第46話【クラナカルタ決戦2、雑草の力を知れ】
「ははっ」
軍師オルム・ガーフィールドは眼前に広がる光景を満足そうに眺めていた。
それは、この世に顕現した地獄の再現だ。
数も少なく、一人一人も脆弱な劣悪種たるゴブリン族を、圧倒的な質と量で蹂躙していく様子。
オルムは己の瞳に写った惨劇を見て、満足そうにもう一度笑う。
「はははっ! これだ。彼奴らなど、これでいいのだ」
逃げ惑う民衆はラファールの里の住人たちだ。
討伐軍に降伏したおりに全員がナザック砦やアズモース渓谷へと移り住んでいたはずだった。
偶然にも、生活に余裕が出た民衆たちは、ラファールの里を復興させるために戻ってきていた。
故郷の復興を目指していたゴブリン族は、男も女も子供も老人も関係なく、凶刃の前に倒れていく。
「倒せ。刺せ。縊れ。潰せ。裂け! 砕け! 殺せえ!」
怒号が響く。
悲鳴が木霊する。
断末魔の叫びが心地よい。
百人にも満たない数ではあるが、これはほんの前哨戦だ。
この戦いが終われば、次はアズモース渓谷。ナザック砦。必要とあれば他国であろうとも!
「我らを売った臆病者の害虫ども! 一人として生かして帰すな!」
「ははっ!」
部下が一人、また一人と逃げ惑う民衆の胸に剣を突き立てる。
蛙が潰れたときのような無様な断末魔がオルムの耳朶を打ち、口元には隠しきれない笑み。
オーク族の精鋭は草を薙ぎ払うかのような乱暴な動きで命を刈り取っていく。
絶叫と雄叫びが木霊するなか、再びオルムの耳に悲鳴が届いた。
ただし今度は、オルムの部下が死に際に挙げた悲鳴だったが。
どさり、と投げ捨てられるオーク族の巨体。
眉を潜めるオルムの眼前にゴブリン族の男たちが立っていた。その数は百名以上、全員が武装している。
先頭に立つ男は典型的なゴブリン族。小柄な背丈と緑色の肌。
「なに、やってんだよ、てめえ……」
「ん?」
見て分からんか、とオルムは小さく呟いた。
周囲を見回してみるが、他に伏兵が潜んでいそうな気配もなく、主だった指揮官が率いているわけでもない。
飛んで火にいる夏の虫。愚かな自殺志願者を眺めてオルムは平然と口を開く。
「害虫駆除だ」
「てめえ、ふざけんじゃねえぞ!!」
「喚くな、見苦しい。貴様こそ、自分の置かれている状況を分かっているのか?」
百名程度の援軍が何になるというのだ。
こちらは優良種たるオーク族の精鋭三百名。敗北する道理など何一つない。
玉砕覚悟で突っ込んできたというなら大したものだ。
大した大馬鹿者だ。
「そして、貴様の目の前にいるのは……この国の第三席だ。いや、ベイグが倒れたいま、第二席だな」
「関係ねえよ……」
「貴様はなんだ? 少しは名のある男なのだろうな? 私の手を煩わせるまでもない小物か?」
「関係ねえっつってんだろお!!」
先頭に立つゴブリン族の青年、ロダンは喉を張り上げて怒鳴りつけた。
両脇を固めるようにサハリン、グリム。
二人の弟分が日頃のふざけた態度とは打って変わって厳しい表情をしている。
戦う意志と覚悟を決めてきた百人の特攻部隊が、今にも噛み付きそうな顔つきで、オーク族たちを牽制した。
「はっ……オルム・ガーフィールドか。ラッキーだな、おい」
「なんだと?」
「魔王ギレンじゃなくて良かった良かった。へへっ、なぁーんだ……相手がオルムで良かったなぁ、てめえら?」
「……っ!」
馬鹿にされた。
その事実に気づいたとき、オルムの顔から感情が消える。
安っぽい挑発であることは理解していたが、ロダンの言葉はオルムの琴線に触れたらしい。
「ははは……楽に殺してやらんぞ、クソ虫ぃぃぃぃぃぃ!!!」
