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第70話【悪魔の炎6、一夜限りの過ちを】





「ごめんなさい……」


最初、その言葉の意味をテセラは勘違いしていた。

見捨てることに対する罪悪感。己の使命と願いの狭間で搾り出した言葉だと思っていた。

百年を生きた幼女は。申し訳ないという気持ちでいっぱいだった。

恨むなら恨んでくれていい。

憎まれるのは自分ひとりで十分だし、罪を背負うのも自分ひとりでいいと。そう思っていたのだ。


「それがしは……」

「……?」


続けてテセラの顔に浮かんだのは疑問。

眼前の剣士はもう一度、刀を強く握り締めているところだった。

逃亡に刀は必要ない。早くそんな物騒なものは鞘に収め、飛龍に騎乗してほしかった。

結論から言うと。テセラは勘違いしていたのだ。

主の従者たる彼女は。自分たちの想像を遥かに上回るほど『人形ではなかった』ということを。



「それがしは、見捨てることができません」



決意の言葉が夜の闇に響いたとき。

宰相の瞳が、カッ、と開いた。額に血管が浮き上がるほど顔を鬼のように顰めた。

今まで見たこともないような怒りの形相だった。


「……もう一度、言ってみろ、ラピス。魔王の命令に従えんと。そう言うのかの……?」

「…………はい」


言い訳は出来ない。

確かにラピスは魔王の命令を拒絶することになった。

眼前で怒りをあらわにするテセラを見て、さもありなん、と唇を噛み締めた。

彼女は誰よりも法律を遵守する魔族であり、自分にも他人にも厳しく律する新国家の宰相だ。

首脳陣の一人であるラピスが命令を拒絶するなど、許されることではない。


「この……馬鹿者があッ!!!」

「っ……!?」


直後に飛んできたのは光の槍だ。

直撃はしない。わざと軌道を外されていた。貫かれれば命を奪われる閃光はラピスの横をすり抜けていく。

珍しいほどに冷静さを失っていた。

味方に怒りの矛先をぶつけ、魔法まで放ってくるテセラを見たことがなかった。


「て、テセラ殿……!?」

「ちょ、ちょっとテセラ、やりすぎじゃない……!?」

「お灸ぐらいにはなったじゃろうが……! ラピスよ、我侭も大概にせんか!」

「……っ……すみません、テセラ殿っ……!」


命令違反は処断されても文句は言えない。

仮にも首脳陣の一人がそれを守れないとなれば、法律そのものが有名無実のものへと成り下がる。

磐石の秩序がなければ国は定まらない。

理解している。理解しているとも。ラピスだって蛮勇に逸るセリナを大人の意見で止めたことがある。


「恩を返したいのです……! お嬢様を救ってもらった恩だけでも、返したいのです……!」

「妾だって! 妾だって救いたいわ! 好きで見捨てたいなどと誰が思うか、阿呆……! 阿呆がぁ……!」


泣いていた。

涙声だった。抑えていたものが溢れてきたのだろう。

百年を生きていたとしても。冷徹に冷酷に振舞ったとしても我慢できなかった。

自分だって助けたい。完全完璧に救って、皆で笑い合いたい。ああ、それが出来ればどんなに良いことか……!


