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第30話【ナザック砦攻防戦6、歴史を塗り替えろ!】


「はあっ……はあ……!」


ナザック砦前での一騎打ち。

荒い息を吐くのはラピスだった。彼女の顔には疲労が色濃く残っている。

一対一の戦いでは自信があった。少なくとも肉弾戦で魔族に負けるつもりはなかった、はずだったが。

眼前でラピス以上に荒い息を吐きながら憤怒するベイグは、ラピスを苦しませていた。


(……見かけによらず、速い……)


ラピスを苦戦たらしめている要素は複数に及ぶ。

まずは武器の違いだ。巨大な棍棒による一撃は激烈で、一度でも受け止めればラピスの刀は折れてしまう。

予想外に攻撃速度が速く、身のこなしも軽いのも要因だろう。

怒りによって動きが単調になっているからこそ、相手の攻撃の軌道を読むことは出来ているが。


「チョコマカ、ト……!」

「くっ……!」


トゲ付き棍棒がラピスに向かって振り下ろされる。

技術などではなく、ただ単純に己の力を最大限に生かした力任せの殴打だ。

避けるのは容易い。今回も問題なく、ラピスは地面を蹴って攻撃範囲外へと退避し、棍棒は空を切る。

ドガン、と壮絶な音が響いて地面の砂が荒々しく巻き上がった。


(一度でも直撃したら……)


恐らくはそれだけで敗北だろう。

良くて複数の部位を骨折、といったところだろうが、食らえば即死する可能性のほうが高い。

確かに破剣の術による身体硬化で威力は軽減できるが、無傷とはとてもいかないだろう。

まるで暴風雨のように暴れまわるベイグに対し、隙を見つけることができないでいた。

勝負をかけて突貫しても、一撃で相手を撃破しなければこちらが一撃で倒される。危険な賭けはできなかった。


「フー、フーッ、フーッ……!」

「…………」


幸いにもラピスの勝利条件はベイグの撃破だけではない。

第一の勝利条件はもちろん、この場でベイグを討ち取ることだろうが、無理をして倒す必要はない、と言われた。

第二の勝利条件をこなせばいい。

敵将を足止めし、龍斗たち本隊が到着するまで時間を稼げばそれでも勝利ということになるのだ。

いかにオーク族の猛将ベイグ・ナザックとはいえ、何十人という数を相手にすることはできない。


(お嬢様たちは……問題ない、はず)


背後での戦いに気をそらす余裕はないが、問題なくセリナたちは夜襲部隊を撃破しているだろう。

空中戦で彼女が敗北したことは今まで一度だってない。

敵がラピスの目の前に立つような規格外ならともかく、雑兵や低クラスの魔物ならラフェンサもいるから問題ない。


(なら、問題があるのはそれがしだけ、ということですか……)


実際、ここまでベイグという将が強いことは予想外だった。

恐らくは奈緒ですら誤算だったに違いない。彼の計算では最初の奇襲で敵将を討ち取る予定だった。

ラピスはただ一人、己の役をこなせていないことに歯噛みする。

だが、それでも最低限の仕事は間違えないように心がけた。無理して強行をする必要はない。

相打ち覚悟などはまだ早い。自分にはまだ、主を守るという使命があるのだから。


「ウガァァァァァァァッ!!!」

「はああああっ!」


大きく振りかぶられた一撃は、これまでと同じように中を切った。

力任せに振り続けた棍棒は何処となく欠落し、不恰好な形状へと変化しているが、ベイグはお構いなしだ。

推定何十キログラム、と見た棍棒を嵐のように振り回す彼の腕力には驚嘆する。

しばらく、ベイグが攻め続け、ラピスが回避し続けるということが続く。


(……見えた!)


