第75話【建国式典の更に裏側で】
「……以上が報告だ」
「ふむ」
メンフィル城内の一室に仕事を終えたゲオルグがいた。
宰相テセラに与えられた執務室の中で、テセラは国の政治の扱う者の総帥として報告を受け取った。
報告は幾つかあった。旧クラナカルタの貴族のクーデターを阻止したこと。
首謀者のオーク族の貴族たちはゲオルグたちの手で処断したこと。
独断で殺したことについては始末書を書かされることになるのだが、それは別の話だ。
「オレの元部下のオイゲン、ドロス、タールの三人が毒の染み込ませた武器と一緒に行方不明だ」
「狙いは? 手がかりはあるかの?」
「悪い、さっぱりだ。残りの奴らを使って町中を捜索したんだが、見つからねえ。もう町の中にはいねえと思うんだが」
「厄介だのう……」
式典は一時間ほど前に終わった。
魔王ナオの演説も好評を得るにいたり、民衆たちの熱狂的な支持も集められた。
建国式典のほうは成功と考えて良いだろう。
彼ら裏方の活躍のおかげで惨劇も未然に防ぐことができた。新たな歴史の一ページが刻まれたのだ。
「これから、いよいよ結婚の儀だというのに。毒ということから考えても、穏便に済む話ではないの」
「狙われるのは誰だと思う?」
「心当たりは数人おるの。もちろん、妾たちの魔王もその一人じゃ」
「オレの勘じゃ、小僧じゃねえ。あいつらは無謀な仕事は請けねえ。城に忍び込んで暗殺し、逃げ出すなぁ無理だ」
逆に言えば新国家の首脳陣が狙いではない、ということだ。
傭兵は暗殺業を請け負うこともあるが、命を捨てて特攻はしない。金のため、生活のために仕事をするのだから。
奈緒の側にはゲオルグを初めとした猛者たちが付いていることを、オイゲンたちも良く理解しているだろう。
無謀な仕事ではなく、もっと簡単な標的だと思われるのだ。
「……と、なると。恐らくは来賓者の誰かか」
「カリアス王あたりが危ねえな。結婚の儀には出席するだろうが、その帰り道が心配か?」
「いや。カリアスは飛龍ククリに乗って大空の路から帰るじゃろう。狙うのは難しいぞ」
「オレなら飛龍を狙う。毒で弱らせておけば、地面に勝手に叩き付けられるぜ」
物騒な会話だが、二人は特に気にした様子は無い。
表が披露宴の準備で盛り上がっている状況下で、宰相と傭兵が腕組みをしながら思考を巡らす。
可能性としては十分、という結論に達したらしく、テセラはすぐにベルを鳴らした。
廊下に控えている兵士が入室し、彼らに飛龍の警護を命じる。
「せっかくの披露宴を苦虫を噛み潰した顔で迎えたくはないのでな。この件は妾たちの中で留めておく」
「はいよ。小僧には……魔王様にゃあ、どう説明する?」
「『クーデターは鎮圧しました』で良い。傭兵どもの件は不安材料が残っているに過ぎんからの」
了解、と頷く傭兵隊長ゲオルグ・バッツ。
正確には元、傭兵隊長だ。現在は奈緒からの引き抜きによって城塞都市メンフィルの警備隊長に就任している。
より正確に言えば警備隊長に就任が決定したのは、建国式典のときだ。
元ゲオルグ牛鬼軍の部下たちも一緒に雇用したい、ということで、クーデターに参加するはずだった傭兵団も加入。
「それでは、宜しく頼むぞ。ゲオルグ警備隊長?」
「よせやい。うちの魔王閣下は暫定的な官職だって言ってたじゃねえか。肩書きなんざ、すぐに変わる」
「お主、良く引き受けたの? 傭兵は自由を愛する、とか言って断ると思っておったが」
「オレももう百年を優に超えてるしな……腰の落ち着きどころも探してたんだよ」
それに、と一言。
珍しく遠くを見るような目をして続けた。
「カミさんをな。いい加減、一人にしないでおこうって思ったんだよ」
「ほう……メンフィルに呼ぶのか?」
「ああ。住まいも提供してくれるらしいし、いい加減に家族サービスぐらいしねえと逃げられちまう」
「今まで良く逃げられなかったもんじゃの」
違いねえ、と豪快にゲオルグは笑って見せた。
釣られるようにテセラも笑みを浮かべた。今日はとても特別な日だ。めでたい日だ。
懸念材料はあるが、今日ぐらいは祝福の意味を込めて笑みを浮かべておくべきだろう。
建国式典は終わった。続いては魔王と皇后の新たなる門出。その祝いの儀式だ。
