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第35話【アズモース渓谷の戦い】

「アズモース渓谷、か」


奈緒はぽつり、と現在地の名前を呟いた。

目の前に限らず、周囲に広がる光景はナザック砦ではない。

荒野と崖に囲まれた、クラナカルタの険しい山道を奈緒たちは進軍していた。


「ラキアスと合流してすぐに行動を起こしましたが、何か考えがあってのことですか?」

「うん。予想通りというか、やっぱり混成軍の弱いところがあってね」


背後に控えるのは切り込み隊長のラピスだった。

魔王ギレンからの一撃を受けて戦線を離脱していた彼女だったが、一週間ほどの休暇で体調も回復したらしい。

これも破剣の術の一種、と彼女は語っていたが、龍斗はまだそこに至ってはいない。

おかげで日頃から筋肉痛と、同じく魔王ギレンの一撃で身体に鈍い痛みが走っていたのだが、それも一週間前の話だ。

覚えてほしいなぁ、と我がままにも似た願いをこっそりと隠し持つ奈緒は、続けて語る。


「気が合わないんだよね。オリヴァース兵と、ラキアス兵と、そして傭兵の三すくみで」

「問題が起きたのですか?」

「軽い喧嘩らしいけど。やっぱり長いことナザック砦に篭もる理由はないから」


クラナカルタへの侵攻を開始したのだ。

ナザック砦にはジェイルを置き、これまで通りに後方支援を担当させた。

兵力はそれほど残していないのだが、元よりアズモース渓谷は一本道のため、迂回して攻められることもない。

乾いた大地を踏みしめながら、奈緒は伝達魔術品シェラを取り出す。


「こちら、ナオ・カリヤ。各自、定時報告を」

『おうー、こちら先鋒の傭兵団、ゲオルグ。今のところ、敵の姿は見えないぜー』

『後詰のマーニャよん。伏兵に気をつけているけど、今のところは見つからないわねー』


暢気な二人の大人の声が届いた。

先鋒は身軽な傭兵団のゲオルグ・カスパール組。兵力は百五十名。

崖の戦いや山間での戦いもこなせるため、大軍に襲われても即座に敗北するようなことはないはずだ。

逆に地形に慣れていないラキアス軍は後詰に移ってもらっている。指揮官はマーニャと、参謀のユーリィだ。

伏兵に気をつけているのはユーリィの指示だろうなぁ、と秘書みたいな顔つきの彼女を思い出す。


『ナオ殿。ラフェンサです、報告します』

「うん」

『前方、五百メートル先に敵軍を発見。夥しい数です。前方に約千人。崖の上にも数百人』

「……崖の上にもやっぱりいるよね」


奈緒はジェイルに依頼して手に入れたクラナカルタの地図を広げた。

アズモース渓谷は一本道であり、迂回して別ルートを目指すことはできない。

逆に言えば大軍であろうとも、一度に千人もの敵兵が襲ってくるわけではない。狭いところでの戦いは有利だ。

だが、崖の上にも布陣されている以上、上空からの攻撃が辛い。


(前だけじゃなくて、左右も敵兵がいるような状態。岩でも落とされたり、魔法を受けたりするだけで壊滅する……)


歴史上、今までナザック砦が落とされたことがない。

アズモース渓谷も含めて、これ以上先の戦いについては未知の領域と言ってもいい。

クラナカルタの作戦、戦術、その全てを考えなければ勝利はない。


(敵の狙いは明確。崖の上からの奇襲で撹乱させ、一気に僕たちを殲滅する計画のはず)

(奈緒……少しいいか?)

(……ん? どうしたの、龍斗?)


珍しく考え込んでいる最中に、龍斗から声がかかった。

暗黙の了解で奈緒の思考中に声はかけない、というものがあるのだが、龍斗はそれを承知で口を開いた。

どうしたんだろう、と思う奈緒に向けて龍斗が言う。


(要は、崖の上にいる奴らを倒しちまえばいいんじゃねえか?)

