第80話【ゲームスタート】
(朝……?)
朝焼けが少年の視界を白く染め上げていた。
温かいベッドの上から中々起き上がれず、奈緒はごろり、と一回転して二度寝体勢に入る。
身体の節々に痛みを感じた。最近にしては珍しく筋肉痛のようだ。
龍斗と共に戦場を駆け回っていたときは、毎回この痛みに悩まされていたなぁ、と脳裏で回想する。
(温かい……居心地がいいな……)
単純な温かさではなく、心の中が満たされたような充実感に包まれていた。
幼い頃に母親に抱きしめてもらったときのような、無条件に感じる安心感が奈緒を包み込んでいる。
寝転がる際に右腕がだらり、と掲げられ、温かい何かを抱きしめる。
枕にしては柔らかい。何だろう、と寝ぼけ眼を開けて。
じぃっ……とこちらの顔を窺うセリナと目が合った。
柔らかい枕はセリナだったのかぁ、と納得した奈緒はもう一度、目を閉じて。
数秒間の硬直。珍しく回転が遅い脳がゆっくりと違和感を感じ取り、もう一度、奈緒は目を開けた。
再び見詰め合う視線。
今度は彼女の瞳だけではなく、乱れた髪や首から下にずっと続く白い肌や膨らみが目に入り、一気に爆発した。
「わあああああああッ!!?」
「っ……び、びっくりするじゃない、ナオ……」
「あ、いやごめ、え? あ、あれ……あ、そっか……」
混乱する思考に渇を入れて、何とか落ち着きを取り戻す。
深呼吸をひとつ。眠気など完全に覚めてしまったので、奈緒はゆっくりと身体を起こす。
慌てるな。慌てれば慌てるほどドツボに嵌ることは勉強した。
「お、おはよう。セリナ」
「ええ……おはよう、ナオ」
「えっと、何してたの? さっきまで」
「ナオの寝顔見てたのよ。男の人の寝顔は幼くなるって聞いたけど、本当ね」
赤面しそうになるが、もう一度深呼吸。
布団を剥いで机の上から水入りの瓶を取り出し、渇いた喉を潤した。
上半身が裸のままだったことに気づき、連想するように昨夜のことを思い出して結局、顔を赤くする。
振り向くと、セリナは布団を口元まで被って身体を隠し、上目遣いでこちらを見ていた。
「……」
何気なく手を伸ばして、乱れた彼女の髪を撫でてみた。
子供扱いしないで、と良く言われる行為だが、甘酸っぱい雰囲気が彼女に文句を言わせなかった。
気持ちよさげに擦り寄ってくる彼女が愛しくて、奈緒は自然に笑みをこぼす。
「もう、朝かな」
「……ちょっと寝坊してるわ。太陽の位置が高いもの」
「うわ、まずいなぁ。革命軍の件を協議しないといけないのに」
「ナオ、もうちょっとだけ」
「……うん」
手を握られたのであっさり前言を翻す。
この雰囲気にもう少し浸っていたい、という気持ちがあった。こんなに穏やかな心でいられたのはいつ以来だろう。
反比例するように身体は痛いが、恐らくそれは彼女も同じはずだ。
緩慢な動きで起き上がり、必要最低限の衣服だけ整えて、もう一杯水を口に含んだ。
視界の端でセリナが気だるそうに身体を起こす。
「大丈夫?」
「……ええ。少し身体が軋んでるし、違和感もあるけど……」
「ご、ごめん」
「謝るのは悪い癖って、誰かに言われなかった? っと、ナオ。あっち向いてて」
愉快そうに彼女は笑うと、窓のほうを向くように言う。
純粋に首を傾げると、彼女は頬を朱色に染めながら、いいからっ、と睨み付けてきた。
言われた通りに振り向くと、背後で衣擦れの音がした。
着替えているみたいだけど。セリナの衣服が奈緒の部屋に置いてあるはずがなく、白無垢のドレスを着るわけもいかず。
「借りるわね」
「え?」
「こっち向いてもいいわよ」
「……もう?」
振り向くと、奈緒の白シャツを着用したセリナがいた。
男としては小柄な奈緒だが、女の子相手には十分な大きさだったらしい。
一目見て際どいワンピースみたいで、うわぁ、と内心の動揺を隠し切れずに呟いてしまった。
龍斗がロマンだ、何だと語っていたのを思い出して、今なら少し気持ちが分かる気がした。迎合はしないが。
「水浴びにいかないと……」
「この格好で表を出歩くのは少し恥ずかしいわね。誰にも逢わずにいければいいのだけど」
