4
僕はなにも出来なかった。
桃香ちゃんに連絡を取り、なんでとかどうしてとか、怒ったり泣きわめいたりとか、そんな事をする気には全然なれなかった。
顔を見るのも嫌だったし、思い出すのも辛かった。
だって僕は、桃香ちゃんの事を心から愛していたのだ。
そんな人を失ったら、心に穴が開いたのと同じだ。その穴はどこまでも深く、空っぽで、地獄の底へと続いている。その地獄にはこれまで桃香ちゃんと過ごした最高にハッピーな思い出がぎっしり詰まっていて、それがもう二度と手の届かない所に行ってしまったんだって僕に教えてくれる。
そんなもの、とてもじゃないけど直視できない。
だから僕は忘れる事にした。
そんな事出来るわけがないけど。
でも他にどうしようもないから。
そうする努力をする事にした。
ていうか、ショックで何も考えられないんだけど。
桃香ちゃんが違うクラスだったのは幸いだ。
願わくば、来年も別のクラスになって欲しい。
翌日登校しても、速水君は何も言ってこなかった。意地悪な彼の事だから、桃香ちゃんを寝取った事を自慢してくると思ったんだけど。
そんな事をされたら、僕はキレて殴りかかっていただろう。勝ち目なんかないけど、仕方ない。僕にだってプライドはあるし、理性とか関係なく、そうする自分を止められそうにない。
「……なに見てんだよ」
そんなつもりはなかったけど、どうやら僕は速水君を見ていたらしい。というか、思い返すと一日中彼の事を睨んでいた気がしないでもない。無意識の内に、死ね死ねオーラを飛ばしていたのだ。
「……別に、なんでもないよ」
そんなわけはないけど。
もし今デスノートを持っていたら、僕は間違いなく速水君の名前を書いていたと思う。
桃香ちゃんの名前は書けるだろうか? そうしてやりたいけど、多分無理だ。
だって僕は、今でも桃香ちゃんの事を愛してるから。
僕の彼女でなくなったからと言って、不幸を願う事なんて出来そうもない。
あぁ桃香ちゃん。桃香ちゃん、桃香ちゃん。
君って本当に最高だった。
僕はこの先、君のいない世界を生きていく自信がないよ。
なんて思っていると。
「……お前の彼女、マジで最低だな」
物凄く嫌そうな顔をして速水君が言ってきた。
……なにが?
よくわからないけど、僕はごく自然にこう答えた。
「速水君には負けると思うよ」
速水君が苦虫を噛んだような顔になり、クラスのみんなが爆笑した。
なんだ、みんな同じ事考えてたんだ。
でも速水君は、なんでそんな事を僕に言うのだろう?
†
答え合わせの機会は思ったより早くやってきた。
放課後、亡霊になった気分で帰り支度をしていると、桃香ちゃんからラインが来ている事に気付いたのだ。
本当は昨日の内にブロックしようかと思ったんだけど、どうしても出来なかった。心の底では、僕は桃香ちゃんが間違いを認めて復縁を迫ってくるような奇跡を期待していた。
ラインの内容はこうだ。
『まだ私の事が好きだったら、今日の放課後家に来て』
僕は返事を返さなかった。
返せなかったと言うべきか。
答えは決まっている。
変な話だけど、今の僕は過去のどの僕と比べてもダントツに一番桃香ちゃんを愛している。なにを言われるのか分からないし、それを聞くのは酷く恐ろしい気持ちもあるけど。
それ以上にもう一度、最後でもいいから桃香ちゃんの顔を真っすぐ見て、あの宇宙一可愛い声で僕の名前を呼んで欲しい。
返事を返せなかったのは、桃香ちゃんがもう僕の彼女ではない存在になってしまっているからだ。今の僕と桃香ちゃんの間には、地球とアルファケンタウリぐらいの距離があって、どう頑張っても越えられそうになかった。
それか、たんに僕も怒っていて、意地になっていただけかもしれない。
そういうわけで、僕は黙って桃香ちゃんの家に向かった。
それがまさか、あんな事になるとは思わな分かったけど。