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第76話【結婚の儀(前編)】





結婚の儀は夜に執り行われる。

奈緒の常識では昼ごろの印象が強いのだが、魔族は満月の夜を好むらしい。

月の魔力は神聖な光と考えられ、満月に行われる結婚の儀には多くの幸が訪れる、という考え方だ。

結婚式は基本的に宗教色によって、幾つかの種類がある。

今回の儀式も、言うなれば魔族教として考えるべきだろう。段取りを聞いて、奈緒はそんなことを思った。


「もう、夕方か……」

「随分と長いこと、部屋に閉じこもってやがったな、坊主」

「……うん。考え事が多くてね」

「不安か?」


奈緒の部屋の前に、ゲオルグ・バッツが壁に背中を預けた体勢で待っていた。

数時間前にメイドたちを部屋から追い出して、考えても仕方のないことを延々と考え続けていたのだ。

苦笑気味に奈緒は頷いた。

初めてのこと、というのは何でも不安になる。まだ二十年も生きていない少年なら尚更だ。


「結婚の実感、まだ湧かなくて」

「そんなもんだ。結婚してから相手を好きになるってこともあるぐらいだし、深く考えることじゃねえよ」

「そう、なのかな……?」

「お嬢ちゃんが好きなんだろ? ずっと一緒にいてえんだろ? それでいいじゃねえか。悩むことなんかねえよ」


簡単に言ってくれるが、奈緒は苦笑いを浮かべるだけだった。

奈緒は基本的にうじうじ悩む性格であり、龍斗は悩むよりもとりあえず前に進んでいく性格だ。

目の前の元傭兵隊長も龍斗と同じタイプなのだろう。ちなみにその龍斗は現在、仮眠を取って休憩中だ。

皆に後押しされるようにして、奈緒はここに立っている。ぱんぱんっ、と頬を叩いて気合を入れなおすことにした。


「……ありがと。龍斗も同じこと言ってたけど、気が楽になった」

「そいつは良かったな。少しはマシな顔になったじゃねえか」

「酷い顔、してた?」

「今はお嬢ちゃんに逢いに行っても大丈夫な顔だぜ。長いこと考えて、少しは気が楽になったみてえだな」


曖昧に奈緒は頷いて見せた。

戦場では鬼のように暴れるゲオルグも、こうした場面では人生経験の豊富な兄貴分だ。

龍斗がもっと大人になったら、こんな人になるんだろうな、と思う。

石造りの高い天井を一度だけ見上げると、伸びをするように両手を上げながら、長い廊下を歩き始めた。


「戦争をしているときは、目の前のことでいっぱいいっぱいだったからね」

「今は少し停滞気味ってか? 戦争を望むなんてのは、傭兵家業と独裁者だけで十分だぜ?」

「うん。僕も、正直……もう戦争はしたくないかな」


戦争はしたくない、が。

奈緒はゲオルグと共に壮麗なタペストリを飾られた廊下を歩きながら、内心で呟く。


(でも、僕たちの最終地点は……)


新国家の創建は『足がかり』に過ぎない。

真の目的はセリナの願いを叶えること。彼女の復讐の炎は弱まってはいるが、鎮火しているわけではない。

彼女はラキアスを滅ぼすつもりか。それとも、リーガル家さえ倒せればいいのか。

父親の名誉を回復させ、着せられた反逆者の濡れ衣を晴らしてやりたいだけなのかも知れない。


(いずれにしても、きっと。また争いが起きる……遠い未来かも知れないし、近い将来かも知れない)


奈緒の願いというわけではない。

奈緒の好きな人の願いだ。彼女と一緒に堕ちるところまで堕ちていくと誓いも立てた。

平和という名の停滞が現状だが、近いうちに動くかもしれない。

独裁者としての魔王か、国を守るために戦う英雄か。いかにしても、ラキアス打倒という目的のスタート地点だ。


(だけど、今は……)