「お主とて冷たい現実を知っておろう……!? 世の中は理想だけで出来てなどおらん!」

「知っていますよ……! 理不尽だらけの世界、世界、世界! 旦那様を容赦なく奪ったあの日から、ずっと……!!」


末永く続くと思っていた幸せな日々。

突如として奪われた『父親代わり』と、多くの犠牲。たくさんの人を見捨ててきた。

多くの知人の死に背中を向けてきた。

見捨て続けて、もう見捨てたくないと誓った女。だからこそ、彼女を見捨てることなどできなかった。


「我侭です、我侭なんですっ! 馬鹿なことを言っているのも、承知の上です!」

「……っ」

「助かる方法はあるんです! 助けられるんです! 手段があるのに見捨てるなんて、それがしには……!」


予想外だった。ラピスという人間のことを勘違いしていた。

彼女はセリナのために生き、セリナのために死ぬ。ある意味で人形のような生き様だと思っていた。

主さえ無事ならばどうでもいい、と言える人間だと思っていた。

違うのだ。ラピスも理不尽に翻弄され続けた一人であり、昔の出来事がトラウマになっている。

子供のように首を振り続ける理由はきっと。もう二度と同じ過ちを繰り返したくないからなのだろう。


「……テセラ。ごめんなさいね」

「マーニャ……!?」


飛龍に圧し掛かる重さが軽くなった。

彼女が気づいて振り返ったとき、既にマーニャの姿はおろか影もない。

三角帽子を取り落とさないように押さえながら、魔女はラピスの元へと走っていった。

不安げな足取りで、ふらふらになりながら、それでもラピスの隣に立った。


「お姉さんも、助けたい……守りたい……救いたいの。お願い……」

「ぐっ、おのれ……馬鹿ばかりが……」


苦しげにテセラが呻いた。

何だこれは。まるで自分が悪者のようではないか。

全くしょうがない子供たちだ。若さゆえの蛮勇というものか。テセラは嘆息して天を見上げた。

背後からぽん、と優しげに肩を叩かれた。

誰の手かは考えるまでもない。振り返れば、そこには慈愛に満ちた微笑と決意に満ちた王妹の表情。


「テセラ殿」

「ええい、お主もか! これでは妾一人が我侭を言う子供のようではないか! まったく!」


腕をぶんぶん振り回して怒りを表現するテセラ。

間違いだ。その選択は間違いだ、と理性が告げている。そんなことは分かっている。

全く。どいつもこいつも我侭ばかり。

認めたくないが。彼女たちの言葉は本来、自分だって心の底から放ちたいものだ。ずるい、と思った。


「もう、勝手にせい! 妾は知らんぞ!!」

「……申し訳ありません」

「知るか。お主には失望した。勝手にお主たち二人でやるといい! 妾たちは安全なところに避難させてもらうからの!」


強引に話を打ち切ってテセラはそっぽを向いた。

廃墟の前にラピスとマーニャ、二人の女が決死の表情でその言葉に頷いた。

馬鹿者が、ともう一度テセラは吐き捨てた。


「行くぞ、ラフェンサ。どんなに文句を言おうが、お主を危険に巻き込むわけにはいかん」

「……しかし」

「頼むから。これ以上、妾を困らせんでくれ……」


呻くゴブリンの姫の言葉を、ラフェンサは渋々飲み込んだ。

彼女だって辛いのだ。好き好んで仲間を見捨てる選択肢など選びたくないはずだ。

叶うならば立場も投げ出して救いたい。

其れが許されない立場に彼女はいる。だからこそ、テセラは最悪でもラフェンサの安全を確保することにしたのだ。


「…………」

「……」


飛龍が舞う。

鋼のように硬い緑の翼を羽ばたかせ、夜空を飛翔していく。

王族であるラフェンサは彼女たちを置いていくことに僅かに逡巡した。

結局は己の立場をわきまえる、という形を取ったのだが。


「……ああ、ラフェンサよ。そのまま周囲を旋回してくれぬか?」

「え?」


最初はその言葉の意味が分からなかった。

彼女の予想ではこのままメンフィルの城に取って返し、奈緒に命令違反を報告すると考えていた。

対してテセラが取った手段は、そうではない。

胸の内から宝玉を取り出す。伝達魔術品に魔力を通し、己の主と通話を始めた。


「……こちら、テセラじゃ。聞こえるか、ナオよ」

『うん』


短い返答。少年の純朴な声が返ってくる。

報告を待つ魔王に向け、テセラは無駄な言葉は告げなかった。


「確認するが。妾の任務はラピスを連れ戻すこと、だの?」


肯定の言葉が返ってきた。

表向きにはラピスを連れ戻すための作戦。そのために派遣されたのだ。

間違いではない。だが、完全な正解というわけでもない。

伝えるかどうか。彼女は一瞬だけ迷う。不確かな情報で信憑性にも欠けるが……やむをえないだろうな、と。


「ユーリィを救う方法があるそうじゃ。妾はラピスと喧嘩別れをしてきたところだの……」

『…………』

「のう、ナオよ。妾は間違っておるかの。仲間を見捨てた卑怯者、と非難するかの……?」

『ううん……そんなことはないよ、テセラ。それよりも』


飛龍に同じく騎乗していたラフェンサは驚きに声を失った。

俯く幼女の声は小さかった。

叱られる子供が親の様子を窺うような、そんな頼りない問いかけだった。

同じく言葉を失ったのは宝玉の向こうの少年だ。ユーリィを救う方法があるのだ、と。それに驚いている。


『『救う方法』があるんだよね?』

「……やっぱりの。お主に伝えれば、そういうことになると思ったわ……仕方のない子供たちじゃ」

『うん、ごめん。だけど……』


子供の理想論であってもいい。

大人が一笑に付すような夢物語を口にしているわけではない。

助けたい。救いたい。そう思えることに大人も子供も関係ない。ただ、立場がそれを許さない。


「妾はお主の許可がないと動けん……『ケジメ』が必要でな。のう、ナオよ……」


裏切り者だった女を救いたいか?