◇ ◇ ◇ ◇
「本日の披露宴の参加者は少数で、ということでしたので」
「来賓者はオリヴァース魔王閣下のカリアス様と、妹のラフェンサ様。それと左将軍のジェイル様でございます」
「残りの他国の来賓者のほとんどは式典が終わると同時に帰られました」
「うん、ありがとう」
最上階、個室の一角。
奈緒のために作られた私室で、新魔王はメイドたちの報告を受けていた。
一見すると殺風景に見える部屋だ。寝るためのベッドと、書物を多く所蔵するための本棚が置かれている。
謁見の間から直接繋がる魔王の私室で、奈緒は紳士服に着替えていた。
最初はメイドたちが着替えを手伝う、ということだったが、丁重に辞退していたが。
「……ごめん。マントの付け方が分からない。手伝ってくれるかな」
「はいっ」
役目を頂いたリィムを初めとするゴブリン族の少女たちが、奈緒を取り囲んで着替えを手伝う。
女性に囲まれて着替えさせられている、というのは気恥ずかしかったが背に腹は変えられないというやつだ。
襟元を抑えられて身なりを整えられていく間も、手の開いたメイドたちから報告を受ける。
「商人ギルドの重役が是非とも出席したい、とのことでした。エリザ様の支援が必要、と」
「……んっと。うん、分かった。商人ギルドとは話をしておかないといけなかったし」
「魔王様。披露宴の中で仕事のお話はダメですよっ? 花嫁さんを放っておいちゃいけませんっ」
「わ、分かっているよ……」
花嫁さん。
将来の伴侶と今日、式を挙げるのだ。
実感が沸かない。夢の中にいるような感覚だった。
魔界に来て半年。数えて奈緒は十八歳になっているだろう。
日本の法律上も問題は無い。というより、現在の少年は法律を作る立場にもいる存在なのだった。
「近衛隊長ラピス様、宰相テセラ様、警備隊長ゲオルグ様からそれぞれ報告があります」
「うん、お願い」
「まずはテセラ様から。一任されていた『K問題』は解決しました、と」
「……そっか。詳細は?」
伝令役も兼ねるとはいえ、メイドに建国式にクーデターが画策されていたとは伝えづらい。
何処から情報が他国に漏れるか分からないからだ。故にテセラは今回のクーデターを『K問題』と名づけた。
略されたのが貴族やクーデターの頭文字だからか、は分からないが。
解決した、という報告を受けて、内心でほっと一息つく。
「全ては披露宴が終わってから、ということです」
「そっか……まあ、後回しにしてもいいってことだし、問題はないっぽいね……っと、ありがとう」
「いえいえっ」
無事にマントも装着し、部屋の隅に飾られた鏡で服装を確認する。
衣を基点とした礼服。肌触りがとてもいい。
肩から装飾を施した赤いマントを翻させて一回転。ううん、と一度唸った。
(見事なぐらい、服に着られてるね)
(肩幅がちょっと硬いぐらいじゃねえの。大丈夫、大丈夫。似合ってるって!)
(そうかなぁ……)
(いやぁ、奈緒が結婚かぁ……俺、感極まって泣くかも。奈緒の親父さんの代わりに)
(やめてよ……)
両親が結婚式に出席できないのは少しだけ心残りだ。
十八歳ですぐに結婚だと知ったら引っ繰り返るかも知れない。ついでに相手が人間じゃないとなると、卒倒するかも。
魔界に現世での知り合いがいないかどうか、調べてもらったことがある。
残念ながら、この世界は奈緒の想像以上に広かった。
人間たちが作る王国や帝国。魔族たちが頂点に立つ魔族国の地方は数多くある。見つけるのは不可能だった。
(もしも……仮に、だけどよ)
(うん……)
(俺たちの知り合いで、他にも殺された奴がいるなら……ナオ・カリヤの名前を聞いて、集まってくるかも知れねえな)
(見つかって欲しいような、そうでないような。複雑な心境だよね)
狩谷奈緒と鎖倉龍斗はあの日、殺された。
両親や家族や友達に逢いたい、という願いは……絶対に叶わない。
元の世界に帰りたい、という思いもある。この世界でセリナたちと一緒に暮らしていくのも悪くない、という思いもある。
故に奈緒は努めて、昔のことは思い出さないようにしていた。
求めても。願っても。叶うはずがないということを、知っていたから。
(……この世界は一体、何処なんだろうね、龍斗)
(へ?)