平和を享受したい。

砂漠に埋もれていた民衆たちの期待に応えたい。

愛する人と少しの間だけでも、平和な時間を過ごしたいと思っている。

二律背反。やらなければならないが、やりたくはない。そんな矛盾すら感じさせる思いが渦巻くのだ。


「…………そうそう、ゲオルグ。警備隊長っていう役職が、仮の役職って言ったよね?」

「んあ?」

「是非ともゲオルグに任せたい仕事があるんだ。部下の傭兵たちにもね。結婚の儀が終わったら書類を送るよ」

「お、おう。分かったぜ」


今は戦いに生きる『魔王』ではなく、国の人を幸せにする『賢王』を演じよう。

長い月日が必要だ。そのための時間ならセリナも分かってくれる。

大国と事を構えるには、もっと国力が必要だ。資金も、武具も、兵隊も、まだまだ新進気鋭の国家には足りない。

規則正しい靴音を響かせながら、奈緒は王としての道を進んでいく。


と、回廊を歩く奈緒たちの前に一人の男性が現れた。


奇妙な男だった。

礼服を着ているのだが、目深に被ったフードと顔を覆い隠す包帯が怪しい。

隠れていないのは慇懃無礼に笑みを浮かべた口元だけだ。ゲオルグが警戒して前に立とうとするが。


「どうもどうも! 商人ギルド『ケーニスク』所属の者です、はい! 魔王様、ご機嫌麗しゅう!」

「あ、っと……どうも」

「この度はめでたき結婚の儀の参加を認めていただき、感謝感激でございます! 一言、お礼申し上げたく、はい!」


拍子抜けするほど気楽な声で商人は言った。

毒を抜かれた表情のゲオルグにも愛想良く笑みを浮かべた男は、恭しく最敬礼をした。

早い口調で語る男に圧倒された奈緒を見て、商人はにんまりと笑った。


「ああ、この包帯でございますか? 少々、お見苦しい顔でございまして、ご容赦のほどを」

「あ、いやいや。そんなの気にしないよ」

「さすがは魔王様、懐が深い! わたくしどものエリザもお仕えできて光栄でございます、はい!」


では後ほど、と商人はそそくさと立ち去っていく。

嵐が通り過ぎたかのように再び静寂に包まれる回廊を振り返り、奈緒は大きく息を吐いた。


「…………」

「坊主?」

「……ふう、驚いた。ちょっと気が緩んでいたよ。あれが商人ギルドの人か」


珍妙な格好だったが、この世界ではこういう人もいるのか、と受け入れた。

元々が隣に立つゲオルグなど、半人半獣の神話上の怪物がいるのだ。包帯だらけの魔族だっているに違いない。

違和感を覚えた、とは言っても奈緒に関わる者の大抵がそんな者だ。


「行こうか。来賓者に顔見せぐらいはしておかないと」

「オレは場違いだから控えているな」

「うん。何かあったらお願いね」


再び石造りの廊下を歩いていく。

最後まで違和感の正体は掴めなかった。様々な要因がそれを消し去った。





     ◇     ◇     ◇     ◇





「全員でお風呂に入りましょうっ!」


夕刻。メイドのリィムの鶴の一声でそれは決まった。

結婚の儀を残り数時間に控え、女性陣は自分たちがどんなドレスを着るかで楽しんでいたときのことだ。

基本的にドレスを持っていない彼女たちは、生粋のお姫様であるラフェンサからお古を貸してもらうつもりだ。

中には体型の意味合いで都合の悪い者もいたが、商人ギルドの伝手でドレスを手に入れることにも成功した。

後は本番を待つだけのこととなったが、その直前にリィムが提案したのだ。


「お城の改装で大浴場が出来上がったんですよっ! せっかくですから、全員で入りませんか?」

「良いわねん、それ」


最初に賛成票を投じたのはマーニャだった。

立場上は十二人いる宰相補佐の一人という役職に就いた彼女が、艶やかな声で頷いた。

大浴場の噂は彼女たちの耳に入っている。

本来、この世界の風呂は水浴び。もしくは個人用の浴槽を作るだけに留めているのがほとんどだ。


「……確か、リュートの案で作ったのですよね。何でも『セントウ』は日本人の心だ、とか何とか」

「ニホンジンって何なのかしら?」

「人参の仲間、ではないだろうのう、きっと」


龍斗が元の世界での知識を応用して、城の内部と町に銭湯を作ったのだ。

水不足が深刻だった旧クラナカルタでは考えられないことだが、オリヴァース国の支援を受けたことで水不足を解消。

魔物の身体から取れる材料や食料を売ることで、水の豊富なオリヴァースと貿易をしている。