「散開!」
ロダンの指示で全員が一斉に行動する。
兵の質も、兵の数も圧倒的な不利。そんなことは分かっているが、見捨てられなかった。
故郷を、仲間を、家族を、隣人を、友人を、女子供を笑って殺せるような奴らを許すことができなかった。
両者は雄叫びを上げて激突し……ロダンたちは勝ち目のない戦いへと赴く。
◇ ◇ ◇ ◇
「テセラ!」
「セリナ、ラピス。無事じゃったか!」
南軍と西軍の中間地点。
これより南門を固めていたオリヴァース部隊の援軍に向かう道中で、テセラはセリナたちと合流した。
反逆したオーク族は少し手がかかったが、打ち倒してきた。
彼女が率いるのはラファールの里で選抜された四百のゴブリン族だ。
「ごめんなさい。不覚を取ったわ」
「構うものか。勝敗は兵家の常とも言うじゃろう。お主が気にすることはない」
むしろ、とテセラは続けた。
彼女は小さな体をますます小さくさせながら、申し訳なさそうに語る。
「妾が、新たな抜け道の可能性に思い至るべきじゃった。少なくともお主はよくやっておったよ、セリナ」
「……ええ、ありがとう。結果は伴わなかったし、危なかったけどね」
「ともあれ、それがしとお嬢様は何とかこの通りですが……ただいま、ゲオルグ殿が魔王ギレンと相対しています」
「ふむ……」
ゲオルグであれば、勝てると確定はできないが存分に拮抗した戦いができるかも知れない。
ふと、テセラはラピスの左腕を見て顔をしかめた。
彼女は左腕を布か何かで固定し、ちょうど骨折した患者のように腕を吊るしている。
「腕を痛めたか……」
「……不覚です」
「やむを得まい。ところで、うちのゴブリン兵たちが応援に向かってあったはずだが、道中会わなかったかの?」
「……いえ。残念ながら」
「そうか」
逃げたか、という考えが頭を過ぎった。
相手が魔王ギレンと総勢八百人ものオーク族の精鋭たちだ。逃げるのも仕方ないかも知れない。
テセラは遠く、南門の方向を見つめた。
未だ戦いの音が止むことはなく、その音は遠く向こう側、ラファールの里まで続いている。
「まさか……」
「どうしたの?」
「いや……すまぬ。南軍の援軍には、後ろの彼らを向かわせる」
「……テセラは?」
「どうやら、行くところができたようじゃ」
ラファールの里。
貧民層であるゴブリン族たち全員の故郷。
あそこを守るために戦線を離脱していったというのなら、それは大馬鹿者のやることだ。
集落などいくらでも復活してみせる。だが、故郷を惜しむ者たちが死んでしまえば、それも叶わないというのに。
(いや……)
だからこそ、か。
ラファールの里には現在、故郷を復興させようとしていた民衆たちが住んでいる。
彼らは今、虐殺の憂き目にあっているに違いない。
護りに行ったのか。集落ではなく、志を同じくする仲間たちを。
「テセラ。私たちも手伝わなくていい?」
「気持ちはありがたいがの。ほれ、そこのラピスなどは戦線を離脱しなければならんだろう」
ラピスは複雑そうな顔をするが、セリナは構うことなく頷いた。
左腕を骨折している状態で強敵と戦うことなど、あってはならない。ラピスはセリナにとっても大切な友人だ。
そのことを十分に理解しているテセラは、続けて語る。
「お主たちはマーニャのところへ行け。伝達魔術品の様子がおかしいのか、連絡が繋がらん」
「テセラにも連絡はしたんだけどね……」
「済まぬのう、そのときは戦闘の最中じゃった。こちらから連絡したときは、そちらが切羽詰っておっただろうな」
「とにかく、マーニャの軍を動かしてくればいいの?」
