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第61話【幸福から地獄へ】




季節も夏へと移り変わった。

魔界レメゲトンに四季という概念はないが、気持ちがそんな気分だった。

砂漠を主な国土とするエルトリア魔族国(仮名)は、春夏秋冬を通じて日照りが続いている。

これが水不足や資源不足の原因となって、奈緒の頭を悩ませているのだが、それはまた別の話。

連日の会議。そこで飛び出してきたのが、この議題だ。


「建国式典?」

「はい」


会議室は円卓の席になっており、上座の席に座る奈緒がきょとん、とした表情を見せる。

その右側で優雅さを保ったまま、静かに微笑むのがオリヴァースの王妹殿下のラフェンサ・ヴァリアー。

戦場で着ている鎧ではなく、王族としてのドレス衣装に身をまとった彼女はとても美しい。

建国式典、という言葉は彼女の口から飛び出した。


「王族として名乗りをあげ、国を建立するのであれば……それに相応しい式典が必要と考えます」

「式典と言っても……」


奈緒が思い浮かぶのは、歴史の教科書に載っていたフランスの戴冠式の写真だ。

華々しい紳士服とドレスに身を纏わせた王侯貴族たち。

教皇を呼んでの儀礼的な戴冠と、舞踏会などを盛り込んだ豪華な式典。

魔界レメゲトンの式典がどういうものかは分からないが、何となく中世ヨーロッパの印象がついて回る。


「うちの資金的にそんな余裕があるかな……」

「何とか用意はできるのう」

「ええー……」


個人的に目立つ式典は好きじゃないのが奈緒だった。

そんな性格なら魔王になるなよ、と言われるかも知れないが、改めて表彰されるような扱いは恥ずかしい。

昔から『表彰台に立つ』ということが苦手だった奈緒は露骨に嫌な顔をするが、周囲はその方向で話を進めていく。


「やっぱ、美味い飯とかたくさん用意して、パーッ、ってやんのか?」

「阿呆。お主たち傭兵の無作法と一緒にするでない」

「ふふっ……まあ、要するに『これから私が国を治めます』ということを、民衆に知らしめるための祭典ですよ」


確かに元の世界でも建国記念日というものはあるものだ。

日本の幕府で考えるならどうだろうなぁ、と奈緒は全力で現実逃避に走ることにした。

政治的な意味合いも込めているなら、拒むことはできない。

段取りの類は自分が口を出すまでもなく、テセラやラフェンサがやってくれそうだ。


「その席で、皆様の役割というものも発表していただきます」

「役割って役職のことかな……?」

「はい。『魔王の名の下に、彼の者を信頼してこれだけの権力を任せます』と、正式の場で公言していただくのです」

「それも儀礼のひとつってことかな」

「その通りですよ」


前から思っていたが、魔界レメゲトンは儀礼を重視する傾向にある。

もちろんこの世界の人間たちの都市に行ったことがないので、魔族だけかも知れないが。


「必要な役職と言えば……」

「宰相を筆頭にして……財務と外交の大臣でも決めておけばよいかと」

「全部、テセラで」

「ふざけるでないわ! 宰相だけでも手一杯だと言うのに!」

「だって……」


政治や経済に詳しそうな人材が他にいない。

ラフェンサやジェイルといった聡明そうな人たちは全て、オリヴァース国に所属している。

思えば結構、政治に詳しい仲間がいない。

戦えば大型の魔物であっても軒並み葬ってくれそうなぐらい頼もしいのだが。


「逆転の発想でゲオルグでも推薦しようか」

「その発想はなかったわ!」

「そんなまどろっこしい役柄、オレだって断固として断る。つーか、オレは傭兵だからな?」

「むう……世界あちこちを回っているだろうから、経験豊富かも、と思ったんだけど」


まあ、そのゲオルグも戦いだけで細かい雑務はカスパールに任せていたらしいし。

裏切り者とはいえ、カスパールの存在は大きかったのだろう。

ゲオルグを初めとした傭兵たちが報酬を貰ってもなお、ここに留まっている理由はそういうところにある。

もちろん、残っている傭兵たちは『ゲオルグ牛鬼軍』の数十名だけなのだが。


「……しかし、現実に妾一人で対応はできん。老人を早死にさせるものではないぞ?」

「…………その幼女のような容姿と、幼子のような声を聞いていると、その言葉にも違和感を感じるよね……」

「失敬な!」


珍しく両手をばたばたさせて憤りを露にする幼女宰相。

背丈は意外と気にしているらしかった。自分で自虐ネタには使うくせに。

ふうー、と一息を付いて考え事に浸ろうとすると、目の前にコトッ、と湯飲みらしきものが置かれた。

驚いて見上げると、侍女らしき女性が笑顔で立っていた。


「どうぞっ、お疲れですねっ」

「……あ、うん。ありがとう……」


思わず返事が遅れてしまったのは、彼女の着ている服装についてだ。

確かに中世ヨーロッパっぽい世界だとは思っていた。

だが、これはさすがに予想外だったらしく、奈緒は口をパクパクと開閉しながら少女の身体を上から下まで眺めてしまう。

視線に気づいた少女は、パッと顔を赤くしてお盆で顔を半分隠してしまった。


「な、なんですかっ?」

「い、いや、ごめん……うん。その服装が珍しかったから、ちょっと……」

「?」


メイド服だった。

完膚なきまでにメイド服だった。

一切の文句の付けようもなく、白いひらひらのフリルが付いたメイド服だった。


「おい、ナオよ。リィムは確かにお主の世話役じゃが、同時に妾の助手でもあるからの。色目を使うでない」

「つ、つかっ、使ってないよ!?」


情けなく動揺する時期魔王に、周囲が苦笑に包まれる。

その空気がどうしようもなく恥ずかしくなって奈緒は俯いてしまう。

先ほどまで文句を言っていたテセラはしてやったり、という笑顔を浮かべたまま腕を組んでいた。

リィムはと言うと、恐縮するように照れ笑いを浮かべながら、周囲の者たちにもお茶を配っていた。


(おおう。二回以上噛むとは珍しいぜ、奈緒。やっぱ女性関係そういうぶんやは弱点だなぁ、くっく)

(……龍斗、龍斗)

(ん?)

(会議が終わる前にノコギリか、会議が終わってからギロチンか、好きなほうを選ぶといいよ)

(…………俺が死なない選択肢をください)