(ふむ……)

(もしも倒せれば、逆に俺たちが石やら魔法で殲滅できるだろ? この戦いは、崖の上を制するかどうか、じゃねえかな)

(そう、だね……)


龍斗の言うとおりだ。

かつての日本の戦争で制空権を手にしたほうが勝つ、などという理論と同じだ。

崖の上を自由に動き回れる権利を持った者が、このアズモース渓谷の戦いに勝利できるに違いない。


(問題は兵力か。崖の上に登れるのは飛行部隊と、切り込み部隊ぐらいだしなぁ……)


合わせて六十名ほど。

傭兵たちの中にも身軽な者がいれば、崖の上を登ること(ロッククライミング)で上に行けるかもしれない、が。

崖の上もまた、亀裂が入っていたり断崖絶壁だったり、と危険が大きい。

詳しい地理を知りたい奈緒は偵察隊になっているセリナやラフェンサへと、シェラの通信を繋げた。


「セリナ、ラフェンサ。崖の上はどんな感じ?」

『……そうね。とても歩きにくそう。少なくとも崖の上も分岐がたくさんあって、迷いそうよ』


セリナの声にびくり、と奈緒は身体を震わせた。

どうやらマーニャとの一件をまだ怒っているらしく、声に不機嫌を隠そうともしていない。

どちらかというと、拗ねている、といった表現が正しいのだが、女性経験のない奈緒には怒ってるようにしか見えない。

彼女がラピスの部屋の隅に座り込み、涙ぐみながらラピスに心情を吐露している、という事情を彼は知らない。

背後の護衛剣士は固く口止めされているため、何も言えない。ただ複雑な表情を浮かべるだけだった。


『ナオ殿。崖の上の部隊に襲撃をできるのは、やはり飛行能力を有した方だけかと』

「そっか……数百人相手には無謀すぎるね」


うーん、と奈緒はひとまずセリナの件は置いて考え込んだ。

いくつかの案件をまとめながら思考する。


(飛行部隊に崖の上まで兵員を輸送してもらう……危険か。僕が相手の指揮官なら、そんな隙は見逃さない)


崖も十メートルから二十メートル、といった具合なので、簡単に崖の上に連れていくこともできない。

セリナが奈緒を抱えて十メートル、と言っていたので、飛行部隊二人で兵士を一人、崖の上に連れていく計算だ。

数百人の谷の上の敵兵を渡り合うために、何時間も要してしまう。

その隙は致命的だ。この案件は使えないだろう、と奈緒は自己完結した。


(いっそ……この崖を崩して、上の敵部隊を纏めて下に突き落とす……? いや、現実的じゃないし、危険すぎる)