銭湯を民衆に少ない賃金で提供し、人々の支持を集めることとなったのだ。


「セリナ、今夜は結婚の儀なんだから、あなたは入らないとねん?」

「……? いいけど、どうして?」

「んふふ。男は香水の香りよりも、石鹸の香りのほうが好きな人が多いのよん? 結婚の儀ってことは、その先が……」

「ま、マーニャッ!!」


彼女の含むところに気づいて顔を真っ赤にするセリナ。

女性陣が集まる応接室で笑い声が響く。くすくす、と来賓者としての扱いとなるラフェンサも賛成の票を投じた。


「わたくしもご一緒させてください。今夜にはわたくしも、この城を離れなければなりませんから」

「……ラフェンサ殿。国に帰ってしまわれるのでしたね」

「……ずっと一緒だったし、一緒に戦ってくれたから寂しくなるわね……」

「ええ。だからこそ、最後の思い出として」


聖女のようににっこりと微笑む淑女の嗜みに、セリナはとりあえず彼女を目指そうと心の中で誓った。

炊事や掃除ができるわけではないが。皇后の仕事ですらないが。

便乗するように私も、わたくしも、と手を挙げていき。最後にはセリナの説得でラピスも加わることとなった。

立場の違いがありますから、と首を振っていたラピスだったが、リィムも一緒なので言い訳の材料がなくなり、陥落した。


「…………」

「意外にもテセラが一番乗り気じゃなかったわねん」

「うむ。まあ、女には色々あるのだよ、色々とな……ふう」


全員女じゃないの、という言葉は彼女には届かなかったが、これでその場に居る全員参加が決定した。

城の一階の端に増設された銭湯に、女性陣が移動を開始する。

道の途中で作業を手伝っていたユーリィとセシリー。更に中庭で遊んでいたエリザを捕獲して、正真正銘の全員だ。

十人以上のメイドたちを集結させて不埒な覗き魔の対策を練ったところで。

首脳陣の入浴が始まった。





     ◇     ◇     ◇     ◇





ちゃぷん、と水面に水滴が叩きつけられる。

白い湯気が立ち上った空間で、柔らかな女性の肌が惜しげもなく晒されている。

一糸纏わぬ彼女たちの髪も肌もお湯で濡れ、水気のある肌はほんのりと赤みが差している。

ふう、と悩ましげな息をついて、セリナは胡乱な瞳で言う。


「気持ちいい……」

「魔族病のせいでしばらくの間、水風呂しか入れませんでしたからね。……と、お嬢様。失礼します」


石造りの広い浴場にびっしりと張り巡らされた水面に、程よく焼けた肌を浸らせる護衛剣士。

既に入浴を楽しむ主の隣に座り、同じように暖かな水温を身体全体で楽しんでいる。

陶磁器のように白い肌が特徴的なセリナとは違って、健康的な肌と歳の割りに豊満な肉付きがある。

小柄の割りにはスタイルの良いセリナだが、ラピスはそれ以上だ。


「……生傷が少し増えたわね」

「お恥ずかしい限りです。未熟の証ではありますが、それがしは一種の勲章のつもりですよ」

「いつも貴女に護ってもらってるわね……ありがとう、ラピス」

「い、いえっ」


柔らかな瞳で礼を言われ、ラピスは思わず言葉が詰まってしまう。

彼女はここまで自然な笑顔で、幸せそうに笑ってくれるなんて。旅の始めのときは思いもしなかった。

復讐に囚われ、心を閉ざしていた主が。こんなにも嬉しそうに礼を言ってくれたのだ。

瞳から透明な雫が零れそうになって、誤魔化すに温かいお湯をぱしゃり、と顔に掛けた。


「旅のはじめは、私たち二人だけだった。それが……今ではたくさんの人が協力してくれる」

「……はい」

「感謝してるの。本当に……」

「それは妾も同じことよ、セリナ」


声が聞こえてきたので、目線を少し上に戻した。

宰相のテセラは銭湯の中では少々珍妙な格好で、ちゃぽん、と水面を軽く蹴飛ばして見せた。

上半身に薄着ではあるが衣服を身につけ、下半身だけが何も纏っていない。

岩に腰掛けて膝までをお湯に付け、いわゆる足湯を楽しんでいた。


「妾は百年、里の未来を案じて足掻いておった。首脳に力を貸したこともあるが、根本は変わらなかった」


昔を懐かしむように言って、テセラはもう一度足を跳ね上げた。

水飛沫が舞い、波紋が水面に広がっていく。

百年の魔女にとって。ゴブリンの姫にとって。長い長い長い長い時間だったのだろう。