鋭くラピスの瞳が細められた。

暴風雨のように振り回される棍棒の応酬だったが、僅かにその動きが鈍り始めたのだ。

先ほどから憤怒により荒い息を吐いていたベイグだったが、今は明らかに疲労の色を強くしている。

疲労という名の蛇がベイグの身体に絡みついたかのように、動きが目に見えて衰え始めたのだ。


「ゼーッ、ハーッ、ハッ、ハッ、ハッ……!」

「……当然です。重い武器を持ってそれほど激しい動きをしていれば、体力が底をつくのは自明の理」

「ナメ、ンジャ……ネエ……!」

「それでは……」


無理して敵を倒しに行く必要はないが、わざわざ相手の回復を待っている意味もない。

ラピスも多少は疲弊しているが、ベイグのそれに比べれば大したものではない。

勝負を決めにいく、とまで言うつもりはないが、ここが一番ちょうどいい条件のようだ、とラピスは判断した。

今度はこちらが攻勢に出るため、強く地面を蹴った。


「いざ、参ります!」


ベイグに真正面から突撃した。

怒りの形相を浮かべながら、ごうっ、と風を切った棍棒によってラピスを横に薙ぎ払おうとするベイグ。

しかし、振りかぶったときには既にラピスは跳躍していた。

僅かにベイグの頭の上を通過すると同時に刀を一閃。ベイグの緊急回避も間に合わず、左肩を切り裂いた。


「グオ!?」

「っ……浅いですか」


今の攻撃で首の頚動脈を断ち切るつもりだったが、咄嗟の判断で外されてしまった。

やはり一筋縄ではいかない。クラナカルタ第二席の肩書きは伊達ではない。

ラピスは着地と同時に振り向き、同じくラピスのほうへと振り返ったベイグへと突撃していく。

休ませる暇など与えない。一撃を加え、直後に離脱する。


「シッ……!」

「グゥゥゥ!?」

「くっ……」


次の一撃は太い左腕に阻まれた。

ベイグの左腕が手首付近から二の腕まで赤い線が走り、ベイグの土気色の顔が苦痛に歪む。

女性ならではの小柄さを生かしてベイグの脇へとすり抜け、第三撃を見舞った。

致命的な傷を与えることはできないが、着々と彼の体力を奪っていく。

勝つことが目的ではない。殺す必要性は感じられない。ただ無心に、相手を無力化できればそれでいい。


「ウッガアアアアアアアアアアアッ!!!!」


デタラメに棍棒を振り回し、羽虫を落とすかのように暴れまわるベイグだが、その動きは精彩を欠いた。

もはや初期の半分ほどの速度しか出せないのだろう。

疲弊に加え、あちこちからの出血で血が失われていき、力を入れようとしても入れられないのだ。

勝負は決まった。長く戦えば戦うほど、ラピスの勝利は動かなくなる。


だが、そこで計算違いが起きた。


ぶつっ、ぶつ、とシェラから伝言にも似た何かが入ったのだ。

ラピスは一度動きを止めるが、シェラで誰かと会話をする余力までは残っていない。

そんなことにも構わず、ラピスの胸ポケットに入っていたシェラから悲鳴にも似た声が届いた。

主と仰いだセリナの声だった。


『ラピス! ナザック砦から援軍が来たみたい! すぐにそこを離れなさい!』

「なっ……!?」


援軍、という言葉が耳に届くかどうか、といったときだった。

疲労困憊だったベイグの背後から飛び出してくる影があったのだ。夜の闇を縫うように疾走する一陣の風に似ていた。

影の主は目にも留まらぬ速さでラピスに接近すると、そのまま拳を繰り出してきた。

体力が全快のラピスならば、あるいは反応できていたかも知れない。

だが結果としては、ラピスは影の拳の一撃を胸に受け、かはっ、と肺から空気を吐いて倒れ伏す。


「がっ……ごふっ……」

「遅いな。無理もないが」


影の主は短い言葉を投げかけただけだった。

ただ、胸を思い切り殴られただけだった。それだけでラピスは砂漠に身を沈めていた。


(そんな、馬鹿な……)


