暖かくて大きな手
修道院病院は貧民窟と呼ばれる地域の一番はしっこにある。この辺りまで来ると貧しい者とそうでない者が入り混じっている。貧民窟の住人は被差別者であり、冒険者という仕事は下賤の者のする仕事だと考える人間がいる。
実際、修道院病院に入るといかにも冒険者然としたベアー・サンジ・ドルザを見ると露骨に嫌そうな顔をする者もいた。もちろんベアーにとって、そんなことは日常のことであり気にする様子もない。
ベアーに話しかけたのは、この病院の職員でありゾンダーク教の僧侶であった。
「お二人は冒険者でいらっしゃいますかな? この病院に何用でございますか? 何かご病気でも?」
「いや、あっしらは病気ではないでやんすが、知り合いが『黒い死の病』に罹ってこの病院に入院してると聞いたでやんす。お見舞いに来たでやんす」
嘘も方便である。ゾンダーク教の僧侶は一瞬、フンッという顔をした。
「『黒い死の病』の患者様は特別隔離病棟に入院されています。あれは伝染性のある病気ではありませぬゆえ、隔離病棟ではございますがお見舞いに行かれるのは構いません。しかし本当に行かれますか?」
「もちろん、行くでやんすよ」
「そうですか、ではご案内いたしましょう」
病院の職員であるこの僧侶は、ゾンダーク教の経典の一節と思われるものをぶつぶつと唱えながら薄暗い廊下を歩いていく。
つきあたりのドアまで来ると「このドアの向こうが特別隔離病棟でございます。私はこれで失礼致します。では」と言い残し戻って行った。
ベアーがドアを開けると強烈な膿臭いにおいが漂ってきた。いくつもベッドが並べられ、『黒い死の病』の患者が寝かされていた。数十人はいるようだ。
皮膚が黒くなりただれ始めている者がいた。まだ、症状が軽い者もいたし、一見、症状の無さそうに見える者も多くいた。
「数十人はいるでやんすね。伝染性はないというのに、こんなに患者がいるとは奇妙でやんす」
ベアー・サンジ・ドルザもAランク冒険者だ。いくつもの死線をくぐり抜けてきた歴戦の冒険者である。『黒い死の病』は確かに悲惨な病気であるが、ベアーは目の前の患者たちを見ても特段の感情は抱かない。
感情的になることがいかに危険なことであるか、身をもって知っているからである。
しかし、マルコ・デル・デソートは違った。冒険者になり数年経つとはいえ、まだ16歳の少年である。
この膿臭いにおい、黒くただれた皮膚に彼は嫌悪感を抱いた。彼も差別を受ける地域で育った人間だ。嫌悪感を抱かれることがいかに辛く悔しいことであるかよく分かっているにも関わらずにである。
「あ、あのお嬢ちゃんは......昨日まで冒険者ギルドの受付をやっていた娘っこでやんす」
昨日、急に辞めてしまったという受付係の娘がベッドに寝かされていたのだ。彼女は、ベアー達に気づくと「あっ」と呟き起き上がった。娘の名は、リリ・ミシア・ナミという。
「ベアーさん、マルコさん......」
「嬢ちゃんも『黒い死の病』に?」
「はい......その疑いがあると言われ、この病院に連れてこられました......」
「疑いがあるというだけででやんすか?」
「......はい、『黒い死の病』はみなが恐れるため、疑いがある者も隔離するんだとか......」
マルコは、昨日まで仲間であったはずのこの娘にも嫌悪感の表情を向けてしまった。
リリ・ミシア・ナミは、マルコのその表情にふっと顔をふせた。
それで、マルコは自分が嫌悪感でこの病棟の人々を見ていることにやっと気づいたのである。マルコは自分の感情に動揺した。
ベアー・サンジ・ドルザはマルコの肩に手を置いた。暖かくて大きな手であった。
「坊ちゃん、今日のところはこれで帰りやしょう」
冒険者ギルドへと戻る道中、マルコは自分が彼らに嫌悪感をもってしまったことをベアーに告白した。
「嫌悪感を持たれるってどんなに嫌なことか、自分が一番分かっているつもりだったんですが......」
「坊ちゃん、坊ちゃんは素直ないい子でやんすよ......嫌悪感を持ったり、何かを差別したりするのは誰もがしちまうものでやんすよ」
ベアーは優しいまなざしでマルコを見た。マルコは自分が情けなくなり目を潤ませた。
ベアーの大きな手がマルコの頭を不器用に撫でた。マルコの目からは涙が溢れた。それは自分が情けないのと、『黒い死の病』というものを目の当たりにしたことによる動揺からきたものであったのだろう。