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クロの黒歴史  作者: 小笠原慎二
12/16

邪魔

クロ目線となります。

妙子の陣痛が本格的になると、妙子が産屋へと移動していった。もちろんその後を付いて行く。

だがしかし、


「毛が飛びますので外にいてくださいまし」


とおこんとおぬきに追い出されてしまった。

こういう時、猫の身が恨めしい。

二人とて全身毛むくじゃらのくせに…。しかし今は人に化けているか…。

あまり妙子に未練を持たせたくもないのでできれば闇使の姿にはなりたくないのだが…。


「痛い痛い痛い! 無理無理無理! 死ぬ死ぬ死ぬー!」


次第にそんな悲鳴が聞こえてくるようになると、オロオロし始める。

といっても自分に何ができようものか。ただ待っていることしかできないというのも辛いものだ。

何か痛みを軽減させてやれればいいのだが、生憎自分にそんな技はない。遠い昔に会った妖精のことをちらりと思い出すが、さすがにこの場に簡単に連れてこられるような存在ではない。

何かできないかと産屋の前でウロウロとうろつきまわるが、何もない。


「痛い痛い痛い! やだやだやだー!」


悲鳴が届くたびに代わってやりたいとも思うがそれも叶わない。


「出産は女の戦じゃ」


九重の言葉が浮かんでくる。まさに生死を懸けた戦いだ。そこに男は決して踏み入れない。ただ無事を祈るしかない。

だが男にもひとつだけやれることがある。しかし、それを実行していいものなのだろうか…。


「痛い痛い痛いー!」


妙子の悲鳴が聞こえる。感覚が狭まり、いよいよという局面が近いようだ。

妙子の精神もかなり限界が近いのが分かる。もう15時間以上痛みを耐えているのだ。それも当然だろう。

禁を犯したが故に人の身にはならぬと決めていたのだが、妙子が少しでも安心できるのであればまた闇使の姿をとってもいいのではなかろうか…。

ウロウロ、オロオロ、産屋の前で考えていた。


怖い。痛い。もう死ぬかもしれない…。


そんな妙子の心の声が聞こえてきてしまったら、もうじっとなどしていられない。

闇使の姿となり、産屋に駆け込む。必死に手すりに掴まっている妙子の手に手を重ねる。


「妙子!」


妙子が虚ろな目でこちらを見る。


「頑張るのだの! 妙子!」

「闇使さん…?」


痛みが少し引いたのか、手から力が抜ける。その手を取り、握りしめる。妙子の顔に、少し笑みが浮かんだ。


「妙子!」

「妙子様! 今です!」

「んぎぃ…」


おぬきの声に、妙子がいきみ始める。手にも力が入る。通常では考えられないほどの力で手を握られる。


「頑張るのだの! 妙子!」

「あたしは…」


妙子が荒い呼吸を繰り返す。


「あたしは、この子を、産むんだーーー!!」


それを聞いて『母は強し』という言葉が何故か浮かんだ。












出産を終えると、妙子は疲れたのか意識を失ってしまった。


「後は私たちがやりますので」


とクロはおこんとおぬきにやはり産屋を追い出される。まったく男というものは出産時は役に立たないものだ。

その後体を清められた妙子をクロが抱いて部屋へと運び、ベッドに寝かせて無事な様子に安堵する。


(あとは…)


おこんがベビーベッドを用意し、おぬきが運んできた赤子。

この世に生まれて数時間の、自分の血を分けた赤子に、猫の姿に戻り近寄る。ありがたいことにすやすやと気持ちよさそうに眠っている。


(半魔、いや、半妖か…)


確かに自分と似た臭いがする。確実にクロの子供である。人の姿で生まれることができたのは救いかもしれない。


(人間だと思い込んでおったからかもしれぬの)


だから子供ができたのかもしれない。


(しかし、この先その血をばら撒かれるわけにはいかぬ)


妙子が目覚める前にことを成してしまわなければならない。おこんとおぬきが口を出すことはない。


(子を成す力を削いでしまえば…)


一代限りで終わるだろう。それで終いだ。

人の世に妖の力など不要。故に呪いをかけてしまおうとしたが、ふと思う。


(妙子…。孫の顔を見たいと思うだろうか…)


幾度かの転生の中で、元八重子の魂を持ったその人が子を成したことはある。そしてその子がまた子を成し、孫の顔を見るとそれは嬉しそうにしていたものだ。

クロには分からないが、「孫は何をおいても可愛い!」ものらしい。

ここで呪いをかけてしまえば、今生の妙子は孫の顔を見られない。それもちょっと可哀そうな気がする。


(だ、だがしかし…血を繋げるなど…)


