第84話【ラキアス開戦2 短期決戦】
「ギレン、エリザ」
宣戦布告を受け、攻撃開始の合図を受ける直前だ。
黒マントに身を包んだ魔王が二人を呼んだ。
「計画通りに。『プランC』で行こう。遠征軍に対する基本的な攻略法で」
「検索……承知しました。命令を遂行します」
「砦の守りは任せた」
魔王の命令を受けて二人が走る。
城に残った首脳陣はマーニャだけだが、ナザック砦の堅牢さを考えれば問題ない。
迎撃は確実性の高い手段だが、泥沼の殺し合いにも発展する。
守るつもりはない。こちらから攻めるつもりだ。
「敵が来るぞ……」
「魔導部隊、赤組、青組、緑組、紫組、構えッ!!」
「黄組は待機しろ! 砦の修繕に回せ!」
「敵の一斉射撃、来ますッ!!」
兵の叫びが木霊する。
号令が厳かに放たれ、奈緒も同じく一斉射撃の合図を下した。
空を彩る七色の魔法が、命を喰らい尽くすために咆哮し、地響きと爆音と悲鳴が一斉に湧き上がった。
◇ ◇ ◇ ◇
肉を炙るような熱量を放射する火球が唸る。
視認不可能な雷撃の槍が、雨の如く降り注ぐ岩石が、烈風と化した鎌が襲い掛かる。
砦を形作る岩が粉々に砕け、抉られ、城塞の上で応戦する兵士を貫いていく。
砂埃が舞い上がり、怒号と共に突貫兵が鉄の門に槌や斧を叩き付ける。
生々しい音量が圧倒的な暴力の化身となり、戦場を経験したことのない新参兵の足を止めていた。
「……っ……これは激しいね」
轟音が響き、悲鳴が湧き起こる砦の上で奈緒は物陰に身を潜めた。
周囲を見渡し、応戦できない者たちにも檄を飛ばして指示を出す。視界の端で随行していたマーニャの姿を確認。
彼女は敵軍の苛烈な攻撃に足を竦ませる新兵の一人を抱きかかえていた。
純朴そうな十代の少年兵士を豊満な胸で抱き、耳元に息を吹きかけて甘い言葉を吐いていたが。
「怖い? でも大丈夫よん、初めてはそんなもの。お姉さんが優しくリードしてあげるわん……」
「この大変なときになにやってるの!?」
「あらん、戦争の心構えよん? ほ、本当よ、本当。それ以外の理由なんてないわよー」
「そんな目を逸らしながら言われても……」
緊張感を感じさせない宰相補佐の様子に、いい具合に肩の力が抜けた。
物陰から様子を見る。敵軍の魔法部隊による一斉射撃は鳴りを潜め、オーク族を初めとした地上兵が迫っている。
一斉射撃で牽制し、その間に鉄の門を破壊する算段か。
「敵軍が突貫を開始!」
「よし、魔導部隊の『緑組』に指示を送る! 飛行部隊も行動開始!」
「はっ!」
「地の利はこちらにある。じっくりと行こう。マーニャ、ここの守りは任せたよ! 砦に取り付かれないように!」
「オッケー!」
奈緒は伝令に指示を送ると、自らも飛行部隊に待機する中庭へと走った。
突貫してくる地上部隊は旧クラナカルタと何も変わらない。
腕っ節が強いだけで突撃してくる彼らは、まともに戦えば危険だが、対処の仕様はいくらでもあるのだ。
悪魔族やバード族を中心とした飛行部隊に手を借りて、奈緒は大空へと飛び立った。
「僕は一人で迎え撃つ。魔導部隊は役割を終えたら即座に撤退して」
「はっ!」
「申し訳ないけど、飛行部隊から二人。僕が離脱するために待機。『見失わないよう』にしっかりと腕を掴んでて」
「はい!」
地上部隊を相手にした作戦を開始する。
二人一組で魔法を得意とする兵を掴み、高速で飛翔する魔砲台として活用するのだ。
矢や魔法なら危険だが、地上部隊の先頭に立つ者たちは腕っ節ばかりの兵。
彼らも纏めて魔法の餌食にする、というなら話は別だが、現在は遠距離からの狙撃や射撃は有り得ない。
先ほどの一斉射撃の仕返しをしてやろう。
◇ ◇ ◇ ◇
「おおおおぉぉおおおおおおおおっ!!!」
「砦に貼り付け! 門を打ち破れ! 敵は薙ぎ倒して踏み潰せえ!!」
地上部隊、総勢六百人が副官のニードルードの指揮で突撃。
砂漠一帯ゆえに砂に足を取られて転倒し、踏み潰されていく新参兵には目もくれない。
一糸乱れぬ統率で進軍する兵たちは、全員で一種の津波と化しているのだ。
