第6話【彼と彼女たちの心温まる思惑】
リーグナー地方。
この世界では比較的珍しい、鉄鉱石の採掘が有名な地方だ。
地方のあちこちには鉱山があり、それによる物資を輸出することで国として潤わせている。
その反面、草花や水が少なく、民たちは常に飢餓と水の確保に追われている。
鉱山の町、鉄鉱石の国。採掘場の数々が点在する荒れ果てた大地に住む人々がいる。
リーグナー地方を本拠とする国はみっつ。
地方の東半分を国土として持つリーグナー国で最も力のある国、ラキアス。
西北の最も険しい荒地や砂漠、山々を領土とする蛮族国、クラナカルタ。
西南に位置するのがリーグナー地方では珍しく、森や水が比較的多い小国、オリヴァースだ。
「五色……!?」
「ええ、そうよ……この目で見た私ですら、信じられないんだけど」
セリナとラピスの二人はオリヴァースの国へと入っていた。
砂漠を超えて国境の町へと入った二人は、一番質の高い宿を取ってから事の顛末を話しあった。
もちろん、彼女たちが保護して部屋のベッドに横にさせているナオという少年についてだ。
道中でラピスが聞かされたことは、ナオ・カリヤなる人物が異端であることぐらいだった。
これだけでもラピスを驚かせたものだが、宿に着いたセリナが語った言葉は彼女を更に驚愕させた。
「地、氷、風、雷、そして闇。私がこの目で見た魔法の数々よ」
「……とても信じられません。本来、主を疑うことなどあってはならぬのですが……しかし」
「ラピスの気持ちは分かるわ。私だって幻でも見ていたような気分だもの」
奈緒たちの世界で言えば豚が空を飛んだ、と言われているようなものなのだろう。
魔族たちはほとんどが一色の属性しか持ちえず、セリナのように魔術の才能があるものでも二色だ。
人間の身で五色などというのは有り得ない存在と言っていい。
他の魔族に話したとしても生温かい視線を向けられるか、嘘を付いているとして相手にもされないだろう。
「しかも、真昼の砂漠で氷、ですか……?」
「そうよ。トロールの氷漬けがあったでしょ、あれが何よりの証明にならない?」
「はっ……」
未だに納得がいかないらしいラピス。
無理もないわね、と内心で呟きながら奈緒が眠っている奥の部屋に視線を向ける。
規格外の存在。異端児にして英雄にもなれる存在。
セリナは床で臣下の礼を取って跪いているラピスに言う。
「ねえ、ラピス。私がこの旅の間に考えていた計画、憶えているわよね?」
「………………はっ」
魔王へ成り上がる計画。
自らの王国を手に入れ、強力な手駒を夫として迎えることでエルトリア家の復興を目指す。
セリナが掲げた第一目標であり、恐らくはセリナが生涯をかけて叶える目的だ。
彼女の護衛剣士はセリナが望まぬ相手と添い遂げることには、強く抵抗感がある。
それをセリナも知っているが、計画を変えるつもりはない。
「ナオ……人間でありながら五色の魔法を操る異端の魔王」
「まさか、お嬢様……!」
「ええ。彼になら賭けていい。身体を捧げてでも手中に収めたいわ。エルトリア家の復興のために」
その言葉に強く反応したのはラピスだ。
まだこの目で確かめていない以上、易々と五色の魔法を扱うことを信じられないのだろう。
彼女の主に娼婦の真似事をさせる、というのもラピスにとっては耐え難い苦痛だ。
「お嬢様、それがしとて身を鬻ぐ覚悟は出来ております。お嬢様自身がやる必要など……」
「あるのよ。女は魔王になれないんだから」
悔しいことにね、とセリナは無理に笑った。
どの道、もはやエルトリア家を再興させるためには夫を迎えなければならない。
相手が力か権力か、それがあるのなら。
それで公爵家が再び立つことができるのなら、セリナはそんな覚悟なんて当の昔に終わらせている。
「ラピスには心苦しいくらい迷惑をかけてるもの。これ以上は十分よ」
「……勿体無いお言葉です。それがしの命と忠誠はエルトリア家に、お嬢様のためならばどのようなご命令も」
深々と低頭するラピスを見て、セリナは相変わらずね、と微笑んだ。
ラピス・アートレイデは人間の身で魔族公爵の家に絶対の忠誠を持った女性だ。
歳はセリナよりも三つ上。彼女の護衛としての立場は十年以上も続いている。
