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第33話【援軍は妖艶な魔女と潔癖症の秘書】




「ラキアスから、援軍が来るそうね」

「うん」


ナザック砦の駐屯して四日目のことだった。

別室で今後の作戦について考えたり、キリィの実を煎じた紅茶で一息ついたりしていた奈緒に、セリナが口を開いた。

彼女は暇があれば奈緒と行動を共にする。

一緒に笑いあったり、世間話をしたり、冗談を言い合ったり、本気で作戦を考えたり、そんなことがとても楽しかった。

そんな彼女が、唐突に口火を切ったのだ。


「負傷兵は国に帰したしね。オリヴァースは増援を出す余力もないみたいだから、ラキアスの兵を借りなきゃ」

「ラフェンサやジェイルは苦い顔をしてたわ」

「当初の作戦とはいえ、僕もあんまり力は借りたくないけどね。利用できるものは利用しないと」

「分かってるわよ。私も気持ちの整理はついてるわ」


ラキアスはいまや、セリナの仇そのものと言っていい。

これから来るラキアスの援軍が直接、アンドロマリウスの変に関係していないとは言え、複雑な心境に違いない。

いまや魔王として君臨したリーガル家の助力を得る。借りを作る、という意味を持つからだ。

死んでもごめん、と当初に吐き捨てるぐらいだったセリナだが、さすがに気持ちのコントロールはしているらしい。


「飛行部隊と切り込み部隊も補充はしたし、傭兵隊もナザック砦の兵を取り入れて大きくなったわね」

「うん。オリヴァース軍を補充できないのは残念だけど、合計で四百人以上にはなってるみたいだよ」

「それでも、ラキアスの援軍が必要なのよね?」

「……うん。実はこれ、ここだけの話なんだけどね」


奈緒が苦い顔をした。

ラキアスにまで助力を頼まなければならない理由がある。

もちろん、当初の約束という部分もあるから、今更いらない、とは言えないという意味もあるが。

それ以上に厳しい現実が目の前に広がっている。


「僕たちが以前に手に入れた情報だけど。蛮族は千人を超えてるって、話だったよね」

「戦える兵の数よね? ええ、そのはずだったけど」

「……古いんだ」

「え?」


ぼそり、と言った言葉には苦渋の色が見て取れた。

奈緒は苦笑いを浮かべながらも、憂鬱そうな顔を隠すことも出来ずに、言う。


「その情報、古いんだ。クラナカルタの前の魔王のときの話だったんだよ」

「……つまり」

「最新の情報を手に入れたんだよ、この前。敵兵の数はね……三千人を、超すみたいだよ……」

「さんぜ……!?」


あんまりな戦力差に言葉を失うセリナ。

討伐軍、440名。これは投降者を加えた数字であり、今後の義勇兵や傭兵の加入でもう少し多くなるだろうが。

蛮族軍、3000名以上。これはもはや、数の暴力といっていい。


「ナザック砦が落とされてから、魔王ギレンは徴兵令を出したみたい。オーク族、ゴブリン族の兵が続々と集まってる」

「ど、どうやって、そんな数を……兵士を食べさせてあげられるほどの余力なんて」

「ないね。クラナカルタは財政破綻してるから、オリヴァースに攻め入って物資を手に入れようとしていたみたいだし」


だからね、と困った顔のまま奈緒は続ける。


「僕たちから奪うことで、豊かな物資を手に入れようと号令をかけたみたいだよ」

「他力本願ね……」

「多分、僕たちが負けたらそのままの勢いでオリヴァースに攻め込む。負けられない戦いになるよ」


だからこそ、数の差を埋めるためにもラキアスの増援が必要となったのだ。