他の妖の子とて、子をたくさん産むこともあったり、またなかったり。それはそれぞれの人生であり、残すも残さないもその者の自由だ。遠い未来で先祖返りで妖の血が濃くなって悩んでいる者もいないわけではないが、それはそれで上手く付き合っている者もいる。

そう、生まれた子とて、必ず子を成すわけじゃない。この子とてこんな世の中だ。もしかしたら子を成す前に死んでしまうかもしれない。


(そうよな…。しかし万が一ということもあるでの)


呪いの方向を少し変えることにした。

クロの血が続く限り続く呪い。生涯にひとりだけしか子を残せない、という風に。

これで万が一血が繋がっても追いかけることができる。何かあろうものなら自分の手で抹消してしまえばいい。

今生の妙子がまた寿命を終えれば、その間クロは暇になる。その間だけでも血を追っていてもよいだろう。


(残さなければ残さぬでそれでよし)


子を作らなければその代で終わる。丁度いい。

呪いをかけ終わりほっとする。猫の身であっても子を成したことがないというのに、まさか人の中に残すことになるとは思わなかった。


「…ん」


妙子が起きそうな気配がした。慌ててベビーベッドから飛び降りる。

妙子が起き上がる。まだ疲れが残っているのだろう。体が重そうだ。

ベビーベッドを覗き込んで、


「うはあ、可愛い~」


と笑顔になる。その顔に改めてほっとする。良かった。出産で命を落とすことがなくて。


「なあう」


足元に擦り寄ると、今気づいたとばかりに妙子に抱き上げられる。ついでにベビーベッドを覗き込む形になるが、すでに先ほど見たばかりである。

一応呪いがきちんと掛かっているか、再度確認。うむ。大丈夫だ。


「クロ、赤ちゃんと仲良くしてね」

「んな」


もちろんだ。妖の血を持っているのだから、妖の知識もちゃんと教えなければならない。それはクロの役目だ。


「あとは名前だよね。でもね、もう決めてあるんだ」

「んん?」


センスがないとは言っているが、何気に魂の奥に繋がる名をつけるのが上手い。特に力を持つ者に対しては最適な名を考える。日本語の成せる業なのか、妙子の才能なのかは分からないが。


「闇使。女の子だったら闇吏にしようかと思ってたけど。男の子だから、闇使。この子のお父さんと同じ名前だけど、闇使さんは多分本当は別の名前があるだろうし。だから改めてこの子にその名前あげるの。いいでしょ、クロ」

「…うなぁ」


なんともまあ、またそんな名前を…。闇の使い、闇を使う者。確かにこの子はクロの血を引いているせいか、闇に通じる力を使うことができる…。名は体を表すというが、そんなまさにぴったりの名を付けられては、この子の力が増してしまうではないか…。

クロは項垂れた。


「何よ。その不満そうな声。どうせあたしには名づけセンスなんてないよーだ」


妙子がこのやろうと言いながら首元に頬ずりしてくる。妙子ならば何をされてもどこを触られても嫌ではないが、黙っていると調子に乗るので身じろぎして抵抗を示す。


「ふああ…」


赤ちゃん、改め闇使が起きたのか、泣き始めた。妙子が慌ててクロを下ろす。若干不満が残るが、赤子優先になるのは仕方がない。

その後初めての赤ちゃんのお世話にてんてこ舞いになる妙子を見ながら、クロは甘えるタイミングを見計らうのだった。

甘えるのは猫の大事な仕事である。









そのまたある日、闇使は定例の贄、もといお役目の男を九重の元に献上し、お役御免になった者をいつも通り適当に支部のあたりに放り出し、いつもの通りに狸の里に訪れていた。


「ふぁふぁふぁ。黒猫よ。精が出るのう」

「金時殿もご健勝のようでなにより」


いつものように食材を渡し、宴会に引きずり込まれていた。こればかりは仕方がない。


「して黒猫よ? いつになったらお目見えさせてくれるのじゃ?」


金時が聞いてきた。

そろそろ生まれて4ヵ月も経つ。妙子の体調も安定しており、赤子をお披露目するには差し支えないのであるが…。

なにせ日本でも屈指の大妖と呼ばれる者達だ。妖気とて半端ない。霊力の低い人間にとって、強い妖気は毒気でもある。あまり近づけたくないと思うのは仕方がないだろう。それにあの小さな家に招くというのもなんだか緊張するし、なにより招くことによってクロの正体がばれそうになるのが怖い。


