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第89話【ラキアス開戦7 我が生涯はそれだけのために】






信じられない光景が広がっていた。

見たのは二度目か。魔族国の兵士は呆然とそれを眺めることしか出来なかった。

前魔王ギレン・コルボルトが倒れている。

頭から血を流し、左腕をぶらんと垂らし、石の壁に叩き付けられ、ぐったりとした様子だった。

現魔王の奈緒との戦いでも、血を流したことのないギレンが。

完膚なきまでの敗北を喫している。


「お前はこんなに弱かったか?」


下手人の岩のような体躯の仮面兵が呟く。

失望と侮蔑を含んだ眼光が、岩のような無骨な仮面の奥からギレンの姿を睨み付けていた。

肩に背負う無骨な大斧を構えながら、冷たい瞳を向ける。


「昔のお前は修羅だった。殺しを、戦いを、争いを愉しむ怪物だった。何がお前を弱くした?」

「…………」


抹殺部隊の一人。イラ、という業を背負った怪物は言葉を続ける。

周囲の兵は手を出せない。

勝てるはずがない、という絶望感が彼らの動きを縛っていた。


「復讐は虚しいと誰かが言ったが……なるほど、これは虚しいな」


自嘲するように呟く。

仮面の奥で壮絶なほど張り裂けた笑みが広がる。

背中から煙が出るのではないか、と錯覚するほどの憎悪のオーラに、兵たちが腰を抜かした。


「虚しいぞ、ギレン。お前の牙は折れてしまったのか」

「……そのつもりは、ない」


言葉が返せるのが不思議、というほどの傷だった。

左腕の傷は開き、頭部からは出血。

腹部に棍棒の部分を叩き込まれたのか、目を覆いたくなるような痣がある。

話をするのもやっと、といった具合だ。


「お前の脆弱さが悲しい……っ」


言葉が熱を帯びていく。

彼を知る者がいれば唖然とするほど、饒舌な様子だった。

仮面の男の人生の全てはこのためにあった。


「お前なんかに全てを奪われたことが、腹立たしい……っ!!」


岩石のような脚部がギレンの腹へと叩き付けられる。

無造作な嬲り方だ。

一思いに殺すことなく、苦痛を長引かせていく。それが己の慰めになると信じて。


「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなぁぁぁ!!!」

「ぐっ……ごふ……がっ」

「簡単に終わらせるな! 百度殺したなら百一度立ち上がれ! つまらない結末をイラは望まない!!」


憤怒が胸を焦がす。

憎悪が胸に響く。

怨恨が胸の中で渦巻いている。

本当にどうしようもなく、感情が制御できていないのだろう。

子供の癇癪のような理不尽な暴力が続いていく。


「貴様は、何なのだ……」


搾り出せたのは疑問の言葉だ。

戦場で敗北したのは分かる。憎まれる理由も在り過ぎて困るほどだ。

納得がいかないのは、ただひとつ。


「貴様の言いたいことが分からん。……ごほっ、何者だと……聞いている」


聞かなければならない。

己をここまで完膚なきまでに打ち倒した男の正体を。

以前に羽虫のように倒した相手が、ここまで強くなって帰ってくるなどとは思えない。

何があったのかが分からないのだ。


「何者か、だと? そうか。なら先にこちらの質問に答えてからだ。それで分かるに違いない」


イラは足蹴にするのをやめると、仮面で隠した顔を寄せる。

内緒話ができるほど近くに。

告げられた声音は鳥肌が立つほどに冷たかった。

話された内容はそれ以上にギレンの顔を強張らせた。



「妹のセシリーはどうなった?」



言葉を失った。

冷静でマイペースなギレンが凍りついた。

身体を硬直させ、驚きに身体を強張らせるしかなかった。

仮面の男に見覚えはない。ただ、事実だけが告げられていった。




     ◇     ◇     ◇     ◇




何年前の話だったか。

当時の首脳だったオルムやナザック兄弟に担ぎ上げられ、クラナカルタの王を討った。

強い者こそが正義であり、弱い者が淘汰されるのが常識の世界だ。

魔王セバートを殺したのは、紛うことなくギレンだった。

王女のセシリーと出逢い、彼女を奴隷として迎え、数年の日々が流れていったが。


「父が殺され、イラもお前に殺されかけた。妹のセシリーを残して砦から逃げ出した」


憶えがないわけだ。

当時の魔王セバートには二人の子供がいた、などという情報も興味がなかった。

思えばセシリーが家族のことを語って聞かせたこともない。

話が本当だとすれば。

眼前の青年は数年の間、復讐のために伏してきた……旧クラナカルタの王族ということになるのだ。