脳内で相変わらずの会話をしながら、今後について奈緒は考える。

助手、という言葉がいい具合に作用しそうな気がした。

人選を考え、とあるセイレーン族の女性が脳裏によぎる。能力としては問題ないが、後はテセラたちがどうか。


「テセラ。とりあえず、政治関係は兼任してもらうよ。その代わり、助手を多くつけるってことでどうかな」

「助手? リィムは政略など出来んが……誰か人材がおるのか?」

「うーん……いるにはいるんだけど」

「……むう」


どうやら、テセラも思い至ったらしい。

最近、奈緒が言いよどむ場合は大抵、ラキアスの二人組絡みだと、テセラも学習したらしい。

感情論が先行しがちだが、現実に二人の能力の高さは数日で改めて理解した。

通称『白い悪魔』に対して、テセラたちが行うよりも速いペースで雑務を終わらせている、という報告を受けている。


「ユーリィ様たちですかっ?」


思わず、と言った具合で話に割り込んできたのは侍女のリィムだった。

ゴブリン族の女性特有の褐色の肌をメイド服に包み、セミロングの黒髪を揺らしながら唇に人差し指を当てている。

彼女はユーリィたちが敬遠されている理由が分からないらしく、首をかしげている。


「私は最近いつも、ユーリィ様やマーニャ様の雑務のお手伝いをしてますけど……ずっと一生懸命の様子でしたよっ?」

「これ、リィム。会議に口を挟むでない」

「は、はうっ!? も、申し訳ありませんでしたっ!?」

「いや、いいよ、リィム。もう少しだけ聞かせて」


はうっ? と再び小首をかしげるリィム。

いきなりそんなことを言われても困ると思うので、リードするかのように質問を重ねる。


「ユーリィたちとは、仲が良いの?」

「は、はいっ」

「二人のことはどう思ってる?」

「え、えとっ。マーニャ様は明るくて楽しげな方ですし、ユーリィ様は少し素っ気無いですけど優しい方ですっ」


うん、と奈緒もリィムの言葉に同意を示す。

何となくだが、奈緒も二人に抱いている印象はそんな感じだった。

雑務であろうとも、自分たちへの協力に一生懸命の様子は第三者のリィムから見て好ましいと思われている。


「ね、テセラ。ここはひとつ、ユーリィに頼んでみようよ」

「……むう。やむを得んか……」


どうにか納得いただけた様子なので、とりあえず役職の件は問題解決。

また今度、機会を作ってユーリィとマーニャに逢いに行こう。

内容は再び協力の要請だが、今回は交渉も付け加えておかないとー、などとぼんやり考える。


「それでですね」


会議もそろそろ終わりにして、少しだけ仮眠を取ろうかな、と考えていた奈緒をぴしゃり、と制する声。

見ればいつもと変わらない様子で微笑んでいたラフェンサだ。

奈緒はこのとき、正直に告白すると、嫌な予感がしていた。

優雅に、静かに微笑む彼女だったが、ほんの少しだけマーニャのような『悪戯っぽい笑み』を浮かべていた、気がした。


「是非とも、建国式と同時にやっておきたいことがあります」

「な、なにかな」

「ナオ殿は魔王になられますね?」

「うん、そうだけど……」


肯定を受け、ラフェンサは満足げに頷いた。

至極真面目な雰囲気が会議室に蔓延している。急激にここから退席したくなった。

なんだ、この虫の知らせは、と内心で困惑する奈緒に対して。

今度こそ優雅な『マーニャの笑み』になったラフェンサは、にっこりと微笑みながら『それ』を口にした。