命令違反をした二人を救いたいか?

救いたい。

救いたいとも。

理不尽に若い命が奪われることが、テセラが最も恐れることなのだから。



「今だけ、妾を子供に戻してくれるかの?」



後先も考えずに。

リスクも考えずに。

ただ助けたいから、助ける。

ただ救いたいから、救う。そんな若かりし頃の所業を。

大人だからという建前しがらみに囚われた女を、この一夜だけ子供に戻してくれ、と。


『……それじゃあ』


魔王は宝玉の向こう側で笑った。

意地っ張りで頑固な百年の魔女。現実主義の彼女の思考を解放しよう。

今夜だけだ。新国家誕生を前にした、たった一度の過ちをしよう。

久しぶりの希望に心が躍っていた。


『一夜限りの過ちを命じる。全員が笑って建国式を迎えられる結末を、引き摺ってでも連れてきて』


許可が下りる。

奈緒は城の中で充実感に浸っていた。

そうだとも。これこそがナオ・カリヤのやり方だ。立場なんて関係なく、救いたいモノを救う。


『やっと分かった。これがきっと、僕たちらしい』

「すまんの」


誰にも文句は言わせない。

魔王の地位に潰されて、主義主張を縛り続けなければいけないなんて、嫌だから。

理不尽に苛まれる仲間を前にして、立場のせいで見捨てたくないから。

自然に笑みがこぼれていた。

奈緒だけではなく、テセラも。そしてラフェンサも。ようやく自分のやりたいことをやろう、と決めることが出来た。


『健闘を祈るよ』

「了解です。それではテセラ殿、どうしますか?」

「さすがに爆発に巻き込まれてはたまらん。旋回したまま魔物たちを殲滅しようかの」


片目を瞑ってテセラは茶目っ気の漂う声色で言う。

子供に戻ったとはいえ、最低限のリスク回避は絶対条件だ。

例え失敗の果てに暴走したからといって、ラフェンサを巻き込むわけにはいかない。


「あの馬鹿どもめ。まったく世話をかけさせる。こんな扱いづらい部下を取り纏めるのは大変だの」

「ふふっ……でも結局、許してしまうんですね」

「か、勘違いするでないぞ? 仕方なく、なのだからな! ええい笑うな、さっさと旋回させんかー!」


行動は早かった。

今までで一番早く、一番気持ちよく、一番痛快なことだった。

飛龍が歓喜の鳴き声と共に夜空を舞う。

放たれる光の槍と飛龍の嘶きに、廃墟を再び襲おうとしていた魔物たちの絶叫が再び響き始めた。




     ◇     ◇     ◇     ◇




「……これは、予想外の展開ですね……」

「むう?」


理解が追いつかないガーディを責めることは出来ない。

彼は本来、研究者にして科学者。世界情勢といったものに知識もなければ興味もない。

世界中を飛び回る商人とは違って、今の状況を正確に判断することは出来ないのだ。

赤髪は僅かに苦々しい顔を見せる。


「援軍のようです。状況は極めて最悪に近くなった、とだけ言っておきます」

「……どういうことだ?」

「私どもの計画プランの大筋に多大な損害が出る可能性が高くなった、ということです」


赤髪は思考をフル回転させて打開策を考える。

全くもって計算外。

まさか。暴走の危険性があるにも関わらず、首脳陣たちが彼女たちを連れ戻しに来るとは思わなかった。

暴走しても問題ない、程度に考えていた赤髪だが、こうなってしまえば状況は違ってくる。


「ガーディ。今回の件。作戦を変更します、はい」

「何だと?」

「なお」


フードに覆われた顔から紅蓮色の瞳が静かにガーディを射竦めた。

有無を言わせぬ強い言葉。

言葉に詰まるガーディに向けて、赤髪は『凄まじいほどに野性的な口調』で命令を下した。



「『法皇宣誓トップオーダー』を行使する。異論は言わせない。命令に従え・・・・・、ガーディ」



その言葉にどれほどの意味が込められていたのか。

最初は怪訝そうだったガーディの顔つきが不満そうなものから、畏怖の表情へと姿を変えていく。

神を前にした罪深い罪人のように。地に平伏すのが当然とばかりに。

頭を下げ、最敬礼と共に科学者は従属した。


「……分かった。従おう。ア、レルヤ……だ」

「それでは。私めの指示に従って行動していただきましょう。いえいえ、大したことではありません」


からり、と道化の口調に戻る。

変わり身の早さも恐ろしいが、一瞬感じた赤髪の威圧感にガーディの背中は冷や汗でびっしょりだった。

慇懃無礼な態度も、懇請丁寧な口調も。

総ては『赤髪』という存在を隠すための『道化師の仮面』に過ぎないことを、組織の一員であるガーディは知っている。


「作戦の鍵は……彼女です!」


すっ、とフードに覆われた商人の瞳が一人の少女へと向けられた。

黒服ドレスの人工生命体。

彼女ならばちょうどいい。投資は少ない。考えようによっては今後の展開も思い通りだ。

見た目とは裏腹な計算高さを脳に刻みながら、商人は胸ポケットから宝玉を取り出し、言う。



「エリザ。あなたに『おつかい』に行ってもらいましょう。よろしいですね?」



エリザは相変わらずの薄い反応で掌に乗せられた宝石を見る。

一度、主に確認を取るように視線を向けた。

中年の科学者は不承不承といった表情で頷き、人形に命令オーダーを入力する。

全ての作業が終わり、至高命令文を確認した人形は歩き出した。

激戦区の魔物の軍勢の中へと。

真っ直ぐに目的地の廃墟を目指し、ゆっくりと。ゆっくりと少女の華奢な身体が荒波の中に飲み込まれていった。




     ◇     ◇     ◇     ◇




「……っ……」


身体ががちがち、と子供のように震えていた。

廃墟に身を隠していたユーリィは集中しようとして失敗、というものを繰り返している。

無心になろうとして五感を遮断しようと、瞳を閉じ、耳を手で塞いでいた。

深呼吸をしようとした息が、はっ、はっ、と虫の息のような吐息にしかならない。


(こんなに未練なんてなかったはずです……死ぬのも。独りなのも。こんなに怖くなかったのに……!)


