第72話【前夜祭】
リキューム、という魔物がいる。
体長十五cmほどの小さな小動物で、青い体毛と円らな瞳が特徴的だ。
魔物とは言っても人に害を為さないタイプだ。魔物と動物の違いは害を持つか持たないか、で決まる。
そういう意味では『動物』に分類されるリキュームは、木の実や木を好んで食べる。
……といった情報が頭の中での分析結果だった。
「…………」
「……キュム?」
警戒心の強い動物であるリキュームを、じーっと見つめ続ける人影がある。
黒服のフリフリがついた人形のような少女で、無表情な瞳でぼんやりと小動物の姿を眺めていた。
分析結果を反芻しながら、ゴスロリ装束に身を包んだエリザは手を差し出す。
メンフィルの中庭に現れたお客さんを歓迎するために、とてとて、と走って取ってきたコーマの木の樹皮だ。
「…………」
「キュ……? キュ……?」
「………………」
「キュム……? キュー……」
無言で差し出された食事に、リキュームは警戒心を持ちながらも興味を持ち始める。
相変わらず無表情のエリザはじぃーーーっ、と穴があくまで小動物を鑑賞することに決めたらしい。
表面上は鉄面皮だが、内心は食べてくれるかなー、食べてくれるかなー、と期待半分、不安半分なのだった。
言うまでもなく、本人は否定するだろうが。
「……きゅ?」
「キュム?」
「……きゅ、きゅ、きゅむ?」
「キュー……」
リキュームの鳴き真似をしながら興味を誘ってみた。
首を傾げると同じように首を傾げてみる。一体感が必要なのだと彼女の分析結果は出たらしい。
日頃は部屋に飾られた人形のように静かな彼女だが、とても微笑ましかった。
そんな微笑ましい光景を影から眺める人影がある。
「……どきどき、わくわくっ」
「リィム……あなた、休憩時間を利用して何をしているのかと思えば……」
「言うなれば。鑑賞会といったところでしょうか」
「しー! マーニャ様もユーリィ様も、しぃー、ですよっ! こんな光景、なかなか見られないんですからっ!」
茂みに隠れるようにして、彼女たちは商人ギルドの『商品』を見やる。
数日前、セリナが急変してから容態が落ち着いた日のこと。
エリザが何者なのか知らなかった奈緒は、自己紹介を求めた。恭しくドレスの端を掴んで挨拶したエリザの言葉。
『エリザは商人ギルドから貴国に親善の証として送られた、魔導制御人形です。識別はE-17号』
魔導制御人形。
魔族たちの間では馴染みのない言葉だ。
反応したのは知識人であるテセラやユーリィだった。
彼女たち曰く、人間の国で秘密裏に造られた自立起動型の人形であり、人でも魔でもない存在だということだ。
奈緒などは首を傾げながら「……ロボット?」と言っていたが、今度こそ誰もその意味が分からなかった。
『エリザとお呼びください。何でもお申し付けを』
曰く、戦闘も政治もこなせる、らしい。
そうは言っても突然のことで困惑し、扱いに少し困ることとなった。
商人ギルドの重役とはいずれ話さねばならないだろうが、現在はこちらで歓迎する方向だ。
現状は待機して、たくさんの知識教養を身につけてもらおうということで満場一致。
「うーんっ、エリザちゃんは何処から見ても人間に見えるのになぁーっ」
「エリザちゃんって……」
「まあ。見た目は可愛らしいですから」
治癒隊兼メイドの少女が頬に手を当ててうっとりとした表情をしている。
基本的に可愛らしいモノが好きらしいが、同じぐらいの背丈のテセラは彼女の直属の上司なので愛でることができない。
必然的に新しく加入することとなった少女に視線が向くことになった。
「ああ、ほらっ、あんな無垢な表情でじぃーっと見てるっ! 可愛いー!」
「お持ち帰りしちゃダメよん?」
「……というか。どうしてわたくしたちは。こんなところで隠れているんでしょうか」
キリィの実を煎じた紅茶を楽しんでいたはずなのに、と諦め気味の表情で呟く。
