10年間を振り返って。私が『諦めアレルギー』になった日のこと。
虹色冒険書です。この場で初めてお目見えする方は、初めまして。
初めてではない方は、お世話になっています。
去る2021年3月16日、私はなろう登録より10周年を迎えました。
当日、活動報告にてこれまでの振り返りを語らせていただきました。しかし、それに留めておくには少しもったいない、それに戒めの意味を込めて残しておきたいと感じ、やっぱりひとつの作品としておこう。その結論に達し、このエッセイを投稿することを決した次第です。
3月16日の活動報告がベースになってはいますが、ここで初めて語ることもあります。
自分語りが多くを占める内容です。んなものに興味はねえっ、という方はこの場でバックをお願いします。
……よろしいですか?
それでは、恐れながら……。
私がなろうに参入したのは2011年3月16日、かの『東日本大震災』から5日後のことでした。
思い返してみれば、10年間という時の中で、色々な経験があったものだと感じます。
小説を書くことはもちろん、読ませていただいたことも。それに多くのユーザー様との出会い、そして別れ。
できることなら、今現在も交流を続けていたかった。そんなユーザー様は数多くいらっしゃいます。
でも出会いと別れは表裏一体、切っても切り離せないもの。始まりがあれば終わりがある、出会った人とは、いずれ別れなくてはならない……名残惜しくはありますが、それがルールというものなのでしょう。
様々な理由があって、なろうを去ってしまわれた方々……今から6年前、2015年のことですね、実は私もあと少しで、そのひとりになるところでした。
この年、私の生活環境が大きく変じる出来事がありましてね。肉体的にも精神的にもそれは辛い日々が続きまして……こんな精神状態で小説は書けないと感じ、退会を考えたんです。
退会手続きのページを開いて、IDとパスワードを入力して……あとは『実行』のボタンを押すのみでした。クリックひとつで、すべてが終わる状況でした。
しかし、今私がここにいることからお察しの通り……私は退会しませんでした。
いいえ、退会できませんでした。『実行』のボタンが、どうしても押せなかったんです。
今考えてみれば、自分の作品への未練があったのかも知れません。心のどこかに『続けたい』という気持ちがあったのかも知れません。
それから……『あの人』の言葉に背くことができなかったのだと思います。
あの人とは誰か? 今からそれをお伝えしましょう。
少し、昔の話をさせてくださいね。
私は昔、学校の軽音楽部に所属してバンドをやっていました。
それまで楽器に触れたこともない素人だったのに、『やってみたい』という気持ちだけで入部してしまったんです。
希望したパートは『ドラム』。
ボーカルなんて無理、ギターは難しそう、キーボードは何か自分にはできそうにない、ベース? 何それ? ていう感じで、無知だった私は半ば消去法的に希望パートを選んでしまいました。楽器を嗜まれている方には、深く謝罪を……。
そんなわけで練習し始めて、読み齧る程度にドラムのことを学んで……先輩から半ば押される感じで、ライヴに出てしまいました。
ドラムって、いわばバンドの『要』なんです。テンポコントロールの主導権を握り、リズムの土台を作り出す大黒柱……そして、最も目立つ重要な楽器でもあります。
つまりドラムがダメだと、とにかくバンドがダメになるんです。
そのことを理解せずドラムを希望した過去の私を、『愚か者』と罵ってやりたいくらいです。
ライヴの結果はお察しの通り、散々でした。
当然です、ドラムの私がダメなのですから、演奏が成り立つわけがありません。経験にあまりにも乏しい私が、人に見られている状況でまともなリズムを打ち出せるはずがなかったんです。
バンドメイトは、『まあ、気にするな』と言ってくれました。でもその優しい言葉が痛くて、何よりも自分の力量不足で仲間に迷惑をかけたという事実が辛くて……私は逃げました。
誰もいないスタジオで、壁際に座り込んで涙を堪えていたら……ドアが開く音がして、ひとりの先輩が入ってきました。
慌てて顔を背けた私に、その先輩は歩み寄ってきて……私と向かい合う位置に腰を下ろしました。
「なあお前、大丈夫か?」
その先輩は、私が入部当初にいち早く話し掛けてくれて、面倒見がよく優しいと評判の人でした。
担当パートは私と同じドラムで、とても上手い人です。
この先輩の名前は、『治さん』。この名前に既視感を抱いて下さったあなたは正しいです、拙作をご覧いただきありがとう御座います。
「大丈夫です」
俯いて、涙を堪えたまま、私は答えました。
すると、『治さん』はため息をつきました。きっと、私の本心などお見通しだったんだと思います。
普段はおちゃらけてて、下ネタが好きで、面白いことをして笑わせてくれるけれど、人を見る目は確か……私から見て、『治さん』はそういう人でした。
「最初から上手い奴なんかいないんだよ、失敗するのだって必要な経験だぞ」
言葉が胸に染みて、涙を堪えるのがどんどん辛くなってきました。
卑屈で、劣等コンプレックスが強い私は、『治さん』の言葉を受け入れられませんでした。
「ライヴになんか、出なきゃよかった……」
悔しさのあまり、私は言ってしまいました。
すると『治さん』が、その後何年にも渡って私の胸に残り続ける言葉を発しました。
「上手い人と下手な奴の差、それは才能のあるなしじゃない。諦めたか、諦めなかったかだ」
思わず、私は顔を上げました。
これまでからは想像もつかない、『治さん』の真剣な眼差しが向けられました。
