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第32話【縁の下の力持ち】



こんにちは、ジェイル・コバールです。


戦闘に参加しない後方支援という役割を拝命しました、クィラスの町長です。

誰だっけ、と仰る方が半分ぐらいの気がしますが、涙はそっと隠して今日も職務をこなさせていただきます。

戦いに登場しないので、あんまり役に立ってない男、などという異名を受けています。

率直に言って悲しいです。縁の下の力持ちを甘く見てはなりませんぞ。

私たちのような者がいるからこそ、皆が安心して戦えるということを、もっと知っていただきたく、本日は筆を取りました。


ああ、帰らないで帰らないで。ただでさえ少ない出番ですのに!


こほん、話を戻しましょう。

私たち後方支援や参謀の役割は多彩に渡ります。

戦が始まる前には必要物資を輸入し、傭兵たちを集め回り、住民の避難を完了させました。

クィラスの町は少し前まで、討伐軍の兵士たちで埋め尽くされましたね。

町民たちの避難と、傭兵に対する賃金の相談と、水や食料などの物資補給。それらも私の仕事です。

ほら、戦争ってお金がいるじゃないですか。持っている資金と相談しながら戦う準備を整えていくんですよ。


いやいや、そんなの興味ないとか言わないでください、お願いですから!


分かりました、説明していっても要領を得ませんね。

ここは私の実体験を振り返りながら、参謀の仕事を見ていただきましょう。

私、ジェイル・コバールの苦労の一端を垣間見てくれれば幸いです。




     ◇     ◇     ◇     ◇




ナオ様に従って討伐軍に従軍し、ナザック砦を陥落させてから一日が経過しました。

私、ジェイル・コバールはナザック砦の見張り台に立っています。

隣には恐れ多くもオリヴァース国王の妹君、ラフェンサ様の姿もございます。相変わらずお美しい。

印象的な二重まぶたと、穏やかな物腰に高い教養の持ち主です。

戦いとなれば飛龍を駆って勇猛果敢に戦い、政治となれば知識を持って人々を導く、オリヴァースの女神ですな。


「また、ここにおいでになっておられるのですか?」


私は見張り台に興味はなかったのですが、ラフェンサ様のお姿を発見したので声を掛けに来ました。

一介の町長風情に過ぎない私ごときが、王族であられるラフェンサ様に話しかけるのは本来、褒められません。

ですが、今は同じ蛮族討伐軍の首脳、という立場。

最初は変に遠慮していた私ですが、ラフェンサ様の寛大なお心により、親しく話しかけられるようになりました。

密かに感無量なのは内緒です、はい。


「……ええ、ジェイル町長。ここからの眺めは、父の悲願でもありましたもの」

「先代魔王陛下ですな……ええ、先代もナザック砦には、苦渋を舐めさせられた、と聞き及んでいます」

「そうです。ナザック砦……オリヴァースの悲願とされた、難攻不落の要塞……」


感無量なのは、ラフェンサ様も同じなのかも知れません。

オリヴァース魔王のヴァリアー家が、何千もの命を費やして陥落させようとした砦です。

一面に広がるのは砂漠ばかり、という荒れ果てた光景であったとしても。

やはり、一族の偉業を果たすことができた、という喜びが王妹殿下のなかにもあるに違いないでしょう。


「しかし、長丁場になる、と覚悟していましたが……」

「一週間もかかりませんでしたね……」

「ジェイル町長。何だかわたくし、少し自信を無くしてしまいそうですわ」


くすくす、と困った顔をしながら顔を綻ばせる王妹殿下。

見ていてとても安心する、人を安心させる笑み。これこそがラフェンサ様が女神と呼ばれる理由やも知れませぬ。


「事実、水不足で一週間も持たないことが分かっていました。短期決戦しかなかったのですが、よくもまあ」

「今までのオリヴァース軍の戦いは何だったんでしょうね、ふふ」

「ラキアスは、面目丸潰れ、といった具合かも知れませんな」

「まあ、怖い。あの大国には睨まれたくないところですが……さて、どのような手段を打ってくるか」


大国ラキアス。

魔界大陸の北に位置するリーグナー地方の、大半を手中に収めた大国家。