セリナが生まれてくるよりも早く、ラピスは公爵ラグナによって拾われた。
「お館様の無念は必ず。人間のそれがしをここまで育ててくださったエルトリア家の復興は、必ず」
ラグナは捨てられていた人間の赤子を拾い、育て上げた。
その二年後にセリナが生まれてからは修練を積み、公爵家の一人娘であるセリナの付き人となった。
付き人から護衛となり、それが専属となっていった。ラピスとセリナは幼馴染にして、姉妹のような仲だった。
アンドロマリウスの変で殺されたラグナの無念を刻みつけ、セリナへと付き従ってきた。
ラピスという女性にとってセリナは主にして妹だ。
セリナの父だったラグナはラピスにとっても主でありながら父親だった。
敵討ちをしたい。エルトリア家を立て直して無念を晴らしたい。同じくらい、セリナという少女に幸せになってほしい。
「ですが、彼は信用できるのでしょうか」
「彼が気絶したのは私を庇ってくれたからよ。脈くらいあると願いたいわね」
実際、セリナだって心配なことがたくさんある。
彼女は魔族で、しかも混血だ。人間相手なら嫌悪の対象であることは間違いない。
人と魔は百年以上の長きに渡って対立している。
彼のおどおどした態度を見る限りでも、魔族に対する恐怖にも似た何かをセリナは感じ取っていた。
「ナオが目を覚ましたら交渉ね。どういう方向性にしようかしら」
「お嬢様は貴族です。媚びるような態度では相手を調子付かせる可能性も考えられますゆえ」
「媚びない態度で、誘惑しろ……ね」
何気に難易度の高い話である。
果たして魔王の話から説明するべきか、それとも誘惑してから事故承諾を得るか。
考えれば考えるほど、胸の奥が締め付けられるような痛みが走る。
それを強引に押さえつけてセリナは自分を納得させる。
(逆に考えれば、命の危機を救ってくれた人なんだし)
そんなことを考えながら奥の部屋を何となく見つめる。
ラピスは先ほどから動くことなく床の上で跪いていて、セリナは四本足のちょっぴり豪華な椅子に腰掛けていた。
国境とはいえ一番高い宿なので、セリナが座っている椅子以外にも腰掛けられる椅子があるのだが。
「ラピス、彼が起きるまで待ってましょう。あなたも座りなさい」
「いえ、それがしはこのままでも……」
「主命令よ、交渉について考えるからあなたも意見を出してちょうだい」
主命と言われればラピスは従うほかはない。
付き人であった時代は普通に遊び相手も勤めていたのだが、護衛となったときから機会は少なかった。
セリナも久しぶりということで友人としてのラピスに期待しているのだろう。
彼女たちはあーでもない、こーでもない、とこれからのことについて意見を交し合っていた。
◇ ◇ ◇ ◇
「ん……っ……」
奈緒のまぶたがゆっくりと開いた。
数秒は視界が確保されなくて、呆然と白い天井をしばらく眺めていた。
今日は学校だったっけ、と休みボケのように目を擦る。
周囲を見渡してキョトンと首を傾げる。そこは奈緒が生前住んでいた部屋ではない。
脳が事態を理解できないときに、脳裏から声が響く。
(起きたか、親友)
(……ああ、そっか、そうだよね。おはよう、龍斗)
(おはよう。状況の説明が必要だろ?)
(うん……)
知らない天井、知らない部屋、知らない家具に知らないベッド。
白い天井を見ることをやめ、身体を起こす。頭痛が少し酷くて顔をしかめたが、それも段々と薄れていった。
部屋は薄暗い。カーテンは締め切られていないが、窓から日光らしきものは見えない。
ホテルの一室みたいに大きなベッドがひとつだけ。後はクローゼットなどがあるだけだ。
(まず、今はもう夜だ。真昼間から寝てたから、大体七時間くらいだな)
(ん、結構寝てたね……っていうか、僕たち砂漠にいなかったっけ)
(保護されたんだよ。憶えてるか、あの空飛ぶ黒いワンピースの金髪ツインテール)
(あー、うん。何となく統合性とれた)
最後にザルバードを全力で討ち滅ぼしたところで力尽きた。
そのまま砂漠に倒れていたら別の魔物の餌食になっていたか、もしくは熱中症で大事になっていたに違いない。
命を助けてもらったことにお礼を言わないと、とぼんやりとした思考で考えた。
(それで、ここは何処なの……?)