然り、とテセラは首を縦に振った。
奇襲を受けたとはいえ、討伐軍の面々はよく防いでいる。
この状況なら一軍の横槍で形成を逆転することだって可能だ。
「マーニャとは仲が良かったの。お主たちはそのまま、ラキアス軍に保護してもらえ」
「……うん」
「納得はいかんだろうがの。お主たちが死ねば、誰よりも総司令が悲しむぞ」
「分かってる……」
セリナたちを納得させ、テセラは背後の軍勢に指示を出す。自分は指揮を執れないことを告げているのだろう。
ある程度の説明を終えると、四百ものゴブリン族は駆け足で南門のほうへと走っていった。
その後姿が消えていくよりも早く、テセラもまた駆け出そうとする。
「ではの……妾も、急ぐことにする」
「テセラ! 無理はしないで」
「分かっておる」
テセラはにかっ、と八重歯を見せながら不敵に笑って見せた。
強がりのようなものだったが、彼女を安心させておきたかったのだ。
「妾はゴブリンの姫。百年を生きた魔女よ。今更、死に急ぐには遅すぎるわ!」
そうして、三人も別々の方向へと進んでいく。
命を削りあう戦場で、お互いができる最善の行動を取るために、硬い大地を強く蹴った。
◇ ◇ ◇ ◇
「無様だよなぁ」
どさり、と誰かが再び、地面に倒れて動かなくなった。
ロダンは這い蹲りながら、仲間が倒れていく光景をまざまざと見せ付けられた。
彼は頭から血を流し、視界も半分近くがぼやけている。
二人の弟分も元凶であるオルムの背後で倒れている。気絶しているのか、死んでいるかもここからでは分からない。
「無様だよなぁ、おい」
「ぐっ……」
「ははっ、最初の勢いは何処にいった、劣悪種。脆弱すぎるぞ、虫を潰すのと変わらんな」
最初こそ互角の勝負へと持ち込んでみせた。
だがやはり、三百もの軍勢にじりじりと押され、やがて一気に崩れていく。
倒れた者たちは既に七割に昇る。
ロダンも含めて、まだ生きている者はどれくらいいるのか。それすらも分からない状況に追い込まれている。
「どんな世界でも、才能や種族は残酷なものだ。特に種族の違いは如実に現れる」
「…………」
「ゴブリンはオークには勝てない。この世界を創造した神は、ゴブリンという種族を最下等の種族に位置づけたのさ」
見せ付けるようにオルムは両手を広げた。
力無き雑草たちの頑張りすら、無益で愚かな行動に過ぎないのだと。
魔族の奴隷のような存在。貴様らなど、優良種によって口をあけて管理されていればそれでいい、と告げるように。
「ほら、こんなにもお前たちは弱い」
周囲を見渡した。
里が燃えていく。がらり、と音を立てて崩れていく。
守るために戦った者たちの亡骸は無残にも切り刻まれていく。
決死の覚悟も、命をかけた行動も、下卑た高笑いと共に踏み躙られていく。
「ほら、こんなにもお前たちの里は脆い」
余裕を貼り付けた笑み。
嘲笑の込められた哄笑と、無事故に突きつけられる現実。
どんなに頑張ろうとも、超えられないものというのは確かにある。事実として存在するのだ。
所詮、ロダンは主人公にはなれなかった。これはそれだけの話なのかも知れない。
「くは、はははははははははははは!!!」
決意も。
覚悟も。
願望も穢され、犯され、陵辱された。
無力感に打ちひしがれる男は、耳に届く高笑いを聞きながら、静かに拳を握りしめた。
◇ ◇ ◇ ◇
(ちくしょう……強ええなぁ……)
這い蹲りながらロダンは考える。
主人公にもなれない、脇役にもなれない青年は歯を食い縛りながら思考を巡らせる。
この結果は分かっていた。自分たちが勝てないことなんて分かっていた。
