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第44話【クラナカルタ決戦0、開幕前】

南門封鎖部隊、本陣。


「異常はないわね」

「はっ!」


この日、セリナはいつも以上に警備を強化していた。

警備に導入する兵士たちの数を倍に増やし、ナザック砦の夜襲の二の舞にならないように心がけた。

ラファールの里から支援してくれる民衆たちにも協力を呼びかけ、警備は完璧だった。

奈緒がいないからこそ、彼女はしっかりと一日総司令の責務を果たそうとしていた。


「うん、シェラの感度も良好。警備も問題なし……後は、奈緒が帰ってくるまで待つばかりね」

「総司令、いつ帰ってこられるのですか?」

「今日中に帰ってくるって言ってたわ。それまで警戒を怠らないでちょうだい」

「はっ! なぁに、南門を見張ってりゃいいんですから、任せといてください!」


そうね、とセリナは名も知らぬ一般兵に柔らかな笑顔を向けた。

南門を封鎖する部隊は南門からの敵に気をつければいい。それ以外のところから攻撃を受けることはないだろう。

テセラの情報に寄ると、クラナカルタの飛行部隊もアズモース渓谷の戦いで壊滅したそうだ。

魔物部隊も同じく壊滅しているらしいので、残りはオーク族との戦いということになるだろう。


「お嬢様、こちらでしたか!」

「あら、ラピス。おはよう」

「出かけるのでしたら、それがしに一声掛けていただければよろしかったのに……」

「ふふ、ごめんなさいね。昨日は夜遅くまで話し込んでたし、ゆっくり休ませてあげないと、って思ったのよ」

「き、昨日の夜……」


ラピスの頬が朱に染まった。

大人組のマーニャ、テセラから散々色恋話で弄られたことを思い出したのだろう。

セリナ以上に可愛い反応を見せる純朴な従者を、主は微笑ましく笑っていたことを思い出した。

不思議な感覚だった。大貴族の一人娘ならば、考えられないことだった。


「不思議ね」

「何がですか?」

「私、ラキアスの人とも、ゴブリン族とも、あんな風に会話できたんだ」

「…………」


ラキアスは父の仇そのものだった。

ゴブリン族を初めとした蛮族たちは魔族の面汚しだと信じ込んでいた。

祖国を出奔した当初の彼女なら考えられないことだ。

彼女たちと好きな人について、笑いながら、照れながら語り合うことができるなんて、思わなかった。


「マーニャも、テセラも、良い人ね。私を友達って言ってくれるわ」

「ええ……ええ、本当に」


本当に嬉しかった。

セリナは自分を自己分析すると、可愛げのない女だという評価になってしまう。

ラフェンサのように貴婦人のような丁寧な口調は使えないし、ラピスのような純朴な可愛らしさもない。

そんな自分だけど、友達と言ってくれる人がいるのは素敵なことだと思った。


「だけど、私は……」


復讐に身を焦がしている。

マーニャの祖国を滅ぼしてやる、とすら思っている。

怒りの炎は消えることはない。優しい温もりを感じて忘れかけても、セリナの復讐心は消えない。

この想いはいつか、友達と言ってくれたマーニャを裏切ることになるのだろう。


「…………」

「……お嬢様。そろそろ、お戻りになられませんと。警備ならばそれがしにお任せを」

「……ええ。だけど、もう少しだけ頑張るわ。ナオから、任されたんだから」


総司令の任務。

彼女が黒髪の少年に押し付けた重責。

一日ぐらい肩代わりしなければならない。少しでも奈緒の負担を減らしてやりたかった。

それが、彼を巻き込んだ女が最低限、しなければならないことだと思ったから。


「お供します、お嬢様」

「いつもありがとう、ラピス」


生まれたときからずっと一緒の従者は、薄く笑って追従する。

彼女の苦悩を一番近いところで見てきた侍は、桃色の長い髪を風になびかせながら空を見上げた。

空はまだ、太陽の支配下にあった。

主の苦しみを本当の意味で癒す少年は、まだ帰ってこない。




     ◇     ◇     ◇     ◇




東門封鎖部隊。

傭兵たちが集うならず者集団は今日も元気だった。

酒や女のことで盛り上がるのは日課のようなものだ。特に今回は勝ち戦のようなものだった。

城塞都市メンフィルを陥落さえすれば、高額の報奨金を手にすることが出来る。


「いやー、もうすぐ仕事も終わりってわけでなぁ……ようやく家に帰れんよ」

「ゲオルグのオッサンー、アンタ帰る家なんかあんだー?」

「まあな。怖ええ母ちゃんが待ってんだよ」

「結婚してやがったこの親父!!」


まだ戦いが終わっていないというのに、この気の緩み具合である。

南門のほうで必死に警備に気を使っているセリナが少しばかり可哀想に思える光景だ。

ゲオルグと部下の傭兵団、合わせて二十人くらいが休憩時間を活用して雑談に入っていた。

話の内容はゲオルグの家族構成に縺れ込んだ。


「は? は! オッサン、結婚してたのか?」

「おう。つーか、もう百年以上も生きてんだぞ。当たり前じゃねえか。……まあ、ガキはまだいねえけどな」

「美人さん?」

「はっ、よせやい! 三十年以上も連れ添えば、美人もババアにならぁ!」


つまりは三十年以上、ほぼ離れ離れの生活をしていることになる。

傭兵家業は一度の仕事で一年ほどの生活ができるほどの大金を得ることが出来るが、問題も多い。

命を落とせば報奨金は、見舞金として割高になるのが決まりだ。

決まりだが、今のご時世、誰も見舞金などに期待していない。死んだ傭兵は墓まで金を持っていけないのだ。

生きて帰って、着実に報酬を手にする。それが傭兵の絶対条件である。


「嫁さんに今の一言、告げ口しちまうかなぁ」

「あー、ごめん。ごめんなさい、マジ調子乗ってすみませんでした」

「ええ!? そんな怖いのか!? ミノタウロス族のゲオルグさんがガキのように震えるほど怖ええのか!?」


恐怖、ゲオルグの嫁!

