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第8話【一晩悩んで】

「え……?」


金色の柔らかそうな髪が、愕然と共に震える肩と共に揺れた。

差し出された白い手が、握り返されることなく宙を彷徨った。彼女の赤い瞳もまた驚きに染まっていた。

それは背後の護衛剣士、ラピスも同様だ。

呆気に取られた表情がやがて意味を理解すると共に、より一層の敵意が決断を下した奈緒へと放たれていた。


「こと……わる……?」

「……うん」


信じられない、という感情がセリナという少女を支配していた。

力なく垂れ下がった白い右手は、その意味を彼女が解することによって、ふらふらと奈緒の前から落ちていく。

両手を木造の机へとやることで身体を支えたセリナは、酷い衝撃を受けて椅子へと座った。

座った、というよりは力が抜けて体が投げ出された、といった表現のほうが近い。


「貴様ぁ……!」

「……ラピス……やめて」


従者の怒りが頂点に達したのか。地獄の底から聞こえてきたかのような声に奈緒の身体が強張った。

弱々しい制止の声が聞こえてなんとか踏みとどまっているが、セリナの許しを得たならば即座に刃が閃くだろう。

当然のことだろうな、と心の中にいた龍斗は思う。

奈緒の決断は激しくセリナという少女に恥を掻かせた。もはや返答だけで彼女を辱めた、と言っても過言ない。


「お嬢様……っ……許可をくださいっ……この、無礼者は……!」

「やめなさい、ラピスッ! これ以上私に恥を掻かせないで!」

「ぐっ……ぐぐぐっ……」


そう言われてはラピスもそれ以上の手が出せない。

彼女は視線だけで人を殺せそうなほど、憎しみを込めて奈緒を睨みつけていた。

悪魔に襲われたときよりもずっと恐怖だったが、奈緒も敢えてその眼光を受け入れた。

奈緒は静かに俯くセリナへと向けて言った。


「ねえ、セリナ。苦言を呈すようで悪いけど」

「……なにかしら」


復讐は何も生み出さない。

戦争なんて起こしちゃいけない。

そんな当たり前のことを奈緒は言うつもりはなかった。

それを理解しているうえでセリナは戦うことを決意し、身体を差し出すことすら覚悟したのだから。


「セリナは何も考えてない。ただ家の名誉を取り戻すことだけしか考えていない。その先のことを考えていない」

「……どういう意味よ……」

「うん。今の話をぱっと総合してみたところだけど」


奈緒は机の上に両肘を付かせ、俯いたまま耳を傾ける彼女を覗き見た。

彼女が唇を噛み締めているところまでしか見れなかったが、女の子の涙を見たいだなんて思う趣味はない。

彼は確信したのだ。セリナは遠からず破滅することを。


「例えば僕たちがこの、オリヴァースって国を落としたとするよ? あくまで仮定の話なんだけど」


地図の西南にあたる部分へと、奈緒の人差し指が置かれる。

こと、という音に引かれて僅かにセリナが顔を上げた。

奈緒はコーマの実を数個取り出すと、地図の上へと乗せていた。

オリヴァースに一個、クラナカルタに二個、そしてラキアスには四個ほど置く姿にセリナが目を奪われる。


「何を……」

「ねえ、セリナ。指導者が倒れた国がどれほど弱いか、知ってる? 本当に呆気なく倒れちゃうんだ」


奈緒は自分たちの世界の国々について語る。

中国の秦の始皇帝などが良い例だ。どんなに強力な国であろうとも、指導者が倒れればあっという間に国は傾く。

国が倒れれば周辺国家に吸収されるか、もしくは国の中で内乱が起きるだろう。


「好都合じゃないの?」

「逆だよ。つまり僕たちが魔王として統治を始めたとしても、すぐに倒れちゃうってことだよ」


奈緒の説明にセリナは首を傾けた。

要領を得ないらしい彼女に対して、奈緒はコーマの実を交えて言葉を続けていく。


「まず、僕たちがオリヴァースを倒す。出来上がった国は今のラキアスと同じようにゴタゴタしているよね」

「……ええ」

「ラキアスは大国だから誰も手を出さないけど、オリヴァースって小国なら別だ」


