第77話【結婚の儀(後編)】
「……緊張する」
荘厳な雰囲気の中で結婚の儀は執り行われたが、奈緒は誰にも聞こえぬように呟いた。
神父様が神の名の下に愛の誓いを復唱させる、という段取りではない。
魔族の結婚の儀は種族によって違うとまで言われている。
奈緒とセリナの結婚の儀は、公爵家だったセリナの願いで、悪魔族のモノが採用されることとなった。
早い話がお披露目の儀式だ。周囲の人々が見守るなかで、舞踏会を執り行う。
「大丈夫。私がリードしてあげるわ……ナオはゆっくりと慣れていって」
緊張の色を隠せない奈緒を、セリナの優しげな声が包み込んだ。
設置された祝福の鐘が鳴らされ、来賓者はそれぞれダンスの相手を捜し始める。舞踏会開始の合図だ。
白無垢に覆われたセリナの小さな肩に右手を置き、左手を腰に回す。
愛しい人は可憐な笑みを浮かべて囁いた。
「悪魔族の披露宴は舞踏会なの。優雅でしょ?」
「ぼ、僕は踊ったことなんてないんだけど」
「昔ね。父様と約束したの。結婚式では父様の前で、誰もが目を奪われるようなダンスを踊ってみせるって」
果たされない約束を今日まで憶えていたのだ。
目の前に父はいないが、自分を見守ってくれると。だから結婚式を挙げる娘を温かく見てくれていると信じて。
少女の白い手が奈緒の肩に掛けられ、腰に回された手を解いて握り締める。
柔らかい少女の肌が、手を通じてじぃん、と伝わってくる。
「セリナの父さんは、見てるかな」
「見てるわよ、きっと。……ナオのお父様やお母様は?」
「ちょっと、無理かな」
「残念ね。せっかくご健在なのに。異世界へと渡る方法でも、長い時間を掛けて探してみる?」
言葉遊びをしながら、最初の音楽が掛かるのを待った。
相手を探す来賓者たちも、次々と相手を見つけて手を重ね合わせている。
社交場のような空気になれない傭兵たちなどは、恐らく離れた広場で町民たちと宴会を行っているだろう。
警備隊長のゲオルグを初めとして、ギレンとセシリー。それにマーニャとユーリィが向こう側だ。
「それもいいかもね。全部終わったら……その次は、元の世界に戻る方法かな」
「龍斗と別々の肉体に戻る、って目標もあると思うけど?」
「うん……やること、たくさんだね」
最初の曲が掛かった。心が洗われるような静かな流水をイメージしたものだ。
初めて聞く曲でどう動けばいいのか分からない。
戸惑う奈緒の頬に軽く手を当てて、セリナは落ち着かせるように微笑んでみせる。
「私と左右非対称の動きをして。ゆっくりゆっくり慣れていきましょう?」
「う、うん」
言われた通りに固まりそうになる身体を動かす。
相手の足を踏まないように気をつけてステップを踏み、流れる水をイメージして進んでいく。
最初は足だけに集中し、徐々に視線をセリナへと戻していく。
下を向いたまま踊ってはいけない。相手の瞳を見て、心を通じ合わせるようにして舞う。それが舞踏の作法だ。
「話の続き、だけど」
「なぁに?」
「これからのこと。セリナの目的はまだ果たされていない。それをどうするかってこと」
「……うん」
結婚の儀の最中に話すことじゃないのかも知れない。
今だけは幸せの流れに身を寄せていたい、という願望は二人の中に確かに根付いている。
だが、それは確認しなければならないことだ。
お互いの擦れ違いがないように。これからも手を取り合って、一緒に堕ちていけるように。
「しばらくは現状維持って形になっちゃうと思うんだ……それで、いいかな」
一曲目が終わり、続けて二曲目が流れる。
今度は火のように情熱的に。相手を求め合う求愛の意味合いが込められた曲だ。
激しく。何処までも激しくて、それでもなお、優雅さを忘れない。
早くなったステップに身体を慣れさせていき、どうにかセリナの動きについていけるようになった頃、彼女が答える。