里が救われたときの彼女の涙を、セリナは思い出していた。後にも先にも彼女の涙はあの時しか見たことがない。


「お主たちが来てくれたおかげで、何千人もの未来が救われた。妾としては思い残しもないのう」

「演技でもないわねん。まだまだ元気でしょ」

「おっと。せっかくのめでたい日に不謹慎だったの。許せ、セリナ」

「ううん」


女性陣の中で一番豊満な肉体の持ち主が、布で身体を隠そうともせずに近づいてきた。

横に並ぶテセラが十代前半の身体付きなので、違いが余計に強調されている。

橙色の髪も肌も塗らしたマーニャは、何の前触れもなくテセラの身体に抱きつくと、酔っ払いのように絡み付く。


「てーせーらー? せっかくお風呂に入っているのに、何で脱がないのよん……お姉さんが優しく脱がしてあげるー」

「え、ええい、離せ! びしょびしょの身体でくっ付くでない……って待て、ほんとに待て!」

「んふふふふふ」

「ほ、本当に脱がす奴があるか! ユーリィ、ユーリィ! この馬鹿を取り押さえよ! 速やかに!」


はいはい、と妖艶な女を羽交い絞めするようにして、ユーリィが親友を引っ張っていく。

身長は高いが、スタイルにおいてはラピスはおろか、セリナにも敗北を喫する。スレンダー体型な宰相補佐だった。

軟体動物のように絡み付くマーニャの標的は、テセラからユーリィへと移ったらしい。

艶やかな指が今度はユーリィへと絡みついていく。


「ま、マーニャ? まさか酔っているわけじゃないでしょうね!?」

「酔ってない、酔ってないわよん。お姉さんの素のだけよー」


ますます性質が悪いわ、とその場にいた全員が思った。

彼女たちの様子をくすくす、と優雅に微笑む王妹殿下は、熱いお湯があまり得意ではないらしい。

設置された木造の椅子に、タオルを身体に巻いて座っていた。


「ラフェンサはあまり入ってないわね?」

「わたくしは熱いお湯は苦手なんです。いつもは冷たい水を浴びていましたから」

「無理させちゃった?」

「いいえ、とんでもない。皆さんの姿を見るだけでも楽しいですし、ふふ」


艶やかな白い太股を露出させながら、もう一度優雅な大人の笑み。

戦争に参加する王族は稀有だと思っていたが、なるほど。ラフェンサは誰よりも王族らしい。

隣で身体を石鹸で洗っているセシリーも王族だが、こちらはこちらで実に王族らしい毒舌を持っている。

高飛車で自信満々のセシリーと、深窓の麗人のように育ったラフェンサは対極的ではある。


「良ければあなたも出席して、セシリー。身内だけでやる小さなパーティだけど」

「私が、身内? 一緒に戦ったわけでもない、私が?」

「嫌かしら?」

「べっ、別に嫌じゃないわよ……けど、私はギィの世話があるから、そっちに行くわね。誘ってくれてありがとう」


何だかんだで可愛い子だ。

横を見れば魔導人形、という触れ込みのエリザが頭の上にリキュームを乗せてお湯に浸かっていた。

水は大丈夫なんだろうか、と内心思っていたセリナだったが、水程度でエリザの機能が停止することはないようだ。

無表情のままぽやーっ、と銭湯を堪能する少女を、メイドのリィムが目の保養とばかりに見ている。


「キュー、キュー!」

「…………きゅー」

「可愛いっ、可愛いです、エリザちゃん!」

「あっちはいつも通りみたいね……とにかく、楽しそうで良かったわ」


良い具合にリラックスが出来ているな、とセリナは思った。

奈緒のほうはきっと、今から色々と悩んでいる気がする。ずっと彼のことを見続けてきたのだ。それは分かる。

彼と違って立場が気楽だ。申し訳ない気持ちもあるが。

色々な軋轢に挟まれて窮しているのだろう。あの少年は、何でも完璧にやり遂げたいと願いすぎてしまう。


(ま、そこが良いとこなんだけど)


夢想家というよりは完璧主義者か。

自分の実力がどの程度かを理解して、周囲の力を柔和な人柄でうまく借りている。

周囲も最近はそんな魔王を補佐していくことに楽しみを覚えている。


(結婚か……)


遠い昔を思い出した。

意中の相手を見つけるまでは結婚しなくてもいい、傍にいてくれ、と言っていた優しい父のことを。

彼女の金色の髪は父親譲りだった。誇らしい色だ。

父様は天国で喜んでくれるだろうか。母様と幸せに暮らしているだろうか。そんな詮無いことを考える。


(父様は喜んでくれるかしらね)