(見た感じ、宿だな。砂漠をずっと行ったところに町があってな、今日はここで一泊するらしい)
(お金は?)
(ありがたいことに向こう持ちだ。そして真に遺憾ながら、金の単位は円ではなかった。なんかセルパって言ってた)
(……一セルパって感じ?)
(そうそう、ちなみにここのホテルは三十セルパな。基準まったく分からねえけど)
龍斗の説明を受けながらベッドから降りた。
身体をぽん、ぽん、とあちこち触ってみるが怪我をしている様子はない。
あれだけの数の悪魔たちを相手にしてよく無傷で済んだなぁ、と乾いた笑みを漏らす。
(向こうの部屋に二人いるぞ。セリナって子と……聞いて驚け、人間もいる)
(ほんと!?)
(ああ。肌が緑色だったり、豚の顔の巨人だったり、蝙蝠の翼だったりしていたが、今度はちゃんとした人間のはずだ!)
(ああ……いたんだ、この世界にも人間が……ちゃんとした、人が……)
奈緒は地味に感動した。
この世界に人間がただ一人だとしたら、孤独に打ち震えてしまうところだった。
だが、次の龍斗の一言で嬉しそうな表情が少しだけ引きつる。
(ただし、奈緒を抱きかかえたまま砂漠を車並みのスピードで走っていたけどな)
(ごめん龍斗、僕の感動返して)
(悪かった。あの魔族とか言う子もいってたけど、人間に擬態した魔族だと言われても信じられる)
(……まあ、セリナは人間って単語に反応していたし、ちゃんと人はいると思うけど)
微妙に苦々しい顔をしながらも、奈緒は部屋のほうへと歩いていく。
扉はふたつ。片方は暗くなっていて、もう片方の扉からは僅かに女性の声が聞こえる。
そちらのほうから明かりが見えるので、間違いなく龍斗の言うとおり二人がいるだろう。
何となく会話を盗み聞きしてみたい衝動に駆られたが、龍斗にからかわれるのも嫌なので自重した。
助けてもらったお礼を言うためにも、奈緒は向こうの部屋への扉のノブに手をかけた。
(あ、そっちは)
かちゃり、と音がしてノブが回る。
部屋の明かりに眩しさを感じながら目を凝らすと、そこには予想通りの二人の女性がいた。
金色の髪のツインテールの女の子と、桃色の髪のポニーテールの女性だ。
ただし、どちらも一糸まとわぬ姿だったが。
「……は?」
「えっ?」
「むっ……?」
(風呂場らしい、んだけど……あー、幸運を祈る)
龍斗の投げやりな対応は耳に届かなかった。
奈緒の感覚の全ては視覚のほうにいっていて、神童と呼ばれた奈緒の頭脳もしっかり停止していた。
扉を開けたその先はすぐに浴槽があったのは、宿ならではの悲劇だろうか。
広くはないが決して狭くない、清潔感漂う白い壁。お湯の白い湯気と、それに負けないくらい白い、人の肌。
「あ……う?」
まるで雪のように白い肌の持ち主、セリナは長い髪をストレートに下ろしていて大人びた雰囲気を醸し出す。
所々を白い石鹸の泡が彼女の柔肌を隠しているが、奈緒の視線の前では大した意味など持たない。
座り込んだ彼女はぽかーん、と乱入してきた奈緒を見ていた。
手には石鹸らしきものが握られているところを見ると、身体を軽く洗っているところだったのだろう。
白すぎる柔雪の肌のなかでただ一点、背中から生えた黒と紫の混じった翼が妙に印象的だった。
彼女の柔らかそうな腰まで伸びる髪は、セリナの背後にいる女性が丹念に洗っているところのようだ。
「………………」
「…………」
「……」
セリナの背後にいる桃色の髪の女性はラピスだ。
彼女はセリナの白い肌と比べれば僅かに日焼けしているが、それはセリナが白すぎるだけに過ぎない。
健康的な肌色と眩しすぎる肢体、セリナも体躯の割には豊かな膨らみをしていたが、彼女はそれ以上だった。
ラピスは丁寧に主の金色の髪を洗っていたようだが、今はその手も止まってしまっている。
気まずい沈黙がしばらく流れていた。
これは非常にまずい展開だということが理解できているのに、奈緒の視線は二人の裸体に釘付けになる。
心の中で親友があちゃあー、と嘆息しているのが聞こえないほど奈緒の頭は働かなかった。
「…………へえー」
顔を真っ赤にしたまま硬直する奈緒を見て、ようやく事態を理解したセリナが怪しく笑う。
蛇が蛙を見る目のような捕食者のそれを感じて、ようやく奈緒が我に帰る。
セリナは僅かに頬を赤く染めつつ、こめかみに青筋のようなものを立てながら唇だけを動かした。
思考を回復させた奈緒は自然とその動きだけで何を言っているのか理解した。
か く ご は で き て い て ?
