第90話【ラキアス開戦8 天城総一郎】
最愛の妻が死んだ。
結婚して一年も経っていなかった。
彼女の命はあっさりと奪われた。悪魔のように忍び寄った病魔に。
魔族病だった。彼女の死を認められなかった。神を呪った、運命に唾を吐きかけた。
職を辞め、酒に溺れ、妻の姿を追って人生を悲観した。
悪魔が救いの糸を垂らしたのは、そんなときだった。
神の如き力に頼りたくはないですか、と。
死者の蘇生。永遠の愛。それを再び手にする手段に興味がありますか、と。
後追い自殺まで考えていた男は、一も二もなく飛びついた。
騙されるにしても喪うものは何もない。
『契約を結びましょう』
『契約……?』
『あなたには【空虚】の席をご用意しましょう、はい』
物々しい魔方陣の中心で、男は契約を受け入れた。
一週間という時間。男は最愛の妻に逢うことができた。夢の中で彼女といつでも逢うことができた。
否、これはまだ途中。
契約の際に見せる本当に欲しいものを真王様がくださったのだ、と言っていた。
『夢を現実にしてごらんにいれましょう』
『どうすればいい』
『法王宣誓の名の下に。あなたを呪縛で縛ります』
契約という名の呪縛。
悪魔に逆らえば問答無用で死ぬ、という契約内容だった。
恐らく悪魔は手駒が欲しかったのだろう。
利用されるのならそれでも良かった。もう、男には……妻との逢瀬にしか、興味はなかった。
興味はなかった、はずだったのに。
悪魔からの仕事。
革命軍の一人となって働くこと。
彼らは快く男を迎えてくれた。優遇してくれた。家族だと言ってくれた。
温かかった。涙が出るほど心が安らぐのを感じた。
真実、彼らは家族なのだ。そう信じられるほど、革命軍という組織は男を受け入れてくれた。
だが、結局は己の手で壊した。
罪悪感が胸に宿る。
空虚だった心が悲鳴を上げる。
妻のために、という建前すら霞んでいく。
悪魔の命令には逆らえなかった。家族と呼んでくれた人たちを殺し続けた。
全てが終わって。
己の心の弱さが全ての悲劇の原因だと気づき、絶望が心に影を落とした。
弱かったのだ。
妻の死も受け入れられなかった。
悲劇を演出して一人前に嘆き、苦しみ、自分勝手に絶望した。その事実だけでいっぱいだった。
『もう、止まれない』
決着をつけよう、と。
脆かった己の心に決意の炎を抱いて、男は家族の生き残りの前に立った。
裏切り者はここにいるぞ。革命軍の生き残りよ。
恨むなら恨め。怨むならば怨め。
某にはもう、妻を蘇らせるという目的に全てを賭けるしかないのだ。
総てを犠牲にしてでも、某は願望を貫き通さねばならんのだ。
殺してしまった家族たちのためにも!
犠牲を払ってでも、どんなに背中を預けた仲間を殺してでも!
内側から風に切り裂かれ、目の前で鮮血を吐きながら、それでも「心配しないで」と告げた妻を!
救えるのなら!
救える道筋が示されているんだから!
某はもう捨て身でも前に進み続けなければならないのだ―――――!