はっ、とセリナが声を上げた。

奈緒はオリヴァースに置いておいたコーマの実を握力で握りつぶす。

ボロボロになってしまったコーマの実を再びオリヴァースの上へと転がして言う。


「これがオリヴァースを落とした僕たちの戦力だよね。戦争の直後なんだから、当然国力とかも減っている状態だし」

「…………」

「で、しかもオリヴァースは魔物の森が多い土地。戦力を回復させることができるかどうか」


そうだ、オリヴァースは森が多い。しかもその木々や水を輸出することで財源となっている。

完全に伐採することなどできないし、したところで魔物たちが完全に消えるわけではない。


「で、戦力は当然ぼろぼろ。ラキアスはもちろん、クラナカルタも喜ぶだろうね」


言いながら、クラナカルタやラキアスに置いたコーマの実をセリナたちの戦力を示す実の近くへと寄せた。

片方はボロボロの戦力がひとつ。

対してクラナカルタは傷ついていない戦力がふたつ、ラキアスは更にその倍の戦力がある。

どちらが勝つなどはもはや論するまでもない。

たとえ五色の異端ミュータントが一人いようとも、英雄は戦争そのものには勝てない。


「……」

「王が倒れ、新しい王が立って国は混乱。その隙を周辺国家が見逃すかな?」


新興国家は特に一番危うい。

国が建国されたとしても、すぐに潰れていく王国など数えるだけ面倒な数だ。

ましてセリナの急進的な意見は、国を落としてすぐに次の国を攻めようという攻撃的なものだ。

政治を省みることなく、兵力と資金だけを当てにして隣国を攻め落とそうとする行為などは、もはや蛮族国クラナカルタと変わらない。


「他国を落として即位しても、セリナがエルトリア家の生き残りだって判明した瞬間、大国のラキアスが攻めてくるかも」

「……っ」


セリナは何も言うことが出来ない。

背後に控えていた殺意の塊ラピスですら、口を挟むようなことが言えなかった。

正しかったからだ。所詮は貴族の娘が描いていた絵空事に過ぎない、穴だらけの作戦だった。

その穴を突かれ、ぐうの音も出ない。


「結果、戦って消耗している上に国としての機能が成り立っていないセリナの国は、あっと言う間に制圧」


謡うように奈緒は語る。

その後に待っているのは悲劇だ。

奈緒は魔王として、責任者として殺されるに違いない。

セリナもエルトリア家の生き残り、リーガル家からすれば殺し損ねた女といっても過言ない。

魔王となった奈緒と共に処刑されるか、それともラピス共々彼らに屈服させられるか。


「国をいたずらに乱し、最終的には宿敵の利になる。それがセリナの望んだ展開なの?」


痛烈な皮肉だ。

相手の心情を理解しているにも関わらず奈緒の言葉は厳しかった。

客観的な意見と容赦のない事実を突きつけ、最後に奈緒は追い討ちをかける。



「ねえ、セリナの人生はそんなことのために犠牲にされなくちゃいけないの?」



もはや、それ以上の言葉はいらなかった。

セリナは再び俯くと身体を震わせた。あまりにも容赦のない指摘を受けて呆然としていた。

そんな痛々しい彼女の背中をラピスは見続けることしか出来ない。

奈緒に対する怒りもあったが、それ以上に主の意を叶えることの出来ない力不足さを痛感しているのだろう。


「…………っ……」

「ごめん、言い過ぎたかも知れない。僕たちは出て行ったほうがいいね……」


女の子を泣かせてしまった。

昔なら絶対にしたくなかったことだった。

自己嫌悪に陥りながら席を立とうとする奈緒だったが、即座に動いたのはラピスだった。

斬られるっ、と身体を強張らせた奈緒。ラピスは奈緒の前へと立つが、その両手は刀の柄へと置かれてはいない。


「……あの」

「もう、今日は遅い。泊まっていかれよ」

「え、でも……だけど……」


ちらり、と机の向こう側で俯いたまま黙ってしまっているセリナへと視線を向けた。

気まずいし、彼女を傷つけてしまったことを考えれば、自分が一分一秒でもこの場にいることが悪いことのように思える。

ラピスが激昂したときなど、斬られるのはともかく打ん殴られるのは覚悟したものだ。