どんな奇策や名案があったとしても。

基本的に戦争は数の多いほうが勝つ。この基本だけは絶対に奈緒は忘れない。

こちらの数が多ければ多いほど、泥沼の戦いは減る。敵味方双方に死者が少なくなり、敵も戦意喪失するだろう。


「こちらの数が少ないことは、分かってるから。何とか作戦で勝利を収めたいところだけど」

「そうね……頑張りましょう」

「うん」


そこでラキアス援軍の話は終わったかと思った奈緒だが、ふと、セリナは首をかしげた。

今更何かに気づいたかのような仕草を見せると、少し真剣な表情を作った。

どうしたんだろう、と奈緒も同じように首をかしげると、セリナが答えた。


「ねえ、ナオ……ラキアスの援軍の指揮官って、どんな人なのかしら」

「え、どんな人って?」

「ええとね。あまり有名な人が来ると、私の顔が割れて、凄く大変なことになるんだけど……」

「……わっ」


確かにそれは盲点だった、と奈緒も同じように真剣な顔つきになった。

この状況で友軍の将に死んだはずのエルトリア家の一人娘がいる、という状況をラキアスはどう取るだろうか。

真実はどうあれ、エルトリア家はラキアスの国にとって王族殺しの大罪人だ。

もしもセリナを知っている人が従軍しているとしたら、兵力増強の前に討伐軍が空中分解してしまう。


「一応……辺境の一軍って話は聞いてるけど……」

「ナオ、何か考えてなかったの?」

「……うん。有名な将軍や貴族が来るとは思ってないけどね。そういう意味では大丈夫のはずだけど……」


アンドロマリウスの変。

エルトリア家が王族を皆殺しにし、そしてエルトリア家が処刑されたリーグナー地方の大騒動だ。

これによる反響や混乱は今現在も続いているため、有名な将軍やら貴族やらが来る可能性は低いだろう。

低いだろう、というぐらいで確証がないのが痛いが。


「いま、ラキアスとまで敵対はできない……セリナ、公の舞台に立ったこと、あったよね?」

「そう、ね……貴族の間だけでは、舞踏会にも出たことあるけど。軍部のほうにはまったく接点が無かったわ」

「じゃあ、大丈夫。と、考えとこう」


そうね、とセリナが返す。

どの道、ここまで来たら後は運に身を任せるしかないのだ。


「で、その援軍なんだけど。今日にはナザック砦に着く予定」

「……え、嘘?」

「いや、本当。こっちもあまり水とかの余裕ないし、ラキアスの援軍によっては一週間も持たないだろうから」

「だから、早く来てもらったの?」

「うん」


砂漠に囲まれているため、兵糧の輸送や水の補給がうまくいってない、とジェイルが嘆いていたのが記憶に新しい。

今のペースでは二週間ぐらい。ラキアスの援軍も加えれば一週間ぐらいだろうか。

早めの行動を心がける必要がある。

そして今日のラキアス軍との折り合いも付けなければならない。これが今日、一番重要な事柄だろう。


「で、彼らにも僕の指揮下に入ってもらわないと、困るんだよね」


ラキアスの援軍が『自分たちのほうが力が上だから』などと言って勝手な行動をしたり。

指揮を自分たちに委ねろ、と言ったり。そういうのは困るし、許されない。

援軍はあくまで援軍であり、総司令の交代などはあってはならない。

討伐軍は奈緒たちが主導になって行わなければ、今までの意味が無い。

最終的にラキアスの指揮で落とした、とされるのは論外だ。相手に大きな顔をされるわけにはいかない。


(どうするかなぁ……恐喝、あたりのカードは揃えておくかなぁ……)

(奈緒……すっかり黒くなりやがって……お兄ちゃんは、悲しい!)

(いや、誰がお兄ちゃんか、と)


