第71話【悪魔の炎7、理想郷】
便宜上、彼女たちは眼前の魔物を『悪魔の炎』と名付けた。
体長は三十メートルを遥かに超えた炎の怪物。徐々に人のような輪郭に形作られた魔物が息を吐く。
灼熱の炎が熱気として吹き、周囲の魔物が悶え苦しむ。
悪魔の炎は周囲を一度見渡すように体を動かすと、緩慢な動きで歩き出した。
「……動いた……!」
「もう少し距離を取るわよん! あんな化け物、まともに近づいたら炭になっちゃうんだから!」
「分かりました!」
悪魔の炎がゆっくりと前進してくるのを見て、彼女たちはすぐに距離を取る。
怪物の周囲には高熱で生まれた陽炎らしきものが揺れ、砂漠の砂すらも溶かさんばかりに燃え盛っている。
一目で危険性を理解させられた。
悪魔の炎の身体に呑みこまれた小型の魔物たちが、次々と骨まで黒い流形物に変貌していくのだ。
「雨が降ったら鎮火してくれると思う?」
「砂漠一体のこの近辺で雨が降るとは思えませんが……」
「それ以前にユーリィの氷も効かなかったぐらいだし、雨なんて不確定なものには頼れないわよねん……」
オオォォォオオオォオォォオオォオ、と何処か悲しげに鳴く怪物に一瞥しながらマーニャは吐き捨てた。
事態は理解できないが、現実として対処しなければならない。
逆に考えればいいのだ。
驚くべき事柄ばかりが起きていたとしても、確実にわかっている事がある。
「ま。要するに……」
「『アレ』を倒してしまえば。決着がつくということでしょう。ええ、実に単純明快で良いですね」
一連の魔族病に対する問題の全てが解決する。
悪魔の炎、と呼称した一連の問題が。小難しい難題などなく、単純に目の前の魔物を打ち倒すだけで終わる。
実に分かりやすい。シンプルで単純でやりやすい。
「で、どうやって倒すの、アレ?」
「…………」
視線は自然にこの災厄の原因らしき少女へと向けられる。
黒いフリルのドレスを着た無表情の少女。彼女から齎された宝玉が原因と思われるが。
複数の視線を感じて、僅かに居心地を悪くするエリザは困った顔をしていた。
正確には困った顔をしているように見える、無表情だが。
「……原因はエリザにも理解しかねますが。強大な魔力反応を魔物から感じます」
「近寄ったら溶けちゃう?」
「間違いなく。近接戦闘は無謀と考えて良いでしょう。アレはもはや、獄炎の魔法が意思を持った、と考えるべきです」
一応は協力的なエリザから情報を聞き入れる。
明らかに姿形は幼女と言えど、有能さに見た目の若さが関係ないことはテセラを見れば分かるだろう。
彼女たちがエリザに対してあまり疑問を抱かないのもそのためだろう。
唯一無二の問題として『彼女が何者であるか』という疑問に答えられるのが、自己紹介を受けたラピスだけだが。
「……ごめんなさい。エリザは命令を正しく遂行できなかったようです。本当にごめんなさい」
「あ、いえ……何と言いますか、エリザ殿がいなければもっと大変なことに……」
「そ、そうそう! だからそんなにおちこむことはないわよん? 見た目的に全然感情読めないけど」
表面的には落ち込んでいるっぽいエリザにフォローを入れながら、悪魔の炎の射程範囲外へ。
怪物は生まれてきたことを呪うかのように慟哭のような呻き声をあげ、ゆっくりと……だが確実に進軍を開始する。
魔力の自然災害、とでも言うべきか。
黒服幼女のエリザはじぃ、っと怪物を眺めてぶつぶつと呟く。心なしか、彼女の左目が緑色に染まっていた。
「……分析。名称『悪魔の炎』と仮定……戦闘能力把握、開始……失敗。情報の圧倒的な欠如」