父の無念を晴らそう。

家族の、友人の、使用人たちの無念を晴らそう。

何年かけても。何十年かけても。彼らの屈辱を必ず晴らす。それが彼女の人生をかけた戦いだ。

ストレートに降ろしたきめ細かな金色の髪をゆっくりと撫でながら、強い決意と共にセリナは改めて誓う。


―――――心の奥底で。平和という名の停滞を望んでおきながら。


奈緒ばかりが悩んでいるわけではない。

復讐はやめられない。だが、もう一度戦乱を今度は自分たちが起こすことも出来ない。

愚かな二律背反に心を痛め、セリナは揺れる水面に己の心を写し合わせていた。





     ◇     ◇     ◇     ◇





城塞都市メンフィルは改修工事を幅広く行っている。

第一に交易路の改築。それまで天然の要塞だった地域であるため、商人の交易も不便でならなかった。

人々が行き交わなければ商人も集まらない。

国の商業の発展とは即ち、国家と商人ギルドの度重なる交渉と協力の末に広がっていくものなのだ。


第二に地方の町の創建。

首都メンフィルの近くにラファールの里があるだけ、というのは国家の発展に心許ない。

国家予算的にまだまだ改良案件はいくらでもあるが、長い時間を掛けて発展させていくつもりだ。


第三に首都と城の改築だ。

王城の北西部に式典や結婚の儀のために増築された建造物がある。

名を紅珠宮と言う。一面の砂漠に夕陽が映え、壁が赤く輝くことから名づけられた。

他国からの来賓者も集まる式典用に作られた三階建ての建造物だ。

今回の記念式典はここで宰相以下、幕僚たちの任命式と来賓者たちによる祝辞の挨拶が行われた。


「夕暮れも美しかったが、夜は幻想的な雰囲気になるな」


既に時刻は夕暮れを過ぎ、太陽が山の向こうへと姿を隠していく。

紅珠宮の由来となった美しさを堪能した魔王カリアスは、続けて宮のもうひとつの顔を見た。

真っ赤な月の光が降り注ぎ、ランタンに灯された光魔法で壮麗に照らされ、夜の闇でも尚輝く紅色に染まっている。


「維持費は相当なものになるだろうに。やっぱり国は見栄えも大切ということだな」

「兄上? わたくしたちも見習わなければならないのではないですか?」

「水と森の国には不用だ」

「何らかの新しい国策ぐらいは考えないと、新国家さんに民衆を連れて行かれてしまいますよ?」


妹の厳しい指摘にうぐっ、と喉を詰まらせる友好国の魔王様。

話に聞く限り、紅珠宮の夜の姿は来賓者が訪れているとき限定ということで、維持費はそれほど掛からないとか。

黒色の礼服に身を包んだカリアスと、薄い緑色の滑らかな生地のドレスに身を包んだラフェンサの兄妹。

二人は幻想的な光景を楽しみながら主役の登場を待つ。


「……複雑だな」

「セリナさんのことですか?」

「惚れた女の結婚式を祝福しに来る俺は、少し格好良くないか?」

「魔王様? ここは公式の場ですよ?」

「おっと、いかん」


悪ふざけが過ぎた、とすぐに表情をキリリと引き締める。

遠い昔でもない記憶。ダンスパーティーで踊った優雅な公爵令嬢の姿が今でも頭に過ぎっている。