ミノタウロス族という肉弾戦最強種族の一人をここまで恐怖させる存在がいようとは。

謝るときは口調すら変わって敬語だった。

奥さんを相手にするときはもしや、今のような口調なのだろうか、と傭兵たちの間に衝撃が走る。


「つーか、最近の女どもはすげえからなぁ……」

「思い出すなぁ、クィラスの町での総司令とゲオルグさん。俺らよりもずっと年下の子供にボッコボコだぜ……」

「天狗の鼻、叩き潰されたよな、アレ」

「何人か思い詰めたかのような顔で地面に座り込んでたぞ……あれ、絶対、サディストだって」

「おい、お前らー……総司令は、男だぞー? 死ぬぞー?」


ぼそぼそと呟くのは、奈緒が女と素で勘違いして空を高く舞い上がった青年だったりする。

あれ以来、奈緒を女と呼ぶ者は戦場で非業の死を遂げる、という噂が流行ったぐらいだ。

一部では嫌な意味で熱狂的なファンがいることを、黒髪の少年は知らない。


「くっ、男なのか……」

「男でも良い! 男でも乗り越えてゆける!」

「ああ! ならず者傭兵部隊が怖い集まりになっていきやがる!?」


ぎゃははははは、と品のない笑いが木霊する。

下品で、粗暴で、自由な笑い声が響く。つまるところ彼らは自分の好きなように生きることを決めた者たちだ。

傭兵家業が好きなわけではない。

今日の寝床が明日の墓場、その覚悟を背負ってなお、自由を求める者たちの集まりなのだから。


「でも実際、女たちも強いぞ。指揮官、うちの傭兵部隊を除いたら女だらけじゃねえか」

「飛行部隊、切り込み部隊、オリヴァース隊、ラキアス隊……うおお」

「総司令もハーレムだよなぁ、畜生」

「その割には純な反応見せるよな、あの黒髪の総司令。手、出してねえんじゃねえの?」

「そこんとこ、どうなのよ、ゲオルグのオッサン」


未だ身体を震わせる巨漢の牛頭に話を振る。

しばらく沈黙が続いたが、ハッとその質問で我に返った。ようやく恐怖の世界から返り咲いたらしい。

ううむ、と一度だけ唸ると。


「さあなぁ……オレの見立てじゃ、ほとんど出してねえんじゃねえか?」

「マジかよ。総司令、ほんとに男なんかよ?」

「まあ、戦争が終わるまでの辛抱でもしてんじゃねえかな。今はそれどころじゃない、って感じだったしな」

「いつ死ぬかも分からねえんだから、今のうちに経験しておくべきだと思うんだがなぁ」

「まあ、オリヴァース軍の指揮官とかは王族だしな。色々と外交問題にも発展しかねんし」


好き勝手な言葉で盛り上がる。

そんな彼らの背後でチャームポイントの眼鏡を光らせる、一人の青年の姿があった。

ゲオルグがげっ、と嫌な声をあげた。

不審に思った傭兵の一人が疑問の声を上げながら振り向こうとして、頭部に強烈な一撃が入る。


「ん、ゲオルグさんどうし……いってえ!?」

「休憩は終わりですよ。とっとと仕事に戻ってください、主にそこのモーニングスター」

「おいこら、オレは魔族扱いもされねえんかい」

「カスパールさーん、殴ることねえじゃねえですかー!」


ぎゃあぎゃあ、と騒ぎながらゲオルグ隊も警備のために離散していく。

眼鏡の悪魔族は己の得物である弓を降ろすと、忌々しげに舌打ちした。

視界の向こう側には自分の上司であるゲオルグ・バッツの後姿だ。

がっはっはっは、と気楽に笑う中年の牛頭を見やりながら、カスパールは胡乱な瞳を浮かべたまま呟く。


