第81話【抹殺部隊】
「……皮肉なものだね」
周囲一体を緑で囲まれた天然の隠れ家で、ラキアスのヴァン王子はぽつりと呟いた。
柔和な表情を浮かべているが、その心境は複雑だ。
彼の右腕は肘から先が切り落とされている。毒矢が体全体に回る前に切り落とす、という大手術の後だ。
助かるかどうかは五分五分と聞かされていたが、こうして自分は生きている。
「我がラキアスと敵対する革命軍に、命を助けられるなんてね」
「ははは。何が縁となるか分からんと、そういうわけですな」
「……リーダー、殿下。お茶です」
「おおっ、ありがとう」
一室に匿われたヴァン殿下の眼前には二人の人物がいる。
革命軍リーダーのスレッジ・ウェイスター。顎鬚を立派にたくわえた希少種のミノタウロス族の中年男性だ。
傍らで給仕をしているのは、革命軍が拾った孤児の少女。人間だ。
生まれてすぐに捨てられていたため、革命軍に保護された境遇だと聞いている。名前はフゥと言ったか。
「最初に覆面で現れたときは、暗殺者かと見間違えたよ」
「申し訳ありませんな。革命軍の長たる者、無闇に顔を出しては危険が多すぎる、ということで」
「仲間にもほとんど見せてないんだって?」
「ここ一年くらいは戦いも激しくなりましてな。易々と覆面を取ることもできなくなりました」
気苦労の多そうな笑みを浮かべながら、藍色の覆面をひらひらと揺らした。
大国の王子を相手にするのに覆面では失礼に当たる、と思ったのだろう。機嫌を損ねては大事だ。
信頼の証、ということで素顔を晒した革命軍のリーダーには好感が持てる。
「さて。殿下。お話したいことがあります」
「私の処遇についてかな?」
「話が早くて助かる。我々革命軍は此度、殿下を浚って人質に取り、ラキアスに交渉を持ちかけるつもりでした」
「だろうね。目的は物資か、あわよくば政権かな?」
革命軍は各地を転戦しているため、常に物資や兵糧などの問題が付きまとう。
政権が目的なのかどうかをヴァンは知らないので、そう尋ねた。
革命軍リーダーのスレッジはゆっくりとかぶりを振ると、真面目な表情を作って口を開く。
「我々の目的は政権ではありません。戦争の抑止力です」
「…………」
「殿下の命を盾にして、他国侵攻を思い留まっていただくつもりでした。あわよくば現魔王が倒れるまで」
「父の命が長くないことについては知っているわけか」
リーガル家は人狼族の一族だ。
ヴァンは常に帽子をかぶっているが、外せば獣耳が外界に晒されるだろう。
人狼族の寿命は短い。人間と大して変わらないのだ。
既に老年の域となっている現魔王の父は、病気を患っている。その歳になってまで他国侵攻を考えているのだ。
「だけど、私は父に捨てられたよ。戦争の火種としてね」
「そのようですな。我々は当てが外れた、というわけです」
「私をどうする気かな?」
「どうも。せいぜい、今回の件でラキアスが戦争を引き起こそうとしたとき、殿下を民衆の前に連れていくだけですな」
なるほど、とヴァンは薄く笑って見せた。
大義名分が一気に瓦解すれば戦争は止められる。民衆の不満も爆発するだろう。
現政権も倒れることになりかねないが、まあいい。
戦争を起こしたくない、という思いなら己も同じ意見だ。
「ところで、フゥはしっかり殿下をお世話にしておられるかな? 粗相をしていなければいいが」
「彼女にはとても良くしてもらっているよ」
「……安心しました」
人間の少女は花が綻ぶように微笑んで喜びを表していた。
十歳前後の小さな女の子だ。その細腕で食事や洗濯などをやってくれている。
隻腕の身では日常生活もままならない。彼女の存在は本当に助かる。
「では、我らも忙しいので失礼します。殿下、ご養生を」
お茶を飲み干して腰を上げるスレッジを見送る。
基本、多くの兵が常駐していられない小さな隠れ家なので、ここにいるのは彼らを含めて十人に満たない。
有事のときに一気に集まり、ゲリラ活動をするのだろう。
見送りをしよう、と同じように腰をあげたときだった。
――――――耳を劈く轟音が鳴り響いた。
