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山の先輩

作者: 笹木 人志

 K県の県境に広がるT山塊は、交通の便が良く、低山が林立する日帰り登山のメッカのような場所だ、そして登山道も、山小屋も整備されているので、まず道に迷う事はなさそうに思える。しかし、低山ならではの問題もある。登山道の他に林業に携わる人々が使う道もまた縦横に通っているのだ。それに、既に登山用のマップから消えているが、なんとなく道筋が残っている場所もある。あやまってそういう道に入り込んでしまい、戻らずとも低山なのでなんとかなるさとかと考え、先に進んでしまうと戻るのさえ困難になって遭難をしてしまう事もある。


 これは、下山中に怪奇現象に遭って、遭難したという話ではないので念のため。しかし、この山にも慣れ、やや天狗になっていた自分への縛めの話でもある。


 その日、すっかり、陽も暮れてしまい、山小屋の前に設置してあるテーブルに腰を下ろし、パックに入れてあった、懐中電灯と、ヘッドライトを取り出した。歩き慣れた山道だったので、自分の足なら、下山してバス停に辿り付いても、終バスには間に合う自信があった。


 ヘッドライトを頭に装着しつつも、今日は、欲張り過ぎた。と私は反省をしていた。当初は山塊の一番高い山へ一番早く辿り付くコースで目指し、そこから尾根沿いに南下して夕暮れまでには、バス停に着く予定でいたのだ。しかし、バスが狭い山道を上るにつれて、一刻も早く山の中に入りたくなってしまい、バスを早めに降りて、一番高い山を別ルートで登って見ようと思い立ったのが悪かった。


 その結果、思った以上に時間が掛ってしまい下山途中で陽が沈んでしまったし、疲労もかなり溜まっていた。


 腰を上げパックを背負うと、背中から声がした。

「おや、こんな時間にどうした」聞き覚えのある声だった。声のする方を向けば、80リットルの大きなパックを背負った男と、妙な雰囲気を漂わせている白いアウターを着た若者がデイパックを背負っている姿がヘッドライトの明かりに照らされた。


「あれ、低山小僧さん」私は、びっくりして思わず頭から声がでた。「お久しぶりです。ずっとオンラインにも出てこないからどうしたのかなと思っていましたよ」


「どうも、チャットとかTV会議が苦手だしね」と、低山坊主は私のヘッドライトを眩しそうにしながらも、笑みをもらした。


「あ、眩しくてすみません」私は、ライトを下に向けた。「それにしても、奇遇ですね。これから下山ですよね?」


「もちろん」と彼は、言った。「もっともこんな時間だから、ちょっとショートカットのルートを使うつもりだけど」


「そんなの有るのですか?」私は、彼の辿る道のことだからろくでもないルートだろうなと思った。しかし、彼はこの山を本当に隅々まで知っていると言っても過言ではない。


「新しい登山道のマップには載っていないけど、以前はあったし、何度か通った事もあるよ。一緒にゆくかい?」


 そういう彼の言葉に、彼の後ろで黙ったままの、白い服を着た男をみた。ひ弱そうに見える体格、暗がりのせいか、その足下が妙にあやふやな輪郭をして居るのが気になった。


「お任せしますよ、今の私なら普通のルートでも多分間に合うと思うけど早く着くにこしたことはないですから」そして白い服の男も見た。「近道、一緒にゆきますか」と訊くと

 すると、男は無言のまま頷いてみせた。


「それなら、さっさと行こうか」と彼は、休憩所の周りに張ってある、侵入禁止を意味するようなザイルをまたいだ。そして彼が足を置いた場所の近くに、小さい案内が確かにあって、バス停にはそっちの方向からも行ける事がが分かった。彼、私、最期に白い服の男が続いて一列となって山道を下り始めた。


 私がこの山によく登るようになったきっかけの一つは、アウトドア関連のオフで知り合った。低山小僧と名乗る人物との出会いだった。大きなザックを背負い、新旧の山のガイドブックと国土地理院発行の地図を持っていたのが強烈な印象だった。同じオフで、彼以外はみなデイパックしか背にしていなかったからだった。