その彼女が主の命を受けるまでもなく、己の意思で奈緒が引き止めていた。


「このまま喧嘩別れではお互いに気まずかろう。それがしの……お嬢様の顔を立てていただきたい」

「えっと……はい」

「良かった」


ラピスは少し安堵にも似た溜息を漏らすと、先ほどまで奈緒が寝ていた寝室へと案内する。

奈緒も案内されるままに席から立ち、袴姿と桃色の長い髪を追いかけていく。

金色の髪の乙女は一言も話そうとはしなかった。

ただ、机に両肘を突いて右手と左手を絡み合わせ、目元が見えないように両手を額へと当てて座っていた。

奈緒は彼女に声を掛けられない。

彼女の申し出を断り、恥を掻かせ、今また完膚なきまでに彼女の夢を否定した奈緒には資格がない。


「…………ごめん」


キィ……とドアが開く音がして誰もいない暗闇の部屋への道が開く。

ラピスが扉を開けて奈緒に部屋に入るように促していた。

奈緒はセリナに声をかけることが出来ず、弱々しくラピスにだけ聞こえるように謝罪の言葉を口にして寝室へと入る。

ラピスは何も言わない。ただ、奈緒を送り出すと、そっと扉を閉めるのだった。




     ◇     ◇     ◇     ◇




(お前、割ときついな……)


寝室のベッドで横になった途端、沈黙を守っていた龍斗が声をかけた。

彼としては意外な展開だった。てっきり奈緒は彼女の申し出を受け入れるものと思っていたのだ。

セリナの交渉は龍斗の目から見ても巧いものだった。

情に訴えかけ、何も隠し事をせず、協力の懇願から報酬の件。そして力強い誘惑に『これは負けたなぁ』と思ったのだ。

奈緒もなんだかんだと言っても、可愛い女の子から頼られることは嬉しかったはずなのに。


(女を泣かせたのって初めてじゃないのか? いくらなんでももう少し言い方ってもんがあったんじゃ……)


その言葉には多少の非難の色が含まれていた。

奈緒は彼女が必死で考えてきた夢を打ち砕いた。単純な事実という名の暴力で。

地位も名誉も、そしてセリナの身体もいらない。

欲望の全てを振り払っていった言葉だとしても、多少なりとも女を知っている龍斗からすれば悪手にしか見えない。


(間違ったことは言ってないと思う。勝算のない殺し合いなんてやりたくないよ)


冷たい言葉だ。そして当たり前の言葉だ。

奈緒も龍斗もただの一般人だ。いかに五色の異端ミュータントなどと言われようとも、命を懸けた戦いなんてしたくないだろう。

表向きにはそんな意味合いの言葉だったが、龍斗はその言葉を聴いて感嘆の息を吐いた。

親友、狩谷奈緒の魂の有り様を見た龍斗は口元を歪めた。


(そう、だな。俺も奈緒も、元の世界じゃただの高校生だ。それがいきなり魔王になれ、なんて笑えねえ)


はっはっはー、と機械仕掛けの笑い声が奈緒の心の中に響いた。

本来ならそのわざとらしい声に文句のひとつでも言うところだが、その前に龍斗が口を開くほうが早かった。

彼は今度こそ、本当の獰猛そうな笑みを浮かべている。奈緒には見えないが、そんな気がした。



(じゃあ、勝算ってやつを教えてもらおうか)



龍斗が言うと、奈緒も釣られるように笑った。

まるでバレてしまったか、と言いたそうな屈託のない笑みだ。先ほどの沈痛そうな面影はなかった。

思えば親友と一心同体を果たしているのだ。隠し事なんてそうはできない。


(まだ情報が不足しているから、絵空事みたいな感じだけど。それでもいいかな?)

(あるんかい)

(最初に鎌かけてきたのは龍斗でしょ)

(いや、割と確信してた。奈緒は『勝算のない殺し合いはしたくない』って言ってただろ)


つまり、奈緒は決してセリナたちを見捨てたわけではないのだ。

彼女たちの語る計画では無理がある。それでは勝算を見込むことも出来ない、そんな戦いはやりたくない。

戦うのなら勝算のある戦いを。十全とは言わずとも九割を見込めるような戦いをしたい。


(僕はね、龍斗。なんだかやられちゃったみたいだよ)

(何にだ、親友)

(そんなの決まってるじゃない。僕は……)