重ねて言うが、ラピスは身体硬化の破剣の術を使用していた。

身体強化とは違って一時的とはいえ、その硬さは岩ぐらいまで硬くすることができる。

ベイグの棍棒を防ぐ、という自信はなかったが、ただの拳の一撃なら相手が手を傷めるほうが自然だ。

だというのに、現にラピスは拳の一撃で敗北を喫した。


「ベイグ。退くぞ」


影の主はラピスに目も向けなかった。

土気色の肌からオーク族だと推察したが、それにしては背丈が低めだ。

橙色の髪を生やした青年は、武器も持たずにラピスを鎮圧したにもかかわらず、撤退を表明した。

納得がいかないベイグが叫ぶ。


「シ、シカシ……コノママデハ、終ワレヌ……!」

「そうだ。このままでは終われないな。ナザック砦に退き、改めて兵を整えて思い知らすべきだ」

「グヌゥ……」

「あまり我を困らせるなよ、ベイグ。夜襲を許可したのは我だが、敗北したというなら次の指示に従え」


流暢な言葉を使うオーク族の青年は、自分よりも遥かに大きいベイグを宥める。

青年とベイグの背後から、ようやく追いついてきたのはナザック砦の援軍だ。

その数は五十名ほどだが、彼らも恐らくベイグの撤退の援護という形をとるだろう。

遅れてきた彼らを見て、小柄なオーク族の青年がラピスを尻目にして命令する。


「遅かったな、もう退くぞ。……ああ、その女は殺しておけ」


ついでのような、そんな投げやりな宣告だった。

数人のオーク族が指示を受け、思い思いの武器を持ってラピスへと近づいていく。

もはやベイグの主と思われるオーク族の青年はラピスへと目を向けない。

血を流しすぎて倒れるベイグの巨体を易々と抱えあげると、再びナザック砦へと帰っていった。


「ぐっ……!」

「隊長が大変ですにゃ!」

「お、お助けするのですにゃ!」

「来るな!!」


事の次第を見守っていた、というよりは介入することが出来なかった切り込み隊の兵たちが騒ぐ。

ラピスは血気に逸ろうとする部下たちを一喝して押し留めた。

残された兵たちは二十名ほどだが、ラピスの隊で彼女の近くに残っていたのは、僅か三名だった。

どう考えても全滅するしか道はない。


(……っ……身体が、動かない……)


何とか自力で逃げようとするのだが、身体が動かない。

そうしている内にも、オーク族の敵兵たちは下卑た笑みを浮かべながらラピスへと距離を詰めていく。

斧に、剣に、棍棒に、槍に、短刀などなど。

十秒もしないうちにラピスの身体はそれらに貫かれて、壮絶な最期を迎えることとなるだろう。


(動け……)


ダメだ、まだ死ぬわけにはいかない。

死ぬことは怖くない。幼少の頃、彼女は一度死に掛けたことがある。

身体からどんどん力が抜けていって、矮小な自分がどんどん小さくなっていって、意識がぼやけて消えていく。

そういうリアルな死を知っているラピスだからこそ、死ぬこと自体は怖くない。


(動け……!)


その闇から救ってくれた存在があった。

魔族の大貴族、エルトリア公爵家当主のラグナだった。ラピスにとっては父のような存在だった。

彼に一人娘を託されたのだ。彼女をこれからも護り続けなくてはならないのだ。

こんなところで惨めには死ねない。

主と定めた少女が本当の意味で幸せになった、その光景を見るまでは……絶対に死ぬことは、できない。


(動けええええええ!!!)