「……意外に、隊長には根強い人気がありますね」


腰を下ろしながら呟いたときだった。

カスパールの腰の一部分が光と共に振動した。


「おっと」


どうやら、伝達魔術品のシェラらしい。

カスパールは下ろしたばかりの腰をのろのろと起こしながら、せっかくの休憩時間で茂みへと隠れていく。

耳元には宝玉を、視線はいつもよりも鋭く。


「はい、こちら、カスパールです。ええ、周囲には誰も」


怪しく、青年が口元を歪めた。

傭兵は自由を求める職業だ。様々な願いを彼らは宿して行動する。


「ええ、例の腕輪は確かに。ご期待通りの働きができるでしょう……ええ、恐れるに足りませんよ」


賭けるのは命、手に入れるのは自由。

どのような選択肢を選ぶかも、全ては彼らの自由であり、権限である。

今日の寝床が、明日の墓場となる覚悟さえあるのならば。




     ◇     ◇     ◇     ◇




西門封鎖部隊。

昨夜の配置換えにより、ゴブリン族の軍隊がひしめいている。

指揮官はテセラ・シルヴァ。

彼女はいま、頭を悩ましている。主に部下の問題で。


「あーっ! サハリン、グリム! てめえら、俺の虎の子のシーマの実を食いやがったなぁ!?」

「ぎゃっ、ぎゃっ、ぎゃっ!」

「ごーめーんーよー」

「騒がしいのぅ」


見た目、十歳の幼女は静かに嘆息する。

悩みの種はロダン、サハリン、グリムのゴブリン三兄弟だった。正確には彼らが補佐官だという事実だが。

もっと精度をあげた補足をするならば、補佐官はロダンであり、残りの二人はオプションのようなものである。

ともあれ、彼らが騒がしいのだ。もう少し静かにはできないものか。


「のう、ロダン。細かいことを言うでない。シーマの実など、また買えばいいではないか。もぐもぐ」

「姫ー!? アンタがいま口に入れている桃色の実は、俺のじゃないですかねえ!?」

「細かいことを気にするな。大きくなれんぞ」

「アンタ、大きくなってませんけどね!」

「細かいことじゃ」


割と楽しんでいるのも否定しない。

こうやって笑い合う余裕すら彼女たちには許されていなかった。

今日を生き抜くことに必死だった。

行き倒れなど珍しくなかったし、悲劇など吐いて捨てるほどあった。

その地獄から脱却し、今では人並みの生活を送りながら、こんな会話を楽しむことすらできる。


「……この国は、変わるかのう」


ぽつり、と。

百年を生きた姫はぼんやりと呟いた。

渇いた砂漠は本来あったはずの元通りの緑色に染まるだろうか。

少なくともテセラの存命中には起こりえないだろうな、と彼女は思う。

それが残念といえば残念だった。


「……変えてくれんでしょ。俺は信じてますよ」

「そうじゃのう……」


遠い記憶を思い出した。

昔々のことだ。その当時からテセラはクラナカルタの要職に就く存在だった。

五十年ほど前の話か。

魔王ギレン。ベイグ、オルム、ボグのオーク族の要職についていた者たち。

全員の子供の頃を知っている。テセラにとって彼らは、悪ガキのようなものだった。


「……虚しいのぅ」

「姫?」


いまやボグはこの世を去った。

兄のベイグも重体だ、という報告を受けている。まだ城塞都市メンフィルにいるだろうか。

魔王ギレン、軍師オルムの両名とも彼女は決別した。