「ご成婚なさりませ、ナオ殿」



凍った。

空気が凍った。

周囲の全員が凍りついた。

絶対零度の吹雪が心の中に吹き荒んでいる。

ぽかん、とした顔の裏側で事態を正しく理解しようとして、失敗。

え、なに、ゴセイコン? なんて漢字を書くんだろう。知らないな、そんな日本語。

意味のない文字列が脳裏を埋め尽くし、王妹殿下の発した爆弾発言に呼応するように。


会議室が複数の驚きの悲鳴で爆発した。




     ◇     ◇     ◇     ◇




一方その頃。


「……っ!!」


がばあっ、と勢い良くマーニャが顔を上げた。

白い悪魔との数日に及ぶ長い戦いは、彼女の体力を根こそぎ奪っていたはずだ。

現在は休戦状態とはいえ、戦争はまだ終わっていない。すぐにでも新手が来ることは公然の秘密、というものだった。

故に親友のユーリィと同じように仮眠を取っていたはずなのたが、突如として彼女は覚醒した。


「っ……お、驚かさないでください。マーニャ」

「びびび、と来たわん!」


ガタゴトッ、と机が揺れる音に反応して、ユーリィも目を覚ましてしまう。

新手の白い悪魔たちの襲来か、と戦慄に身を震わせていたが、どうやら違うらしいことを悟る。

件のマーニャはというと、軟禁状態にある現状を憂慮していた。


「途轍もなく、面白そうな事件の予感! ああ、どうしてお姉さんはこんなところで紙のお化けと閨を共にしているのん!」

「…………勘弁してください。マーニャ。わたくしは。まだ二時間しか寝てないのです……」

「くうっ、このハチャメチャな空気! 誰かの困った顔が見れそうな雰囲気が、この扉の向こう側に!」

「諦めなさい」


ぺしり、と優しく頭をはたいてやった。

放っておけばドアを魔法でぶち破ってしまいそうな勢いなので、そのまま羽交い絞めにする。

同じく二時間程度しか寝ていないというのに、親友は元気だった。

彼女はどうやら軟禁生活の鬱憤を晴らそうと必死らしく、ユーリィの制止も振り切らんばかりに叫ぶ。


「離してユーリィ! このタイミングを逃してはいけないわん! これは、神がお姉さんに与えたもうた、好機!」

「神様は今頃。与えてないもの受け取られた。と思っています」

「ゆ、ユーリィ! 恨むわん! こういう展開のときこそ、お姉さんの出番でしょう……!?」

「もはや言いたいことが意味不明すぎて分かりません」


どたんばたん、と資料室が大荒れに荒れる。

本来、監視役に付いているはずのラピスも、このときは『所用』で席を外していた。

代わりに兵士三名が配属されていたのだが、彼らは室内の騒ぎに戦々恐々としていた。

彼らは『とりあえず一時間ほど部屋の前に立っていてください』という命令を受けていただけで事情を知らない。


「おい……なんか、賑やかだな……」

「中の様子が気になる……」

「……っつっても、絶対に開けるなって厳命されてるしなぁ」


日頃は病的なほど静かな資料室前も、今日だけはドタバタ、と騒がしい。

結局、彼女たちは大した睡眠時間を取ることなく、再び白い悪魔たちの暴力に晒されることになる。

生気が失われた表情が痛々しい。

何よりもマーニャの憔悴っぷりは酷かった、と雑務を運びに来たリィムは証言することになる。

最期にリィムは会議室での事の次第を、二人に笑顔で報告した。