心の中でいつもどおりの漫才を繰り広げながら、奈緒は思考の中へと落ちていく。

結局、午前中は奈緒に変わって龍斗が表に出て、ラピスに稽古を付けてもらうことになる。

セリナは些か残念そうだったが、ラピスをからかって反応を楽しむことにした。

そんなこんなで、ラキアスの援軍が到着するまでの間、各々は時間を潰していくのだった。




     ◇     ◇     ◇     ◇




「いよいよだね」

「……ええ」


首脳陣が、会議室に集まっていた。

奈緒を中心としてラフェンサ、ゲオルグ、カスパール、ジェイルの四人が円卓のようになった会議室のテーブルに座る。

ラキアスの相手のことを考えて、セリナとラピスの二人は顔を合わせないようにした。

残りの首脳陣が出迎えることになったのだが、なかなか相手が到着しない。


「遅いね」

「向こうさんも砂漠の旅に苦労してんだろうさ。そこはラキアスもオリヴァースも変わらねえよ」

「隊長は砂漠でも全力疾走してましたよね」

「オレは慣れてるからな!」

「体力馬鹿なんですね、分かります」


ゲオルグとカスパールの漫才は見ていて笑わせてくれる。

苦笑気味の奈緒は思考を巡らせながら、ラキアスの指揮官がどんな人物なのか、と考えていた。

大国の兵であることを鼻にかけるような人の可能性。

そんな人物が相手で、大人しくこちらの指揮に入らない場合は、残念ながらお帰りいただくしかないだろう。

もしくは、ラキアスとの対立が決定した瞬間に、いっそのこと指揮官を倒して軍を丸ごといただくことにするか。

などと物騒なことを考えていると、少しばかり奈緒は顔をしかめた。


「ごめん。ちょっと、顔を洗ってくるね」

「どうしました?」

「一度、再考したい。相手も遅いみたいだし、気分転換に水でも飲んでくるよ」


相手もナザック砦に入る前に、こちらとの面会を求めるはず。

知らせはすぐに入るだろうから、行き違いで相手を待たせてしまうことにはならないだろう、きっと。

午前中にゆっくりしていたとはいえ、何度経験してもこういう胃の痛い交渉ごとは苦手なのだった。

交渉そのものよりも、雰囲気が苦手なのだ。


そのまま会議室を後にして、ナザック砦で新たに取り付けられた手洗い場へと移動する。

あまり水が使えないとはいえ、最低限の生活は用意しなければ兵士たちも常時の力が出せないだろう。

シャワー室が欲しい、などといった陳情も受け取り、水魔法の使い手の力を借りて実現した。

おかげで水の補給がなくなったが、それもやむなしといったところだろう。

奈緒だって一日に一回は水浴びをしたい。女性陣ももちろん、当然の要求なのだった。


「ふう……」


水で勢い良く顔を洗い、滴る水をタオルで拭く。

魔界レメゲトンは何故か、かなりの確率で奈緒の世界の呼び方と同じ呼び方をされるものが多い。

タオルもタオルだし、水も水だし、シャワー室という単語だって最初に聞いたときは驚いたものだ。

元の世界と似ているために混乱しなくていいのだが、何だか不思議な感じがする。

まあ、日本語が基準になっているぐらいだから、これくらいは当たり前かも知れないが。


「申し上げます」

「え? あ、ああ、伝令の」


突然、背後からの声に驚く奈緒。

少し気が緩んでいたらしく、接近に気づかなかった。

龍斗でもいればすぐに気づけたのだろうが、今の龍斗は睡眠中だ。

戦争状態のとき以外は、こうして適度に睡眠を取ることに決めている。

いざというときに素早く行動できないからだ。身体を休ませる、という意味もあるから結構な割合で寝ている。


「ラキアスの援軍が到着いたしました。ナザック砦の外に軍勢を待機させ、指揮官が面会を求めております」

「ああ、ご苦労様。そっか……来たみたいだね」

「はっ! 会議室にお通しします、よろしいですか?」

「うん、頼むよ」


伝令に告げて見送ると、奈緒も少し足早に会議室への道を歩き始めた。

いくらなんでも待たせるわけにはいかない。それが最低限の礼儀だろう、と足を速めることにしたのだ。


「って……え?」


だが、そんな奈緒の足が止まった。

急いでいたはずなのだが、ひとつの光景を見てぴたり、と進めていた足を止めてしまっていた。

彼の視界の端に、見慣れぬ女性の姿を見かけたのだ。


胸元を大きく開き、スカート部分も足を大きく露出させている、という危ない服装の女性だった。


思わず、奈緒は息を呑んでしまっていた。

女性は歳、二十前半といったところだろう。身長は奈緒よりも僅かに高い。

大人の女性、といった感じだ。色の強い茶色の髪や青い瞳は日本人離れした美しさがある。

もちろん、日本人ではないので当然だろうが。この世界に日本人はいるんだろうか。


「え、あれ、ええ?」

「あらん?」


女性はふらふら、と砦の中を歩き回っていたようだったが、奈緒の姿を見て声を上げる。

立ち振る舞いや歩き方、それに声色などが目に見えない妖艶な雰囲気を醸し出していた。

ゆっくりと奈緒へと近づいていく女性。セリナやラピスのようなスタイルの良い女性が霞むほどの色っぽさがある。

彼女は細い左手の指に大きめの黒い帽子を掴みながら、残った右手を奈緒へと伸ばした。


「可愛いボウヤね。あなたもここの兵士さんかしら? お姉さんは守備範囲?」

「えっ、ええ? えええ!?」

「あらあら、慌てなくていいのよ? そうしているボウヤも可愛いのだけどね」


右手の細い指が奈緒の黒髪を撫でた。

何だか妙な気恥ずかしさで混乱する奈緒。基本的に女性から攻められるのは弱いのだ。

女性の姿が目の前に来ることで、豊満な胸の谷間が奈緒の視界いっぱいに広がる。

ぶっ、と吹き出しそうになるのをどうにか抑えるのが精一杯の奈緒だが、女性は続ける。


「それで、ね? ボウヤ、これから時間ある? お姉さんとイイコト、しない?」

「なっ……い、いや……えっと……!?」

「ふふっ、初心ねえ。そういうとこ、好感度高いわよ?」


凄まじく危ない発言に身も心も別の意味で凍らせながら、冷静な思考で奈緒は考える。

目の前の女性の正体について、だ。

どう考えても今までナザック砦の戦いに従軍していたとは思えない。さすがの奈緒でも気がつく。


(誰だ、ナザック砦に娼婦っぽい人を招きいれたのは!)