恐らく、この戦いが勝利に終われば……若い衆である彼らが死に絶え、老いぼれの自分だけが生き残るだろう。

それはとても虚しい気がした。


「ロダンよ。お主は生き残れよ」

「は? なんだそりゃ、まるでアンタは死ぬみてえじゃねえか」

「そのつもりはないがの。若いうちは命を大切にするものよ」

「うー? ぎー!」

「おーれーたーちーはー?」

「もちろん、生き残れ。死力を尽くすことと、命を捨てることは別じゃ。よく覚えておけよ」


人も魔族も、生きて死ぬ。

この世に生まれ落ちた瞬間から、死に向かって走っている。

生き急ぐな、若者たち。

未来はこんなにも無限にあるし、世界はこんなにも広がっている。

人生を楽しむことができるのは、生きている者たちだけなのだから。だから生き残ってほしい、と切に願う。


「妾に言わせれば、どいつもこいつも楽しむことを知らんままに死んでいく……虚しいことよ」


百年を生きた姫。

何人もの若人たちの死を看取ってきた最長老。

彼女の言葉には百年間の想いが、懺悔が、後悔が込められている。


「残される者たちのことを、少しは考えろというのじゃ……」


テセラは思う。

総司令の少年は近しい人の死に耐えられるだろうか、と。

セリナ、ラピス、ラフェンサ、ジェイル、ゲオルグ、カスパール、マーニャ、ユーリィ、テセラ。

最終決戦で何人が倒れるだろうか、と。

誰一人欠けることなく勝利することなど、できるだろうか、と考えてしまう。


「死ぬなよ、皆。それが妾たちにできる恩返しぞ」

「へい」


彼女の心に去来したのは何だったのだろうか。

まだ純粋な笑みを浮かべていた敵将の姿、彼らが子供の頃に向けてくれた笑顔がある。

それらを振り切って、百年の姫は非常に徹する。

ラファールの里の民衆、城塞都市メンフィルの民衆、合わせて一万二千人の命を守るために。




     ◇     ◇     ◇     ◇




子供の頃の話だ。

少女は今まで自分を取り巻いていた世界から放逐された。

まだ幼さの残る顔立ちの少女は、この世界でも絶滅危惧種という扱いを受けているセイレーン族だ。

正確には、滅ぼされかけたセイレーン族の生き残りだった。


『……どうして?』


幼い自分は天に向かって問いかけたことがある。

どうして世界はこんなにも理不尽なのか、と。

一体私が何をしたのか、と。そして、その罪は両親や姉や友達を奪われるほど、重いものだったのですか、と。

目に見えない運命の歯車に向けて叫んだ彼女は、獣のように狂い叫んだ。


『私が何をしたの!? 歌を謡うのはそんなに酷いことでしたか! 姉に甘えることはそんなにも怠惰でしたか!?』


幼い彼女は何もしていない。

普通の家庭に生まれ、幼少を同い年の子供たちと過ごし、家族と笑いながら過ごしてきた。

甘えん坊だった彼女は姉にベッタリで、笑顔の絶えない朗らかな少女だった。

彼女はいま、ぼろぼろに破れた洋服で申し訳程度に身体を隠しながら、地獄に響くような恨み言を叫ぶ。


『誰が、私の家族を殺したの!? 誰が、私たちの村を滅ぼしたの!? 誰が……誰が悪かったの!?』


永劫に続く螺旋地獄。

誰かに責任を、憤怒を、憎悪をぶつけなければ気が済まなかった。

今でも夢に見る。生涯、地獄は付いて来る。


―――――ィ!


