第48話【クラナカルタ決戦4、戦人と傭兵の流儀】
「ぐおらああああああ!!!」
「ぬうっ……!?」
南軍の中央部は激戦区となった。
ただでさえオリヴァース軍三百と、クラナカルタ軍五百が激突しているというのに、それが些細なことのような光景。
周囲のオーク族の兵たちは、戦争中にも拘らず、その光景へと目を向けてしまうほどだった。
魔王ギレンと傭兵隊長ゲオルグ。
オーク族最強の戦士と種族最高峰のミノタウロス族の、出し惜しみなしの総力戦に目を奪われるしかなかった。
「がっはっはっは!! 強ええなぁ、おい! 強ええなあ!!」
まさに命懸けの殺し合い。
全身を駆け巡る高揚感を両者とも抑えられなかった。
ゲオルグの大木のような腕が振るう斧は、ごうっ、と空気を切り裂いてギレンへと叩き付けられる。
一撃で大地すら割ってしまうのではないか、と思うほどの一撃を真正面からギレンは受け止めていく。
「ミノタウロス族……噂に違わんな。楽しいぞ」
「余裕じゃねえか、おい」
「まだまだ楽しませてくれるのだろう。まさか豪腕だけで終わりなどということは言うまいな」
「もうちょっと付き合えよ。オレとここまで打ち合えた奴を見たことがなくてなぁ……楽しくて楽しくて仕方ねえんだよ!」
ゲオルグが大きく斧を振りかぶる。
唐竹割りを狙って振り下ろされた斧。棍棒で受け止めれば武器が耐え切れずに破砕する。
咄嗟の判断で右に避けると、牛頭めがけて棍棒を振るった。
目に見えぬ速度に加え、一撃の重さは岩のように硬くしたラピスの左腕を骨折させるほどの威力を持つ。
ゲオルグはあろうことか、その一撃を筋骨隆々の左腕で叩き落とした。
「むっ……」
「おらよお!!」
「がはっ……!」
バランスを崩したギレンの横っ面を、拳を固めて殴り飛ばした。
斧は地面に投げ捨てて、頬を打ち抜く右ストレート。腕力だけでギレンの身体を何メートルも吹っ飛ばす。
討伐軍全体を見て、初めての明確な一撃をギレンに与えたゲオルグだが、本人は不満そうだ。
舌打ちするゲオルグの目の前で、首をコキコキと鳴らすギレンは何事もなかったかのように立ち上がる。
「なかなか効いた」
「はん……こっちはお前さんの首を折るぐらいの気持ちで殴ったんだぜ。ピンピンされちゃ自信なくしちまう」
「いや、大したものだ。衝撃を受け流したつもりだったが……」
お互いの距離は十メートル前後。
つい先ほどまで肉薄していたというのに、一度殴られただけで距離を開けられてしまった。
ギレンは相変わらずの無表情の中に歓喜をまじえながら語る。
「ここまで飛ばされてしまった」
「だからよぉ……その上から目線に、自信なくしちまうってんだよ、おらあ!!」
斧を拾い上げ、再び接近する。
応じるようにギレンも地面を蹴って跳躍すると、お返しとばかりに蹴りを叩き込んできた。
狙いはゲオルグの側頭部。直撃すれば首の骨が折れかねない。
ゲオルグは巨体を小さく丸めて剃刀のような蹴りを避けると、強引にそのままギレンへと体当たりを食らわせた。
再び吹っ飛ばされるギレンだが、ゲオルグは追撃の手を緩めない。
「潰れろや!」
「ちっ……!」
嵐というより、削岩機のような斧の一撃が追ってくる。
ギレンは舌打ちをひとつすると棍棒を振り上げ、不確かな態勢のままに一撃を受け止めた。
だが、空中にいるために踏ん張ることができない。
そのままゲオルグに巨体に押し潰され、ぐしゃり、と壮絶な音がした。
(……やったか? いや)
こういうとき、大抵は失敗に終わるんだよな、などと思った矢先の出来事だった。
胸に強烈な圧迫感。あばら骨を複数、叩き折られるかのような衝撃と共に、ゲオルグの身体が宙を浮いた。
事実、骨の折れる音がした。
二メートルなど遥かに超えるゲオルグの巨体が、下から突き上げられた衝撃で吹っ飛ばされる。
(ごっ……ふっ……!?)