心の中で手負いの獣のように叫ぶ。

身体から奪われた力が僅かに戻ってくるが、それでも致命的に遅い。

彼女の串刺し刑は定められたかのように、三秒後に迫っていた。

敵兵がそれぞれ、横たわるラピスの眼前に仁王立ちして、大きく武器を振り上げるところだった。


「あっ……ああああああああああああああああああああああ!!!」


絶望にも似た怒号が響き渡った。

容赦なく振り下ろされた思い思いの武器と、そして雨のように身体を濡らしていく血液の赤。

ぼとぼとっ、と肉片が零れ落ちていくような音。

絶命を示唆するように、おびただしいほどの鮮血がラピスという女性の袴を朱に染めていく。

血溜まりに沈んだ彼女は砂漠に倒れたまま動けなかった。

何故ならば。



彼女を害そうとする敵兵たちが、あっと言う間に吹っ飛ばされ、呆然としていたからだ。



振るわれたのは巨大な大剣だった。鉄の塊、と表記するに相応しい無骨な得物だった。

ラピスを地に沈めた影の主と同じように、彼は唐突にやってきた。

弾丸のような速度でラピスを殺そうとする兵たちに肉薄したかと思うと、たった一撃で囲んでいた五人ほどを沈めた。

彼らは動かない。救いというべきか、絶命しているわけではなく、気絶しているらしい。

知っている。その大剣の持ち主の名を、ラピスは知っている。


「間に合った……」


彼の声は温かかった。

一瞬で五人を吹っ飛ばすという壮絶なことをやってのけても、彼の言葉には重みがあった。

常識的に考えれば、立派な傷害事件。

凍りつくほどの惨劇だというのに、彼の口元には笑みが浮かんでいた。


「よう……遅くなった、な……待ったか?」

「……いいえ、ほんの少しだけ」


残りの敵兵たちは新たな敵性を確認して、残らず逃亡を開始した。

たった一撃で五人を倒したことから実力差を察知したのだろう。仇を取ろうという気概はないらしい。

よほど急いできたのか、彼の息も切れ掛かっていた。

おかげで九死に一生を得たラピスは、何とか呼吸を整えて立ち上がろうとするが、やはり立てそうにない。


「無理すんな。ほら、手ぇ貸せ」

「は、はい……すみません、リュート……」


やはり、ラピスは戦えそうにない。

重要な戦力ではあったが、無理をさせるつもりもない。彼女は後方へと下がってもらうことにした。

残りは総仕上げであるナザック砦の陥落だ。

龍斗とセリナ、ゲオルグとラフェンサ。そして、手勢の約百五十名ほどでどうにかしよう。


「こちら龍斗。ラピスが戦線を離脱するぜ」

『ら、ラピスの怪我の具合は!?』

「落ち着けよー、セリナ。見た感じ、生死にかかわるほどのもんじゃねえ……よな? 多分」

「お嬢様、大丈夫です。それがしは、まだ死ねません」

『そう……』


シェラの向こう側で安堵した空気が、こちらにも伝わってきた。

ラピスは切り込み隊の部下たちに肩を貸してもらうような形になり、龍斗はシェラでの会話を続けることにする。


「で、そっちは?」

『鎮圧したわ。というか、半分以上は投降したわね。ラフェンサが降伏を促したら、呆気なく終わったわ』

「死傷者は?」

『……そうね。十人もいないと思うわ』


戦に犠牲は付き物だ。

奈緒たちに出来ることは味方の犠牲を減らすだけだろう。

ただの高校生の限界がそこにある。

奈緒が知るような歴史上の名軍師、といった者たちならば、もしかしたら、敵も味方も死なない方法を考えるだろうか。

そんな益体もないことを考える心の中の奈緒だった。


(降伏した兵たちは解放しよう。あまり投降者に兵は避けないみたいだし)

