第31話【ナザック砦攻防戦7、魔王ギレン】
「ぜえ……はあ……」
「ナオ……はぁ、だ、大丈夫?」
「うん……はあ……セリナ、こそ」
奈緒とセリナの二人は疲労困憊、といった表情でお互いを気遣いあっていた。
二人だけではなく、百人近い味方の兵たちも疲れ果てていた。
魔力の使いすぎだ。赤い月による魔力回復が追いつかないほど、頻繁に魔法を使いすぎた結果だった。
「す、少しだけ、疲れたわ……」
セリナを初めとした炎の魔法使いの魔族たち、合計五十人による火炎放射。
灼熱にも似た業火の炎により、鉄がじわじわと熱を帯びていった。
触れば火傷は間違いないほど鉄の門は熱され、一部は炎に対する耐性を持っているにも関わらず、溶けた。
「ぼ、僕も、今日は魔力を使いすぎた、かな……はは」
続いて奈緒を初めとした氷使いの魔族たちの出番だった。同じく五十人近い人数で鉄を急激に冷やした。
じゅうううう、と壮絶な音が大音量で砂漠に木霊した。
炙るような音が途切れるまで、奈緒たちは氷や水で鉄の門を撃ち抜き、氷が溶けてしまう端から追加していく。
それをしばらく続け、頑強だった鉄の門は皹だらけの瓦礫と化していく。
想像以上の戦果にゲオルグやラフェンサが苦笑するなかで、全ての準備が整った。
(龍斗……後は、任せたよ)
(よし、きた)
バトンタッチ。身体の所有権をかしゃり、という音で入れ替えた。
紅蓮色へと変化した瞳は真っ直ぐにぼろぼろとなった鉄の門へと向けられた。
口元には獰猛な笑みと、右腕には鉄塊の大剣。そして背後には同じく力自慢で巨大な斧を持つゲオルグだ。
カスパールは退却し、ラピスは戦線離脱。奈緒とセリナもこれ以上は戦えない。
残りは龍斗とゲオルグ、そしてラフェンサの三名のみ。
言うまでもなく、ジェイルは最初から後方支援のためここにいない。
「んじゃ、ゲオルグ。やっちまいますか」
「おう、やっちまうか!」
がははははっ、と戦国武将のように豪快に笑う似たもの同士の二人。
ラフェンサはそんな筋肉質な彼らを背後から苦笑いで見送ると、自分も飛龍へと跨った。
「エリスさん。わたくし、飛行部隊を指揮して上空を制圧します」
「はぁ……ええ、お願い……私もちょっと、限界よ……」
「では、オリヴァース軍百名。エリスさんにお任せ致します。何とか取りまとめてください」
「……分かった、わ……はぁ……」
本当に疲れているらしいセリナだった。
そんな会話を尻目にして、凶暴に笑う龍斗とゲオルグ。
二人は瓦礫にも似た鉄の門の前に立つと、思い思いの武器を構えて叫んだ。
「よう、ナザック砦……そろそろ、その無敗神話にケチつけさせてもらうぜ!!」
「ぬぉぉおおおおおおりゃあああああああああっ!!!」
鉄塊の大剣が叩き付けられた。
巨大な斧が鉄の門に大きな亀裂を入れた。
それを合図にして突撃隊の部下たちも一気に砦の門へと攻撃を仕掛けていく。
がぁん、がぁん、と鉄の悲鳴が響いていき、そして。
「だああああああああっ!!!!」
龍斗の渾身の一撃が、ついに鉄の門に巨大な風穴を開けた。
鉄製の門に亀裂が走り回り、そしてガラガラと音を立てて崩れていく。
難攻不落と謡われた要塞の最期だった。
何人たりとも通さぬ絶対の護りが、この瞬間、絶対という言葉に適応されなくなる。
「お……」
それを見た兵たちが。
ナザック砦の鉄製の門が打ち砕かれた光景を見た味方が。
割れんばかりの雄叫びをあげた。
「おおおおおおぉぉぉぉおおおぉぉおおおおおおおおおおおおおっ!!!!」
龍斗は歓声に応えるように右腕を高く上げると、ナザック砦攻略部隊へと視線を向ける。
ゲオルグが、ラフェンサが、高揚した表情を隠すことなく頷いた。
ほんの数日と戦いも長く感じるような、そんな戦いだったが、いよいよ最後の仕上げに入る。
既にナザック砦は丸裸だ。あとは敵性を殲滅して、重要拠点を落とすのみ。
「いくぞ、てめえら! 俺たちの手で、ナザック砦に引導を渡すッ!!」