言うまでもなく、彼女が感じているのは恐怖だ。

死ぬのが怖いのか。孤独であるのが怖いのか。何が怖いのかも分からないのが怖い。

理由を挙げるとすれば、表で今もがんばってるかも知れないラピスだ。

自分の命だけじゃなく、自分を助けに来た者の命まで背負っている。その重圧感がユーリィに重く圧し掛かる。


からり、と廃墟に誰かが足を踏み入れる音がした。


可哀想なくらい、びくり、と身体を震わせるユーリィ。

ラピスとは思えなかった。あの魔物の大群をたった一人で打ち倒してきたとは思えなかった。


「……魔物……?」


ぽつり、と呟かれた言葉に自分で納得する。

負けたのだ。自分が何もできない間に、ラピスは力尽きてしまったのだ、と。

絶望の帳が彼女の心を暗く包み込んでいく。

足音が迷うことなく近づいてきた。終わりを感じたユーリィは身体の震えを抑えるようにして俯いて。



「見つけた……」



温かい声が振ってきた。

聞き覚えがある。忘れなどしない。彼女のことを忘れたりはしない。

瞳をこれ以上なく見開いた。そんなはずがない、と冷静な思考が働く。

絶望のあまり、幻聴を聞いたのかと思った。けれど、温かい声は続けて彼女を優しく包み込んでいく。


「言いたいことはたくさんあるの。だけど、今は一言だけ。言わせてもらうわねん」


温かい声が、温かい肌の感触へと変わっていった。

怯えるユーリィを慈愛の笑みと共に抱きしめる。温かい人の肌を感じて、今度こそユーリィは涙をこぼした。

冷静な思考なんて出来るはずがなかった。

一番逢いたかった親友。

彼女は魔力を奪われて体力がほとんど残っていない。それなのに力強い言葉でユーリィを勇気付けてくれた。


「もう安心よん。怖がらなくていい。お姉さんが、ずっと傍にいてあげるから……」


俯いた顔を上げた。

視界いっぱいに広がる親友の顔。

自分勝手で、奔放で、憎らしいほど最高のタイミングで。マーニャ・パルマーは現れた。


「……なにを……してるんですか……」


言葉が声にならない。

感動と恐怖が織り交ざった言葉。

安堵と安心にふにゃり、と揺らいでしまいそうな声色で彼女は言う。


「何のために……わたくしが。飛び出したと思っているのですか……何で。来てしまったのですか……」

「ごめんね。でも、お姉さんはこれが一番正しいことだと思えたよ」

「死にますよ……死んでしまうんですよ!?」

「大丈夫よん。ユーリィがきちんと中和してくれたなら、誰も死なない。皆で笑って帰ることが、できるわん」


その信頼が重い、と彼女は恥も外聞もなく、叫んだ。

喚き散らすユーリィを見て、マーニャは彼女を抱きしめる腕の力を強めた。


「お姉さんが、ついてる」


言い聞かせるように一言。

語り聞かせるように何度も呟き続ける。

一緒に帰ろう、と。一緒に過ごそう、と。一緒に生き続けよう、と。

今までずっと一緒だったのだ。いまさらお別れなんて出来るはずがないだろう。


「落ち着いて。頑張ろう、ユーリィ。今度は二人で『普通』を楽しもう。……ね?」

「…………まったく……あなたという人は……」


何時も、こうだ。

自由奔放でこっちの計算なんて無視した行動ばかり取る。

苛立たしいと思ったこともあるし、腹立たしいと思ったことだって何度もある。

本当に自由にならない人だった。

そんな親友が一番好きだった。震えている場合じゃなかった。


「失敗しても恨まないでくださいね」

「いや。失敗したら恨むー。だからお姉さんに恨まれたくなかったら、ちゃーんと成功させなさいー」

「また無茶を……」


困った笑みを浮かべた。

笑えるぐらい不思議に落ち着いていた。

孤独じゃなかった。独りじゃなかった。抱きしめてくれる親友が教えてくれた。