 彼の趣味は単にピークハントをするだけではなくて、ひたすら山を知りたいという欲求にあった、特にこのT山塊は、面白いと言っていた。沢山の人が入るから、ルートが出来たり消えたりしているのだと言う。


 でかいパックは、道を探しながら行くために、時には道に迷う事もある、道が藪に覆われたり、台風や大雨で土砂崩れが発生して完全に行く手を阻まれる事もある。そんな時には、山中で夜を明かす羽目にもなりかねないので、テントなどを詰め込んで山中で数泊できるような装備を入れていると言うのだった。


 山中の登山道を他のハイカーと伴に歩くのは最初の頃は安心だし、楽だった。しかしだんだん山になれてくると、前をのろのろ歩く他のハイカーたちの存在が鬱陶しく思えてきた。


 そんな時に、低山坊主を名乗る彼と知り合い、一緒にT山塊に入り込むようになった。しかし、彼と伴に行動をすると、ひたすらガレ場の登り下りをゆくし、道を見失っても藪を分け入りながら、前後左右全て樹木で遮られているのに、コンパスを見て国土地理院の地図を開いて、この辺みたいだと言いつつも、気がつけば足下を水が流れる谷底に迷い込み、じゃあどちらかに登れば尾根道だろうと、急斜面を何度も滑り落ちながら、木の幹を手がかりにしてたどり付いた先は、酷いガレ場の痩せ尾根で、死ぬ思いばかりさせられたものだった。


 彼は、ひーひー言っている私とは違い、体力には自信があるのか、どこでも身軽に動いていたものだった。


 私は、彼と伴に山を徘徊することが非常に困難であることを思い知り、普通に歩ける登山道に戻って歩くようになった。そのうち人間もすこしは出来てきたのか、前が渋滞しても、焦る気持ちを抑えてむしろ休憩しながら登れるから、楽ちんだと思うようになったものだった。


 それでも、低山小僧の影響なのか、一応ちゃんとした登山道でも、登山地図に載っている道は全部通りたくなっていた。まぁ、それで、当初の計画から外れて、こんな目に遭ってしまったのであるのだが。



 低山小僧が行くショートカットルートは、方々で木の根が地面から出ており、下り坂ではその根に足を取られると、大けがの元になりかねない状態だ。人が通らないルートは整備も手薄になって、階段も崩れている。渡渉用に掛けられていた橋も、腐っていて渡ることの出来る幅は、足の幅しかない。


 そして急いでいるつもりなのだろう、休憩の合図が全然ない、振り返れば白い服の体力がなさそうな男も、無口なまま、私達の後ろを音も立てずに付いてきた。不気味なヤツだ、私の中で、白い服の男に対して、妙な気持ちが湧いてきた、まるで、足が無いみたいに付いてきやがる。



 三つのヘッドライトが列を成して、月明かりも届かないような、山道の暗闇を切り裂きながら進んでいた。前を行く男は、静かに進んでゆく、時々、体力に不安がありそうな白い服の男を振り向くと、闇の中で彼の上半身だけが妙にかび上がる。私のヘッドライトの明かりでハレーションを起こしているのだろうか。しかし、下半身はまるで・・・闇に溶け込んでしまったかのように見える。


 疲れか、恐怖かのせいで、喉が嫌に渇いた。「すみません、ちょっと給水タイムを取っていいですか?」と前に呼びかけると、低山小僧は、歩みを止めた。


 その途端、山は静寂に包まれた。しかし、それが続くと闇の声が聞こえ始める。枝のふれあう音、夜行動物の鳴き声、動物が静かに歩き落ち葉や枯れ枝を踏む音、そして得たいの知れない音。