「え、エリザ殿……?」
「暫定的な力の予測。魔物としての実力はAクラスと断定」
「え、Aクラスって竜種じゃないですか! それも飛龍や首長竜みたいな下級竜族のレベルじゃないですよ!?」
悲鳴を上げるラピスだが、エリザの計算は正確な分析と言えた。
接近戦においては近づくだけで標的を溶解する。予測として炎を基点とした魔法なども行使してくるだろう。
遠近に穴がなく、そして本体が炎そのもののために倒す手段が不明なのだ。
現状は間違いなく、滅ぼす手段が存在しない。
葬るのに何百人、何千人もの兵を要する怪物であることを示すAクラスと断定しても、決して過大評価ではないだろう。
「Aクラスなど。まともに相手する類のものではありません……」
ラピスに肩を貸されて何とか立っているユーリィが、息も切れ切れに呟いた。
彼女は何度か右手をかざす様子を見せるが、少し辛そうな表情で俯き、搾り出すような声で言う。
「残念ながら。わたくしは魔力回路を破壊されてしまったようです。戦力が足りません……」
「今からボウヤを呼んでも間に合わないかしら……?」
「幸いにも緩慢な動きなので、決して間に合わないとは思いませんが……ここで魔王様に頼るのは、いささか情けない」
肝心なところで主頼りでは、何のための配下か分かったものじゃない、と。
護衛剣士は寝不足の頭を振るい、多少の疲れを推して刀を取る。
戦うつもりであることを悟ったエリザが、相変わらずの無表情で彼女の蛮行を窘めた。
「無理です。あなたでは接近するだけで灰となるでしょう」
「……しかし、魔法を使えるのは、恐らくテセラ殿たちだけでしょう。マーニャは魔力が枯渇しているようですし」
それに、決して勝算がないというわけではない。
ラピスは僅かに視線を自分の刀に向け、感触を確かめながら言う。
「それがしには『破魔の剣』があります。いかにAクラスとはいえ、その正体の魔力の塊。打ち崩せるはずです」
「しかし、あの超高熱の身体にどうやって近寄るつもりですか? エリザには分かりませんが」
「確かにねん……蒸気というか、余熱だけで火傷してしまいそう……」
「むう……」
悩む暇はなかった。
悪魔の炎はゆっくりと、しかし確実に何かを目指して前進を続けていた。
目のような一際濃い炎の赤が、ぎょろり、と遠くに存在する光を求めて歩き続けている。
光に群がる虫のように。赦しを求める罪人のように。
◇ ◇ ◇ ◇
「何ですか、あれは……」
「分からん……こんな魔物は、今まで見たことがない……」
「まさか、目的地はメンフィル……?」
上空で様子を窺っていたテセラやラフェンサには、怪物の視線の先に何があるかがすぐに理解できた。
悪魔の炎はゆっくりと足元の魔物たちを灰に変えながら進軍している。
視線の先には夜の明かりが僅かに残る城塞都市があり、どんな意図を持っているかも分からない怪物が吼える。
ギリ、と唇を噛み締めたテセラが、両手に魔力を練りながら叫んだ。
「ラフェンサ、旋回するのじゃ! 奴を止めるぞ!」
「はい……!」
飛龍を駆り、悪魔の炎から距離を取りながら旋回を開始。
互いの距離は多少離れているが、それでも伝わる熱気が怪物の危険性を語るまでもなく見せ付けていた。
ラピスたち同様にテセラも、接近戦は無謀だと判断するには十分だった。
光の槍を構成し、怪物めがけて投擲を開始。
緩慢な動きである悪魔の炎が避けられるはずはなく、閃光が炎の怪物の胸を貫いた、ように見えたが。
ばちんっ!
