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第43話【全ては黒幕の手の平で】



早朝、首都カーリアン。

城門前の騒ぎは突付かれた蜂の巣のように騒がしかった。

争いの音が響いている。怒号が、剥き出しの人の感情が乱暴に叩きつけられている。

理由は明白だった。内乱の証が朝焼けに染まっていく。


「ククククク……もうすぐだな」

「エリック侯爵、報告します! カーリアン城門、もう間もなく破壊できるとのことです!」

「よおおし! もうすぐだな! もうすぐ革命は成るのだな!」


高揚した咆哮をあげる筋骨隆々の悪魔族。

見事な体躯は歴戦の勇士を思わせるが、あまり軍を率いての戦績は思わしくない。

左将軍エリック・ジアース侯爵はそんな事実すら踏みつけて、魔王の居城へと足を踏み入れようとしていた。

反逆者として。彼の言葉を借りるのなら、革命軍の長として。


「国を作り変えよう! 他国の脅しにも屈さない! 見ず知らずの小僧に牛耳られない、屈強な王国へと!」


がしゃあん、がしゃあん、と城門を軋ませる轟音が何度も男の耳を打つ。

耳障りな音ですら、エリック・ジアースという男には福音にも似た甘美な音へと生まれ変わっていく。

正気を失っていたのかもしれない。冷静な判断などできなかったのかも知れない。

エリック侯爵は、もう間もなく己の手で掴むだろう栄光を今か今かと待ち望んでいた。

突如、一際大きな地響きを体感した。

ニィィ、と反逆者は愉悦を我慢できず、口元はだらしなく歪ませた。


「報告! 城門の排除、完了いたしました!」

「くくくはははは!! やっとか! 待ちくたびれたぞ! 待ちくたびれたぞおおおおお!!」

「近衛兵の姿はありません! 何処かに身を潜めているのか、それとも降伏をしているのかは不明です!」

「よおし! 城から誰一人として出すなよ? 魔王カリアスは必ず捕らえよ!」

「はっ!」


私兵たちが散っていく。

城の中へと殺到していく姿を見ながら、エリック侯爵も悠々と入城した。

この城も、この町も、この国の全ての己の物となる。

途端に無感動に見てきた壁や床すらも愛しくなる。それほどの恍惚とした圧倒的な感情を抱えていた。


「ふふ……ふふふふふ……」


エリック・ジアースは典型的な貴族とは少し違っていた。

親の世代から大貴族の名を受け継いだ彼は、苦労をして何かを手に入れたことがなかった。

実戦経験も少なく、過去のナザック砦攻略戦において、それが致命的になった。

結果としてエリックの軍勢は蛮族たちによって大敗を喫し、国が傾く要因のひとつとなった。


「今度こそだ。私が今度こそ、国を救ってみせるのだ……私の手で……」


その失敗を認めたくなかった。

その失態を成功で塗り潰したかった。

その失墜した己の存在を輝かしい成功で埋め尽くしたかった。


「魔王になるのだ。私の手で、国を立て直す。立て直してみせるのだ」


私は出来損ないではない、と告げたかった。

私は無能の役立たずではない、と叫びたかった。

私は一度の失態を十の成功で埋め尽くしてみせる、と謡った。

私は魔王になる、と静かな野心と共に告げた。


「私はやれる。やってみせる……見ているがいい、私を嘲笑ってきた者たちよ……私は、魔王へと成り上がる!」


場内を歩き続けた。

戦いの音が聞こえる。彼の隠れていた近衛兵と戦っているのだろう。

この状況ならば魔王カリアスも何処かに身を隠しているに違いない。滑稽な若造をたっぷり皮肉ってやった。

せいぜい、私の踏み台になってくれ、と愉悦交じりの口調で言った。


「くくくはははは! 魔王だ! この瞬間、私は魔王となった! 謁見の間に行くぞ、玉座は私の指定席だ!」


真っ直ぐに前へと進んでいく。

何度も通い慣れた王座への通路すらも輝いて見える。

カリアスを捕らえてはいないが、もはや勝敗は決したと言っていい。玉座に早く座ってみたい。