(龍斗は『地獄』って言ってた。僕は『異世界』って思ってた。もしかしたら『天国』なのかもね?)
(死後の話なんて誰も知らねえしな。俺は三途の川を渡った記憶はねえけど)
何故、自分たちは魔界に来たのか。
何故、自分たちは二心同体でこの世界に来なければならなかったのか。
何故、自分たちは突然、学校で悪魔たちに襲われたのか。
(此処は、どこ?)
思わず自嘲気味に奈緒は笑っていた。
宇宙の真ん中で迷子になったかのような心境だった。
結婚式を前にして、期待と不安がごちゃ混ぜになっているのだろう。
激戦と政争の日々が続いていただけに、今まで境遇を省みる機会がなかった。
それが現在、ようやく謎に向き合う時間を得た。
(ひょっとしたら僕たちは、まだ死んでなくて。死ぬまでの走馬灯を見ているのかもね……)
(奈緒……ちょっと、らしくねえよ? どうしたんだよ)
(怖くなってきちゃった)
(怖い?)
うん、と奈緒は自分の身体を抱きしめるように肩を抱く。
周囲のメイドたちが何事かな、と遠目に様子を見続けていたが、声をかけるのは躊躇った。
酷く寂しそうな、年相応の少年にしか見えなかったのだ。
戦争を戦い抜いた新魔王。英雄としての少年の面影が、そのときばかりは感じられなかった。
(セリナと結婚、するんだよね。うん……嬉しい。とても幸せなんだ)
(…………)
(でも。幸せすぎるのが怖い。また失うのが怖い……セリナを失うのも、龍斗を失うのも……世界に拒絶されるのも)
(世界に、拒絶……?)
奈緒の考えが理解できない。
龍斗のように難しいことを考えない前向きでマイペースな考えの持ち主ではない。
思えば彼は、小さな時からそうだった、と幼馴染は回想する。
少年は恐らく、自分が不確かな存在であることが怖いのだ。龍斗と違って色々と考えてしまう性格なのだ。
(実はね。夢を見たんだ)
(……どんな?)
(セリナと結婚して……次の日、目が覚めたら。僕は『あの日』の学校にいるんだ)
龍斗が心の中で眉を動かしたのが分かった。
奈緒の言うあの日、とは言うまでもなく、自分たちが殺された日のことだろう。
幸せの絶頂にいた少年は次の日、再び地獄へと連れて行かれる。そんな夢を見た、と言う。
(龍斗が目の前で白い灰になって、建物が崩れてて……たくさんの悪魔たちがこっちを見ていて。周りは燃えていて)
(奈緒、もういい)
(皆を捜すけど何処にもいなくて逃げても逃げても悪魔たちが笑いながら回り込んできて)
(もういいっ、やめろ馬鹿ッ!!)
