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虚日小品

君がため

作者: 彩煙

「君と出会うために、僕は生まれてきたんだ」

なんて臭いセリフだろう。僕はこういったセリフが大嫌いだ。

だってそうだろう。君に出会うためだとか、君と恋をするためだとか、そんなもの嘘っぱちだ。

例えば、大学で恋に落ちて、恋人になって、運命を感じて……。そしてある日、男は彼女に言うんだ。

「君といるために、僕はいるのかもしれない」

って。

だけど、それは違うだろう。その彼女は偶然その大学にいて、偶然二人は出会って、偶然付き合うことになって、そしてあんな事を言っているに過ぎないのだから。

ふたりが付き合っているのは、この男(もしくは彼女)が偶然その大学に合格したからに過ぎなくて、仮にどちらかが違う学校に行っていたならば、二人は出会うことなく別の人に、同じことを言っているだろう。

だから、僕は思うんだ。「君と出会うためにいる」なんてセリフ、嘘以外の何物でもないって。

そう、それは僕と彼女にも当てはまる話だ。

「何してんの?また考え事?」

江美がソファの後ろから、僕の顔の前にコーヒーを差し出しつつ言った。

「ん?あぁ、僕らのことを考えてた」

マグカップを受け取りつつ僕は答える。決して嘘ではないだろう。僕は確かに二人の事を考えていた。それに、こんなことを話してもうまく説明できる気がしないし、共感してもらえるはずがない。

質問をした江美はというと、さほど興味がなかったと見えて、いつも通り「ふぅん」と生返事をしつつ、テレビのリモコンを手に取り、電源を入れていた。

部屋の中が、僕ら以外の笑い声で満たされる。何となく二人だけの空間、時間が失われたような気がした。

僕は、テーブルに置くことなく持っていたマグカップの中に視線を落とす。

白い絵の具でマーブリングされているかの様な黒い液体からは、ほのかに湯気が立ち上り、その香りは僕の鼻腔をくすぐる。いつも通りのコーヒー。いつもの二人の象徴。

隣をちらと見ると、江美は熱いコーヒーを冷まそうと、ふーっと息を吹きかけている。

僕もそれに倣い、コーヒーに息を吹きかけ口に含んだ。

苦い。でも、その中に感じるほのかな甘み。僕はこの感じが好きだ。理解しあえない者同士が混ざっているような感じ。なんだか、僕ら二人みたいだと思う。

『わははははは……』

不意にテレビから笑い声が響いた。

何となくそれが気に入らなくて、チャンネルを変える。しかし、どこにも面白そうな番組などなくて、結局元の番組に戻ってくる。

「この番組、あんまり面白くないね」

「そうだな」

「ねえ、今から出かけない?家にいても何もすることなんてないし」

「そうだな……。二人だと、することなんて限られちゃうしな……」

江美はコーヒーを置きつつ、僕はコーヒーを飲みつつ、ぼんやりと会話をする。二人が一々真剣に話さなくなったのはいつからだろう。

「タケルはどこに行きたい?」

「……そうだな、久しぶりにあそこ行ってみたいな」

「え~、あそこって今は季節外れだよ」

「あ、そうか……。じゃあ、お前は?どこか行きたいところあるか?」

「う~ん……。あそこ行ってみたいかな」

「なんだよ、江美も僕と同じこと言ってるじゃないか」

「季節外れでも、いい所はいい所なのっ。それに、あそこはどの季節でも、それなりに楽しいじゃない」

それなりに、ね。……まあ、いいか。

「じゃぁ、いくか?」

「うんっ!」

結局僕たちは二人にとっての「あそこ」に向かうことになった。

「それじゃ、早く支度しろよ」

僕はそう言って部屋を後にする。リビングからは江美の鼻歌がかすかに聞こえていた。

まぁ、あそこなんて曖昧な表現をしてはいるが、僕たちの「あそこ」とは海のことだ。ただ、二人の思い出が詰まっているから何となく「あそこ」だなんて、ちょっと暗号めいた言い方をしている。

しかし、今から海へ行くとなると到着は夜になりそうだ。防寒はしっかりしないといけないだろう。一応江美にも言っておこう。

「おい、江美。寒いだろうから、しっかり防寒しろよ~」

「はーい。ふふーん……」

向こうからは間延びした返事と鼻歌。楽しそうで何よりだ。

江美が楽しそうな表情や行動をするだけで、僕が彼氏として認められているようで安心してしまう。なぜなら、最近、だんだんと江美の中から、僕という存在のための隙間がなくなってしまっている気がするのだ。