崖は見たところ、ナザック砦と同じような岩だ。

魔法を一挙にぶつければ崖を崩し、一気に敵軍に岩石の洗礼を食らわせることができるだろう。

残酷な作戦で、しかも味方にまで被害が及びかねない作戦だから採用したくはない。

それでも指揮官として、最悪の手段を保有しておくことにした。


「どうします、ナオ殿?」

「うん……ちょっと待ってね。全員に確認を取ってみる」


伝達魔術品シェラに魔力を込めた。

相手は首脳陣全員に向けてのもので、もちろん新戦力のマーニャやユーリィにも向けられている。

こちら、ナオ・カリヤ、といつも通りの前置きをして奈緒は語る。


「崖の上の部隊に少数精鋭で奇襲をかける。異論はあるかな」

『ナオ司令官』


即座に反論が届いた。

この冷静沈着で感情の色を見せない声色はユーリィのものだ。

予想通りの相手からの異論に、奈緒も苦笑気味に聞いた。


「何かな」

『崖の上の兵は何百人と。聞いていますが』

「うん、そうだね」

『少数精鋭で打ち破るのは。少々無謀が過ぎると。判断いたしますが』


彼女も理解しているだろう。

少数精鋭とは飛行部隊と切り込み部隊を含めた、百人程度の人数だろう、と。

単純な戦力で何倍にもなる。それだけの相手で、しかも地の利も彼らに取られている。

ユーリィが危惧の声をあげるも当然のことだろう。


「いや、打ち破れる」

『……何故?』

「その前にラフェンサ。崖の上には数百人って言ってたけど、左右に敵兵がいるよね?」

『は、はい。わたくしが見たところ、右に二百人、左に二百人ほどでしたが』


よしよし、と奈緒は口元を歪めた。

地図を見る。アズモース渓谷は一本道で、敵兵の主力はオーク族とゴブリン族だ。

魔物部隊が多種多様なため、断言こそできないが、相手の種族が分かっている以上、戦いやすい。


「つまり、右に集中攻撃すれば、右の二百人とだけしか戦わないってことだよ」

『増援の可能性も。それに前提として二倍の戦力が』

「うん、大丈夫。二倍程度の戦力差なら、今まで何度だって乗り越えてきたから」


クィラスの戦い。

ナザック砦攻防戦。

いずれも何倍もの兵力を要した相手を打ち破ってきた。

今更、手の内が分かりきった相手を前にして二倍程度の兵力を倒すぐらいなら容易だ。

何しろ、全体的に見ても討伐軍はクラナカルタの四分の一の戦力差しかないのだから。


「で、そちらはどうする? とりあえず、セリナ、ラピス、ラフェンサ、ゲオルグ、カスパールは決定だね」

『……首脳陣の全員ですが』

「少数精鋭だからね。ほとんどの兵は戦わないから、指揮の必要もないし」

『拒否権は?』

「あるよ。ただし、マーニャのほうは参加してもらいたいかな。戦闘が得意なら、こういうときでこそ、力を借りたいから」


攻撃するときは、もっとも強い攻撃で最も弱いところを狙い打つ。

二百人の雑兵と、精鋭百人。

勝算は十分に計算できる。普通の人間ならともかく、彼らは全員魔族なのだから。


『あらん。お姉さんをご指名かしら?』


割り込んできたのは、マーニャ・パルマーその人だった。

声しか聞こえないが、奈緒の目には不敵に笑う彼女の姿がありありと想像できた。


『良いわ。その少数精鋭案、乗りましょうか。兵の指揮はユーリィに任せてねん』

『マーニャ!?』

『ユーリィのお嬢ちゃん。指揮は任せたわん。お姉さん、久しぶりに汗を流したくなっちゃったし』


どうやら、承諾を得ることはできたらしい。

マーニャの実力は未知数だが、十分な戦力になってくることを期待しよう。

奈緒はシェラを通じて飛行部隊に指示を出す。


「飛行部隊。偵察をやめて帰還。各メンバーは前線に集合」


奈緒がにやり、と自信に満ちた微笑を浮かべた。

ナザック砦の戦いだけで満足はできない。アズモース渓谷の戦いに勝利し、更にその向こう側へと行く。


「奇襲を仕掛けるつもりの蛮族たちに、お手本を見せてやろうか」


討伐軍総司令、ナオ・カリヤの宣告に。

少年が掴む伝達魔術品から、了解、という言葉がそれぞれ届いた。




     ◇     ◇     ◇     ◇




「おい、どうなってんだよ、これ……」


崖の上に布陣する蛮族軍の指揮官は、呻き声のようなものをあげて一歩、後ろへと下がった。

魔王ギレンの徴兵令によって集まったオーク族の中でも、それなりに強い、と評判の指揮官だった。

クラナカルタでは第二席のベイグ・ナザックが重体になり、第五席のボグ・ナザックが戦死している。

この指揮官のような存在も、幹部として名を連ねる日も近かった。

そんな彼に下された命令は二百名ほどを率いて右に崖に布陣し、崖の下を通る討伐軍を葬ることだった。