「ラピスにお願いしよう」
昨夜も侵入者の件で活躍した伝達魔術品で、周囲の警備を担当しているラピスに連絡を取る。
近衛兵に頼んで銭湯までの道を人払いさせるのだ。
特権の無駄遣いではない。近衛部隊とは、そうした王族の細々とした願いも聞き入れる集団のことを指すのだ。
「ラピスが来てくれるって」
「助かるわ。ちょっと一人じゃ歩けるかどうか分からないしね……」
「……そんなに痛いものなの?」
「尋ねないのが紳士の礼儀よ、ナオ」
そんなこんなで今日も一日が始まる。
建国式の翌日は快晴。いつもより遅い朝食を取ったあとは、激動の政治生活が待ち構えている。
短い逢瀬を楽しむように、奈緒はもうしばらく彼女の頭を撫で続けるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
甘酸っぱい逢瀬の後は、魔王としての仕事だ。
秘書のように隣に座るセリナが書類を読み上げ、メイドや文官たちに指示を送っていく。
執務室で取り掛かる仕事の多くは、民衆からの要望書だ。
宰相補佐のマーニャたちが書類を選別し、王の判断が必要と思われたものだけが、奈緒のところに回ってくる。
「村近辺の大型魔物を討伐依頼ね」
「ゲオルグのところに送ろう」
「今年度の増設についてだけど、砂漠地帯に道路を作って交易をしやすくする件について」
「増築内政はテセラの担当だね。彼女の意見を聞こう」
数ヶ月ほど王の政治を担当して理解したことがある。
何でも一人で決めることはない。政策の方向は会議や謁見で決め、細部は担当の首脳陣に裁いてもらう。
奈緒の仕事は最終的に魔王の承認が必要な書類に、押印を押すことだ。
秘書となったセリナの報告を耳で聞きながら、奈緒は書類に判子を押す作業を続けていた。
「俺も手伝うべき?」
「あ、お願い。ほんとは頼んじゃいけないけどね」
「書類に判子押せばいいのか?」
「そこにある書類全部ね。実は内容だけ建国式の前に確認したから、文字は読めなくても大丈夫」
同席していた天城総一郎が苦笑気味に頷いて、押印を押し始める。
元々書類の中身自体、奈緒は読めないので確認したのは宰相のテセラと、補佐の皆様だ。頭が上がらない。
執務室の中には近衛隊長のラピスと革命軍の幹部、ソフィアも一緒だった。
「さて、と。ソフィア、でいいかな」
「は、はいっ」
「楽にしてくれていいよ。僕もそのほうが楽だから。……あ、宰相が来たら注意してね、睨まれるんだ」
柔和な笑顔を浮かべると、釣られるようにソフィアも微笑んだ。
彼らを執務室に招いたのは他でもない。
昨日の案件。革命軍に対する援助について結論が出た。少し遅めの会議で知らされたのだ。
多少紛糾したが、概ね意見は一致した。
「さて、援助の話だけど。僕たちも協力させてもらうことにしたよ」
「っ……あ、ありがとうございます!」
「ただ、残念だけど僕たちも新国家を立ち上げたばかりで財政は苦しい。気持ちばかりのことしかできないけど」
そこが妥協点でもあった。
戦争の抑止力という扱いならば、援助は永久に続けなければならない。
幕僚たちの間でも反対の声はあがったのだ。
最後は魔王と宰相の意見が一致した、ということで合意はしたが、火種を増やす意味でも歓迎はされていない。
「それで十分です!」
「具体的な話はまた。今日の分の仕事はもう少しで終わるしね。城の中を案内するよ。……いいかな、セリナ?」
「ええ、そうね。そうしてあげましょう」
「それがしもお供をします」
あっと言う間に大所帯になっていき、最後に総一郎が「俺を置いていくなよ」と付け足した。
城内散策のメンバーは五人に増えて何だか楽しそうだった。
心置きなく仕事を手早く終わらせることに専念して、心地よい無言が執務室の空気に漂い続けていた。
◇ ◇ ◇ ◇
「革命軍のリーダーよ、オレの従兄なんだわ」
「ええええっ!?」
散策を開始して十数分後。
中庭で仕事をサボって昼寝をしていたゲオルグは、唐突にそんなことを口にしてソフィアを驚愕させていた。