――彼女と僕が馴染んできた。

そうなのかもしれない。人間が自分の爪や皮膚をいちいち確認しないように、犬が自らの毛皮に無頓着なように、僕らが互いの一部となっている。本当にそうであるなら別に構わない。けれど、もしそうでないとしたら。僕らの関係が希薄なものになりつつあるのなら、僕はその関係を維持するためにいったい何ができるのだろうか。きっとそれは僕個人でどうにもできないくらい、どうしようもないことで……。

多分、今までの二人の思い出が無駄になる。だって、僕らが出会って、恋をして、付き合って今に至るのは必然なんかじゃなくて、偶然の産物なのだから。

いったい君は、僕のことをどう思っているのだろう。

いや、よそう。所詮僕は僕で、君の考えていることなんて……。

「タケル、準備終わったよ。今日は何持って行くの?私、甘いもの食べたいな~」

気が付くと、江美が僕の顔を覗き込んでいた。

「あ、ああ……。途中で買って行こうな。」

「了解であります!」

少したじろいだ僕の様子に気付くことなく、江美は笑顔で敬礼をしておどけている。

「っと、忘れるところだった」

僕は慌ててキッチンに入り、2本の水筒にお湯を注いだ。多分あったほうがいい。

「?タケル、お湯なんかどうするの?」

興味津々。ただのお湯、ということが疑問らしい。

「途中で、カップ麺でも買ったほうが楽しいかなって。海にはお湯がないからな」

「は~、なるほど……。タケルは色々気が付くね」

にひひっと笑いながら片方受け取り、自分のカバンの中に入れる江美。

――色々気が付くから、不安になるんだけどな。

そんな様子を見ながら、僕は努めて笑顔でいた。



「この季節の海って、どんな感じかなぁ」

「まぁ、人はいないだろうな。それに寒い」

「寒いのは嫌だなぁ……」

江美は、うへぇ、と顔をしかめながら僕の隣を歩く。僕も彼女がつらくない様に、江美の歩幅に合わせて歩く。

辺りはもう真っ暗で、人とすれ違うこともなかった。やはり冬だと人の活動も鈍くなってしまうのだろうか。

「誰もいないねぇ……」

江美も僕と同じことを考えていたようで、きょろきょろと辺りを見回している。

「そうだな。この分だと、海になんて誰も来ていないだろうな」

「だろうねぇ。貸し切り?」

「いや、その表現はどうだろう」

二人で並んで歩く。会話をしながら歩く。同じ方向を向いて歩く。当たり前なことであるが、自然と気持ちが浮足立ってしょうがない。持っているコンビニのビニール袋の音さえも、心地いい。

「あ、見て見て。海っ」

江美の指さすほうを見れば、確かに海が見えた。いつの間にか到着していたらしい。

僕を置いて駆けだした江美は、そのまま堤防の上に立ち振り向くと僕に向かって大きく手を振った。

その姿は、月に照らされて美しい。

「タケルも、早く早く~!!」

「江美が速いんだよ。まったく……。」

僕は悪態付きながらも、手を振る江美のもとへと走った。


「いやぁ、綺麗だね、星」

江美が、ふと隣でお菓子を食べながら、そうつぶやいた。

海のさざ波が響く。上を見れば、満天の星空。

「そうだな。わざわざ来たかいがあった」

「だね」

「うん」

「……」

「……」

夜の静寂が、再び僕らを包み込む。二人とも何も話さない。いや、話さないほうがいいと感じてしまう。それくらい僕にとっては心地よい静寂だった。

「ねえ、あの綺麗な星って何て名前?」

「うん?あれは……」

江美の指さすほうを見ると、ひときわ明るい星が瞬いている。

「あれは、オリオン座のリゲルかな。それで、その斜め上にある赤っぽいのが、ベテルギウス」

確認するように、江美は空へと視線を戻す。

「そばにあるのが、おおいぬ座だよね。昔言ってた」

「そうだな。そういえば、おおいぬ座の飼い主はオリオンらしいぞ」

今でいうような愛玩動物としてではなく、猟犬としてだが。

「今でもご主人様の近く、か。でもそれって、少し寂しいよね」

「どういうことだ」

僕は、江美の言いたいことがくみ取れず、聞き返した。

「だって、あの犬のご主人様は、ずっと同じ人なんだよ。ほかの人のぬくもりを知らない。優しさも知らない。なのに、あの犬は自分が知らないことさえも、知らない。私は、それってすごく寂しいことだと思う」