信じられない、という瞳でゲオルグが下手人を睨み付けた。
ギレン・コルボルトは哂っていた。
無表情を崩すことのなかった鉄面皮の魔王が、強敵を前にした歓喜の雄叫びをあげている。
「ふっ、はははははははははははははははは!!!」
残忍な哄笑にも見えた。
周囲を囲むオーク族の兵士たちですら、恐怖に一歩足を下げた。
直接向けられたゲオルグも、心臓を鷲づかみにされるような恐怖が襲いかかってきた。
ギレンは高揚感と共に感情を込めて叫ぶ。
「いいぞ。貴様、強いな。手加減などできん。こちらが食われてしまいそうだ!」
「はっ……てめえ、アレか。今までは手加減してやってた、なんて言うつもりじゃねえだろうなぁ……」
「試してみるといい」
「クソガキが」
ゲオルグは腹部の激痛を無視して斧を振り上げた。
横に払うようにして振るわれた一撃は激烈だ。迷宮に住む魔物の血脈に相応しいほどの豪腕である。
並みの魔族ならば、三人ほど並べて一気に斬り捨てられるだろう。
ギレンは獰猛に口元を歪めたまま、その一撃を鉄の棍棒で真正面から受け止めてみせる。
ガギィィン、と耳を劈く金属の悲鳴と共に、猛威を振るう一撃が止められる。
「ちいっ!」
「今度はこちらから行こう」
言葉が言い終わる前に、ギレンの小柄な体躯がゲオルグの視界から消えた。
文字通り、消えたように感じるほどの速度だった。
目標を失ったゲオルグの冷静な部分は困惑し、使い物にならなくなる。
「っ……!!」
それは超反応だった。
第六感と呼んでもいいかも知れない。
理由もなく、確信もなく、ただゲオルグは背後を振り向くと、我武者羅に戦斧を振りかぶった。
同じように金属同士がお互いを擦り付ける悲鳴が響いた。
「これに反応したか、本当に強いな」
「くそ、傭兵の直感、舐めるんじゃねえよ……こちとら、これで命を繋いでんだよ!」
「いいぞ、もっと楽しませろ!」
「お前さんの遊びに付き合うつもりはねえよぉ!!」
見えなかった。
ハヤブサのような速度で懐へと接近されていた。
次の一撃を再び弾けるとは限らない。
所詮は直感で防いだだけの、運の良かった体捌きだ。続けて食らえば致命傷を受ける。
「……なあ、お前さん。なんでそんなに戦いが好きなんだい」
「うん?」
「お前さん、魔王だろ。戦いが好きなのに、どうして将軍とかじゃなくて、魔王になったんだ?」
追撃しようとしていたギレンの足が止まった。
ゲオルグとしては起死回生のための時間稼ぎのようなものだが、魔王は付き合ってくれるらしい。
棍棒を肩に担ぎながら、ギレンは首をかしげて口を開く。
「単純な話だ。クラナカルタの魔王は最強の存在が、その座に就く」
「らしいな」
「我は……先代の最強を打ち倒した。理由はない……先代も暴君として知られていたが、そんなことは関係なかった」
理由もなく、ギレンは先代魔王を討ち滅ぼしたという。
ただ彼は戦いを求めていたのだろう。
単純にそれだけだったに違いない。そのせいで魔王となった。国を背負う覚悟などしていなかった。
「我は、戦いの中にこそ、自分を見出せる」
「気持ちは分かるぜ」
「そうだろう? この高揚感、生きるか死ぬかの瀬戸際の戦い……刺激的で、たまらない」
「お前さん、今からでも傭兵にならねえか? うちの傭兵団で歓迎するぜ」
異例の殺し合いの最中での勧誘だった。
彼は少し頭が足りない。魔王ギレンは、本当に傭兵家業にこそ向いていると思えた。
国を背負わなければならない魔王。
確かに実力としての畏怖は十分だが、政治に見向きもしないギレンはやはり、傭兵こそが一番だと思える。
「面白いが、条件がある」
「あん?」
「我は、自分よりも弱い者の命令には従わん。分かるな?」
