第25話【ナザック砦攻防戦1、前哨戦】
「あれが、ナザック砦……か」
奈緒は数百メートル向こうに見える堅牢な砦を見据えていた。
山々に挟まれた形で建造された石造りの要塞で、遠目に見える門は頑強な鉄の材質が窺える。
壁も高く、飛行部隊やリンクス族でなければ乗り越えることも難しいだろう。
梯子などを多く用意したとしても、簡単に打ち破られる可能性は高かった。
「さすがにラキアスからの侵攻すら止めただけのことはあるね……とても攻めにくそうだよ」
「どうする、大将。オレらならいつでもいけるぜ」
奈緒の背後で勇ましい声を上げるのは、傭兵隊長のゲオルグ・バッツだ。
ミノタウロス族特有の巨体を揺らしながら、筋骨隆々の武人として鼻息荒く彼は語っている。
確かに傭兵たちは砂漠の行軍でもまだまだ元気が有り余っている。
逆に正規兵のほうはこの時点で結構疲労している。今のまま彼らに戦わせてもまだに犠牲が増えるだろう。
ラキアスもオリヴァースも砂漠に不慣れなのがナザック砦が難攻不落の要因のひとつなのかも知れない。
「カスパールはどう思う?」
「そうですね。ボクも一度戦ってみたほうがいいと思います。敵の戦力を測る意味でも」
「正規兵たちは動かせないし、切り込み部隊も偵察で疲れてるから動かせないよ?」
「全員を動員する必要はありません。ボクたちだけで戦ってみますよ。あわよくば隊長が流れ矢に当たってくれれば」
「おおい!? その矢、絶対後ろから飛んできたやつだろ!?」
いつもの漫才のようなやり取りを笑って見ながら、奈緒は思考を巡らせる。
昨日にラピスが入手した情報によると、相手は思った以上に兵力が集まっていないらしい。
ゴブリンとオークの仲は想像以上に険悪なものになっている、ということだろう。
これなら時間をかけずに攻め立てたほうが良さそうだ。
「実際に動かせるのは傭兵隊と、飛行部隊か……百三十人くらいだね」
「そうでしょう。ですが、あくまで一当て、といったところです。ボクたちだって真正面からは砦は落とせません」
「やっぱり、なんらかの奇策が必要だね……」
「過去、何度もこの砦を落とそうと色々な作戦が立てられたけどな。結局は失敗しているんだよなぁ」
ゲオルグの呟きに、奈緒はむむむ、と敏感に反応した。
奈緒も策略を立てる役割だ。ならば失敗した前人たちの作戦というものを知っておきたい。
同じ失敗を繰り返してはいけない、というのが歴史の本来の学び方である。
「例えば、ナザック砦を無視して軽装備部隊で山を越えて、クラナカルタの本拠に攻め込もうとかな」
「それは僕から見ても悪い手だね……砦からの兵に挟み撃ちされたでしょ」
「ラキアスは飛行部隊の大軍で押し込もうとしたんだが、結局は地上部隊がいねえもんだから制圧できねえ」
「もう、なんていうか、ナザック砦を落とすためじゃないよね。思いっきり砦を無視したいっぽいよね」
少なくとも、水を奪うために単身突入する、というぶっ飛んだ案は今のところないらしい。
これについては戦争のプロフェッショナルである二人にも意見を求めることにした。
水を奪うことの意味、こんな計画はどうだろうか、と話してみると。
「……無茶、だな」
「賛成しかねますね、さすがに」
「ありゃ」
想像以上に無理があったようだ。
ゲオルグとカスパールの傭兵コンビは顔を見合わせると、説得をするために問題点をあげていく。
主にカスパールがメガネのふちをあげながら語る。
「まず、総司令は水の概念を少し勘違いしているみたいです」
「水の概念?」
「はい。水は自然に湧き出たものだけでなく、魔族たちが使う水魔法でも補給が可能なんですよ」
「あ……」
そうなのだ。
魔族は水魔法で水を調達できる。
確かに水魔法の使い手の数はそれほど多くないだろう。単純に考えて全体の六分の一ほどだ。
それでも、水がなくなって突然困る、ということはない。
「確かに水がなくなれば相手も困るでしょうし、それなら野戦にも持ち込めそうですが……」
「わざわざ危険を冒してまでやることか、って話だよな」
「うーん……しまったなぁ、魔法があるってことを忘れていた……考え直さないといけないかぁ」
そうしろ、と投げやりに言うゲオルグは僅かに呆れ顔だ。
この作戦の一番の問題点は奈緒自身が砦に侵入しようとしている、という馬鹿げたところにある。
そんな面倒な問題は偵察隊にでもやらせておけ、という心境なのだろう。
「それに、野戦に持ち込むのは案外簡単だぞ」
「どういうこと?」
「ナザック砦の敵将な。あいつ、クィラスの町での戦いで弟が殺されてんだよ。お前が倒した奴じゃねえのか?」
「えーと……いや、分からない」
はてな、と首をかしげる奈緒。
傭兵は情報も武器ということを熟知しているらしく、こうした前情報は結構揃えてくる。
本当に魔族の傭兵、というのは質が高いものだと思い知らされる。
とにかく、地味に覚えのない奈緒はうーん、と唸ってばかりだったが。
「キブロコスに乗っていたオーク族がいたんだろ? そいつだそいつ」
「あー……ああー、なるほどね」
「心当たりがあるみたいですね」
「うん。直接の仇は僕じゃなくてラピスだけどね。……そっか、敵将はあのオークの兄なのか……」
奈緒の表情が複雑なものになってしまう。