心臓が凍りついた。
頭の中に浮かぶ百通りの言い訳が、ただのひとつも言葉に出来ない。
主の意思を受け取ったラピスが静かに目を細めた。
彼女は何か言うこともなく、ただ行動で示そうとしているらしい。奈緒にはそれが淡々とした殺戮機械の仕事に見えた。
「あ、いや、え、えっと、これは……!」
「こ、の……」
聞く耳は持たなかった。
反論はおろか弁解の余地すらも与えられなかった。
わなわなと白い肩と胸の膨らみを揺らした金髪とルビーの瞳の持ち主は叫ぶ。
「覗き魔ああああああああああああああああああッ!!!!」
直後、風呂場のドアから少年が木の葉のように吹っ飛ばされる。
腹部に強烈な蹴りを受けた奈緒はノーバウンドで三メートルくらい滞空し、元通りベッドの上へと叩き付けられる。
がふっ、と血でも吐きそうな息を吐いて奈緒は柔らかいシーツの上へと沈んでいく。
薄れ行く意識の中、龍斗の声が届く。
(待った! 意識失う前に人格切り替えておいてくれ!)
(う……ん……)
かしゃり、と肉体の痛みから逃れるためにも龍斗に所有権を譲っておく。
痛みから解放されたがダメージは蓄積しているらしく、奈緒はそのまま本日二度目の失神を果たした。
最後に思い浮かべたのは、少し邪な光景。
天国と地獄を味わったような心持ちの奈緒は、喜ぶべきか悲しむべきかも分からないまま意識を闇の中へと落とした。
◇ ◇ ◇ ◇
「……………………」
「……………………」
入浴を楽しんだ二人はお風呂場でそのまま着替えを済ませると、奈緒が倒れているベッドまで歩く。
横たわる奈緒の姿を見てゴミを見るような目で問いかける。
「……何か言い訳は?」
「悪かった、と言わせてもらっとくな」
奈緒の身体を借りた龍斗が投げやりな謝罪をよこす。
彼は額を押さえるようにして目を隠しながら、セリナとラピスの二人と相対した。
少々横暴な態度にまだ怒りの収まらないらしいラピスが、そっと主に向かって進言する。
「斬ってよろしいですか?」
「いいかも」
「おいおい、ちょっと待ってくれよ。こっちの言い分くらい訊いてくれても良いんじゃあねえか?」
セリナの記憶にある奈緒の声ではなかった。
龍斗の言葉に違和感を覚えたのはセリナだ、途端に鋭い視線を龍斗へと向ける。
ラピスは狩谷奈緒という人物の人柄や声を知らないので気づかなかったが、セリナはそれを察知した。
「……あなた、ナオじゃない……?」
「ああ」
出来るだけ威厳たっぷりに。
彼女たちが警戒してくれるような最大限のハッタリをかますために、龍斗は獰猛そうな笑みを浮かべる。
そして抑えていた額を、隠していた目の色の変化を二人に見せる。
そこでようやくラピスも目の前の男と風呂場を覗いた男が別人であることに気づいた。
「貴様っ……!」
「おっとと、あの悪魔をぶった切ったときみたいなのはやめてくれよ? ナオが死んじまう」
「ラピス、やめなさい」
「……はっ」
元より、セリナは強く出れる立場というわけではない。
先ほどの風呂場での一幕ではついラピスをけしかけてしまったが、後でしまった、と唇を噛み締めたくらいだ。
向こうが落ち着いて話し合いに臨んでくれるのならありがたい。
「それで、あなたは誰なの?」
「龍斗。アンタら風に言うならリュウト・サグラって名前だ。とある事情で奈緒と一心同体になっちまった親友だよ」
「一心同体……?」
「んー、魂だけが奈緒に宿っているってのが正しいかな。そっちの世界でも、そういうの、ある?」
二人には龍斗の言っている意味が良く分からなかった。
だが、何となくのニュアンスを噛み砕いたあとでセリナが答える。
「ひとつの身体にふたつの魂。私たちは少なくとも初めて聞いたわね、リュート」
「何だかイントネーションが楽器みたいだが、まあいいや。とりあえず、さっきの事故は許してくれないかな?」