ナザック砦攻防戦、最後の戦いが始まった。
◇ ◇ ◇ ◇
「馬鹿ナ……」
目の前に悪夢が広がっていた。
ナザック砦の鉄壁の護りが打ち崩され、鉄の門が崩壊する様をまざまざと見せ付けられた。
ベイグの先祖が作り上げ、それ以降不敗だった一族の誇りが。
彼の眼前で完膚なきまでに叩き潰された。これ以上ないほどに圧倒的な無力感と脱力感に襲われた。
「コンナハズガ……俺ノ砦ガ……ナザックノ、砦ガ……」
呆然としていたのも、最初だけだった。
ハッと気づいたときには討伐軍の兵士が、ナザック砦へと侵入を果たしていた。
敵を今まで一度も中に入れたことのない、難攻不落の要塞に傷がついた。
ベイグは一族の誇りも加えて、激しい憤怒と共に咆哮した。
「ダメダ……」
最初は、小さく口から零れただけの呟き。
「ダメダ、ダメダ……!」
それはやがて、自分に言い聞かせるようなものへと変貌していく。
土気色の顔が仇を目の前にしたとき以上に醜悪に歪み、戦慄の走る表情で叫び倒した。
「ダメダ、ダメダ、ダメダァァァァァァァァァ!!! 貴様ラガ、コノ砦ヲ落トスナド、ダメダアアアアアアアアアッ!!!」
単騎でベイグは砦へと侵入した討伐軍の兵士へと踊りかかった。
狭い砦の内部では、一人相手に一度に三人までしか戦えない。猛将であればあるほど有利な設計になっている。
例え砦の門を破られたとしても、十分に防げる構造となっている。
ベイグは早々に三人の兵を棍棒で叩き潰した。潰れたトマトのように、壁の染みとなっていく兵士たち。
怒号と悲鳴が支配するナザック砦の死闘で、誰よりもナザックは暴れまわる。
そう、暴れまわる、つもりだった。
次の獲物を捜して前進するベイグの視界に、一人の少年の姿が写った。
その顔を見た途端、次の獲物は奴にすると本能が定めた。
牙を剥き、咆哮しながら突貫していくベイグ。一方の少年もまた、ベイグを視界に収めて獰猛に笑った。
「グガアアアアアアアアアアアッ!!!」
「おらぁああああああああっ!!!」
鉄と鉄のぶつかり合いが、ナザック砦全体に響き渡った。
紅蓮色の瞳の持ち主たる少年は、鉄塊の大剣で敵の棍棒を易々と受け止め、不敵な笑みを見せた。
むしろ、困惑したのはベイグのほうだった。
魔族の中でも怪力無双で知られるオーク族の棍棒を真正面から受け止める、という事実に驚愕した。
先ほどの袴姿の人間の女でさえ、ベイグの攻撃をまともに受けることは嫌ったのに。
「貴様……何者ダ……!?」
総司令、と名乗っていた黒髪の少年のはずだった。
自由自在に魔術を使う、人間に擬態した魔族だと思っていた。氷と雷の二色使いだと考えていたのだ。
だが、彼の翡翠色の瞳が真っ赤に染まっているのを見て、ベイグの心が気後れした。
対して少年は口元を歪めたまま、愉快そうに口にする。
「何者って、大したもんじゃねえよ」
少年、鎖倉龍斗はそのままベイグに向けてもう一撃、強烈な一撃を叩き込む。
棍棒で受けたベイグのほうが膝を付きそうだった。そのままの余波で吹っ飛ばされ、壁に叩き付けられる。
龍斗は次の台詞を考えながら、ベイグの身体を見て分析する。
身体の至るところに切り傷が付けられている。
刀傷のように見えるが、それが彼の体力を相当に奪っているに違いない。
「次期魔王の、親友だ」
ごうっ、と狭い砦の中で大きな武器を振るった。
壁に激突すれば石造りの限界で叩き壊され、龍斗の間合いが作り上げられていく。
ベイグはよろよろと立ち上がる。龍斗の背後では彼の部下と思われる兵たちが、ナザック砦へと入っていく。
こんなところで足止めを食らっている場合ではないのは明白だった。
ただでさえ、砦の中の人数は少ない。急がなければ、本当にナザック砦が落とされてしまう。
「ああ、ひとつ聞きてえんだけどさ」
ぽつり、と。
龍斗が何かを確認するかのように呟いた。
冷静というより飄々とした態度には余裕すら伺えた。