世界はそれほど甘く作られていないことなんて、ずっと昔から知っていたんだ。
(けど、違う……)
ロダンは、ゆっくりと指を動かした。
強大な敵にぶっ飛ばされて身体の節々が悲鳴を上げているが、それでも指は動いてくれた。
静かに息を吐く。泣き出したいぐらい辛い。
それだけの思いをして、ようやく動かせるのは指一本だけ。それほど酷い状態でも、ロダンは楽になろうとはしない。
(違うんだよ……種族の違いなんて、些細な問題だってえの……)
たとえ、絶望的なまでの力の差があるとしても。
一日を必死で生き残ってきた猛者たちが、城塞都市でぬくぬくと育ってきた奴らに負けるはずがない。
温室育ちのボンボンどもに、生え抜きの雑草たちが敗北するとは思えない。
生死の狭間なんて何度も味わってきた。
殺してくれ、と叫んだことだってあった。そんな地獄の中でも、自分たちは生き残ってきたのだ。
(姫みてえに別格なわけでもねえ……総司令みてえにデタラメなわけでもねえけど……!)
五本の指を握りしめた。
拳は握れる。両足に力を入れてみたが、これも問題ない。
死にたくなるほどの激痛が全身を苛むだけのこと……ああ、本当に何の問題もない。
立ち上がって、拳が握れるなら、まだ戦えるじゃないか。
(立ち上がる理由くらい、その他大勢にだって用意できらあ……!)
絶対的な力の差。
絶対的な数の差。
足りないものが多すぎて、本当にどうしようもない。
ロダンたちゴブリン族が彼らに勝てる要素なんて、それこそ不確定な要素があるだけだ。
それでも、賭けるべき価値はあるに違いない。
(俺たちが用意できるもんなんて、それしかねえじゃねえか!)
用意するのは意志と覚悟。
戦いを挑んだときよりも遥かに膨大な意地が必要だ。
根性論。ああ、悪くない。
必死に生きてきた自分たちの生涯を哂うような奴らに殺されるよりも、何倍だっていいじゃねえか――――!
◇ ◇ ◇ ◇
「てめえら……何を、寝てんだよ……」
思ったよりも声は出なかった。
ぼそぼそ、と。死に掛けの男が最後の言葉を伝えようとしているような儚さがある。
だけど、万感のこもった言葉だ。
周囲で同じように倒れている仲間たちにだって、きっと届くに違いない。
「故郷が、女子供が、家族が、友達が、仲間が、奪われようとしてんだぞ……」
見本を示すために立ち上がろうとした。
ふらり、と身体が揺れる。情けなく倒れてしまいそうになるけど、涙を呑んで激痛に耐えて見せた。
頭部からドロドロと生きるために必要なものが零れていく。
眼前に立つ敵が、己と同じ目線に再び立った男を見て、それでも余裕の笑みで嘲笑う。
「よく立ったな。それで、どうするのだ、雑草?」
「雑草、舐めてんじゃねえぞクソ野郎ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
絶叫が口から吐き出された。
血を吐くような強がりだったが、逆に楽になった。まだまだ自分も戦えるではないか。
まだだ。まだ、自分は立ち上がる見本を見せただけに過ぎない。
「いい加減、死んだほうが楽だろう。せっかく立ったんだ、最期に何か言いたいことはあるか?」
「…………」
ああ、あるとも。
ロダンは顔を鮮血で真っ赤に染めながら口を開く。
視界が揺らいでも、叫ばなければならないことがある。
「昔よぉ……弟を見殺しにしたんだ……」
「うん?」
「水がなくってなぁ……まだやりてえこと、たくさんあっただろうに……俺は、救えなくてなぁ……」
有り触れた悲劇だ。
里の出身者なら九割以上が経験しているに違いない。