数ヶ月前にアンドロマリウスの変が起こり、王族が公爵家に皆殺しにされ、公爵家も全員処刑されたという話。

私も知らせを受けたときは衝撃を受けました。

今は新しい王族として、侯爵のリーガル家が魔王となったと伺っていますが、どのような対応を取ってくるでしょうか。


「ラキアスの援軍の件、どうなっていますか?」

「は。ナオ様のご指示で援軍催促の伝令を送っていますが……正直、私は気が進みませんな」

「それはやはり、介入の可能性ですね」

「は、ラキアスも当然の報酬としてクラナカルタ領地を求めてくるでしょう」


だから本来ならラキアスの力など借りずにクラナカルタを打ち砕くべきなのですが。

それが出来たら苦労はしません。ナオ様の考えには当然、理由があります。

ナザック砦を落としたのですが、死者と負傷兵を合わせるとやはり、結構なダメージが残ってしまいました。

敵将のベイグも取り逃がした、と聞き及んでいる以上、まだまだクラナカルタには力があります。

オリヴァース国に援軍要請をしているのですが、地力の差では残念ながらクラナカルタのほうが上でしょう。


「ですが、やはりラキアスの助力なしには……わたくしたちの力だけでは、どうにもならないときがあります」

「そう、ですね。ナザック砦を陥落させたとはいえ、地図から見れば戦いは始まったばかりです」

「クラナカルタの首都、城塞都市メンフィルはもちろんですが……それよりも前にも、障害があります」


物憂げな表情を見せる王妹殿下。

このクラナカルタへと兵を配置するだけでも、クィラスの町を初めとしたオリヴァースの安全は確保されています。

これ以上の戦いは無益ではないか、とする声も国内ではあがっている、とされていますが。

どうにも、きな臭いですな。これは私の考えすぎでしょうか。

と、そんなことを考えてしまう私を見て、ラフェンサ様が僅かに首をかしげながら口を開きました。


「ジェイル町長。お仕事のほうは大丈夫ですか?」

「は……? お、おお! そういえば!」


仕事が、たんまり残っているのでした。

戦いは苦手な私ですが、それだけに回される細々とした仕事の数の多いこと、多いこと。

時間は二十四時間でも足りません。

急いで仕事に取り掛かればなりませんでした。ついつい、滅多に機会のない王妹殿下との会話に夢中に。


「それでは、私はこれで! ラフェンサ様も風に当たりすぎて、体調を崩されぬよう」

「ふふ……ええ、ありがとう」


私のような貴族でもない一介の町長にも礼を尽くす、そんな姿が素晴らしいです。

少し得をした気分になりながらも、私はナザック砦に設けられた執務室へと向かうのでした。




     ◇     ◇     ◇     ◇




「ううむ。何という報告書の暴力」


執務室に入った私が唸ってしまうのを責めないでいただきたい。

町長時代で多少の耐性が出来ているとはいえ、これほどの圧倒的な理不尽を前にしたら気力が削がれます。

ナオ様が私のために用意してくださった、ジェイル・コバール専用の執務室。

内容は机と椅子、それに本棚と私が持ってきた芸術品がいくつか。

昔に比べれば多少質素ですが、他ならぬ総司令のナオ様の部屋が、同じぐらい質素ですからな。


「触ったら、崩れそうな気がしますが……」


で、私を辟易させているのは机の前にどっさりと置かれた紙の山です。

これら全部が報告書の類ということで、私はこれから、これら全部に目を通さなければなりません。

前衛芸術のように不自然に積まれた紙の束を見ていると、凄く逃げたい気分になってきます。

何事もなかったかのように扉を閉め、ナオ様からいただいた執務室を今後一切、封印したい衝動に駆られます。


「失礼。ジェイル殿、おられますか?」

「その声は……ラピス殿ですか?」


諦めて部屋に入った直後、閉めたばかりのドアからラピス殿の声が届きました。

エリス・セリナ様の従者で、切り込み隊長ですね。

ナザック砦での戦いでは途中に戦線を離脱した、ということで非常に心配をしたことを覚えていますが。

一日経った現在、彼女は問題なく一日を過ごしております。


「どうぞ。……おお」

「追加の書類です。皆が手一杯、とのことでしたので、それがしが」