◇ ◇ ◇ ◇
舞台は最後。
砦に設けられた小さな広場が終着駅だ。
数奇な縁に結ばれて、元革命軍の家族が必殺を誓って殺し合う。
異世界の教師、天城総一郎。
魔界の戦士、ニードルード。熾烈を極めた戦いは既に地力の差が生まれ始めていた。
「不可能と考えるが、ソーイチロウ」
男の長身痩躯の身体が地面に叩き付けられる。
唇から一筋の血を流した教師は、顔を歪めながらも即座に地面を蹴った。
上空を見上げる。
竜人が歪曲剣を構え、尊大に立ち塞がる青空へと。
「破剣の術。確かに貴殿は使いこなしている。個人的には誰よりもであると某は考える」
「……本質とは違うらしいがな」
「身体能力を上げる。『破』という理念であれば。恐らく右に出る者はいないに違いない」
決して総一郎は弱くない。
否、強い。
鍛え上げられた肉体を余すことなく発揮した破剣の術。
拳の一撃は岩を砕き、骨を穿つだろう。
「ただ、殺し合いの経験値が違うのだ」
大空を羽ばたく竜の翼。
攻撃範囲の広い曲がった剣は、総一郎の拳を懐に潜り込ませることもさせず。
攻撃と離脱を繰り返し、徐々に体力を奪っていく。
油断はしない。慢心はない。
空虚な心に一人前の闘志を抱いて、裏切り者の竜が語る。
「某は殺したぞ。敵も、味方も、家族だった者も、己の心も。殺して殺して殺してきたぞ」
「……まるで『本当は殺したくなかった』とでも言いたげだな、ニードルード」
「………………」
「そこでダンマリは、少し卑怯だと思うが」
事情は知らない。ただ拳を握る事情は存在する。
理由は知らない。ただ戦意を滾らせる理由はある。
真実は知らない。ただ勝たなければならないという真実だけが、そこにある。
「理由があれば、罪科が許される理由になるのか?」
理由があれば人に迷惑を掛けていいのか。
理由があれば人を傷つけてもいいというのか。
理由があれば人を騙してもいいというのか。
理由があれば人を裏切ることすら許されるとでも言って、正当化をするつもりなのか。
「ふざけんな、クソトカゲ。あいつから家族を奪ったって事実は消えねえだろうが」
「正当化するつもりはない」
「ああ、そうだろうな。されてたまるか。わざわざ来やがったのは言い訳のためじゃねえだろう?」
因縁に決着をつけるため。
革命軍という古巣に引導を渡すため。
昔の仲間を殺すためにやってきたというのなら。
「ニードルードは死んだんだよ、トカゲ野郎」
「…………」
「革命軍の一人として戦って、力及ばずに負けちまったんだ。『それでいい』んだよ」
身寄りを二度も無くした彼女に、冷たい現実を突きつけることはない。
子供を泣かせるわけにはいかない。
大人として。男として、だ。
教師が拳を握る理由なんて、そんなちっぽけな意地でいい。
「行くぞ」
「どうぞ」
翼を羽ばたかせ、男は優位を保ったまま厳かに再戦の合図を告げる。
教師の拳がいかに破壊力を持っていようとも。
届くまい。届かない以上、勝ち目はない。
「空を飛ぶだけで……勝てると思ったかよ」
総一郎は近くの砦の壁を殴り付け、掌よりも僅かに大きい岩の破片を取り出した。
苦し紛れだな。ニードルードの率直な感想だった。
教師は破片のうちのひとつを投手のように腕をしならせて投擲した。
轟、と空気を切り裂いて迫ってくる破片。
「何のつもりだ」
呟きながら事もなく避ける。
教師の破剣の術を使用した投擲は、直撃すればそれなりの一撃に変貌する。
当たれば、だ。
弾丸の如き投擲とはいえ、避けられない道理があるはずが……
ぐしゃり、と。
次の瞬間にはニードルードの脇腹に、岩の破片が突き刺さっていた。
「あ……? が、ぁぁぁあああああ!?」
馬鹿な。
何だこれは。
確かに一撃目は避けた。それは間違いない。
二撃目か。いやしかし、速度が一撃目より段違いだ。
一撃目を追い越さんばかりの速度で放たれた岩の弾丸を呆然と見て、そして総一郎を見る。
「天城流、陰手」
岩の破片が何気なく放り出される。
宙に浮いた岩を、まるでボールのような気軽さで。
