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第4話【魔族公爵の一人娘】

魔族公爵エルトリア家。

公爵という身分の中ではもっとも影響力の少ない貴族だが、それでも最上級の身分である公爵の名を冠している。

本来の始祖はアンドロマリウス。かつて世界に君臨した由緒正しい悪魔族だ。

エルトリア家は始祖の家の分家だが、本家の家が断絶したためにアンドロマリウスの名を継いだ。


セリナはそのエルトリア家の一人娘だった。

家柄は十分だが、残念ながら男の子宝に恵まれることはなかった。

事実上、他所から婿を取ってくるしか公爵家の存続は有り得ないことになる。

だが、婚約などはまだ先の話。

当主であり、セリナの父だったラグナ・アンドロマリウス・エルトリアも一人娘を溺愛していた。

貴族の名を残すためには娘の望まぬ政略結婚も考えなければならないのだが、セリナの父はそれを望まなかった。


『男に恵まれないのであれば、これもまた運命』


父、ラグナはそう言って公爵家の血筋が途絶えることを受け入れていた。

セリナには彼女の好いた男と添い遂げてもらえばそれでよかった。

貴族としてではなく、父親としての決断だ。それを表立って公表はしなかったが、彼はある日にセリナを呼んだ。


『お前は何も心配しなくていい』

『父様。私とて貴族に生まれた身、そのようなことを……』

『こんなことを言っては怒られるだろうが。私は貴族の地位などよりも、お前が幸せでいてくれるほうが嬉しい』


貴族としては失格の男だった。

早くに妻を亡くした彼は、一人娘を溺愛していた。

セリナの幸せだけを願っていた。政略結婚など一考にも値しないものだった。

それでも可能性はあった。彼女が好きな男と婚約し、男子を産めばエルトリアの家名は続く。

本来ならば男子直系が好ましいのだが、これなら父も納得したに違いなかった。


だが、その目論見は崩れることとなる。


貴族同士の権力抗争が始まった。

父のラグナを当主とするエルトリア家と、宿敵のリーガル侯爵家の対立だった。

公爵とはいえ、貴族としての原動力はいまいちのエルトリア家。

対してリーガル家は侯爵家だが新進気鋭の貴族であり、彼らの勢いは天を衝かんばかりとまで謡われるほどだった。


『エルトリア家は貴族としての自覚に欠けている!』

『そんなことでは国はまとまらない!』


彼らの言い分は正しかったかも知れない。

エルトリア家とリーガル家はその後も対立を深め、一触即発の空気が漂っていたときだ。

事件が起こった。彼らの仕えていた王族が皆殺しにされた。

誰が犯人なのか、未だその真実は定まらなかった。

既に両貴族を抑える力のなかった王族たちは駆逐され、エルトリア家とリーガル家の対立が表面化したのだ。


新たな魔王がどちらになるか、そういう抗争だった。


結果は言うまでもなかった。

数多くの味方を引き入れたリーガル侯爵家が権力争いに勝利した。

元より権力争いなどに意欲的でなかったエルトリア家は敗北し、そして王族を殺害したという反逆罪で処刑された。


セリナの父、ラグナも処刑された。

一連の事件を『アンドロマリウスの変』と呼び、エルトリア家が全ての元凶として粛清された。




     ◇     ◇     ◇     ◇




セリナはただ一人、生き残った。

王族が殺害された、という報がリーグナー地方全土に広がったとき、ラグナによって逃がされていたのだ。

恐らくはこの結末を彼は予測していたのだろう。

だからこそ、セリナの命を奪わせないように最も信頼できる部下に彼女を託した。


「…………馬鹿みたい」


リーグナー地方、西北。

信頼する部下と共に逃げてきた彼女は、蛮族国クラナカルタに潜伏していた。

家族も故郷も友人も失い、命だけを繋いでここまで逃げてきた。

胸に宿るのは哀愁。胸を焦がすのは憎悪だった。


「リーガル家……父様の仇……許さない……」


どんな手を使ってでも後悔させてやる。

セリナという少女を占めているのは真っ黒な憎しみの炎。

右手をかざし、燃えろと念じる。彼女の怒りを表すように勢いよく焔が立ち昇る。

めらめらと揺れる炎を眺めながら、セリナはこれからのことについて考えていた。


ここまでセリナの護衛をしてくれた剣士は今はいない。

水を買い求めてくる、と言っていた。

こんな蛮族の国に水が売っているのかは甚だ疑問だったが、水がなければ砂漠は越えられない。

別に下っ端の蛮族どもなど敵ではないのだが、大人しくここで待っているように言われては仕方がない。

剣士の帰りを待ちながら、セリナは逃避行のときから考えている計画を詰めていく。


(私の目的はみっつ。エルトリア家の復興と嫌疑の払拭。そして、リーガル家への復讐)