「ご、ご苦労様です……机の上……は、一杯ですので、床に置いてください……」


ラピス・アートレイデ殿は人間だ、というお話を伺いました。

我々魔族は私も含め、基本的に人間という種族は苦手です。その人となりがどうであろうとも。

私も当初はラピス殿の存在をどのように扱うか、ということで距離のとり方に苦労をした覚えがありますが。

魔族のエリス様の忠実な従者、としての姿を見るたびに、そのようなことはどうでも良くなってまいりますな。

現にラピス殿は心無い誹謗中傷を受けても、まったく気にしません。慣れているのでしょう。


「どれどれ。『水の補給は砦から何とかしましたが、それでも二週間持つかどうか』……ですか」

「こちらは『負傷兵は本国に帰すべきか否か』……という内容のようですね」

「……ナオ様に伺いを立てる必要がありますね、負傷兵のほうは」


本来なら、指揮官であるナオ様がひとつひとつ、これを見て決めていかなければならないのでしょうが。

残念ながらナオ様の仕事はそれだけには終わりません。

総司令として、軍師としての仕事もナオ様の背中に圧し掛かっているのです。このうえ、雑務まではこなせません。

私のような参謀にできることは、こうした細々な事情を少しずつ解決していくだけ。

もっとも、くだらない要望のようなものが、大部分なのですが。


『ナザック砦が破損とかとは別の意味で汚い。掃除してくれ』


気になるところがあったら、自分で片付けてください。

戦場にわざわざ遠征してくれる清掃員などおりませんので。確かに蛮族たちが好き勝手にやってて汚いですが。

シーマの実が丸ごと腐って捨ててあったときの悪臭は忘れません。


『シャワー室を作ってください』


ここに永住するつもりですか、あなたは。

確かに女性の方々は気になるでしょうが、確認しておきます。ここは戦場なんです。

ただでさえ、水の補給に四苦八苦している状況を鑑みてください。

水浴びの場所を作る代わりに、明日から自分が飲む水が無くなってしまう、ということを考えてくださいね。


『死体の片付けや破損箇所の補修が、とても辛いです』


気持ちは分かりますが、我慢してください。

亡くなった方々はしっかりと供養をしなければなりません。

ナオ様は亡くなった敵味方の兵士たちのために、何らかの葬式を行いたい、と仰っていました。

今は時間も余裕もありませんが、戦争が我々の勝利で終わった暁には、是非とも供養してやりたいですな。


「……かなり、大変ですね」

「ええ、まあ。私にはそれぐらいしか出来ませんからな」


自慢にはなりませんが、私はあまり強くありません。

身体の動きならばゴブリン兵にも負けるぐらいですし、魔法も水が日常生活で困らない程度、というもの。

水魔法でこっそり、と水を補給しているのをお手伝いするのが現状です。

この討伐軍、実は氷使いはそれなりに多いのですが、水魔法の使い手はかなり少ないです。

だからこそ、水の確保にはかなり神経質になっているわけですな。


「では、よろしくお願い致します。それがしはお嬢様のところへ」

「ええ、分かりました。……ところで、以前から気になっておりましたが……」

「なんでしょう?」

「お嬢様、ということは……エリス様は、何処かの貴族のご令嬢だったりするのでしょうか?」


聞いていいことなのかどうか、私には判断がつきかねましたが。

案の定、ラピス殿は少し困った顔を見せました。


「ええ、まあ。家を出てしまいましたが」

「左様ですか。いえ、余計な口を出してしまいましたかな」

「いえ。それでは、失礼いたします」


礼儀正しく、きびきびと。

まさに従者の鏡というべきお方ですな。人間であることを忘れてしまいそうです。

桃色の長い髪をはためかせ、ラピス殿は執務室を後にしました。

残ったのは机の上だけでなく、床にまで広がった書類の山々。まさに圧倒的な光景です。


「さて」


私の仕事に、移らせていただきましょうか。

全体的に目を通し、まずは三つの区分へと分けます。

『重要書類』、『私でも処理できる書類』、『陳情決裁用の書類』の三つです。

第一にこれらを分けていかなければ、とても仕事にはなりません。


(負傷兵などの軍部関係は、重要書類ですな……)