結局、ユーリィの魔力は戻らなかった。あの日の悪魔の炎に全ての魔力を吸い取られ、消耗した結果だった。
魔力回路が完全に焼き切れてしまったらしく、今の彼女は人間と変わらない。
失ったモノは決して安くなかった。だが、それでもユーリィの表情には笑みが見えた。
「あ。エリザが指ごと噛まれた」
「……あらあら。びっくりしてリキューム逃げちゃった」
「ああ、あああっ! エリザちゃんが肩を震わしてる! 泣きたいけど泣けない! そんなエリザちゃんが愛らしいっ!」
騒がしい『普通』の生活。
普通の女らしい生活というのに、彼女も少しずつ慣れようとしていた。
幸いにもユーリィには親友がいて。ついでに賑わせてくれる友達もいて。更には共に戦う仲間もいる。
あの日の出来事は無駄ではなかった。
今ではマーニャもユーリィも、エルトリア魔族国の一員として扱ってもらえる。その絆を手に入れることができた。
(あの事件は……そのための試練。だったのかも知れませんね)
この空間は悪くない、とユーリィは思う。
ずっと駆け足の人生で、周囲を省みることをする余裕もなかったのだ。
だから親友の心にも気づけなかった。復讐に疲れたマーニャの気持ちを察してあげられなかった。
心に余裕がなかったのだ。でも、今はこんなにも穏やかだった。
「ああ、エリザちゃんが無心でリキュームを追いかけてるっ!」
「無言、無愛想、無表情で樹皮を差し出しながら追っかけてる……軽くホラーな光景よね」
「リキュームも逃げてるっ! 身の危険を感じて逃げてるー!」
「捕まったら食べられちゃうと思ったのかしらね?」
感慨に耽るユーリィを差し置いて、マーニャたちはキャイキャイと黄色い声援を送っている。
彼女たちを見ていると、難しく考える自分が馬鹿みたいだとすら思えた。
自然に『普通』を楽しめばいいのかも知れない。
たまには、マーニャのように馬鹿をやるのも。それが……『普通』の楽しみ方なのかも。
「もうダメですっ、我慢なりません! エリザちゃんもリキュームもお待ち帰りぃぃぃぃぃぃぃ!!」
「うふふ、うふふふふ。負けないわよん、リィム! お持ち帰りして愛でるのはお姉さんなんだから!」
「………………はあ」
茂みから突然飛び出していく友人たちを眺めて、ユーリィは額に手を当てて溜息をついた。
突如として現れた襲撃者の存在に、びくうっ、と全身を震わせて驚きを表現する一人と一匹。
中庭の外へと駆け出していく彼女たちを眺めながら、改めて彼女は心に誓う。
「……わたくしまで考えなしになってしまっては。いけませんね……」
面倒ごとと知りながら、ユーリィもまた彼女たちを追いかけていく。
休憩時間は残りわずかだ。
残された時間までに彼女たちを連れ戻し、『明日の準備』を手伝わなければならない。
差し当たっての彼女の手伝いは、自由奔放な友人たちを引き摺ってでも連れ帰ることだ、と心得て。
「待ちなさいマーニャ! リィム! 明日がどんな大切な日か知っているのですか! 戻りなさいー!」
彼女らしからぬ大声を張り上げて地面を蹴る。
こんな生活もまた、悪くないな、と思いながら……彼女は何処か楽しげな笑みを浮かべて駆け出すのだった。
そんな、朝の出来事。
◇ ◇ ◇ ◇
「…………ふぃー……」
メンフィル城門前。
太陽がじりじり、と下界を照らし、門番の兵たちも暑さにやられてぐったりしている。
彼らに混ざって汗を拭う巨漢の男。見た目だけで見れば魔物と相違ない姿の持ち主はゲオルグ・バッツだ。
彼の周囲には思い思いに荷物を纏めた部下たちが集まっている。
「隊長……マジで解散なんですかい?」
「せっかく長げえこと、ずっと一緒だったってのに……もう一回、一からやり直せねえんですかねえ?」
「無理だっつーの」
戸惑いの色を見せる部下たちの言葉を一蹴する。