「九重殿にも言われたが、もう少し妙子の体調を見てから…だの」


なにより、あまり妙子に妖しの者達を近づけたくもない。


「黒猫よ。世話になっているというに、それは礼儀知らずというものではないか?」


金時の声が低くなる。

クロの背筋もぞっとなった。

大妖の仲間入りをしたとはいえ、金時や九重にクロが敵うはずもない。


「分かっておる。必ず、お披露目はするでの…」

「ふぁふぁふぁ。お主はあの娘が絡むと、途端に弱くなるのう」


金時が笑う。クロはほっと胸を撫で下ろす。

確かに妙子が絡むと、クロはいつも以上に慎重になってしまう。それも仕方ないだろう。一番大切な失いたくない存在なのだから。


「もう少し…、我が輩の心の準備ができてから…」

「あまりぐずぐずしておると、後悔先に立たず、じゃぞ?」


なんだか悪戯めいた目でこちらを見下ろしてくる金時。

クロは訳が分からず首を傾げる。


その意味が分かったのは家に帰ってきてからだった。


「謀ったな!!」


家に駆けこんでみれば、招待もしていないのに居座って妙子といちゃいちゃしている九重の姿。


「ふぎゃあう!!」

「おや? 黒猫が帰って来たのかえ」


面白くなさそうに九重がクロを見ると、妙子から体を離して立ち上がった。


「今日は面白かったぞ? また来やるでの。その時はまたがーるずとーくをしようではないか」


そう言うとしゃなりしゃなりと出て行った。

妙子が疲れた顔をしてソファにぐったりとなったのを見た。

思わず九重を追いかける


「九重殿!」

「なんじゃ? クロ殿」


九重が足を止めて振り返る。


「妙子に何をしたのだの!」

「何を?」


九重が目をぱちくりさせる。


「何もしておらぬ。ただがーるずとーくをしておっただけじゃ」

「それはまことであるか?」

「まことじゃ。あの娘にも聞いてみるがよい」

「生気を吸い取ったりなぞしておらぬの?」

「しとらぬわ、愚か者。主の手つきであるし、何より妾はあの者が気に入った。また遊びにくるでのう。よろしう言うといてくりゃれ」

「ほ、本当、であるか?」

「あまりしつこいと妾も怒るぞ?」

「い、いや、すまなかったであるの…。妙子がぐったりしておったから…」

「主はほんに、あの娘に弱いのう。ぐったりしておったのは、まあちょいと妾がからかい過ぎたせいかもしれぬの。そこは謝っといてくりゃれ。もう行くがよいな?」

「あ、ああ。引き留めてすまなかったのだの」

「ではな」


しゃなりしゃなりと九重が帰っていった。

妙子が無事であると知りほっとなる。安心して家へと帰っていった。

しかし、自分が不在の時に断りもなく訪れたことに対し、文句を言うことを忘れていたのは後で思い出した。











「九重殿。我が輩の留守を狙って黙って訪れるのは何事かと思うのだがの」

「主がさっさとお目見えさせてくれぬのが悪いのよ」


改めて先日の苦情を言いにきたクロ。しかしながら九重に悪びれる様子はない。


「だからといってあのように突然来られては、十分なもてなしもできぬではないか。おこんとおぬきも突然のことで心臓が止まるかと言うておったぞ」

「別にもてなしなどいらぬ。妾はややの顔を見に行っただけじゃからな」

「こちらはそうもいかぬ」

「じゃから主がさっさとお目見えさせぬからであろう。そんなに妾達をあの娘に会わせるのが嫌か?」


そも会いたがる人間も稀であろう。


「確かに会わせぬは我が輩も悪かったである。しかし今後はこういうことはなしにしていただきたい」

「ふ。分かったのじゃ。確かに妾も礼儀知らずではあったのう。ややの顔もまた見たいし、あの娘ともまた話したい。今度は主の許可を得てから参ろう」

「かたじけないのだの」


クロがほっと溜息を吐く。

それを見て、九重がにやりと口角を上げる。


「しかし、がーるずとーくの時は主はどこかに出かけていた方がよいと思うが? あの娘、主の話をする時は可愛いものじゃったぞ? あ、闇使さんは、その、とてもカッコよくて、強くて優しくて…などと頬を染めて語る姿はまさにまさに…」