無謀な試みだった。

リーガル家はいまや侯爵ではない。

このリーグナー地方という広大な土地の半分以上を国土として持つ大国の王族だ。

没落した貴族の娘ごときでは、何ができるということもない。

それでもセリナは諦めなかった。


(新しい国を作って魔王となる。リーガル家の国、ラキアスを潰す。そのために必要なのは武力と国……それと)


そこでセリナの表情が歪む。

左手で己の胸の膨らみへと手を当て、自身が女であることを自覚する。

それが悔しかった。彼女は自分が女であることが疎ましかった。


魔王は男でなければならない。


それが魔界レメゲトンでの常識という名の鎖だった。

女は魔王にはなれない。無理やり魔王となったとしても、民がそれを認めない。そういうルールだった。

例え国を興したとしても女のセリナは魔王にはなれないのだ。


(それと……私の夫、ね)


彼女の伴侶。

セリナが建国した国の魔王。

そういう存在が象徴としても権威としても必要となるのだ。

セリナは掌の腕で踊る炎を消すと、そのまま自分の体を両腕で抱きしめた。

未知への不安と心の奥底で渦巻く女としての恐怖を強引に押さえつけるように。

どんな手段を使ってでもエルトリア家を復興させることを誓った。たとえこの身体を捧げることになろうとも。


(魔王は強くなければダメ。その強さが実力か権力かの違いはあるかも知れないけど……)


問題は彼女の身体を捧げてでもセリナの味方になってほしい人物だ。

そういう存在が確保できるかどうかが大きな焦点となる。

きっと長い目で探さなければならないに違いない。それこそ二年、三年で済むかどうか。


「………………」


セリナは廃墟の建物の中でも比較的綺麗で耐久性のある家を選び、直接日射を防いでいた。

詳しい時間は分からないが、さっきから気温がどんどん上昇していくことを考えれば昼なのだろう。

こんな時間に砂漠をうろうろするのは自殺行為というものだ。

砂漠の住人ならともかく、少し前まで貴族のご令嬢として扱われていたセリナには辛い旅には違いない。

そんな彼女はちょっとした気分転換として、うんざりするほど広大な砂漠をぼんやりと眺めていた。


その先に一人の少年の姿があった。


もっと付け加えるなら、少年と魔物だ。

童顔の可愛らしい顔つきの黒髪の少年が、彼の三倍はあろうかという大きな魔物に追い掛け回されていた。

この熱砂の大地を傍目にはか弱そうな少年は全力で走る。


「……あれは、人間かしら?」


追われている少年は普通の人間のように見える。

少女も顔立ちや体格は人間と相違ないのだが、彼女の背には魔族を示す蝙蝠の翼がある。

傍目には人間そっくりに見える種族もいれば、人間に擬態する種族もいるので一概に人間とは言えない。


「トロールね。結構、辛いのと出くわしたみたい」


少年を餌にしようとしている魔物は、豚の顔を持つ巨大な生き物だ。

元は魔族の巨人族としての亜種だったようだが、交配を繰り返すごとに遺伝子が劣化して魔物となったものだ。

その体躯と怪力から並みの魔族よりも手強いのだが、本能のままに生きるために魔族から魔物へと格下げされている。

魔族と魔物は似て非なるものなのだ。


セリナは廃墟からゆっくりと太陽の下へと立つ。

いささか遠くではあるが、彼女が悪魔の証である翼をもって飛翔すればすぐにでも辿り着けるだろう。

別に人間を助ける義務も義理もないのだが、理不尽の元に何かを奪われる苦しみを彼女はこの数ヶ月で理解していた。




     ◇     ◇     ◇     ◇




話は変わって。

奈緒は砂漠を激走していた。

より正確に言えば走っているのは奈緒本人ではない。

彼の瞳は紅蓮の色に染まっており、今の身体は龍斗に所有権があることを示していた。

龍斗は背後から迫る脅威を肌で感じながら、心中で悪態をつく。


(畜生! さっきの鬼たちよりもタチ悪りぃじゃねえか! つーか何で俺が走ってるんだよ!)