だが、その作戦は完全に破綻していた。


「がっはっはっはー!! この程度か、小僧どもおおおおおおおお!!!」

「隊長。背後がお留守です。撃ち抜きますよ、ボクが」


傭兵隊長。ミノタウロス族、ゲオルグ・バッツ。

傭兵副隊長。悪魔族、カスパール・テルシグの二人が縦横無尽に暴れまわる。

地の魔法によって足場を崩され、崖の下へと転落していく部下たちの悲鳴が、指揮官の耳に残る。

肉弾戦でも彼らを止めることはできず、次々と兵が打ち破られていく。


「ま、魔物部隊を放て!」


がちゃり、と鉄格子の開く音がして、魔物部隊が解放された。

お馴染みの鳥の魔物、イルグゥ。黄色い体毛の狼、ギアウルフやボス格のリザードウルフが雄叫びをあげた。

狙いは崖を崩して、下に布陣する味方にまで被害を及ばせるゲオルグだったが。


「<炎の鎌>!」

「はぁぁぁぁぁぁ!!」


鳥の魔物、イルグゥは討伐軍の飛行部隊によって殲滅されていく。

縦横無尽に飛び回るのはセリナとラフェンサの飛龍だ。セリナの炎の鎌が肉を焼き、ラフェンサの槍が身体を貫く。

これは指揮官の軍だけに限らず、増援として送られたクラナカルタの飛行部隊全員に当てられた。

数少ない竜人ドラゴニュートの蛮族も、ラフェンサとの一騎打ちの末に敗北し、地面へと墜落していった。


「ふふ。可愛いワンちゃんだけど、お姉さん、手心は加えないわよん」


リザードウルフやギアウルフの前に立ったのは、マーニャ・パルマーだった。

挑発的な服装と、歩くたびに大きく揺れる胸などの色っぽさは戦場において、場違いにも見えた。

容赦なく、彼女を噛み殺すために襲い掛かる狼の群れ。

だが、飛び掛かるギアウルフたちは残らず大地に沈むことになる。


「<刺激的な電流を>」


ばちばちばちぃ、と強烈な電撃がマーニャを包み込んだ。

魔女のような帽子からも、挑発的な衣服からも、彼女自身の肌からも、電流が流れていた。

ギアウルフたちは噛み付くこともできずに感電し、ぎゃん、と悲鳴を上げて倒れていく。

ボス格のリザードウルフも同様で、炎による攻撃を仕掛ける前に、雷撃の槍を受けて感電死した。


「んー、お姉さんを満足させるには、ちょーと足りないかなん。欲求不満が残るかしらねー」

「いや、そんな死闘を毎回演じたくなんてないから」


マーニャの隣には奈緒が立っていた。

彼女の電撃は同じ電撃の魔法によって誘導されているため、奈緒には届いていない。

五色の異端ミュータントだとか、そういう事情を知らないマーニャは妖艶に笑った。


「あらん。ボウヤも雷使いだったのね。お姉さんとやっぱり気が合うのかしら?」

「いや……まあ」


あんまりラキアスの人員が見ている前で、たくさんの属性を使わないほうが良いかも知れない。

そんな考えで今回は雷を選択して戦ったのだが、奇遇にもマーニャも雷使いだったのだ。

実力は確かに見せてもらった。

雷、という属性に限っては討伐軍最強だろう。奈緒の雷を持ってしても、未だに雷撃の槍は作れないのだ。


「ふふ。お姉さんはセイレーン族なの。絶滅危惧種なのよん?」

「セイレーン族?」

「そう。世界に百人も残っていないわ。特にお姉さんはそのなかで、雷なんて属性を生まれ持ってね」


戦闘中だというのに、彼女たちの間には余裕すらあった。

余裕がないのは敵兵や、その指揮官だけで、さっきから喚き散らすばかりの指揮官にマーニャは目も向けない。


「セイレーン族は水の加護を受けた一族なんだけど、お姉さんは受けられなくて追放されちゃったの」

「…………」

「まあ、セイレーン族の魔力は一般の魔族よりも遥かに強いから。お姉さんは一日中、汗を流しても大丈夫なのよん」

「……へえ」


いちいち、言うことが淫靡な表現になるのはセイレーン族の影響なのだろうか、と何となく奈緒は思った。

マーニャは見た目には人間と大して姿に代わりはない。

恐らくは『人間に擬態する魔族』の例に当てはまるのだろうが、彼女の寂しげな瞳が気になった。

一族から追い出され、戦争に参加する彼女は何を思うんだろう、と。


『こちら、カスパールです。ほとんどは片付きました』

「あ……うん、ご苦労様。こっちもすぐに終わらせるよ」


カスパールからの伝令で、奈緒も我に帰った。

残りは眼前に立つ敵の指揮官と、数名のオーク族だけらしい。

奇襲に成功したことを確信しながら、奈緒はマーニャへと一言、声をかけた。


「じゃあ、マーニャ。僕も仕事をしてくるよ」

「お姉さんに任せちゃっていいのよ? 総司令があんまり前に出るものじゃないと思うわん」

「うん。でもまあ、ここは任せてくれても大丈夫」


笑顔を向けながら、奈緒は心の中で出番を待っている龍斗へと語りかけた。


(龍斗、いける?)