「こ、九重殿…。な、何を話していたのだの…」

「だ・か・ら、がーるずとーく、じゃ♪」


九重を招待しても、クロは猫の姿のまま。妙子との会話に入ることなどできやしない。そんななかで交わされる自分の話題…。とてもじゃないがその場で聞いてなどいられないだろう。

招待してもその場で妙子を守ってやることができない…。新たな問題に頭を抱えるしかなかった。








九重の所から帰ってくると、


「今度は狸爺か…!」


クロが家に向って駆け出す。

前回のことといい、どうやらあまり仲が良くないはずの狐と狸が手を組んだようだ。クロがいなくなる時を双方で連絡を取り合ったに違いない。

仲が悪いはずなのに、悪だくみとなると息がぴったりになるのは何故なのだろう。

家に駆けこんでみれば、クロの姿を見て慌てだす金時の人間に化けた姿。


「そ、そろそろ帰るかのう」


とそそくさ立ち去って行った。

妙子は特に何もされていないようで、


「奥さん88人とかびびったわ」


と明るく笑っていたのでほっとする。

とりあえず文句は後日でいいかと、妙子の側に寄り体調をチェックした。

その晩、おぬきに何があったのかを聞き、軽く殺意を覚えたのは余談である。


後日、奥方を通して(・・・・・・)、正式に苦情を入れた。

その次の食料を献上しに行った時、軽くじろりと睨まれたが何も言われなかった。何があったかは想像すまい。

その時に九重と同じように正式に招待する場を設けると約束をした。


「何名か奥方もご一緒に」


と当てつけで言ったら渋い顔をされた。これくらいのささやかな嫌がらせくらいは許されるだろう。









それからまたしばらく経った日。


(この気配はまさか…!)


妙子の膝の上で寛いでいたのだが、近づいてくる圧倒的な気配に顔を上げる。

確かに狐と狸が家に来たとはいえ、あれは正式なものではなく、だからこそまだ正式な招待はと二の足を踏んではいたが…。


(しかし、まあ、御身としては面白くないかの…)


狐や狸よりも格上の者がいまだ赤子の顔を見ていないとなれば、不満に思ってもしょうがないのだろうか…。

だからといって、こちらの都合も考えてほしかったと、クロは諦め気味に近づいてくるものを迎えるために腹をくくる。


ぴんぽ~ん


「は~い…」


おこんも近づいて来ている気配に気づいたのだろう。引け腰になりながら玄関へと向かう。


「ひ! ひとつめ…あわわわわ」

「驚かんでいい。挨拶に来ただけよ」


野太い声がしてのしのしと廊下を大きな人影がやってきた。妙子の膝から降り、床で頭を垂れて迎える。


「おお、お主が闇使の嫁御殿か」

「よ、嫁?!」

「なあおう」


おかしなことを言わないでいただきたい。と一言文句を述べる。

しかし一つ目入道は悪戯っ子のような顔をしてクロの顔を見ただけだった。


「おうおう。黒猫が気分を害しておるようじゃ。はっはっは。口は慎もう。それ、わしはどこぞの主達のような土産は持たんでのう。わしの山に生えておる『白妙』という品種の八重桜の枝を持ってきた」


と白い八重桜を妙子に手渡す。

やはり狐と狸のことを知っていたのか…。

クロは頭を抱えたくなった。


「あ、ありがとうございます…」


妙子が恐る恐る枝を受け取り、それをおこんに渡す。おこんが花瓶に活けてくれるだろう。


「はっはっは。わしは美味い酒しか知らんでのう。しかし嫁御の妙子殿は飲まんと聞いておったからのう。難しいものよ。おうおう、まだ名乗っておらなんだな。わしのことは入道と呼んでくれ」

「はあ、入道様…」


聞いていてハラハラするが、一つ目入道はそれも楽しんでいるようだった。


「そうかしこまらぬでよいぞ。どれ、やや子はどこじゃ」

「こちらにございます」


見越していたとばかりにおぬきが闇使を連れてくる。


「おうおう、なるほど。確かにあやつめと其方に似ておるわ。目出度い事よ」


ちらりとクロにも視線を寄越す。

やめろ、妙子がニブチンとは言えもし気づかれたらどうする。とも思うが喋ることもできない。それも分かってやっているのだろう。

闇使が「ほやあ」と軽く声を上げたが、嫌がるそぶりは見せなかった。

妖の血が流れているせいかもしれないが、闇使はどうやら普通の人の子よりもいろいろ理解が早そうだった。


「なるほど。賢い子じゃ。先が楽しみじゃのう」


闇使のそんな気配を感じ取ったのか、一つ目入道が顔を綻ばす。


「それとやや子に会うのと、実はのう、ひとつお主に頼みたいことがあって来たのよ」


と、妙子に向き直って言い出す。

この期に及んで妙子にお願い?


