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クロの黒歴史  作者: 小笠原慎二
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代償

クロ目線となります。

九重(ここのえ)殿。まことに彼奴で良かったのかの?」

「今の世の人の生活にいっとう詳しい者を送ったのじゃが? 何かあったろうかのう?」

「…主の名を口から滑らせかけておったが」

「妾の名を言うたらどうなるかは彼奴が一番分かっておろう。なに、何かあったら妾が責任もって縊り殺してやろう」

「いや、うん、まあ…」


クロとしてはクロの名前を出されなければ、あとはどうでもいい。

人の姿を取り、差し出された杯を受けながら、派遣されてきたおこんを思い出す。

おこんの方はだいぶうっかり者のようで、しょっちゅうクロの名前を出しそうになるし、上司とも言える九重の名前も口に出しそうになっている。

確かに電化製品などの使い方には精通しているし、料理も上手い。掃除洗濯とぬかりはないのだが、いかんせん口がうっかり過ぎる。

毎度ハラハラしながら行動を見守っていた。


そしてクロはおこんを借り受ける代わりに、毎月男を一人九重に献上することになっている。

九重のお眼鏡に叶いそうな男を探すのも一苦労であり、最初の贄として、クロは高井戸を攫って来ていた。妙子を危険にさらした報いである。後々の者も高井戸に連なる者をと考えていた。クロなりの仕返しである。


「最初の男はどうであったかの?」


念のため感触を聞いてみる。九重のお眼鏡に叶えば、この先の男漁りはご免になる。


「悪くはないのう。しかし、もう少し見目の良い者はおらなんだのか?」

「難しいの。今の世はただでさえ人が少なくなって来ておる」

「そうかえ。見目の良い者だけでもこちらに攫ってこようかのう?」

「あまりやりすぎると、今後見目良い者が生まれなくなるやもしれぬの」

「それもつまらぬのう」


ほう、と九重が艶のあるため息を吐く。

クッションに身を預け、しどけない姿でくつろぐ彼女の姿は、見る者によっては垂涎ものなのだろう。クロは何も感じないが。


「主でもよいのじゃがのう? 見目だけなら合格点じゃ」

「我が輩は猫であるの。これは化けているだけである」

「お主は固いのじゃ」


九重が口を尖らせ、九つの尻尾をゆらゆらと揺らした。

相手になるくらいならできないこともないが、九重を満足させるとなるとクロでも及び腰になる。それに相手をしている間は妙子の側にいられない。まっぴらご免だ。

高井戸が今どうなっているかは知らないが、この九重の相手を毎夜させられているとなると、そろそろ骨と皮だけになっているかもしれない…。心の中で小さく合掌。

大丈夫。役目が終われば記憶を奪ってきちんと元の場所に返す。次の贄を攫ってからにはなるけれども、命までは取られない。毎夜精力を限界まで搾り取られている男がひと月経ったらどうなるか…。クロにも予想がつかない。しかしギリギリで生かされているはずだ。命はとらないという契約であるし。


高井戸が気に入らなかったというならば、次の贄、もといお役目の男を探さなければならないだろう。クロはぼんやりとあの時の運転手を思い出していた。次はあの男にしてやろう。







九重の誘いをのらりくらりと躱し、クロは次の場所へと向かった。

次はおぬきの一族の里だ。あそこは毎度子沢山でもあり、今回はおむつや肌着などを融通してもらった。礼に行かねばならない。

おぬきも家事全般いけるが、主にこれから動けなくなっていく妙子や生まれた赤子の面倒をみてもらうように依頼している。こちらも時々「く…」とクロの名を言いかけたりはしているが、おこんよりはうっかりが少ないので頼りにしていた。