「それが最善なら。私は何処までもあなたの策に乗るわ」
一刻も早く復讐を晴らしたい、という思いを呑み込んでくれた。
現状維持という言葉はお互いの願いでありながら、建前としてどうしても口に出来ない言葉だった。
国力増強、地盤を固める。これが最善手なのだ。
馬鹿正直に戦争を、次の戦争を、という策は不可能だ。いずれ内部から瓦解することが目に見えている。
「私たちは駆け足でここまで来た。次はじっくり腰を据えるべき……そうでしょ?」
「……うん。そう……それに」
「それに?」
聞き返すと、奈緒は頬を少し赤くすると曖昧な笑みを浮かべた。
気恥ずかしいという想いが先行したが、この場の流れと雰囲気に当てられて口に出た。
「セリナと少しだけ、ゆっくりとした時間を過ごしたいな……」
「……ええ」
復讐という意義で始めた戦いだ。
意義が平穏の享受によって擦れていくのを感じた。
赦されないことだと二人とも分かっている。無念を晴らすための戦いの最中だと理解している。
ただ、少しだけ。少しだけでいいから。
微温湯に浸かった安寧の日々を。走り続けた者たちに休息の日々を。二人はこの時、願っていた。
◇ ◇ ◇ ◇
「楽しんでおるか?」
「テセラ殿……」
舞踏会が第三曲を過ぎ、第四曲へと移行していくときだ。
目を奪われるような美しい舞踏を見せている主を、静かに見つめ続ける人影にテセラは声を掛けた。
祝いの席に帯刀はせず、常時の袴姿ですらない。
護衛剣士はこの結婚の儀において、一人の女として薄茶色のドレスに身を包んでいた。
「正直言って……夢のようなのです。お館様を失って、お嬢様も失いかけて……」
「結婚の儀まで来たぞ。見よ、あの幸せそうな顔を」
「ええ。本当に」
剣士にとっては養父が残した忘れ形見であり、主でありながら妹のような存在だ。
彼女の幸せのためなら人でも魔でも斬ろう、と誓った。
願いは叶えられた気がする。
夢見心地、と言わんばかりの晴れやかな笑みをラピスは浮かべていた。
「お主は踊らんのかの?」
「それがしは無作法者ですから。刀と紅茶の入れ方ぐらいしか学びませんでした」
「妾も同じよ。何を間違えたか、宰相などに成り上がってしまったがの」
「首脳陣が全員、成り上がりものですからね」
一地域の長が宰相に。
敵対国の隊長と副隊長に、傭兵隊長。立場ではなく、実力を考慮した布陣と言える。
白いテーブルクロスの上の皿に乗せられた木の実を、テセラはひょいと摘み上げた。
口にすると豊潤な甘みが口の中に広がる。
「シーマの実を工夫して調理したようだの。本来の王族貴族様はどういうものを食べるか、妾は知らんが」
「トロールなどの魔物を調理したオードブルが一般的ですが、お嬢様はあまり好まれないので」
「国家予算もあまりないから、と言うしょっぱい事情もあるがのう」
「食事の内容や式の規模は、この際、どうでもいいのかも知れませんよ?」
違いない、とテセラは笑みを浮かべた。
四曲目が終わると同時に小休止が入る。踊り疲れた者たちが相手に別れを告げていく。
小休止の後は、もう一度舞踏会だ。
今度は魔王や皇后も別の相手を見つけてエスコートをする、という段取りらしい。
「カリアスが喜びそうじゃ」
「早速、ラフェンサ殿の制止を振り切ってお嬢様のところに行きましたね……」
「アレも複雑な心境なのよ。これぐらいのことは良いじゃろ」
「しかし、何故……」
護衛剣士は首をかしげていた。
本来の礼式では魔王と皇后は相手を変えるようなことはない。
結婚の儀で相手を取り替えて踊る、というのは不義の意味合いが込められている、と毛嫌いする者がいるからだ。
来賓者がオリヴァース国の関係者と商人ギルドぐらいしかいないから良いが、どうしてそんな段取りにしたのか。