ゲオルグは一度、遠くを見るように目を細めて息をひとつ吐き、もう一度諦めをつかせるように首を振った。
つい先ほど、ゲオルグ牛鬼軍という傭兵部隊の解散が宣告されたのだ。
断腸の思いで解散を決めたゲオルグが、重々しく口を開く。
「今回の件。オレたちは裏切りを働いちまった。その情報は別の傭兵経由からもう各国に広がっちまってる」
「ゲオルグさんが裏切ったわけじゃねえでしょうが!」
「『ゲオルグ牛鬼軍の一員』が裏切ったって事実は変わらねえよ。元々、オレたちは運命共同体だった。そんだけだ」
「……っ」
くそっ、と誰かが苦々しく吐き捨てた。
最後の戦いで奈緒たちを裏切った副隊長の顔が頭を過ぎり、忌々しく顔を歪ませる。
そんな空気を察してか、ゲオルグはもう一度重々しく告げた。
「かと言って、カスパールがオレたちに貢献してきた功績も大きい。戦争屋としての腕もそうだが、細けえ勘定もな」
傭兵隊の作戦会議や報酬の交渉。
突撃する者たちを援護するような形で戦い続けた副隊長だ。
彼ら末端の傭兵が想像する以上に、カスパールという人物はゲオルグ牛鬼軍の重要人物だった。
彼が居ないだけで団としての経営が立ち行かなくなるのだ。
「そんな状態で仕事はできねえ。傭兵団は解散だ、テメェらをずっと縛り付けるわけにはいかねえ」
「隊長っ……!」
「水くせえよ、隊長! ずっと一緒にやってきたじゃねえか!」
「…………仕事も用意できねえ馬鹿野郎を、隊長なんて呼ぶんじゃねえよ……ったく」
湿っぽいのは嫌いだった。
大事な日の前日に解散を打ち明けた理由はそこにある。
明日の祝宴で思い切り騒いで、思い切り叫んで、派手に終わらせてしまいたかった。
涙ぐむ姿も見受けられた部下たちを見て、ゲオルグはいつもの怒号を飛ばす。
「おう、テメエら! せっかくの披露宴で湿っぽくしやがったら、ぶっ飛ばすからな! スモウで投げ飛ばすからな!」
「へ、へい……」
「腹の底から返事しねえか根性なしがあ!!!」
「……へいッ!!」
それでいい、と満足げに大きく頷いた。
一人、また一人と城門前から立ち去っていく部下たちを見送りながら、ゲオルグは壁に寄り掛かって座り込む。
何十年も続いた傭兵団の終焉を感じていた。
各々、部下たちは今後のことを考えながら、明日を迎えるだろう。願わくば最後は派手に騒ぎたいものだった。
「おー、そうだ。お前ら」
「へい?」
「祝いの手伝い、しとこうぜ。随分長いこと滞在しちまったし、詫びの心意気を出してもバチは当たらねえぞ」
へいっ、や了解、と各自の威勢のよい声が響き、もう一度満足そうにゲオルグは頷いた。
ジリジリと蒸し暑い気候に汗を拭いながら、部下たちは一斉に城の中へと雪崩れ込んでいく。
力仕事ならお手の物だろう。存分に扱き使ってもらうことにする。
盛況に包まれた町並みを見やりながら、ゲオルグは口の端を吊り上げた。
当初は飢えと乾きに苦しんでいた国も、変われば変わるものだ、と感心の溜息をつく。
「いい政治してるじゃねえか」
「そりゃどうも」
背後からの聞き覚えのある声に、いちいち反応しなかった。
無遠慮に足音を立てながら近づいてくる気配の主に対し、ゲオルグはより一層の野性的な笑みを浮かべた。
件の魔王様も無用心なもんだ、と思う。
「つっても、民衆の心を掴むために蔵を開放したはいいけど、財政は赤字なんだーっ、て奈緒は泣いてたけどな」
「二重人格のほうかい。どっちが本物なんだ、坊主?」
「俺が偽者だよ」
「……そりゃあ、びっくりだ。何がびっくりって自分で偽者なんて言いやがる人格がいることにびっくりだ」
何だそりゃ、と龍斗は豪快に笑い声をあげると、遠慮なくゲオルグの隣に腰掛けた。
魔王と傭兵。本来なら隣に座るなど畏れ多い、というものだが、生憎と二人の常識に堅苦しい礼儀は存在しない。
龍斗などは成り上がりであるし、ゲオルグも向こうが命じない限りは泰然としている。