「ラキアスに亡命し、名を捨て、禁呪にも手を出して……お前を殺すことだけを夢見てきた……」


抹殺部隊キル・レギオンに選ばれて。

殺人兵器と呼ばれて。

死ぬ気で殺し続けて。

己の精神が磨耗していってもなお、腕を磨き続けて。


「それだけを考えてきたというのにッ!!」


何故、ここまで脆弱なのだ。


「こんなもので終わるな! お前は父を殺したのだ!」


何故、強大な敵でいてくれないのだ。


「お前は妹を奪ったのだ!!」


何故、あっさりと復讐を遂行させてしまうのだ。


「そんな貴様に絶望を味わわせるためだけに! それだけを夢見て来たというのに……!!」


強くなり過ぎてしまったのか、と絶望する。

憎悪と憤怒と怨嗟が織り交ぜになった叫びをあげて、ギレンの胴体を二つに裂くために斧を振り上げた。


「もっとイラを苦しませろ! イラの数年をこんなにあっさりと決着させるな!!」


大斧を容赦なく振りぬいた。

鋼の感触が腕に残って、イラの表情が僅かに動く。

仇が防いだ一撃ではなかった。

二人に割り込むような形で、紅蓮色の瞳の少年が馬鹿馬鹿しい大剣で斧を受け止めていた。


「あぶねっ……!」


見た目に反して軽薄な呟きが漏れる。

大剣が払われ、斧を弾く。無造作に鉄塊を地面に刺すと、紅蓮色の瞳が翡翠へと変化した。

人格がかしゃり、と入れ替わった証拠だ。

仮面の殺戮者は少年のことを何も知らない。ただ、直感だけに従って後退した。


「<暴風雨>!」

「ぬぐっ……!」


言霊と同時に膨大な魔力が吹き荒れ、旋風が砂漠の砂を巻き込んで吹き荒れた。

風の刃が浅くイラの身体を裂く。

牽制には十分になっただろう。周囲の兵士たちの士気が桁違いに跳ね上がっていく。

魔王様だ、魔王様が来た、と。


「よう。手酷くやられたな、ギレン」

「うむ……」


改めて人格を入れ替え、大剣を手にとってイラと向き合いながら龍斗が言う。

油断なく魔王を見据えるイラは、相手の戦力を測っているのか不用意に近づいてこようとはしない。

好都合だ、と龍斗は思う。

負傷しているとはいえ、ギレンをここまで追い込むような化け物とまともに戦いたくない。

とは言え、今は戦うしかないのだが。


「選手交代。魔王様直々のリリーフ登板ってわけだけど……まさか、文句はねえよなぁ?」


啖呵を切ってみると苦い顔が返ってくる。

苦い顔といっても巌窟王にでも出てきそうな厳めしい仮面をしているので、詳しくは分からないが。

抹殺部隊キル・レギオンの一人か、と龍斗と奈緒の二人が内心で思う。


(ギレンが負けたって聞いて、信じられん気持ちだったが……)

(……んー、寝起きで頭が痛いのに。ここでまた頭痛のタネが増えるってわけなんだね……)

(洒落にならんよなぁ?)

(勘弁してください、って感じだよね……インフレも甚だしいよ……)


将軍一人一人がギレン級というだけでも頭が痛いのに。

敵国お抱えの遊撃隊は一人一人がギレンを撃破できるぐらいの、というと本当に絶望的過ぎる。

最悪でもこの場で一人、倒しておかなければならないだろう。

将軍と抹殺部隊キル・レギオンが纏めてこんにちは、な事態になった日には、本気で滅ぶ。


「……邪魔をするな、魔王。お前に興味はない。イラはそいつだけを殺せればいい」

「いや、うちの重要戦力だから勘弁してくれ」

「物のついでに殺すぞ」

「魔王がついで扱いって……」


言葉がそれ以上、続けられることはなかった。

地面を蹴って疾走してくるイラ。岩石のような身体が凄まじい速度で踏み込んできた。

当然、迎撃する。

幸いにも腕力はギレンよりもないらしく、大斧はあっさりと大剣の前に受け止められる。


「む?」

「ふんっ!!」


続けての一撃。

当然、龍斗からすれば重い。

重いがこれだけでギレンが敗れる理由にはならない。

大斧を捌き、見つけた隙は見逃さなかった。


「どらぁああああああ!!!」


取った、とすら感じた。

万歳のような姿勢で硬直するイラ。剣術の腕は付け焼刃の龍斗以下らしい。

勝てる。ギレンとの殺し合いで体力を相当に消耗していたのかも知れない。

仮面の男の肋骨を数本まとめて圧し折るため、鉄塊を叩き付けた。


「…………っ」


一瞬想像したのは、肉を潰すという嫌な音と手に残る感触だったが。

響いたのは鋼を叩くような音。手に残った感触は硬い地面を思い切り叩いたときのような痺れ。

大剣を落としてしまう。直後に悟ってしまった。


「テメ……」

「ふん」


筋骨隆々の岩石のような身体の仮面の男、だと?