音量だけでも暴力的なそれは、隠れ家を吹っ飛ばすぐらいの威力を誇る魔法だったのだろう。
紅蓮の炎が巻き上がる。熱風が彼ら三人の肌を嬲った。
直後に悲鳴。入り口のほうで見張りをしていた革命軍の兵士の断末魔だった。
無遠慮な足音が近づいてくるのを感じて、スレッジは険しい表情を浮かべた。
「馬鹿な……隠れ家の位置が露見したのか」
即座にスレッジは覆面を被りなおすと、二人を庇うようにして身構える。
戦いを生業とするミノタウロス族の直感が、早鐘のように鳴り響く。
危険だ、危険だ、危険だ、と。
物陰に隠れたフゥが、不安げに瞳を揺らしながら悲鳴を上げた。
「……何事ですか、リーダー!」
「ラキアス軍だ。ここはオリヴァース領内だというのに、何故看破されたのかは分からんが……」
轟音は続く。
派手な爆発に舌打ちした。
隠すつもりは更々ないようだ。隠密に事を進めるつもりも、話し合う気もないだろう。
身を隠すよりも早く、ヴァンの私室を乱暴な足音が蹂躙した。
「おー、おー、おー。やべェな、当たりかよ。ラッキーってか、おい」
「はい、そのようですね」
現れたのは男女二人組を含む兵士十数名だ。
先頭に立つのは悪魔族の男だ。顔に幾つかの傷があり、濃い眉と軽薄そうな笑みが粗暴な印象を与える。
一歩後ろには少女の姿。見た目はまだ十代の少女に見える。
水色な髪、子供っぽい印象を与える。ヴァンは二人の姿を見て、唇を噛み締めた。
「最悪、かな……」
「確かに。そうかも知れませんな……」
「……?」
身内だったヴァンと、長らく革命軍のリーダーとして前線に立ってきたスレッジは彼らを知っている。
彼らを知らないフゥは首をかしげたが、尋常ならざる事態は悟ったらしい。
王子の服の裾を掴むと、不安げに息を呑んだ。
代表して水色の髪の少女が、明るい口調で告げる。
「こんにちはです。革命軍のリーダーとヴァン殿下、私たちが来た理由は分かるですか?」
「抹殺。ただそれだけだね? 『抹殺部隊』の総帥自らとは恐れ入るよ、スペルビア殿」
「いえいえ、仕事ですから♪」
にっこりと笑顔で応じる少女。
背後にはいまにも襲い掛かりそうな猟犬たちが、余裕の笑みを浮かべてジリジリと迫ってくる。
少女の名には似合わない傲慢の名を呼ばれ、彼女は満足げに微笑んで。
「綺麗さっぱり闇に葬っておかないといけないわけですよ、ヴァン殿下。もっとも、あなたなら気づいていたですよね?」
「月並みな台詞を吐くとね。地獄に堕ちるといいと思うよ」
「素晴らしいです。この状況においてなお啖呵とは驚きですっ、無能の王子はやっぱりポーズですよね?」
「君だけは油断ならなかった」
大国ラキアスの切り札。
並み居る将軍を顎で扱う非公式部隊、国の権限は宰相と同格という地位についた少女。
天才の名を欲しいままにした神童。
目の前にいる彼女は、背後にいる者たちを指一本で動かす。そういう女だ。
「軍師さんよォ、お話はそれくらいでいいじゃねェか。仕事をさせろよ、仕事」
「もうっ、今は一番の醍醐味なんですよ? 侘び寂びというものをもっと研究するべきです、アワリティア!」
「知るかよ、知らねェよ。傭兵あがりにそんなもん期待すんなよ」
不思議な名前だ。
抹殺部隊のコードネーム。古い書物の原罪の名を冠している。
初代から現代に至るまで、その名を襲名する組織。
一人一人が一騎当千の切り札と呼ばれているが、その実力はいかほどのものか。
「……殿下。お逃げを」
「…………」
「我が時間を稼ぎましょう。哀れと思うならばフゥを連れて行ってくだされ」
「………………分かった」
押し問答の時間はなかった。
行動は迅速だ。元は傭兵隊長のスレッジは抜群の経験と鍛え上げた肉体で、ヴァンが使用していたベッドを掴む。
「ぬぉぉおおおおおおおおおッ!!!」
スレッジがミノタウロス族の膂力を持ってベッドを放り投げる。
直後、ヴァンは左腕でフゥの小さな身体を抱えると、窓を身体全体で体当たりして割り、外へと脱出した。
地響きと共にベッドが彼らに叩き付けられる。