ぴくり、と周囲に倒れる仲間の一人の指が動いた。
死に体の男は昔話を続ける。それは罪に対する懺悔であり、周囲を鼓舞する雄叫びだ。
「地獄だった。渇いた世界が嫌いだった。喉が渇いた、なんて願いすら叶えられねえのが、情けなかった……!」
ぐおおお、と誰かが苦しみにも似た絶叫を上げた。
嗚咽交じりのそれは仲間が昔のことを思い出したのかも知れないような、後悔の涙のように思えた。
無力感を突きつける。
昔に感じた思いが、今現在のロダンたちを苛んでいる。
「日に日に弱っていく子供がいても、助けられなかった! 自分が生きるために、家族ですら見殺しにした……!」
「……それが、貴様らの愚かしさだ」
「無力だった。世界に対して何もできなかった……! 何の反抗もできねえまま、ずるずると今日まで生きてきた……!」
弱かった、どうしようもなく。
脆かった、どうしようもなく。
諦観が心の奥底を占め、死ぬために生きる日々を必死に謳歌してきた。
馬鹿げた人生だった。だからこそ、いい加減に終止符を打つ。
「てめえらあ! 愛すべき馬鹿野郎ども!! いい加減に、始めようじゃねえか!!」
天に祈る。かつては呪った神にだって祈る。
仲間たちの生きる力に賭けよう。地獄を生き抜いてきた生命力に賭けるしかない。
希望を指し示そう。今までの人生に区切りをつけるために。
「地獄に光は差したじゃねえか! 渇いた世界に、希望が生まれたじゃねえか!」
「……!!」
思い出せ、愛すべき馬鹿野郎ども。
水に苦しむこともなく、食べ物に苦しむこともなく、病気になっても医者がいる今の現状を。
子供たちが笑った顔を。自分たちの世代では考えられなかった幸福の姿を。
「もう、里は復興し始めている。水も飲める、食べ物もある、病気をしても医者がいる!」
雄叫びが、ロダンの周囲に広がった。
演説を止めようとする無粋な叫びではない。彼と同じように『戦う目的』を思い出した同志の叫びだ。
一人だけでは終わらない。
誰もがもう、絶望などしない。希望はこんなにも近くにあった。敗北を受け入れたくない理由がちゃんとあった。
「小さい頃から願い続けた理想の世界が、目の前にできたんだ!」
命を燃やし尽くすような叫び。
万感の思いを込めて、ぽつり、と過去に残してきた罪悪に別れを告げる。
「もう、弟を見殺しにしなくてもいい……そんな世界に、なっただろうが……」
世界は変わっていた。
ロダンとオルムを取り巻く世界すら変わっていた。
気力を振り絞って立ち上がり、もう一度武器を手にする者がいた。血を吐きながら叫ぶ者がいた。
眼前の光景は圧倒的有利が変わらないはずのオーク族の兵たちが、呆然とするようなものだった。
叩き潰したはずの劣悪種たちが、意地だけを胸に秘めて、揃って凶悪な笑みを浮かべていた。
「ははっ……」
ロダンは思わず笑っていた。
仲間たちも不敵な笑みを浮かべていた。
小さく笑えるほど、世界はこんなにも変わっていた。
「おい、そこのクソ野郎……一万人の命も背負えなかった臆病者」
有り得ない、と呆然と呟くのが精一杯だった。
蛮族国で三番目に強い男ですら、目の前の光景に圧倒されていた。
満身創痍の劣悪種たち。数も質もこちらが上だ。それは間違いない。だから心配することなどないはずなのに。
どうしてこんなにも、身体の震えが止まらないのだろうか。
「てめえに、俺たちの理想は壊させねえ」
戦況は逆転した。
死すら恐れない猛者たちが、目の前の異様さに怯える兵たちへと踊りかかっていく。
命を捨てて襲い掛かる者たちと、命の危機に怯えてしまった者たち。