玉座に座れば、魔王の地位に付けば、誰もが自分のことを無能だと呼ばなくなるだろうから。

前進していく。魔王への道のりを楽しむようにして。




     ◇     ◇     ◇     ◇




「……ぬ?」


謁見の間へと到着した。

既にエリック侯爵が訪れるよりも早く、先客が大勢居た。

エリック侯爵の私兵、約二十人ほどだ。入り口の前で固まっていて、謁見の間の向こう側へと行けなかった。

苛立たしげにエリックは叫んだ。


「退くがいい。私に王座への道をあけよ!」

「え、エリック侯爵……しかし」

「ふはは! 私はもはや侯爵ではない! この新生オリヴァース国の魔王であるぞ!」


私兵たちを掻き分けるようにして、男は前へと進んでいく。

栄光への軌跡、玉座への通路を疑うことなく歩き続け、そしてようやく二十人の先頭へと立った。

エリックの視界に望んでやまない玉座が写った。

だが、その前に立つ青年の姿を視界に納めたエリックは、玉座を見てもなお、顔を綻ばせることはなかった。


「もう魔王の心積もりか。些か早すぎる判断ではないか、侯爵」

「……カリアス王」


長身の青年が玉座の前に立っていた。

花冠のような王冠を頭に乗せたエルドラド族の青年、三代目のオリヴァース魔王。

右手にも左手にも、何も持っていない無防備の状態のまま。

たった一人でエリックが玉座へと至ることを邪魔するかのように、カリアス・ヴァリアーが立ち塞がっていた。


「我は未だ、この玉座の前にいる。お前はまだ、そんなところで喚いているだけだが」

「…………」

「魔王を名乗りたいのであれば、お前自身が我と対峙し、玉座から引き摺り下ろした後にするべきではないか?」


向けられたのは哀れみの視線だった。

向けられたのは蔑みの言葉だった。

向けられたのは、無能の部下へと送られた失望の感情だった。

カリアスはたった一人だけで威風堂々と立っていた。

これが、魔王という存在の在り方だ、と何も知らない哀れな夢想者に語るような、そんな態度だった。


「……カリアス・ヴァリアー……そのような目で私を見るなぁぁぁああああっ!!」

「ふん。己の器を弁えることもできぬ男だったか。所詮は世襲制の貴族よな。お前の父は人選を誤った」

「貴様こそ理解しているのかあ!! もはや貴様は逃げられん! さっさと逃げなかったことを後悔するのだなぁ!」

「ちょうどいい機会だ。これを機に貴族制の見直しでもしておくことにするぞ」


エリックの叫びなど、最初からカリアスは耳に入れてすらいなかった。

激昂した獣風情などに貸す耳などない、と言わんばかりに。

最初からお前など歯牙にもかけない存在だと告げるように。


「き、きき、貴様ぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


エリックは狂った獣のように怒り狂うと、片手をカリアスに向けてかざした。

得意魔法は炎だった。特性は『弾』である。弾丸のように火の玉を放つのが、エリックの得意技だった。

馬鹿にした態度の若造を葬るべく、エリックは奇声をあげて叫んだ。

手始めに端正な彼の顔立ちを、醜く炎で炙ってくれる、と。


ヒュン、と風が通り過ぎた。


それは突然のことだった。

何が起きたのかエリックは理解も出来なかった。

最初に感じたのは圧迫感だ。胸に弾丸が突き刺さるような衝撃に襲われた。

まるで鈍器で殴られたような痛みが走り、エリックの動きが止まった。


「ぎっ、ぎぎぎぎぎ……!?」

「侯爵。お前の得意な魔法は炎の弾丸だったな。どんなものかと思ったが、遅いぞ、こら」


初めに気がつくべきだったのだ。

謁見の間に自分の私兵たちが転がっている、という事実に。何者かに倒されたという事実に。

初めに気がつくべきだったのだ。

謁見の間の入り口で、どうして己の私兵たちが為す術もなく立ち尽くしていたか、その疑問に。