(よっしゃ、ばっちこい!)

(うん。それじゃあ、交代)


瞳の色が切り替わる。

紅蓮の色へと変貌した奈緒の瞳を見て、マーニャが僅かに硬直した。

この反応はいつ見ても面白いなぁ、と龍斗は場違いな感想を抱きながら、クロノスバッグへと手を突っ込む。

そこから取り出されるのは龍斗のトレードマークである、鉄塊の大剣だ。


「んじゃ、やりますか」

「……ボウヤ。そんな大きくて太いものを使うの? お姉さん、驚きよ……」

「ああー、凄くアレな台詞に聞こえるけど、まあいいや! 行ってきます!」


龍斗はマーニャの態度に苦笑すすると、硬い地面を蹴って蛮族の指揮官たちへと肉薄した。

指揮官のオーク族。幹部候補の男は龍斗よりも二回りほど小さい大剣を取り出すと、号令をかける。

彼の周囲の兵たちは既に負け戦の予感がしているので、動きが遅かった。

躊躇している動きでは、破剣の術を使う龍斗を捉えることはできない。


「おらあっ!」

「ギャアアア!」

「ぶげえっ!?」


突撃してきたオーク族の敵兵の右肩に剣を突き刺し、引き抜く過程で胸に蹴りを加える。

左側から武器を構えて襲い掛かるゴブリン族に、思いっきり剣の腹でぶん殴った。

龍斗の拳や蹴りのひとつひとつにしても、破剣の術によってボクサーなどよりも強烈な一撃へと変貌する。

続く三人目の敵の顔面に飛び蹴りをかますが、まだ十人ほどの敵兵が残っている。


(龍斗、指揮官を倒そう! それで残り十人くらいは助かる!)

(ちっ……了解ぃぃぃぃ!!)


一気に龍斗は距離を詰めた。

襲い掛かる敵兵には目をくれない。乱暴に殴り、蹴りを繰り返すだけで沈黙させる。

狙いが自分だと気づいた蛮族の指揮官は、周囲を見渡しながら叫んだ。


「お、おい! 増援は、援軍は……! だ、誰か……!」


ここまでの負け戦になれば、指揮官の本質があらわになる。

眼前の光景が信じられないらしい指揮官を、一切の容赦なく龍斗は叩き潰すと決めた。

敗北を悟ったなら撤退なり、降伏なりをしなければならない。

それすら怠った男なら、倒してでも戦いを終わらせたほうがいいのだ、ということを知っている。


「ぐっ、くそ……! う、おおおおおお!!!」


鉄と鉄がお互いをぶつけ合う音が響く。

龍斗の大剣と敵の指揮官の大剣が、両者を両断するために叩き付けられる。

指揮官は幹部候補だ。

当然、普通のオーク族などとは一線を駕す実力を誇るからこそ、彼もまた兵士を束ねる存在となっている。


「がああああああ!!!」


確かに、この指揮官は強いのだろう。

先ほどのように龍斗が打ち倒したオーク族やゴブリン族の兵とは、比べ物にもならないに違いない。

現に龍斗と指揮官は数合に渡って打ち合いを演じており、戦いは拮抗をしているように見える。

だが忘れてはならないことがひとつある。


龍斗は、疲労していたとはいえ、クラナカルタの第二席を倒しているのだ。


直後、龍斗が雄叫びと共に大剣を大きく薙ぎ払った。

受け止めようとした指揮官は衝撃を殺し切ることができず、あばら骨を数本、骨折すると吹っ飛んだ。

ちょうど、ナザック砦の戦いで魔王ギレンに龍斗が吹っ飛ばされたときのようなものだった。

勢いとまらず地面を転がる指揮官の身体は、無常にも崖を飛び出していく。


「おっ……おおおおああああぁぁぁぁぁぁぁぁ……!!?」


下のクラナカルタの軍隊に墜落していく指揮官を眺め、龍斗は振りかぶった体勢を戻す。

威圧感の篭もる瞳を残りの残兵へと向けると、彼らは武器を捨てて降伏を願い出た。

それを認めて戦闘終了を確認する龍斗は、ニヒルに笑った。


「まあ、この高さだし、死んではねえだろ。多分」


よーし、終わった終わったー、と喜ぼうとする龍斗だったが。

突如として身体の所有権が入れ替わる。幸いにも大剣は放り出している状態だったので、潰れることはない。

奈緒が強制的に所有権を主張したらしい。


(おわっ! 突然すぎるぞ、奈緒!)