戦争に従軍慰安婦なる者の存在も、奈緒の中にも知識として残っている。

基本的にそういうことが嫌な奈緒は出来る限り、そちらには目を向けなかったし、報告書にも記されたことはない。

ジェイルあたりが処理したのだろうか。重要ではない書類のなかにそんなものでも混ざっていたのだろうか。

戦争の汚い部分を目の当たりにした奈緒が戦慄に震えていたが、女性は気づくことが無い。


「ほらほら、おいでなさい。ここを見回っていて気づいたけど、ちょうどいい死角を見つけたから」

「い、いやいやいや! 僕、これから用事が!」

「サボっちゃいなさい。女に恥を掻かせるものではないわよ、ボウヤ?」

「時間があるかどうかの前振りは!? 一応聞いただけなの!?」


どうしよう、このままでは取り返しのつかないことになる気がする、と奈緒は冷や汗をかく。

女性のほうはと言えば相変わらずの妖艶さを見せ付けながら、あの手この手で直を誘惑してくる。

ここまで積極的な行動に出られたことがない奈緒は、断る方法も分からずにうろたえた。


「もう、つれないわねえ、ボウヤ」

「す、すいません……」

「じゃあ、ここでもいいわ。誰かに見られてもうまく言い訳してね?」

「もっとダメだよ! 様々な意味で取り返しつかないよ!?」


ダメだ、この人。早く何とかしないと、と思わず心の中で呟く純情少年。

こんなときこそ龍斗の出番なのだが、どういうわけか女性関連での大ピンチのときこそ、龍斗がいない。

ある意味、戦場以上にこの場面で龍斗ほど頼りになる人はいないというのに。

何度か呼びかけてみるが、返事はなし。

そうこうしているうちに女性の白い指が、奈緒の胸を這っていき、不思議な感触に飛び上がった。


「うひゃあ!?」

「良い声よ、ボウヤ……もっと楽しませてね、ふふ……」


まずい。

これはまずい。

何故だか凄い危険だ。

甘美な毒を染み込まされていく。

麻薬のような快楽と危険の混合した雰囲気が支配していく。

うわあ、もうこれ、どうしたらいいのー! と周囲に助けを求めようとして見渡して女性の後ろを見て。



そこに、セリナが壮絶な表情を浮かべながら立っていた。



彼女には待機を命じていたはずだが、どうやら同じように顔を洗いに来たらしく、タオルを片手に持っていた。

ちょうど奈緒の後ろが手洗い場なので間違いないだろうが、今の彼女の表情は今まで見たことが無い。

一言で言うなら、怒り心頭、といったところだろうか。

親の仇を目の当たりにしたときの表情と、信じられないと呆然としている表情が混ざり合ったような、複雑な顔だった。


「うわああああああああっ!?」

「わお」

「…………」


思い切り飛び上がって退避する奈緒と、大して気にしていない様子の色っぽい女性。

セリナは鋭い視線を女性へと向けていたが、一瞥だけに留まった。

それだけに奈緒に対する怒りが本人へと向けられる。


「……ナオ」

「は、はい」

「私の記憶が正しければ、今頃は会談中のはずよね。今後のことを考えて真剣になるべきところよね」

「そ、そうですね……」


思わず敬語になるのも致し方ない、と奈緒は訴えたい。

自分よりも僅かに背の低い少女の剣幕は凄まじいものがあって、許されるなら土下座してでも許しを請いたい。

何に対して謝ればいいのかも分からないが、ここは謝っておくのが正解のような気がした。

それでも、こういう場面に限って頭が働かないのが狩谷奈緒という人物だったりする。


「ナザック砦を落としても、まだまだ戦況は引っ繰り返らないから、ここが正念場って時期なのよね?」

「う、うん……」

「で、ある意味一番大切な会談があるってのに……あなたは、こんなところで、なにを、しているの?」


怖かった。

凄く怖かった。

一語一語、区切っていくのが更に拍車をかけている。

ガクガクブルブルと今までに無いほどセリナという少女に恐怖を覚える奈緒。ここまで彼女は怖い人だっただろうか。