似た者同士の二人は、もうすぐ行われる祭りの準備に忙しそうな人の波を眺めながら語り合う。
「傭兵団、解散だって?」
「おう」
「仕事が無くなっちまったんかー、何ていうか悪かったな」
「そりゃオレの台詞だっての」
がっはっは、と今度は二人揃って高笑い。
礼儀にうるさいジェイル町長などが見かけたら、卒倒して引っ繰り返ってしまうかも知れない。
「ていうかよ、どっちかって言うとお前のほうが魔王っぽいな。坊主のほうは女に対して奥手すぎる」
「馬鹿、お前。奈緒はそこがいいんだろうがよ。天然記念物みてーで」
「天然記念物の魔王って、そりゃ貴重じゃねえか!」
「だろ?」
龍斗と奈緒。二人はあまりにも対照的過ぎる、とゲオルグは思う。
毅然とした態度、というわけではないが、自信満々に威風堂々としているのが龍斗だった。
奈緒のほうは、少し頼りない印象を受けてしまうかも知れない。
代わりに奈緒は細かいことにも気を配る性格で、魔王としての純然たる魔力……そういった意味での『畏怖』がある。
「ていうか、例の騒ぎで首脳陣の奴ら、また軒並み倒れただろ?」
「魔力切れっていうか、精神的な疲れっていうか、そんなもんだよ」
「大したことねえ、って感じだけどよ? そんな楽な問題じゃなかっただろ、この前のは」
まあなぁ、と曖昧な返事。
龍斗本人としてはすぐにでも現場に駆けつけたかった。
結局は魔王の仲間たちが奮闘したので、彼の出番はなかったと言える。
「ラピスは昨日ぐらいまでベッドから起き上がれなかったし、奈緒も二日ぐらい眠ってなかったし」
「働きすぎじゃねえかい、坊主」
「一番忙しい時期だからしょうがねえだろ。さすがに今は奈緒もぐっすり眠ってるぜ」
身体の疲れはちゃんと眠らないと取れないので、ついさっきまでは部屋で死んだように眠っていた。
首脳陣が軒並み倒れた二日間は、奈緒が主導で政治を動かしていたのだ。
文官たちの助けもあったが、慣れない仕事に疲れが溜まっていたのだろう。
「おー、文官っていやあ、ジェイル。知ってるか、オッサン」
「あの悪魔族のヒョロヒョロした奴?」
「オリヴァース国の左将軍に抜擢されたらしいぜ。例の反乱での功績も兼ねて」
本来なら町長として過ごすだけで精一杯だ、と陳謝したジェイルだったが、魔王の執拗な誘いについに折れたらしい。
貴族の一人として名を残すことになるのは、実に名誉なことだ。
反乱を起こしたエリックの後釜であることと、信頼できる人材を傍に置いておきたい、という二重の思惑がある。
……というのが、魔王の妹であるラフェンサの予想だった。
「惜しいなー、って奈緒が悔しがってた。幕僚の一人に迎え入れたかったらしいし」
「新しい国を作るってなると、人材が必要になるもんなぁ」
「おうおう。……っていうわけで」
ぱちん、と指を鳴らして作戦開始の合図。
地響きのような足音が響いて、暑さでぐったりしていた門番たちが周囲を取り囲む。
「は……?」
間抜けな声が呟かれると同時だった。
龍斗は実に綺麗過ぎる笑顔を浮かべて、ゲオルグの太い肩をぽん、と叩く。
何が起こっているのか分からず、目を瞬かせる牛頭に対して、次期魔王の鶴の一声が掛かる。
「スカウトに来たんだぜ、オッサン。とりあえず応接室、行こうか?」
「はあ!?」
「こんな暑い日差しの中で話し合えるか。涼しいところに行こう。ていうか、来い。カツ丼でも用意してやろうか?」
おいこら、ちょっと待てや、と状況を呑み込めないゲオルグを数人がかりで城の中へと連行していく。
龍斗はノルマ達成、とばかりに指をもう一度鳴らすと、彼らの後ろを追っていく。
そんな、昼の出来事。
◇ ◇ ◇ ◇
「解せんな」
「ええ」
「うーん……」
場所はセリナの寝室だった。
内密の話がある、ということで三人の女性が集まっている。
部屋の主であるセリナと、宰相のテセラ。それに王妹殿下のラフェンサの三名である。