初めに気がつくべきだったのだ。

魔王カリアス。彼が自分と同じようにただ世襲によって魔王の地位を継いだわけではない、という事実に。


「我が撃つほうが遥かに早い。仮にも将軍の地位に付く者がこの程度とは、人材不足が嘆かわしいわ」


苛立たしげな言葉は反逆者の無能ぶりを容赦なく告げていた。

続いての衝撃は八つ当たりのような一撃だった。

空気の弾丸が目に見えぬ速度でエリックの腹部に撃ち込まれ、げぼえっ、と溜まらず吐瀉物を吐き出した。

惨めだった。魔王を夢見た男に突きつけられた現実が痛かった。


「お前、ナオに片腕を折られていたのだったな」


ちょうどいい、とカリアスは悪戯を考え付いた子供のように笑った。

虫の足をもぎ取る子供のような残酷な無邪気さを内包していた。


「もう片方の腕も貰っておこうか。それでちょうどよくなるだろう」

「ひっ……」


思わず逃げようとしてしまった。

感じた恐怖に逆らうことなく、逃げろと告げる本能に逆らうことなく。

だが、逃げればエリック・ジアースの全てが終わる。

無能は無能のまま、出来損ないの貴族として生涯を終えることになる。それが怖くて逃げることすら半端だった。

ボギリ、と鈍い音がして、残ったもう片方の腕があらぬ方向へと曲がった。


「ひっ、ぎぃぃぃぃいいいいい!!!」

「豚のように喚くなよ。革命を起こした以上、覚悟は出来ているはずだが」

「くっ、く、ぐっ、く……くそぉ……!」


エリックは転げるようにして私兵たちの後ろへと下がっていった。

直接的には兵たちが壁になり、盾となる。

一時的な安全を確保したエリック侯爵は、途端に強気の態度を見せて叫び倒した。


「き、貴様がいかに魔法を使おうとも無駄よ! 我が私兵は二百人! 全て貴様に打ち倒せるものかあ!!」

「…………」


それは真実だ。

カリアスの魔法属性は風で、特性はエリックと同じように『弾丸』、誰よりも早く撃てるのが自慢だった。

だが、魔力が切れればカリアスはただの一青年に過ぎなくなる。

二百人なども相手には出来ない。五十人も戦えば、魔力は枯渇することになるだろう。


「聞け、エリック。魔王とは畏怖を纏う君臨者だ。お前のように、底を見せた小物に国は任せられん」

「何だとぉ……!」

「お前は所詮、我のような若造にも劣る存在だ。貴族の地位で満足しておけばよかったな」

「か、か、かかれええええ!!!」


エリックが様子を見守っていた私兵たちに号令を下す。

例え十人、二十人が死んだとしても屍の山を乗り越えてゆけば確実にカリアスを討ち取れる。

数の暴力は力だ。それは言うまでもないのだが。


「な、なんだ……? おい、貴様ら! 早く戦わぬか!」

「…………」

「……」


兵士たちは動かなかった。

それぞれがお互いの顔を見合わせ、そして威風堂々と立ち塞がる己の敵を見ていた。

たった一人で玉座の前に仁王立ちする現魔王カリアス。

自分たちの後ろで両腕を折られ、無様な叫び声をあげ、ただ喚き散らすだけの主。

どちらが優位に立っていて、どちらが畏怖を纏っているかなど、わざわざ論ずるまでもない。


「兵たちよ。お前たちはエリックに唆されただけだな?」

「はっ……?」


兵士たちがざわざわ、と騒ぎ立てる。

エリック侯爵とカリアス魔王を見比べ、その言葉の意味を言葉にはせずに考えた。

唆された、それは確かに正しい。

出世や報酬を餌にして、彼らはエリック侯爵の私兵として組み込まれていったのだから。


「反逆者は極刑と決まっている。だが我は、唆された兵士諸君の罪を問わない用意がある」


エリックが声にならない悲鳴を上げた。

己の兵士たちが懐柔されようとしていた。エリックの剣であり、盾でもある兵士たちの心が揺らいでいた。

元より追い詰められているのが自分たちだと言うことは、侯爵以外の全員が思っていた。

魔王は罪には問わない、という。寛大な心を持ってそう告げている。