教師のしなるような脚が、弾丸を蹴飛ばし、岩の破片は凄まじい速度でニードルードへと飛んでいく。
「風鳥」
次はもう単発の銃ではなかった。
連撃の如く繰り返される岩石の弾丸は、散弾銃のように雨のようにニードルードへと穿たれる。
足りなくなれば補充。材料は岩でも、木でも、鉄でも、何でもいい。
教師の脚より放たれて、無機物は鳥のように飛翔し、標的の身体へと突き刺さる。
「なんっ……ごほ、ごぼっ……!」
「ソフィアの『付与』がなければ。俺はそれほど大したことがない、と。そう思ったか」
教師が厳かに言う。
魔界の出身者でもない、ただの一般人が言う。
誰よりも異世界で力を蓄え、ずっと最前線で戦い続けてきた怪物が言う。
「ソフィアはあくまで『付与』なんだ。俺の好きなゲームで言えば、攻撃力アップ! 属性付与!」
「あ……?」
「あー、分からんよなぁ。でもまあ、ニュアンスは伝わったか?」
火熊。氷狼。
戦いにこの二つの技を用いるのは、単純に威力勝負の戦いであるからだ。
威力の底上げが大前提の技。
先ほどの風鳥のようなトリッキーな攻撃方法は、中々ソフィアと組んだら出番がない。
「なあ、ニードルード。お前、一緒に戦ったことがあるのに分かんなかったのか?」
翼を穿たれ、地に堕ちる。
満身創痍と化した竜人を冷徹な瞳で見つめ、ただの一般人だったはずの男が言う。
壮絶な威圧感を漂わせて、告げる。
「俺は『抹殺部隊』と何度も戦って、ちゃんと生きて帰ってきてるんだぞ?」
「…………」
「敵が空を飛んだから負けた。敵が透明人間になったから負けた、で済む話じゃなかっただろうが」
革命軍とラキアスの戦力差は語るまでもない。
象と蟻の戦いなど生易しい。
百年を掛けても倒せない敵と、一日もあれば全滅してしまう味方。
劣悪な環境の中、それでも革命軍は認められないものがあるから戦い続けてきた。
「俺たちの戦いは、負ければ家族が皆死ぬ。そういう戦いだった」
革命軍の面々を思い出す。
彼らは希望を鎧に、願いを矛に、誇りを盾にして戦ってきたのだ。
戦争を起こしてはならない。
仲間を、家族を、恋人を喪う悲しみを誰よりも知っている者たちが集まった革命軍。
同じ思いをしてほしくなかった。そんな願いが込められていた。
「俺もさ。当時は結構悩んだ。殺し合いは怖かったし、初めて人を殺したときは吐いたし、眠れなかった」
「……」
「でもさ。俺は順応性が高いみたいでな。慣れちまったんだよ、恐ろしいことに」
「某も、それは知っている」
「でな。人の命が本当に軽く見えてくるんだ。段々、親しい人の死に涙を流すこともできなくなってきた」
例えば今から元の世界に戻ったとして。
例えば親友が一人、若くして交通事故で他界したとしよう。誰もが突然の死に心を痛める。
総一郎は嘆くことはしないだろう。
良かった、と笑ってしまうぐらいだ。死者の尊厳は守られるし、屈辱と悔恨に塗れて死ぬわけじゃない。
慣れる、とは異常者になるということだ。
異常な世界に浸った者はもう、日常には戻れない。
教師は帰りたい、と願っている。こんな地獄に連れてきた死神か何かを、一発殴ってやりたい。
俺はいいとも。もう大人だ。何だかんだで慣れた、それだけだ。
だが、子供たちはどうなる。
地獄の中で慣れてしまったら、どうする。
どう責任を取るつもりなのだ、と。
「俺はな。誰よりも大人でありたい、って思ってんだ」
子供を護る大人。
生意気なことを言って背伸びをしたがる少年少女。
大人になってしばらくして、ようやく自分は大人の庇護で生きてきたのだと気づく。
気づいて大人になった子供たちは、また次の世代に愛を注ぐ。
「狩谷も。鎖倉も。ソフィアも、俺が庇護するべき子供たちだ。俺は大人だからな。護ってやりたい」
「…………」
「だからこそ、ソフィアの心に一生消えない傷を負わせたお前を、赦さない」
偽善だと笑う者もいるだろう。
矛盾していると知ったかぶる者もいるだろう。
救いを望まない子供たちも大勢いるに違いないし、教師は腕の中にある者を護るので精一杯だ。
