使にははっきり見えた気がした。妙子の心が閉じていく。このままでは、二度と闇使に向かって微笑んではくれなくなるだろう。それよりもなによりも…。

捨てられる…。

今までに感じたことのない恐怖が背筋を走る。

建物の隅で、誰かを待って泣き叫ぶ。どんなに待っても応える声はなく、ただ絶望が広がっていく。そんな映像が頭に浮かんだ。覚えがないが、遠い昔の記憶だろうと思った。

いやだ…。捨てられるのは嫌だ!

妙子に捨てられたら、きっと自分は生きてはいけない。いや、存在することさえできないかもしれない。

妙子に捨てられたら、自分を構成しているすべてが消えてしまう。

暗い底なし沼に放り込まれたような気がした。

この心が閉じてしまったら、本当に終わりだ。


「妙子」


少し強く両肩を掴む。


「っ、痛い…」

「抱けばよいのだな?」

「え…」

「お主を抱けば、許してくれるのだな? 今までのように、傍にいてよいのだな?」


妙子の瞳が一瞬大きく見開かれた。


「うん…」


目が合う。瞳からは涙が流れ続けている。顔を近づける。妙子が身を固くする。構わず少し荒々しく口づけを交わした。


お読みいただきありがとうございます。

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