と、そこで今まで傍観していた露出の激しい女性がクスクスと笑い始めた。


「あらあら。喧嘩はだめよ、お嬢ちゃん。ボウヤ、困ってるじゃない」

「そもそもあなたが何なのよ! あなたは誰! どうしてこんなところにいるのよ!」


キシャアー、と威嚇でもしそうな剣幕のセリナだが、女性は涼しい顔をしている。

僅かに苦笑いにも似た表情を浮かべているが、基本的には彼女の平静さは変わらないように見えた。


「お姉さんから見たら、それはこっちの台詞でもあるのだけどね。ここは戦場のはずでしょ?」

「そうよ、それがなに?」

「うーん、むさい男だらけかと思ったし、そういう部分もあったんだけど……ボウヤといい、お嬢ちゃんといい、ねえ」


どうやら、彼女の中にあるイメージの戦場と目の前の光景がいまいち一致しないらしい。

確かに奈緒の立ち上げた討伐軍は首脳陣の半分くらいが女性、という華のあるメンバーではある。

奈緒自身もたまに女に間違われるくらいの顔立ちで、しかも童顔だ。

指揮官はおろか、兵士にも見えづらい奈緒も含めて、どうしてこんな子たちが戦場にいるかどうかの理由を考えて。


「もしかして、慰安婦さん、ってオチかしら?」

「殺すわ」

「ま、待って待ってセリナ! ほら、このお姉さんキョトンとしてるから! 嫌味じゃなくて天然だから、きっと!」

「は、離してナオ! 今の台詞は私の誇りを傷つけたの!」


ばたん、ばたん、と暴れそうになるセリナを何とか奈緒が羽交い絞めにする。

炎や風の魔法を使えば刃傷沙汰にでもなりかねないが、そこまでの暴走はしないのが救いだった。

一方の女性のほうも過失に気づいたのか、少し申し訳なさそうな顔で謝ってくる。


「ご、ごめんなさいね。いくらなんでも失言だったわ、許して」

「ほ、ほら、謝ってるし! セリナ、落ち着いてね?」

「あ、あなたはどっちの味方なの、ナオ!」

「お願いですから落ち着いて! ね、ほら、話も進まないし! 僕も急いで会談に戻らないといけないし!」


今頃、ラキアスの指揮官は会議室で待ちぼうけを食らっているだろうか。

凄く良くない状況なのだが、さりとてここで二人を放って会議室に向かうわけにはいかない。

どうしたものか、と頭を悩ませていた奈緒だったが、女性が首をかしげて言う。


「あら、会談って首脳会談? ナザック砦の?」

「そうよ。ナオは、それに、出席している……はず、なのよね? そのはず、なんだけどねえ……?」

「ほんとにどうしちゃったのセリナ!? ナザック砦の指揮官よりも怖いよ、今のセリナ!」

「知らないわよ、馬鹿!」


大人しくなるセリナだが、ふんっ、と腕を組んでそっぽを向いてしまった。

彼女の扱いにどうすればいいか分からない奈緒だったが、自分に出来ることはない、と判断を付けることにする。

怒っている理由が良く分からないのだ。

何となく、このフェロモンたっぷりの女性に誘惑されていたことが気に入らないのか、という気がしたのだが。


「あらあら。それじゃ、一応偉いのね、ボウヤ」

「う、うん。一応ね……でも、相手を待たせるわけにはいかないし、もう行かなくちゃ」

「そうねえ。お姉さんにも原因あるし、一緒についていってあげるわ」

「はあ!?」


驚愕するセリナと、ついでに奈緒だった。

これからの対談はラキアスの指揮官との、緊張感漂う会談になるに違いない。

そんな状況で得体の知れない露出狂のような女性が、『お姉さんのせいで遅くなったのごめんなさい』などはない。

究極的な意味で会議は紛糾するだろう、色々な意味で。


「い、いや。すごく、遠慮したいんだけど」

「あら、どうして?」

「無関係だし、場違いだし、色々な理由が挙げられるけど……」


更にはセリナの視線がますます強くなっていくのが要因のひとつなのだが、さすがにそれは口に出さない。

それすらも予見するように、ふうん、と見透かすような笑みを浮かべた。

口を開いた彼女は、成熟した悪魔の囁きに似ていた。


「無関係じゃないわよん。お姉さん、ラキアスの関係者だもの」