総一郎は他人がどう思おうが、関係ないのだ。
「……ソーイチロウは子供好きと聞いていたが。ここまでであったか」
「まあな……ちなみに」
「?」
「お前、もう間合いだぞ」
何とか剣を杖にして立ち上がろうとするニードルードの身体が、再び地面に叩き付けられる。
全身を打撲しているらしい宿敵は、苦い笑みを浮かべていた。
余裕の証、ではない。
諦観の笑みだった。何かを諦めてしまったような、疲れた笑顔だった。
「じゃあ、殺すぞ」
「…………」
「最後に言い残したいことがあれば、聞いてやらんでもない」
「それは助かるな」
男は笑った。
疲れ果てた顔は何故か枯れ木を連想させた。
竜人の牙を生やした口が告げる。
「大神宣誓―――――『空虚』の座を告げる」
総一郎の顔色が凍り付いた。
竜人の身体が電撃を浴びたかのように、ドクン、と何度も痙攣を始めた。
事態も把握できないまま、総一郎は右手で掴んだ胸倉を解放し、たたらを踏みながら後退した。
嫌な予感がしたのだ。近づいてはいけない、と思ってしまったのだ。
「ソーイチロウ、貴殿は……詰めが甘い」
「なに……?」
「人族と魔族の戦いだ、と……その次元で話をしている時点で、貴殿はもう間違ッテイルノダト……」
呻くようなニードルードの声。
目に見えて竜人の筋肉が膨れ上がっていく。
長い牙が、服を引き裂いた図体が、大きく広げられた翼が、理性を失いかけた瞳が脅威を伝えてくる。
数刻、ただ総一郎は呆然とその光景を見ていることしか出来なかった。
魔族から、魔物へと堕ちていく……その光景を。
「お、おいおい……冗談だろ」
思わず笑いが込み上げて来て、唇を歪ませ……ようとして、それすら出来ないことに気づく。
笑えない。余裕綽々の態度を取る余裕がない。
背筋に嫌な汗が流れた。
心から寒気がする光景を、総一郎は呆然と見つめることしか出来なかった。
「コレガ、コノ戦争ノ裏側ダ。ソーイチロウ」
「は……?」
「疑問ニ思ウ必要ハナイ。貴殿はココデ死ヌ。関係ガナイ。大人シク……ソノ屍ヲ超エサセロ……!!」
全長は十メートルにも及ぶ二足歩行の竜。
人一人を軽く呑み込んでしまえるような巨大な口を開け、紅蓮の炎の片鱗が総一郎の視界に見える。
魔物と化した竜人にもはや迷いはない。
殺そう、と。
己の願いのためにかつての仲間を虐殺しよう、というエゴでニードルードは再び戦いの狼煙を上げる。
◇ ◇ ◇ ◇
ソフィアは兵糧庫から砦の外へと移動していた。
既に戦闘の大部分は終結し、残りは砦に潜んだ敵兵を取り押さえることぐらいだ。
負傷兵も無理やり戦わされていたらしく、意外にも抵抗は少ない。
温和政策のように『降伏者に危害は加えない』を徹底しているため、予想外は起きていなかった。
「もう……何処に行ったのよ、ソーイチロウ……いつも、いつも、いっつも内緒でいなくなって!」
主だった敵将も逃亡、もしくは撃破した、という情報も伝え聞いていた。
伝令の兵士の話では、指揮していた敵将は竜人族だったらしい。
彼はまだ捕まっていないらしいが、恐らくは翼を羽ばたかせて逃げたのだろう、というのが予想だった。
竜人族と言えば、革命軍の隊長を務めていた男のことを思い出す。
(ニードルードさん……)
何処か影があって思い詰めるタイプの人だった。
最初は滅多に笑わなかったし、口癖は『放っておいてくれ』だったし、怒鳴られたこともある。
人嫌い、とは違う違和感を覚えていた。
笑顔を向けるたび、彼は何故か沈痛な表情を浮かべるのだ。あれは罪悪感のようなものに似ていた。
(結局、あの理由も私には分かんなかったな……)
やっと笑えるようになっていたのに。
やっと色々なことを話してくれるようになったのに。
「…………」
不覚にも涙が込み上げてきて、目尻を軽く拭った。
大丈夫だ、まだ自分は一人じゃない。
総一郎がいる。魔王を始めとした新しい仲間たちも大勢できた。だから、寂しくない。
寂しくは……ないと、思わねばならない。
「ソーイチロウ……何処にいるのよ……一人にしないでよ、ばか……」