昨夜の一件と行方不明の部下たちの件で夜通し警備を続けていたらしい。
国公認のギルドの長。初日早々にこんなことでは先が思いやられるが、深く追求はしなかった。
「た、確かにスレッジさんはミノタウロス族なんだけど、びっくり……」
「オレたちの一族は根っからの傭兵稼業でな。若い頃から出稼ぎに出てたんだが……生きてたようで安心した」
「連絡も取ってなかったの?」
「そういうもんだ。風の噂でミノタウロス族が革命軍の長になった、って話は知ってたから、そうだとは思ってたがな」
はー、と人狼族の少女は感心したように眼を見開きしていた。
縁が何処にあるのか分からないねー、と奈緒を初めとした面々も苦笑を浮かべている。
総一郎は一行から少し離れたところで、タバコを嗜んでいた。
教師は何か考えるような素振りを見せて、もわもわと煙を口から怪獣のように吐き出した。
「アンタとスレッジの親父はどちらが強いだろうな」
「試したことはねえが、興味はあるな」
「実は俺、入団したてのときにスレッジの親父と組み手で引き分けたことがあってだな」
「ほう……」
面白いことを聞いた、と言わんばかりにゲオルグが笑う。
戦人の目だ。傭兵として、武士としての血が騒ぐのだろう。全く脳みそまで筋肉が多すぎる。
「……ん? お前、ミノタウロス族はオレが初めてとか、知らねえとか言ってなかったか?」
「実はですね。スレッジさん、覆面してるんですよ」
「俺の中のリーダー像は図体のでかい覆面親父、だ。ミノタウロス自体は初めて見たんだよ」
「なるほどなぁ……まあ、いい。ちょっと顔貸せ」
「……あ、あれ。なに、この不穏な空気。どうしてゲオルグさんは不穏な感じで立ち上がるのよ……?」
素の喋り方に戻ったソフィアが、嫌な汗を流して一歩後退する。
奈緒は溜息をつくと、人狼族の少女の手を引いて彼らから距離を離し、投げやりに告げた。
「喧嘩するなら表でやってね」
「いやぁ、どうにも血が疼いてなぁ、ふふふ」
「お前さんとは良い酒が呑めそうだなぁ、ははは」
「うん。仲良く肩を組んで城の中から出て行ってね。お願いだから」
消えていく後姿。
似た者同士の馬鹿な大人たちの背中を眺め、奈緒は静かにもう一度だけ息を吐く。
願わくば彼らの喧嘩が、城の中で行われませんように。
こっそりと手を合わせる魔王の姿は、ソフィアの目には何だか滑稽に映るのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
河岸を変えてラキアス領内。
鉄の採掘が行われる鉱山や、単純に広大な大地が延々と続いている。
砂漠に囲まれたエルトリア魔族国や、森と水に囲まれたオリヴァース国よりも殺風景な雰囲気だ。
大陸の東を何日もかけて歩くと、砦や町が目立つようになってくる。
東の最奥の都市。中世ヨーロッパの豪華な城を連想させる華美な装飾の建物がある。
「らん、らん、らん」
覇者ラキアスの首都。
地方最大の内乱『アンドロマリウスの変』と、それに伴う粛清の嵐の象徴。
断頭台を中央広場に設ける厳かな城砦の中を少女は歩いていた。
軽い足取りで廊下を歩く少女の姿は、何処となく場違いな印象を受けるが、警備の兵は咎めない。
「困ったです。困ったことになりました、です。面倒ですねー」
可憐な笑顔が特徴的な少女だった。
街中で見かければ幸せそうに微笑む女の子だな、と微笑ましい印象を憶えるに違いない。
聖歌隊のような白い帽子を頭に被り、動き辛そうなヒラヒラの服に身を包んでいる。
彼女は廊下を無遠慮にぺたぺたと歩くと、厳かな雰囲気を感じさせる鉄製の扉を、ぎぃ、と押し開ける。
「こんにちはー、ですよ」
「来たか。軍師よ」
扉の向こう側は馬鹿みたいに広い謁見の間だった。
直線で百メートルぐらいも敷き詰められた赤い絨毯の上を、軍師と呼ばれた少女は踏みしめていく。
玉座には威厳たっぷりに腰を下ろす壮年の王がいた。
声音は重厚な威圧感を放ち、口元に蓄えられた髭が長い年月を感じさせる。
「こんにちは、魔王様。お呼びと聞きましたですよ?」