信頼に応えなければならない。

マーニャのためにも。ラピスのためにも。他の誰でもなく自分のためにも、やらなければならない。


「<接続。氷と炎の中和を開始>」


戦いが始まった。

剣を握るわけではなく、己を律する戦いが。

敵を打ち倒す戦いではなく、大事な人たちを守るための戦いが。


「これが終われば。無事でいられれば」

「うん?」

「わたくしも。彼らの仲間になれるでしょうか。マーニャと一緒に『普通』を楽しめるでしょうか……?」


問いかけに対して。いっそ豪快にマーニャは笑って見せた。

彼女一人を救うために頑張ってくれている人たちがいる。答える根拠はその事実だけで十分すぎた。

余裕の笑みと共にウィンクをひとつ。


「当たり前よん」


力強い肯定でもう一度笑顔がこぼれた。

意地を張る時間は終わりだ。孤独に震える時間も終わらせよう。

何だかんだと言いながら。裏切り者の女一人見捨てられない彼らの気持ちが、とても嬉しかった。




     ◇     ◇     ◇     ◇




三十以上の魔物を切り捨てただろうか。

増殖しているのではないか、と思われていた魔物たちの数もどんどん減っていった。

理由は三つだった。そのうちのひとつは言うまでもなく、ラピスの剣だ。


「…………っ」


腑に落ちない表情をラピスは浮かべている。

返り血を浴びて真っ赤になった袴を脱ぎ捨て、サラシを巻いた下着姿で戦っていた。

べっとりと同じく返り血を浴びた刀を見て、小さく舌打ちする。

切れ味はもうほとんどないだろう。これ以上の魔物が現れれば、ラピスも押し切られていただろうが。


飛龍ワイバーン……」


魔物殲滅の第二の理由。

上空を見上げた先で閃光の雨が降り注いでいた。

勝手にしろ、と言っておきながら手伝ってくれる宰相閣下に複雑な思いのラピスだった。

おかげで魔物たちは四散し、もはや廃墟まで到達できる魔物も極少数になっていく。


「……すいません、テセラ殿。ラフェンサ殿」


いずれ、この借りも返さなければならないだろう、と心の中で密かに誓う。

物思いに耽るラピスを狙って、リザードウルフが飛び掛かってきた。が、問題なく鎮圧する。

切り捨てた、というより鈍器で殴った、といった表現が正しいか。

獣はきゃいんっ、と絶叫を上げると一目散に逃げていき。


「<叡智ゼノン>」


直後に放たれた閃光がリザードウルフを呑み込んでいった。


「なっ……!?」


閃光、と表現したが、それはテセラの魔法ではない。

光の矢や光の槍といった中規模の弾丸ではなく、レーザー砲のような大規模の光線だった。

魔物が次々と葬られていく第三の理由に目を向けた。

油断なく。眼前で顔色を変えることなく、魔物を葬り去る『黒服ドレスの少女』を睨み付けた。


「殲滅を目的とするのなら、逃げる敵一人として逃がしてはなりません。とエリザは考えますが」

「何者ですか、あなたは……人間……? いや」


疑問が疑問を埋め尽くしていく。

目の前の少女は何者なのか。何の前触れもなく現れた十歳ほどの少女……少なくとも人間に見える。

黒服のドレス。ひらひらのフリルが夜風ではためいた。

見た目は人間だが、明らかに今の光線は『魔法に近いニュアンス』を感じ取った。


「ご安心を。エリザは敵ではありません。マスターより、貴女がたのお手伝いをするよう命じられた者です」

「ますたー……? エリザ?」

「エリザはエリザの名前です。初めまして」

「は、はあ……」


曰く、敵ではないらしいが。

人間に見える外見に反して、狼を塵に変えたのは魔法だった。

奈緒と同じ異端ミュータントか。それとも人間に良く似た魔族の一種か、判断はつかなかったが。