優劣の是非など、問うまでもない。
◇ ◇ ◇ ◇
「おのれ貴様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
オルムが激昂する。
乱暴に地面を蹴って、歩くことすら出来ずに立ち尽くす男へと距離を詰める。
殺さなければならない。残酷に、残虐に。
部下たちが戦力差にも関わらず、次々と討たれていく。その光景に恐怖を覚えながら、オルムは双剣を抜いた。
「滅多刺しだ! 貴様を殺せば、劣悪種どもも目が覚めるだろう!」
右の宝剣、左の鉄剣。
どちらかを男の胸に突き立てるだけでいい。
相手は死に体の劣悪種。目を瞑ったって百人殺すのに苦労はしないはずだ。
しかし、ロダンしか瞳に写していない、というのは前後不覚と言わざるを得ない。
「うーおーおーおーーーーーー!!!」
「がっ……!?」
弾丸が、オーク族にしては小柄なオルムの身体に激突した。
良く見れば末弟のグリムだ。気絶していた彼は決死の形相で、己の兄へと迫る敵へと体当たりした。
全く予想していなかった不意打ちにオルムの体勢が崩れ、硬い地面に頭から突っ込んでしまう。
げひゅ、と情けない声が漏れて、鼻から血液が噴出し、左の鉄剣はオルムの手から零れていった。
「がっ、ああああああああ!!! どけええええええ!!!」
怒りに身を任せ、グリムの顔面を空いた左手の拳で殴りつけた。
体力の限界だったグリムは避けることもできず、直撃して吹っ飛んでいくが、反撃は忘れていない。
殴った左腕が、嫌な方向へと折れ曲がる。
激痛に身を捩ったオルムの隙を逃すことなく、新たな影が忍び寄った。
「ぎー! ぎゃー、ぎゃー、ぎゃー、ぎゃー!!」
ぐちゅり、とオルムの左目に異物が挿入された。
見れば次男のサハリンが小さなナイフで、オルムの顔面に刃を突き立てていた。
「ぎっ、ぃぃぃぃぃぃぃぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!」
寒気がするような絶叫。
視界の半分が真っ黒に染まったオルムは、苦し紛れにサハリンの身体を薙ぎ払った。
手ごたえがあって、サハリンの身体も地に沈むが……被害は甚大だ。
激痛に耐えられない。右手に持っていた宝剣すら取り落として、涙と鼻水と涎を垂らしながら呻くばかりだった。
「有り得ない……なんだ、これは……こんなことがあっていいのか……ふざけるな、ふざけ……」
「おい」
びくり、とオルムの身体が可哀想なくらいに震えた。
顔面を血だらけにし、左腕を骨折した哀れな指揮官が声の方向へと目を向けた。
そこにいたのは、頭部から血を流すゴブリン族の青年だ。
右手を強く握り締めて拳を作り、更に炎の魔法で右腕を包んでいる、三兄弟の長兄ロダンがいる。
「良く見やがれよ」
「ひっ……」
炎の魔法。
手持ちの中でも最高の一撃を用意した。
燃え盛る右腕を大きく振りかぶり、前後不覚の仇敵の顔面へと混信の力を込めて叩き込む。
「これが雑草の底力だ、クソ野郎」
最後の一撃がオルムの顔面へと叩き込まれた。
全身全霊を込めた拳は容赦なくオルムの顔の骨を粉砕し、更には右腕を巻き込んで爆発した。
壮絶な爆発音に世界が停止したかのような静寂が流れた。
仇敵の身体は竹とんぼのように回転しながら、硬い地面へと再び叩き付けられた。
◇ ◇ ◇ ◇
「やった……」
誰かが呟いた。
豪快なフルスイングで殴り飛ばされたオルムは動かない。
信じられない、と言うような呻き声と共に、オーク族の兵士が、武器を捨てて逃げ出した。