「セリナ。降参した奴らは逃がしてやれ、ってさ」

『分かったわ』

「それから、兵を集結させといてくれや。鉄の門をぶち破る。……何しろ今日は、ちょうどいい満月だからなぁ」


炎使いの魔族、五十名。

氷使いの魔族、五十名。

ナザック砦制圧部隊、五十名。

残る僅か百五十名ほどの人数で、これまで誰も攻略できなかったナザック砦を陥落させる。

さあ、さあ、さあ、お立会い。

これまで堅牢のなかで胡坐を掻いていた者たちを、驚愕に追い込んでやろう。




     ◇     ◇     ◇     ◇




「か、壊滅ぅ!? 砦の八割の兵が一人も戻らねえってか!?」

「ぎーっ!」

「たーいーへーんーだー」


ロダン、サハリン、グリムの三馬鹿ゴブリンたちは報告を聞いて驚愕していた。

彼らの周囲には同士のゴブリン兵、三十名が集まっている。

オーク族たちの不当な扱いに決起すねことに決めた、反オーク族を掲げた者たちだ。

数日の時間で何とかこれだけ掻き集めたが、逆に言えばこれが限界だった。細心の注意を払ったつもりだ。

どよどよ、とロダンの同士たちがお互いの顔を見合わせて騒ぐ。


「お、おい……つまりどういうことだよ」

「この砦、俺たちを除いたら五十人くらいしかいねえってことじゃねえか……」

「そ、それならいけるか……? おいらたちだけでも……?」

「ま、待て。人数の上ではまだ向こうが有利だし、逆に言えば残りの奴らはオーク族が中心なんだぜ!」


中心人物となったロダンは、いきり立つ若者たちを手で制した。

前提条件としてオリヴァース軍が鉄の門を自分の力で突破しない限り、彼らは動けないのだ。

無駄に血気盛んになる必要はないし、そうする義理もない。

ただ、生きるために彼らは選択し続けるだけだ。


『あーっ、あーっ、と。こちら、オリヴァース軍。そちらはロダンか?』

「おおあっ!? あ、ああ、そうだ! アンタは?」

『龍斗ってもんだ。とりあえず報告は聞いたか? 砦には何人くらい残っているんだ?』

「ほ、報告は聞いた。砦は俺たち三十人を除けば、五十人ぐらいだ……」


ざわざわ、とシェラから聞こえてくる声に関して色々な声が飛ぶ。

彼らは信用できるのか。

騙そうとしていないか。本当にオーク族に勝てるのか。

そもそも本当にナザック砦の鉄の門を落とすことが出来るのか、彼らは図りかねていた。


『おーけー。それじゃあ、総司令のナオ・カリヤから指令だ』

「な、内部から呼応して門を開け、ってんならお断りだぞ。門はいま、オーク族の管轄だからよ……」

『いやいや、そんな大層なことをやれって言ってんじゃねえのよ』


内部から情報を引き出す龍斗は、苦笑気味に笑っているらしい。

耳を済ませて次の言葉を待つロダンたちゴブリン兵三十名に対して、龍斗は本当に簡単な命令を下す。


『俺たちに投降する意思がある奴らは、全員頭に黄色い布を巻け。俺たちはそれで敵か味方かを判断する』

「き、黄色い布……?」

『味方も一緒に攻撃しちまったらまずいからな。見分けがつくようにしてえんだけど……黄色い布、あるか?』

「あ、ああ……三十人くれえなら、黄色い服かなんかを破れば、揃えられるけどよ」


それは、今、やらなければならないのだろうか。

早いうちに黄色い布を巻いているゴブリン族の集団を見れば、さすがにオーク族も不審に思うだろう。

だからこそ、用意しなければならないことも考えればタイミングが難しいのだが。


『それじゃ、頼むぜ。今からナザック砦を落とすからな』


ぶつり、とシェラからの通信が途切れた。

今度こそ、ゴブリン兵たちが可哀想なほどに動揺した。


「い、今からあ!?」

「さ、探せ! 黄色い布だ、なんでもいい!」

「お、おいおい、いくらなんでも今からなんて……」

「ぎゃーっ、ぎゃっー!」

「いーそーげー!」


騒がしくなるゴブリン族たちの寝床だったが、黄色い布を探す暇はなかった。

がごん、とナザック砦全体が大きく揺れたのだ。

途端に砦内が蜂の巣を突付いたような騒ぎになる。それら全てが討伐軍の攻撃開始を告げていた。


「ちぃ……! こちとら数が足りてねえから、今から攻撃されたら俺たちが駆り出されるのは目に見えてんのに!」

「ぎっ!? ぎゃー! ぎゃっ、ぎゃっ、ぎゃっ!」

「な、なんだサハリン!? 俺の服を指差して!?」

「あーにーきー」

「なんだ、グリム!?」

「あーにーきーの、服がー、黄色ー!」

「へ……?」


次の瞬間、黄色の服を着たロダンに向けて、三十人近いゴブリン兵が殺到した。

みぎゃあ、と猫のような叫び声をあげて裸に剥かれるリーダー格。

びりっ、びりりり、と着ている服が悲鳴を上げて崩壊し、反乱軍は思い思いのバンダナを作り上げる。


「うっ、おおおおお!? お、俺の一張羅があああああああああっ!!!」