頭部を無くした死体を『お父さん』と呼んでいた日々も、真っ黒に染まって塗り潰される。

まだ分別も分からぬ子供の自分を庇って、女性が串刺しにされた。胸を貫かれた人形は、『お母さん』に似ていた。

セイレーン族の集落を襲った大虐殺、歴史にも名高い地獄の日。

いつも甘えていた姉は、黒い影たちに連れて行かれた。だらり、と投げ出された手足は、絶望を物語っていた。


―――――リィ!


逃げても逃げても追ってくる。

忘れても忘れても思い出してしまう。

幸福な世界を一瞬で奪われた、あの子供の頃の思い出を。

孤立した世界で嘆き悲しみながら、ただ狂ったかのように天を憎む、青い髪の少女。


『誰か……教えてよ!! 私から全てを奪った悪魔は誰!?』


そして、絶望に打ちひしがれる彼女を静かに見つめる少女の姿。

村が滅ぼされる前に集落から追放された自由人の少女。悲しげな顔で破壊された故郷を見つめていた。

追放されたおかげで助かったセイレーン族の少女。

村の者たちが全員で守った、集落ただ一人の生き残りのセイレーン族の少女。


―――――ユーリィ!!




     ◇     ◇     ◇     ◇




「あ、れ……?」


ユーリィ・クールーンは目を覚ました。

周囲を見渡して状況を確認する。どうやら天幕の中に設置した机に突っ伏して寝てしまったらしい。

時刻は夕方を示すように、世界は朱色に染まっている。

そして、いまだ頭が働かないユーリィの顔を覗き込んでいる、挑発的な服装の女性。


「起きた? 大丈夫?」

「……え、ええ。ごめんなさい。マーニャ。わたくし。寝ていたみたい。ですね」

「あはん、無防備ね。狼さんが見たら放っとかないわよん」


同じセイレーン族の女性、マーニャ・パルマー。

水の加護を受けるはずだった種族の中で、雷の因子を受け継いでしまった女性。

ユーリィの故郷、セイレーンの集落で『存在しなかった者ネームレス』と呼ばれし、因果の存在。

そして、ただ一人生き残ったユーリィに手を差し伸べた、同い年の女性。


「夢を。見てました」

「……また?」

「ええ……ずっと。ずっと。ずっと。あのときの地獄は。わたくしを追いかけてきます……」

「……そう、大変ね」


軽い言葉には彼女に対する理解が込められている。

マーニャとユーリィは同じ集落で生まれた友人同士であり、そしてユーリィにとって命の恩人なのだ。

あのまま世界に向けて絶叫し続けていれば、遠くない未来に幼いユーリィも息絶えていたはずなのだから。

最終的にラキアスへと仕官した彼女たちは、こうして今も過去に引き摺られている。


「わたくしは。集落を襲った犯人を。許しません」

「……ええ」

「必ず見つけます。あの犯人たちの情報を得るために。大国と謡われたラキアスに。仕官したのですから」

「そうね。そのためにも、お姉さんたちは『上』に行かなくちゃね」


マーニャとユーリィは辺境の指揮官に過ぎない。

ラキアス本国が彼女たちのために情報集めに兵を割いてもらうには、彼女たちが軍の中枢に行かなければならない。

即ち、上へ。上層部へ。

手柄を立て、功績を手に入れ、どんな手を使ってでも上層部へと躍り出る。


「奴らを見つけて。殺すんです……」


氷の女、とまで評された女性の顔が壮絶に歪んだ。

鬼気迫る、といった表情のまま、彼女は魘されるかのように続けていく。


「奴らは。故郷を滅ぼしたんだ……卑劣に。姉さんたちを殺したんだ……」


あの日以来、彼女は歌が謡えない。

美しい声で歌うことのできるセイレーン族。ユーリィも幼い頃は壮麗な声を響かせていた。

でも、故郷を滅ぼされたあの日から、歌えなくなってしまった。

家族を殺されたあの事件に決着を付けなければ、もう二度と謡えない、と思ってしまったから。


「奴らを殺して……もう一度。歌を謡うんだ……」

「……ユーリィ、もう少し休んだほうがいいわね。お姉さんがベッドに連れて行ってあげる」

「…………うん。……うん」


復讐に身を焦がした少女は一人ではない。

世界を奪われた少女たち。彼女たちの心が癒されることは、あるのだろうか。

過酷な未来が口を開けて哀れな羊たちを待っている。