「商人ギルドに所属しています。お困りと聞いて駆けつけました」

「商人ギルドの?」


商人ギルドは平たく言えば、魔界レメゲトンに大きな勢力を持つ商人の集まりだ。

幾つもの商人の組織が集まって形成されている。

彼らは国の支援者として活動し、領土内で商売を許してもらったり、国のお得意様になったりするのだ。

現に商人ギルドから何組か、新国家に投資をしようという物も現れている。


「エリザたちのギルドは、エルトリア魔族国を支援国家に定めたのです。今回はその一環に」

「はあ……」

「とりあえず、これをお納めください」


小さな手から差し出されたのは宝石だった。

伝達魔術品の類ではない。単なる華美の宝石というわけでもなかった。

意図が分からず首を傾げるラピスに対し、少女は更に続けた。


「魔族病の暴走を抑える魔術品をご所望、と窺っています。お見舞いの品、として受け取ってください」

「暴走を抑える……!?」

「はい。マスターより、そのような効力だとうかがっています」


探していた魔術品を提示され、一気にラピスは眼前の少女に対する警戒心を無くした。

暴走に巻き込まれるのも覚悟していた彼女にとって、ありがたすぎる見舞い品だ。

壊さないように丁寧に受け取ると、少女は何処か満足そうな顔をする。


「ありがとうございます……! では、すぐに……!」

「お気をつけて。エリザは魔物の殲滅を担当します。幸運を祈っています」

「はい……!」


慌てて廃墟の中へと走り去るラピスの後姿を、少女は無表情な瞳で眺めた。

任務完了、という単語が思考の中に浮かび上がる。

簡単に信じてくれたのは、自分が小さな女だったからか。それとも暴走を前にして切羽詰っていたからか。

少女は相変わらずの光の篭らない無感情な瞳で、そんな考察をしていた。


「……さて」


宝玉の効果が本当に魔族病を抑えるものか、エリザには分からない。

赤髪、と名乗っている主の友人が告げていたのをそのまま告げた。

真実は分からない。

何となく、ただ暴走を抑えるだけの魔術品ではない気がするのだが、エリザには関係のないことだ。


「敵性の殲滅を開始します。魔力回路を稼動。第五砲『叡智ゼノン』を発射用意」


機械仕掛けの声に連動して、彼女の体内が脈動する。

何時の間にか己を囲んでいた魔物たちに向けて両手をかざし、やはり抑揚のない声を放つ。


「<叡智ゼノン>」


直後に放たれたのは光り輝く閃光の一撃。

眩い光に魔物たちが蒸発していく姿を、エリザは観察する子供のように眺め続けていた。




     ◇     ◇     ◇     ◇




「ぐっ……そんな……!?」


廃墟に悲鳴が響いた。

困惑と絶望の織り交ざった悲鳴と共に、ユーリィの身体が崩れ落ちる。

背中に冷や汗がびっしょりと流れ、吐かれる息は何kmも走り続けた走者のように激しかった。

集中できたのだ。中和を試みたのだ。

自信はあった。出来るはずだった。理論上は可能だった。


「中和が……できません……セリナの炎が。魔力が強すぎて……!」

「…………っ!」


動揺したのはマーニャも同じだった。

信じられない、というように呆然としながらユーリィの背中を何度も優しく撫でた。


「……セイレーン族の魔力が、打ち負けたって言うの……?」

「そのようですね……『悪魔の炎』ですか。便宜上の名前でしたが。冗談ではなくなったようです……」

「…………嘘でしょ。勘弁してよ、セリナ」


彼女の責任ではないが、思わずセリナに向けて言葉を吐き捨ててしまう。

悪魔の炎。決してセリナの素質だけが原因ではない。

潤沢なユーリィの魔力と混ざり合った影響で、更に勢いを増しているのだろう。