小規模の爆発のようなものが起きた。
電流が流れたような音がして、テセラの放った光の槍が蒸発したのだ。
炎の怪物の胸の部分は僅かに凹んでいるように見えたが、やがて炎がその部分を埋め合わせてしまう。
「魔法が、効かん……!?」
「いいえ、違います! 魔力が足りないんです! あれではどうしようもありません……!」
「おのれ……!」
テセラたちは知らないことだが、悪魔の炎は濃厚な魔力で身体を形成している。
魔力に対して魔力をぶつければ、弱い魔力のほうが駆逐されるのは先にユーリィが証明した。
魔物化するほどの魔力の塊に、魔法をぶつけても効果は薄い。
怪物を打ち滅ぼすのに必要なのは、数百人にも及ぶ魔法の雨か、もしくは魔力を打ち消す特殊な技術か。
「くっ……ナオも例の儀式で魔力を消費しておる。頼るわけにはいかん……!」
「……、危ない……!!」
突如として飛龍が速度を上げて怪物から離れたのは、そのときだった。
光の槍を受けて『敵』と正しく認識した悪魔の炎は、ぎょろり、と視線をテセラたちのほうへ向ける。
直後に放たれたのは灼熱の吐息だった。
轟、という凄まじい音と共に紅蓮色が視界を埋め尽くし、ラフェンサは手綱を操って逃げることだけを考えた。
「ぐっ……!?」
「はあ……はあ……はあ……!」
荒い息を吐くのはラフェンサだ。
避けることには成功したが、間一髪だった。冷や汗が背中を流れ、心臓がばくばくっ、と跳ね上がる。
次の行動も、後ろに乗っていたテセラのことも考えずに、ただ逃げるだけだった。
仮に炎がククリを呑み込んでいれば、飛龍ごと彼女たちは肉も骨も溶解されて、砂漠の一部となっていたに違いない。
「す、すみません、テセラ殿……く、ククリが怯えていて……これ以上は」
「……分かった。済まんかったの。よくやってくれた」
キュィィ……と力無く鳴いた飛龍ククリの背中を、テセラは労わるように撫でた。
危険だ。危険すぎる。冷静な思考をかろうじて保つことに成功したテセラは、同じく冷や汗を流しながら考えた。
元々、ラフェンサをこの戦いに参加させることが危険すぎるのだ。
飛龍もラフェンサも怯えきってしまっている以上、自分たちは手が出せない。
「何か……手があればいいんだがの。何か……」
都合のよい展開などあるはずがない、ということはテセラも分かっている。
現状、彼女たちは何が起きているのかも分かっていないのだ。
炎の怪物は何なのか。一体どうしてこんな化け物が現れてしまったというのか。
遠くに、悪魔の炎から距離をとって様子を見るラピスたちの姿があった。ユーリィの姿もあることには安堵するべきか。
更に一人、黒いドレスの幼女が追加されているのは気になるが。
「…………ん?」
彼女が次なる一手を考えて思考しているときだった。
城塞都市メンフィルの方向から猛進してくるひとつの影がある。
凄まじい速度で一直線に駆け寄る様子は獣を連想させ、初めは魔力に惹かれた愚かな魔物かと思った。
「……んん!?」
近づくにつれ、人影が輪郭を帯びていき、やがて明細な姿かたちが視界にはっきりと映し出される。
見覚えのある人影に息を呑む。
馬鹿な、と思わずテセラは吐き捨てた。弾丸のように疾走する『その男』は、真っ直ぐに悪魔の炎へと突っ込んでいく。
何故、この場に彼がいるのか理解できない。戸惑いの色を残した叫びを張り上げた。
「ぎ、ギレン! 何故ここにおるのじゃ!?」
「何ですって……!?」
動揺の声が響く中、そんなものが耳に届かない前魔王は前進する。
視界は真っ赤に染まった悪魔の炎へ。
命令はただひとつ。下された指令はただひとつ。『魔物を殲滅せよ』という現魔王の勅命により、馳せ参じる。
◇ ◇ ◇ ◇
「あそこか」
鉄砲玉のように凄まじい速度で砂漠を駆け抜けるギレンは、魔力を練りながら視線を上に向ける。
炎の怪物がオオォォォォオ、と哀しげに呻く姿を視界に捉えて目を細める。
真っ暗な闇の中でここまでの自己主張をしてくれれば、ギレンも辿り着きやすかった。
後は何も考えなくていい。ただ、単純に考えよう。
殲滅せよ。
殲滅せよ。
殲滅せよ。
我の渇きを癒し、戦いを愉しませろ、と咆哮する。
「<炎剣、顕現>」
彼は一切、躊躇わなかった。
灼熱に身を焦がしかねない状況においても、やることは変わらなかった。
敵が炎の衣を纏うのなら。
己も紅蓮の弾丸となって衣ごと怪物を貫こう。
「<紅蓮の鎧、顕現>」
前魔王の魔法。その属性は『剣』だ。