彼女たちがこの場に集まった理由は、数日前に起こった出来事についてだ。
「悪魔の炎。あれは一体、何だったのか……未だに分からん」
表向きには生命と自我を持った魔力の塊、というのが公式の見解だ。
最初はセリナの魔族病から始まった。それがセイレーンの儀式を介して、更に正体不明の宝玉も関与した。
結果、顕現されたのが悪魔の炎、と呼ばれる怪物だと言うが。
「元々は私とユーリィの魔力よね? でも……」
指先に意識を込めると、ぼっ、と小さな爆発の音がして小さな炎が指先に灯る。
魔力を失ったユーリィとは違い、セリナの炎は奪われていないのだ。
仮に怪物を『悪魔の炎』とし、魔族病の元凶も『悪魔の炎』と仮定するのならば。
セリナの魔力は消滅しているはずなのだが。
「セリナさんは魔力を失っていない……魔力回路が奇跡的に傷ついていないのでしょうか?」
「恐らくはそうだろうが……そうなると、あの怪物の説明がつかん」
「この話、ナオには?」
「もうしておる。結論としては例の宝玉、もしくは儀式によって過剰反応を起こしたのではないか、と考えておるの」
儀式を執り行ったユーリィは「昔の書物に書かれていた儀式で。詳しい原理は分かりません」と話している。
何百年も前の儀式であり、その真理はほぼ絶滅した現在では解明されないだろう。
止むを得ないと思うし、これ以上の追求の必要はない。
宝玉についてもエリザは何も知らなかった。
というより、魔術品とは『こういう効果はあるが、原理は分からない』ものが多い。
「エリザの所属する商人ギルドの者に詳しく聞いてみてもいいが……まあ、過ぎたことだの」
何だかんだでテセラも軽く息をついて、ニヒルな笑みを浮かべた。
激戦の末に悪魔の炎も葬り、セリナもユーリィも誰一人として欠けることなく帰ることができたのだ。
それで十分すぎる、という結論に二人も同意した。
分からないから、と言って問題になるわけでもない。魔族病の再発にさえ気をつければいいだけの話だし。
「それに何より……」
「おめでたい日に難しいことを考えなくても、よろしいではないですか?」
「そうだのう」
三人の顔色が朗らかに綻んだ。
中でもセリナは僅かに顔を赤らめ、俯き加減のままベッドの上で忙しなく指を交差させる。
内心の興奮を抑えるかのように深呼吸をして、セリナは上目遣いで呟く。
「明日、なのよね……?」
「うむ。盛大に……というほど資金に余裕があるわけではないがの。たった一度だけの催しじゃ、盛大にいきたいの」
「楽しみですね、建国式典。それに……」
「二人の結婚式ものう」
建国式典と結婚式。
明日はエルトリア魔族国の建国を世界に示す記念式典と、奈緒とセリナを結ぶ式典が行われるのだ。
数日の猶予で奈緒本人も覚悟を決めたらしく、話はトントン拍子に進んでいった。
背景にはやはり、魔族病でセリナを失いかけた、ということが関連しているのだろう。
「わたくし、とても可愛らしい衣装を見つけてきたんです。セリナさんも後で着てみてくださいね?」
「ええ、ありがとう……」
「世継ぎは早いうちに頼むの」
「て、テセラ!!」
はっはっは、と満ち溢れた笑い声が部屋に響き渡る。
もはや誰も悪魔の炎に対する懸念などなかった。これからの楽しい式典や披露宴に心を躍らせていた。
たくさんの人が集まるだろう。
ずっと戦い続け、苦労してきた二人を祝福するために。
そんな、夕刻の出来事。
◇ ◇ ◇ ◇
「披露宴だそうですよ?」
「披露宴。祝宴か? そうか、実に楽しそうだな、同胞よ。私も混ざりたいものだ!」
「残念ながらガーディの招待状はありません」
「何故だ! エリザが参加できて、何故生みの親である私が参加できん! 実に不愉快だ!」
メンフィル城下町の市場に二人の男性がいる。
フードを被った柔和な笑みの男と、ギョロリと目つきの悪い白衣姿の中年の男だ。