親友の氷を溶かし、蒸発させてなお、燃え盛るほどの……魔物が寄ってくるぐらいの魔力として。


「諦めちゃだめよ、ユーリィ。お姉さんは諦めないからね」

「ですが……」

「いい? もう無理だから早く逃げて、なんて絶対に許さないのよん? いいから頑張って!」

「全く。無茶を言いすぎです……」


悪態をつきながらも言うとおりに集中する。

魔力回路の中で燃え続ける『悪魔の炎』に己の魔力を当て、中和するように図る。

凍れ、凍れ、凍れ、と何度も命じ続ける。


「ぐっ……っ……くあっ……」


だが、効力はない。

炎の勢いが強すぎて魔力回路が焼き切れようとしているほどだ。

ユーリィのセイレーン族としての魔力の全てを注ぎ込んだとしても鎮圧できるかどうか。

失敗、という単語が頭に過ぎった。

周囲いったいを炎の海にする光景が否応なしにフラッシュバックし、ユーリィは悔しげに歯噛みした。


「どうして。どうして……どうして!」


何をやっているのだ。

皆が自分のために命を賭けて戦ってくれているのに。

裏切った女を信じて。その女を救うために彼らは立ち上がってくれたのに。

信頼に何一つ応えることの出来ない自分が恨めしい。

再び『裏切ってしまうのか』と。そう考えるだけで心苦しくて仕方がない。涙がこぼれるほどに口惜しい。


「消えて……」


魔力を練り上げる。

氷結牢獄アブソリュートで悪魔の炎を捉え、鎮火してみせる。

全ての魔力を注ぎ込んだ。成功しようが失敗しようが、ユーリィは二度と魔法を扱えなくなるだろう。

全力の魔法だ。これでダメなら終わりだ、と心に決めて。

凍れ。凍れ。凍れ。凍れ。凍れ。


「消えて……!」


悲痛な叫びが木霊した。

びしり、と音を立てて何かが引きちぎれた感触がした。

叫びが絶望の悲鳴へと姿を変える。体を襲う激痛に、ユーリィは獣のような絶叫を上げた。


「あっ……ぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああッ!!?」


限界が訪れた。

無理な魔法行使の代償が訪れた。

魔力回路が引き裂かれたのだ。氷の魔力は全て消滅し、彼女の身体を悪魔の炎が蹂躙する。

手始めとばかりに、彼女に左腕が青白い炎に包まれた。


「ユーリィッ!!」

「逃げてッ!! マーニャお願い逃げてええ!!」


失敗を悟った瞬間、ユーリィは渾身の力で叫び倒した。

少しでも遠くへ。少しでも離れてくれれば。ひょっとしたらマーニャは助かるかもしれない。

数時間の猶予はあっという間に消滅した。

もはや残された時間は数分。ユーリィの全身が炎に包まれる前に、マーニャたちをこの廃墟から遠ざけなければ。

悲鳴の木霊する絶望の帳のなか、疾風の如く風が駆けつける。



「マーニャ! ユーリィ!!」



現れたのはラピスだった。

彼女は二人の只ならぬ様子を感じ取って、事態を把握した。

暴走しようとしている。中和は失敗に終わったのだ、と。本当に神様は試練ばかりを与える、と憤った。

だが、捨てる神あれば拾う神あり。


「マーニャ! この宝石を使ってください! 恐らく身体に……燃えている左腕に当てれば……!」

「え、ええ!」


マーニャは突然渡された宝石に戸惑うが、今は何も考えられない。

言われたままに宝石をユーリィの左手に握らせた。

どんな効果があるのか知らないが。頼むから暴走よ、収まってくれ、と悲痛な思いで念じた。


「……あっ……」


最初に生じた感情は安堵だった。

悪魔の炎が。ユーリィを焼き尽くそうとしていた青い炎が、宝石の中に吸い込まれていくのだ。

不思議な光景を見ているようだった。

薄い色をしていた宝石がユーリィの魔力を吸い取り、輝かしい紅のルビーへと変色していくのだ。