鎧などという物は本来、編み出すことはできない。
炎の剣を全身に展開し、鋼と熱の鎧を編むことで応用した『防御用の紅蓮剣』だ。
言うまでもなく、魔力消費は激しい。そのために長時間の戦いを強いる戦争では使えない。
使った以上は短期決戦。数分という時間で殲滅を誓う。
「ぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおお!!!」
裂帛の気合が木霊して、紅蓮剣が悪魔の炎の右足へと叩き付けられた。
魔力と魔力が激突し、互いを喰らいあって消滅する。
初めて怪物が苦痛の悲鳴をあげた。
身を焼く灼熱の体温に絶叫にも似た雄叫びをあげながら、ギレンは仕事を遂行する。
悪魔の右足が切断された。
振り切った炎剣の一撃に耐えられず、オークの膂力に吹っ飛ばされる形で右足が宙を舞う。
直径、二メートル近い怪物の足首が廃墟の……ラピスたちが待機している方向へと吹き飛ばされた。
片足を失った怪物がゆっくりと砂漠へと前に倒れていく。
危険を感じて本能のままに距離を取ったギレンは、怪物の倒壊に巻き込まれることはなかった。
「ぐうっ……」
激痛にギレンが歯を噛み締めた。
炎に紅蓮を当てた強引な力技で、どうにか一矢を報いることには成功したらしい。
焼け付くようにヒリヒリと痛みが全身を苛み、ギレンは僅かに舌打ちした。
攻撃も防御も隙がない。身体の体質がそのまま強敵へと変貌する条件となって立ち塞がる。
(面白い。面白いぞ……)
久しぶりの高揚感だ。
己をここまで追い込む魔物など近辺にはいなかった。
一度の激突でギレンの体力と魔力をごっそりと持っていき、それでも足首を切り落としただけ。
戦いがいのある強敵はギレンの待ち望む朋友、という感覚に近い。
(倒せる手段が思いつかん。だからこそ、それが面白い……!)
全身の痛みを無視して、凄んだ表情を向けた。
高揚感が冷静な思考を奪っていく。何処まで行ってもギレン・コルボルトはそういうものだ、と知らしめるように。
猛禽類のような歯を剥き出しにして、一歩を踏み出した。
「いいぞ、貴様。心行くまでやろう……貴様の灼熱と我の紅蓮、どちらが上か。試してみるか!?」
「試すでないわ、無鉄砲が!!」
「ぐあっ……!?」
直後、飛龍から小さな人影が飛来し、ギレンの身体に体当たりをかました。
身体を九の字に折って衝撃を殺そうとしたが、勢いは想像以上に強く、そのまま砂の上を転がっていく。
押し倒されるような形になり、見下ろす人影に視界を向けた。
見知った顔がむうっ、と頬を膨らませるようにして、ギレンの顔を覗き込んでいる。
「馬鹿者! ギレン、そんな無茶な戦い方があるか!!」
「テセラか。……確かに。強引過ぎた感は否めん」
「ああ! ゲオルグといい、ラピスといい、貴様といい、どうして妾たちの軍には考えなしが多いのかのう!?」
「ふむ……何だかよく分からんが、すまん」
両手をぶんぶん振り回して叱り付けるテセラを、背後からラフェンサが愛想笑いでどうどうー、と鎮める。
右足首を切り落とした代償は、ギレンの鈍色の身体を苛んでいた。
火傷の跡がそこかしこに見える。
接近戦が無謀だということを改めて示された形だが、ギレンは続けて語る。
「二回、三回。それぐらいならまだ耐えられる」
「馬鹿を言うでないわ! あんな無茶をさせられるか!」
予想外の援軍をもってしても、炎の怪物に対する決定打にはならない。
打つ手なしか、という思考が誰もが頭の中に過ぎった。
切り飛ばした足首もゆっくりと再生を果たしていく姿を眺め、テセラは悔しげに唇を噛み締めた。
Aクラスの化け物は、一体で国を壊滅に追い込む力を持っている。
「ひとまず、ラピスさんたちと合流しましょう! これ以上、個人での行動は無意味です!」
「仕方あるまい……ギレン! 廃墟のほうに行くぞ、走れるか?」
「問題ない」
「お主が援軍に来た、というのは些か複雑ではあるが、そんなことは言ってられん! 力を合わせるしかないの!」
多少、文句のありそうな表情のギレンを尻目に再びテセラは飛龍に跨った。
駒は揃った。これ以上の援軍はない。
残ったメンバーで、悪魔の炎を滅ぼすしかない。やらなければならない、と心を奮い立たせた。
彼らが廃墟へと向かうのと時を同じくして、悪魔の炎が再び立ち上がる。
オオオオオオオオオォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!