「ラピスと……袴を着た、ピンクの長い髪の女と戦ったのは、お前だよな?」
「…………」
「おーけー。その反応だけで十分だ。別に嘘でもいいしな。どうせ、俺のやることは一緒なんだから」
思い至るところがあったような態度を見せるベイグに、むしろ龍斗は笑ってみせた。
獰猛な敵意ある笑みでも、不敵な笑みでもなく、仮面をつけた道化師のような気持ちの悪い笑みだった。
彼の視界にはトマトのように潰された、三人の部下の死体がある。
奈緒なら衝撃を受けるかも知れないな、などと龍斗は思う。
「こいつらを殺したのは、お前だしな」
「弟ヲ殺シタノモ、貴様ラダ!!」
「そうだな。やっぱり、そういうのが戦争って奴だよな。んでさぁ、殺し合いにおいては互いの主張ってやつは……」
龍斗の心は冷え込んでいた。
何しろ一度、死を実際に経験している。死体を見ても揺らぐことはなかった。
むしろ冷酷なまでの平常心を保ったまま、即座に龍斗は告げる。
「力がなけりゃ、主張できねえ――――そうだろ?」
◇ ◇ ◇ ◇
「ゲオルグ殿。砦内部の三割の制圧を完了しました!」
「おう、ご苦労。仕上げちまうか!」
ゲオルグは龍斗とは違う別働隊を指揮し、砦の左側を攻め落としていた。
龍斗が同じく手勢を率いて右側を攻めたらしいが、報告では敵将と当たったらしい。
手を貸してやりたいが、こちらも戦力を割く余力はない。
目の前に立ち塞がるのは四十人近い敵兵だった。オーク族もいれば、ゴブリン族もいるし、調教された魔物もいる。
夜襲部隊にほとんど魔物部隊が導入されていなかったことを考えると、あまり数を連れてきていないのだろう。
「おい、てめえら! もうナザック砦は落ちた! 抵抗は無駄だ、降伏しやがれ!」
本音を言うなら、暴れまわることが心情なのだが、そこは総司令の厳命だ。
降伏を認め、武装解除に応じるなら保護する。無理に殺しあうほど無益なものはない、と言っていた。
正直、甘いと思う。優しさと甘さは似ているようで違うのだ。
だが、不思議とその甘さがゲオルグには心地よかった。昨今ではなかなか見ない指揮官は、興味深かった。
「いいか! 夜襲部隊の奴らも降伏した! 砦に侵入された以上、てめえらの負けは確定だ!」
「ええい、黙れえ! 我らは降伏など……ギャアッ!?」
受け答えしたオーク族の男は、最後までその言葉を続けることなく絶命した。
ゲオルグはもちろん、彼の背後に立つ部下ですら何もしていない。
オーク族の胸を一息についた槍。その持ち主は彼の背後にいたゴブリン族のものだった。
周囲がざわめくなか、ゲオルグは裏切りを働いたゴブリン族の頭に黄色い布が巻かれているのを確認した。
(へっ……なるほど、効果覿面ってかよ)
周囲のオーク族や、黄色い布を巻いていないゴブリン兵が困惑や憤怒の表情を浮かべる。
だが、黄色い布を頭に巻いたゴブリン兵は一人ではない。四十人中、実に二十人ほどが黄色い布を巻いている。
彼らは同志だ。ゲオルグの敵は残りの半分であり、そして彼らに向けても勧告を続けた。
「黄色い布を巻いている奴らはオレたちの味方だ! この砦の兵は半分以上が既に降伏してんだよ!」
「なっ……」
「そ、そんな……いや、しかし……」
もちろん半分以上、というのはハッタリだ。
だが、ナザック砦の門が破られたことで彼らは精神的にも冷静な判断が出来ないのだろう。
後押しするように黄色い布のゴブリン兵たちが、思い思いの武器を降伏しない者たちへと向けた。
形勢はあっと言う間に逆転した。
「なあ、てめえら。ここで無駄に死ぬなんて、馬鹿らしいだろうがよ」
その言葉が引き金だった。
ゴブリン族の一人。ロダンに話を持ちかけられなかったゴブリン兵の一人が、がしゃり、と武器を投げ捨てた。
一人が降伏すれば、後は流れるようなものだった。
がしゃり、がしゃり、と石造りの床に武器が投げ捨てられた。ゴブリンだけでなく、オークも同じ道を辿った。