時間が、止まった。

緊張感を含んだ周囲の空気が、別の意味を持って重くなっていく。

奈緒にとってもセリナにとっても寝耳に水、といった具合の言葉に身体が強張った。


「え……?」

「今はお姉さんの部下が会議に出席してるはずよん。遠征軍の参謀さんが、ね?」

「参謀が、部下ってことは……」


嫌な予感がした。

参謀といえば立派に首脳陣の一人だ。

奈緒たち討伐軍から見ればジェイルの立ち位置であり、参謀を部下呼ばわり出来る者は一人しかいない。

つまり、目の前の女性が。危うい雰囲気を漂わせる、この女性が。


「ラキアスの援軍の司令官が、あなた?」

「ほらほら。あなたたちの司令官を待たせるわけにも行かないでしょ? 会議室に案内しなさいな」

「…………ああ、うん」


予想の斜め上を行く意味での手強さを感じ取って、奈緒は閉口する。

セリナは口をパクパク開けて何かを言おうとしていたが、言葉は搾り出せないらしい。

ともあれ、確かにこれ以上待たせるわけにもいかないので、女性の案内をしながら会議室へと戻るのだった。


「…………むうっ」


背後からのセリナの機嫌の悪そうな声が届く。

後が怖いなぁ、と密かに奈緒は溜息をつくと、出席予定ではないセリナを置いて廊下は進むのだった。




     ◇     ◇     ◇     ◇




「というわけで、お姉さんが悪かったわん。ごめんね!」

「…………」

「……」


会議室に冷たい沈黙が訪れたのは言うまでもない。

ゲオルグ、カスパール、ジェイルの男性陣は現れた色気たっぷりの女性の姿に呆気に取られていた。

スタイルを強調するような服装というか、もはや水着に近い感覚かも知れないなぁ、と奈緒は人知れず思う。

奈緒に向けて冷たい視線を向けているのは、参加している奈緒側の首脳陣唯一の女性であるラフェンサだ。


「ナオ殿……」

「……なに?」

「顔を、洗いに、行ったのですよね?」

「ボウヤには楽しませてもらったわん」

「…………ナオ殿」

「やめて! 誤解を招く発言はやめて! ラフェンサもお願いだからそんな目をしないでよ!」


何となく奈緒の評価が下がっていくような気がして、みぎゃあー、と奈緒は頭を抱えた。

その反応こそが女性を楽しませているのだと気づくことは出来ない。

一方、円卓の席の向かい側に座っている蒼い髪の女性がいる。

眼鏡をかけた背の高い女性は、鉄の女、というイメージのつきそうなほどキリッとした態度のまま、告げる。


「マーニャ。あなたという人は」

「え、ええっと、ユーリィ? 説教は止めて欲しいなぁ、とお姉さんは思うのよ。だって仕方が無かったのよん」

「今の話を統合して。何処に。仕方が無かった面があったのか。わたくしには理解できませんが」

「可愛い男の子を見たら、誘惑しちゃうのが女のさがでしょん?」

「違うと。思います」


マーニャ、と呼ばれる妖艶さを振りまく女性。

彼女がラキアス軍の援軍の司令官にして、地上部隊三百人を率いてきた将の一人だという。

そのマーニャがユーリィ、と呼んだ女性のほうも歳の程は二十代前半。

上司と部下、という間柄よりはゲオルグとカスパールのような関係にも見える。


「それで軍の司令官はどちらさまかしらん。そちらもダンディなオジサマ? それとも、意外性のお嬢ちゃん?」


ダンディなオジサマ、と呼ばれたゲオルグは手を振って否定した。表情は苦笑と言っていい。

意外性のお嬢ちゃん、と呼ばれたラフェンサも静かに首を一度、横に振った。

何気なく、マーニャはカスパールやジェイルにも視線を向けてみるが、彼ら二人も首を振って否定した。

あれえ、と疑問を抱くマーニャは、ユーリィの対面に座るべき存在を探す。


「それじゃ、まだ来てないってことなの? あはん、ラッキー。会議の遅延行為にはならないわねえ」

「…………」


奈緒は無言のまま、ユーリィの対面へと座った。

円卓の席の十二時と六時の方向に座る討伐軍代表と、ラキアス援軍の代表。

