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第56話【魔弾の射手】






「残る『敵』は……オリヴァースの王妹殿下と、ゴブリンの姫、ですか」


メンフィル城。

城塞都市の象徴である城は首都とは思えないほど無骨な作りだ。

蛮族どもの根城には相応しいかも知れない、とカスパールは思う。

己が魔王となった暁には、すぐに模様替えをしようと心に決めながら、シェラを通じて情報を入手する。


「総司令は魔王ギレンと戦っているようですね。願わくば相打ち、といって貰いたいものですが」


最終的には策略を要するべきか。

二匹の虎を殺し合わせれば、一体は必ず死に、もう一体は傷を負う。

そこを狙えば己の腕でも命を奪うことはできるだろう。何より今は、心強い装飾品が右腕に装着されている。

既にゲオルグの殺害と、マーニャへの援護。そして城に残っていた有象無象どもに使用したが、威力は絶大だ。


「さて。まずは旗の仕事をこなして、それから敵戦力を潰していきますか。……っと」


そのとき、カスパールに支給されていたシェラから通信が入る。

ラキアスの国旗、虎に翼をつけた獣をモチーフにしたデザインのそれを抱えながら、返事をした。


「はい、こちらカスパールです」

『うむ、カスパール。妾じゃ、分かるかの?』


相手はちょうど、思考の中にいた標的の声だった。

第三席のオルムを撃破したという情報が入っている。恐らくはその足で現状の確認だろう、と思った。

考えを巡らせながら、いつもどおりの柔和な仮面を被って答える。


「……ええ。テセラ殿、ご無事でしたか。現在の状況などは分かりますか?」

『大体は把握しておるよ』


なるほど、とカスパールは心中で計画を練る。

真正面から戦うのは愚の骨頂。死にかけのゲオルグですら万全を期したのだ。

テセラ。引いてはラフェンサの両名も同じような騙まし討ちをしていきたいところ、などと思考を巡らせて。



『とりあえず、お主が妾たちの敵だということまでは。他に何か追加の情報はあるなら、言ってもらおうかの』



はっ……、と息を詰まらせた。

最初は疑問。どういう意味か、それをゆっくりと吟味して混乱する。

何故だ。何処で情報が漏れた?