「……り、リーダー!」
「大人しくしてくれ。それが彼の願いだ」
突然のことに抵抗しようとしたフゥだが、ヴァンの言葉を聴いて大人しくなる。
覚悟は出来ているのだ。こんな小さな子供でも。
戦争をしている以上、内乱を起こしている以上、こういう別れを経験するのは初めてではないのだろう。
我が儘はヴァンの首を絞めることを理解した少女は、身体を震わせながら頷いた。
「いい子だ……」
優しげな声音でヴァンは彼女を褒める。
周囲は兵士数名が駐留していたが、幸いにも此処の隠れ家は四方を森に囲まれている。
逃げ切ってみせる、と意気込んでヴァンは走り出した。
◇ ◇ ◇ ◇
「おっとっと」
「やりやがる。さすが腐っても反乱軍のリーダーってかァ?」
アワリティア、と呼ばれた悪魔族の戦士が太い腕でベッドを薙ぐ。
破砕音と共にベッドは二つに叩き折られた。既にヴァンとフゥの姿がないことに気づいたが、軍師は笑った。
無駄な足掻き、と言いたいのかは分からない。
革命軍の柱が倒れたところで、新たな仲間が遺志を継いでくれる。それを信じてスレッジは猛る。
「来るがいいッ!!」
「私は弱っちいので遠慮するです。アワリティア、ゴーです」
「ははっ、待ってましたァッ!!」
粗野な雰囲気が膨張し、傭兵あがりの怪物が歓喜の雄たけびを上げた。
革命軍リーダーのミノタウロズ族は巨大な棍棒を取り出すと、野性的な絶叫をあげて突貫してくる。
抹殺部隊に所属するアワリティアは、懐から鉄の塊を取り出した。
武具ではない。黒い鉄製の何かだ。
バァンッ、という銃声が響き渡った。
銃声というのが正しい表現なのだろう。
見た目は精巧な銃そっくりだ。発射された弾丸は魔力を宿した風の鉛玉だ。
狙いは外れることなく、スレッジの右胸を打ち抜いた。
小さな破壊だと言うのに。内蔵まで風の牙で破壊されたスレッジは、ごばぁっ、と大量の血を吐き出した。
「な、に……ぐぶぅ……!?」
「なんだなんだ、何ですかァ、その様は? オッサン、俺様のこと知らねえの? がっかりだぜ、おい」
哄笑が炎上する隠れ家に響く。
軍師と呼ばれる少女は既にスレッジのことなど興味がないらしく、炎を鎮火するように兵士に指示を出していた。
紅蓮の炎に包み込んだ元凶は外にいる。
少女は可愛らしい白い帽子の中から伝達魔術品を取り出すと、冷徹に告げた。
「グラ? グラちゃん、王子が外に逃げたんで消しといて、です。女の子も一緒にです」
『んー? お仕事ー?』
「そそ、仕事です、仕事。あと、炎は禁止です。後始末大変です」
『んー、分かったー』
間延びする声に一抹の不安を感じざるを得ないが、あれでも組織の末席なので信頼しておく。
逃げられたのは失態だ。始末できれば幸いだが、失敗したときのことを考えておこう。
主に国に対する言い訳、という意味で。
「させるかァァァアアアアアアアッ!!!」
「うぜェ!!」
暑苦しい絶叫に、軍師スペルビアは笑顔を向けた。
彼の叫びは命を削った最期の咆哮だ。鬼気迫る、という表現が正しいだろう。
抹殺部隊の一人であるアワリティアが、煩わしそうに引き金を引く。
二度、三度、四度、五度。スレッジの身体が内外から抉られていく。
「足と目」
「あいよォ!」
冷徹に下された短い指示。
可愛らしい声音とは裏腹に、下された指令に容赦はなかった。
銃声が二度響き、風の弾丸がスレッジの両足のくるぶしを切り裂く。ずどん、と大きな音を立ててスレッジは転倒した。
踏ん張って起き上がろうとするスレッジだが、右目に無常にも弾丸が突き刺さる。
「がっ、ぁぁあああああああああああ!!!」
「惜しかったですね♪」
「ぐっ……我が倒れたところで、我が意思を継ぐ者たちがいる……これで終わったと思うな……!」
「お決まりの捨て台詞、素敵ですねっ」
慈しむように少女は微笑んだ。
血塗れの太い腕を伸ばして、どうにか一矢報いようとする革命軍の総大将に一言。
突き刺さるような宣告。
虫の息で地面に倒れるスレッジに無防備に近づき、愉悦を感じさせる声音で告げた。