(うん、ごめんね。でもまだ終わりじゃないんだよね)

(へっ……?)


疑問の声を上げる龍斗には答えず、奈緒はポケットからシェラを取り出した。

もちろん通信相手は全員の首脳陣。

傍にいるマーニャも含めて、総司令である奈緒の言葉が全員の耳に届く。


「右側の奇襲部隊は壊滅させたね。それじゃあ、左側を倒していこうか」

(えええーー!!)


龍斗の驚きの声は、奈緒の心の中でしか響かない。

奈緒はラフェンサを呼びつけると飛龍へと飛び乗った。

各々のメンバーも飛行部隊に身体を預けて反対側へと奇襲を仕掛ける。

右側壊滅の様子を見ていた左側の軍の士気は低かった。

手始めに奈緒やマーニャの広範囲の魔法をぶつけて混乱状態に陥らせると、一気に彼らの殲滅に乗り出した。




     ◇     ◇     ◇     ◇




「…………ふん」


崖の下に待機する蛮族軍千人の司令官、オルム・ガーフィールドは上を見上げながら鼻を鳴らした。

土気色の肌はやはりオーク族のそれ。身長はベイグやボグのように二メートルを越す体格ではない。

どちらかというと魔王ギレンと同じように小柄だ。

力押しで行き続けるイメージがあるオーク族には珍しく、腰に二振りの剣を挿している。


「申し上げます! 崖の上の部隊が襲われてます!」

「見れば分かる。まったく、使い物にならない連中だ。私の策をぶち壊しおって」

「いかがしますか! 援軍を!」

「必要ない。役立たずに割いてやる思考はない」


一言でばっさりと切り捨てた。

オルムは程よく濁った瞳を崖の上に向け、鎮圧されていく奇襲兵たちを眺めて思考する。

崖が崩れ、味方の兵たちも落下し、本隊にも死傷者が出始めている。

このまでは崖の上を制圧され、岩や魔法で奇襲攻撃を受けるのは自分たちの番になってしまうだろう。


「退却するぞ」

「は? で、ですが、こちらにはまだ千人以上の兵が……」

「役立たずが。地の利を取られて勝てるものか」

「ぶごあ!?」


自分よりも背の高いオーク族の側近を容赦なく足蹴にする。

尻餅をつく部下に一瞥も向けず、オルムは自分ひとりでさっさと後方へと下がっていく。


「千人の中で役立たずを五十人ほど選んで捨て駒にしろ。退却も降伏も認めん」

「はっ……」

「残りの人員は上の奴らが殺されているあいだに退く。アズモース渓谷は放棄だ。後は私は知らん」


ふん、ともう一度鼻を鳴らすと、オルム・ガーフィールドは去っていく。

彼はクラナカルタの第三席。軍師にしてオリヴァース遠征軍の総大将だ。副将が第五席のボグだった。

クィラスの町を攻め、守備隊を壊滅状態に追い込んだ実績を持つ。

その後の第二陣の攻撃をボグに任せ、クィラスの町を陥落させるつもりだったのだが、結果は無様な敗北だった。


「まったく、どいつもこいつも使い物にならん」


今回の戦いでも、オルム軍の有利に事は運んでいたはずだ。

地の利を制圧し、例え崖の上に奇襲攻撃を仕掛けたとしても、奴らの兵力では百人も用意できない、と。

二倍以上の戦力をもっておきながら、左右共に敗北してしまうなどは計算外だ。

役に立たない部下に苦い思いをしながら、オルムはアズモース渓谷から姿を消していく。


「やはり、魔王にお越しになってもらうべきか」

「お、オルム様。奴らはどうするのですか!」

「……ふん。役立たずのゴブリンどもに潰し合ってもらうさ。あの劣悪種の女に最後の一兵まで戦わせればいい」

「し、しかし……」


側近の一人が心無い作戦に苦言を呈そうとした。

アズモース渓谷の先に待ち受けるのは、ゴブリン族の女王が治める集落だ。