不謹慎だと思う。祝福されて結婚する女に懸想するというのは。

複雑な胸中を押し殺した。彼女が幸せであれば、それでいい。幸せにしなければ許さない。


(彼女の……幸せか)


平穏な『女』としての幸せか。

反逆者の濡れ衣を晴らす『貴族』としての幸せか。

奈緒もセリナも内心で迷っているに違いない。一歩を踏み出すには、誰かが賽の目を投じるしかないだろう。

魔王は静かに。薄く、薄く、小さな『計画』を胸に秘めていた。


「……ジェイル。ジェイルは何処だ?」

「は、はい。ここに」


突然呼ばれて、カリアスの近くで新国家の首脳陣と旧交を温めていた悪魔族の中年が駆けてくる。

国境の町の長から左将軍という重役に抜擢したことには意味がある。

信用できる者を傍に置いておきたい。

真理を読み取ることのできるエルドラド族は、種族としての天性か。何かが近い内に起こることを予感していた。


「この地方はこれから大きく動くかも知れん。心得ておけよ」

「……はっ」


平和な停滞が長く続けばいい。カリアスもそう思っている。

急ぎ足だった復讐の道。少しだけ休憩を挟んでもいいじゃないか、と思いたいが。


「そらっ、花嫁が出てくるぞ。この話は終わりだ、お前も散れ」

「はい」


紅珠宮の奥から人影が現れる。

部下と別れたカリアスは満月の光を一身に受けた白無垢の少女を眺めた。

金糸と見紛うほどキメ細かく美しい髪は、通常の髪型とは違って背中までストレートに伸ばしていた。

主役であることを主張するような誰よりも白無垢のドレス。

最低限の化粧で女神を連想するような神々しい美しさを保っていた。あの舞踏会の公爵令嬢よりも美しかった。


「…………セリナ」


見惚れるほどに美しかった。

凛とした姿。無垢な乙女と慈愛の女神が織り交ざったような神々しさだ。

頭には同じく白いヴェールを被り、白い肌と相まって神聖さを際立てさせ、夜の舞踏会で光り輝いていた。

彼女をエスコートする少年が隣にいる。

魔王の装束。黒い礼服とマントを着た新魔王は、少し緊張した面持ちでセリナの手を引いていた。


「女は恋をすると綺麗になる、は本当のことだの」

「宰相殿か」

「初々しいのう。異性の目を気にして漠然と着飾るとは違う。特定の相手に綺麗と言って欲しくて、綺麗になる」

「ナオはちゃんと言ってやったかな?」


最後に二人きりになるまで傍にいたに違いない宰相に尋ねる。

返ってきたのは愉快な笑い声だった。


「言葉を失っておったわ。あの放心状態の顔はしばらく忘れられんのう」

「……ああ。美しいな」


彼女の美しさはそのまま、現在の幸せの指数でもあるということだ。

少年には是非とも彼女を幸せにして欲しい。彼女が何を望むのか、それは未知数ではあるが。

主役の登場に周囲から拍手の音が鳴り響く。

脇役の一人に過ぎないカリアスは、眩しいものを見るように瞳を細めるのだった。






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