「おー、見つけた見つけた。色っぽくなってるなぁ」
「ひゃっ!?」
聞き覚えのある野性的な声が背後からして、思わずラピスは飛び上がってしまった。
振り向くと姿形は魔王そのものの人影がある。
礼服に身を包んだ、覇気に溢れた青年の瞳は常時の翡翠色ではなく、燃え上がるような赤色に染まっていた。
「なるほどの。段取りで『別々の相手を見つける』のを導入したのは、そういうことか」
「奈緒がさ。俺も披露宴を楽しんでほしいってよ」
「不便だのう。お主たちも」
「半年も経過したら、さすがに慣れるぜ? っと、それよりも……」
龍斗の目線が野暮ったい袴姿から、女を強調するドレスに身を包んだラピスへと向けられる。
野性的というより無邪気な子供のような笑顔を浮かべて、龍斗は手を差し出した。
戸惑う剣士は一歩下がりながら、引き攣った笑みを浮かべる。
「な、何でしょうか?」
「踊るぞ。俺たちも」
「む、無理です! それがしは踊りなどしたことがありません!」
「大丈夫大丈夫。俺は部活の助っ人で舞踊の大会に出たこともあるし、奈緒とセリナのダンスで感覚は掴んだし」
前半の言っている意味が分からなかったが、ラピスとしては震え上がる誘いだった。
自分の無作法で龍斗に恥を掻かせたくないし、満座で失敗などしたら魔王の面子も潰してしまいかねない。
お誘いは嬉しいのですがもっと素敵な人があちこちにーっ、と顔を赤くしたり青くしたりしながら捲くし立てる。
龍斗は半泣きの護衛剣士の手を掴むと、ずるずると引っ張っていってしまう。
「それじゃ、俺たち踊ってくるから」
「くっくっく……ああ。妾はここで楽しく見させてもらうの。楽しんで来い」
強引に引っ張られていくラピスは、これ以上の抵抗は逆に恥を掻かせることになると察したらしい。
借りてきた猫のように大人しくなると、舞踏会のステージへと上がっていく。
涙目で「どうなっても知りませんからね……」と肩を震わせながら答えるラピスを、宰相は孫を見るような瞳で見つめるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
「良いですね。彼らはここで幸せを掴んでいる。ガーディ風に言えば、実に『ア、レルヤ!』でしょうか、はい」
「……楽しそうですね、赤髪」
「楽しんでますよ。私は中々どうして、魔界という世界を愛してますとも」
披露宴の端っこで商人ギルド所属の二人は密会をしていた。
頭の上にリキュームという警戒心の強い動物を乗せたまま、こくこく、と果汁の飲み物を煽るエリザ。
魔導人形ながら、仕草も身体の作りも、人間らしいとしか思えない。
製作したガーディはつくづく天才だ、と道化の商人は思う。
「あなたも楽しそうだ。ガーディの元で補佐をしていたときとは比べ物にならないほど、充実しているようですね」
「……そんなことはない。命令は忘れていない」
「結構。生活を楽しんでいただきたいものです、はい」
柔和な笑みを浮かべる商人。
恐ろしいのは雰囲気に一切の悪意を感じられない、その道化師の笑顔だ。
百人が見れば百人が善人だと思わせられるだろう。
悪人かどうかは知らないが、ガーディとの会話の節々を聞く限り、善人でないことは間違いないのだが。
「……では、エリザ。エルトリア魔族国で集めた情報を」
「…………この記憶メモリに保存している。私が知っているのはこれだけ」
「構いませんよ。貴女が目で見て、耳で聞いて、感じたことを『記録』として残していただければ、はい」
獅子身中の虫。
情報を記録して彼らの組織に流す。それがエリザに渡された命令だ。
心は痛まない。痛める心などない。
少女の心は人間らしく、という願いに沿って魔術品でプログラムされた、借り物の心なのだから。
借り物の心のはずだから。