おかしそうに奈緒が語ろうとしたそのときだった。

コンコン、という音。寝室へのノックに気づいて、奈緒と龍斗の会話が打ち切られる。

別に心中で話している以上、何も問題はないのだが、ついついこういった内緒話をしていると息を潜めてしまう。

誰だろう、と思いながらも奈緒はベッドから起き上がった。


「はい、どうぞ?」

「……失礼いたします、ナオ殿。ラピス・アートレイデです、起きておられますか?」

「あ、はい、どうぞ!」


少し慌てた様子で奈緒は返事をした。

現れたラピスはいつもの袴を脱いだ軽装姿で現れる。黄色い寝巻きのような服に桃色の髪が流れる。

常に腰に挿している物騒な刀も持っていない、そのことに内心でホッとする。

寝巻きが彼女のスタイルの良さを際立てていて、思わず心臓がどくんと高まった。

彼女は若干緊張気味の表情を崩さないまま奈緒の前へと進み出る。


「えっと、セリナ、は?」

「頭を冷やしたい、一人になりたい、と仰ってバルコニーのほうに行かれました」

「……そっか」


物憂げに奈緒は窓のほうへと目をやった。

バルコニーが何処にあるのかを憶えていないのだけど、夜風を当たりに行ったのは間違いなく奈緒の言葉のせいだ。

いずれ訪れるだろう彼女の破滅を見ていられなくて言ってしまった言葉だか、龍斗の言うとおり言い方があったか。


「それで……ラピス、さん?」

「ラピスで結構です」

「う、うん。それでラピスはどうしたの?」

「はっ……」


次のラピスの行動は驚くべきものだった。

彼女はベッドに座る奈緒の眼前までくると、その前の床で膝を折った。

奈緒が反応するよりも早くラピスは奈緒の前で跪く。

続いて両手も床へと着かせ、そのまま額を床にこすり付けた。桃色の長い髪が流れて床に擦れる。


「なっ……ば、」


突然、土下座を始めたラピスに奈緒は絶句した。

敵意剥き出しだった彼女が、奈緒の前で膝を突くことすら有り得ないはずの彼女が、頭を擦り付けている。

奈緒も龍斗も呆然と二の句も告げずに絶句する中、ラピスが搾り出すような声で言う。


「ナオ殿……どうか……どうか、お嬢様に力を貸して差し上げてください……!」

「ら、ら、ラピス!?」

「お願い致します、どうか!」


奈緒はベッドから転げ落ちるようにしてラピスを抱え起こす。

土下座をされるなんて恐縮というレベルを当に通り越していて、奈緒は冷や汗を流してしまう。

手が接触したときに石鹸のいい匂いがして悩ましいが、そういう欲望も全て振り払って叫ぶ。


「や、やめてください! さっきまで敵意丸出しだったじゃないですか! どうしていきなりこんなことを……!」

「に、認識を改めたのです!」

「とにかく落ち着いてー! お願いだから、このままだったら色々と問題あるからー!」

「お願い致します! どうか! どうかお嬢様にその力を! この通りでございますッ……!」


どたばた。ばたんばたん。

何度かの物音と悲鳴にも似た叫びが寝室に響く。

騒動の大変さを示すように荒い息が混じり、着衣が僅かに乱れたりする。

彼らが落ち着いて向き直るまでにはしばらくの時間を要した。




     ◇     ◇     ◇     ◇




「最初は胡散臭い男だ、と失礼ながらそう思っておりました。そんな男がお嬢様と、と思うと……」

「ああ、うん……まあ、そうだよねえ」


寝室のベッドに腰掛ける奈緒と、床に膝を付いて頭を垂れるラピス。

同じ目線を希望したのだが、セリナとの協力を取り付けるまで絶対に動かないらしいので、土下座をやめてもらった。

ラピスの言っていることは分かる。奈緒も同じ立場なら同じ思いになるだろう。

妹のような存在が身をひさぐ決意をし、見ず知らずの男に抱かれるなど想像するだけで苦痛以外の何物でもない。


「お嬢様のやり方では……お嬢様を手篭めにしたのち、約束を反故にして資金を奪い、ラキアスに差し出すことも」