「あ、連絡あったですよ。革命軍の皆さんは本日、皆殺しの憂き目に遭いました、です!」
「あ……?」
「ニードルード隊長。デュバク副将。アトモス司令。フィアルナ将軍。後は……ああ、カトラスさんも討ち取ったそうです」
一人一人。
革命軍の中枢を担う首脳陣の名前が挙げられていく。
表向きには革命軍に所属していることにもなっていないはずの、協力者の名前も。
「えっと、残りは切り込み隊長のソーイチロウと相棒のソフィアさんですか。ちょっと、こっちはまだ手が出せないですね」
「何故……」
「ごめんなさいです。皆殺しとまではいきませんでした。壊滅ですね、壊滅に訂正ですっ」
言葉をひとつひとつ、武器にして。
絶望の帳が下りていく。革命軍のリーダーの心を丁寧に折っていく。
着実にゆっくりと。猫が鼠をいたぶる様子を想像させる。死に掛けの勇者に呪いを掛けていく。
「……で、何でしたっけ。もう一度、さっきの言葉、聞かせてくださいです?」
「く……そ……」
最後の足掻きとばかりに腕を振るった。
苦し紛れとはいえ、ミノタウロスの膂力を持ってすれば少女の身体など肉の塊にできる。
豪腕が振り下ろされ、少女の身体を薙ぎ払おうとして。
重なるように銃声がひとつ。鮮血が舞った。緩慢に振るわれた一撃は少女に届かなかった。
「さようなら、です」
別れの言葉は囁くように告げられる。
眉間に風の弾丸を見舞われ、巨体が為す術もなく地に倒れた。
放っておいても出血多量で死亡していたに違いないが、トドメを刺したのは慈悲、というわけではない。
諦めない雑草の力を、彼女は甘く見ない。
「ご苦労様、アワリティア」
「礼は弾むんだろォなァ? 俺様は別にアンタの身体でもいいぜェ」
「きゃー、上司にそんなこと言っちゃ嫌ですよ?」
楽しげに微笑んで軍師はミノタウロスの死体を見やる。
正体不明の反乱軍のリーダー。
本来なら首都の広場に鎮座してある断頭台に乗せたいところだったろうが、既に彼は事切れている。
「覆面、取ってみるかァ?」
「……別に誰でもいいですよ。正体に興味はありません、です」
「死体は?」
「痕跡を残すのもアレなんで、河に流しちゃうことにするです。やれやれ、ようやく一仕事が終わったですよー」
煩わしいハエは退治した。
内乱は終結した。彼らの野望を阻む者は存在しない。
軍師は愉快そうに、何かを期待するような笑みを浮かべて、背筋の凍るような笑みを浮かべた。
「もっとも、私たちの仕事ってこれからが本番ですけどね♪」
哄笑が響く。
人の形をした悪魔がくすくす、と。
不敵な態度を崩すことなく、次なる仕事を心待ちにして。
◇ ◇ ◇ ◇
建国式から一ヶ月が過ぎた。
結婚の儀を行い、天城総一郎たち革命軍が現れ、セリナと心を通わせたあの日から一ヶ月だ。
世情は大きく動いていた。
動乱。あるいは戦乱の幕開けに相応しい。そんな状況になっていた。
「っ……」
険しい表情で奈緒は謁見の間の玉座に座っていた。
下座には彼の部下たる宰相、ならびに武官文官が並び立ち、一様に緊張感の漂う雰囲気を醸し出す。
一ヶ月の間、やることは多かった。
敵国、ともはや言わざるを得ないラキアスの情報収集。資金や武具の調達、兵糧の確保、隣国との同盟。
来たるべき大戦争の幕開けに備えていたのだが、革命軍の使者たちが沈痛な面持ちで言う。
「我ら革命軍は善戦しましたが……壊滅の憂き目にあいました。隊長も幹部たちも、戦死を」
「援助していただきながら、このような結果……申し訳ございません……」
「生き残ったのは、メンフィル城に滞在していたソーイチロウ殿やソフィア殿だけです……我ら末端も、ほとんど」
「そんな……」
信じられない、といった面持ちで奈緒は呻いた。
一ヶ月という短い時間で革命軍が打ち倒されてしまったのも、ほとんどが戦死してしまったのもだ。
彼らは隠れ家に潜んでゲリラ活動を行っていた。
革命軍の本拠地をラキアスはことごとく看破し、奇襲攻撃を仕掛けられ、全滅したのだという。
「魔王よ。奴らは動くだろうの」
「分かっている。革命軍の生き残りは僕たちが責任を持って保護するよ」