「お前は諦めるのか? それがお前の望んだ結末か?」
もう、無理でした。
ダムが決壊するかのごとく、押し留めていた感情が溢れ出てきて――視界が、一気に潤んできたんです。
「ここで諦めたら、お前は一生下手なままだぞ。それでいいのか?」
とても含蓄があって、心の隅々まで響き渡るような言葉でした。正直、自分に向けられたものとは信じられないくらいで、私はもう何も言えなくなりました。
ただ、涙を流すことしかできなくなってしまいました。情けない奴ですよね。
私が何も返事をできずにいると、『治さん』が言います。
「なあ、お前が今泣いてるのはどうしてだ?」
語気が強まっていましたが、そこに込められたのは私への想いだと感じました。
返事を待たずして、『治さん』の言葉は続けられました。
「悔しいからだろ? 悔しいから泣いてんだろ? だったらその悔しさをドラムにぶつけろ、人の何倍も何十倍も練習しろ、土日だって部室は開けられるんだからよ」
溢れ出る涙を拭うのが精一杯で、私は答えられませんでした。
多分、こんな風に言ってくれることが嬉しかったんだと思います。
「それとも、お前はもうドラムを叩きたくないか、ドラムスティックを持ちたくないか? ずっと『下手な奴』のままでいたいのか?」
ボロボロ泣きながら、私は力なく答えました。
「嫌です……」
涙声でどうにかひねり出した声は、とてつもなく小さかったことでしょう。
すると『治さん』は、
「聞こえねえよ! もっとデカい声出してみろ、いい声してんだからよ!」
私は「嫌です!」と涙声を張り上げました。
すっごくカッコいい人だなって感じましたし、この人についていこうと心から思ったのを、今でも覚えています。
それから私は、懸命にドラムの鍛錬に励みました。
練習のし過ぎで一時期は耳がおかしくなりましたし、タコが潰れてドラムスティックが血だらけになり、指に何枚も絆創膏を貼りました。
でも努力の甲斐あって、少しはまともなドラマーになれたんです。
あの時、『治さん』に大事なことを教わってから……私は、『諦めアレルギー』になったのだと思います。
上手い人と下手な奴の差、それは才能のあるなしではなく、諦めたか諦めなかったか。
なろうを退会しようとした時、私は無意識にこの言葉を思い出したのでしょう。音楽に限らず、小説に関してもイラストに関しても、他のあらゆることでもきっと同じです。
危うく私は、『治さん』を裏切るところでした。退会とは、諦めと同義。自分の作品も、ご交流いただいているユーザー様達の想いも、なろうで過ごしてきた時間も……全てを葬り去ってしまうことです。なんて愚かなことをやろうとしたのだと、今になって思います。
今、私は退会しなかったのを後悔していません。
先日上げた、10年を振り返る活動報告には多くの方が来てくださいました。
人数にして30人以上……そんなもんか、と思う人もいらっしゃるでしょう。でも私としては、これまでで最多の人数でした。
いつもご交流いただいている方、久しぶりにお顔を拝見できた方、それに初めて活動報告にコメントしてくださった方もいました。
お寄せいただいた温かいお言葉の数々に、私は目を潤ませました。
こんなに嬉しいことが……他にありましょうか。
諦めずに続けていれば、自分が選んだ道が間違っていなかったと感じられる日がきっと来る。私はそう信じて活動してきましたが、それが今日なのだなと心の底から感じました。
6年前のあの時、もし『実行』ボタンを押して退会していたら……絶対に訪れなかった瞬間です。
努力を続けること。それはつまり『自分を信じ続けること』。とても辛く、時に苦しく、非常に難しくて勇気がいることです。
対して、諦めてしまうのは驚くほど簡単です。積み木を崩すのと同様、重ねてきた努力を台無しにしてしまうのは一瞬のことです。
私は身をもってそれを知っています。何故なら、一度諦めようとした人間だからです。
でも、どんな困難に直面しようが、どれだけ不本意な状況に置かれようが……逃げずに立ち向かわなければ、乗り越えることはできない。私は、なろうでの活動を通じてそれを学びました。
才能、それは生まれ持つものではなく、努力の果てに手にできる素晴らしい『勲章』です。
ご交流いただいている皆様の素晴らしき小説やイラストを見るたび、私はその方が辿ってきた努力の軌跡を垣間見ることができます。
そして感じるのです、この方は『諦めなかった人』なのだと。
自身が生み出した作品を心より愛し、上手くなりたい一心で懸命に練習に励み、『いくら練習しても、自分は上手くはなれないのかも知れない』、時にそんな負念に苛まれても、それを必死に払い除け、血のにじむような努力を続けた結果――才能という輝かしい勲章をその手に勝ち取った、偉大な作家様・絵師様なのであると。
諦めようとした分際で、追いつこうなどとは考えてはおりません。
それでもどうか……皆様が刻まれた足跡を、私に辿らせてください。
10周年を迎えたことを『節目』ではなく、『新たな始まり』として、私は今後ともなろうでの活動に励んで参る所存です。
才能という輝かしい勲章をその胸に携えた、尊敬する作家や絵師の皆様……私に『憧れ』をくださってありがとう御座います。そしてこんな私と日頃よりご交流くださり、誠に感謝しております。
すみません、これ書いてたらまたもや涙が……私、とても泣き虫なんです。
お読みいただいた方の心に何かを残せることを願いつつ、ここらで筆を置かせていただきますね。
駄文でしたが、最後までお読みいただきありがとう御座いました。