「ははっ……」
クラナカルタの掟。
強い者こそが正義であり、弱者は強者に従うべき。
なるほど、魔王自らが率先して国法を守っているじゃないか。
実力に裏打ちされた自信を前にして、ゲオルグはこれまで以上に獰猛な笑みを浮かべた。
「そりゃあ、お前……」
「うん?」
「全力でスカウトしたくなっちまったじゃねえか、この野郎」
再度、二人が激突する。
斧を振り上げ、棍棒が叩き付けられ、拳が唸り、蹴りが飛ぶ。
嵐のような猛烈な応酬が続けられていく。
◇ ◇ ◇ ◇
「副長、伝令です! 北のラキアス軍に動きが!」
「どのようになりましたか?」
東門の前に布陣し、未だ戦いに参加していないカスパールの軍は情報収集に追われていた。
総司令である狩谷奈緒は情報こそが武器だと言っていたが、その通りだとカスパールも思う。
下手に動くよりも、戦争という異常事態のなかで冷静な対応をする部隊が必要だ。
元より作戦立案はゲオルグではなく、副長のカスパールの役目だ。やることはこれまでと変わりはない。
「現在、城塞都市メンフィルを攻略中。北門に苛烈な攻撃を加えているとのことです!」
「なるほど……」
そう動いてきたか、とカスパールは思う。
客観的な事実を見れば同盟軍への援護へ向かわず、むしろ本陣を落としてしまおうという攻撃的な作戦だ。
情報を集めていればわかるが、敵の主力部隊のほぼ全軍が南門へと集結している。
本陣を陥落させるならばいま、と思ったのだろう。
「申し上げます。西軍のテセラ殿が南軍への援軍として出撃しました! しかしテセラ殿本人の姿は確認されてません」
「兵だけ……?理由は気になりますが、捨て置きましょう」
全体的な『作戦』に影響は出ない。
西軍は計算から外してしまっていいだろう。南軍と合流したのなら、今しばらくは耐えられるか。
魔王ギレン、軍師オルムの動向は気になるが。
少なくとも両者は南門のほうにいる。
(今頃は隊長も南門で戦っている頃ですね……さて、この場における『最善』は……)
思考は鋭く、行動も早かった。
眼鏡の奥の眼光は剃刀のように鋭かった。
カスパールは傍に控えていた部下の一人を呼びつける。
「ボクは少し席を外します。指揮はお任せしますので、東門を攻撃しましょう」
「は……? り、了解しました」
東門の攻撃。
カスパールの軍も本陣攻略に着手するということだ。
仲間の援軍ではなく、攻撃的な指揮。今が好機だということは誰にだって予想がつく。
だが、その指揮を副長カスパールは執らないという。
「用事を済ませてきます。一時間ほどですので、東門を打ち破ったらラキアスに合流を」
そういうと、悪魔族の青年はいつも通りの柔和な笑みを浮かべながら地面を蹴った。
部下は南の方角へと走り去る副長を見送る。
隊長も副長も向こうに向かわなければならないのか。それほどまでに敵は強いのか、と部下は戦慄した。
やがて、カスパール軍も東門を激しく攻め立てていく。
◇ ◇ ◇ ◇
(まずいなぁ……)
五十合以上も打ち合った牛頭の額に汗が滴る。
気にならなかったはずの小さな傷が、段々と彼の体力を奪っていく。
話には聞いていたが、予想以上の強さだ。
ミノタウロス族という、魔族でも最高峰の身体能力を誇る種族である男が、一方的な防戦を強いられている。
(くそ、反則じゃねえか。時間稼ぎが精一杯だなんて、笑えねえ……!)
魔法なしの肉弾戦。
激突するゲオルグに油断も怠慢も容赦も遠慮もない。
並みのオーク族なら百人殺してもまだ余りあるほどの本気を以ってしても、魔王ギレンは揺らがない。
小柄な体躯の王。だというのに、放つ一撃はゲオルグよりも更に上。
(打ち合いで負けるたぁ……!?)