「ヴァンの件はどうなった」
「皇子の? ああ、微妙ですね。十重二重に保険をかけておきましたけど、死体を確認していないです」
魔王と呼ばれた壮年の王が、ぎらり、と少女を睨み付けた。
睨まれただけで身体が堰きかしてしまいそうなほど、王の眼光は鋭い。並みの者なら泡を吹いて倒れてしまうだろう。
曖昧な報告などを待っているわけではない。
確実に、完璧に任務を遂行することが貴様らの役割だろう、と厳しい眼光が語っている。
「あれは危険だ。惚けた昼行灯のような振りをしておるが、そうではない」
「心得ているですよ」
「貴様らに期待しているのは完璧な抹殺だ。それを、微妙だと? 今すぐ奴隷に落として泣き叫ばせてやろうか」
「きゃー。老いてなお盛んなのは結構ですが、私も身持ちは固いつもりですので」
軽薄な言動の裏側で、少女の醸し出す雰囲気が即座に切り替わる。
口元に浮かべられた笑みが深くなり、可憐な瞳が細められる。
愉しんでいるのだ。
常人には理解し得ない。彼女の本質がだんだんと浮き彫りになっていく。
「ネズミが邪魔でしてね。ちょっと撒き餌が欲しかったのですよ」
「なんだと?」
少女の言葉に王の表情が気色ばむ。
謁見の間には二人だけ。周囲には誰もいないことを確認した軍師の少女は微笑んだ。
内緒話をするように声を潜めて、珠のような声音を転がした。
「商人ギルドには情報を取り扱ってる面白い組織があるんです。確か『ケーニスク』と言ったですか」
「それがどうした」
「革命軍のアジトの情報を売るそうです。全十八箇所。殿下もその内のひとつにいるそうです」
「信用できるのか」
「お金は全てが終わったあとで、という契約です。デマを口にして国を敵に回すほど愚昧ではないかと思うですが」
覇者の王はふむ、と短く息を吐くと、考え込むように沈黙した。
居心地の悪い静寂が訪れる。常人なら冷や汗のひとつでも流すだろうが、軍師はニコニコと笑い続けていた。
静寂が打ち破られたのは数分後だった。
「貴様に一任する。必ず仕留めろ」
「私の組織の総力をもって」
「頼むぞ、スペルビア」
「世襲された名前を仕事以外で呼んで欲しくないのですが……まあ、いいです」
微妙そうな笑みを初めて浮かべた軍師は、行きと同じく軽快な足取りで踵を返す。
彼女の小さな後姿に威圧感をこもる問いかけが届く。
「どれくらい掛かる」
「一ヶ月もあれば八割がた駆除できるですよ。ではでは、朗報をお待ちください、ウォルバート陛下♪」
去り行く彼女の背中は何故か、とても不気味に見えて。
覇者ラキアスの魔王は険しい表情で少女の後姿を追い続けた。彼女の姿が消えるまで。
油断ならない女だ。どいつもこいつも。
小さく魔王は吐き捨てて、玉座にどっしりと腰を下ろして瞑想を始めるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
「ローシェ!」
「うゆ?」
巨大な城の中庭を歩いていたら、精悍な顔立ちの美青年に名前を呼ばれた。
人狼族だ。黒いマントと青い鎧を身に着けた二十歳すぎぐらいの青年は、見惚れるほど綺麗な瞳を鋭くしてやってくる。
厄介な人に逢ったなぁ、と軍師は溜息をついたが、無視もできない。
「アルフ殿下、ご機嫌麗しゅう、です」
「そんなことはどうでもいい。兄貴はまだ戻らないのか。もう帰ってもいい頃合だろう」
現魔王の次男、アルフ・バラム・リーガル殿下。
軍事の才能に恵まれ、民衆の人望も厚い。父親から良い才能を受け継いだ、と評判の秘蔵っ子だ。
跡継ぎは嫡男のヴァンよりも彼のほうが、という声も大きい。
三人も在籍する将軍の地位の一角に立ち、国に貢献もしている。
「そういえば遅いですね。私の手の者に迎えに出させるですか?」
「いや、それには及ばない。俺の兵に捜させる」
「そうですかー」
彼ら兄弟は非常に仲が良い。
蛮族国とも言える新国家の式典に出て大丈夫だろうか、という不安があるのだ。
軍師ローシェは内心で薄く笑った。
彼女は兄の行方も命運も知っている。それを御くびにも出さずに笑みを浮かべた。