突然の事実暴露に絶句するなか、テセラの老獪な口調が続く。


『ああ、現在地は言うまでもないぞ。お主の居場所はメンフィルの城だの? 首謀者はラキアスか』

「……な、なにを」

『旗の作業のようだの? うむ、気をつけるがよいぞ。一人で行うには骨が折れる。足を滑らせぬようにな?』


全てお見通し、と言わんばかりの対応だった。

混乱の極みに陥ったカスパールは、城壁の上で周囲を見回し、テセラの姿を探す。

地上にいるはずだが、見つからない。

焦燥に駆られながらも何とか言い訳の言葉を捜そうとする悪魔族の青年に対し、テセラは言葉を突きつける。


『結論から言うとのう? お主たちの計画は失敗に終わった』

「……は……?」

『既にマーニャもユーリィも捕らえた。シェラで全軍にお主の裏切りも通告した。これが、どういう意味か分かるかの?』


眩暈がした。

目の前が真っ暗になるかと思った。

旗を抱えたまま、よろよろと後退してしまう。

意味は考えるまでもない。協力者も部下も押さえられてしまった。


『良いか。お主の協力者は捕らえた。お主の部下の傭兵どもも、妾たちを支持した』


当然だ。

勝ち目のない戦いについてくる兵などいない。

カスパールの部下たちも反逆者として処罰され、ここまで戦ってきた功績を無にすることはしたくない。

命を懸けた報酬を手に入れるためにも、副長を見捨てる選択は正しい。


「す、少し待ってください。いきなり何を……一体、どうしてそんなことを言い出すのですか?」


何とか自分も言い逃れなければ。

ろくに考えを巡らせることも出来ず、何とか突破口を掴もうとするが。


『ほう、惚けるか小僧』


帰ってきたのは嘲笑だった。

百年を生きた魔女が贈るのは、飛び切り凶悪な笑顔。

往生際の悪い青年に向けて。


『何を言おうとも、お主の断罪は決まっておるぞ。ああ、抵抗しないと言うなら良いぞ。助命嘆願はしてやってもいい』

「ぐっ……」

『さてこちらには幾つもの証拠があるが……どれを提示するかの? ラキアスとセリナ、どっちの証言が欲しい?』

「っ……っ……!」


駄目だ、切り抜けられない。

カスパールは返事に窮して思い切りシェラを城壁の向こう側へと投げつけた。

宝玉は放物線を描いて城門の前へと落ちていく。地面に激突して、通信が途絶えた。




     ◇     ◇     ◇     ◇




「く、くそ……」


なんだ、これは。なんでこんなことになった。

予想外の展開にカスパールは柔和な仮面を外して激昂した。


「あ、あの女ぁぁぁぁぁ! 計画に誘っておきながら、さっさと負けてしまうなんて……!」


がしゃりぃ、と国旗を叩き付け、憤りのままに何度も踏みつけた。

ふー、ふー、と荒い息をついてから我に返る。

作戦は失敗に終わった。自分も追われる身だ。

協力者も部下も失ったいま、ラキアスの旗などを抱えて城壁にいる場合ではない。


(協力者が抑えられた時点で、ボクがラキアスの肩を持つ理由がない! くそ、あのときセリナ嬢を捕らえておけば)


三角帽子の露出狂の女を思い出す。

セイレーン族。彼女が負けるなど、一体どういう想定外の出来事が起きてしまったのか。

総司令の奈緒はギレンと戦い、傭兵隊長のゲオルグは自分が殺した。

彼女はその二人に次ぐ、三番目の強者ではなかったのか。


「……落ち着け。落ち着け」


過ぎたことを悔やんでも仕方がない。

残念ながら己が魔王へと成り上がる計画は頓挫した。それを認めよう。

問題ない。問題はない。

長年の野望を叶えるためなら、ひとつやふたつの困難など打ち破って然るべきなのだ。


(ここは、行方を眩ませて再起を図りましょう。なぁに、好機はすぐにやってきます)