憤怒か。それとも慟哭か。
悲しげに聞こえる雄叫びをあげながら、悪魔の炎は真っ直ぐに再び進軍する。
光を求めて。それを手に入れれば楽になると信じて。
痛い。苦しい。寒い。哀しい。
人の負の感情を基にした魔力で構成された『悪魔』は、救いを求めて手を伸ばしながら歩き続ける。
◇ ◇ ◇ ◇
「現状の確認を」
静かに。感情のこもらない口調でエリザが告げる。
悪魔の炎の進軍から離れた場所で、本来ならば集うはずのない者たちが集結する。
戦わなければならない、という義務によって集う者。
戦いたい、と願う権利を行使して覚悟を決める者。それぞれが真剣な眼差しで言葉を交わしていく。
「ユーリィは戦力外。ラフェンサも立場上、これ以上の関与は認められん。良いな?」
「……止むを。得ないでしょうね」
「はい……」
魔力のすべてを失ったユーリィは二度と戦うことができない。
王妹としての立場から危険な目に合わせることのできないラフェンサも、それは同様だ。
彼女たち二人はメンフィルの城に帰還することが決まった。
皆を取り纏める宰相のテセラは、見覚えのない黒服の……自分と同じぐらいの背丈の少女へと話しかけた。
「エリザ……と言ったな。お主が何者であるのか、妾には分からん。それを尋ねておる時間もないの?」
「肯定します。目の前の危難を乗り越えた上で、改めて自己紹介を」
「お主、戦えるか?」
「分析結果と検証結果から鑑みて、悪魔の炎を打倒できるのに一番適しているのは、エリザとラピスの両名です」
名前を挙げられたラピスが一歩前に出る。
周囲を見渡して息をひとつ、深呼吸を吸うように吐いた。
彼女もずっと働き詰めで身体の調子が悪そうだが、そんな弱音は言ってられない。
静かに刀を鞘から取り出す。既に魔物の返り血でべっとりとしており、これ以上何かを切れるようには見えないが。
「破魔の剣の術」
言霊が紡がれ、刀身が白く輝いた。
魔力を分解し、消滅させ、殺し尽くすことに特化させた人間だけで許された技法だ。
悪魔の炎の身体とて例外ではない。
鍵は彼女の一刀にある、と言っても過言はないだろう。己の役目の重要性に静かに闘志を燃やしていた。
「エリザも後ろからバックアップが出来ます」
「お姉さんたちはどうするの?」
「妾とマーニャとエリザで魔法の弾幕でも張るかの。足止めぐらいにはなろうか」
怪物が吐き出す灼熱は一撃でも受ければ命はない。
援護射撃のように攻撃を繰り返して足止めしなければ、無謀にも先頭を切る者たちがあまりにも危険だ。
前衛にはこれまで通り、ギレンが入る。
本人曰くの、あと二回までなら問題ない、を信じるしかないのだが、破魔の剣を使うラピスでは容易に接近が出来ない。
「分析結果。あくまで悪魔の炎は『魔力の塊』です。魔法が効いていないわけではありません」
「魔法をぶつけ合っての相殺も、破魔の剣での消滅であっても、効果は間違いなくある、ということですね」
「後は消耗戦ってわけねん」
「面白い。悪魔の炎とやらと根競べか。俄然、やる気が沸いてくる」
全員が一斉に頷いた。
不思議なものだ。かつては彼ら同士で殺し合いまで演じたというのに。
今は背中を預け、命を預けてひとつの強敵に立ち向かおうとしているのだ。
「戦うぞ」
宰相の言葉が力強く響いた。
手を取り合える、という事実に心を振るわせた百年の魔女が告げる。
「妾たちの主に見せてやれ。この国は魔王一人が背負うものではない、と。教えてやろうぞ」
少年の肩に全てを背負わせるつもりはない。
頼りがいのある部下たちがここにいる、ということを誇りに思ってほしい。
国とは一人の独裁者が動かす道具ではない。
多くの人たちが一人一人の信念を持って動かす、巨大な歯車であるということを心に刻め。
「魔王に全てを頼らずとも、これほど頼りがいのある配下がいるということを! 示してやろうぞ!」
全員の頷く様子を見て、テセラもまた勇気付けられる。
利害関係で集まった者もいる。命令されたから従っているに過ぎない者もいる。