「魔王様……いま、ラキアスと事を構えるのは得策ではありませんが……」
「僕だって戦いたくない。けれど、敵の宣戦布告は近い。向こうは和睦や友好を結ぶつもりなんて、更々ないんだから」
国内ではラキアスと事を構えるべきではない、という意見も根強い。
世論は戦争をいかに回避するか、ということに関心が集まっているが、期待には応えてやれないだろう。
彼ら民衆は今以上の豊かさよりも、安定した生活を望んでいる。
事態を理解していない幸せさ、というべきか。頭が痛い話だが、回避する方法はない。
「降りかかる火の粉は払いのける。それだけだよ」
「はっ」
「オリヴァースとの連携もしっかりしないとね。後手に回るのは面白くないけど……今は相手の出方を見る」
「勝算はあるのでしょうか」
弱気な発言が目立つ。
宰相がぎろり、と厳しい表情で腑抜けたことを言った文官を睨み付けた。
身体を硬直させて小さくなる中年の魔族を見て、一抹の不安を覚えざるを得なかった。
奈緒はゆっくりと立ち上がった。
「僕たちの本拠地は旧クラナカルタだよ。ラキアスはナザック砦を破ることはできなかった。防衛戦なら利はある」
要塞ナザック砦は今も健在だ。
奈緒が破ったとはいえ、頑強な守りの信頼性は揺らがない。
戦争が始まるとなれば鉄の門を改良、改築し、土竜作戦や飛行部隊にも対抗できるよう処置をする。
大軍で攻めてこようとも、そう簡単に力押しはできないに違いない。
「隣国オリヴァースとは有事の際に協力を取り付けた。二国を合わせれば国力は彼らに迫れる」
「おお……」
「将の質でも劣るつもりはない。強大な敵だったギレンが、今では僕たちの国の将軍だ。心強いよ?」
列挙していけば、戦争が恐ろしい文官たちも納得がいったらしい。
戦意が高まっていくのを感じて、内心で一安心した。
戦う前から気持ちが敗北を喫していれば、それは現実のものとなる。人身掌握は最も必要な仕事だ、とテセラは言う。
「勇気を出そう、みんな。守るために剣を取る!」
号令は高らかに。
握り拳を固めて力強く宣言した。
全員が拳を握り締め、おうっ、と一糸乱れぬ統率で手を掲げた。
◇ ◇ ◇ ◇
「戦争が始まるな……」
奈緒の執務室。
魔王と教師は重苦しい雰囲気の中、これからのことについて話していた。
城に滞在して一ヶ月。革命軍とのパイプ役になっていた彼らは、そのおかげで助かったのだ。
心に残った傷は深いが。
「先生。ソフィアは……その」
「まだ泣いている。が、覚悟はしていたと言っていた。立ち直るさ……必ずな」
「そっか……」
残った革命軍は総一郎とソフィアの二人だけ、ということになった。
悪い知らせはまだ続く。
隠れ家を知られたことで、保護していたヴァン殿下も行方知れずとなってしまったのだ。
革命軍のリーダーが戦死した隠れ家に滞在していたらしいが、恐らくは一緒に消されてしまったと考えるべきだろう。
「スレッジの親父も、フィアルナ姉さんも、カトラスも死んだのか……俺はまだ恩義を返しきれていなかった」
「親しかったんだ……?」
耐え切れずに呟いた奈緒の言葉に、総一郎は頷いた。
何かを堪えるかのように。一言一言を区切って。一人一人に別れを告げるように。
「フィアルナ姉さんは革命軍のアイドルだったな。気丈な姉さん女房だった。馬鹿のアトモスには勿体無い嫁だった」
革命軍に所属していた夫婦の幹部を思い出し、一言。
区切りをつけるように別れを。
「デュバクはいけ好かない奴だったが、動物好きだったっけ。ニードルードは俺に破剣の術を手ほどきしてくれたよ」
個性豊かな同士たちの顔が頭を過ぎる。
世話になった戦友の顔が浮かんでは消えていく。
思想も考え方も別々だった彼らが手を取り合っていた。家族のような組織だった。
「カトラスはソフィアが好きだったな……告白する勇気はないくせに、戦場ではいつも一番槍だったよ……くそったれが」
最後に吐き捨てるように唇を噛み締めた。
戦争が始まる。親しい人も死んでいく。そういう別れを総一郎は現在、経験しているのだろう。