今回の件で奈緒が建てるだろう国と、大国ラキアスとの仲は確実に険悪なものになる。

建国したばかりの国家と、地方の覇者。どちらが優勢かなど、考えるまでもない。

まずはこの場から逃げて、ラキアスを頼ろう。

魔力増幅の腕輪を手に入れた自分なら、逃げ切ることもラキアスに恩を売ることも十分に可能だ。


「そうと決まれば……」


城壁から姿を消そうと、踵を返す。

無用の長物となったラキアスの旗を踏みしめ、腹いせに蹴飛ばした。

後一歩だったというのに。

無能な女どもに足を引っ張られる形で、野望は頓挫してしまった。それが口惜しい、などと思っていたところで。



「おうおう。カスパールよ、何処に行く」



声が、上空から届いた。

悪魔族の青年の足が止まった。肩がびくりと震えていた。

耳を澄ませてみれば、翼を上下に揺らすように羽ばたく、ばさっ、ばさっ、という音が僅かに聞こえた。

息が詰まってしまって、ごくりと生唾を飲み込んだ。


「くっ、飛龍ワイバーン……その手があったか」

「今更、逃げるなどは許されんぞ。ああ、妾が許さん。責任は取って然るべきじゃの?」

「……カスパール殿。抵抗は、しないでいただけますか?」


キュイイ、と飛龍が鳴く声が響く。

聞き覚えのある女性の声が、カスパールの身体を金縛りのように縛り付ける。

手の動きは自然と、腰に備え付けていた弓へと伸ばされた。


「おやおや……行動が早いよう……で!」

「おっと」


一瞬で背後を振り向くと同時に弓を引く。

背負っていた矢筒から矢を取り出し、番えて放つ。一連の動作にかけた時間は二秒、という早業だ。

予想通り、飛龍ククリに騎乗したラフェンサとテセラの姿があった。

牽制の意味合いを込めて飛来した矢は、テセラの額を僅かに逸らした。


「……今更、何処へ逃げようというのかの?」

「いえ。少しばかり、身内を頼ろうかと思いましてね。強欲が玉に瑕のような男ですが」

「…………行かせると思いますか?」

「ボクを捕らえられるとでも?」


妖しい笑みを浮かべて、カスパールは右腕をかざした。

僅かに呟く言霊。彼の細長い手首に装着された腕輪が、妖しい輝きを見せた。

テセラがその動きを察知して光の槍を放とうとするが、間に合わない。

ラフェンサは飛龍の手綱を握って回避行動に移るが、それも遅い。



「では、ごきげんようです!」



ごおおおおおおお、と旋風ならぬ暴風が彼女たちに襲い掛かった。

最大瞬間風速何十メートルという突風が吹き荒れ、飛龍の苦しむ鳴き声が木霊する。

オリヴァースからクラナカルタまで、休みなしで飛行してきた飛龍は、その風に抗うほどの体力が残っていなかった。

バランスを崩して墜落する巨体。

当然、騎乗しているテセラたちも無事ではすまない。


「きゃあああ!!」

「おのれ……!」


ラフェンサは手綱を握り締めていたため、龍の背から放り投げられることはなかった。

どうにか体勢を整えようとして歯を食いしばり……そして、気づく。

背後に乗っていたはずのテセラの姿がない。

中空を見やれば、彼女の小さな身体が宙へと放り出され、城門の前へと墜落しているところだった。


「テセラ殿……!」

「構うなっ! 追えッ!!」


鋭い叱責のような声が届く。

ラフェンサは飛龍の体勢を整えるのが精一杯で、テセラまで手が回らない。

無理やりな状況で飛翔すれば、城壁へと激突してしまうだろう。

そうなればラフェンサも、飛龍ククリも、怪我ではすまない。


「っ……ご無事で!」


構うな、と言うからには何か考えがあるのだ……と思いたい。

飛龍の様子を確認するが、風魔法の影響で翼と腹部に裂傷を受けていた。

数日ほど安静にしていれば治る程度だが、逆に言えばこれ以上の酷使はできないし、したくない。

ラフェンサは城門前にククリを不時着させると、槍を掴んでメンフィル城へと走っていった。




     ◇     ◇     ◇     ◇




「見つけたぞ!」

「カスパール副長! 申し訳ねえが、大人しくしてもらうぜ!」

「うるさいですねえ……!」


カスパールは苛立たしげに舌打ちした。

メンフィルの城に待機していたかつての部下に追いかけまわれ、暗鬱な表情になる。

基本的に実力差は多少開いているため、腕輪の力を使うまでもなく、退けられている。

だが、傭兵たちの人数が多かった。切りがない、と悟ったカスパールは惜しむことなく、腕輪の力を発揮する。


「吹き飛んでください! 嵐を見せてあげますよ!」


室内で使用される大型の風魔法。

周辺の置物を吹き飛ばし、立ち塞がる傭兵たちは踏ん張ることもできずに床を転がっていく。

風を支配下においたカスパールは、台風の目の中を静かに佇んでいた。

傭兵たちは壁に叩き付けられ、あるいは床に叩き付けられて気絶していく。


「本当に、素晴らしい……さすがに、ボク一人で総司令や魔王を倒せる、などとは言いませんがね」


セイレーン族並みの魔力が頼もしい。

悪魔族にしては、カスパールは魔法が得意ではなかった。戦闘で扱えるほどの才能がなかった。

それを必死に創意工夫した末に得たのが、通称『魔弾の射手』だ。

己の放つ矢に風を付加させ、必ず標的を追跡する。

しかし、今のカスパールは魔力増幅の腕輪の助けはあるが、暴風まで生み出すことができる。


(これなら逃げるのに苦労はしないですね……役に立たない協力者たちに言いたいことはありますが、まあいいでしょう)


