第26話【ナザック砦攻防戦2、離反の策】
伝達魔術品シェラ。
遠方からでも同じ宝石を触れ合わせたものなら、言葉を通じ合わせる魔術品だ。
距離は込められた魔力にもよるが、最高で一キロメートルほどになる。
光魔法の応用により作られた画期的な魔術品で、単価はひとつ二百セルパと高額になっている。
奈緒たちの世界に直せば、二百セルパは約二十万円である。
そんな高価な魔術品が、何の因果か服に挟まっていた……そんな状況にいるゴブリン兵がいた。
「…………こいつは、どうしろってんだ……?」
「ぎゃーっ、ぎゃー、ぎゃー!」
「あーにーきー。怪我はー、大丈夫ーかー?」
「ああ、黙ってろ! 俺は考え中なんだよ!」
ナザック砦の外壁を登り切った何者かによって吹っ飛ばされ、それ以上の記憶がない。
気絶していたところを弟分たちに助けられたらしい。
大剣を振り回した憎き敵だが、何処かで見た気がする。思い出せないのは残念なのか、助かったのか。
とにかく、そんなこんなで砦の寝床に放り込まれているゴブリン兵は、シェラをじっと見つめていた。
(くそっ……大体、あの黒髪の氷使いの野郎に逢っちまったのがケチの付き始めだ……)
いつも通り、砂漠で追い剥ぎをしていたゴブリン兵三人は、襲った相手に返り討ちにされた。
紅蓮色の瞳を翡翠色の瞳に切り替える、恐ろしい相手だった。
喧嘩を売ったのが間違いだった、と思うが、追い剥ぎをしなければクラナカルタでは砂を食って生きていくことになる。
今のクラナカルタはそういう国だ。生産性がない……というより、砂漠では何も生産できない。
雨が降らないからだ。だからこそ草花も作物も育たず、水魔法だけでは強烈な日射には対応できない。
(こうするしか、生きる道はねえってんだよ……)
追い剥ぎに失敗した彼らは、クラナカルタがオリヴァースに侵攻すると聞いて兵隊に志願した。
ボグ、という指揮官は乱暴者で嫌だったが、兵隊になれば衣食住は保障される。だから彼らは兵になった。
最初の仕事はクィラスの町の襲撃だった。前の戦いで守備隊が壊滅していることを知っていた。
楽な仕事だと思いながら、クィラスの町に侵攻したが……結果は壊滅という憂き目にあった。
(なんなんだよ、あの野郎はぁ……)
ゴブリン兵三人は命からがら逃亡を果たしたが、指揮官のボグは戦死したらしい。
しかもあの怪物キブロコスも一緒に葬られた、と聞く。
相手が誰かは分からないが、敵と思われる者たちの中に、あの氷使いの男がいた。
そいつはゴブリン兵よりもずっと大きいオーク族の兵隊を一撃で葬りながら、彼らを威圧した。
恐らくはそいつが指揮官を討ち取ったに違いない。
「ぎー、ぎー!」
「あーにーきー、考え事ーかー?」
「あー、そうだよ、クソッ。黙ってろいっての。さっきそう言ったじゃねえか」
それ以来、ゴブリン族とオーク族の仲は急速に悪くなっていった。
彼らが軍から逃げ出したからであり、それによってオーク族酋長の一人だったボグが死んだ、というのだ。
言い訳は確かにできないだろう。現に自分たちは逃げ、指揮官は殺された。
だが、彼らが兵隊になったのは生きるためだ。指揮官を守って死んでいく、という生き方のためじゃない。
そしてゴブリン兵たちは今も、生きるためにナザック砦に駐屯して命を削っている。
(どうする……? このシェラを売れば、当面の金になる……)
そうだ、兵隊になる必要はない。
このシェラが一体何の因果で手元にあるのかは知らないが、これは渡りに船と言っていい。
売れば二百セルパ。数か月分、自分や弟分たちは他国で食っていける金額になる。
こんな寂れた国はもう嫌だ、と逃げていく蛮族たちも少なくない。自分たちもそれに乗っていければ、と。
(だ、だが……もしも逃亡がバレたりしたら……)
今の指揮官は見殺しにしたボグの兄、オーク族の酋長の一人であるベイグだ。