「今から寝返ろ、とは言わん。諸君は武器を捨て、静かにこの城から出て行くがいい」

「きっ、き、貴様ぁ! そ、そのようなことを言っておいて、後で反逆者を捜し出して殺すつもりだ、そうに違いない!」

「約束しよう。魔王は王としての宣誓に嘘はつかない……何より、もはや選択の余地はない」


選択の余地はない、と告げたときだった。

轟音が響いた。首都カーリアンに響く雄叫びだ。それは威勢のままに叫ぶ人々の声だった。

エリックの私兵たちの声ではない。数は二百名どころではない。

謁見の間に慌てふためいた私兵の一人が到着し、腰を抜かした主の下へ転がり込みながら報告した。


「で、伝令! クィラスの町、ミオの町、ボールデンの町が魔王派の支持を表明! 兵士三百人が攻めてきます!」

「なんだとおっ!?」


ざわめきが更に広がっていく。

シギリアの町を除けば、オリヴァースの全ての町が魔王派を表明したことになる。

唯一勝っていた物量が逆転された。

もはや、エリックに逆転の一手は何一つ残されていなかった。


「…………」


がしゃん、と兵士の一人が武器を投げ捨てた。

そのまま魔王の言いつけに従い、魔王からも侯爵からも背を向けて城の外へと去っていく。

一人が行動に移れば、後は流れるように早かった。

がしゃん、がしゃん、と武器を捨てる音が雨のように地面に叩き付けられ、エリック私兵は次々と去っていく。


「ま、ままま、待て! 待てえ!!」

「さて、エリックよ。お前は残していても、毒にしかならん」


兵士たちを処刑しなかったのは、オリヴァース軍にも多大な損失を受けることになるからだ。

この国の兵士の数は全ての町の守備兵を合わせても、千人ほど。

二百人もの兵士を処刑しては、全体の五分の一を殺すことになってしまう。それでは、国に大きな損失がある。

犠牲になるのは一人でいい。責任を取るのは一人で十分だ。


「さあ、貴族らしく潔くしろよ……お前だけは許すわけにはいかん」

「ひいぃ……!!」


エリックは逃げ出した。

今更ながら革命が失敗したときの恐怖を味わったらしい。

カリアスは弾丸を放つ。逃げるエリックよりも遥かに早い、風の弾丸だ。切り裂くも殴打するも自由自在だった。

だが、筋骨隆々の悪魔族は鷲の翼を広げると、窓を割って空へと逃げ出した。


「あの男……バード族との混血ハーフだったのか……!」


逃がしてはならない。

反抗分子だから、という理由もあるが、錯乱した魔族は何を引き起こすか分からない。

最悪、魔法を暴走させて民衆たちを巻き込んで自爆する危険性すらある。

カリアスは走って割れた窓から身を乗り出し、風の弾丸を放つが、時既に遅し。


「ちっ……飛行が不規則で、狙いがつかん……」

「魔王カリアス! ご無事ですか……! って、どうして窓から身を投げようとしているのですか!?」

「お前は……確か、クィラスの町長か」


謁見の間に飛び出してきたのはジェイル・コバールだった。

筋骨隆々の左将軍エリックとは違って、線の細い体つきの悪魔族の中年男性だ。

戦闘は苦手であると自負する彼だが、長剣を持って参戦してきたらしい。


「はっ! 右将軍ブージ侯爵が、ミオの町で兵を貸してくれました! しかし、既にエリック軍は降伏している様子で……」

「うむ。勝負はついたが……残念ながら火種を逃がしてしまったらしい」

「すぐに捜索を。エリック侯爵は城内に?」

「いや、空を飛んでいった。バード族との混血ハーフだったらしいな……飛行能力があるのは、想定外だった」


そういえば、セリナも悪魔族でありながら竜人ドラゴニュート混血ハーフだったな、と一人思うカリアス。

窓の外を見やれば、未だエリック侯爵の姿が見える。

飛び慣れていないのだろう。ずっと混血ハーフであることを隠し続けていたに違いない。


(己の生まれが混血であることも、あの男の自尊心を傷つける要因となったのだろうな……)