マーニャが目を丸くするのを見て、奈緒は僅かに溜飲を下げる。


「それじゃ、会議を始めようか。理由は先ほどのとおりだけど、待たせてしまって申し訳なかったね」

「いいえ。こちらの責任もあることですし。これから協力していくなかです。ご心配なく」

「え、嘘? ボウヤがナザック砦攻略の総司令?」

「うん」


子供じみた仕返しに成功した奈緒は、僅かに表情を緩めてから立ちっぱなしのマーニャへと席を勧めた。

マーニャは促されるままにユーリィの隣に座りながらも、混乱した様子で言う。


「え、でも、ナザック砦を陥落させた総司令ってことでしょ?」

「うん。一応、僕の指揮だけど……」

「……マジ?」

「マジ」


彼女の中でのナザック砦陥落の総司令殿は、どうやら違ったらしい。

何か新種の獣を見るような目でマーニャは奈緒を見つめていたが、ユーリィの視線は逆に厳しいものへとなっていった。

ラキアス参謀の一人を見据え、改めて自己紹介をすることにする。


「討伐軍総司令、ナオ・カリヤです。こちらは右から……」

「オリヴァース遠征軍の将、ラフェンサ・ヴァリアーです」

「んで、オレは傭兵部隊長、ゲオルグ・バッツ。こっちは、副隊長のカスパール・テルシグだ」

「わ、私は参謀のジェイル・コバールと申します」


それぞれが頭を下げる。

奈緒はこちらの紹介を終えると、まずは言葉を紡ぐ。


「もう二人。飛行部隊と切り込み隊の隊長がいるんだけど。ナザック砦の見回りをお願いしてる」

「ご丁寧に。ありがとうございます」

「それで、そちらの自己紹介はしてくれないのかな?」

「これは失礼しました」


抑揚のない声には、一切の感情の色が込められていない。

参謀の彼女は交渉ごとが上手そうだ、と奈緒はそんなイメージを抱いた。

なんというか、社長秘書みたいな仕事で、スーツ姿でピリッ、とした感じ。ユーリィは一礼すると、口を開く。


「ラキアス軍、参謀のユーリィ・クールーンです。こちらが司令官のマーニャ・パルマー」

「よろしくねん?」

「見てのとおりの色情魔ですので。主にナオ様は是非とも注意を。同性のわたくしから見ても。危険です」

「…………う、うん、ありがとう」


どうして名指しで注意を受けるんだろう、とか。

色情魔という言葉をまったく否定しないのか、とか色々どうでもいいことを思ってしまう奈緒だった。

僅かに弛緩した空気に頬を緩ませてしまうが、ラフェンサの咳払いでその雰囲気も霧散する。

どうしてもマーニャの大胆な服装が気になる。目のやり場に困りながら、奈緒は語る。


「で、早々で悪いけど、このナザック砦は五百人までしか兵が入らない。君たちの軍、三百を全員は入れられない」

「何とか確保して欲しいところです。傭兵たちは外で野営させてほしいのですが」

「ゲオルグ、意見は?」

「問題ねえな。元々、部屋に住まわせるほうがおかしいんだよ。オレたちは外で野営が性に合ってら」


ふむ、と奈緒は一考する。

ラキアスの目もある以上、傭兵たちを砦の中に入れてラキアス軍を入れないというのは冷遇になるだろう。

ゲオメグもそうした立場から、進んで損な役割を選んだに違いないだろう。

こっそりと牛頭の親父に感謝しながら、ゆっくりと首を縦に振った。


「分かった。今日中に傭兵たちに陣を作らせるよ。それぐらいの時間はいいかな」

「……ええ。ご配慮。感謝いたします」


ユーリィの口調は若干、重い。

傭兵風情にいちいち確認を取る、という行為が侮辱行為に感じているのかも知れない。


「それじゃ、今後のことについて話し合うけど。いいかな」

「はい」


どうやら、この会談も一筋縄ではいかないらしいな、と奈緒はこっそりと考えた。

奈緒の勝利条件は援軍も自分の指揮下に入ってもらうこと。相手の勝利条件は分からない。

手探りの状態の中、交渉ごとが続くのだった。





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