彼女の呟きが壁に反響したのに呼応するように。
砦をガガガガガガガッ、と大きな震動が襲い、突然の揺れにソフィアは硬い地面に尻餅をつく。
続いて大型の魔物のような咆哮。
「なっ、なによ……!?」
事態は緩慢に動き続ける。
脇役として戦いの舞台から外された少女は、付いていけない。
子供を巻き込みたくないという総一郎の優しさ。
―――――それが、必ずしも良いことかどうか。その是非については誰にも分からないが。
◇ ◇ ◇ ◇
「ぐあっ……ごほっ、ごほ……!」
何度目かの地面への激突。
内臓を傷めたのか、喉からせりあがった血液を少量ながら吐き出した。
総一郎は苦痛を身体中に感じながら、それでも立ち上がる。
感慨深げに化け物が口を開く。
「通ジンヨ、ソーイチロウ……」
「……」
「火熊、氷狼、地龍ハ以前ニ見タ事ガ在ル。先ホドの風鳥モ無意味ダ」
「馬鹿言ってるなよ……まだまだ、水蛇と雷虎が残ってんだって……」
強がる言葉を、当然ニードルードも見抜いている。
単純に火熊、氷狼、雷虎の三種類はソフィアの付与を必要とする。大型の怪物の鱗の鎧を貫けない。
風鳥は遠距離攻撃だが、やはり相手に与えるダメージは微々たるものだ。
地龍はニードルードとの組み手をしていた時代に完成した技であり、癖も見抜かれている。
最後の水蛇も、大型魔物と化したニードルードには不向きだ。
(ちっ……)
残りは、アレか。
総一郎の心に僅かながら揺れるものがあった。
罪悪感という名前かも知れないし、嫌悪感という名を併せ持つかも知れない。
使いたくねえなぁ、という気持ちがあった。
後先を考えない技だ。というか、もはや技ですらない。
単純明快、完全無欠。文字通り、一撃に総てをかける、という青臭い結論に達してしまう。
「……おい、ニードルード」
「ソノ名デ呼ブナ」
「昔のよしみってやつだ。一応聞いておくけど、引くつもりはないな?」
「笑止!」
竜人とて止まれないのだ。
妥協できない段階まで足を踏み入れてしまったのだ。
今更、説得ができるものか。苛立ちを示すように咆哮し、殺し合いの続行を宣言しようとする。
「そっか」
静かな嘆息がそこにあった。
何かを覚悟した表情がそこにあった。
最後に、総一郎は小さく呟いた。
前からざんばらに垂れる黒髪の下から、背筋が凍りつくような凄惨な憤怒の形相をした鬼が立っていた。
「なら、死ね」
総一郎が地面を蹴る。
早い。これまでよりも遥かに早い動きだ。
何処にこれだけの力が残っていたのか知らないが、ニードルードには関係ない。
潰そう、と。一撃で容赦なく、完璧に叩き潰すために巨大な体躯を動かして。
「……?」
「――――――破剣の術、極技」
総一郎の小さな身体を見失った、と認識した瞬間 / 既に怪物へと接敵して拳を振り上げ。
黒髪眼鏡の男が、鬼のような形相で懐へと潜り込み / 仲間の仇の胸元に贖いの拳を叩き付け。
理解もできないまま意識が断線し、衝撃が身体を襲い / 容赦なく躊躇いなく、鱗の皮膚も骨も内臓も叩き潰し。
気がつけば怪物の巨体は宙を舞い、鮮血を大量に散らせた / 戦闘の終了を確信して、鬼が言う。
「神無」
「が……? あ、ぎ……が……ぁ、ァァァァアアアアアアアアアアアアアッ!!?」
轟音と絶叫。対照的に訪れる寂滅があった。
怪物と化した裏切り者があげる苦痛の叫び。明滅する瞳に浮かぶのは、ただ疑問だけ。
何が起こった。何だ今のは。
ただの人間がソフィアの『付与』もなしに、竜と化した魔族を一撃で沈められるはずがないというのに。
「…………っ……ちっ」
唐突に。総一郎の身体も地面に倒れた。
糸が切れた人形のように。何の前触れもなく、突然死したかのように地面を転がっていた。
更なる疑問がニードルードを覆いつくしていくが、教師は苦しげに息を吐いた。
「どうだ……ふざけてるだろ、これ……」
「何ガ……? 起きた……?」
竜の身体がゆっくりと魔族本来の身体へと戻っていく。
総一郎はその姿を確認できない。
余裕がないのだ。
死に掛け一歩手前のような声で、総一郎は言う。