応戦に出てくる愚かな敵兵は勢いに呑まれ、脚に何度も踏み潰されて息絶える。
「……む」
先頭のニードルードが視線の向こう側に人の姿を確認した。
少数だ。全員で百に満たない。翼を生やした者が多い。中央には無謀にも魔王閣下の姿もある。
踏み潰してくれる、と吐き捨てた。
百名程度の魔法射撃で勢いが止まることはない。後悔させてくれる、と更に速度を速めて。
「やれっ!!!」
魔王の指示が届き、魔導部隊が魔力を形作っていく。
止まられるものなら止めてみろ、と意気込み、己の獲物である歪曲剣を構え、更に力強く咆哮した。
十秒に満たない時点で勝負が決まる。
紅蓮の炎か、岩石の雨か、と見極めながら脚を動かすニードルードが言葉を失った。
――――――直後、視界の全てが茶色に染まった。
「砂煙ッ……!!?」
「ぐあっ、目が……げばああッ!?」
「ま、待て、押すな……ぁ、ああ。アガアアアアアァァアアアッ!!!」
風魔法が逆巻き、砂漠の砂を視界いっぱいに巻き上げた。
強風に脚を取られる兵、砂が眼に入った影響で立ち止まる兵、視界を失って途方にくれた兵が倒れていく。
統率された軍は無残にも隊列を乱し、先鋒の兵は背後の兵に押されて転がった。
倒れる兵士の身体を後続の兵が何度も何度も踏みしめ、圧殺。
戦場の空気に酔って正気を失った兵の何人かが、何が起きたのか分からないうちに剣を振り回す。
「落ち着け!」
「敵だ! 敵が仕掛けてきやがったぞ!!」
「踏むなぁ!! いぎっ、ぐえええ! や、やめ……ひぎぃっ……!!」
「今の悲鳴は何だ!?」
「砂煙に混ざって敵が来たんだ! 武器を取れ、戦ええええ!!!」
錯乱した部隊ほど脆いものはない。
砂煙は部隊の半分を包み込み、最前線の兵士たちの目を奪い、彼らは聴力だけで戦うことになる。
誤報や推測が伝播し、噛み殺してきたはずの恐怖が顔を覗かせた。
周囲が恐慌状態になれば、どんなに冷静な兵でも染まっていく。
(馬鹿な、これほどの砂煙なら奴らも条件は同じはず……!?)
副官のニードルードは竜人族として生まれ持った翼を広げ、砂煙の中から脱出を図った。
指揮していた軍は既に恐慌状態に陥っている。
戦いの続行どころではない。一度引いて態勢を立て直さなければならない。
翼を羽ばたかせて砂煙を脱したニードルードの視界に、同じように空へと羽ばたいたエルトリア兵が見えた。
「っ!」
「ぎゃあああ!!」
即座に接近して歪曲剣の餌食にした。
飛行部隊らしきバード族の翼を切り裂き、支えられていた兵諸共が地に落ちていく。
百人足らずの奇襲部隊にやられたのか。
地の利を使われた。風を利用して砂嵐を巻き起こし、自然の怪物を味方に付けてきた。
「敵は上空にいる! 翼を持つ者は羽ばたけ! 奴らを逃がすな!」
「魔導部隊! 赤組、青組、紫組! 立ち往生する敵兵に一斉射撃ッ!!」
「なっ!?」
両雄の号令はすぐ近くで叫ばれた。
伝達魔術品を使って指示されたエルトリアの魔導部隊は、砦の上から魔法攻撃を開始し始めた。
砦に近づいた状態で停滞してしまった特攻兵たちに、容赦なく殺戮が行われる。
兵たちは全身を諦めて後退を開始し、翼を持つ者は大空へと飛び立った。
「貴殿はっ……!」
「ラキアスの指揮官か……一斉射撃の仕返しはさせてもらったよ」
飛行部隊と思しきバード族二人に抱えられた魔王が、挑戦的な笑みを浮かべていた。
間抜けな格好だ。敵将を討つ絶好の好機と言える。
失態を取り返すためにも、と歪曲剣を構えると、己の不利を察している奈緒も僅かに顔を曇らせた。
「いいのかな、指揮官。全滅するよ?」
「貴殿を討てば戦争も終わる」
「どうかな……」
眼下では一斉射撃の的になって屍を晒す兵たちの姿がある。
心臓がズキリッ、と痛んだ。が、同情も容赦も呵責も、全てを封印して事に当たると決めていた。
戦わなければならない。
戦争を起こした当事者となった以上、勝たねばならない。
両手に抱えられるだけの人々を護るために。
「ニードルード様!」
竜人の背中に部下が叫んだ。
僅かに背後を振り向くと、青い大空に黒い影が点々と続いていく景色が広がっていた。