ラキアスの女二人も。

共に討伐軍を抜けようとした部下たちも、青年の期待を裏切った。

本当なら何らかの形で思い知らせてやりたかったが、今は逃げ切ることが先決だ。

石造りの階段を降り、道を阻む傭兵たちを振り切りながら、カスパールは走る。


「……む?」


城門の近くまでやってきた。

入り口に当たる通路は客人に対して申し訳程度の見栄えが整わせれている。

ここまで来れば一本道。正面から堂々と逃げ出すことができるだろう。

眼前に彼女の姿さえ、なければ。


「カスパール殿……どうか、大人しく。していただけませんか?」

「……ラフェンサ殿ですか」


清楚な雰囲気を漂わせるオリヴァース国の戦女神。

お姫様でありながら槍を手にした王妹殿下は、悲しげな双眸で裏切り者を見つめている。

戦場において、私情を挟んで国へと帰った愚かな女だ。

確かに造反も軍規違反だが、目の前の彼女も同じこと。馬鹿にした笑みでカスパールは言う。


「見逃してはもらえませんかね。ボクを軍法会議に掛けたら、ラフェンサ殿も罪を問われますよ」

「……それは、覚悟の上です」


ちっ、と忌々しげに舌打ちした。

柔和な仮面を付ける意味はなく。傭兵染みた粗暴な態度が表に出る。

馬鹿にしたような笑みを貼り付けた。

眼前に立つのは所詮、王族という生まれに救われている女だ。


「王妹殿下。ボクに勝つつもりじゃないでしょうね? 飛龍がいなければ、あなたは少し腕が立つだけの人だ」

「…………」

「野望も頓挫した以上、あまり女性に向けて力を振るいたくないものですが」


返事はない。退こうとはしなかった。

はあ、とカスパールが息を吐く。せっかく見逃してあげよう、と言っているのに。

ちょうどいい。彼女を人質にして逃げるとしよう。

王族の彼女を見捨てることなどできない。国際問題に発展するからだ。だからこそ、人質としての価値がある。


「しょうがないですね……」


せめて一撃で終わらせてあげよう。

風の魔法。強化の腕輪を利用した最上級の一撃で。

死ぬ可能性もあるが、問題ない。気絶している、ということにしておけばいい。

カスパールにとって、眼前の女は障害であり、人質候補に過ぎないのだ。


「では、一思いに……」

「どうする、と?」


声は後ろから聞こえた。

背後から槍を突きつけるエルドラド族の女は、涼しい顔だった。

一瞬目をそらした瞬間を狙われたのか。いや、それにしては速すぎる。


「っ……!?」

「確かに。わたくしはククリがいなければ一人前以下でしょう。あなたの仰るとおりです」


見えなかった。

油断なく見ていれば察知することはできていた。

まるで、地面の上を滑るかのような滑走でカスパールの背後に彼女は回り込んでいた。

風の流れに、そのまま乗ってきたかのように。


「ですが。それでも女と侮って油断する殿方に、遅れは取らないつもりですが?」

「くっ……」


認識を改めたあとの反応は迅速だった。

多少の怪我を覚悟の上で前面へと飛び込む。背後から迫る槍は、カスパールの腹部をかすめるだけだった。

馬鹿にしていたが、中々どうして強敵ではないか。

人質にする、という計画を即座に廃棄。立ち塞がる障害の一人として、認識する。


「痛っ……この傷は高くつきますよ」

「支払うつもりはありませんが」

「……やれやれ。ほんとに学習しない人たちだ。セリナ殿に会ったなら、話は聞いているでしょうに」


右腕の腕輪を見せ付けるように掲げた。

華美な装飾が施された銀のブレスレット。魔族の中の魔力を活性化させる上級の魔術品。

何十人の兵士だろうが、王妹殿下だろうが、己の風には勝てない。

絶対の自信をもって言霊を告げる。


「<嵐よ!>」

「<流水の如く! 疾風の如く!>」


カスパールの嵐が咆哮すると同時に、ラフェンサも言霊を告げた。

彼女の属性は水と風。セリナと同じく二色の魔法を操るが、些か戦闘向けではないと彼女自身も思っている。

特色の名は『ながれ』と言う。

戦闘で相手を制するのではなく、流水のように受け流し、疾風の如く風に乗って疾走する。


(風の魔法の弱点は台風の目……同じ風使いだからこそ、それが致命的なのは承知しています……!)


吹き荒れる暴風を流水の魔法で受け流す。

残念ながら放出する魔力はカスパールのほうが上だ。完全に受け流すことなどできない。

足りない部分を疾風の魔法で補い、どうにか裏切り者との距離を詰めていく。

残る距離は五歩ほど。

一歩ずつを踏みしめるたび、更に強烈な風が彼女の身体を苛んでいく。


(わたくしは……!)