一人が逃げ出せば、後は雪崩を打つようなものだった。
「やりやがった……ロダンさん……!」
「マジかよ……」
「はは、はははは……!」
歓喜の声が上がる。
遁走するオーク族の軍隊を追おうと考える者は誰一人としていなかった。
彼らはオーク族が憎くて戦っていたわけではない。
故郷を、仲間を、己の意地を守るために戦っていたのだし、追撃するような余力も残っていなかった。
「やった、やった……やった……!」
喜びの声。
勝利の味を強く、強く噛み締める。
故に。
彼らは『戦いがまだ終わっていない』ことに気づけない。
「……く、そ……む……し、がぁぁぁぁ……」
それは、地獄から響いてくるような怨嗟。
全員の背筋にゾクリとした感覚が走り抜け、喜びの表情が凍りつく。
「クソ虫がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
振り返れば、大鬼が立っていた。
顔は焼け爛れており、顔面はひしゃげて誰の顔かの判別すら難しい。
だらり、と下がった左腕に配慮など全く無く、ただ殺意の塊がそのまま人の姿を象ったかのように雄叫びをあげる。
悪鬼羅刹が、がぁぁぁぁ、と憤怒の絶叫をあげると、ロダンへと肉薄する。
「なっ……がふっ!」
「それでも負けるのがテメェらなんだよお! 身の程を知りやがれ、劣悪種ぅぅぅぅ!!!」
抵抗は出来なかった。
ロダンの身体は疲労の限界で一歩も動けない。
悪鬼は右腕でロダンの胸倉を掴むと、固い地面へと叩き付けた。
火事場の馬鹿力のような信じられない腕力で叩き付けられ、ロダンは今度こそ立ち上がれない。
「希望だと!? ふざけんな、テメエらがテメエらがテメエらに希望なんて許すかぁぁぁぁぁぁ!!!」
言葉すら不明瞭な悪鬼の叫び。
地面に倒れるロダンの身体を踏みつける。何度も何度も何度も何度も。
骨の折れる音がしようとも、苦悶の声が響こうとも、悪鬼はやめない。
周囲のゴブリン族の仲間たちも助けにいけなかった。
「どうすれば希望は潰える!? テメェを殺せばそれでいいのか!? それとも皆殺しじゃなきゃいけねえのかあ!?」
殺される。
このままではロダンが殺されてしまう。
でも、どうすればいいのか、分からない。オルムを止めるような力なんて残っていない。
「母を殺したクソ虫ぃ! 見殺しにしやがったクソ虫ぃぃ!! 生きている価値もねえ劣悪種、がぁぁぁぁ!!!」
ロダンは消えていく意識の中で、遠くを見た。
激痛が全身を支配していて、今度こそダメだと思った。もう、根性論でどうにかなる段階を超えていた。
最期の光景でも目に焼き付けようとして、目を見開いた。
見知った顔が真剣な眼差しで、光り輝く槍を投擲しているところだった。
「退け」
「……!?」
人だかりが割れていく。
直後に投擲された物体は、光の槍と形容するのが相応しい。
視認すら許さぬ速度で放たれた一撃は、狙い通りに悪鬼羅刹の胸を容赦なく貫いた。
勢いを殺すことなく、そのままオルムの身体は吹っ飛んで地面に縫い付けられる。
「ごひゅ……?」
声にならない悲鳴。
悲鳴は吐血へと姿を変え、激昂していたオルムは打って変わった静かな瞳で遠くを見た。
光の槍の主の姿を。
見た目は十歳程度の少女。しかし本質は百年を生きた魔女の姿を目に焼きつけ、万感の思いを込めて名前を呼ぶ。
「テ、セラ……ひ、め……」
名を呼ばれた幼女は小さな足を一生懸命に動かして走ってくる。
表情は悲痛で、悲愴で、今にも泣き出しそうな顔をしながら、ロダンたちの下へと駆け寄った。
彼女の登場でようやく、里を巡る戦いが終わりを告げた。