身体能力では負けることはないと思っていた。
それだけの自信と実績があった。経験は何よりも力となるし、現実的に百年の人生で打ち合いに負けたことはない。
だが、それは幻想に過ぎなかったのかもしれない。世界の広さを知った。
上には上がいる。世界にはゲオルグすら圧倒するほどの戦士が、確かに存在しているのだ。
「へへっ……」
「む?」
打ち合いの最中だというのに笑みが零れてしまった。
世界は広い。百年以上を生きたゲオルグですら、それを改めて実感する。
認めよう、肉弾戦では勝てない。
ずるずると戦いを引き延ばしていくのが関の山だ。それも楽しかったが、いい加減に限界が近づいている。
「楽しかったけど、そろそろ終わりにしようや。お前さんも、そろそろ飽きてきたろ?」
「…………」
露骨に寂寥感を感じられる表情を浮かべるのはギレンだ。
彼も楽しかったのだろう。同じように本気で打ち合える相手など、きっと数えるほどしかいなかったのだろうから。
やはり、王よりも傭兵のほうが似合ってるじゃねえか、とゲオルグは内心で苦笑してしまった。
自分勝手で、持たせている女を泣かせてしまう性だ。
「ここからは、オレも手段を選ばねえ」
いわば、今までの戦いは試合だ。
真正面から正々堂々と勝負した。命も矜持も心意気も尊重した綺麗な戦いだった。
今度は違う。傭兵の流儀を使わせてもらう。
試合ならば汚いとも卑怯とも言われることも、戦争ならば関係ない。
「こっからが本番だぜ、魔王さんよぉ」
「望むところだ」
「会話も多分、しなくなる。一切の余裕もねえ。始まったら最後までだ。行き着くところまで行くしかねえ」
ギレンの顔に歓喜の色が宿る。
これから始まる殺し合いに胸を躍らせているに違いない。
今までの試合も激しかったが、これからの殺し合いは苛烈にして凄惨。熾烈を極めると言ってもいい。
「だから、先に聞いていいか?」
「……なんだ?」
「お前さん、なんでそんなに生き急いでいるんだよ。オレから見たら『死にたがり』にしか見えねえ」
「―――――……」
王の表情が、能面のように無機質なものへと変貌した。
戦いを前にした喜びはおろか、殺し合いを前にした悦びすら、掻き消えてしまった。
胡乱な瞳にも見える。全ての感情が削ぎ落とされてしまう。
「我の死は、ある女の願いだ」
ぽつり、と。
まるで己を害してしまうかのような声で王が答える。
何も感じさせないいつも通りの無表情の中に、苦渋に満ちた感情が見え隠れする。
それも一瞬のことで、次の一言は元通りの魔王へと戻っていた。
「それ以前として、戦いの中で死ねることが、我の望みでもある」
「望みだぁ……?」
死にたい、と王は語る。その事実にゲオルグが眉を潜めた。
戦いの中で、殺し合いの中で死にたいと告げている。
王の顔色は変わらない。
元よりゲオルグも、この期に及んでギレンの言葉が冗談ではないだろうと考える。
「理由はない。ただ、我はそういう異常者なだけだ」
その言葉を聞いて、ゲオルグはこれ見よがしに舌打ちをした。
なるほど、強いわけだ……とゲオルグは思う。
眼前の敵は人生の全てを戦いに特化させた異常者。言うなれば一振りの剣、そのもの。
戦いの中でしか生きられない戦闘狂だ。
「生まれつきだ。命の価値が分からない。自分の命の価値も、他人の命の価値も分からない」
「…………っ」
「必要に迫られて戦って、闘争の味を知った。生きているという実感、死に掛けたという実感が堪らなかった」
「ははっ……本当に、お前さんは傭兵向けだなぁ、おい」
もう、いいだろう。
これ以上の問答はもはや無用。
これより先はお互いの必殺を持って語り合うのみ。
王の狂った価値観も、傭兵の狂った感性も、全ては路傍の石に過ぎなくなる。
「もう、いいか?」