援軍だ。戦況不利と見たフォルゴ将軍が援軍を派遣したらしい。
覇者の国が誇る飛行部隊、総勢四百。
「よし。第二波で一気呵成に攻め立てる」
「……ニード、ルード……?」
「魔王よ。貴殿の妙計もこれまでだ。貴殿はここで討つ!」
接近する副官ニードルードは歪曲剣を水平に構え、薙ぎ払う。
何事かを考えていた奈緒の対応が遅れ、片方のバード族が肩を深々と切り裂かれ、鮮血が奈緒の顔に飛ぶ。
正気に返った奈緒は厳しい表情を浮かべると、命令を下した。
「二人とも、一度引いて傷の手当てを。僕は自力で帰るから」
「し、しかし……!」
「早く!」
魔王からの直接命令で、バード族の二人は同時に奈緒の身体を離した。
重力に逆らうことが出来ずに落ちていく奈緒。
馬鹿な、と驚愕の表情でニードルードは追撃を開始した。
狙いは負傷した雑魚ではない。見捨てられた魔王へと向かって翼を羽ばたかせ、一気に敵へと肉薄する。
「っ……!!」
「<旋風、舞え>!」
奈緒の魔力によって生み出された竜巻が、奈緒の身体を歪曲剣の軌道から外させた。
誘き出されたニードルードの身体は竜巻の影響でバランスを崩す。
砂煙が薄れ、圧殺死体が点在する砂漠に転がるようにして着地した奈緒は、顔を顰めながら上空を見上げた。
歯噛みした竜人に向けて、奈緒は尋ねる。
「ねえ。もしかして革命軍のニードルード?」
「……なに?」
「竜人族で、刀身の曲がった剣を使ってる『ニードルード』っていう革命軍の隊長のことを聞いたことがあるんだけど」
息を呑む。
馬鹿な、と如実に彼は動揺の色を見せた。
魔王とは顔合わせは先ほどが初めてで、彼が自分のことを知っているはずがない、とそこで気づく。
「そうか。ソーイチロウとソフィアか……」
「……そう。そうなんだ」
短い言葉を交わしただけで、奈緒は残念そうな声音で何かを悟る。
複雑な表情を竜人に向けると、奈緒は硬い口調で告げる。
「で、どうするのかな。僕を倒してみる?」
「厳しいな。不恰好に空を飛んでいたときは隙だらけだったが……今はどうにも攻略できん」
「……引き揚げさせてもらうよ」
「ひとつ、問いたい。ソーイチロウたちはこの砦に来ているのか?」
奈緒はじろり、と冷たい視線を向けると。
「来てないけど、来る理由が出来たみたい」
「…………」
会話はそれで終わった。
奈緒は牽制のために氷の嵐を放ち、避けるようにニードルードは再び上空へと飛翔していく。
第一陣の地上部隊は撃破した。
次は第二陣の飛行部隊。仕切りなおしと行こう。
釈然としないものを抱きながら、次なる戦いに備えるため、奈緒は砦の中へと戻っていく。
「魔王様、ご無事で!」
「よくぞご無事で!」
門番役の兵士たちが手向かえる。
柔和な笑みを浮かべた奈緒は擦れ違いざまに、ぼそり、と問いかける。
「『出陣した』?」
「はっ」
「よし。ラキアスの飛行部隊に対処しよう。マーニャを配置につかせて」
伝令に指示を送りながら、慌しく奈緒も階段を駆け上がる。
要所で黄組という、地属性の魔導部隊に砦の修復を指示しながら、奈緒は己を鼓舞するように呟いた。
「勝負どころだよ」
◇ ◇ ◇ ◇
「フォルゴ将軍、申し上げます!」
砦から遠く離れた陣に伝令の声が響く。
戦場を黙して見つめるフォルゴは僅かに頷き、報告を促した。
「地上部隊の死傷者は半数以上!」
「錯乱している者もおり、独断で処断致しました」
「飛行部隊は善戦中!」
「敵の魔導部隊と地上部隊に、魔法と矢で激しい抵抗を受けております!」
芳しくない報告に唇を噛み締めた。
最初の地上部隊が敗北した段階で、既に負け戦が濃厚となっている。
飛行部隊投入も形勢逆転には繋がらない。
作戦を根本から変えなければならない。力押しではナザック砦は攻略できない。
「祖国に申し開きができん……」
全軍の約八割を投入した短期決戦。
国の威信を損ねるような戦い方をしてしまったことは、フォルゴの自尊心を大きく傷付けていた。
民草から叩き上げで将軍へと登りつめたフォルゴ。