「いやー、さすがはロダンさん! 頼りになる!」

「頼りになったのは俺じゃなくて、俺の一張羅だろうが! どうすんだよ、これ! 俺だけ上半身裸で戦争か!?」

「ロダンさんなら、ロダンさんならきっと何とかしてくれる……!」

「ねえから! 俺、肩とか脱臼してるから! このうえ防御力皆無とか、もう俺に死ねと!?」


ぎゃあぎゃあ、と騒がしいゴブリン兵たちは頭に黄色い布を巻くと、部屋を飛び出していく。

畜生と叫び倒す反乱軍リーダー、半裸のロダン。

二人の弟分も例外なく、ぼろぼろの布切れとなったロダンの服を千切ると、それを頭に巻いて言った。


「ぎーっ……!」

「いーいーしーごーとー、したー!」

「この、愛すべき、馬鹿野郎ども、がぁぁぁ……」


地面に這い蹲りながら無力感にも似た何かに浸るリーダー。

罪悪感も罪の意識もまったく感じていない二人を見て、ロダンはそっと小さく呟いた。


「ふっ、ふふ……やだな、泣いてないぜ。これは汗なんだぜ、ほら、しょっぱいしよぉ……」

「敵襲だっ! おら、ゴブリン! てめえ、なにこんなところで……は、半裸で泣いてやがるんだ?」

「頼むから立ち直るまで少し時間をくださいこの野郎!!」

「お、おう……すまねえ」


思わず尻を蹴っ飛ばして前線に立たせようとしたオーク族が気を使ってしまうくらい、ロダンは打ちひしがれていた。

結局、彼ら三人はナザック砦の戦いが終わるまで別室で待機することになる。

部屋の中からは、さめざめとすすり泣く声が漏れ出ていたという。

合掌。




     ◇     ◇     ◇     ◇




「来たか」


玉座に座るクラナカルタ魔王、ギレン・コルボルトは特に焦ることなく呟いた。

自分が逆の立場でも、この機会にナザック砦を落とそうとするに違いない。

いかに難攻不落とはいえ、現在の砦の兵は百名を下回っている、という報告を受けている。

既に援軍要請を本国に送っているが、それでも援軍が到着するのは明日以降になるだろう。

逆に考えれば、今がもっとも好機。敵の司令官もそれが分かっている。


「来るがいい。我も本気で相手をしよう」


がっしり、とギレンは鉄の棍棒を取り出した。

特筆すべきはその太さといったところだろうか。ベイグのそれに比べれば小さいが、小柄のギレンにはちょうどいい。

無骨なそれは鋼鉄製で出来上がった、特注の品物だ。

華美な装飾など必要としない。ただ武器として、折れず曲がらず、を貫き通せばそれでいい。

彼は感情の起伏も見せないまま、絶対の自信と共にオリヴァース軍を迎え撃とうとするが。


「魔王ギレン! 報告します!」

「どうした。敵は外壁を登ってくるだろう。早く全員を集結させて迎え撃て」

「そ、それが……違うんです!」


部下の焦燥にも困惑にも似た叫びに、ギレンは怪訝そうな表情を向けた。

先の戦いと夜襲の影響も考えれば、敵の兵力も余力があるとは思えない。外壁を登るのが一番だ。

空から急襲しながら地上部隊を外壁に登らせる方法を取るに違いない、と思っていた。

左側をベイグに任せ、右側の防御をギレン自らが務めよう、などと考えていたのだが。


「奴らの狙いはただ一点! ナザック砦の門を狙っています!」

「門を……?」

「現在、五十名ほどの敵兵が炎の魔法を門へとぶつけている最中です!」

「……正気か?」


鉄の門は今まで一度も破られてきていない。

兵力など関係なく、鉄という材質はとても硬い。魔法的な工夫を凝らして、炎にも耐性がある。

鉄は火に弱いが、ある程度のコーティングはされているのだ。

たかが炎の魔法で炙った程度で破られるものではない。何十年もクラナカルタの地を守ってきた要塞だ。


「まあいい。相手がそうしてくれるのなら、こちらとしても対応がしやすい」

「はっ……」


指揮官を買いかぶりすぎたか、とギレンは少し失望にも似た感想を抱いたが。

次の瞬間だった。

じゅうううう、と何かよく分からない音がナザック砦全体を駆け巡り、ギレンの表情が驚きに変わった。

まるで熱した鉄板の上で肉を焼くような音だ。

何の音だ、と叫ぼうとしたとき。もう一人、新たな伝令が驚愕の表情を貼り付けて現れた。


「で、伝令ーーーーーーー!」

「どうした?」

「と、砦の……砦の門が……」


息も切れ切れのオーク族の伝令だったが、それ以上の報告は必要なかった。

直後、ナザック砦全体を地響きが襲った。

堅牢な要塞としてリーグナー地方有数の難攻不落を誇っていたはずのナザック砦が、悲鳴を上げていた。

何十年の歴史が、無敗を誇る戦績が、この瞬間、砦の絶叫で崩れ去った。





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