彼は弟を見捨てたゴブリン族に対して弾劾する者たちの急先鋒であり、ここでもゴブリン族の扱いは冷たい。
先ほどの戦いで右腕を脱臼したゴブリン兵だったが、医療室に連れて行かれるわけでもなく放置だ。
これだけを見てもゴブリン族が不遇の扱いを受けているのが分かる。
そんな彼がゴブリン族の逃亡を許すはずがない。即座に処刑されるに決まっている。
(どうせ、戦いは一週間も続かねえさ……オリヴァース軍を撃退したあとで、ゆっくりとこの国を離れても遅くねえ)
ようやく、自分の中での考えがまとまったゴブリン兵は一息をつく。
一週間の期間、シェラを隠し通しながら生き残るのだ。それだけで当面の金は工面できるに違いない。
シェラの本来の持ち主は気になるところだが、構わないだろう。
どうせ宝玉も一ヶ月と魔力を通さなければ、今までの接触も全て無かったことに(クリア)される。
結論はそれで終了した……はずだった。
直後、宝玉から漏れ出る声さえなければ。
『もしもし。こちらはナオ・カリヤです。ナザック砦、応答願えますか?』
「うええいッ!?」
考え事が終わった直後に、早速シェラの本来の持ち主からの通信が来た。
弟分の二人も目を丸くして驚いているが、一番心臓に悪かったのはリーダー格のゴブリン兵だろう。
どうしたもんか、とあまり働かせない頭をフル回転させてゴブリン兵は考える。
ここでギャアギャア、と向こうに言われては砦の者たちに気づかれてしまう危険性が高い。
幸い、彼らの寝床には誰もいないが、大声を出されては困るのは間違いない。
『もしもし? もしもしー?』
「あ、ああ、はいはいはい……た、頼むからちょーっと音量小さくしてくれねえかなぁ?」
『……? ああ、うん。それはいいけど』
「た、助かるぜ、おう……」
奇妙な違和感を覚えるゴブリン兵だったが、声は小さくしてくれたらしい。
シェラの通信の相手が誰か分からないが、音量を小さくしてくれるということは持ち主ではないのかも知れない。
それどころか、ナザック砦の中ではないらしい、と先ほどの声でも分かる。
「そ、それで、アンタは誰だ?」
『僕は……ナオ・カリヤだよ。君は……ゴブリン族の人、かな?』
「い、いや……その、お、オーク族だ!」
見栄を張る、というよりは正体を知られたくないからこその嘘だ。
シェラの向こう側で何だか舌打ちが聞こえた気がして、リーダー格の男は冷や汗を流す。
だが、彼のそんな嘘を馬鹿正直な弟分たちは許さなかったらしい。
「わーっ、わーっ、わー!」
「あーにーきー! 嘘はよくねーんだぞー、おーれーたーちーゴブリン族だー」
『……ゴブリン族みたいだね』
「この愛すべき馬鹿野郎どもが!」
慎重に行動したいゴブリン族は、口元に手を当てて沈黙を強要した。
むぐむぐ、と二人の弟分は口を塞がれて発言が出来なくなる。
焦り始めるリーダー格の男だったが、シェラの向こう側の声はむしろ安堵に近い雰囲気になっていた。
『いや、ゴブリン族なら良かった。君たちに伝えたいことがあるんだ』
「つ、伝えたいこと……?」
そう、と一度肯定する声の主。
歳はまだ若いような気がする。少なくとも自分たちよりは年下だ。
だが、彼の背後には何人もの存在が何となく感じられる。舌打ちなどが良い例だ。
相手が何者なのか分からない。ナオ・カリヤとは何かの組織か何かの名前なのだろうか、と思っていると。
『ナザック砦は落ちるよ。僕たちがこれから落とす』
直後、死刑宣告にも似た何かが届けられた。
それは犯行声明であり、決意の呼びかけであり、ゴブリン兵の作戦を覆す一言でもあった。
思わず弟分たちの口から両手を離したゴブリン兵は、呆然と呟いた。
「なっ……にぃ……?」
『僕たちの正体が分かるかな。クラナカルタ討伐軍……今朝方、ナザック砦に侵攻をしたけど』
「な、何を言ってやがんだ? ナザック砦が落ちる? ははっ、馬鹿じゃねえのか、おい!」