 パックのサイドのポケットからペットボトルをだしてごくごくと飲む。何かが頬を撫でる、振り向けば、風に揺れ落ちてゆく木の葉のようだった。


 四つの目玉が、じっと私を見ていた。二人は何も語らない、白い服の男にいたっては出会ってから一言も口をきいていない。


 私は、ちょっと失礼と言って、休んでいる間に私の前に立った白い服の男の横を過ぎようとした。その瞬間良く分からないが背筋が寒くなる気分を覚えた。そして、低山小僧に小さい声で訊いた。「あの後ろの人は、ずっと一緒なのですか?}


「いや、金冷やしから続く馬の背の処から一緒かな」


 それを訊いて、さらにぞくっとした、馬の背では、過去に何人か滑落して亡くなっているのだ。聞いた話では、うっかり足を踏み外すというより、まるでそちらに道が続くかのようにふらっと何もない崖の方に体が動いていたというのだ。


「案内しているのですか?」


「いや、ずっと一緒に降りてきただけだよ。あの山小屋までは、他にルートは無いしね。それより、急ごうか」低山小僧は、あっさり言った。山の中で泊まる事もしばしばある彼にとっては、多分幽霊よりは熊の方が怖いのだろう。


 私達は、再び闇の中を歩き始めた。根っこの間を縫うような下りが続き、小さい川を渡渉して向こう岸に渡ると、錆びた案内が立っていた。残りは4キロあった。何かの気配を背に感じて振り向くと、ヘッドライトの明かりを反射した、何かの目が遠くで輝いているのが見えた。フクロウの声が聞こえた。


 渡渉後は、荒れてはいるが登山道らしい道に代わった。堆積した落ち葉を踏んで進む。足音が消えてゆく。


 多少道が楽になったせいか、水を補給したせいか、私は尿意を催した。再び停止をお願いすると、木立に隠れるようにして、放尿をした。



 そのとき私は、脚が妙にべたつくのを感じた。汗だけではない、そして嫌な痛みを感じた。それは取るに足らないチクリという感じのものだ。


「ごめん、ちょっと待って、ヒルにやられたかも」と立ち止まってズボンの裾をめくりあげると、あちこちから血が流れでていて、まるまる太ったヒルがぶら下がっているのさえ見えた。



 ヤマビルは、二酸化炭素を感じると、追いかけてくる。ヒルの移動速度は見た目よりは速い、歩き続けていても、靴で踏みつけてしまえば、その靴に付着して、じわじわと脚をよじ登ってくる。映画のように上からヒルが降ってくるなんて、あり得ないが、地面を這いながら追いかけてくるやつらは、結構執拗である。

 しかも3人が一列で歩けば、最初のやつの呼吸がヒルをおびき出し、その後の人間がヒルの餌食にされるのが普通だ。


 


「あなたは、大丈夫ですか」と訊くと白い服の男は、首を縦に振っただけだった。


「塩とかないですか?」と二人に訊くと、二人とも頭を横に振った、


「まぁ、諦めろ、この山はもともとヒルが多いし、死ぬほど吸われることもない、気持ちわるいけどな」低山小僧は、パックの中にいろいろあるだろうに、塩も、ヒルさがりのジョニーも持っていないのか。と私は心の中で毒舌を吐いた。確かに、この山はヒルが多いことで有名だ、こんな湿っぽい登山道をあるけば、たとえ独りで歩いても、あちこちにヒルが居るから、ちょっと立ち止まったり、ゆっくり歩けば、すれば直ぐに餌食になる。


「それより、ちゃんと動き続ければ、ヒルにも追いつかれない、急ごう」低山小僧は、そう言ってさっさと歩を進め始めた。私と白い服もまた、彼に続いた。


 やがて、道が途切れた。「この前の台風で、崩れたな」ヘッドライトで照らすと、V字型に地面が陥没していた。一番底では、水がちょろちょろ流れていた。崩れて流された土砂の方に頭を向けると、木々がひっくり返って転がっているのが見えた。


「どうする?」と私が訊くと、「降りて登るしかないでしょ」と低山小僧はあっさりと言ってのけた、低山小僧は、あっさりとこの窪地をこなしたが、私は降りるときには、尻もちを付くようにして降りて、登りはつま先と指を斜面にのめり込ませるようにして、這い上がった。白い服の男も、かるがると、陥没したところから脱出してしまった。私は蟻地獄に落ちたアリさながらになんども、底に落ちては這い上がっていたので、面目が立たない気持ちだった。