「…………」
「どうしました、エリザ? 内部の部品に不調でも? 顔色が珍しく曇っているようですが」
「……何でもない。私の核の部分が少し軋んだ気がしただけ」
「それはいけませんね……貴女はガーディの虎の子の作品です。換えの利かない人材なのですから、ご養生ください」
真剣に心配する素振りを見せる商人。
何処まで本気か分からないが、エリザは曖昧に頷いておくことにした。
定期的に行われる命令を遂行するだけ。エリザに下された指令はそれだけだ。
人間における心臓の部分がじくり、と痛んだ気がしたが……エリザは何も気づかない振りをして、人ごみの中に消えていく。
◇ ◇ ◇ ◇
「祭りじゃーーーー!!!」
おぉぉぉおおおおおおおおっ、と轟音とも言うべき絶叫が響いて、木で作られたコップを叩き合う音がした。
傭兵と兵士たち合わせて五十名近い男たちが、酒場に繰り出して祝杯を挙げていた。
城塞都市の酒場はそれなりの数があるが、何処も同じような光景に違いない。
町民たちも含めて、傭兵たちは盛り上がりを見せていた。
「緊張感ねえな……いや、まあ、今日ぐらいはいいけどよ」
「取り逃がした傭兵たちもまだ捕まっていないのに。気を抜きすぎよ、皆。死ねば良いのに」
「…………」
端っこのほうで三人の人物が酒を飲んでいた。
正面に座るゲオルグは飲み比べをして引っ繰り返る己の部下を、呆れ顔で見つめ続けている。
解散したはずのゲオルグ牛鬼軍は、新国家によって丸々登用されることとなったのだ。
再びゲオルグと一緒に仕事が出来る、と喜んでいた彼らは、建国式とは別の理由でハッピーなのだろう。
「いや、面目ねえ。都市にあいつらがいないことは確約していいんだが」
「そうかしら? 何か起きたときにしっかり動けるんでしょうね? そもそも、何かが起きることも許されないんだけど」
「セシリー、言い過ぎだ。ゲオルグは良くやった」
「ギィは少し黙ってて」
酒をもう一度飲み干したセシリーは、凛とした姿で傭兵隊長へと文句を連ねていく。
一応は将軍の地位に付いているギレンは、無表情のまま黙り込んだ。
力関係弱いなぁ、とあっさり打ち負けた援軍にゲオルグは苦い顔をした。
「失敗を許されない。それが国の政治なの。私の父は失敗して首を取られたわ。今の魔王の首を塩漬けにしたいの?」
「ぐっ……こいつ、自分が当事者じゃないからって好き勝手言いやがって……」
「当たり前よ。人殺しは嫌いだもの。だから私はあなたも嫌い」
「ギレンはどうなんだよ、おい!」
「もちろん嫌いよ」
隣に座るギレンの無表情が少し崩れた気がしたが、割愛する。
二人は今日、謀反を起こそうとした旧クラナカルタの貴族たちを葬ってきたばかりである。
彼女が怒っているのは間違いなく、そこにあるのだろう。
「じゃあ、オイゲンたちを殺すってわけにもいかんだろうが」
「部下の手綱ぐらいちゃんと握っておきなさいよ、隊長なら。クーデターはともかく、そっちは防げたはずだけど」
「ぐうっ……くそ、正論だけに言い返せねえ……!」
傭兵隊長の背後に倒れる者たちは、セシリーを酒に誘った傭兵たちだ。
死屍累々と倒れる彼らはセシリーに近寄ってきたのだ。酒場に美人がいれば口説くのは当然だった。
結果として酒で勝負した彼らは、想像を絶する彼女の酒豪っぷりに負け、ついでに罵倒されて朽ちていった。
既に周囲の傭兵の三倍を呑んでいるというのに、セシリーはほろ酔い程度でしかない。
普通なら罵倒にキレた傭兵が無理やり襲い掛かってきそうなものだが、彼女の隣にはギレンが控えているのだった。
「そういやぁ、その魔王様から任命書が届いたんだっけか。オレたちの今後が書いているらしいけど」
「あら? ギィも同じようなものを貰ったわね?」
「うむ」