「よーしよし。お前らは別室で大人しくしてろ。なあに、うちの大将は悪いようにはしねえよ」
お人好しの翡翠色の瞳の持ち主を思い出し、牛頭のゲオルグは苦笑する。
砦の中に設けられた部屋へとオーク族とゴブリン族で分けて幽閉したのを確認し、ゲオルグはシェラを取り出した。
後方支援を担当するジェイルへと向けた報告だ。
「こちら、ゲオルグ。ナザック砦の左側は完全制圧。五割の機能を奪ったぜ」
『ご苦労様です。カスパール殿、ラピス殿、エリス殿の部隊を併合して、そちらへと向かっています』
「おう、頼むわ。ナザック砦が主な拠点になるだろうしなぁ」
残りは右方面、龍斗率いる部隊の働きだが。
シェラをじっと見つめ続けた。まだ、龍斗からの連絡は来ない。
◇ ◇ ◇ ◇
「ひい、ひい……!」
「はっ、はあ……」
場面は変わって、ナザック砦の後方。クラナカルタへと続く道筋に十人ほどの一団がいた。
彼らはオーク族とゴブリン族の混合部隊だが、ナザック砦から命が惜しくて逃げ出した兵士たちだった。
夜襲部隊が壊滅して四百人以上が殺され、残り百人もいないのに鉄の門を破られた……と彼らは思っている。
現実には半分ほどが投降したり、逃亡したりしているのだが、そんなことは知る由もない。
「こ、ここまで来れば、一安心か……?」
兵士の一人が、遠く離れたナザック砦を見て呟いた。
もはやナザック砦が陥落したのは明らかだ。魔王ギレンや守将ベイグもいたが、どうにかなる問題ではない。
抵抗を諦めた彼らは命からがら脱出を果たしたのだが。
「いいえ。残念ですが、ここまでですね」
不意に、兵士たちの耳に鮮麗なほどに美しい声が届いた。
夜の闇が間もなく明けようとしているなか、声に驚いた兵士たちが可哀想なほどに震え上がっている。
キュイイイ、と彼女が騎乗する飛龍が鳴き声をあげた。
その存在を確認しただけで、兵士たちは抵抗する気力もなくして、地面へと尻餅をついた。
「あなたたちは包囲されています。逃げられません……などと、言う必要もなさそうですね」
「ひ、ひぃぃぃぃ!」
「た、助けてくれ! なんでもする、命だけは!」
土下座して地面に頭をこすり付ける逃亡兵たち。
飛龍に乗った女性、ラフェンサはその様子を見て困った顔をした。
確かに多少は脅すつもりだったが、ここまで効果的になってしまうと、なんだか複雑な心境になってしまうのだった。
それでも表向きは静かな威厳を見せながら、彼女はそっと告げる。
「では、ナザック砦に戻りましょう。逃亡は認めませんが、降伏は認めます。武装解除をして、砦へと戻ってください」
「は……い、いや、だが」
「あまり、時間をかけるつもりはありませんので、お早めに」
「ひいっ……へ、へい!」
確かにまだ抗争状態が続いている砦になど戻りたくないだろうが、仕方がないだろう。
ラピスは飛行部隊の半分を逃亡兵へと割くと、飛龍を駆って一足先にナザック砦へと舞い戻った。
敵の飛行部隊は、申し訳程度の魔物がいたぐらいだ。
早めに討伐を完了したラフェンサは、部下の報告により逃亡兵を発見、これを追跡して投降させたところだったが。
(そろそろ、砦内部の制圧を手伝うべきかも……)
そんなことを考えながら、ラフェンサは黎明の大空を飛翔する。
赤い月が隠れ、間もなく朝を告げる太陽が顔を出そうとする時間だった。
◇ ◇ ◇ ◇
「うおらああああっ!!!」
「ガァァァァァ!!」
轟音が再び響き渡る。
歯を食いしばったのは両者同時だったが、ベイグのほうは身体が泳ぐ。
圧倒していた。龍斗の膂力が、オーク族の怪力の更に上を行き、一撃ごとにベイグは後退していく。
「疲れたみてえだな! 一気に決めさせて、もらうぜええええっ!!」
「オノレエエエエエエエ!!」
認めるわけにはいかない。
魔族でも怪力無双と知られるオーク族が力負けするなど、あってはならない。