(僕が走ってもすぐに追いつかれるからでしょ! それよりも何とか振り切れないの?)

(自分が走らねえからって無茶言いやがって!)


龍斗は運動全般が得意だ。

鍛え抜かれた無駄のない筋肉に加え、幼い頃から培ってきた経験がそれを裏付けている。

しかしそれは龍斗本人の身体の話であり、今の彼は運動音痴の奈緒の身体を使っているに過ぎない。

未だに使い慣れない体の動きに舌打ちしながら、龍斗は叫ぶ。


(ていうかさあ! 奈緒は魔法が使えるんだろ!? 魔法使いなんだよな、あいつ倒せるんじゃね!?)

(む、無理だってあんなの! だって僕の身長のざっと二倍だよ! あんな氷くらいで倒せると思う?)

(昔の人は言った! 無理かどうかを語れるのは挑戦する勇気を持った者だけ、だとなあ!)

(地味に格好良い名言を!)


この二人、会話から余裕が窺えるように見えるがいっぱいいっぱいである。

彼らはどんな緊迫した状況でも漫才のような会話を交わす。そうすることで落ち着こうと必死なのだ。


(ていうか、言って良いかな?)

(はい、龍斗くん)

(悪い。長時間歩き回ってる限界が来てる。熱中症に加えて、全身の疲労が限界に近い)

(…………やっぱり身体はひとつだからね)


交互に交代すれば疲労だって二分の一。

そんな考えは甘かったことが証明され、内心で奈緒が舌打ちした。

漫画の世界の二重人格とかそういう類よりも、ずっと使い勝手が悪いなぁ、と密かに嘆息して奈緒は言う。


(分かった。出来るかどうか分からないけど、もう一回やってみるよ)

(魔法使い、狩谷奈緒の出番だな)


奈緒の身体が豚の大男を相手にして向き直る。

何度となく周辺の探索の際に切り替わったことによって、人格交代のコツは掴んでいた。

ただ奈緒が願えばそれでいい。彼らの身体の所有権はそれだけで切り替わる。


「切り替われ」


言霊のように呟いた。

かしゃり、と電極のスイッチが入ったような感覚で、二人の立場が入れ替わる。

獰猛そうな紅蓮の瞳が、大人しい翡翠の色へと変貌する。

そんな彼らにも構うことなく、人語にもならない雄たけびをあげて魔物は太い拳を振り下ろそうとする。


「―――――<凍れ、怪物>ッ!」


奈緒が相手に向けて手をかざし、今度こそ言霊として叫んだ。

最初の感覚は小鬼たちと戦ったときと同じ。リーダー格の小鬼が「燃えろ」と言ったのと同じだ。

口で改めて言うことによって自身のイメージを高め、氷雪が奈緒を媒介として顕現する。

小鬼を打ち倒したのと同じように、巨人の右腕を凍らせていく。


ブオオオオオオオオオオ!


豚の巨人が絶叫した。

今まで逃げてばかりだった獲物の反撃が予想外だったのだろう。

凍らされた右腕を左腕で押さえると、苦痛を感じさせる雄叫びをあげて奈緒を睨み付けた。


(魔法、つえー)

(でも結構、しんどいよ……頭が割れるみたいに痛い)

(あー……ゲーム風に言えば奈緒はMPの値が低いのか? 攻撃力が高い代わりに)

(分かんないよ……やっぱり、あんまり使いたくないなぁ)


心中で泣き言を言いながら、奈緒もまた挑むように豚の巨人を見据えた。

今の氷で警戒を強めたらしく、威嚇しながらこちらの様子を窺っているらしい。このまま逃げてくれれば御の字なのだが。

奈緒の願いも虚しく、巨人が雄叫びをあげて突っ込んできた。


(来たぞ、奈緒!)

「分かってる……! <凍えろ、その身体の中心まで>!」


先ほどよりも更に強烈に。

右腕だけに留まらず、奈緒の生み出した氷の嵐は豚の巨人の身体を丸ごと呑み込んだ。

代償としては割れんばかりの頭痛。両腕をかざしているが、片手は額にでも当てたい気分だった。

効果は絶大で、豚の巨人の体温を奈緒の氷が次々と奪っていく。

しばらく巨人は抵抗するようにもがいていたが、やがて氷の嵐に呑まれたまま、砂漠の中で凍死した。


はあ、はあ、と奈緒の荒い息がしばらく続く。

先ほどの小鬼たちとは違い、今度は容赦なく殺した。動物の命すら奪ったことのない奈緒がその手で殺した。

豚の巨人が人語を解していたのなら、命を奪うには至らなかっただろうか。そんなことまで考えてしまう。


(奈緒、大丈夫か……?)