相変わらずのむっつりとした顔でギレンが頷き、懐から任命書を取り出した。
話のタネとばかりに二人して書類を紐解いていく。
二人の表情が同じタイミングで怪訝そうなものに変わり、何だこりゃ、とゲオルグが目を見開いた。
「『国家公認ギルドの長を任ずる』……だとぉ!?」
「『エルトリア魔族国の将軍の職を任ずる』……と書いてあるな」
一介の傭兵風情と亡国の王。
二人に託された重圧は彼らの想像を遥かに超えていた。
三人の中でただ一人。奴隷のセシリーだけが何十杯目か分からない酒を飲み干しながら、ぽつりと呟く。
「あら。お似合いじゃない」
◇ ◇ ◇ ◇
「ふう……いい風ね」
城塞都市メンフィルの郊外。
飛龍ククリが気持ちよさげに王妹殿下に頭を撫でられていた。
喉を鳴らしてご機嫌のククリに笑みを返して、ラフェンサは相棒の身体をマッサージしている。
舞踏会を第八曲までずっと踊り続けたラフェンサは、疲れを取るために冷たい風に当たりに来たのだ。
「くすくす。ずっと戦争ばかりだったから、久しぶりに踊って疲れたわ。ククリに構ってあげられなくてごめんなさいね」
「キュイイ……」
龍と会話する、という表現が正しいのかも知れない。
彼女の指が硬い皮膚を撫で、龍の舌がラフェンサの頬をぺろり、と舐める。
理想的な信頼関係だ。
下級とはいえ龍種。魔物を従える彼女の資質は、エルドラド族の中でも稀有な力だった。
飛龍の傍には兵士たちが警戒に当たっていたのだが、今はラフェンサがいるのに席を外している。
「もし。美しいお嬢さん。ちょっといいかな?」
「はい?」
合間を縫うようにして、背後に男性が立っていた。
長身痩躯の眼鏡の中年男性だった。口元に白くて細長いものを加えた見知らぬ男だった。
僅かに警戒心を持つ。その空気が飛龍に伝わり、ククリが威嚇の声を上げた。
男性は僅かに身体を硬直させるが、背後にいるもう一人の人影が背中を叩いた。
「ちゃんと教育されてるよ。驚かないで」
「いやー、ソフィア。ドラゴンなんて見たことなくってな……いや、二足歩行の龍人はいたが、やっぱ怖いぞ」
「ええと……どちら様、でしょうか?」
眼鏡の男性がソフィア、と呼んだのは人狼族の少女だった。
猫のような耳が頭に付いている。髪の毛がふわふわとした毛並みのようで、猫人であるリングス族との違いだ。
歳は二十前後か。長身の男の横に並ぶと、頭二つほど小さい。
勝気な性格を現すように目つきは鋭いが、ラフェンサへと向けられる瞳は警戒心を植えつけないために優しげだ。
「初めまして。ソフィアと申します。こちらはソーイチロウ」
「……珍しいお名前ですね。人間族のようにお見受け致しますが……どのような御用でしょうか?」
「道を聞きたいのです。それだけですよ」
意味ありげに出てきた割には簡単な用事だった。
建国式典の話を聞き、城塞都市メンフィルに訪れたのはいいが、肝心の式典には間に合わなかったらしい。
結婚の儀も身内だけのモノらしいので、城のほうに行きたいと。
「お城のほうに? 何のためにですか?」
「ああっと、警戒しないでいただきたい。俺はただ、魔王に逢いたいだけだ」
「ナオ殿に……?」
「そう。狩谷奈緒に逢いたいんだ。話を聞かなきゃならない、今すぐに」
男性、ソーイチロウの瞳は真剣だった。
当初の龍に恐れを為していた雰囲気など霧散してしまって、真摯な態度が表に出てきている。
僅かにラフェンサは沈黙したが、答える。
「あちらに見える、大きな建物。あれがお城です」
「狩谷はそこにいるのかな?」
「居ますが、今夜はもう無理でしょう。宿を取って、明日の朝に謁見の手配を整えるべきですね」
「……どうにか今日に捻じ込めないかな。俺的に火急なんだ」
「駄目です」
取り付くシマもなく、ラフェンサは首を振った。
今夜は彼らにとっても特別な日だ。得体の知れない男女に邪魔される謂れはない。