「あたしに、ですか?」

「おうそうよ。あやつめがお主の料理はとにかく独創的だと散々吹聴しておったからな。面白そうなので一度食してみたいと思うての」

「ふぎゃう!」

「クロ?」


思わす「正気か?!」と叫んでしまうところだった。

しかし一つ目入道はさも面白そうに言葉を続ける。


「手間なのは分かっておるが、どうじゃろう? 何か作ってもらえぬじゃろうか?」

「ええと、しばらく作ってないからどうなるか分かりませんけど…。その、味は、かなり独創的ですよ?」

「聞いておる。それが楽しみなのじゃ」

「はあ…。ちょっとお時間をいただきますが…」

「構わぬ。わしの我儘を聞いてもらうのじゃ。何時(なんどき)でも待とう」


そう言ってでん!と一升瓶をテーブルに置いた。最初からそのつもりで来たのか…。

黒猫の姿なので分からないだろうが、きっと今の自分は顔が青白くなっているはずだ…。しかし一つ目入道は見ないふりをしている。

妙子が台所へ向かう。

おこんがそれを追いかけ、


「私は酒のつまみでも作りましょう」


とさりげなく妙子のサポートに回ってくれるようだった。

そっと一つ目入道に近づき、


「入道殿。あまりにも突然ではないかの?」

「お主、他の者達も言うておらんかったか? お主がなかなか呼ばぬからよ。わしがこの場所を手配してやったというに、いまだにややの顔見世を行わぬは何故じゃ?」


一応気を使ってくれているのか、妙子に聞こえない声量で話してくれる。


「それは、だからその…、もう少し妙子の体調を見てからと思って…」

「主よ。見るからに嫁御殿は体調が良さそうじゃがのう」

「いやまだ、無理はいかんのだの…」

「主よ。人は動かな過ぎても体を壊すのじゃぞ?」

「う、うぬ…」

「惚れた弱みか?」

「そうではないだの!」


思わず声を荒げてしまい、ちらりと妙子を見るが、料理に夢中で気づいていないようだ。


「しかし、妙子の料理を食すとは…正気かの?」

「お主の言う独創的(・・・)な料理というものも、話のタネに一度食してみたいと思っておったのでな」

「…覚悟はできておるかの?」

「ふふふ、それはそれは楽しみじゃのう」


本当に大丈夫だろうかと心配になるが、まあ一度食べれば分かるだろうと説得を諦める。それにすでに料理を作っているのだ。止めることは叶わない。

おこんがさりげなくアドバイスしている。せめて食べられる物になればいいが…。


「これ、口出ししては嫁御殿が作った料理とは言えぬじゃろうが」


ひっとおこんが首をすぼめる。


「し、しかし…」

「よいのじゃ。主もこちらへきて一献傾けい」


これで出来上がりの味に保証ができなくなった。クロは隠れて頭を抱える。あんなものを神の位におわす者に食べさせていいのだろうか…。しかし本人が望んでいるのだから仕方がない。