馬鹿馬鹿しいにも程がある。
どうやらオリヴァース軍の者らしいが、ハッタリをかますにしてももう少し良い手段がある。
わざわざ高級品のシェラを渡しておいて、言いたいことはそんなものか、とゴブリン兵は呆れていた。
「いいか! この砦はよ、ラキアスからも守りきった難攻不落の要塞なんだよ! てめえらが落とせるってか!?」
『落とせるよ。もう、下準備はほとんど済んだ。攻め落とすだけだ』
堂々とした声だった。
これすらもハッタリだとしたら大したものだが、ゴブリン兵たちは僅かに怯んだ。
歴史上、今まで落ちたことのないナザック砦だ。
今までもこれからも難攻不落だと信じていた砦を、ここまで自信満々に落とすと公言する少年の声に怯んだのだ。
「ど、どうやって落とすってんだよ……?」
『言えない。それは明日か明後日には分かると思うよ……』
「……な、なんだ。脅して逃亡を図らせよう、だなんて小さい作戦なら無駄だぜ……?」
『逃げてくれるならそれに越したことは無いけど』
くすり、とシェラの向こう側の人物が笑った。
純朴な少年の、本当になんでもない笑みだったのに、次の一言でゴブリン兵は凍りつく。
『最悪、全滅させることになるだろうからね。今回は、クィラスの町よりも徹底させるよ』
三人のゴブリン兵の喉が例外なく恐怖でひくついた。
彼らは三人ともがクィラスの町に攻め込んだクラナカルタの生き残りだからこそ、冷や汗が止まらなかった。
絶句する彼らの雰囲気を感じ取ったのか、シェラの向こう側の人物が静かに笑った。
今度は安心させるような、慈悲の心の篭もった微笑だった。
『ごめんごめん、怖がらせてしまったかな?』
「い、いや……」
『大丈夫。これはナザック砦の兵たちが全員討ち死に覚悟で指揮官を守るなら、の話だから』
そういう意味なら、彼らに忠誠心というものは欠片も無かった。
そもそも生きるために兵隊をやっているのだ。
クラナカルタという故郷を守るために戦う、だとか。そういう崇高な目的で戦っているためではない。
『名前、聞いていいかな。君の周りには誰かいる?』
「あ、ああ。弟分が二人いる。俺はロダン。弟分たちがサハリンに、グリムだ。俺たち三人しかいねえ」
喉に生まれつきの異常があって、喋ることのできないゴブリン族のサハリン。
少しノロマで頭の回転が遅いのがグリム。リーダー格で流暢な言葉を喋るのがロダンだ。
宝玉の向こう側で少年は宜しくね、と告げると言葉を続けた。
『それじゃあ、ロダン。単刀直入に聞くけど、君たちゴブリン族はオーク族と仲が悪い?』
「……悪いってもんじゃねえよ。砦じゃ、俺たちは肩身が狭いってもんだ……他の奴らもそうさ」
『そう……不満は溜まってるんだ?』
「まあな。って言っても、オーク族は生まれつき俺らとは違って図体がでかくてなぁ、逆らえねえよ」
だから反乱を起こせ、なんて言うなよ、と言外に告げる。
数が多いことだけが取り柄のゴブリン族だが、この砦に駐屯している数はオーク族とそれほど大差が無い。
反乱を起こしたところで呆気なく打ち破られることは目に見えているだろう。
いくらオーク族の横暴が腹に据えかねているからといって、オリヴァース軍と心中する気にはならない。
「今のうちに言っておくけどよ。俺たちはナザック砦を落とすのは手伝えねえ。アンタらも信用できねえしな」
『うん、その必要は無いよ』
「え、そんなあっさりと?」
『ただ、ナザック砦が落ちた、とそちらが判断したら降伏してくれればいい。悪いようにはしないから』
どうやら、わざわざ降伏勧告をするためにこんな手の込んだ真似をしたらしい。
おいおい、とロダンは内心で溜息をつくと、改めて発言する。
「それで、俺が断ったら?」
『それ自体は勝手かな。オーク族に忠誠を誓うって言うんなら、それはそれで止めるつもりはないよ』
「あくまで、降伏勧告だってのかよ」