しかも相手は前回の戦いで魔法を使っていた。人間ではありえない。
少なくともベイグの中にある常識が、眼前の敵が破剣の術を使っていない、と思い込ませているのだ。
「負ケルモノカ! 負ケラレルカ! 貴様、ゴトキニィィィィィィィィ!!!」
蛮族国で二番目に強い者、それがベイグの肩書きだ。
魔王を除けば第二席。その自負が、その意地が、その自尊心が、ベイグに逃げるという選択肢を用意しなかった。
戦えば戦うほど、身体から力が抜けていく。
龍斗の剛剣に武器が弾かれるたびに、彼の身体は手遅れなほどに傷ついていく。
「…………っ」
龍斗は、その痛々しい姿を見せ付けられても降伏は促さなかった。
それは侮辱だ。命を懸けても一矢を報いようとする将軍に対する、最大限の屈辱を提案することになるのだ。
別に、龍斗もまた、ただの高校生だ。誇りがどうとか、そういう話に興味はない。
弟を殺された、とベイグは言っていた。
そんな仇敵を前にして、膝を折って降伏するとは思えなかった。
彼の気持ちが分かる、などと言うつもりはない。だけど、自分が逆の立場なら同じことをしていると思った。
奈緒は、龍斗にとって幼馴染で、弟のようなものだ。
彼が殺されて、その敵討ちに燃えていた龍斗がいたとしたなら……降伏勧告など、残酷な問いかけに過ぎない。
「おっ、らあああああああああああああっ!!!」
だから。
だから。
だから龍斗は躊躇わない。
言い訳をするつもりもないし、何かを変えるつもりもない。
「グルァァアアッ!!」
「があああああああっ!!!」
ベイグが弟の仇や、ナザック砦の誇りをかけて戦うというのなら。
龍斗は親友と、親友の守りたい者のために戦う。
ずっと、ずっとずっと昔に、そう誓ったのだ。今度こそ、今度こそ、親友を守り通そうと決めたのだ。
(だからさ、ベイグ・ナザックさんよ……てめえにゃあ、負けられねえ)
渾身の一撃が、ついにベイグの棍棒を打ち砕いた。
本人よりも先に武器のほうが根負けした。もはや、ベイグの敗北は揺らがない。
それでも龍斗は攻撃の手を緩めない。
もはや勝負がついているのだとしても、全力を持って親友の敵となる存在を完膚なきまでに叩き潰す。
「護りたいって気持ちを! 奪いたいって気持ちに奪われるわけには、いかねええええええええええええッ!!!」
「オッ……オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」
ベイグは最後に咆哮した。
それは意味のない絶叫だったが、どんな状況になっても決して屈さないという意思表示だ。
壮絶な音が響いた。複数の骨をまとめて圧し折る音だった。
「吹っ……飛べええええええええええええええええええええッ!!!!!」
ぐしゃり、と肉も骨も叩き潰す音が再び響く。
全力で振りかぶった大剣の腹を叩き付けられ、頑強で知られるオーク族の身体が何十メートルも吹っ飛ばされた。
石の壁に叩き付けられ、壁のほうが砕けて更に向こう側へと飛ばされる。
二メートルを超える巨体が石の床へと何度も叩き付けられ、乱暴に手足を投げ出しながら転がっていった。
◇ ◇ ◇ ◇
「やった、か……」
大きく振りかぶった姿勢のまま、龍斗はそっと呟いた。
遠くには横たわるベイグの姿が小さく見えるが、起き上がってくる様子はない。
生死の確認はしなかった。無我夢中だっただけに、刃ではなく、剣の腹で攻撃したのだ。
まだ生きている可能性はあるが、確実に戦士としてのベイグを葬った手ごたえがある。
「よし、このまま一気にナザック砦を落とす! もう邪魔をする奴はいねえ、一気に終わらせるぞ!」
「おおおおおおッ!!!」
敵将を打ち倒したことで士気が大いに上がる。
主だった将は打ち倒し、残る兵士たちも少ない。既にゲオルグから左側の制圧報告は受けた。
残りは龍斗が右側の制圧を完了させ、ナザック砦の歴史を塗り替えるだけだ。
気分が高揚していた。だからこそ、なのかも知れない。