「理屈は俺も良く分からんがな……俺は、破剣の術の……『破』としての到達点じゃねえかなって」
「到達点……」
「言ったろ、お前……俺は、『破』って理論の中じゃ、右に出る者はいないって……」
「何故……!」
何故、もっと早くに使わなかったのか。
それほどの切り札があればニードルードはおろか、抹殺部隊も打ち倒せるはずだ、と。
曲がりなりにも裏側を垣間見た裏切り者だからこその疑問。
総一郎は不機嫌そうに吐き捨てた。
「使ったら一週間は動けん。痛いんだぞ、何日も全身筋肉痛で寝るのも苦痛なんだ……」
「っ……」
「大体、先に反則してきたのはテメェだろうが。何だ巨大化って。もう、なんていうか、ふざけんな」
殺し合いの後だというのに何故か雰囲気が軽かった。
両者とも、一瞬で全てが終わってしまって心が思考に追いついていないのだ。
総一郎は言った。確実に言ったのだ、『死ね』と。
嘘ではない。それを食らって生きていられる道理はない。
「ごふっ……」
「巨大化した悪役は絶対に勝てないっていうジンクス、知らねえか? ……知らんよなぁ……」
「がぶっ、こほ、かはっかはっ……はあ……はあ……」
戦いは終わった。
裏切り者の粛清という形で、終わったのだ。
一週間の戦線離脱という代償を負って、竜人の死という形で。
「が、ぐっ……ふ……ふふ、ふ……」
終わりか、とニードルードは観念した。
妻も救えず、家族を殺し、結局は後始末で道を閉ざされる。
悪魔と契約するよりも早く、死んでおけばよかったのかも知れない。そんな風に思う。
贖罪の方法など、ないに違いない。
(某が考えるに。それは自己満足だけか……)
だが、それでいいのかも知れない。
死ぬのは決定付けられた。残りは彼のケジメに付き合っていくぐらいしか能がない。
悪魔の道へと誘った道化を思い出す。
少し面白いかも知れない。あの赤髪のシナリオを、少しばかり――――引き裂いてやろう。
「家族のよしみだ……貴殿には伝えて、おくぞ……ソーイチロウ」
「うん?」
「ケーニスクに気をつけろ」
なに、と総一郎は口を動かすよりも先に。
「あ、が……ご、ひがっ、あ、あ、アガアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
断末魔の絶叫が広場に響き渡った。ニードルードの野太い声が、悲鳴となって渦巻いていた。
竜人の身体が、驚くべきことに崩れていく。
右腕が腐った果実のようにぼとり、と落ち。左足がぶくぶくと膨れ上がって破裂した。
肉塊は弾けてジュウジュウと音を立て、腐食していく。
「なんだっ!?」
「ひぎぃいいいいいいっ……!! 聴けええ! この戦争には裏が! 裏が……アガアアアアア!!!」
今日まで様々なことがあった。だからもう驚くことはないだろうと思っていた。
だが、これは何だ。何が起きている!?
最後に彼は何かを伝えようとしているのか。身体が全く動かない総一郎には、手の下しようがない。
耳を傾けることでしか、裏切り者の最後の誠意には答えられない。
「ああっ、ああああっ!! 某たちは! ケーニスクは! この戦争を起こさせようとして……ぎゃ、ァァアアア!!」
「ニードルード!!」
翼が地面に落ち、溶けていった。
太い尻尾が沸騰した水のようにぶくぶくと膨れて破裂、大量の血液を撒き散らしていく。
彼の激痛はどれほどだろうか。想像するのも恐ろしい。
「その狙いは……狙いはぁぁぁぁ!!!」
決死の覚悟と共に伝えられようとした情報。
涙と鮮血でぐちゃぐちゃになった顔つきで、それでも最後に矜持を見せようとして。
何もかもが中途半端だった、弱かった男が……かつての家族に何かを伝えようとして。
ぐちゅり。
◇ ◇ ◇ ◇
死んだ。
自壊していく体の副作用ではなく、殺されていた。
竜人の脳天に黒い刀身の刃が突き刺さった。
一瞬の停滞のあと、続けて同じ刃が一本二本三本四本五六七八九、と連続で穿たれていく。
「っ……!!」
「 だめ 」
声は上空、数は二名。