『いいや。シェラを通じて大声を出して、ここに裏切り者のゴブリン族がいるぞ、って叫び倒すだけだから』
「てめえ性格悪りぃだろ絶対!」
既に断れる状態にはいないらしかった。
ロダンが取れる選択肢は三つ。降伏勧告を受け入れ、ナザック砦が危機に迫ったら武器を捨てるか。
オーク族の指揮官であるベイグに忠誠という腹の膨れないものを示し、ナザック砦で戦うか。それとも逃げるか。
最悪でも勧告を受け入れないというのなら、シェラは諦めなければならないが。
『報酬が欲しいなら用意するけど』
「え、マジで?」
『降伏した兵一人につき、一セルパ。百人なら百セルパぐらいかな』
「そ、そりゃあ……」
『ああ、無理はしないでね。もしも二百セルパを下回るようだったら、そのシェラをあげるから。それでいい?』
金で釣られたらロダンにはどうしようもない。
ナザック砦で一週間守ったところで、その間の衣食住に加えて十セルパの報奨金が出るくらいだ。
重ねて言うが、生きるために兵隊になったロダンたちは報酬の高いほうにつく。
シェラの向こう側の少年の好条件が守られる保証は無いが、いま手元にあるシェラを持ち逃げするだけでもいい。
ロダンたちにとってはおいしい話だった。
「わ、分かった……その条件を呑む」
『良かった。それじゃあ、働きに期待しているよ。ロダン、サハリン、グリム』
ぶつ、と音が途切れて再び寝床に静寂が戻った。
ロダンはふらふら、と二歩、三歩と後ろに下がる。サハリンとグリムの弟分たちはリーダーを心配そうに見ていた。
彼は今更になってとんでもない仕事を背負わされたのではないか、と不安になってきたのだ。
それでも戦うよりは遥かにいいと思う。
「げー? ぎー、ぎー?」
「あーにーきー?」
疑問符を浮かべる弟分たちに、ロダンはぎこちない笑みを浮かべて安心させた。
ロダンは脱臼した右肩に顔をしかめながらも、ゆっくりと立ち上がる。
急がなければならない。早ければ明日にでもオリヴァース軍の総攻撃は始めるに違いない。
それまでに多くの同士を集めなければならなかった。
「い、行くぞ。時間はあまりねえ……」
ロダンは弟分たちを引き連れると、そのままナザック砦を歩いていく。
シェラの向こう側の人物の思惑通りに。ナザック砦に毒を蔓延させるために緩やかな崩壊の足音が響く。
◇ ◇ ◇ ◇
「……ふう。こんなところかな」
「お疲れ様でした、ナオ殿」
ラフェンサから柔らかな笑顔と共に水を差し出され、笑顔でそれを受け取った。
首脳陣たちはようやく解放された緊迫された空気に、若干開放気味になっているらしく、笑みが見える。
ナザック砦に付け込む足がかりができたのだ。表情が緩むのも無理は無い。
ただ、傭兵団のゲオルグとカスパールは少し難しい顔をしながら言う。
「信用、できるんですか? 相手がオーク族に付く可能性もあるでしょう?」
「オレも同意見だな。つーか、運に頼った作戦運用だな? もしも相手がオーク族だったら、こうはいかねえし」
対して奈緒は、あはは、と軽く声を上げて笑った。
二人の取り越し苦労が可笑しかった、というわけではない。そんな小さなことではない。
運に頼った作戦運用、とゲオルグは吐いて捨てたが、それは違うのだ。
「いやいや、ゴブリン族でもオーク族でもどっちでも良かったんだよ」
「あん?」
「もしもオーク族が拾ったのなら、今度は『ゴブリン族たちが反乱を起こそうとしている』と囁くだけで良かったんだから」
ざわり、と場が静まり返った。
皆の表情が強張ったようなものとなった。
奈緒が考えていたこの作戦には二重の意味が込められていた、と気づいたからだ。
「僕の今回の目的は『離反』だからね。だから、どっちでも良かったんだ」
「……では、ナオ様がやろうとしていたのは降伏勧告ではなく」
「うん、お互いの仲が悪くなってくれればそれだけで良かった。今回はそれ以上の効果をあげられたけどね」