 なんで手を貸してくないんだよ。腕がないのよっと考えた時、ふと幽霊は掴めないよなという考えが頭をよぎった。小僧は、性格が悪いから自分の事は自分でなんとかせいと言うのが分かってはいるが・・・白い服のやつは、じっと私を観察しているように傍観しているだけだった。


 再び山道を歩くと、唐突に林道に出た。確かにこの林道に出ると、バス停までは一本道になる。


 しかしだ・・・


「おい、何かショートカットだ、えらく遠回りじゃないか!」私は、下山小僧にくってかかった。この林道のこの場所からバス停まで、どう考えたってさらに1時間以上は掛る。

「いやいや、まずはバス停に向かおうや、そのうち分かるよ」小僧は、林道をバス停に向かって歩いた。「結果的に近道になるからさ」


「この時間じゃあ終バスに乗れないよ」私は、バス停でタクシーを呼ぶしか無いと考えた。


「まぁまぁ、諦めるな。」と彼が言うと、後ろの方から明かりが近づいてきた。車がガタガタと砂利道を進んで来る音がした「やっぱり来た。」ヘッドライトの明かりが私達を照らした。


「営林所の人達が乗っているバンだ。多分乗せてくれるよ」と低山小僧が言った。「この時間になると、何時も通るのさ。ついでに疲労困憊した登山者を乗せてくれたりもするよ」


まさに、バンが私達の真横で止まった。

「おにいちゃんたち、大丈夫か?なんなら駅まで乗ってゆくかい?」運転手が声を掛けた


「お願いします、3人ですけどいいですか?」と喜びの声をあげて言う私の服を白い服の男が引っ張った。「いや、2名だよ」初めて聞いた男の声はしわがれていた、ヘッドライトに照らされた白衣服の男を見れば、白いアウターがおかしな風に目立つが、ボトムは黒いスパッツに黒のショートパンツを履いていた。くらがりでは、足がよく見えないわけだ。


「え、だって」と周りを見回すと、低山小僧がいなかった。


「どこに行ったんだ、あいつ」と辺りを見回す私に運転手が言った。「二人だろ?どうするんだ乗るの乗らないの?」


「あ、乗せてください」と言うと、スライドドアが開けられた。中には、二人の男が坐っているだけだった。

私と、白服は、一番後ろの席に座った。


「あいつは、どこに行ったんだろ」私は白服に訊いた。


「あいつって誰ですか?」白い服の男は訊いた。「貴男が、こっちのルートで降りませんかというので、付いてきましたけど。それにずっと、あなたは誰としゃべっていたのですか」白服の声は震えていた。


 車が、舗装されていない砂利道を走り始めた。慣れているのか、スピードが徐々にあがってゆく、私は窓から真っ暗な山の斜面を見ていた。ーじゃああれは、誰だったんだ?と思っていると、窓の外を大きなパックを背負った男が、車の脇を併走して走っていた。そして、右手を挨拶代わりに軽くあげると、車を抜き去ってしまった。


 ドライバーや白い服の男には、彼が見えなかったようだった。


 ネットでは、低山小僧を名乗る人物は、既にこの山で滑落して亡くなっているとか、山に籠もったまま、何年も山から出てきていないという噂が書き込まれていたが、真相は未だに分からない。

 

 以後、私は日没前に下山するようにし、登山道に記されていないルートには、足を踏み入れないようにしている。


 それでも、一度だけ、この山に不似合いな程大きなパックを背負っている男が、尾根道の向こう側のピークを目指して登っているのを見掛けた事がある。それが、低山小僧だったかどうかは、判らない。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 山歩き、あるある、というお話で、ほんとうに「帰り道こそ急がば回れ」ですよね。低山小僧が幽霊だったというオチも良かったです。国土地理院の奴だけだと、崖記号じゃないけど登り降りが無理な坂とか、…
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