戦争をしていく上で、兵力などの関係は私のような一参謀が勝手に決めていいことではありません。

援軍の要請、負傷兵の本国帰還について、新しく雇う傭兵や、共に戦ってくれる義勇兵、そして投降した兵の処理。

ナオ様が軍師として彼らの戦力を当てにした参戦を考えます。

基本的には軍部関係はナオ様が総指揮を執っておりますので、ここは後で纏めてナオ様に目を通していただきます。


(兵糧や資金の輸送、討伐軍の資産から軍で使用する必要経費の計算は、私で十分……)


むしろ、私の仕事はこうした細々としたことで討伐軍が空中分解しないようにすることにあります。

資金や兵糧は兵士の数以上に重要な要素であることは言うまでもありません。

オリヴァースの各町からの援助。

クィラスの町、ミオの町などの近場から兵糧や武器、防具を買い求め、それで充実させていく必要があります。


(おっと、これは商人からの陳情ですな。重要重要、と)


陳情とは兵士たちや商人からの要望のことです。

長い期間、ここで働くということにもなれば生活していくうえで必要なものがいくらでも増えていきます。

砦の構造上、この砦には五百人までしか兵が入れないとのこと。

現在の討伐軍の兵たちは約三百人ほどですが、負傷兵の放出や傭兵や投降兵による補充を考えるとギリギリです。

考えることが多すぎて頭が痛くなってきます。


ちなみに、ナオ様の下に送られる書類は十分の一ほどです。

つまるところ、九割の書類が私が解決すべき問題ということでして。

お願いですからもう一人ぐらい参謀を派遣してください、と私も重要書類の中に自分の意見を入れておきたい。

そんなこんなで手分け作業を一時間ほど続けます。この時点で集中力が切れます。

それでも残った九割の書類をひとつひとつ片付けていきます。


「ぶつぶつ……ぶつぶつぶつ……」


小さな呟きが口の中に何度も何度も。

一枚は三分ほどで終わるのですが、机の上に報告書は百枚など優に超えています。

何時間も机の上に座って無心に作業中。

二時間、三時間、四時間……五時間を過ぎた頃でしょうか。

思い返せば、とても精神状態が危うかったかも知れません。何だかこのあたりの記憶が皆無です。


「………………」


ふっ、ふふ。

何だか目の前がぼうっ、としてきました。

飾り気のあまりない部屋の中に、何だか河が流れているように見えます。

向こう側の対岸には花畑が。

ああ、凄く、綺麗だ……ふふ、ふふふふ……あっちにいったら、辛いことから解放されそうな気がします。


ふらふら。

ふらふら、ふら。

ふらふらふら、ふらふら。


「…………ジェイル。休暇が必要かな」

「……そ、そうね。少し彼に頼りすぎていたかも知れないわ」

「はっ!? わ、私はなにを!?」

「窓から飛び立とうとしてたよ、ジェイル……ええと、書類を、取りに、来たんだけど……」


ふと気づくと、総司令のナオ様と飛行隊長のエリス様が部屋の中にいました。

我に返ってみれば、窓を開けて大空へと飛び立とうとしていた私でした。

どうやら、精神的に追い詰められていたらしいです……はい。

凄く可哀想な目で見るお二人の視線が痛い。痛いというか、居た堪れないというか、辛いです。


「……僕も手伝うよ、ジェイル。だから頑張ろう。まだ、何もかも投げ出すのは早いよ」

「い、いえ、別に命を捨てようと思ったわけではありませんよ?」

「うん、そうだね。ジェイルの苦労をもっと僕は知るべきだったね。ごめん」

「え、私の言葉は一切スルーですか?」


そんなこんなで雑務終了。

ちょっとしたトラブルはありましたが、九割の雑務は片付きました。

残りの一割はナオ様に手渡し、協議を行ったうえで決定することになります。

今日の仕事は終了です。


「……これを、毎日続けてるんだよね?」