自分は何の役にも立っていない。

この戦争で重要な場面で、いつも足を引っ張ってきた。

最終決戦を前に本国へ帰るなど、規律違反も含めれば言い訳のしようがない。

敵将の一人を討ったわけでもない。己の部下の命を他人に預けてしまったことだってある。


(ここで戦わなければ、何の意味があったのか。ここで頑張らないで、どこで頑張れというのか……!)


確かに自分は戦闘が苦手だ。

ククリがいれば大空を翔る戦士になれるが、己一人では大した活躍などできないだろう。

それでも、前に進まなければ。

ただ前へ。台風の目を目指して。誰もが、己の役目を果たしてきた。


(前へ……前へ……!)


総司令は魔王ギレンと壮絶な戦いを演じている。

セリナとラピスは負傷しているにも関わらず、第三勢力となったラキアスの二人を打ち負かした。

ゲオルグは彼女たちを逃がすために、最強の存在へと挑んでいった。

テセラは自分の居場所と仲間たちを守るために、既知だった敵の軍師を討ち取った。

まだ自分は、何もできていない。

飛龍ククリの力を借りていない、ラフェンサ・ヴァリアー個人だけが、何もできていない。


「ちっ……しぶとい……!」

「うう、ぐっ、あ……はあ、はあ……!」


意地だけは見せなければ。

倒れてはならない。真っ直ぐに槍を突き出して、ただ前へ。

そうだ。進むだけでいい。

頼りなく細い身体を振り絞って。己の中にある矜持と気力を振り絞って。



「でも、結局はボクの勝ちです」



ラフェンサが目を見開いた。

好青年の仮面が剥がれた男の、嘲るような張り裂けそうな笑み。

同時に、カスパールの腕輪が更なる輝きを見せていく。


(二撃目……!)