だからこそ、と奈緒は続ける。
彼はただの高校生で、間違いだって犯す人間に過ぎないけど。
今は何百人もの命を預かる指揮官だ。だからこそ、彼が考えた策略には徹底した不備は見せない。
もしも失敗したときは、奈緒も含めて彼に関わってきた者たち全員を危険に晒すから。
「例えば、ロダンってゴブリン族がオーク族に今の話をしたと仮定しても……僕たちには何の被害もないよね」
「……そうね。作戦が失敗した、はい終わり、ね」
「逆にオーク族たちは考える。ゴブリン族たちは裏切ろうとしていないか、不安になる。それが枷になる」
「なるほど……」
「ははは、最高の展開としてはナザック砦を落とすのに協力してくれれば良かったんだけどね。内外から攻撃して」
さすがにそこまで望むのは酷というものだろう、と奈緒は作戦説明を終えた。
一緒に戦う戦力とはならないが、半数近い兵力が武器を捨てて投降してくれるというのは有り難い。
ロダン、と名乗ったゴブリン族たちが何処まで仕事をするかは分からないのが難点だが。
少なくとも敵軍の切り崩しにはある程度の成功を収めた、と見ていいだろう。
「さて、と。内部の反乱準備がある程度完了するまでは……三日ぐらいかな」
「どうするつもりですか?」
「そう、だね……」
ふむ、と思考を巡らせる指揮官、狩谷奈緒。
「三日の間でこちらも決戦準備を整える。あまり使いたくないけど、その後で挑発をする」
「挑発……?」
「うん。ゲオルグの話では、クィラスの町を襲った敵将はナザック砦の敵将の弟らしいんだ。だから……」
野戦に彼らを誘い込む。
ナザック砦に単騎侵入するまでもなく、それだけで敵は出てくるかも知れない。
我、クィラスの町の英傑なり、と。
指揮官を含めた百人近い敵兵を打ち倒した剛の者、ナザック砦の臆病者よ、戦わないなら逃げ出せ、と。
もっと口汚く言えば、逆の立場なら奈緒でも出撃しそうだ。
「挑発して誘き寄せ、野戦でまず敵軍を叩く。それに勝てれば、そのままの勢いで鉄の門を突破する」
「はっ!」
「野戦での戦いはラピス、ラフェンサ、ゲオルグ、カスパールに任せる。それぞれの部隊を率いて存分に戦って欲しい」
それから、と後方支援を担当する参謀のジェイルへと視線を向ける。
線の細い体つきの悪魔族の瞳を見て、奈緒は続ける。
「ジェイル。野戦の戦いで降伏する部隊がいたら、希望者を募って軍に組み込もう」
「は。しかし、希望者などおりますでしょうか?」
「このまま故郷に帰るか、それとも僕たちの兵として戦うか……だけど、衣食住の保障と給金しだい、かな」
できれば戦力は多いほうがいい。
もちろん、今の段階では取らぬ狸の皮算用といった具合だが。
「それと、ジェイルは周囲の情報を探索すること。カリアス王との連絡も怠らないでね」
「は、承知しました」
それじゃあ、最後に。
奈緒は真正面に座るセリナへと目を向けた。
「セリナの部隊は制空権を取ろう。僕も部隊の誰かに運んでもらうから」
「……ナオは、私の部隊と一緒に戦うってこと?」
「うん。野戦が始まったら、まずは制空権を迅速に、誰よりも早く制圧する。それだけで勝率はグッとあがる」
以上、指示は終わり。
来るべき決戦は三日後。そこでナザック砦を落とす。
文字通り、クラナカルタ討伐軍の明暗を分ける一戦となるだろう。
「三日の間、敵が大人しくしている保障はない。各自、警戒を怠らないこと」
「攻めてきたらいかがしますか?」
「挑発するまでもない、ってことかな。決戦の日取りが早くなるだけだよ……だから、敵の動きには注意してね」
全員の了解の声を聞き、会議は解散となった。
それぞれが自分の持ち場へと戻るのを見送っていると、心の中から龍斗の声が聞こえてきた。
今まで沈黙を守っていた親友は溜息をつきながら言う。
(空を飛ぶってことは……俺の出番、もしかして、ねえのか?)