「慣れれば大したことはありません」

「うん、慣れる前にノイローゼになってたよね。ジェイルは悪魔族だから翼とかないし」

「落ちたらさすがに怪我するわよ?」

「うぐっ……で、ですが、ご心配なく。あんなことは稀ですから」

「初めてじゃないんだ!」


執務室での一幕でした。

私の一日はこれがしばらく続くことになるでしょう。

四時間から五時間ほど、机の上で同じような作業を何度も何度も何度も続けていくのです。

たまに自分を見失いかけることがありますが、まあ大したことではありませんね。


余談ですが。

この日から真剣にナオ様がもう一人の参謀を考え始めたそうです。

お優しいお方ですね、本当に。




     ◇     ◇     ◇     ◇




夜。

私がもっとも頭を抱える時間と言って過言ないです。

千の軍勢も万の書類地獄も、ある意味ではこれよりも遥かに楽な戦いとなるでしょう。

篝火かがりびが焚かれるなか、凄く煩い咆哮が聞こえるのです。


「がはははは! おらおら、オレに勝てるものはいねえがぁああ!」

「隊長。我々は隊長とは違って、前世も魔族ですから」

「オレの前世は違うのかよおおおおお!?」

「ええい、またですか! いい加減にしてください、ゲオルグ傭兵団長!」


私は何故か半裸で砦の門の前に仁王立ちする変態ゲオルグの元へと走ります。

明日に備えて眠らなければならない時刻だというのに、兵士たちの陳情の原因となっている元凶に注意です。

何しろこの牛頭、夜な夜な相撲大会などという分けの分からない遊びをやっているとのこと。

スモウ、とは何なのでしょうか。見た感じ、武器を使わずにお互いを円の外に押し出す遊びのようですが。


「おう、ジェイルか! テメエもやるか、男の勝負だ!」

「やりませんよ! 何ですか、この死屍累々の有様は! 兵士たちからも騒がしいと苦情がですね!」

「親睦会だ!」

「分かりません、そのノリが! ほら、このゴブリン族の人なんて、私の足を引っ張って助けを求めていますよ!」


倒れているのは、確かナザック砦で内通したゴブリン兵たちですね。

ロダン、サハリン、グリムと言いましたか。他の投降者、約百名以上が傭兵団に組み込まれています。

我が軍はオリヴァース軍が百五十名、傭兵団も二百名ほどに膨れ上がりました。

傭兵団のほうには負傷兵も多いのですが、彼らは戦うのが仕事ですので、無理に戦うといって聞きません。


「た、助けてくれ……化け物だよ、この親父……」

「ミノタウロス族ですからね、この筋肉馬鹿は」

「っていうか、何で俺は軍に組み込まれてんだよ……謝礼としてシェラと何十セルパか、貰ったってのによぉ……」

「シェラが売りに出されるまで一文無しだからでしょう」


ぐはっ、と何かを吐き出すような声を上げて倒れるロダン青年。

どうやら傭兵団に入団した記念、らしいのですが、早速ヤキを入れられている状態でしょうか。

そもそも、スモウ、などという分けの分からない勝負など、一体誰が考え付いたのか、と溜息をついて。


観客の中に私たちの総司令がいました。


黒髪に幼さの残る顔立ちと、赤い瞳。

何らかのスイッチが入ると、なのでしょうか。たまにナオ様の目の色が緑だったり、赤だったりします。

なんというか、そのときのナオ様は別人のようです。


「よう、ジェイル。楽しんでるぜ」

「なんでこんなところで寛いでるんですか!?」

「いやぁ、相撲を教えてやったんだけど、結構ハマるもんだなぁ、ぎゃはははは!」

「しかも元凶ですか! 騒動の原因がここにいましたねえ!」


ああ、ナオ様。

あなたが二重人格であることは周知の事実ですが。

お願いですから、いつもの温和で優しい性格に戻ってください……ああ、よりワイルドになっていく。