王が静かに威厳すら感じさせる声で問う。
傭兵は飄々とした態度を崩し、にやり、と不敵な笑みを返す。
ギレンは己の得物である棍棒を握り締め、ゲオルグは戦場を共に渡ってきた相棒の大斧を構える。
「ああ。お喋りはもう終わりにしようぜ……いくぞ、ギレン・コルボルト」
宣告はここに。
宣言はここに。
宣誓はここに。
浅ましくて泥臭い素敵な潰し合いを楽しもう。
「<我が領域よ、荒れ狂え!>」
◇ ◇ ◇ ◇
「む……!」
地響きにギレンは顔をしかめた。
不敵に仁王立ちするゲオルグの半径十五メートル。それが傭兵の『領域』に違いない。
大地が粉砕した。宣告を受けて自ら爆砕したようにも見えた。
ゲオルグの周囲は見るも無残な開墾劇。耕されたというよりは、文字通り破壊されたかのような光景だった。
「魔法か。属性は地、特性は……」
「円」
付け加えるかのようにゲオルグは挑発的な笑みを浮かべる。
それ以上の言葉はない。
ゲオルグは破砕された大地の中心地に立ち、誘い込むかのようにギレンを待つ。
円という特性。それはセリナの『鎌』や奈緒の『嵐』とは一味違う。
それはゲオルグの間合いを意味する。半径十五メートルは、ゲオルグ・バッツの射程範囲として展開された。
「おおおお!!」
躊躇はなかった。
魔法を使おうが、策を弄していようが、真正面から叩き潰すのみ。
地面を蹴って距離を詰めるギレン。
針のように尖った地面も関係なく前進するが、その行動をゲオルグは許さない。
「<二本槍>」
「っ……!」
大地が脈動し、地面から作られた鋭い槍がギレンに襲い掛かった。
数は二本。直撃すれば腹に穴を空けられることは間違いない。
一本を左腕で横に殴って叩き折り、もう一本を棍棒で弾く。他愛もない、と感想を抱くまでもなく。
「<六本槍>」
「ちいっ……!!」
追撃の槍。王を貫かんとする鋭い刺突。
今度は三倍の数で応戦してきた。狙いは両手両足、そして心臓と脳。同じタイミングで連撃必殺を図る。
傭兵団隊長ゲオルグ・バッツ。
彼の真の力は肉弾戦にあらず。魔法も駆使した妙技、射程距離の中ではゲオルグこそが『王』なのだ。
最も、全方位からの攻撃などが卑怯のようにも思えるため、彼はこの戦法を好まないのだが。
「ぬぐううう!!」
裂帛の気合と共に棍棒を振るった。
急所を狙う二本の槍をまとめて強引に圧し折る。同時に身体を捻って回転させた。
全方位から狙う、六本の槍を回避する。
超反応というべきか。第六感の為せる業か。ゲオルグは敵に対して感嘆の溜息を吐くほどだった。
「おおおあああああ!!!」
ギレンは牛頭を見据えると地面を蹴って跳躍する。
地上戦では埒が明かない。距離さえ詰めればもう一度、肉弾戦に用いることができるだろう。
十メートル以上もの跳躍は、もはや飛翔と言っていい。
雄叫びをあげながら、ゲオルグ目掛けて棍棒を振り下ろして。
「掛かりやがったな」
「……!?」
ギレンの表情が驚愕に凍りつく。
ゲオルグの周囲に地の槍が展開されていた。それも針のむしろ、と表現してもいいほどの量が。
空中にいる状態では回避できない。誘き寄せられたことに気づいて歯噛みする。
展開された槍は、獲物を待ち望む処刑道具のようだった。
「<十本槍ぃぃぃぃ>!」
「おおおう!!」
激突と同時に鮮血が舞った。
放たれた槍の半数を根こそぎ棍棒と腕力で破壊してみせるギレンは、怪物と呼んで間違いないだろう。
その怪物でも、今回は避けられない。
右足が穿たれる。脳天を貫くはずだった槍は頬を裂くだけに留まった。腰に刺さった槍は重さに耐えられずに折れた。
防御ひとつを取っても隙がない魔王だが、空中で無防備な姿を晒した。
「もらったあああああああ!!!」
絶対的な隙だった。
体勢も崩れ、攻撃を捌き切ることもできずに、ゲオルグの真上へと落ちていくギレンの身体。