身体が電気ショックを受けたように痙攣した。
親友の心の底からの叫びが一番近いところから聞こえてきて、奈緒は大きく身体を震わせる。
畜生、と龍斗は心の中で吐き捨てた。
唇を噛み締めて何かに耐えようとする奈緒を見て、龍斗はそっと提案する。
(少し、身体を代われ。頭を冷やして来い)
(……)
(見っとも無え面でセリナに逢おうとすんな。そいつは女にとっても失礼だからな。落ち着くまで待機だ)
(……うん)
奈緒の魂が小さくなっていく錯覚を感じた瞬間、かしゃり、と人格が入れ替わる。
紅蓮の瞳が鏡の前から、様子のおかしい魔王を心配そうに見つめるメイドたちへと移っていった。
苦笑気味に龍斗は言った。
「悪い。ちょっと考え事が出来てな。一人にしてくれるか?」
「は、はいっ」
心配そうに見つめる侍従たちだが、命令を受けて部屋から退出していく。
龍斗は思い切りベッドの上に倒れこもうとして、礼服に皺が付くかも、と思い直して腰を落ち着けるに留まった。
考え事というのは嘘じゃない。
不自然なくらいに恐怖を覚えている親友について、少し考えたいことができたのだ。
(奈緒は……目の前で何度も『失いかけた』んだ)
精神的外傷、俗に言うトラウマというものだ。
現世での平凡な日々。突如として悪魔たちが現れ、目の前で龍斗は焼き殺された。
魔界でのセリナの魔族病。奈緒にとって一番好きな女を、今度は病気で失いかけた。
(世界に拒絶、とか……きっと、俺には想像の付かない思考で考えちまうんだろうな)
奈緒と龍斗は現在、地に足をつけていない状態だ。
今までの生活も戦いも全てが『走馬灯』のようなもので、死者が見る死の間際の夢、という考え方もあるだろう。
龍斗は頭を抱えた。彼はその『解決法』を知っている。
知っているが、それは許されないことだ。奈緒の疑問の全てに答えることが出来ても、それを本人には教えてやれない。
(残酷な話だよなぁ)
龍斗はもう一度、失笑とも言うべき苦笑いを浮かべた。
親友の『怖い』の源は近しい者を失いたくない、幸せの日々を失いたくない、という思いから来ている。
願いは叶えられない。人は生きている限り、何かを失っていく。
(一回死んで、火のトラウマも克服した俺は……良い意味で開き直れているけど。文字通り、前向きなもんで)
奈緒は違う。
根源的な原因は心因性のものだ。
魔王の重圧も重なって精神的な余裕がないのだろう。
少年を弱い、と言ってはならない。何も背負うものがない龍斗と、何千もの民衆の命を背負う奈緒では重みが違う。
(支えてやらなきゃな、皆で)
静かに心の中で誓う。
幸いにも今夜は結婚式だ。結婚とは全てを分かち合う人と結ばれるということだ。
親友として龍斗が、妻としてセリナが、仲間としてラピスたちが助けてやろう。
難しいことを考える暇などないくらい、楽しい日々を過ごそう、と。
―――――――残された時間を、指折り数えながら。
◇ ◇ ◇ ◇
「良い演説だったね」
「そうですな」
砂漠の道を岩と土で舗装した道を、ラキアスの馬車が駆けていく。
二本首の馬が強い脚力で大地を蹴る。太陽は少しばかり西に傾いているが、まだ暑いというのが正直な感想だ。
大国ラキアスの王族、ヴァンは従者二人と談話を楽しんでいた。
話題は新国家の魔王についてだ。
「私とよく似た喋り方だった。親近感を覚えたよ、まだ若いのに一生懸命でしっかりしている」
「魔族国の王を気に入ったようですな?」
「国の経済の在り方。蔓延る差別の意識に対する改善。色々な項目をあげていたけど、目から鱗が落ちたよ」
「『衣食を整えてから礼辱を知る』ですか?」
「そう、それだ。その通りだと思ったね。生きるのに精一杯な人に泥棒はダメだ、と言っても意味がない。その通りだよ」
新魔王の式典での演説に対して、いつもより饒舌にヴァンは語る。
式典はつつがなく終了した。
最後は民衆たちの万歳三唱で終わり、式典は大成功だったといえるだろう。
次は彼らの多大な期待に応えられるようにすることが、ナオという魔王の仕事ということになる。
「しかし、殿下。これからあの国は身内で魔王と皇后の結婚式を挙げるとか」
「私たちは彼らに恨まれているだろうから、早々にお暇させてもらったよ」