それでも、彼らは揃って頷いた。
力を合わせることができている。人間と魔族が、オークとゴブリンが、自国と他国の者が力を合わせることが出来る。
「この国は理想郷じゃ。あのような訳の分からん怪物に、好きにされる道理はない」
「元々はお姉さんの蒔いた種だもの。尻拭いはさせてもらうわ」
「お嬢様を取り巻く全ての元凶に蹴りをつけましょう」
「お手伝いは出来ませんが、皆様の勝利と無事を願っています。必ず……全員で帰ってきてください」
テセラが、マーニャが、ラピスが、ラフェンサが。
各々の役割を把握したうえで。
自分たちの業と責任を十分に理解したうえで頷いた。
「我は現魔王に恩がある。それを返すだけに過ぎん」
「力になれないことは。本当にすみません。ご武運を。お祈りしています」
「エリザの準備は整いました。いつでも命令を」
ギレンが、ユーリィが、エリザが。
様々な思いと様々な意思が錯綜する中で戦うことを決意する。
全てが終われば。彼らとの間にあった確執にも決着がつくだろうか。今度はもう一度助け合えるだろうか。
それは、これからの努力しだい。手を差し伸べられるかどうか、ということだろう。
「行くぞ」
もう一度、簡潔な言葉で締める。
全員が砂漠の砂を蹴り飛ばし、各々の戦場へと舞い戻っていく。
残るは人の絶叫と獣の咆哮と勝者の勝どきの声だけだ。
全員が確信していた。この殺し合い、絶対に負けるはずがない、と。負ける気が全くしなかった。
宰相テセラを初めとした援護部隊が、遠方からの魔弾射撃で悪魔の炎を削り取っていく。
前魔王ギレンが怪物の腕を切り飛ばし、足を引き裂く。
護衛剣士ラピスが勢いを失った魔物の身体を片っ端から解体していく。
獣の絶叫は己のものか、怪物のものか分からなかった。
「――――――見えた!」
誰かが叫んだ。
解体された悪魔の心臓の部分に赤い光が見えた。
黒服少女の持ち込んだ宝石だ。
理論を説明されるまでもなく、それが悪魔の炎を象る『核』であることを理解した。
オォオォオォォオォォオオオオォォォォオォオォオオオオオッ!!!!
悶絶する怪物の心臓に、ラピスは迷うことなく刀を突き入れた。
灼熱の体温がラピスの衣服や肌を焦がしていく。背後で紅蓮の鎧を展開しているギレンがそれを抑え込む。
巨大な両手が剣士の身体を握り潰そうとするが、その行動を援護射撃する女性たちが許さない。
「<叡智>」
「<刺激的な電撃を!>」
「<光の槍!>」
閃光や雷が怪物の腕を破壊していく。
邪魔はさせない。
生まれてきてはいけなかった怪物を葬るために、魔力を注ぎ込んでいく。
本来であれば安静にするべきマーニャですら、力を振り絞る。そうしなければ敗北するのは自分たちだ。
「悪魔の炎! お嬢様の魔力よ!」
護衛剣士が闇を切り裂くほどの音量で叫んだ。
主の力の源にして、主を苦しめ続けていた元凶。無機物に罪はあるのだろうか。
魔力の塊に人の意思があるとするならば。
怪物は何故、自分が現世に顕現してしまったのか。自分が淘汰されなければならないのか分からないだろう。
「眠ってください……! あなたは人の姿をしてはいけなかった……!!」
深く、深く、深く。
怪物の身体の芯に刀を突き入れた。
赤の宝玉に破魔の剣が突き立てられ、呆気なくばきり、と音を立てて核が砕かれる。
絶叫が響く。断末魔の叫びが木霊した。
オオオオオオオオオオ……オオオオ……ォォォ……
悪魔の声が止んでいく。
灼熱の身体が夜の闇に呑まれて消えていく。
浄化していく生命。擬人化したに過ぎない魔力が哀しげな音を奏でて崩れていく。
ォォォォ……ォォォ……
最期に聞こえた怪物の声は。
何処か楽になれたことに対する安堵に聞こえた。
勝手に生み出された挙句、勝手に殺される運命となった魔力の塊。
彼を生命と見るべきか。『同じような存在』である黒服少女は、消えていく悪魔の炎を見つめ続けていた。
「…………」
彼の存在に意味はあったのだろうか。
黒服少女には分からない。彼女の存在意義は命令を忠実に遂行すること。