勘違いするな。それは決して形容詞で語られていいものではなかったのだ。

岩石のような、ではない。

文字通り、イラの身体は鉄や鋼そのもののように硬質化していた。恐らくは魔法の類で。


「地属性。『鎧』と、言っておくか」

「ぐっ……! 奈緒!」


翡翠色に変化させたのは正しい選択だった。

最悪なまでに龍斗やギレンといった肉弾戦向きの戦士は相性が悪いのだ。

砦の鉄の扉が斧を持って襲い掛かってくるようなものだ。

膂力よりも、速度よりも、魔法よりも。

単純に硬い。それがどれほどの脅威になるかを、龍斗はこのとき初めて知った。


「<氷の弾丸>!」

「効かん」


鉄の身体に氷の飛礫など通じなかった。

舌打ちしてしまう。

単純に力負けしているといっても過言なかった。

恐らくギレンは何度も渾身の一撃を続け、隙を突かれて敗北を喫したのだろう。

打ち破る方法は何かないか。思考を巡らせるよりも早く。


「がああああああああ!!!」


ギレンが紅蓮の剣を振り下ろし、イラの脳天へと叩き付けた。


「なっ……!?」

「にぃ!?」


名称、紅蓮の断頭台。

処刑執行を告げるかのように頭を真っ二つにするべく、ギレンの剛力が叩き付けられた。

結果は不発。

肌も皮膚も顔も、瞳の中すら硬質化したイラには通じなかった。


(おい……あの身体で動いているぞ……ギレン……)

(相変わらず、規格外なんだね……)