思えば哀れな男だった。

自分の自尊心プライドを制御することのできなかった大貴族の一角、それがエリックだった。

窓からエリックの行き先を監視する。方角や場所でも分かれば、捕らえる術はあるに違いない。

他国に逃げる前に捕らえなければ、と心の中で思ったときだった。

カリアスの視界に見覚えのある飛龍の姿が映った。


「あの、馬鹿」


来てしまったのか、と毒づいた。

最前線で今が一番大切な時期だと言うのに、来てしまったのか。

祖国の無事を、家族の無事を願って、何時間もの間、飛龍ククリを駆ってこちらに来てしまったのか。

馬鹿者が、と口にした。だが、己の妹に対して送る言葉は魔王としての指示だった。


「兄上ッ……!!」

「ラフェンサ! エリック侯爵が中空へと逃亡した! 頼めるか!?」

「はい……!!」


何故、来てしまったのか。それは後で問えばいい。

良く来てくれた、と労うのも全て後回しにしてしまえばいい。

魔王としての言葉が先だった。

国を転覆させようとし、民衆を不安に落としいれ、兵士たちを唆した愚か者に当然の鉄槌を!




     ◇     ◇     ◇     ◇




「ナオ殿、速度を落とします……! わたくしは手綱に集中します、撃ち落としてください……!」

「了解……!」


謁見の間で龍斗がぶっ飛ばした左将軍。

悪魔族とバード族の混血ハーフだったことに驚くが、そんなことは後回しだ。

ラフェンサは両手で手綱を握ると、エリック侯爵に平行するような形で距離を取った。

奈緒は右腕をラフェンサの腰へと回し、左手をエリックへと向けてかざした。


「き、貴様ら……! 小僧に、小娘……何故だ、何故こんなところに……!?」

「エリック侯爵……残念です。このような大それたことを仕出かしたのです、覚悟は出来ているでしょう!」


ラフェンサにとって、エリック侯爵は幼少の頃からの付き合いだった。

彼女の父が魔王だったときから国のために働いた人だった。

尊敬していた。子供心に誇りでもあったかも知れない。

残念だ。とても、残念だった。


「くそ、くそ、くそお! 何故こんなにもうまくいかない! どうして、どうして、どうしてえ!」


哀れだった。

夢が破れた男の末路がそこにある。

彼は幻想を見すぎたのだ。冷静に現実も直視しなかった。

己に才能がないことを、己が混血であることを、正しく直視することができなかった。

それがエリック・ジアース侯爵の本質、その脆弱さだった。


「さよなら、エリック候……」


少女の口から別れの言葉が零れ落ちた。

黒髪の少年の左手が極悪に輝いた。死を告げる刃、彼の特性の『嵐』が凶悪に猛威を振るう。

小型の切り裂く竜巻を連想してもらえればいいだろう。

魔王の座を夢想した男へと手向けられたのは、厳しい現実のように切り裂いていく竜巻の刃。


「さよなら……エリックおじさん」


ギャァァァァァアアアアアアアアア、と背筋の凍るような絶叫が大空へと消えていった。

両方の翼だけではなく、身体全体を切り裂かれたエリックは空を飛ぶことも出来ずに地上へと落下していく。

森林が続く緑豊かな世界へと、男は力なく落ちていく。

少女が最後に紡いだ、親しみすら篭もった別れの挨拶も、強風に煽られて溶けていった。




     ◇     ◇     ◇     ◇




オリヴァースの内乱は終わった。

左将軍エリック・ジアース侯爵が二百名の兵と共に引き起こした争いは一日で終焉を向かえた。

首謀者のエリックは生死不明。

森に落ちただけに落下の衝撃を防ぐことができたかも知れないが、恐らくは魔物によって命を落とすだろう。

ジアースの一族は貴族の位を召し上げられ、庶民へと落とされることになる。


「それで、お前は何でここにいる」


首都カーリアンは騒がしかったが、謁見の間だけは寂滅すら漂った。

魔王カリアスは玉座に座ることなく、静かに……そして威圧的に、援軍へと訪れた奈緒を見やっていた。

ラフェンサは理解できる。そして、彼がラフェンサのために行動してくれたのも分かる。