(な、なんとか。頭が痛いのは使ってる間だけみたい……だけど精神的にきついね)

(……悪い)


何が、と奈緒は訊いたが、龍斗は何も答えなかった。

龍斗には龍斗の思うところがあるみたいだが、奈緒も深く詮索するようなことはしなかった。

溜息をひとつすると、話題を変える。


(それにしても、ここってほんとにファンタジーなんだね……)

(さっきの小鬼たちといい、この巨人といい……本当に俺たちは遠いところに来ちまったんだなぁ)

(魔法もあるし。今はそれのおかげで助かったけど)


奈緒は軽く息をついた。

龍斗の言うとおり、身体には疲労が蓄積しているらしい。

今まで自分が着ている赤い長袖の服とジーパンは所々が擦り切れてて、革靴も砂と戦いの影響でボロボロだった。

どちらにしても少し休まないと、と奈緒が周囲を見渡したところで気づいた。


宙に女の子が浮いていた。

金髪の柔らかそうな髪を左右で結んだ、奈緒たちと同じ年頃の少女だった。

黒を基礎にしたワンピース。奈緒は当然、それを見上げる形になっている。白くて細い足に目を奪われてしまう。


(………………)

(白か)

(……いや、あの、目をつけるべきところはそこじゃ、ないと思うよ……うん)


若干、慌てながら奈緒が正論を口にする。

今まで小鬼とか豚の巨人と逢ってきた奈緒たちだったが、宙に浮いているのは間違いなく女の子に見える。

背中から生えている蝙蝠の翼が、ゆっくりと風を切って彼女を浮かせていた。

あの蝙蝠の翼さえなければ人に出会えた喜びに歓喜していただろうが。


「正直、驚いたわ。助けはいらなかったみたいね」


凛とした少女の声が奈緒の耳へと届く。

空中に浮いていた彼女は徐々にその高度を下げ、奈緒たちと同じ目線まで降りてくる。

改めて少女を見た奈緒は思わずぼんやりとしてしまった。

彼女の整った顔立ちと背中の翼。色々な事情が組み合わさって、彼は見惚れてしまっていたのだ。


「あなたは魔族? それとも、もしかして『異端ミュータント』なのかしら」

「君は……?」


少女の口から飛び出す知らない単語に、奈緒はようやく我に帰る。

魔族、と彼女は語っていた。

この意味を良く理解することはできなかったのだが、恐らくは目の前の少女こそが『魔族』なんだろうと思った。

それは根拠のない予想だったが、確信にも近いものだった。


「私はセリナよ。悪魔族……正確には竜人ドラゴニュートとの混血ハーフだけど。あなたは?」

「えっと、狩谷奈緒、です」

「カリヤナオ?」

「ああ、なんかイントネーションがひどい。ええと、ナオって呼んでくれると。そっちが名前だから」


セリナ、と自己紹介した彼女は一瞬だけキョトンとした。

奈緒の言葉を彼女の中で細かく噛み砕くと、セリナはなるほど、と手を打った。


「ナオ・カリヤ……ってことでいいのかしら? それとも、カリヤ・ナオ? ナオが名前なのよね?」

「あっ、そっか。外国人みたいな名前だから苗字ファーストネームが後になるのか。そう、ナオ・カリヤだよ」

「分かったわ、ナオ。私のこともセリナって呼んで頂戴」


セリナは得心がいったように頷き、奈緒もそれに同意する。

内心では龍斗が奈緒に対して言う。


(ようやく、友好的な交流が持てたな……人じゃないっぽいが)

(とても人に近いと思うよ。そう、あの翼を除けば)

(ああ、あの翼がなければな……)


何気に失礼な台詞ではある。

とりあえずお近づきになれたことは嬉しい。しかも可愛い女の子だ。

奈緒は安堵が半分、恥ずかしさが半分といった具合で少女を見ていたが、セリナは腕を組んでから言う。


「それで、あなたの種族は?」

「え……?」

「魔法が使えるってことは魔族でしょ? 完璧に人間に擬態しているし、もしかして高位の貴族なのかしら?」


奈緒は思わず黙ってしまう。

ここで魔族じゃありません、人間です、と言ったら即座に敵対しそうな予感がする。


(ど、どどど、どうしよう龍斗!?)