自分も失うのだろうか。セリナたちを失ってしまうのか。
絶対に失いたくない。失うものか、と心の中で強く誓った。
「狩谷。お前に重荷を背負わせてしまうが、頼む。力を貸してくれ」
「……はい」
「ラキアスの情報なら俺もソフィアも、何でも話す。戦いが来たら俺たちも戦う。仇のつもりはないが、ケジメはつける」
「分かった。うん、これから宜しくお願いします」
握手をしっかりと。
教師の手はごつごつとしてて硬かった。
戦場でも拳ひとつで渡り歩いてきたのだろう。岩のように硬くて冷たい手だった。
「で、勝算だが。現実のところどうなんだ」
「厳しすぎる」
あっさりと。険しい表情で奈緒は白状した。
執務室の椅子に座り、ふう、と大きく溜息をつきながら、備え付けのシーマの実を口にする。
甘い果汁が口の中に広がり、思考が活性化していく。
対面の椅子に座る総一郎はタバコに火をつけていた。ここは禁煙だが、今日ばかりは何も言わなかった。
「本当なら一年でも二年でも時間を稼いで、二国を合わせればラキアスを凌駕するぐらいになりたかった」
「だろうな。両国が息をぴったり合わせても足りないんだ。合わせられない可能性もある」
「この一ヶ月で先生の強さは分かった。だけど、ラキアスも強かった」
総一郎がどれほど強いのかを図ったことがある。
単体ではゲオルグに一歩及ばない。人間の限界だろう、消耗戦の末に負けてしまった。
相棒のソフィアと協力した場合は、ギレンにすら肉薄する。
彼女の魔法『付与』がとても相性が良いのだ。炎、氷、雷、水、風、地。そのいずれも使用することができる。
「六色かぁ、凄いな。僕より上だよ」
「俺はお前が魔法を使えること自体に驚きだが、実は珍しいだけでそんなに大したことないんだ、ソフィアは」
「どうして?」
「所詮は『付与』であって、自分本人じゃ戦えない。誰かに付与してようやく、って感じだからな」
症例としては珍しいが、現実的には第三者の力が必要だ、と。
剣でも槍でも拳でもいい。ただ、それでも利用価値はあまりなかった、と総一郎は苦笑いを浮かべた。
燃える剣や凍った槍、と聞けば格好良いが、なかなか使いどころが難しいそうだ。
総一郎曰くの天城流と完璧に合致したからこそ、彼らは相棒関係を結んでいるのだ、とか。
「話を戻そう。奴らは本当に人材が豊富だ」
「聞いてるよ。僕の部下には元ラキアスの人もいるしね……魔王と、宰相。三人の将軍と……」
将軍は一人で千人を指揮する存在だ。
三人もいなければならない理由は、彼らの兵力を全て掻き集めれば三千人を超えるということになる。
エルトリア魔族国で戦いを生業にしてきた者は五百人前後。徴兵すれば数は揃えられるが、烏合の衆だろう。
これだけでも頭が痛いことだが、総一郎は更に口を開く。
「抹殺部隊は知っているか?」
「……?」
奈緒が首を振ると、重苦しい声色で総一郎は溜息をつく。
指を絡ませるように組み、内緒話をするように奈緒の顔の近くに息を吹きかけるようにして言う。
「非公式部隊だよ。一騎当千の抹殺者」
「……いや、現実にそんな奴が……いや、いるのか、な。やっぱり……」
「俺たちは何度か拳を交えたが……何とか生きて帰れるぐらいだ。文字通りのラキアスの切り札」
教師はおもむろに立ち上がると、タバコの煙を窓の外に向けて吐き出した。
一応は気を使ってくれているらしい。タバコの煙は非常に有害だ。本当に何処から仕入れているのやら。
総一郎の表情は厳しかった。何かを堪えているようにも見える。
「革命軍のみんなは、ほぼ全員、奴らに殺されたと見ている」
「そんなに強いんだ……」
「将の質でも負けていないと言ったな、狩谷。だが、本当にそうか? 本気で奴らと渡り合えるのか?」
「できる」
言葉に迷いはなかった。
奈緒を支えてくれる彼らは本当の意味で信頼できる仲間たちだ。
負けるはずがない、という自負もある。
総一郎は満足げに口元を歪めると、タバコの火を消して、携帯している灰皿のような魔術品に捨てた。
「その意気だ、魔王閣下」