そして、彼らのおかげで首謀者の撃破に繋がった。その功績も理解できる。

だが、それ以上に感情は彼の行動を許せなかった


「ナオ。お前は最前線の総司令だ。そのお前が、こんなところに来てはいけない」

「……うん」

「いいか? もしもお前がエリックを撃破した功績がなければ、今ここでお前を殴っている。今でも我慢している」

「…………うん」


オリヴァース国の内乱は言い方が悪いが、奈緒とは関係ない話だ。

確かに後方物資の補給という問題があった以上、厳密には無関係とは言いがたい。

それでも総司令という立場を考えれば、やってはいけない選択だった。

今こうしている間にも、最前線の部隊の者たちは奈緒の帰りを待っているというのに。


「飛龍ククリが回復するまで、お前はここに釘付けになる。一日では戻れん」

「…………」

「魔王としての言葉を先に出しておくとな。ふざけるなよ、この野郎……軍規に照らせば、総司令失格だ」

「兄上!」


咎めるようなラフェンサの言葉を、カリアスは睨み付けて黙らせる。

本来なら彼女が一番悪い。それは言うまでもない。

だが、妹を部下として使役する以上、彼女の責任も全てが総司令の責任に直結するということにもなる。

返す言葉もない奈緒は、項垂れたまま叱責を受けている。


「ごめん、カリアス王……僕も、心配で」

「分かっている。友人としての『俺』は、本当に感謝しているんだ……手を取って、礼を言いたいのも我慢している」


妹の勝手を許し、友人の危機に駆けつけてくれた奈緒。

カリアスには今まで友人と呼べる相手がいなかった。魔王という立場だからこそ、仕方がないだろう。

だからこそ、損得の感情も抜きにして助けに来てくれる存在がどれほどありがたいか。


「それでも、言っておかなければならない。ナオ、お前は何があっても前線を離れてはいけない」

「……」

「お前がいなくて、心細く思ってる人がいる。それを忘れないでくれ。彼女を一人にするな……」


ああ、本当に。

カリアスは彼女のことを大切に想っているのだろう。

自分が座りたかった位置に奈緒という少年がいて、それが羨ましいのに、彼は彼女の幸せを願っている。

奈緒本人にすら真似できるかも分からないほどの想いがそこにある。


「だから、俺はお前がこんなところにいるのが気に食わない」

「カリアス王……」

「どうしてここにいるんだ、馬鹿野郎……彼女を泣かせるようなことをすれば、真っ先に敵に回る……そう言ったはずだ」

「そう、だったね……」


馬鹿野郎が、ともう一度吐き捨てた。

労いの言葉はかけなかった。奈緒には彼女のことだけを考えて欲しかった。

何でもかんでも守れるわけではないのだ。

全てを救おうとするのなら、必ずその矛盾が理想を食い潰す。それで友人が壊れるのは忍びなかったから。


「『我』は後始末がある。ラフェンサ、飛龍ククリが回復したら、すぐにでも城塞都市メンフィルへと飛べ」

「はい……兄上」


そうして、カリアスは謁見の間を後にする。

奈緒はしっかりとカリアスの言葉を受け止め、改めて心に刻み込んだ。

魔王としての立場をカリアスは忘れなかった。

総司令としての立場を奈緒は忘れかけていたのかも知れない。

立場は責任を伴い、責任も取れない指揮官の末路は先ほどの左将軍のような悲惨なものだ。

それを、カリアスは知ってもらいたかったのかも知れない。


「ククリが回復するまで数時間です。ナオ殿、少し休憩しましょう」

「うん……分かった。今は急いでも仕方ないしね」

「はい。お茶をお入れしましょう」


ラフェンサからのお茶の誘いを笑顔で了承しながら、奈緒は最前線に残してきた者たちに思いを馳せる。

もしかして、自分は最も最悪のタイミングで引き返してきてしまったのだろうか。

可能性は低い、と思いたい。

この選択は悪手だったかも知れないが、間違ってはなかったと思いたい。

だけど。


(…………)

(ん? どうした、奈緒。カリアスに怒られたのに落ち込んでんのか?)