「……ということでっ! なんと、結婚式が執り行われるそうなんですよーっ! きゃーっ!」


いやんいやん、と歳相応の可愛らしさで告げるリィムだったが。

その場面に立ち会うことのできなかったマーニャは今度こそ机に突っ伏すと、珍しく涙目の罵声をあげるのだった。

それ以降は暗くじめじめとした雰囲気のまま、ぶつぶつと言葉を呟きながら作業をする。


「お姉さんの存在価値即ち騒ぎを拡大してたくさん楽しむことだったのに見逃したダメだったお姉さんもうダメなのよ」

「……どれほどそれに生き様を賭けていたのですか。マーニャ……」


日差しが一層強くなる初夏。

今日も二人は元気に雑務処理を頑張っている。(多少、誇張表現あり)




     ◇     ◇     ◇     ◇




(た、大変なことになってしまった……)


奈緒は一人、長い廊下を行ったり来たりしていた。

焦燥を隠し切れずに部屋の前をうろうろする様子は、子供が生まれるのを戦々恐々としながら待つ父親のそれだ。

会議室での内容を思い出す。

まさか。そんな。いや、でも。馬鹿な。どうして。よりにもよって。

意味の成さない疑問と動揺の声が浮かんでは消えていく。心臓がばくばく、と悲鳴を上げているのが分かる。


『ご成婚なされませ、ナオ殿』


結婚。

ご成婚、と来た。

学生結婚、人生の墓場、ゴールイン、などといった言葉が脳裏に踊る。


(い、い、いや。ほら、僕ってまだ十六歳だし! 結婚は十八歳からだし! まだ早すぎるっていうか……)

(この世界の常識じゃあ、王族は十歳でも嫁ぐ! ってラフェンサが言ってた)

(いやいやいやいや、僕は男の立場だし。ほ、ほら、まだ責任持てないっていうか、経済的な問題とか……)

(魔王様が何の寝言を……くくっ)


包囲網はとっくに完成していた。

驚愕に包まれた会議室は、数分後に祝福のムードに包まれていた。

ラフェンサは笑顔で段取りを整え。

テセラは『これで魔王として、男としての責任を果たせる』と諸手を挙げて賛成。

ゲオルグはげらげら、と高笑い。『祝宴はオレに任せろ、盛大にしてやるぜえ!』と叫んで、会議室を飛び出した。


(龍斗、この身体、これから使わない? しばらくの間、ずっと)

(馬鹿を言うな。こんな面白い……じゃなくて、愉快な……でもなくて、めでたい出来事だってのに!)

(本音が駄々漏れだねえ!)

(隠すつもりもねえぜ!)


きらり、と星でも輝きそうなほどの綺麗な笑顔を向ける親友が余計に腹立たしかった。

会議室での会話は思い出したくない。

今までで一番恥ずかしい出来事として、今後二十年くらいは思い出して赤面するに違いない。


『それではナオ殿、セリナさんに結婚式の旨を伝えてくださいね』

『な、なんでセリナって決め付ける!?』

『違うんですか?』

『いや、その』

『ふふっ……わたくしで宜しいのであれば、喜んでこちらに嫁ぎますが』

『ぶはっ……!?』


忘れていたが、ラフェンサは年上の女性だった。

全力でからかわれてお茶を噴出したり、と踏んだり蹴ったりで情けない気持ちだった。

若干、彼女の顔も赤かったのだが、それ以上に顔を赤くした奈緒は彼女の様子に気づくこともなく。

やがて根負けした奈緒は、こうしてセリナの部屋の前をうろついているのだ。


(いや……うろついている、じゃねえよ。早く入れよ)

(ま、待って! 心の整理とか付かないよお!)