己の身すら焼き尽くしながら憎悪を背負う者たちを、嘲笑いながら待ち続ける。




     ◇     ◇     ◇     ◇




「お姉さんにとってね、ユーリィ……故郷は、仇だった」


マーニャにとって、ユーリィ・クールーンという存在は多角的なものだった。

友人であり、幼馴染であり、妹でもあり、家族だ。

彼女を大切に思っている。

彼女の抱えている心の闇も、思いも、願いも、全てを知っているつもりだ。それくらい一緒にいた。

泣き崩れた親友をベッドに寝かしつけたマーニャは、夕焼けを眺めながら感慨深げに語る。


「お姉さんは石を投げられて追い出された。あなたの家族からも同じ仕打ちを受けた」


だから故郷が滅んだとき、良い気味だ、とすら思った。

両親は当に死んでいた。偶然の事故でこの世を去ったのだ。

父も母も、マーニャが雷使いだということを里のみんなに隠していた。それを、小さい頃のマーニャは知らなかった。

あっという間に雷の属性だということがバレて、故郷から追い出されたのだ。


「セイレーン族にとって雷は鬼門、異端の存在だものね……だけど、それからは結構、地獄を見たわ」


まだ少女だった彼女が世界で生きていくには、少しばかり力が足りなかった。

色々なことがあった。思い出したくないことも、いくらでもある。

呪い続けていた時期もあった。

自分を追い出した故郷など、滅んでしまえ、と叫んだこともある。その言葉はやがて、現実となった。


「不思議なものよね。いざ、滅んでしまったら……今度は、悲しくなっちゃった」


もう、純粋だった昔の自分を知っている者はいなくなった。

両親が住んでいた家も完全に打ち壊されていた。

マーニャ・パルマーの存在を証明していた故郷がなくなったとき、失って初めて気づいたのだ。

何だかんだと言いながら、結局は彼女も故郷を拠り所にしていたのだ、と。

いつか、いつの日か、受け入れてくれる日が来るかも知れない、と。そんな甘い夢に浸っていたのだ。


ユーリィを拾った理由は、未だに分からない。


罪悪感からかも知れない。

孤独は嫌だったから、なのかも知れない。

もしかしたら復讐なのかも知れない。

ユーリィにも同じように自分が受けた辛さを味わわせてやろう、と考えたのかもしれない。


「……ユーリィ。お姉さんと一緒に、頑張りましょうね」


夕焼けが泣いていた。

妖艶すら振りまく女も幼子のように泣いていた。

思い出すのはつい最近、友達になった少女たちのことだ。


「楽しかったなぁ」


もう届かない幻想を惜しむかのように。

自嘲気味に吊り上がった口元と、相反するように渦巻く黒い感情。

もうすぐお別れなのだ、と思う。

もうすぐ戦争は終わる。マーニャはたくさんの絆たちと別れを告げることになる。


「楽しかった、なぁ……ふふ……」


瞳から零れる涙は、単純な別れ以上の何かを含んでいるようだった。

たくさんの絆を作った彼女。

たくさんの絆を失うだろう彼女は、壮絶なほどの笑みを浮かべたまま、瞳から透明の雫を零していく。

彼女の悔恨を、彼女の複雑な心理を、誰も理解してやれる者はいない。




     ◇     ◇     ◇     ◇





「出発するのか」

「うん。ククリも休憩を取れたようだし、急いで戻らなくちゃ、そっちからも怒られる」

「当然だ。お前は第一に彼女を守らなければならないのだからな。何なら、今すぐにでも役割を取り替えろ」

「ごめんね、それだけは絶対にやだ」

「ちっ、羨ましい限りだ」


魔王カリアスの見送りを受け、奈緒はラフェンサが乗る飛龍へと飛び乗った。

既に夕焼けの空になる時刻だ。

クラナカルタの最前線に到着するのは、深夜になるだろうなぁ、と奈緒はぼんやりと思った。

真っ暗闇の中、飛龍に乗るというのは怖いなぁ、などと沈んだ気持ちに浸ってみる。


「そうそう、ついさっき入った情報だが」

「うん?」

「エリック元侯爵の死亡が確認された。最後は、うちの右将軍が逃亡していたエリックを殺害したらしい」

「……そう」


午前中の空中戦を思い出した。

鬼のような形相で絶叫を上げた悪魔族の中年男性の姿を。

前を座るラフェンサの顔色が僅かに曇った。