黙って聞く僕。江美は、さらにつづけた。

「世界が狭いっていうのかな。よくわかんないけど、私は色んなことを知りたい。でもそれは優しさとかぬくもりとか、そんな難しいものじゃなくって、もっと身近なもの」

江美は、僕のほうをじっと見つめる。

何を言っているのかが、正直わからない。江美はこう言った。

「もっと色々なことを知りたい」そして、「あの犬は一人しか知らない」

僕以外の誰かを知りたい。そう云う事だろうか。だとすれば、これは江美からの僕への別れ話、と云う事だろうか。

「それって、つまり……」

聞き返そうとすると、江美はそっと視線を夜空へと戻し、


「私は、もっとタケルのことを知りたい」


そう言った。

「言っている意味が、よく分からないんだけど……」

てっきり、別れ話かと思っていたところに投げ込まれた言葉。僕はその意味を図りかねていた。

僕のことを知りたい。いったい、何を知りたいというのだろうか。

「タケルって、よく考えごとするでしょ。なのに、私が、何考えてたのって聞いても、色々~とか、ちょっとね~とか、そんなのばっかりで、あんまり私に話してくれないよね。最近、なんだか、それが少し寂しいなって」

あはは、と江美が乾いた笑いをこぼす。

「確かに、私はタケルみたいに色んなことを知らない。だって、今までは何も知ろうとしてなかったから。でも、タケルの考えてることくらい知りたいかな。」

僕のほうをじっと見つめ、

「タケルは?やっぱり、秘密?」

「いや……」

正直、江美がそんなことを考えているなんて知らなかったし、江美が考えていることなんて知ろうともしなかった。だって、人が考えていることなんてその人にしかわからない、ブラックボックスみたいなものだから。

開けてみたら、知りたくないことしか入っていませんでした、なんてオチがあっても不思議じゃない。

でも、江美はそんな僕のブラックボックスを開けてほしいと言っている。江美だって子供じゃない。僕と同じように、人の考えなんてわかりえない、そう考えているだろう。だと云うのに彼女はその中身を知りたいと願っている。それは、とても勇気がいることで……。だとしたら、僕にそれを断る権利はない。彼女の勇気はそれくらい凄いものだ。

「タケル、今何考えてる?」

江美の声に思考がさえぎられる。彼女はまだ僕のほうを見つめている。その眼には期待と不安とが混ざり合っていた。

僕は、すっと彼女から目をそらす。無理だ、言葉に表せない。

「僕は今、君のことを考えていた」

……言えなかった。別にひどいことを考えていたわけではない。しかし、考えていることなんて、どう言葉にしろというのだろうか。

江美もそんな僕から目をそらして、

「そっか……。私のこと考えてたんだ」

寂しそうにそう呟き、

「私も今、タケルのこと考えてた」

そう明るい声で言って、いつもみたいに、にひひっと笑う。彼女は、泣いていた。

「江美……」

それでも彼女は気丈に、泣いていることなど気にすることなく、こう言った。

「でも、少しずつでいいからタケルの考えてること、私にも聞かせてほしいな。伝えるんじゃなくて、聞かせるだけでいいから」

「わかった、努力する」

「うん」

返事をすると、江美は勢いよく立ち上がり、僕を見下ろす。もう泣いてはいなかった。

「よし、帰りますか。ほら、タケルも立って。帰ろう」

差し出された手を取り僕も立ち上がり、空いたほうの手で腰についた砂を払う。

「ああ、帰ろう」

そして、少し僕の考えていたことを話そう。伝えられなくても、聞かせるだけでいい。彼女はそう言ってくれたのだから。


僕たちは海岸を後にし、駅のほうへと足を進める。風が冷たいが、僕の左手には彼女のぬくもりがあった。

「ねぇ、僕の考えてること言ってもいいかな」

「何?」

「えぇと……。江美って、君と出会うために僕はここに来たってセリフ、どう思う?」

「なにそれ。うーん……。ちょっと嘘くさいかなぁ」

「あ、江美もそう思うんだ」

「で、タケルは何でそんなこと考えたの?」

「えっと……」

「……」

「……」


少しずつでいい、彼女はそう言ってくれた。なら僕のそれに答えるべきだ。そしていつか、彼女の考えていることも聞いてみよう。それはきっと、自分で話すよりも勇気のいることだろうけれど。

それでも、僕は彼女のために努力をしよう。そう、偶然出会い付き合っている、たった一人の僕の彼女のために。


読んでくださり、ありがとうございました。


考えている事を表現するのが苦手な主人公と、その彼女。

これを表すために、最後のシーン以外の会話は殆ど彼女から言葉を発するようにしています。


このこと含め、感想を頂けると嬉しいです。


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