(……いや、もうこれは正直に言うしかねえんじゃねえかな。適当なこと言ってバレたほうが怖いぞ)

(そ、そうだよね……ああ、でもなんか怖いなぁ)


心の中で苦悩する奈緒。

中々答えない彼に対して、セリナは少し眉を寄せた。


「……なに? もしかして、混血ハーフには答えられないとでも言うの?」

「いやいやいや! そんなことないよ」


覚悟を決めるしかないようだ。

奈緒は少し頭を抱えると、セリナの視線に耐えられないとばかりに首を僅かに背ける。

そして口の中で呟くように語った。


「……人間です、僕は」


そう言った瞬間だった。

セリナの瞳が驚きに見開かれ、そして目の色が僅かに変わった。

明らかな彼女の反応に奈緒は内心で冷や汗を流したが、セリナは確認を取るように問いかける。


「……ほんとに人間? 嘘ついたら承知しないわよ?」

「人間です。嘘じゃないよ……」

「…………ほんとに、ほんとに? 私をからかっているわけじゃなくて? 種族がバレたらまずいわけじゃなくて?」


いい加減、その確認作業が煩わしくなってきて奈緒は叫ぶ。

自暴自棄にも似た勢いのそれで。


「ああ、もう! ほんとなんだって! 僕は人間で魔族なんてもんじゃないっていうか、そもそも魔族って何なんだよっ!」

(……ああ、奈緒がヤケクソモードに入った)


心の中で龍斗がぽつりと呟いた。

セリナは奈緒の叫びを訊いてなお、信じられないといった感じで首を振る。


「……ねえ、あなた。魔法が使えるわよね? このトロールはあなたが倒したのよね?」

「そ、そうだけど」


それが何かおかしいですか、と尋ねるべきか否か。

何しろ奈緒本人が魔法を使えることに疑問を覚えているのだ。

試しに龍斗に身体を代わって試してみたが、残念ながら龍斗では何も起こらなかった。

どうやら魔法を使えるのは奈緒のときだけらしい。


「冗談で言ったつもりだったけど……まさか、ほんとに異端ミュータントだなんてね」

「……ね、ねえ。えーと、セリナ」

「何かしら?」


訊かなければならないことが山ほどある。

この世界について。魔法について。魔族について。異端ミュータントについて。そしてセリナについても。

しかし、あまりにも訊きたいことが多すぎて何処から話せば良いものか。

奈緒が頭を悩ませているときだった。



ブォォォォォオオオオオオオ……

ブオオオオオオオオオオ!



「ッ……!」


背筋が凍る。

心の中が赤と黒の色に染まる。

この鳴き声を奈緒は知っている。心の奥が急激に冷えていく。

セリナが周囲を見渡し、信じられない、といった表情で叫んだ。


「え……嘘……魔獣兵ザルバード……!?」


セリナの悲鳴にも似た声も奈緒には届かなかった。

かろうじてザルバードという名称と目の前の頭が山羊の人間……即ち、悪魔たちが同一であることを判断できただけだ。

砂漠に似つかわしくない悪魔たち、その数は四体。


(奈緒……!)

(……大丈夫。龍斗は大人しくしていて。今の僕には魔法がある)

(っ……そう、だな……俺じゃあ、二の舞か……)


悔しそうな龍斗の声が頭に響く。

奈緒の脳裏には今もありありと親友が炎に巻かれて炭となっていく光景が広がる。

ザルバードと呼ばれた彼らは黙して何かを語ろうとはしない。

ただ鳴き声をあげて威嚇しながら奈緒たちを取り囲むだけだ。

敵意があるのは言うまでもない。


「話は後にしよう……まずは、こいつらを」


振り返ったセリナが奈緒の表情を見て息を呑む。

どんな顔をしているのか奈緒には分からなかったが、きっと酷い顔をしているのだろう。

悪魔たちの敵意に負けないぐらいの殺意を心の奥に宿しながら、奈緒は言う。



「殺さないと」



自然に出てきた言葉が狂おしい。

奈緒は右手をザルバードたちに向けると、宣戦布告と共に言霊を告げる。


(……………………くそ)


奈緒の心中で。

何の手助けにもなれない龍斗が悔しさに震えていることにも気づくことなく。

悪魔たちとの殺し合いが始まった。





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