国のために戦いたい。国に絶対の忠誠を誓い、他の民草たちを守るために剣を取った将軍は苦悩した。
「……報告。前線が援軍を求めている模様」
新たに入ってきたオーク族の伝令が告げる。
赤い鎧を身にまとった指揮官が歯噛みして前線を眺め、鋭い眼光を砦のほうへと向けた。
無謀な指揮は兵士たちを無駄死にさせる。
己の指揮で多くの味方が倒れてしまった。これ以上はだめだ。
「……退却の合図を」
「はっ」
周囲の幕僚たちも態勢を立て直すのが先だ、と考えていたのだろう。反対する者はいなかった。
伝令の一人が退却の合図をするため、法螺貝を鳴らしに走る。
初戦の敗北は受け入れた。
次の戦いはこうは行かぬ、と心に誓ってフォルゴは陣の中へと戻っていこうとして。
―――――突き刺すような殺意を感じて、振り返りざまにサーベルを抜いた。
陣営が俄かに騒がしくなった。
フォルゴの右肩に痺れるような痛みが広がる。
赤く燃える炎剣が鉄製のサーベルを溶解し、フォルゴの右肩を浅く切り裂いた。
「ほう」
下手人は愉快げに口元を吊り上げる。
伝令に訪れていたオーク族。凶悪な笑みを浮かべ、赤銅色に染まる剣を握っている。
「浅かったか。良く気づいたな」
「っ……地上部隊の中に敵兵が紛れ込んでいたのであるか……!?」
「あわよくば指揮官の首を取れ、と命じられていたが……」
旧クラナカルタ魔王。
現在のエルトリア魔族国、将軍……ギレン・コルボルトは周囲を見渡して。
「魔王の命令でな。ここで生きるか死ぬかの殺し合いをしてみたいが、生きて帰れ、と厳命されている」
「戦闘狂が……!」
「貴様は無能ではないな。単純な兵としての実力は一線を凌駕している。我は不意打ちで殺しにいった」
小柄なオーク族は獣じみた俊敏さで視界から消え失せると、幕僚の一人の首を切り落とした。
被害者は自分が何をされたのかも分からない、という表情の首を地面に転がせていく。
周囲が更にざわめいた。
参謀役の幕僚の何人かが喚くように兵を呼び寄せるが、護衛兵も幕僚たちと同じ運命を辿っていく。
「背中から襲ってよいのなら、我は今の魔王でも殺せるつもりだった」
「戦場では勘の悪い者から死んでいくのである」
「傭兵と同じことを言う」
「傭兵ではなく、騎士だ! 国を守る盾となり、国に仇名す者を斬る剣となる。それがワシの生涯の願いである……!!」
陣からフォルゴの得物が運び出されていく。
白銀に輝く極太のランス。機動力を持って敵を貫く、とされる豪快な武器をフォルゴは手に取った。
本陣の兵たちに期待はできない。
将軍自らが痴れ者に制裁を加えるため、バード族特有の逞しい翼を広げて荒々しく叫んだ。
「貴様は愛国心というものを知っているであるか!」
「理解できんな」
「然り! 貴様は獣だ。エルトリア側も飼い慣らすのに苦労しているであろうな!」
炎剣と銀槍が激突する。
飛翔した体を丸ごとぶつけるような突進技がフォルゴの戦闘スタイルだった。
一本の矢のように空から急襲し、防いだ時には射程範囲外へとフォルゴの身体は飛び去っている。
紅蓮の魔剣が一撃の威力に負け、ぐにゃり、とひしゃげた。
「ワシは騎士だ。祖国を守るために剣を取った」
「……」
「貴様の主は言ったな。戦争の原因は我々にある、と。全ては我々が仕組んだことだ、と」
「魔王はそう言っていたな」
「馬鹿げた妄言だ、吐き気がする。だが、それが万が一、本当のことだとして」
フォルゴは鋭い視線を眼下で紅蓮剣を創り上げるギレンへと向ける。
吐き捨てるように。叫びだすように。
絶対の自信を持ってフォルゴは告げる。誇らしげに。
「我々のやることは変わらない」
我が身は国のために振るわれる剣。
我が身は国のために掲げられる盾。
我が身は国の意思を貫き通す矛。
我が命は国の礎となるために捧げられた供物であり、祖国のために使われるモノ。
「愛国心を失った人々は惑う。祖国を大切に思えない、誇りに思えない……そういう人々は時に迷うのだ」
生まれ故郷の国に対する愛。
簡単なことでいい。何百もの国の名前を列挙したリストがあるとして、祖国の名前を目で探してくれるぐらいのものでも。