深く言及するのは恥ずかしいが、初夜ぐらい誰にも邪魔されたくはないだろう。
大きなお世話かも知れないが。
「……では、わたくしは披露宴に戻ります。良い夜を」
若干の警戒心を保ったまま、ラフェンサは紅珠宮へと戻っていく。
背後を襲われる心配をしたが、男女は何の行動も起こすことなく、彼女の後姿を眺めていた。
何者だろう、という疑問。急ぎの用があったみたいだが、必要なら謁見という形に則って行動するべきだろう。
今日ぐらいは。誰も頭にも、そんなことが過ぎっていた。
◇ ◇ ◇ ◇
「どうする?」
「どうすると言っても。建国式で宿はいっぱいだし、謁見なんて何日先になるか分からない」
「うーん、急ぎなんだけどなぁ。せっかくの手がかりだし」
「私個人としてもエルトリア魔族国とパイプを繋げておきたいよ」
二人して腕組みをして考える。
首脳陣の誰かとコンタクトが取れれば、と思うが、先ほどの彼女は厳密には首脳陣じゃない。
結婚の儀、という言葉にもソーイチロウは首をかしげるばかりだ。
「結婚ねえ……学生結婚なんて関心しないぞ。無理やりじゃないだろうな」
「可能性はないわけじゃないよ」
「何をどう間違えたら、一国の魔王になってしまうのやら……まあ、おかげで俺も見つけやすかったがな」
話が何やらおかしな方向へと曲がっていく。
可及的速やかに話をしたい男女は、数日の野宿という危険な選択肢を排除した。
最終的な結論は数十分後。
「突入するか」
「いや、でもソーイチロウ……さすがにそれは」
「突入しよう。よし、まずは忍び込むところからだ。さあ行くぞ、ソフィア。お前の援護が必要だ」
「荒事が前提!? だからそれは私が困るんだって! ちょっと! ソーイチロウー!」
夜の闇に女の叫びが木霊する。
取り残された飛龍ククリは、二人が消えていった城の方角を向いてキュイイ、と鳴いた。
一騒動の雰囲気を感じ取ったが、主の危機ではなさそうなので、ゆっくりと羽を休めるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
十二曲目が終わり、ラストダンスの時間が始まる。
相手を何度か変えて踊った二人だが、最終的には奈緒とセリナがもう一度、手を取り合った。
踊る者はもういない。ラストダンスは主役の二人のために捧げられる。
龍斗の動きからコツを掴んだ奈緒も、セリナの動きに付いていけるようになっていた。
「中々新鮮で面白かったわね、ラピスとリュート」
「何で龍斗はあそこまで踊れるんだろ……」
「持って生まれた度胸と運動センスでしょうね。ラピスもすっかり女の子になっちゃって。見ていて楽しかったわ」
互いにしか聞こえない音量で、見詰め合いながら言葉を交わす。
身体は一時間以上も踊っていたためにクタクタだったが、心地よい疲れだった。
風のように流れる静かな曲に乗って、手を掴んだままセリナが一回転。そのままもう一度戻ってくる。
最初の緊張が嘘のようだ。もっと彼女と踊り続けていたい、と思ってしまう。
「もうすぐ、終わっちゃうんだね……」
「違うわよ。これから始まるの。しっかりエスコートしてよね、私の魔王様?」
「……うん。そうだった」
曲が終わる。
流れる風の円舞曲が終わりを告げる。
奈緒が動きを止めた。
彼女は動きを止めなかった。そのまま奈緒の胸の中に飛び込んで、少年の唇を奪った。
「んっ……」
周囲から喝采が沸く。
頭の中が真っ白になったまま、少女をしっかりと抱きしめた。
誓いのキスは甘い味がした。
顔が離れ、赤面する奈緒に負けず劣らず、セリナは頬を紅潮させていた。
魔王と皇后は仲睦まじく手を繋ぐと、そのまま紅珠宮の奥へと歩いていく。
背中で受ける祝福の拍手が少しくすぐったかった。