助からない、と思っていたが生きていたらしい。右将軍には感謝したいが、人殺しの罪を押し付けたようで複雑だ。


「……ごめんね。詰めが甘かったみたい。右将軍の人にも、礼を……」

「必要ない」

「うん、今はしないよ。また戦争が終わったら、改めて……」

「いや……その必要もない、と言った」

「?」


首をかしげる奈緒。

余り弱みもようなものは見せるべきではない、ということだろうか。

確かに総司令たるもの、毅然とした態度でいなければならない。そう言いたいのだろうか。

カリアスは不敵に口元を歪めたまま、かぶりを振る。


「いずれ、意味は分かる」

「んー……? まあ、いいか。とりあえず、内乱はもう終わったんだよね?」

「ああ。細かいことはあるが、それは我の仕事だ。ナオ、お前はさっさと向こうの戦いに決着をつけてこい」

「うん、分かってるよ」


クラナカルタの情勢も心配だ。

四方の門を固めているのだから、問題はないはずだと信じている。

だが、万が一という可能性もある。

さっきから胸騒ぎというか、内乱を収めたときからの違和感が消えない。それが直接、不安に繋がっていた。

早くセリナたちの顔を見て、安心したかった。


「急げよ、ラフェンサ。我の想像通りなら、急がなければ手遅れになる」

「…………」


あっさりと言われた。

想像通りなら手遅れになる、と。本当にあっさりと言われた。

それがカリアスの考えなのだろう。

そして、奈緒もまた、同じような考えに至っていた。至ってはいたが、信じたくはなかった。


「カリアス。やっぱり、そう思う?」

「ああ。だから急げ。早くしなければ、今までのお前の働きの全てが無駄になる」

「……分かった」


少女の掛け声を合図にして、飛龍ワイバーンが大空へと舞い上がる。

奈緒はラフェンサの柔らかい身体にしがみ付きながらも、今度は困惑などの行動をとることはなかった。

心の中を渦巻く不安が現実的になってきた。

その事実が彼から邪な雑念を取り除いていた。それどころではない、という意味合いでもあった。


「な、ナオ殿。今の言葉はどういう……?」

「うん……」


高度を上げる途中でラフェンサが尋ねる。

彼女は未だに奈緒に背中から抱きつかれる感覚に慣れないようだが、それでも緊張感をもって問いかけた。

最前線が危ない、というような言葉だった。

部下たちを大勢、向こうに残してきている彼女の心境も穏やかではないに違いない。


「この内乱は、分断作戦だったのかも知れないってこと」

「……分断作戦?」

「うん……あんまり考えたくないことだけど。オリヴァースのエリック侯爵と、ある人物に繋がりがある可能性がある」

「ある、人物……?」


うん、と奈緒は神妙に頷いた。

飛龍ククリが大きく翼を広げ、一気に最高速度を持って夕暮れの空を舞い上がる。

強風に身体を晒しながら、ラフェンサの耳元で奈緒は呟く。


「ある人物が誰かは、分からない……だけど、ある人物は『敵陣営』の可能性だけじゃない」

「っ……!?」

「もしかしたら、味方の誰かが引き起こした意図的な内乱の可能性がある」


エリック侯爵が起こした内乱。

まるで時間稼ぎのような戦い方と、遅々とした革命措置、そして呆気なさ。

あの侯爵がただの馬鹿でなければ、この内乱にも意味がある。

ただの失敗ではない、既に何かに成功しているのでは、と。そんな可能性すら考えられる。


「現に、僕とラフェンサは最前線から姿を消した」

「それが狙い、と……?」

「分からない。だけど、もしも僕やカリアスの想像通りだとしたら……」


総司令も含めた指揮官二人が不在、という状況だ。

エリック侯爵と内通した相手がクラナカルタ陣営ならば、戦力の低下した今を見逃すはずがない。

内通した相手が討伐軍の陣営にいるとすれば、今なら何でも事を起こせる。

軍の乗っ取り、反乱による空中分解、特定の要人の暗殺など。

何だってできる。指揮系統が回復していない今なら、どんなことだって出来る。


「急ごう。セリナたちが危ないかも知れない」







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