「まあまあ、新しい傭兵団も入ったみてえだしな。少し揉んでやらねえと、命令も聞いてくれねえのよ」

「もっと穏便な方法ってないのでしょうか……」

「穏便だろうがぁ。前回なんて武器あり、魔法あり、のバトルロワイヤルだったんだぜ」

「前回にそれを聞いたとき、私なんて卒倒しましたけどね。ひっくり返りましたけどね!」


親しみやすい態度なのですが、このときのナオ様は少し苦手です。

凄く傭兵たちと同じ雰囲気を感じます。

私のような文官系列は、武官の皆様とはそりが合わない、とよく言われますが、根本的な考え方が違うからでしょう。

武力による解決はいかがか、と思うんです、私は!


「ちなみに、俺も参戦中。現在、十八人抜きだぜ!」

「総司令の自覚を持ってください!」


総司令官が、兵士と半裸でがっぷりと押し合いをするなど前代未聞です。

威厳というか、面子というものが必要なのです、世の中には。

頭を抱える私ですが、だからといって黙っているわけにはいきません。


「いいですか! この騒ぎが睡眠の邪魔になる、と陳情が入っているんです!」

「頑張って寝よう! 以上だ」

「お願いです。緑色のナオ様が見たい! 赤色のあなたは凄く話が通じない感じがします!」

「無理だ。さすがに疲れて睡眠中なんだよ、奈緒は」

「緑のナオ様って眠るんですか!? 理論がさっぱり分かりませんよ!」


しかも今、自分で自分のことをナオ、と言っていました。

区別があるのでしょうか。たまにラピス殿は、赤い目をしたナオ様のことを『リュート』とお呼びしています。

何というか、そのときは全体的に皆様、ナオ様の扱いが軽いです。

リュート、という存在は本当に二重人格なのではないでしょうか。私は常日頃からナオ様が精神的な意味で心配です。


「よし、じゃあ、こうしようか、ジェイル」

「は……?」

「ゲオルグに相撲で勝負を仕掛けろ。勝ち負けは問わん。善戦を期待する」


死刑宣告を受け、私は白い線で囲まれた中に仁王立ちするゲオルグ殿へと視線を向けました。

体格、筋力、技量、むさ苦しさ、その全てにおいて私の完全敗北です。

とても勝負になるとは思えません。どう考えても一方的敗北ワンサイドゲームです、本当にありがとうございました。


「む、むむむ、無理ですよ!?」

「てめえも男なら気合を見せろ!」

「私、そんな荒事とか全然だめなんで……! ええと、とにかく断ります!」

「ジェイル」


リュート、と呼ばれるもう一人のナオ様はニカッ、と明るく笑いながら私の肩に手を置きます。

逃げられない威圧感を感じました。

前門の龍、校門の牛。何故だか、そんなよく分からない言葉が頭に浮かび上がりました。

静かに私の上司であり、討伐軍の総司令である彼が宣告しました。


「総司令の、命令だぞ?」

「うっ……」


私は。

致命的な一言を告げられ。

着ていた衣服の上半分を泣く泣く脱ぎ捨て。

どう考えても山同然の相手に向けて、大きく雄叫びをあげました。



「う、うおおおおおおおおおおおおおお、ひぎゃああああああああああああああああああああああッ!!!!」



万歳突撃の如く、決死の覚悟で向かった戦いですが善戦むなしく。

私は夜空の星がこれほど近く感じたことはありませんでした。

背後で人事のようにナオ様が『おー、飛んだ飛んだー』と言っております。

私は、あの方を、満足させられたのでしょうか。職務を果たせたのでしょうか。

カスパール殿が『勝てるわけないじゃないですか、常識的に考えて』と溜息をついておられたのが、最後に見えましたね。

地面に叩き付けられた私は月を見上げながら、今日一日を締めることになりました。


ああ、今夜はこんなにも、月が、キレイ……だ。



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