まずい。致命的なまでに。

一撃を防ぐだけでほとんどの力を使い果たしている。

これ以上前に進めない、という問題ではなく……確実に吹き飛ばされ、壁に叩き付けられる未来を幻視した。

回避も、受け流しも間に合わない。


「良く頑張りましたねえ! はは、はははははは!!」


哄笑が響く。

嘲笑が木霊する。

荒れ狂う嵐の顎は、獲物の存在に歓喜して絶望のとぐろを巻く。

痛みに耐えるためか、それとも諦観からか。ラフェンサはきゅっ、と美しい双眸を瞑ってしまい。


「――――――!!」


威力を増幅された風の牙が。

鎌鼬かまいたちのように鋭く疾走し、狂った獣のように獲物へと殺到し。

標的の右腕を木っ端微塵に切断した。

肉を断ち切る音。ぐしゃり、と潰れる生々しい音。

血液がぼたぼた、と行き場を失って床を真っ赤に染めていく。

激痛。

意識を失ってしまいそうになるほどの、激痛が。



右腕を失った男の口から叫ばれた。




     ◇     ◇     ◇     ◇




「がああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!?」

「なっ……?」


理解ができなかった。

目を開けた彼女の瞳に飛び込んできたのは、右腕から鮮血を撒き散らすカスパールの苦悶の表情だった。

右腕は十以上の肉片へと分割され、同じく魔力強化の腕輪が木っ端微塵となっている。

何が起きたのか理解できないのは、ラフェンサだけではない。


「な、なんだぁぁぁぁ!? がっ、ひぎぃぃぃぃ……! な、なんで。何で腕輪が爆発したぁぁぁぁ!?」


ラフェンサはこの時、ようやくマーニャからの言葉を思い出していた。

七度目を使うのは不吉、と。

つまり、ラフェンサに向けて使われようとしていた二撃目の魔法が、七度目に相当する、ということか。


「ひい、ひい、ひぎい……! 腕が、ボクの、腕が……ぁぁぁぁぁぁ!」


ゲオルグ殺害の際に一度。

セリナ襲撃の際に一度。

メンフィル城へ突入する際に一度。

飛龍ククリに向けて牽制で使用したときが四回目。

城内に残るかつての部下たちを一掃したときで、五回目。

そして、今回のラフェンサとの戦いで、二度。


「…………」


助かったのか。

幸運だった、ということだろうか。

何か作為的なモノすらを感じるラフェンサだったが、偶然以外の答えが出るはずもない。

床に転がりまわって激痛を叫ぶカスパールに向けて、ラフェンサは槍を突きつける。


「終わりです、カスパール殿」

「があっ! はあ、はあ、ひっ、ぐぅぅぅぅ……!」


呻く青年を見下ろしながら、彼の処分について考えた。

本来なら傭兵隊長のゲオルグに引渡し、傭兵の流儀と掟に従って処罰するのが適当だ。

だが、既にゲオルグは魔王ギレンによって敗れた、という情報が入っている。

生死不明だろうが、残念ながら戦死した可能性が高いだろう。

そうなると、彼の処罰については、やはり総司令の奈緒に任せるのが正解かもしれないが。


「……うむ。どうやら、妾の助けは必要なかったようだの」


悩む彼女の背中に、親しみのある声が投げられた。

慌てて振り向いた先。城門の入り口に服も髪も砂だらけにしたテセラが、口元を歪めながら現れた。

小柄な体躯が幸いしたのか、着地した場所がよかったのか。

左肩を痛めているようだが、それだけで済んだのは僥倖と言わざるを得ない。


「テセラ殿、ご無事でしたか!」

「うむ。まあ、八割がたは助かると思っとったよ。左肩から落ちたのが幸いだったかの。頭でなくてよかった」


そういう問題なのか、という疑問はあったが、無事で何よりだった。

テセラは砂をかぶった髪の毛をぱたぱたと払いながら、地面をのた打ち回る青年を見下ろす。

因果応報の姿を、じっと見つめて、言う。


「恐らくだがの。ナオは、この男を罰しようとはせんじゃろうな。結局は皆、無事だった、とか」

「……言いそうですね」

「うむ。甘いのだがの。それがいい、と思っとるよ。ただ……」


荒い息を吐く青年の額に、小さな手を当てた。

労わるような手つきとは裏腹に、ゴブリンの姫の表情は厳しいものとなっている。

殺される、とカスパールは直感した。

抵抗をしようとするが、それよりも早くテセラは口を開く。


「ただ、ケジメはつけてもらわなければならん。カスパールも、マーニャも、ユーリィものう」

「……はい」

「決まりや掟、法律を捻じ曲げてはいかん。それは国を堕落する。ナオには手本を見せねばならん」


直後、カスパールを襲ったのは圧倒的な光だった。

眼鏡の奥の瞳。更に奥の網膜を圧倒的な光の暴力で焼き払う。


「あ、あがああああああああああああ!!!?」

「命までは取らん。だが、報復活動に走られては困るからの……独断で悪いが、視力を奪わせてもらうぞ」

「ぎっ、ぎっ、ぎ……!?」

「さあ、何処へなりと行け。視力と右腕を失ったいま、逃げられるとは思えんがの」


冷徹な処置。

ただ単純な処刑ではない。

カスパール・テルシグという戦士の野望も、願望も、力のすべても奪い尽くした。

それでも、テセラは口元に酷薄な笑みを浮かべたまま、言う。


「反逆罪に対して、命を奪われんだけマシじゃろう?」


返事はなかった。

猛然と立ち上がる青年は、壁に身体を預けながら走った。

目の光を奪われたカスパールは、残った左腕を壁に当てながら、どうにかメンフィルの城を去っていく。

青年の無様な後姿を見届けたラフェンサが、問う。


「逃がしてもよろしかったのですか?」

「本来なら捕らえるべきだがの。ああいう手合いは報復を考える。何だかんだでナオは奴を罰しきれん」

「……ええ」

「妾にしても、昨日まで仲間と思ってた男を殺すのは気が引ける。あそこまでやれば、もはや何もできんよ」


ぱたぱた、と引き続き服に付着した砂を落としながらテセラは言う。

青年はもはや戦えない。右腕と両眼の視力を失った以上、何ができるというわけでもない。

そもそも、視力を失った状態で砂漠を超えられるとは思えない。

遠回しの処刑を終えたテセラは、軽く伸びをした。


「……終わったの」

「はい」


ふう、と大きな安堵のため息をついた。

朝焼けの空がメンフィルを照らしていく。太陽の光が疲れ果てた彼女たちの身体に降り注ぎ始める。

深夜一日の戦いは幕を閉じた。

満足そうに。しかし何処か物憂げに、テセラとラフェンサは新しい時代の幕開けを示す朝日を眺めていた。






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