「金時殿」

「おお、黒猫か。いかがした」


部屋で酒盛りをしていた狸の集団の中に、一礼して入っていく。

上座に座る巨大な古狸の前に、一升瓶を置いた。


「先日の礼に参ったのだの。たくさんの襁褓(むつき)や産着をこしらえてもらったのだの。礼を言う」

「ふぁふぁふぁ。赤子が生まれるのじゃ。目出度い事には相応の面倒もあろう。あれらは女達が喜んでこさえておったものじゃ。遠慮はいらぬ、好きに使うが良い」

「うむ。有難く使わせてもらうのだの。次の報酬には少し色をつけたいと思うのだが、なんぞ希望はあるかの?」

「そうよな…。皆の者、なんぞ希望はあるか?」


エビフライ! 刺身! 唐揚げ! などの声が上がる。

人の世の近くにいたせいか、狸の一族は人の料理が好きだ。なのでおぬきを派遣してもらう代わりに、人の世の食べ物や酒を差し入れることにしていた。

今は魔物の存在があるので、里の結界を強化し、おいそれと人里へ出ることは叶わないので人の料理にありつけないらしい。


「分かったのだの。できうる限り用意しよう」

「ふぁふぁふぁ。おぬきもしっかり使ってやってやれ。ほれ、黒猫も飲んでいけ」

「かたじけない」


失礼のないほどに酒をもらい、クロは早々にそこから出た。

何よりもやはり、置いてきた妙子が気にかかっていたからだ。










妙子もじっとしているだけというのはつまらないらしく、できるだけの二人の手伝いをしたりして過ごしていた。

少しせっかちなおこんと、少しのんびりなおぬきは時々衝突しつつも、基本仲良くやっていた。

妙子もおこんやおぬきと一緒にいることに次第に慣れ、暇なときは本を読んだり散歩に出たりしていた。その時はしっかりクロがお供をする。

草原をどんなに真っ直ぐ進んで行っても、必ず家の場所に帰ってきてしまう。それはここが現世から離れた異界だからなのだが、妙子にそんなことを教えるわけにもいかない。


「なんだかおかしいねえ?」


と首を捻りながらも、妙子はその奇妙な空間を楽しんでいるようだった。

ただ暇すぎて困ると呟いていたので、簡単な家庭菜園はどうかと、おぬきの口から伝えてもらった。

やる気になったようなので、クロは道具や苗などを探すことになった。

玄関の前から少し離れた日当たりのいい場所の草を刈り、簡単そうなミニトマトやキュウリなどの苗を植える。畑仕事が懐かしいのか、妙子はせっせと毎日世話をしていた。


月が満ち欠けを繰り返し、妙子の腹が目立ち始める。


「うう~ん。クロさん…。ごめんねぇ」


お腹が重くなってくると苦しいので、妊婦は仰向けで寝ていられなくなる。横向きで寝るとなれば、必然的にクロが脇で寝られなくなる。


「なん」


そんなことは百も承知! クロは妙子の顔の前で丸くなる。


「クロさん…。いい匂いだけど、呼吸が苦しいです…」


寄りすぎた。


妙子の腹が目立ち始め、動きもゆったりとなっていく。


「ご無理はしないでくださいまし」


とおぬきさんが気にかけて、散歩にクロだけでなくおぬきも伴うことが多くなった。


「知らなかった。妊婦って晒を使うんだ」

「この方が楽に動けますでしょう」


初めてのことに感心しながら、妙子は愛おしそうに腹を撫でる。クロも時折腹に顔を近づけ、その動きに耳を澄ませる。お腹の子は順調に育っているようだった。


「ほらほら、蹴ってる蹴ってる」


お腹の子が蹴っているのか、ぽこぽこ中から腹が持ち上がる。その光景がなんとも不思議で、クロも思わず見とれてしまう。


「クロも初めてだよね~。面白いね~」


そっとお腹に手をやると、中からぽこんと反応が来た。まだこの世に生まれていないのに、そこで生きている。とても不思議だった。

おこんやおぬきも面白いと笑いあう。みんなの声に反応しているのか、少しの間お腹はぽこぽこと動いていた。










臨月が近づき、クロはおぬきに言われ、産屋を用意した。家のすぐ隣なので歩いて行ける。

家の中でもいいが、いろいろ掃除が大変だし、出産に必要な物を用意しておける場所があった方がいいとのことだった。

その他入用な物も揃えておく。おぬきは出産経験もあり、面白いことに人の世で産婆の経験も積んでいたとのこと。ありがたい。

クロははっきり言って無知だった。さすがのクロも出産に関しては無知だった。オスのせいもあるのかもしれない。

妙子の動きは緩慢になり、立つにしても座るにしても苦しそうだった。そしてクロは見ているだけで何もできない。


「男とはそういうものですよ」


とおこんとおぬきにも笑われる。一応大妖と呼ばれる身になったというのに、何もできないことがあるとは…。









「主がかようにオロオロする姿を見られるとはの」


月一のお役目の男を運んで、少しだけと杯を傾けてちょっと不安を口にしたら、九重にも笑われた。


「しかし…本当にオスは何もできないものだの…」

「ふん。こればかりは女の戦じゃ。男に入ってきてほしくはないのう」


そう言われてしまえばなんとも言えない。


「ただし、男にもできることはあるぞ?」

「ほう? それは?」

「側におることじゃ」


今もいるのだが…。


「出産は命を懸けた女の戦よ。じゃがのう、どんな戦もひとりでいては心細い。そんな時、志を同じにする者がいれば心強かろう。つまりそれが夫の役割じゃ」


分かるような、分からんような…。


「出産のときくらい人の姿に戻って手を繋いでいてやりゃ? それだけでも女は百人力じゃ。主には分からぬじゃろうがのう」

「し、しかし…」


人の姿ではもう会わないと決めている。


「出産が山に差し掛かれば意識も朦朧としてくる。その時くらいよいじゃろう」

「夢現のこととすると?」

「そういうことじゃ」


九重が九本の尻尾をゆらりと動かす。


「妾達も、安産を願っておるが故」

「…礼を言うのである」










「オスなぞそんなものじゃろう」


金時の方にも料理を納めた後、いつものように宴会に引きずり込まれる。

ちょっと不安を口にしたらそう言われた。


「俺もかみさんが出産の時はオロオロするしかなかったなぁ」

「俺も同じだぁ」


狸達が笑いあう。

同じオスということで、幾分クロの心も軽くなる。やはり何もできずに見守っているしかないようだ。


「出産ばかりは女子に任せるしかない。重要なのはその後よ」


金時が杯を空ける。


「いかに自分の子を無事に育て上げるかじゃ。特に人の女子は産後体を壊しやすいのじゃろう?」

「…そうだの」


出産で命を落とすことも珍しくはないし、出産後に体を壊して亡くなってしまうことも珍しくない。

しかも今の世では人の病院に運び込んでも、適切な処置を行ってくれるか分からない。医療品も不足しているのだ。

そう考えたら余計に不安が増してくる。


「母がおらねば子は育たぬ。しっかり妻を労わってやるのじゃな」


きっと母乳のことを言っているのだろうと想像する。野生の哺乳類は母の乳でしか育てられない。人間には最悪粉ミルクなどの代替物はある。しかし、やはり免疫を獲得することなどを考えると、母乳の方がいいのだろう。

それよりもなによりも妙子を失うかもしれないというのは恐怖だ。

今さらながらにクロは、記憶を失っていたとはいえ一夜を共にしてしまったあの時の行動を後悔するのであった。


お読みいただきありがとうございます。

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