(可愛いなぁ、お前)

(嬉しくないし、そんな場合でもないー!)


百面相をしながら女性の部屋の前を行き来する次期魔王様。

警邏の兵が主の様子を見て、あの方は何をしていらっしゃるんだろう、と純粋な疑問で首を捻る。

その視線に気づいて、ようやく奈緒は動きを止める。

落ち着け。クールになれ、狩谷奈緒……と、必死で思考中断、思考停止。考えれば考えるほどドツボに嵌る。

しかし、現に状況は考え事をしなければならない、という段階に来ている。


(どうしよう……なんて伝えたらいいんだろう……け、け、結婚しよう、とか?)


プロポーズの言葉。

まさか高校生の身分で必死に考えることになるとは思わなかった。

普通は交換日記から初めて、告白して、手を繋いで、それからキスもして、い、いや、もうキスはしたような、思考停止!

全く、馬鹿げている。どうしようもなく、馬鹿げている。


(だ、大体、何度考えても早すぎるんだよ……心の準備とか、できてないし……)

(その台詞も俺が知る限りで八回目だな)

(だ、だってだって!)

(いいから腹を決めろっての! 女に恥を掻かせるもんじゃねえぜ、親友!)


大体よぉ、と龍斗が説教モードに突入する。

こういうときの彼の言葉は『正論』が多くて対処のしようがないのだ。

例えるなら左右を見ても車が全く見えない状況で信号を無視して、近所のおばちゃんに叱られるような。

むう、と口を噤んでしまう奈緒に対し、龍斗は言う。


(お前、セリナに何かしてやったんか? あっちが積極的に頑張って、お前はノラリクラリと避けているだけじゃねえか!)

(それは……だって、恥ずかしいし……)

(セリナはもっと恥ずかしい想いして、行動に移してんだよ!)


ぐっ、と奈緒が唇を噛んだ。

一緒に月を見た夜も、唇を重ねた天幕での出来事も。

全て、セリナが勇気を出した結果だ。

何度も元気付けられたし、何度も助けてもらった。挫けそうになった心を支えてくれたことも、ある。


(好意ってなぁ、相手が察してくれてるとは限らねえんだ。『言葉にせずとも伝わる想い』なんて幻想だぞ)

(…………)

(好きだ、ってのは伝えなくちゃ確信できねえ。確信できないから不安になる)


龍斗は心の中で意識を漂わせながら、昔のことを思い出す。

言葉にせずとも伝わる想い、なんて幻想に浸っていた時期が彼にもあった。

それが相手を苦しめていたことに気づいたときには、何もかもが遅かった。そんな苦い青春の思い出が心に渦巻く。


(不安は、やがて不信に変わる。好きな相手が信じられなくなって、自己嫌悪して……結局、終わっちまう)

(龍斗……)

(恋愛が苦痛に変わる瞬間は、結構きついぞ。それこそ、しばらく何も手につかないくらいに)


龍斗にそんな瞬間があっただろうか。

少なくとも奈緒の前で気楽な笑みを浮かべていた親友に、そんな素振りはなかった。

でも、伝えたいことは分かる。

言葉は言霊。一言で相手を幸せにできるし、不幸に叩き込むことだって出来る。

恥ずかしいから、という理由で逃げ続けてきた己の気持ちを再確認しなければならない、そう思えた。


(……以上。龍斗お兄さんからの恋愛講座でした。おら、行ってきやがれ)

(…………うん)

(好きだってことを伝えるだけでも、結構相手は救われるんだぜ)

(……うん。分かった)