大斧を振り上げた。出し惜しみはしない。
この一撃に全てを掛けるつもりで思い切り振りかぶり、墜落する王へと叩き付けた。
「ぐうっ……!!」
ボキリ、と鈍い破砕音。
ギレンの唯一の武器だった棍棒が、斧の一撃に耐えられずに根元から圧し折られた。
勝負は決まった、と誰もが思った。
続けて斧を振るい、今度こそギレンの肉体へと斬りつけようとするゲオルグが、驚愕に凍りついた。
ぐしゃり、と壮絶な音がして、血飛沫が飛ぶ。
「が……」
刃が深々とゲオルグの身体を切り裂いていた。
魔王ギレンが冷徹な表情を浮かべたまま、地面へと着地を果たした。
「な、に……?」
致命的な一撃を受けて倒れるゲオルグ。
何が起こったのか分からなかった。瞳に写ったのは轟々と燃え盛る炎だった。
一瞬の困惑の後、事態を理解した。
「我の、勝ちだ」
「……魔法……か……へへ、しくじったぜ……」
ギレンの武器は確実に破壊した。この時点で勝利を確信するのが間違いだった。
ゲオルグだって魔法を使えるのだ。ギレンが使えない道理はない。
炎の属性。ぱちぱちと音を立てて肉を炙る。肩から袈裟懸けに斬られた身体からは、血液がどろどろと流れていく。
魔王ギレンは手に掴むのは、刀身が燃えた剣だった。
「属性は『剣』、我の魔法だ。武器は粗雑な棍棒で問題ない。何故なら、いつでも調達可能だからだ」
「……ちっ……」
立ち上がろうとした。
だが、力が入らない。血を流しすぎている。視界がゆっくりと明滅していく。
敗北した。間違いなく、完膚なきまでに負けた。
小さく、ゲオルグは舌打ちする。
「……ちくしょう、負けかぁ……」
ゆっくりと目を閉じた。
傭兵にとって戦いの中での敗北は、死と同義。
何より見逃すはずがない。反撃の力も残っておらず、逃げるだけの体力すら残っていない。
走馬灯のようなものを感じながら、ギレンが炎の剣を振り下ろすのを待つ。
「…………」
「……」
「………………おい」
「む?」
沈黙が一分以上も続いた。
いい加減に待てなくなったゲオルグが、目を開いて立ち尽くす魔王へと視線を向ける。
既に炎の剣は掻き消えていた。
「……なんだよ。殺さねえのか?」
「うむ……それを少し考えているのだ。ここで殺すべきか、それとも見逃すべきか……」
「はあ……?」
分けが分からない。
ゲオルグは腐っても敵首脳陣の一人、殺しておいて損はない。
首を取って掲げれば士気も向上するし、ゲオルグの軍も動揺するだろう。
それだけの利点がありながら、ギレンはゲオルグを殺すかどうかを迷っているという。
「久方ぶりに楽しい殺し合いだった。出来れば、もう一度やりたい。ここで殺すのは勿体無い……」
「…………なんつーか、お前さん。正真正銘の、異常者だなぁ」
「うむ、良く言われる」
まあ、いいや。そんな風にゲオルグも思ってしまう。
元より戦場に出ている以上、誰にどのように殺されても文句は言えない。
見逃してくれるというなら、ありがたく命を繋がせてもらうし、殺されるなら敗者は何も言えはしない。
戦場での敗北は全てを失うのと同じ意味なのだから。
傷つけられようが、辱められようが、殺されようが仕方がない。戦争に参加するとは、そういう意味なのだ。
「ではな。手当てはせん。自力で生き残れたなら、またやろう」
「……ああ」
魔王は去っていく。
次なる相手を求めて。死にたがりは己を殺せる相手を捜す。
その頃にはゲオルグも移動できるぐらいには回復していた。ミノタウロス族の生命力は他種族とは一線を駕す。
ただ、この戦いではもう戦えない。
「畜生……スカウト、失敗かぁ……」
ままならねえなぁ、と独り言を呟いた。
ゲオルグ傭兵団本隊は隊長の敗北の知らせを受けて撤退を開始していく。