「何が恨まれている、ですか。先王の一族を皆殺しにしたのは、エルトリア家。逆恨みも甚だしいというものです」
「……そうだね」
馬車は里や集落の密集する砂漠や渓谷を超え、ナザック砦を通過する。
真っ直ぐに帰るとすれば東の方向だが、馬車の進行方向は違った。
南のオリヴァース領へと進行していく。
見える景色が砂漠から森へと変わっていくのに気づき、ヴァンは従者二人に尋ねた。
「何処にいくのかな?」
「旧来の道が崩れたらしい、という情報を得ました。少し遠回りですが、オリヴァース領へと回りましょう」
「……ふーん。なるほどね。狙いは『そっち』なんだ」
「殿下?」
「何でもないよ。魔物に気をつけないとね」
青年は馬車の中で腕組みをしながら、静かに目を細めた。
周囲を注意深く見ながら、頭の中で幾つものパターンを想定して思考を巡らせる。
危機管理能力は得意だった。
人の心の機微を読み取ることも得意だった。それが幸いであり、そして仇にもなった。
◇ ◇ ◇ ◇
「来たぜ」
遠くから砂埃をあげて走ってくる馬車を眼下に捉え、男が重苦しい声で言った。
反応するように頷く二人。いずれも屈強な体付きだ。筋骨隆々の大きな身体を揺らしながら、馬車を見る。
翼の生えた獰猛な獣の印を刻まれた、豪勢な馬車だ。
男たち。オイゲン、ドロス、タールの三人の標的であり、目的である人物があそこに乗っている。
「見えますかいぃ、オイゲン隊長ぉ?」
「おう……間違いねえ。ラキアスのヴァン殿下だ」
「……狙撃は簡単そうですぜぇ、呑気に窓の外なんて眺めてやがるしなぁ」
「ケケケ……都合が良いじゃねえですかい」
異様な雰囲気に包まれていた。
欲望が飽和したかのような空気。研ぎ澄まされた感覚に滲み出る狂気があった。
正体不明の女からの任務は簡単なことだ。
今回のクーデターで使う予定だった毒矢で、王子様の胸を貫くだけだ。
「しかし、本気か? 本気であんな女の依頼で、一国の王子様を手にかけようってのか?」
「オイゲン隊長ぉ、そりゃ言いっこなしですぜぇ?」
「アンタだって生活のためには金が必要でしょうが、ケケケ」
「……まあ、そうなんだがな」
資金が必要なのは全員、同じだ。
命を削って傭兵をしている理由は、生きるためだ。
本来ならやりたくない汚れ仕事もたくさんあり、命を懸けて戦うことに意義を見出す者は少ない。
彼らはもう、傭兵家業から足を洗いたいのだ。
「あいつに矢を浴びせるだけで一万セルパだぜぇ?」
「破格だ。三人で分けても数年は暮らせる。新しい仕事を探すこともできる……出来るんだけどよ」
一万セルパは奈緒たちの世界における一千万円の価値がある。
傭兵家業をする荒くれ共は命を削っても千セルパを手に入れることは中々できない。
得体の知れない任務だろうが、飛びつく価値はあった。
価値はあったが、オイゲンは何処となくきな臭いモノを感じ取っていた。
「何の心配をしてんだよぉ? 金かぁ? 大丈夫、ちゃんと前金で貰っているぜぇ?」
「後でちゃんと分け前よこせよ? 一人だけ行方を晦ますなんて許さねえからなぁ、ケケケ……」
「…………」
金は前金で一万セルパ。
仕事内容は要人の暗殺。『偶然』道を変えた馬車に乗った王子殿下を、毒矢で射る。
顔は見られないように森の中で。
問題はない。全く問題はないが、だからこそ気にかかる。傭兵としての勘が何処かで警鐘を鳴らしている。
「……よし、やるぞ」
だが、結局は見逃してしまった。
大金に目が眩んでいたのかも知れない。
少し考えれば事の重大性にも、何が起こるのかも想像がついていたかもしれないが。
彼らは仕事に移った。矢を番え、弓を引き絞った。
「撃て」
馬車が潜伏していた道を通ったとき。
窓を眺めていたヴァンと瞳があった。彼は大きく目を開いて刺客の姿を目に焼き付けた。
行動は一歩、遅かった。
王子が馬車の中に伏せて身を隠すよりも早く、オイゲンたちの放った矢のひとつが、深々と突き刺さった。
◇ ◇ ◇ ◇
「ぐっ……うぐっ……!」
馬車の中を転がりまわり、低く呻き声をあげてヴァンは倒れた。
毒矢は右肩を貫き、鮮血が床に染みを作っていく。
肩を撃ち抜かれた激痛よりも、内側から暴れまわる毒の苦痛のほうが酷かった。