覚悟を決めよう。

自分の気持ちを誤魔化すのはやめよう。

今度こそ迷いなく、一歩を前に踏み出し、ドアノブへと手をかけた。

心臓の高鳴りが少しだけ苦しくて、妙な高揚感が全身を支配していた。


乱暴にドアが開かれたのは、そのときだった。


ドアノブに手をかけていた奈緒は、バランスを崩して倒れてしまう。

何が起こったのか分からなくなって、目をぱちくりとさせながら下手人を見上げる。

桃色の髪と袴姿が目に映る。

セリナの従者にして護衛剣士が、顔を真っ青にしながら立ち尽くしていた。


「あっ……ああ、ナオ殿っ……ナオ殿、大変です……!」

「……?」


ざわり、と空気が一変した。

彼女は額に汗をにじませ、言葉も困惑と恐怖に彩られていた。

親を見失った子供のように不安定なラピスを見るのは、初めてのことだった。

何が起こったのか。彼女は口早に語る。



「お嬢様が……お嬢様の熱が、下がらなくて……凄く、苦しがっていて……!」



最後まで言葉を聞き取ることはなかった。

胸のうちに今まで秘めていた嫌な予感が、絶望的なまでに加速していくのを感じた。

ラピスを強引に押しのけ、セリナの部屋へと入る。


「セリナッ……!」

「はあ……ぁ、はぁ……ぁぁ……ぐうっ……」


最初に機能したのは、聴覚。苦しげに呻く少女の声が耳に届く。

次に機能したのが、視覚。ベッドの上で横たわる少女の白い肌に、珠のような汗が滲み出ている。

最後に機能したのが、声帯。思考は全く動かないまま、奈緒は叫ぶ。


「セリナ……セリナ!」

「はぁ……あ、ぐ……はあ、はあ……あぐぅ……」

「くっ……ラピス! お医者さん……えっと、治癒隊ヒーラーを呼んできて! 急いで早く!!」

「は、はい……!」


悲鳴のような声が木霊する。

奈緒は必死にセリナへの呼びかけを行うが、喘ぐ唇から自分の名前が呼ばれることはなかった。

そんな余裕もないのか。自分の言葉すら届かないほど、辛いのか。


「セリナ……」


彼女の白い手を、両手で掴んだ。

セリナに少しでも力を分け与えられれば、と藁にも縋る気持ちで汗ばむ手を包み込む。

無力だった。何も出来なかった。

結局、医者がラピス同様に顔面蒼白になりながら走ってくるまで、奈緒はそうすることしか出来なかった。




     ◇     ◇     ◇     ◇




「魔族病、です……っ」


重苦しい一言。

メイドのリィムは……褐色の肌の治癒隊ヒーラーは、そう告げた。

表情は痛々しいぐらい真っ青で、その色はその場にいる全員へと伝染していった。

セリナの症状も一端は落ち着き、体力を消耗しきったのか、ぐったりとベッドに横たわっている。


「そんな……」


ラフェンサが小さく悲鳴を上げた。

重い病気なのが、その反応で理解できた。

心の中がざわつく。暗い、暗い、暗い感情が胸を支配していくのを感じていた。


「なに、それ……?」

「……体内の魔力が暴走し、人体に影響を与える病気です。わたくしの父も、それが元で亡くなりました」


魔族病。

魔法の属性によって症状は違う、とリィムは語った。

風属性ならば内臓を傷つけ始め、雷属性ならば電気信号が思うがままに操れずに動けなくなる。

セリナの属性は、炎と風だ。


「幸いにも、風まで併発はされていませんっ。炎の魔法が、彼女を苦しめているのですっ」

「…………っ」


またか。

また、炎か。

そうか。また、アレなのか。

炎が、彼女を奪い去っていくのか。

ざわり、ざわり、と冷たい感情が全身を支配し始める。


「症状は……高熱だの。ただ、単純に熱病のそれと同じ、と見たが」

「その通りです、テセラ様っ。ただ、今回は……身体を冷やせば、というわけにはいきませんっ……というか」

「…………生存率は、決して高くなかったのう」


生存率が高くない、という言葉が耳に入る。

それはどれくらいだ? 何をすれば最善を尽くせる? 僕に何が出来る? と自問する。

嫌だ。そんなのは、いやだ。

大切な人が、また奪われてしまう。炎に、奪われてしまう。また、奪われてしまう!



(奈緒……っ、馬鹿野郎、余計なこと考えるんじゃ……!!)

(炎が、炎が、炎が、炎が、炎が、炎が……!!)



龍斗の、制止の声が聞こえた気がした。

耳に届かなかった。ただ、怨念のように同じ言葉と概念だけが心臓を駆け巡り、脳を支配していく。

暗い闇の扉が、心の中に住まう。

ギィ……とほんの少しだけ扉が開いて、中に住まう残虐な悪魔が、壮絶な笑みを浮かべていた。

現実は待ってくれない。

誰もが口にしたくないことを、ラピスが代表して、言葉にしてしまう。



「お嬢様が……死ぬ?」






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