未だ、魔王は健在のまま、戦いは更に続いていく。
「とりあえず、ここを、離れねえとな……」
今にも崩れてしまいそうな身体を引き摺りながら、ゲオルグは戦線を離脱した。
◇ ◇ ◇ ◇
「ここまで来りゃあ、いいか……」
東門と南門の付近。
激戦区となった南門と違って、東門方面は比較的安全な区域だった。
いずれは南軍を撃破してきたクラナカルタの兵たちが攻めてくるだろうが、その頃には東軍と合流できる。
急いでカスパールの軍と合流しねえとな、と身体を引き摺りながら考えていたが。
「隊長」
「……あん? 迎えが、早ええじゃねえか」
「ええ、まあ。隊長が敗北したと聞きましたので」
小走りで現れたのは件の副長カスパールだ。
眼鏡をかけた悪魔族の青年は、ゲオルグの敗北にも対して驚いた様子を示すことなく駆け寄ってくる。
袈裟懸けに斬られたゲオルグの肢体を見て、僅かに眉を潜めるだけだった。
「何で生きてるんですか?」
「気合だよ、気合。つーか、もう体力もねえ。きつい、死にそうだ」
「全然そうには見えませんけど、手酷くやられましたね、隊長。いや、モーニングスター」
「言い直すなよ……」
相変わらずの辛辣な言葉にゲオルグも苦笑する。
話を聞けばゲオルグの援護のために軍の指揮を部下に任せて駆けつけてきたらしい。
カスパールには悪いが、彼の加入ぐらいで引っくり返る戦いでもなかったので、間に合わなくてよかった、と思った。
「なあ、薬、持ってねえか、薬……確か常備してんだろ、お前……」
「持ってますよ。ちょっと待ってください。っと、ああ。楽にしていていいですよ。寝ててください」
「おう……」
すう、と息をついて瞳を閉じる。
遠くでは戦いの音が響いている。怒号と悲鳴と絶叫と、刃物が克ちあう音に、爆発音。
魔王ギレンも再び戦いの中に身を投じているに違いない。
命を見逃してもらった。さて、この恩はどんな形で返すべきが仁義ってやつかなぁ、と物思いに耽った。
そんなことを考えてしまうぐらい疲労困憊で、虫の息だったのだろう。
だから、気づかなかった。
己の胸に突き立てられた、短剣。
どすり、と生々しい音と感触。噴出した血液が被害者と加害者の身体を朱に染めていく。
激痛と嘔吐感を我慢できず、その場でゲオルグは喀血した。
「あん……?」
信じられなかった。
自分の胸に短剣を突き立てられているという事実が。
己を刺し貫いたのが、眼前で冷たい表情をしている副官だという事実が、信じられなかった。
「うーん、やっぱり隊長ですね。念のために戻ってきて正解でした。その図太さは種族の影響なんでしょうか」
抜けぬけと、語りかけるかのような口調でカスパールは語る。
驚愕に思考が停止した。
副官カスパールは何年もゲオルグ牛鬼軍に在籍し、ゲオルグの右腕として補佐をし続けていた青年だ。
ゲオルグが誰よりも信頼を置いていた部下は、口元に凶悪な笑みを浮かべていた。
「疑問がありますか? ボクも詳しくは言えないので、簡単に」
「か、す……ぱ……」
伸ばした腕は空回りする。
一歩後ろに下がって追求の腕を回避したカスパールは、余裕の笑みを浮かべながら右手をかざした。
人差し指に、石を設置された指輪が見えた。
次の瞬間、日頃のカスパールのものとは思えない風の奔流が、ゲオルグ・バッツの巨体を吹っ飛ばしていった。
ゴオオオオオオ、と大嵐のような風魔法で、ゲオルグの身体はドドメとばかりに硬い地面に叩き付けられた。
「傭兵としての依頼ですよ、元隊長」
さあ、軍の指揮に戻らなければ。
カスパールは血溜まりのなかに倒れる上司に背を向けると、もはや振り返ることなく去っていく。
くつくつ、と背徳の快感に酔いしれながら青年の姿は消えていく。
地面に倒れ伏した傭兵は動かない。
傭兵の身体は、指先一本、動くことはなかった。