台所からは不吉な音が聞こえてくる。

おこんも聞いていたのだろう。さすがに我慢ができなくなったのか、そっと席を立つ。


「妙子様、あまり調味料を使いすぎても明日からの料理に差し支えますので…」


ありがとう、止めてくれて。

クロは後でおこんに何か褒美でもやろうかと考えた。

料理を皿に盛り、妙子が料理を運んでくる。


「ええと、お口汚しになりますが、どうぞ」


妙子が恐る恐るテーブルにそれを置く。


「どれどれ、いただこう。主らもどうじゃ?」


入道が箸を取り、にくじゃがとおぼしきおじゃがを掴んで口に運んだ。

勧められたおこんとおぬきも興味があったのか、恐々とそれぞれ口に運ぶ。


「ぶはは! まずい!!」


入道がさも可笑しそうに笑う。

おこんとおぬきは口元を抑え、青い顔をして震えている。さすがに神の前で吐き出すわけにはいかないので必死に飲み込もうとしているのだろう。


「これが人間が作った料理とは! わはは! 確かになんとも独創的よ!」


と次々に口に料理を運ぶ。クロは唖然とその光景を眺める。まさか神とは舌が馬鹿になっているのか? いやしかし、まずいとはっきり言っていたではないか…。


「あ、あの、無理はしないでください…」


妙子も心配そうに声をかけるが、


「よい。其方の心が込められておる。これはこれで面白いものよ」


と、ひょいぱくひょいぱく口に運ぶ。

呆然とその光景を見ていた。何故そんなにも平気そうに食べられるのだ…。

全部食べるのかと思いきや、少しだけ残す。何故少し?と思っていると、


「残った物は包んでくれるか? ちょいと食べさせてやりたい者達がおるのでな」

「え? ええと、何かの罰ゲームで?」

「うはははは! 自分の料理を罰ゲームとな! いやいや、お主に興味を持っている者達がおるのでな。そやつらの土産にするのじゃ」


え? 妙子に興味を持つ者?

入道の言葉に我に返る。もし邪な意図を持つ者であれば容赦はしない。

残りをタッパーに詰めて、風呂敷に包んだものを一つ目入道が手に持った。


「馳走になった!」


と上機嫌で家を出て行く。クロはこっそりその後を追う。


「入道殿!」

「おお、黒猫」


十分に家から離れた所で声をかける。


「今日は大したもてなしも出来なかったのだの。改めて場を設けさせてもらうのだの」

「ふん。良いじゃろう。楽しみにしておるわ」


何が楽しかったのかは分からないが、一つ目入道は上機嫌だ。これで機嫌を損ねるようなことがあったらまさに大事。クロはほっと胸を撫で下ろす。


「うむ。世話になっておきながら申し訳ない。今度は美味い酒を用意しておくのだの」

「うはは。それではまた嫁御殿に飯を作ってくれと伝えておいてくれ」

「ええ?! よ、よいのかの? あ、あれを、食べるのかの…?」

「味は驚くほどに不味かったが、心の籠ったいい料理であった。久方ぶりにあんなに心の籠ったものを食したぞ。また食いたいものじゃ」


神に捧げる物はもちろん最上級の供物でなければならないが、もうひとつ、心の籠った品でも喜ばれる。

妖は人の恐怖などを己の力とするが、神は畏れや信心を力とする。捧げものとしての純粋な思いが喜ばれるのだ。

妙子も拙い料理ではあったが、入道に食してもらうためにとても頑張っていた。その思いが入道に喜ばれたのかもしれない。


「分かった…。伝えておくのだの。それと、それを食わせたい者とは、誰ぞ?」


これが本題だ。妙子を狙うものがいるならば、排除しなければならない。


「もちろん。狐と狸じゃ」

「ぬ?」


思わぬ名前が出てきて、クロが顔をしかめる。


「九重殿と金時殿であるか? 何故(なにゆえ)?」

「現実を知らしめるため。もあるかのう。まあ、ただの悪戯じゃ」


にいっと入道が笑う。

一つ目入道には九重も金時も敵わない。きっと涙目になりながら妙子の料理を飲み込むだろう…。

その光景を思い浮かべ、ちょっといい気味だと思いつつ、心の中で合掌。次に会う時まで生きていればいいが…。


「時に黒猫よ。ここには長くいるわけではあるまい?」

「ぬ? そうである。闇使がそれなりに育ったら、人の世に戻すつもりだの」


あまり人の世からかけ離れ過ぎてはいけない。妙子と闇使は人なのだ。人の社会で生きるのが一番だ。


「では、あまり過保護になりすぎず、料理の勉強もさせた方が良いのではないか? 人の世におこんやおぬきは連れては行けぬであろう」

「ぬ…」


盲点だった。確かに、人の世に戻ったら、闇使の食事は妙子が用意しなければならない…。

闇使のためを思っておこんやおぬきといった料理をしてくれる者を用意したが、妙子の料理の腕を余計になまくら(・・・・)にしてしまった。


「そ、そういえばそうだの…」

「わっはっは。主は嫁御殿に甘すぎる。適度に教育してやらねばならぬぞ」

「ひとつ言うておくが、妙子は嫁ではないぞ」

「ではなんぞ?」

「妙子は妙子だの」

「結局嫁だろう。意地を張っておらぬで、お主ももう少し素直になれ」

「意地など張っておらぬ!」

「はっはっは。ではの。今度は美味い酒を楽しみしておるぞ」


そう言って一つ目入道は去っていった。

クロは疲れたように小さく溜息吐いて、家の方へと戻っていったのだった。


お読みいただきありがとうございます。

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