「早く帰ってくると良いですねっ」
「ああ、そうだな。全く兄貴は日和見過ぎて心配だ。早く顔を見せて安心させて欲しいよ」
「ふふっ、どちらがお兄様か分からないですね?」
演技をしよう。
平和な世界で生きる一人の女官の演技だ。
笑うのは得意だ。泣くのも得意だ。自然な笑顔を引き出すのは得意だ。
大抵はそれで何とかなる。少女はそれを知っている。
「アルフ殿下は訓練の帰りですか?」
「ああ。今終わったところだ」
「羨ましいです……私なんてこれから仕事の山がどっさり、ですのにー」
「ははっ。手伝う気はないが、頑張れ」
「はーい」
仕事があるのでこれで、とローシェは頭を下げて中庭を立ち去った。
表向きはただの女官の一人。本名のローシェはこちらで、周囲の目を欺いている。
本当の仕事では『スペルビア』と呼ばれている。ちょっとしたコードネームのようなものだが、あまり好きではない。
「さ、忙しくなるですよ。お仕事、お仕事」
明るく振舞って城下町へと降りていく。
情報屋との合流場所を頭の中で反芻し、普通の町娘の振りをして人ごみの中へと入っていく。
仕事内容はいたって簡単。
刺殺、絞殺、撲殺、斬殺、轢殺、圧殺、完全抹殺。
情報を得てー、仲間を集めてー、計画を練ってー、と頭の中で愉快に組み立てながら、擬態した少女は微笑んだ。
◇ ◇ ◇ ◇
更に河岸を変えて。
商人ギルド『ケーニスク』本拠地はラキアス領内にある。
全体から見れば小さな組織だ。構成員は十人に届いていないし、大して物流も流れていない。
一人一人が変わり者であることから、大きな組織とは言いがたかった。
「んー、愉しそうですね、はい。駒が揃ってきました」
「戦争が楽しいと?」
「愉しいじゃないですか。あなたのお友達が命をかけて戦うのですよ。美談じゃないですか、はい」
「ふざけているよ」
軽口を叩く『赤髪』の対面に女が座っている。
険しい表情の高校生ぐらいの少女だ。とある学園の制服に身を包んだ彼女は不機嫌そうに舌を鳴らす。
二人に挟まれた位置には机があり、机の上にはチェスが置いてある。
白黒に別れた駒を拾い上げ、赤髪は薄く笑う。
「どちらが勝つと思いますか?」
「決まっている。狩谷と鎖倉。国と国が、じゃない。君たちと彼らの戦いが」
「囚われの姫君は勝気ですね、はい」
「外道」
茶色の髪を後ろで結んでポニーテールにした少女は、嫌悪感と共に吐き捨てた。
人の命を利用した死亡遊戯だ。悪趣味以外の何物でもない。
不愉快で仕方がなかったが、彼女は抵抗できない。一室に幽閉されてもう半年以上だ、気が滅入りそうになる。
無断で外には出ることがあるが、逃げ出すことは許されていない。
「私はあの日、殺されてこの世界に来たけど……やれやれ。想像以上に彼らは私を待たせるもの」
寝ぼけまなこを凛々しく整え、噛み付くように赤髪の商人を睨み付ける。
愉快そうにくつくつ、と商人は笑っていた。
「身代わりになったというのに、随分と暢気な様子ですね、はい」
「……喋りすぎた。この話はやめよう」
「彼らはあなたのことを知らない」
「本当はそのほうがいい」
胡乱な瞳で彼女は言う。
囚われの愚か者など忘れてくれれば良いのだ。
見捨ててしまえば、少なくともこの世界で幸せに生きていける。
「それでも、信じているのですか?」
「それが女というもの。忌々しいことに」
複雑な心境を心の中に抱いて、いいんちょー、と呼ばれた少女は窓の外を見やる。
人質のような今の彼女は籠の鳥。
昔を思い出して懐かしむばかりの幽閉生活を送りながら、約束が果たされる日を待ち続けている。
商人はチェスの駒を盤上に並べ、愉快そうに宣告した。
「さあ、ゲームの始まりです。エルトリアと、オリヴァースと、ラキアス。そして私たち。何人の駒が倒れることやら」
楽しみですね、と相槌をマナと呼ばれた少女に求める。
生憎と彼女の興味は既に、買い与えられた世界の理についての本に向けられていた。
精一杯の強がりを愉しんだ赤髪は、失笑を浮かべてチェスの駒を動かした。