誇りは人を高潔にする。それがフォルゴの座右の銘だ。
祖国への愛国心を無くしてしまうということは、人々の心に祖国に対する疑念や偏見があるのだろう。
「ワシは騎士だ。祖国が好きだ……そして多くの人に、同じ気持ちでいてほしいのである」
「身勝手なエゴにも聞こえる」
「だが、そのために粉骨砕身、力を尽くすのが騎士だ。迷える人々を導くのが騎士である!」
疑念があるなら払おう。
偏見があるなら取り除こう。
公明正大な騎士が一人でも多くいれば、国は変わると信じている。
不可能と思われた事柄も、最初の一歩を踏み出さないことには永遠に不可能のままなのだから。
「やはり、貴様などに語ってみても仕方がなかったであるが」
自嘲気味にフォルゴは口元を歪めた。
思想は人それぞれだ。互いの思想を押し付けたところで何も生まれるものはないか。
だが、如実に変わっていくものがあった。
周囲の近衛兵や護衛兵、幕僚から見習いの兵における全ての者たちの目付きが変わったのだ。
「見よ。祖国のために……引いては己の大切なモノを守るために剣を取る、騎士たちの姿を」
身分など関係ない。
国のために戦おう、と。家族のために戦い、その結果が祖国を守ることに繋がるとしても。
剣を取る理由を胸に秘めた者は強い。
将軍から見習い兵における全ての愛国心を持って戦おうとする者が『騎士』なのだ。
「貴様は逃げられん。ワシからも、騎士たちからも」
「…………、」
殺気立つ周囲をぐるり、と見渡してギレンは視線を鋭くした。
単身の特攻を志願したとはいえ、百人規模の盛況な兵に囲まれたのだ。逃げ道は確かにない。
彼ら曰くの『騎士』たちは殺気立った目でギレンを睨み付けている。
強いな、と素直に感嘆の息が漏れた。
一本筋の通った敵ほど手強い者はいない。絶体絶命の危機であることは間違いないだろう。
―――――まあ、全て計算どおりだが。
敵主力の地上部隊は壊滅。
同じく重要戦力の飛行部隊は、マーニャがナザック砦の防衛戦で釘付けにしている。
敵軍の将軍の首を取れれば完璧だったが、誤差の範疇だ。
本陣の目を此処に釘付けにすることこそ、ギレンが受け止めた役割だ。
直後、本陣の後方で爆発音が響いた。
フォルゴの顔が青ざめる。
本陣の後方。将軍の本拠以上に護らなければならない陣がごうごう、と紅蓮に包まれている。
動揺が広がっていくなか、呆然と兵士の一人が呟いた。
「ひ、兵糧庫が……」
作戦は成功した。
動揺と混乱が広がる本陣を、ギレンは一本の槍のように貫いていく。
獣染みた俊敏さで視界から消えていく男の姿を、悔しげにフォルゴは睨み付けるのが精一杯だ。
追えば仕留められるが、今は何よりも兵糧庫に向かわなければならなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
『……報告。敵性勢力の兵糧庫の急襲、命令を遂行しました』
「ご苦労様。退却してきて」
『はい』
伝達魔術品でエリザから作戦成功の報告を受け、魔王は静かに息を整えた。
思えばこれほどの総力戦を昼間にやるのは少ない。
月の魔力を補給できない、という問題点もあり、奈緒は息切れをしながら周囲を見回した。
犠牲は、少なくない。事切れた敵味方の兵が足元に転がっている。
(奈緒、深呼吸)
(うん……すー、はー……)
(大丈夫か?)
(何とか。犠牲は最小限に食い止められたと、思うけど……)
敵の飛行部隊は撤退していった。
魔導部隊で追撃を仕掛けたが、深追いはしない。
作戦は成功した。防衛戦という意味で捉えれば奈緒たちの完全勝利だ。
綱渡りの連続ではあったが、予備の作戦も幾つか用意していたし、勝てる算段は十分だった。
「遠征軍の兵糧を狙うのは常套手段、だよね」
奈緒は静かに呟くと、戦いの報告を受けるために部屋の中へと戻っていく。
幸先は良いが、勝利ではない。
撃破ではなく、撃退だ。根本的な解決にはならない。
今後の展開も含めて頭を痛める奈緒は、もう一度凄惨な戦場を振り返り、唇を噛み締めるのだった。