相反するようにユーリィの表情から『苦痛』というものが失われていく。毒を抜かれた患者を連想した。


「成功ですね……」

「……ところでラピス、この宝石って一体……って……」


次に生じた感情は疑問だった。

宝石の効果も、それがどうやってラピスにもたらされたものかも気になった。

だが、そんな疑問が目の前の光景に吹き飛ばされた。

新たな疑問が沸き起こる。

悪魔の炎をその中に取り入れた宝石が、かたかた、と震え始めたのだ。


「これは……」

「―――――いけない! ラピス、逃げるわよん!」


痙攣する宝石を見て、マーニャが叫ぶ。

具体的な危機が分かったわけではない。ただ、嫌な予感を感じ取ったのだ。

連想したのは噴火直前の火山、といったところか。

行動は早かった。爆弾そのもののような宝石を投げ捨て、ラピスがユーリィの身体を抱えて廃墟から脱出する。


直後に轟音と雄叫びが木霊した。


地面に投げ捨てられた宝石を宿主として、悪魔の炎が現世に具現化した。

ラピスは廃墟を飛び出し、無表情で戦い続けていたエリザの首根っこをひっ捕まえ、強引に連行した。

いきなりの暴挙に呆然としながらも、抵抗することなく引き摺られていくゴスロリ少女。

廃墟を巨大な炎が飲み込んでいき、最後は全てを灰に還した。


「え、え、エリザ殿! あの宝石は何だったのですか!? 危ないところでしたよ!?」

「……質問の意図が分かりませんが。暴走を抑える宝石と聞いています」

「た、確かに暴走は抑えられたような気がしますが……ほら! それがしたちがいた廃墟が火の海ではないですか!」

「…………?」


追求してみるが、どうやら本格的に詳しい内容は知らされていなかったらしい。

結果的に彼女の持ってきた宝石のおかげで助かった面もあるので、強く出られないところが難しいところだ。

どちら様だろう、と疑問に思うセイレーン族のコンビに、どう説明をしようかラピスは悩む。

だが、そんなことに割く時間はなかった。

周囲が真昼のように明るかった。夜の闇が切り裂かれていたのだ。


「…………報告。廃墟を中心として膨大な魔力エネルギーを感知」


エリザが極めて事務的な言葉を紡ぐ。

言われて背後を振り向き、ギョッとした。彼女たちの背後には燃え盛る廃墟があるだけのはずだった。


「……悪魔の炎」


誰かが呆然と呟いた。

初めにその名称を思いついたマーニャのものだったかも知れない。

だが、誰もが同じ単語を頭の中に思い浮かべていた。眼前の光景はそれほど圧倒的な暴力だった。


炎の怪物。


めらめら、と陽炎を周囲に浮かべ、漆黒の闇が灼熱の炎に照らされる。

真昼のような明るさに誰もが言葉を失っていた。

セリナの魔力とユーリィの魔力を吸い取った炎は宝石の中で一気に凝縮し、ひとつの生命体として生誕した。

炎が生きているようだ、という表現があるが、現に目の前の炎の塊は生きていた。

怪物が産まれてきたばかりの赤ん坊のように泣く。



オオォォオオォォオオオオォオォオオォオオォオォオオォォォオォオオ……



寒気がするような光景だ。

灼熱の熱気に包まれて蒸し暑いのに、ゾッとするくらいの嫌悪感が漂う。

何が起こったのかは分からないが、確かなことがある。


現世に怪物として顕現した悪魔の炎は。

自分たちにとっての『敵』であり、一連の事件における全ての『元凶』であり、倒すべき『魔物』であるということだ。





この時期は大学生にとって恐怖のテスト期間です!

更新が遅くなるような気がします!w

気長に待っていてください!w

いつもご愛読、ありがとうございます♪

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