唯一、それだけを考えていればいいというのに。
心得た使命が胸に秘められているにも関わらず、どうしてこんなにも胸が痛むんだろう。
――――――きっかけは、そんな些細な出来事。
◇ ◇ ◇ ◇
時刻は朝方だった。
帰還した彼女たちを待っていたのは、新たな王国の魔王だ。
宰相や護衛剣士を初めとした首脳陣は色濃い疲れと傷を残しながら、ようやく城に帰ってきた。
既にラフェンサたちから報告は聞いているらしい少年は、皆を出迎えてこう言った。
「終わったんだね」
言葉は誇らしげだった。
労わるようでいて、彼女たちを心配するような声だった。
宰相はまったく、と少し不満そうな表情で笑う。魔王ならばもっと威厳のある言葉を言わぬか、と。
文句を言いつつも、笑顔だった。沈痛な表情など誰一人見せない。
「お疲れ様……みんな、本当にお疲れ様」
万感の思いが全ての言葉だった。
誰一人犠牲にならずに。皆で帰ってくることができた。
理不尽な世界を、残酷な運命というものを打ち破って、もう一度全員が集結することができた。
「ナオ殿……その、お嬢様は……」
「うん……」
探るようなラピスの声が合図だった。
応接室の扉が開かれる。からから、と小さな車輪が付いたベッドが揺れながら持ち込まれた。
思わず、従者は脇目もふることなく駆け出した。
白いシーツの上で横になりながら、ふっ、と気丈な笑みを向ける主を見て我慢の限界が訪れたのだ。
抱え込むようにして主に抱きつくラピス。迎え入れるように従者を抱きしめながら、彼女は言った。
「……お帰り。ラピス……それと、ごめんなさい。迷惑かけてしまったわね」
「お嬢様……!!」
それが聞きたかった。
それが何よりの報酬だった。
護れたのだ、という実感がようやく沸いてきて涙を零してしまう。
愛しい人が先に抱きつかれてしまった奈緒は、そんな二人を見て苦笑を浮かべていた。
「ラピスに先を越されてしまったのう?」
「あらあら」
「まったく……」
暖かい笑顔が周囲を包み込んだ。
誰も欠けることがないからこそ、誰もが浮かべることの出来る笑みだ。
誰かを犠牲にして得る幸せなんて享受できない。そんな彼らだからこそ得ることのできた幸せがある。
「お嬢様……おじょう、さまぁ……うっ、う……うう……!」
「もう、仕方がないわね、ラピスは……ふふっ」
暖かい涙を流すことが出来た。
絶望のために零れた涙ではなく、哀しみをこらえるための涙でもない。
涙の理由は変わっていた。こんなにも世界は変えることができる。
視界の端でマーニャがぼろぼろと泣きながらユーリィを抱きしめる姿が印象的で、思わず眉を細めてしまった。
(ハッピーエンド……ってな? なあ、奈緒)
(うん……良かった。本当に)
腰が砕けそうになるほどの安堵感が彼らを占めている。
奈緒は腰の辺りにラピスに抱きつかれたセリナの柔らかい表情を見ながら、静かに囁いた。
「……セリナ」
「ん……?」
「……待ってた」
「私もよ、ナオ。ずっと、ずっとね」
朝焼けに照らされて。
噛み締めるように呟かれた約束の言葉。
信じてた。
一緒に居てくれる、と。その約束を絶対に破らないと信じていた。
「セリナっ」
「え? ちょ、ま、待って……!」
感極まって従者と同じように抱きしめる。
二人に抱擁されたセリナはあたふたと慌てながらベッドの上へと倒れこんだ。
最後には笑いに包まれた応接室で、セリナの「も、もう、二人とも仕方がないんだから!」という声が響くのだった。
暖かい世界。理想郷がそこにあった。
長らく更新していなくてすみませんでした。
ようやくテストも終わり、本格的に夏休みが到来することになりましたw
これからもう一度ペースを守って更新していきたいと思います!
これからも応援よろしくお願いいたします!
追伸
さて『悪魔の炎』編も今回で終了。
今回の事件。悪魔の炎の出番は少なかったですが、実際は滅茶苦茶強かったのですw
どんなことが起きたのか。それを纏めておくと、今後の展開が楽しみになるかも?w