不意を打った一撃すらも通じなかった。

勢いに押されて地面を何度も転がっていくが、怪我をした様子はない。

情緒不安定な様子ではあるが、基本的に戦いに危機を感じている様子ではなかった。

これだけ何度も致命的な攻撃を加えているのに無傷では、こちらも疲弊してしまう。


「…………ちっ」


だが、イラは不機嫌そうに毒づいた。

周囲を見れば戦いを終えたらしいマーニャやエリザがこちらへと走ってくるところだった。

四対一では分が悪い、とさすがに感じたのだろう。

踵を返してイラも退却しようとする。


「…………聞かせろ」


去る直前にギレンを仮面の奥から睨み付けて。

搾り出すように言葉を綴る。


「セシリーは……生きているのか?」

「…………」


多くは語らなかった。

問いかけの意味が分からない奈緒たちは首を傾げるしかない。

意味が通じたのはギレンだけだった。

彼は頭と腹から血を流しながら、こくり、と一度だけ頷いた。


「いずれ……取り戻す」


捨て台詞を呟いて、仮面の男は去っていく。

無言でその背中を見詰め続けるギレン。彼の姿が砂漠の向こう側に消えていく。

脆弱だ、とイラは言った。

最強の名を欲しいままにしていたギレンをあっと言う間に追い込み、失望した声音で言ったのだ。


「…………」


言葉がそれ以上続けられることはなかった。

大量の出血が仇となったか。何の兆しもなく、突然ギレンの身体が崩れ落ちた。

否、崩れ落ちるのが当たり前だ。


「ギレン! 治癒隊ヒーラー! 早く来てくれ!!」


魔王の呼びかけに手際よく現れる治癒専門の魔族たち。

彼らによって運ばれていく前魔王の姿を見送り、奈緒は苦渋に満ちた表情を浮かべた。

戦線離脱だ。

将軍の離脱は大いに士気に影響するだろうが、これ以上やればギレンは間違いなく死ぬだろう。

魔王権限でそれを決め、代わりに誰を招集するかを考えながら歩く。


「報告。敵軍の掃討、完了しました。降伏者もいます」

「うん。部隊に組み込もう。後で処理するよ」

「はっ」


情報を集めていく。

既に敵兵の九割以上が戦死、もしくは降伏した。

砦の中に残存勢力が残っている可能性もある。あとはゆっくりと炙り出していけばいいだろう。


「魔王様、ご報告をー」


連絡兵が絶えず、入れ替わって報告を行う。

現れたのは桃色の髪を短く切って、二つに結んだ変わった感じの少女だった。

連絡兵の中には女性も少数ながら混ざっている。

力自慢のゴブリン族やオーク族、更にはドワーフ族などといった者の中には強い女性も多いのだ。

証拠に何やら重たげな鉄球を背負っている。


「投降した敵兵からの情報ですー。主だった敵将は四人だったとー」

「四人……」


マーニャたちの報告によれば、敵将と思しき魔導人形のアルバは破壊された。

彼女たちの話では身体を水に変えて侵入する者もいたらしい。

先ほど退却した鬼の岩石兵も敵将の一人と考えていいだろう。残りの一人は……竜人族ドラゴニュートだと聞いた。


「ニードルード、だね」

「場内に紛れ込んでる可能性がありますー」

「うん。……え? なに、龍斗……?」

「魔王様ー?」


突然、虚空に顔を向けて誰かと会話をし始める魔王閣下。

新参の兵士は魔族国の魔王は二重人格だ、という噂を思い出した。ある意味では間違っていない。

と、そこで新参の連絡兵が視線を下にやった。

魔王の背後を、ずぶずぶ、と迫るように近づいてくる『水』に。


「……?」


砂漠という環境で水溜まりは珍しいが、さっきまで七色の魔法が入り乱れた戦場だ。

周囲を見渡せば巨大な氷柱が直射日光で解けて、砂漠に染み込んでいく。

青い半透明の水は砂の上ではなく、商人用に作られた路に浸っていた。

気にするほどのことはないか、と首を傾げたところで。



「言っておくけど。『僕たち』に不意打ちは通用しないよ」



唐突に魔王が口を開く。

視線を僅かに後ろへ。整備された路を進む『水』に向けていた。

一瞬の停滞と沈黙。

次の瞬間、魔王の背後に忍び寄ろうとした青い半透明の『水』は、んふふふふ、と笑い始めた。


「何で分かったのかしらネ?」

「うん。まあ、背中にも目があるって感じかな」


黙って右手を翳した。

抵抗する気なら容赦なく電撃を打ち込むつもりだ。暗殺者らしき女も観念して術式を解く。

連絡兵の少女が、わっ、と驚いた声を上げた。

半透明の水が人型の形をとり、妙齢の女性へと姿を変えていく。


「君が……敵将の一人かな?」

「そうネ」

「名前は?」

「インウィディア。抹殺部隊の一人。他に知りたいことはあるかしラ?」


訝しげに顔を曇らせたのは、主導権を握っている奈緒のほうだ。

何だ、この余裕は。

潜入に失敗した暗殺者の末路は死だ。当然、それを意識していないはずがないのだが。


「他の抹殺部隊のメンバーの能力を教えてもらおうかな?」

「知らないわヨ。ワタシたちは個人主義者。独りで単独行動がほとんどだし、仲間の能力なんて興味ないワ」

「単独で、暗殺者をやってるの?」

「今回みたいに複数でチームを組むとかネ、全員が集結するとかネ、そんなのは稀なのヨ」


情報を聞き出しながら周囲を探り、龍斗からも報告を受ける。

近衛兵の数人が警戒心剥き出しでこちらを見ている。マーニャたちはギレンをつれていってしまった。

目の前の女は潜伏や潜入の技術だけで、抹殺部隊に入ったのだろうか。

今は何とも言えない。


「他にも色々と聞きたいな。同行してもらうよ?」

「んふふー、それはお断りネ」

「……選択の余地、ないと思うけど?」


表情を少し厳しいものにして威嚇する。

実際に強行してきたらどうしようか。殺せるだろうか。殺せないだろうなぁ、と内心でため息。

何とか電撃で気絶してもらうしかないだろう。

少しでも変わった様子を見せれば、眠ってもらおうと指先に魔力を通わせて。


(奈緒、左に倒れろッ!!)