意識は朦朧とし、内臓を吐瀉してしまいそうな吐き気が襲ってくる。傷口が火傷したように熱かった。
「がっ、ああっ……ぐっ、うええ……!」
危険だ、と瞬時に判断した。
矢に毒が塗られていることに一秒で感知し、すぐに首を回して右肩の傷口に唇を当てる。
胸を貫かれればどうしようもなかったが、肩を撃たれた程度なら。
礼服の一部を噛み千切って布の代用品とし、右肩をきつく縛る。これで最悪、右腕を切り落とすだけで済む。
(まずい……非常にまずい……)
焦燥の表情を浮かべるヴァン。
毒のほうはどうにかなりそうだが、彼の表情に余裕などは一切なかった。
馬車の扉が開く。異変を感じた従者たちが乗り込んできたのだろうが、彼らを迎えるヴァンの表情は厳しかった。
「殿下」
「……ぐうっ、は、あ……」
平坦な声を聞いた。
主が毒矢で狙撃されているにも関わらず、従者の二人の反応は薄かった。
彼らの手には緑色の刀身をしたナイフが握られていた。
全てを察した。というより、全てを察していたヴァンは従者を睨み付けると、小さく息を吐いた。
「……父上が所望するのは、リーグナー地方全土の覇権かな……はあ……」
「殿下にはお気の毒と言わせていただきます」
「申し訳ありません、殿下。私どもも心が痛いのですが」
嘯く従者たちをせめてもの抵抗をするように鼻で笑った。
隠しきれているつもりだったのか。
式典の直前、メンフィルの城で宰相の女性と話した会話の節々が思い起こされる。
『お主も苦労人だのう』
『厭味はやめてほしいな。危機管理が得意なだけだよ』
『従者かの。何やら腹に一物を持っていそうな雰囲気を感じ取ったのじゃが』
『多分ね……』
真の敵は内にあった。
予見していた。当然、予見していたとも。
我が父親が息子の命を所望していることぐらい、百も承知だったとも。
親に死ねと言われた息子の気持ちが分かるか。誰よりも頼りたい相手に『餌』になれと言われた気持ちが。
『良いのかの? 望むならば護衛を付けるが』
『やめてくれ。私とあなたたちは敵同士。国の気質を考えれば、それをやってはいけないよ』
『……殺されるつもりか』
『死にたくはないよ。だから、精一杯の抵抗はしてみるつもりだけどね』
詭弁だった。
内心で諦めていた。
親から必要としないと言われた絶望があった。
敵地で原因不明の死を遂げることぐらいしか、父親にとって価値を残してはもらえなかった。
所詮はそれだけのこと。死にたくはない。ただ、失望と絶望だけが虚しくヴァンの心を沈ませていた。
「良い大義名分になるだろうね……はあっ……今は他国に気を配っている場合でも、ないのに……」
「そこまで察しておられるなら話は早い」
「ごゆっくりお眠りください」
力が入らなくなってきた。
従者の男たちに引き摺られるようにして馬車の外に連れて行かれる。
乱暴に地面に叩き付けられ、残っていた体力も消えていく。
抵抗すら出来ずにヴァンの心臓へと、深々とナイフが突き立てられようとして。
骨が砕かれるような音と共に、従者の身体が宙を舞った。
大の字に倒れるヴァンは我が目を疑った。
魔族にしては大柄な身体付きの従者が、白目を剥いて打ち上げ花火のように吹き飛んだのだ。
代わりにヴァンの前に仁王立ちするのは、黒と茶色の混ざった背広を着た男性だ。
長身痩躯。黒髪の後姿を唖然として眺める中、吹き飛んだ従者がドサリと地面に叩き付けられ、男が静かに口を開く。
「おいおい、いかんな。これは予定外だった」
歳は中年のようにも見えるが、声は意外にも若々しかった。
芝居がかった口調にも思えたが、男性はゆっくりと首を振る。呆れたような反応だ。
「王子様を攫う計画だったってのに、まさか暗殺現場に出くわすとは……俺もちょっぴり度肝を抜かれた」
ざんばら、と刈られた黒髪。
後姿からは分からないが、眼鏡を掛けていた。服の上からも引き締まった肉体が見える。
格闘家のような、傭兵のような、良く分からない男だった。
長身痩躯の男は懐から何やら白くて細長いモノを取り出し、それを口に加えて変な道具で火を付けていた。
「何者だ、貴様」
「おっと。そんなに怒らんでもいいじゃないの……そんな怖い刃物なんか、しまってしまって」