「一番極悪だね……考え付きもしなかった」

「はっ……ナオ殿のお心を疑いましたこと、ひらに……」

「い、いやいやいや! ラピスの立場を考えたら当然のことだし、むしろそこまで計算できるラピスは凄いっていうか!」


またこうべを垂れて謝罪を口にしようとするラピスを制す。

完全に従者のような態度の彼女は計算済みなのだろうか、と思ってしまうのだが、そうはとても見えない。

交渉のときにあれほどの敵意を放っていたラピスなのだ、きっと腹芸などできないほど不器用に違いない。

彼女の真っ直ぐな態度は狩谷奈緒という少年を認めた証でもあるのだ。


「ですが、ナオ殿は断られた。最初は主に恥を掻かせた、ということで頭が真っ白になりましたが……違った」

「………………」

「あなたはお嬢様のことを考えて、この計画には無理があると言っていただいた……それがしは、そう感じました」


その通りだ。

奈緒が危惧したのはそこだった。

どんな計画だろうが、失敗とは死と同義なのだ。

彼女が必死に考えたものであろうとも、それが破綻してしまうことは目に見えていた。


「単純に地位や名誉や、お嬢様自身を貪欲に求めてなどいない……もしくは、争いそのものを嫌っておられるか」

「……どちらもだよ。僕は戦争なんて経験したことない。どちらかというと怖いって気持ちのほうが強いから」

「そこを曲げてお願いしたいのです」


ラピスの言葉に奈緒は困った顔をしてしまう。

奈緒のなかでは決心は決まりつつある。彼だってセリナの力になりたいのだ。

だけどそれは戦争をすること、命を懸けて戦うことだ。

つい昨日までは一介の学生だった自分にそんな大それたことが出来るのか、という躊躇していた。

だから今夜一日、ゆっくりと計画を練りながら覚悟を決めていくつもりだったのだ。


「お嬢様を助けて差し上げてください! もしも叶えていただけるなら、それがしを好きにして構いません!」

「っ……ああ、もう! どいつもこいつも!」


奈緒は堪らない、というように叫んだ。

セリナといい、ラピスといい、目的のためには手段を選ばない。

二人には女としての幸せを捨ててでも果たしたい宿願があるのは理解できるが、保守的な奈緒には我慢ならない。

風呂場で見てしまった二人の眩い裸体を思い出し、情欲のような感情が胸に宿る。

男として心が揺れるのは当然だが、だからといってその条件で頷いていいはずがない。


「ラピスも! セリナも! もっと自分を大切にしようよ! そんな身売りみたいなことしなくても僕は……っ!」


そこまで言って、固まった。感情のままに叫んだが失言だったかも知れない。

ラピスは目を丸くしながら奈緒のことを見ていた。彼女の瞳は期待感を内包していて、その言葉の続きを待っている。

奈緒は内心で頭を抱えて、ああ、と嘆息してしまった。

もう誤魔化しようがないのだ。


「ナオ殿……いま」

「……僕は、そんなことされなくても手伝う。どこまで手助けできるか分からないけど、僕だってセリナは放っておけない」


言ってしまった。

言葉として口にして初めて、覚悟が持てた。

なんだかんだと言っても奈緒に選択肢なんてなかったのだ。

彼女の事情を知って、彼女たちの危うさを知って、今更何も見なかったことにするだなんて出来なかった。

一分悩もうが、一時間悩もうが、一日悩もうが、結果はどの道同じだったのだ。


(……いいのかよ、親友?)


心中で投げかけられた言葉は喜色がこもっていた。

奈緒は苦笑して、建前として用意していた言葉を龍斗に告げる。


(どの道、行くところもないし……乗りかかった船だし……お金の心配とかしなくていいし……)

(はいはい、言い訳言い訳。相変わらず捻くれちまって)

(むう……それより、龍斗はそれで良かったの? 僕一人で決めちゃったんだけど……)

(ばーか、絶対反対だったら最初から黙ってねえよ)

(ん、ありがとう……)