(ううん、そうじゃない……そうじゃないけど……)


嫌な予感がする。

何かとんでもないことを見落としている気がする。

クラナカルタ陥落まで後一歩というタイミングで起こされた内乱。

一日も掛かった末のクーデターの失敗。この違和感は何だろう、心に引っかかるのは何だろう。


(あっさりすぎる……こんなに簡単に失敗してしまうような内乱なんて、有り得るのかな)


改めて考えてみようと思った。

エリック・ジアース侯爵は野心多き男なのか、それとも糸に操られた人形なのかどうか。

例えば誰かの掌で踊らされているとすれば、それは一体誰なのかを。




     ◇     ◇     ◇     ◇




「ひっ、ひっ、ひっ……ひぎい……!」


男は生きていた。

両腕を骨折し、身体の至るところから鮮血を噴出しながらも命を永らえていた。

両の翼が引き裂かれていようと、口から大量の血を吐き出していようと、命は繋いでみせた。

大貴族の末路とは到底思えないほど凄惨な姿のまま、男は逃亡を図る。


「ごぼっ……死ぬものか……いやだ、死にたくない……ごぼっ、ごふっ……」


男にはひとつの希望があった。

本来、この計画は彼が立てた物ではない。一人の老人から持ちかけられたものだった。

老人はこの国で最も長く魔王に仕えてきた最古参の貴族だ。

エリックという男の実力を認め、魔王として相応しいと言ってくれた、エリックの唯一の心の拠り所だった。

老人のもとに行けば勝機はある。やり直しの機会はあるに違いない。

だから彼は『援軍が来る』と信じていたのだ。


「ほっほっほ。酷い有様じゃの、エリック侯爵」

「ブージ候ぉぉぉぉ……!!」


見つけた。

というより見つけてもらった、というのが正しいだろうか。

重い身体を引き摺るようにして前に進んでいたエリックだが、目の前には老人の姿がある。

飄々とした態度に思わずムッとしてしまうが、そんなことは後回しだ。


「援軍はどうした! 何故、あの小僧が戻ってきた! どうして私はこんなところで苦しまなければならん!」

「おうおう、まだ元気が余っておるではないか。なに、作戦通りじゃ。作戦通りよ、エリック侯爵よ」

「なに? ご老体、これすらも計算の内というか! ごぶっ……がは、かはっ……」


最後の力を振り絞っての怒号も長くは続かない。

そうだ。エリック侯爵を操っていた糸、その持ち主として掌で踊らせ続けた者の名は……ブージ・オルトマン。

オリヴァース国で最も最古参であり、三百年以上を生きた魔族である。

老人は死に体のエリックへそっと肩を叩く。


「その通りよ。『小僧をこちらに誘き寄せた』からの、全ては計画通りというわけじゃ」

「ま、待て……どういうことだ。計画は私が魔王になるための……!」

「良い道化ぶりだったぞい……そら」


ブージ侯爵の右手が紅蓮に光り輝いた。

高熱がエリックの肩から全身へと伝わっていき、言葉にならないほどの激痛がエリックを襲った。


「ご苦労だった、道化。ゆっくり休むがいい」


それがエリックに送られた最期の言葉だった。

直後、耳を塞ぎたくなるほどの生々しい轟音が響き、男の身体が爆散した。

山羊の角を生やした頭が転がり、身体は七つ以上に解体され、濛々と煙をあげていく。

内臓に爆弾が仕掛けられていたかのような、それほどの惨状だった。


「目的は小僧を誘き寄せることよ。こやつ、気づかなかったのか? クーデターに裏切り者が出た理由に」


何故、早い内に宮中を制圧できなかったのか。

裏切り者が出たからだ、とエリックの私兵は言っていた。その裏切り者はブージ候の手の者だった。

長引いてもらわなければならない。早くに決着されては、五色の異端ミュータントをこちらに誘き寄せられない。

エリックの首を無造作に掴むと、ブージは元の道を歩いていく。


「やはり、無能は無能だったな」


酷薄な笑みを浮かべる。

彼の仕事は終わった。後は『彼ら』が勝手にやることだ。

国に忠誠を誓うことを示すため、反逆者の首を持って首都カーリアンへと歩き出す。

一仕事を終えた老人は薄く笑うと、表舞台から消えていく。





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