親友の言葉に従って、ヘッドスライディングをするように右足を蹴って左へと飛ぶ。

紅蓮色の何かが通り過ぎていった。

鈍い轟音と凄まじい風が吹き荒れ、周囲の近衛兵が息を呑む。


「あれー、何で避けられるのー?」

「ちっ、背中に目があるってのも割と本当かもネ。ざぁんねん、んふふ」


見れば連絡兵の桃色の髪の少女が、朗らかに暗殺者の女と会話しているところだった。

彼女の鉄球が奈緒の立っていた位置に叩き付けられている。


「ところでグラ? ワタシ、アナタが来るなんて聞いてなかったけど?」

「んー? 暇だから遊びに来たよー?」

「……へー、酔狂ネ」

「だってだってあたし、まだ暴れてないもんー。皆してずるいー、あたしも混ーぜーてー」


余裕の正体はこれか。

見覚えのない連絡兵だな、と思っていたが。何百人もの自軍の兵など憶えてはいなかった。

思えばこの作戦、ギレンに同じことをやらせた気がする。

暴食の名を冠した少女が、駄々っ子のように言う。


「んー、それにしてもインウィディアって水に成れるんだねー、初めて見たー。便利ー」

「アナタみたいに遠慮なく使ってるわけじゃないから、グラ」

「抹殺部隊……もう一人!?」


近衛兵が彼女たちを取り囲む。

決して逃がさないとばかりに包囲網を敷き、剣や盾を構えて威嚇する。

彼女たちは暢気に雑談を続けている。

余裕だ。虎の子の二段構えの暗殺が失敗に終わってもなお、彼女たちに焦りというものがない。


「じゃあ、今日は挨拶だけにしておこうかしらネ?」

「んー、残念ー」

「逃がすと思うか!」

「んー?」


グラと呼ばれた少女が口元に冷淡な笑みを乗せる。

斬りかかろうとする近衛兵たちを見ても彼女の余裕は揺らがない。

負ける、などとは欠片も思っていない笑みだ。

当然、そこには裏打ちされた実力がある。


「どっかーーーーーーーーーん!!!」


両手を広げてグラが叫ぶ。

年相応の子供が遊ぶような、明るくて陽気な声だった。

直後に周囲が赤色に染まっていく。奈緒も、近衛兵も、対照的に顔を青く染めていった。

彼女が引き起こしたと思われるその光景を、何と表現すればいいだろうか。


炎の津波が襲い掛かってきた。


火山が噴火したときに流れてくる溶岩が、津波のように押し寄せてくる。

近衛兵たちは何もできなかった。

人は自然の驚異の前に無力だ。あまりにも規格外な物を見ると、思考は容易く停止してしまう。

其れを、人は敢えてこう呼ぶだろう。

炎の津波はまるで、食事に有り付こうとする大きな顎―――――即ち、暴食グラの具現化である、と。


(炎……)


紅蓮が部下を飲み込んでいこうとする。

数人は何の反応も返すことなく、炎の津波に飲まれて灰となっていった。

人の肉が炭になっていく異臭。


(炎……!!)


親友を奪った紅蓮の炎と同じ。

命を奪う炎だ。

圧倒的な力で為す術もなく、命を飲み込む悪魔だ。

奈緒の中で撃鉄が落ちる。指で弾くのではなく、ハンマーで叩き付けたような乱暴さで。

内心の龍斗がそれを察して止めるよりも、絶望的に早く。



「<炎の存在を消し去れ>!!!」



氷が。

風が。

雷が。

地が。

―――――闇が、歓喜の雄叫びをあげる。


「ぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああ!!」


氷の嵐が溶岩を食い止め。

風の刃が岩石を砕き。

雷雲が酸素を電気分解して炎の勢いを叩き潰し。

砂嵐が炎の壁を包み込み。


「ぁぁぁぁぁ……!!」


黒い悪魔が微笑んだ。

闇が森羅万象の一切を包み込んでいく。

炎の津波という名の怪物を乱暴に喰い散らかしていく。


「……あ」


全てが命令通りに遂行された。

炎の津波は最初から存在しなかったかのように消滅していた。

残ったのは無事だった多くの近衛兵と、間に合わなかった何人かの炭化した死体。

既に抹殺部隊は退却したのか、周囲には彼女たちの姿はなかった。


「…………」


少年の小さな身体が倒れる。

砂の床に埋もれ、全く動かなくなる。まるで糸が切れてしまったかのように。

力が入らない。周囲の騒がしささえ遠い。


―――――畜生っ……


声が聞こえた。

聞き慣れた親友の声だ。

焦燥感に駆られた声音にも反応できない。


―――――収まれ……収まれよ……くそっ、呑まれるなよ、親友……!


呼ばれた気がした。

何とか頷いて見せたが、龍斗に伝わったかどうか。

身体の内側から何かが征服してくるような感覚がある。

『何か』は病魔のようにひっそりと、奈緒の心の中へと入っていこうとする。


―――――止まれ……止まれよ、アンゴルモア!


あんごるもあ?

龍斗は『何か』を知っているのだろうか。

夢現のように混ざり合う景色と、断続的に途切れる声が一切に崩壊を始めていく。

疑問は解消されぬまま、魔王の少年の意識が落ちていく。





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