正直すぎる親友に向けて感謝の意を示した。

跪くラピスは奈緒の言葉を噛み砕いて、ゆっくりと飲み込んでいく。表情が段々喜色を帯びたものへとなっていく。

ラピスは恐る恐る問いかけた。差し出された手が幻想でないことを確認するように。


「そ、それは……お嬢様の力になってくださると……そういうことですか……?」

「うん。魔王候補は別に捜してもらって、ね。セリナが本当に好きな人と結婚してその人を魔王に据えればいい」

「はっ……」

「僕はセリナの力として、参謀として戦うよ。ただし、条件がある」


条件、と聞いて即座にラピスは目を鋭くした。

どのような条件であろうと喜んで彼女は呑むだろう、それが奈緒にも何となく理解できた。

奈緒は自分の黒髪を撫でながら、その条件をどんな風に伝えようか考えていた。

機先を制するようにラピスが声を上げる。


「どのような条件でも、ご命令でも!」

「それだよ。条件は『簡単に身体を許すようなことをしない』で。もっと『自分を大切にして』……それが条件」

「はっ……は?」

「ラピスだけじゃないよ、セリナもだよ。それが守られないと分かったら、僕は協力するのをやめる。そう、セリナに伝えて」


セリナの護衛剣士は口を可愛らしく開けたまま、たっぷり十秒間、硬直したまま動かなかった。

ようやくその言葉の意味を正確に判断することが出来たのか、もしくは主に伝えて、という部分を読み取ったのか。

最敬礼で頭を下げたラピスは、慌てて部屋の外へと走り去っていった。

恐らくバルコニーは寝室でもリビングでもなく、文字通り廊下から外に繋がっているのだろう。

どたんばたん、と慌てる彼女の心情を表すような音が遠ざかっていく。


(ぶっちゃけ、奈緒はいま勿体無いことをした)

(うるさいな……セリナもラピスも、身体を許すようなこと言われたら、どうにかなっちゃうじゃないか……)

(ううむ、奈緒の女に対する潔癖さがここで災いしたかぁ……やっぱ生きてるうちに経験させてやるべきだったかなぁ)

(何気に危険なこと言わないでよ)


冷や汗をかきながら、奈緒は苦笑する。

これで良かったんだと思う。鎌首をもたげた情欲を何とか我慢することができたらしい。

ぐったり、とベッドの上に倒れながら黒髪をかき上げる。

冷たい手を熱くなった額に当てる。想像以上に顔を赤くした奈緒はひやりとした手の感触に目を細めた。


(魔王の地位とやらも、女の身体も捨てて、戦争には協力するか……損な性格だよなぁ)

(まだ言うか)

(俺は早速奈緒が身を固めることが出来た、と喜んでいたんだぜ?)

(……まだ十七歳だよ、早すぎるってそんなの)

(…………そのうち、お前は交換日記から始めそうだよ……)


嘆息する親友にほっといて、とだけ伝えて目を閉じる。

今すぐにでもセリナたちが飛んでくるかも知れないけど、それは明日の朝からにしよう。

さっきまで気絶していたから眠くはない。ただ、やらなければならないことが出来てしまった。


(龍斗。所有権をそっちに渡しておくよ)

(ん、寝るのか? 魂状態で寝るのは俺も試してみたが、どっちで寝ても問題ねえみてえだけど)

(いや、考えごとをするから。しばらく篭もっているから、セリナたちが来たら明日の朝に話すって言っておいて)

(おーけーおーけー、それが終わったら寝ちまってもいいか?)

(もちろんいいよ)


それで龍斗との通話を切る。

かしゃり、と入れ替わるいつもの聞きなれた音がして、表と裏が切り替わる。

奈緒は心の中で部屋を想像した。生前、自分が住んでいたそれほど広くない五、六畳くらいの空間だ。

心の中だけは自分の世界だ。自分の思うとおりのものを揃えられる。これは牢獄と鍵を創造できたことから学んだ。

奈緒は自分だけの世界の椅子に腰掛けて、机と向かい合った。


(計画を練る。やらなければならないことを列挙する)


セリナの計画の無謀さはその性急なところにある。

単純な力では小国のオリヴァースか、頑張ってもクラナカルタを落とすのが精一杯だろう。

さらにその次の国を落とすということは容易ではない。だから、やらなければならないことはいくつだって思いつく。


(なあ、親友。最後に教えろよ)

(なに?)

(さっき言いかけたこと。お前、何にやられちまったんだって)


しょうもないこと憶えてるなぁ、と奈緒は少し顔を赤くしながら慌てた。

勢いで言おうとした言葉だけに冷静になってみると、恥ずかしくて顔から火が出そうだった。

しかし賽は投げられた。誤魔化しなんて最初から聞かない。

龍斗の期待にも似た声に応えて、奈緒は僅かな動揺を示すように魂の不安定に揺らしながら言う。


(……せ、セリナにだよ)

(は?)

(わ、悪い!? 夫になりなさい、って言われたときからセリナを放っとけなくなったんだよ!)


奈緒は叩きつけるように叫ぶと、今度こそ心の部屋へと閉じこもった。

龍斗は最初に唖然とし、次に首をかしげ、最後には意地の悪い笑みを浮かべる。

それ以上の追撃は今のところないが、これはしばらくネタにされるだろうなぁ、と心の机に突っ伏した。

そんなこんなで、長かった魔界レメゲトンでの初日が終了する。今日起きた出来事を回想しながら、奈緒は計画を練る。

夜は更けていく。ゆっくりと、赤色の三日月が星空のなかで煌いていた。




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