彼らは活気ある市場の片隅に店を構え、珍しい魔術品の販売に精を出していたところだった。
珍しいと言っても高価すぎるものは売れないので、日用品に使えそうな魔術品を幾つか見繕っている。
「ガーディは正直者ですから。城に突撃していった挙句、ボロを出して計画を頓挫させてしまいそうですので、はい」
「何という信頼のなさだ、赤髪よ! この私がそんなに信用ならないのか!」
「城内に入ったらまず何がしたいですか?」
「エリザを回収……」
「却下です。というか、絶対にそうするでしょうから、ガーディはお留守番なんですよ、はい」
むぐぐぐぐ、と悔しそうに地団駄を踏む中年博士。
魔導人形技師という人間の中でも特殊な技術を扱うガーディの興味のすべては、人形に向けられている。
最高傑作、と謡われているエリザを城に預けるというのは容認しがたいのだろう。
父親が娘を嫁にやる、という感覚に似ている。
「今回は『濃厚な魔力』も手に入りました。ガーディは『これ』を本部に持って帰ってください」
「む? エリザに渡した宝玉か? あれは先日、奴らに割られたのではないか?」
「珠鏡という魔術品です。魔力の吸収、増幅を目的とした『アレ』の中身を複製したものですよ、はい」
「……むう?」
要領を得ない、と言いたげなガーディは腕組みをする。
説明するのも面倒なので懇切丁寧にはせず、投げやりに近い対応をすることにした。
「要するに……『炎の怪物の魔力は、私たちの野望のために回収しました』……ということです、はい」
「…………おお、そういうことなのか?」
「正確には複製なので、オリジナルの怪物の魔力の七割ほどですが。お小遣い稼ぎには十分でしょう?」
皺が目立つガーディの掌に宝玉を載せ、複雑な動きで揺れる珠鏡を渡す。
赤髪は披露宴に出席するらしく、手にした鞄から礼服を取り出した。
商人ギルドの一員であり、エリザの出資をした人物として彼らの前に姿を現すつもりだ。もちろん計画のために。
何人か顔見知りはいるが、何とか誤魔化しておくことにしよう。
「では、ガーディ。宜しくお願い致しますよ、はい」
「うむ、任せておけ。貴様も奴らに伝えておけよ? エリザは私の最高傑作だ! 雑に扱うな、とくれぐれも!」
「分かっておりますよ……はい」
「うむ。それならばいい。ア、レルヤ、だ」
一番聞きたかったらしい返事を聞き、満足しながらガーディはロクな別れの挨拶もせずに去っていく。
その後姿を眺めて密かに赤髪は溜息をついた。
「職人気質というものは、随分と自分勝手なものですね……」
研究者というものは偏屈者が多いと聞くが、それは偏見ではないのが良く分かる。
商人の赤髪のように多くの人と接することがない。
彼らは単純な己の価値観だけに頼り、それだけで生きてきた。
逆に言えば己の基準に見合わない者はどうでもいいのだ。実に人間らしい思考ではないか。
利害関係、という意味では商人に似通っているかも知れないが。
「まあ。せっかくの式典です。私も楽しんでくることに致しましょう、はい! おっと……それでも顔は隠さなければね」
鞄の中から包帯を取り出し、青年は笑みを浮かべながら顔を白く覆っていく。
瞳を残してすべてを。髪も、頭も、鼻も、眉も。
巻いた後で口にまで巻いてしまうと息ができないことに気づき、野性的な苦笑いを浮かべながら口元を開けた。
少しばかり珍妙な格好になってしまったが、仕方がない。
「魔王様も、私の顔を見たら引っ繰り返るでしょうからね。それはまだまだ『先』の話ですよ……と」
明日は記念すべき建国式典だ。
今日の夜は差し詰め、前夜祭といったところだろう。
資金集めも兼ねて少しばかり商売に精を出そう、などと平和的な考えを浮かべ、彼は愛想笑いを浮かべるのだった。
そんな、夜の出来事。
明日はいよいよ、待ちに待った式典と結婚式である。