「ふざけるな!」
怒号と共に二人目の従者がナイフを振るう。
刺されるのは当然、皮膚を斬られるだけでも毒が蔓延する危険な武器だが、男性に焦りはなかった。
直後、地面を強く蹴って男は跳んだ。
刃物を振るう男を跳躍で潜ると、地面に着地すると同時に身体を回転させ、目にも止まらぬ速さで。
「言うとおりにしておけっての、馬鹿野郎」
男の背中を蹴り飛ばした。
凄まじい脚力だったのだろう、従者の背骨がゴキリと凄まじい音がして、文字通り男は飛んでいった。
大木に叩き付けられた男は蛙が潰れたような声を上げて、そのまま伸びてしまった。
唖然呆然のヴァンだったが、そこに更なる人影が現れる。
「ソーイチロウ!!」
「んげっ」
魔族の女だった。
良く見れば男性のほうは人間のように見える。
だが、それ以上のことは分からなかった。毒の影響で意識が朦朧として、もはや声を聞くことしか出来なかった。
視界を失った王子は地面に倒れたまま、二人の会話を聞く。
「どーして一人でいつも先走るの!? 毎回毎回毎回毎回フォローする私の身にもなってよ!」
「あー、悪かった悪かった悪かったから、はいはい」
「馬鹿にしてっ」
「それよりもソフィア、そこで倒れた王子様、手当てしねえとヤバイんじゃないか? ほらほら毒みたいだし」
彼らが何者なのか。
彼らの目的は何なのか。
彼らの会話を聞いても読み取れなかった。
(…………)
詳しい事情は分からないが。
事態が大きく動いていくような予感がした。それほどまでに大きな事件になると思った。
最後に感じた予感を胸に秘めたまま、ゆっくりとヴァンは意識を失った。
◇ ◇ ◇ ◇
「冗談じゃねえ……冗談じゃねえぞ……!!」
傭兵オイゲンは森の中を闇雲に走っていた。
一人だ。周囲に二人の仲間はいなかった。死んだのかも知れないし、逃げたのかもしれない。
荒い息を吐きながら焦燥に駆られた表情で、一所懸命に足を前に動かしていた。
「くそっ! ドロス! タール! いねえのか!? やられちまったのか!?」
叫ぶオイゲンの言葉に返答する者はいない。
森に潜む追跡者だけが、オイゲンの後ろにぴったりと忍び寄っているような錯覚に陥った。
小さく悲鳴を漏らし、躓きそうになりながら走る。
逃げなければならない。逃げなければ。逃げよう。逃げて。それだけしか考えられない。
「やっぱりだ! あの女、最初からこのつもりだったんだ! 俺の馬鹿野郎っ、くそお!!」
悪態をつくが、既に賽は投げられた。
重大な事件を起こしてしまった首謀者は、転げるように走り回る。
追跡者から逃れるために。死神からの手招きを見ないようにして、一心不乱に駆ける。
帰ろう。ゲオルグ隊長のところに。あの人についていけば良かったんだ。
「ごめんネ。別に殺しても殺さなくてもいいんだけどネ?」
片言のような女の声が真後ろから聞こえた。
背筋が凍りついた。息が止まるかと思った。オイゲンは錯乱するように腕を振るって女を殴り飛ばそうとするが。
「あんまり真相を知っているっていうのも気分よくないしネ? こんな運命だと諦めてくれるかナ?」
グシャリッ、と肉が潰れる音がした。
脇腹が熱いのに気づいて下を向くと、蛇のような形の剣が腹を突き破っていた。
傭兵としての知識が重傷だということを告げていた。
正面には水が見える。長い河があった。手を伸ばすようにして、そこまで這って行く。
「がひゅっ……ぐっ、おお……あ……」
「諦めないんだ? 羨ましいなァ、その執念。お仕事は果たしたし、いいヨ。落ちちゃえってネ」
背中を強く蹴飛ばされて、オイゲンの身体は冷たい水の中へと落ちた。
水飛沫が舞い、追撃者の女が静かに笑う。
額の装飾品に翼の生えた猛獣の紋様。女は一仕事を終えて、ふう、と溜息をひとつ付いて言う。
「逃げ足の速い傭兵さんたちネ? せいぜい、助かるようにもがいて見ればァ? 私は生き残った貴方たちの運を妬むから」
くすくすくす、と女は笑う。
女の任務は水面に小石を投じてみせることだ。
停滞という名の平和を女の主は望まない。『駒』たる女は静かに冷たい笑みを湛えていた。
―――――エルトリア魔族国の建国の日は、大戦争の引き金となった事件の日となった。