「……貴様は、先ほどの男と違うのだろう? 何故貴様が謝る?」
「いや、奈緒のアレはわざとじゃないから。俺と奈緒のどちらが覗くか、って話なら九割、俺だし」
どうせ起きても、奈緒はうまく自分の無罪を証明できないだろう。
もしかしたら無条件降伏をする可能性もあるので、露払いとして龍斗が一肌脱ぐことにしたのだ。
何しろ奈緒は制裁を受けたが、龍斗はただで二人の裸体を拝んでいる。
儲け儲け、とは思うのだがこれぐらいはしてやらないと目覚めが悪い。
「奈緒は純朴で良い奴だよ。俺はともかく」
「いいわ、別に。私は命を助けてもらっているもの。さっきのでチャラってことでいい?」
「ああ。ついでに宿代もチャラにしてくれたらな」
「ちゃっかりしてるわ、あなた」
呆れにも似た笑みを浮かべるセリナ。
奈緒本来の童顔な顔つきからは想像も付かないほどニヒルに笑う龍斗は、内心でほくそえむ。
しめしめ、良いとこ取りだぜ、と黒い笑みを浮かべているのだが、気づくものは誰もいない。
「訊きたいんだけど」
「俺たちも山ほどあるけど、レディーファーストってことでどうぞ」
「魔法が使えるのはあなたの力?」
「残念、魔法が使えるのは奈緒のほう。俺は肉体労働担当なんだぜ」
そう、とセリナが考え込むように顎に手を当てる。
セリナが必要としているのは奈緒の規格外な魔法の才能だ。遺憾ながら肉体労働のほうはラピスで間に合っている。
交渉する相手は龍斗ではなく、奈緒のほうだろう。
いや、親友の龍斗のほうを説得しておくだけでも、奈緒という異端が力を貸してくれる可能性が高いか。
そんな思惑を感じ取ることはない龍斗は、二人に向けて言う。
「奈緒のほうに用事があるみてえだな?」
「……ええ」
「なら、奈緒が起きてからのほうがいいよなー。さっきの蹴りで気絶しちまってっから」
ぎゃはははー、と豪快に笑う龍斗は視線をラピスに向けていた。
ラピスはどう受け答えするべきか分からず、視線を横にそらすばかりだ。
セリナは紅蓮色の瞳の少年を見て、こちらの機先を制されたかしら、と瞳を鋭くしながら思う。
これ以上は奈緒という少年が目覚めてからだろう、ということで納得しておいた。
「分かったわ。こちらはあなたたちを歓迎するつもりだから、警戒はしないでね」
「了解ー、さすがに勝手に逃げ出したりはしねえよ」
「私たちは隣のリビングにいるけど、あなたはどうする? 食事もまだでしょう?」
「飯はすごく魅力的だけど、そっちも親友のほうが心待ちにしているんだ。水かなんかくれたら、俺はそれでいい」
向こうの提案に承諾し、セリナはラピスを引き連れて寝室を出る。
龍斗はその後姿を見送ると、ぐたー、とベッドに横たわった。
彼とて身体は失ったからこそ、柔らかいベッドで横になりたいし、食事も食べたいが我慢する。
食べ物の恨みは怖い。抜け駆けで一人食事を済ませたら、親友は怒るだろう。
「あー……腹減ったなぁ、畜生」
奈緒が気絶から目覚めるのはいつになるか分からない。
彼の最大の敵は空腹に違いない、と朝から何も食べていない腹の自己主張を抑え込む。
今はとにかく疲労した身体を休めることに全力を尽くそう、とベッドの上で誓うのだった。
ぐう〜……
空腹がこれほど強敵とは夢にも思わなかったわけだが。
これから親友が目を覚ますまでの一時間あまり、生殺しに近い状態で待機することになる。
龍斗は張ってしまった意地のために、鈍いのに内心で呟く。
(奈緒ー、奈緒さーん。そろそろ回復しませんかー?)
(…………)
(二人の裸の女の子があなたが目覚めるのを待っていますよー、奈緒さんー?)
(…………っ)
(おお、ちょっと反応したな、このむっつり! ていうか起ーきーろー、起きてくださいー)
ぐるるるる〜……
虚しく腹の虫が鳴り響くばかりだった。