致命的だったのは、情報の不足だったのだろうか。
龍斗たちは、クラナカルタで最も強い男がここにいることを、知らない。
「はっ……? がはっ!!?」
直後、龍斗を襲ったのは激痛だった。
砦の奥から弾丸のような速度で、真っ直ぐ突っ込んでくる一陣の影があった。
反射的に大剣を前に出したが、敵の一撃の衝撃を殺しきることができず、先ほどのベイグのように吹っ飛んだ。
龍斗の身体は壁に叩き付けられ、肺の中に残った空気を一気に吐き出した。
「かはっ、げほっ、ごぼっ……!?」
何が起きたのか分からなかった。
龍斗の動体視力を以ってしても、その動きを見ることは出来なかった。
周囲を見れば、部下たちも同じように床に転がっていた。何人かは明らかに絶命している。
ふらつく足を踏ん張りながら、何とか龍斗は立ち上がり、眼前に立ち塞がる男を見た。
「だ、誰だ……てめ、え……」
「……クラナカルタ魔王、ギレン。ベイグを打ち倒したのはお前か」
魔王、という言葉に龍斗の赤い目が驚愕に見開かれた。
土気色の顔はオーク族の特徴だが、それにしては背が低い。ベイグは当然、兵士よりも小さいかも知れない。
無駄のない筋肉のつき方と、腰の動きから相手の実力が測れた。
奴は、だめだ、と。
あれはラピスはおろか、破剣の術を最大限に使用した自分であろうとも、勝てないと認めてしまった。
「ナザック砦の攻略、見事だった。もはや我に逆転の一手はない」
よく言う、と龍斗は鉄分の味が広がる口から、赤い唾液を吐き出した。
こいつがこれから大暴れすることで、龍斗を含めた全員を皆殺しにできるのではないか、と思ってしまう。
もちろん、もうすぐ到着する本隊が来れば勝敗の行方は分からない。
だが少なくとも、ここでギレンと名乗る魔王が暴れれば、多大な被害が出ることは間違いない。
「お前の名前を、聞かせてもらおうか」
「……リュウト・サグラ。ついでに、ナオ・カリヤの名前も覚えておいてくれよ」
「ふむ?」
「この砦の攻略を指揮した総司令官だよ」
なるほど、と世間話のようにギレンは相槌を打った。
クラナカルタ魔王は周囲を見渡し、無表情の中には感嘆の色を込めた賞賛を送る。
「見事にしてやられた。それほどの者がいるのなら、我が直接指揮を執るべきであったな」
「……で、お前はどうするつもりだよ」
「そうだな……」
少し考えたようだった。
ここで一暴れだけされれば、それだけで百人単位の部下が命を失うに違いない。
ミノタウロス族、というオーク族の更に上位の魔族のゲオルグですら、勝てないのではないか、と思う。
ベイグとの戦いで疲れ、奇襲を受けて立つのがやっとの龍斗では勝負にさえならない。
戦えば終わりだ。部下を見捨ててでも逃げるしかないのだが。
「ここはお前たちに敬意を表して、撤退しよう。ベイグは回収するが、文句はないな?」
「……ちっ、仕方ねえ」
「追撃はしてくれるなよ? 我は肉弾戦が主だが、炎の魔法も得意だ。お前たちなど纏めて灰にするぞ」
しかも、炎使いと来た。
龍斗にとっては相性最悪としか言いようがない。
ギレンは易々と巨体のベイグの身体を抱え上げると、無表情を崩さぬままに告げる。
「ではな、リュート・サグラ。我が城塞都市メンフィルまで辿り着ければ、戦う機会もあるだろう」
楽しみにしているぞ、と言外に告げられ、そのまま悠々自適にギレンはナザック砦を去っていった。
ほぼ完全に制圧が完了しているというのに、堂々と退却された。
それ自体でも屈辱だというのに、それに安堵している龍斗は拳を強く握りしめていた。
冷や汗が背中を伝っているのにようやく気づいた頃、龍斗も周囲の兵士と同じように、意識を失った。
(くそったれ……反則じゃねえか、あんなの)
絶望的なまでに強大な壁を見せ付けられた龍斗は、暗い闇の中で歯軋りした。
魔王ギレン。
クラナカルタ、最強の戦士の存在は龍斗の心に深く焼きついた。