蛮族国クラナカルタでどうにか生活しているゴブリン族の民たちを見殺しにし、それを捨て駒とすることで兵力を減らそうというのだ。

それは、ゴブリン兵たちの故郷を見捨ててしまおう、という作戦だった。


「第二席のベイグは重体。第五席の役立たずも死んだ。この際、第四席のあの女も働かなければなるまいよ」

「ゴブリン族は承知しませんぞ……」

「何を言うか。そもそも、この強者の国、クラナカルタにゴブリンなどという種族はいらん」


嫌らしい笑みを浮かべて、オルムは吐き捨てるように言った。

人種差別をする人間のような、偏見に満ちた悪意ある言葉だった。


「あれはオーク族の劣悪種だ。意気地がない、役に立たない、力も弱い、魔法もろくに使えない」

「…………」

「力がないなら大人しく奴隷の地位にでもなって這い蹲っておればいいのに、女王だと? 劣悪種は身分を弁えんな」


くっく、と側近にしか漏らさない下卑た笑みを浮かべる。

同じオーク族が戦慄を覚えるほどの凶悪な笑みで、オルムは糾弾を続けていく。


「あんなものは、この機会に一緒に滅びればいい。この国には屈強なオーク族だけがいれば事足りる。そうだろう?」

「はっ……いかにも」

「では、退却だ。面倒ごとはあの女に全て押し付けてやれ」




     ◇     ◇     ◇     ◇




この日、奈緒たち討伐軍はアズモース渓谷を突破した。

地の利を奪っている間に千人の軍隊のほとんどが退却を完了させ、敵軍の被害も軽微なものとなった。

崖の上に布陣していた四百人の敵兵のうち、三百人以上の兵が戦死した。

ナザック砦の攻防戦以上の戦果をあげても、大勝利とは思えなかった。


「……敵に、引き際を心得ている指揮官がいるみたいだね」

「オルム・ガーフィールド」


ぽつり、と。

隣に立つ青髪眼鏡の参謀、ユーリィ・クールーンが眼鏡を上げながら応えた。


「クラナカルタの軍師です。オーク族の戦士にして。作戦の指揮を担当する男。引き際は誤らないでしょう」

「そうだね。僕が逆の立場でも、一度は仕切り直しを狙うよ。でも……」


アズモース渓谷へと目をやった。

細い道、荒れ果てた大地にゴブリン族やオーク族の大量の死体が転がっていた。

彼らは見捨てられ、捨て駒として使用された兵たちだ。

降伏したのは百名にも満たない数。ほとんどは万歳突撃の如く、命を投げ捨てて討伐軍へと突っ込んできた。


「気に入らないね」


はっきりとした嫌悪の声が響き渡る。

ユーリィはもちろん、周囲に控えていた残りの首脳陣も驚いた顔を見せた。

奈緒の眉が厳しく寄せられていた。

言葉に込められていた感情は怒りだ。捨て駒という方法を遠慮なく使用した指揮官への怒りだ。


「本当に、気に入らない」


奈緒の言葉は無常にも届かない。

アズモース渓谷に転がる亡骸を踏みしめ、討伐軍は進軍していく。

これが戦争だということを知っているし、相手の作戦の合理性も理解できるし、奈緒が怒りを覚えるのもおかしい。

それでも、奈緒の瞳に宿っているのは地獄に対する嫌悪の感情だった。


「オルム・ガーフィールド。覚えておくよ」


戦いは続いていく。

殺し合いは加速していく。

戦争を巻き起こす側に立つ奈緒ができることは何だろうか。

奈緒は偽善と知りながら、敵兵に対して手を合わせて黙祷すると、毅然とした態度で前を向いた。




そろそろ不定期更新になりそうですw

ペースが二日に一回、になってしまいそうですが、ご了承くださいorz

何とか間に合わせたいと思っていますが、難しいかも、です。

こんな状況ですが、これからもどうぞ、お付き合いください。

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