下手人はその内の一名。奇妙な魔術師を気取った仮面を付けた、黒いローブの小柄な男。
身体全部をローブで包み込んでおり、甲高い声から『男』と断定するのも難しいが。
典型的な暗殺者のような姿をした怪人は言う。
「 変なこと 言っちゃダメ 法皇宣誓 破ったから痛い目 合う 」
「何だ……お前らは……」
「 関係ない お前も知った 殺す 」
会話が通じない、と悟る。
殺す、と言われた。それは竜人と同じように串刺しにされるということだ。
刹那、恐怖を覚えて身体を捻ろうとするが技の反動で全く動けない。
苦痛だけが身体を苛むばかりだ。これだから、これは使いたくない。
「ぐっ……」
ソフィアがこの場にいないのは幸か不幸か。
彼女を巻き込まなくて済む反面、己に待っているのは確実な死だ。
死ねない、まだ死にたくない。
子供たちを置き去りにして死ぬのも怖いし、単純に死ぬこと事態も怖い。
仮面の暗殺者は小柄な身体を揺すって刃を取り出すと、芋虫のように蠢く標的へと向けて。
「待ちたまえ、ビウィグくん」
剣が投擲される間際、隣にいた男がそれを止めた。
仰向けになって姿を見れば、紳士服に黒いシルクハットを被り、ステッキを右手に持った――――骸骨。
驚きで息が止まるかと思った。アレはなんだ、魔物だろうか。
骸骨の紳士は妙に気品のある声音で言う。
「彼は『欠片』だ。エルトリアの魔王たちと同じだ。手を出してはいけない」
「 でも秘密を知った 殺さないと 」
「やめたまえ」
「 嫌だ殺したい 殺す名目ある 法皇宣誓にも示されていない 殺す 殺すの 」
「君は私を怒らせる気か。やめたまえ、と言っているぞ、全く」
何の会話だ。
奴らは何を話している。
竜人の言葉も含めて、何かを。
何一つ聞き逃してはいけない何かを話しているはずだ。
「怖がらせてしまったね、良い一撃だったよ、真王の欠片くん」
「……マオウの……カケラ……?」
「君が神無と名づけていたアレだよ。順調だね、真王の力は。人の身体では反動に耐えられないようだが」
言いたいことを言って、骸骨の紳士はビウィグ、と呼んだ仮面の暗殺者の背中を押す。
不満そうにナイフをしまい、影のように黒いローブは消えていった。
冗談じゃない。あんな抹殺部隊並の暗殺者に砦をうろつかれている可能性を考えると、寒気がした。
骸骨の紳士は言う。
「すまないね。彼の手綱は何とか握っておくから、安心してくれたまえ」
「お前、は……」
「ナオ・カリヤとリュート・サグラに宜しく。彼ら以外に今のは話さないでくれよ」
紳士がひょい、とステッキを振るうと上空に小さな魔方陣が浮かび上がった。
黒いシルクハットを目深に被った骸骨は言う。
何処までも冷静で、気さくな紳士の声音で。
「欠片以外が知るならば、私たちはそれを殺さねばならない。良く心得ておきたまえ」
骸骨の姿が掻き消えた。
最初からその場にいなかったのか、と思うぐらいあっさりと消えていった。
驚愕ばかりが総一郎の脳を襲うなか、骸骨紳士は己の存在を証明するかのように最後の一言。
「大切な者を護りたいのなら」
背筋を凍らせる台詞と共に全てが終わった。
竜人ニードルードは原型も分からないぐらい壮絶な死を遂げ、総一郎はただ地面に突っ伏すのみ。
脅しと手に入れた情報を反芻しながら、総一郎の意識も落ちていく。
遠くからは地響きや絶叫を聞いて、ようやく兵士たちが駆けつける足音が続く。
ナザック砦攻防戦、終結。
多くの脅威と多くの謎を残したまま、長い戦いの朝が終わった。
気づけば3,000,000PV、500,000ユニークアクセスですよ!
皆様のおかげでこんなにも多く楽しんでいただける物語になってくれましたw
最初は無名だったこの物語も、今ではファンタジー作品でそれなりの地位を築きましたw 本当に皆様、ご愛顧ありがとうございます!
今回の物語は「?」が付く超展開の数々でしたが、既に伏線は回収の段階ですw
何故こうなっているのか、色々と考えてみてくだされば幸いです。
最後に。
今後も『魔王様に成り上がれ!』をどうか宜しくお願い致します♪