(あんな大剣まで持ってたら、バード族の人も空を飛べないだろうしねえ……)
(ち、畜生、俺はまた無力なのか……!)
(いや、そんな漫画の台詞みたいなこと言っても)
実際、空中戦ならば敵軍の飛行部隊との戦いとなるだろう。
基本的には魔法の撃ち合いとなるのは間違いないので、奈緒の出番なのは間違いない。
だがもちろん、龍斗の出番は残されている。
(僕の魔力が切れたら、次は龍斗が地上戦で剣を振るう番だよ。皆を導いてあげてね)
(お、おお……何だか、凄く重要な役回りに聞こえるぜ!)
(ゲオルグくらいは重要だから!)
(び、微妙……なのか? それすらも微妙な役回りだぜ……)
そんなこんなでナザック砦と対峙してからの一日が過ぎる。
内部の切り崩しが終わる、と判断する三日の間、敵はどのように仕掛けてくるだろう。
不安を心の内に残しながら、奈緒もまた天幕を去っていった。
◇ ◇ ◇ ◇
ナザック砦の指揮官はベイグ・ナザックだ。
オーク族の酋長の一人であり、クラナカルタの幹部でも第二席と言われている。
言わば、蛮族国で最も王に近い将軍なのだ。
その発言権は強く、弟のボグが殺された際にゴブリン族の罪を言及したのも彼だ。
ゴブリン族の一番上が第四席なので、基本的にゴブリン族はオーク族によって使役されるというのが現状だ。
「…………」
その、クラナカルタでも二番目に偉いオーク族の巨体はいま、跪いていた。
頭を俯かせ、目の前の男に対して臣下の礼を取っていた。
本来なら彼が座っているべきナザック砦の大将の玉座に、オーク族にしては小柄な背丈の男が座っている。
「ワザワザ、オ越シニナルマデモ、アリマスマイ」
「ああ。そうかもな。我も取り越し苦労だと思うのだが、念のためにな」
片言の日本語のベイグより、ずっと流暢な言葉の持ち主だった。
土気色の顔色はオーク族の特徴だが、背丈は人間とそれほど変わらないぐらいの男だった。
髪はベイグのように禿げているわけではなく、橙色の髪が生えている。
恐持てのオーク族が多い中では顔立ちも整っており、どちらかというと肌の色が少し悪い人間にも見えた。
「聞けば、あのボグすらも討ち取った者が軍を率いていると聞く。用心に越したことはあるまい」
「ハッ……」
「卿も、弟の仇を討ちたくてうずうずしていることだろう。守りは我に任せて、一軍を率いることを許可する」
第二席のベイグが臣下の礼を尽くす相手と言えば、クラナカルタにはただ一人しかいない。
その国の魔王にして、蛮族国の統治者だ。
即ち、目の前の砦の玉座に座る者こそが。明らかにベイグよりも小柄な、オーク族の青年が。
「アリガトウゴザイマス、魔王ギレン」
恭しく礼をするベイグの言葉から押して図れる。
リーグナー地方三国のひとつ、クラナカルタの魔王。オーク族頭領、ギレン・コルボルト。
蛮族国で最も強い者が着くとされるのが魔王の座だ。
いま、ナザック砦にはクラナカルタ最強の戦士が不敵な笑みを浮かべて奈緒たちを迎え撃つ。