相手が人間とは違う姿をしているということもあって、目をそらす形で罪悪感を紛らわせていた。
だが、確実に魔族とは人間と同じように家族があり、そしてこの世界で確かに生きているのだ。
それらを奪う、ということを奈緒はこれからやろうとしている。
「なら、挑発でも十分に野戦に引っ張ってこれるかもね」
「問題は野戦でも勝てるかどうか、ということと……野戦を制したところで、砦までは落とせないところですけど」
「ああ、そこについては面白い考えがあるよ」
「…………」
カスパールは露骨に微妙な表情をした。
先ほどの奈緒の策が原因で彼の信頼度が少し下がってしまったらしい。
奈緒は苦笑いを浮かべながら続けた。
「とりあえず、一度戦ってみようか。僕も少し試してみたいことがあるから」
「……そうですね。現状はそれでいいでしょう」
了承が得られたので、奈緒はズボンのポケットから宝玉らしきものを取り出した。
偵察部隊が持っていた伝達魔術品『シェラ』だ。
指示系統を維持するために結構な金額をはたいて買い求めたものだが、使いやすいのは言うまでもない。
携帯電話のような感覚で奈緒はラフェンサへと指示を出す。
「ラフェンサ、聞こえる?」
『……はい、聞こえます。どうしました?』
「僕たちはこれから傭兵部隊を率いて一戦交える。ラフェンサは牽制として部隊を待機させて」
『分かりました』
相手が奈緒たちを弟の仇と思っているのなら、一気に攻め寄せてくる可能性も否定できない。
ある程度、それに対する備えをしておく必要があった。
次の連絡相手はセリナだった。飛行部隊を揃えて待機しているだろう彼女へと通信をつなぐ。
「セリナ。君たちの部隊は援護に回ること……僕と傭兵団で攻撃してみるよ」
『分かったわ。……気をつけてね』
「大丈夫。目的を達成するまでは死なないよ。死ぬのは怖いしね」
『……そうね』
これで大体の指示は終わった。
前日にしっかり睡眠を取っているので身体も軽い、これなら好調に戦えそうだ。
(龍斗、行ける?)
(任せとけよ、親友……今日の俺は一味も二味も違うぜ)
(うん、頼もしいよ。……頑張ろう)
(ああ、やるぞ!)
士気も随分高い。
動悸が激しくなっているのを強引に抑えながら、そっと深呼吸した。
カスパールは傭兵団を動かすために走っていった。いよいよ、本格的にクラナカルタとの戦いが始まる。
後ろに立っていたゲオルグは牛の顔なのに感情豊かに笑いながら奈緒の背中を叩いた。
「がっはっは! まあ、あれだ! お嬢ちゃんのためにも、頑張らねえとな!」
「……うん、そうだね」
「よっしゃ、仕事だ仕事ぉ! オレたちの力ってやつを見せてやるぜ、大将!」
陣が慌しくなっていく。
殺し合いの雰囲気を感じ取って武者震いする奈緒だったが、しっかりと前を見据えた。
それじゃあ、せいぜい。
自分のために殺し合いを肯定していこう。戦争とは言い訳のしようもなく、そういうものなのだから。
◇ ◇ ◇ ◇
リウイ暦五十五年、五月二十二日、光の日。
ナザック砦の前方に敷かれた陣から出撃を告げる雄叫びが響き渡った。
討伐軍の傭兵部隊、百名。
クラナカルタ軍との前哨戦を示すように、血気盛んな勇士たちが砦を落とすために地響きを轟かせる。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
獣の咆哮だけで威圧感を醸し出す。
ゴブリン族、オーク族、悪魔族にリンクス族にバード族、様々な種族が織り交じった混成部隊が出撃した。
対するのはナザック砦の司令官、オーク族の酋長の一人であるベイグ・ナザックだ。
ナザック砦という名称からしても分かる通り、この砦は代々急進派である彼らナザックの酋長たちが治めている。
その主たるベイグもまた、百人の怒号に負けないほどの声を張り上げた。
「叩キ潰セッ!!!」
ナザック砦の外壁を攀じ登ろうとする傭兵たちに向けて、ベイグの指揮で蛮族たちが襲い掛かる。
突風のような喊声、怒号とも嬌声とも分からぬ人が出したとは思えない声が、砂漠の砦に響き渡る。
天まで届くほど高く、地の底に響くように重い人の声、声、声。
この雰囲気が嫌でも重い知らせてくれる―――これが戦争だと。
傭兵たちも、蛮族たちも、思い思いの得物を抜いて前進する。
わあ、わあ、と……思い思いの雄叫びを上げながら。
戦いの火蓋が斬って落とされた。
悲鳴、怒号、喊声……憎しみの言葉から生き残ろうとする執念が、ビリビリと鼓膜を伝ってくる。
龍斗はグッと、右手に握る大剣を強く掴んだ。手のひらに伝わってくる感覚が、かろうじて生を実感させてくれる。
(畜生……怖ええなぁ……!)
(龍斗。僕たちの狙いは、砦の門を調べること……できる?)
(俺を、誰だと思ってやがる、親友……!)
龍斗は誰よりも先に前へと出た。
砦の奥からは魔法が放たれている。その中には龍斗の天敵である炎すら混じっている。
それすらも無理やりに耐え、龍斗はただ先頭を切って走っていく。
背後のほうで全力疾走するミノタウロス族のゲオルグは、泡を食ったかのように叫んだ。
「お、おい! 大将が前に出ちまうのはまずいだろぉ!?」
「うるせえ! テメェの心配をしやがれッ!!」
「うぉぉ……これが噂の二重人格!?」
驚愕するゲオルグの声で心の中の奈緒は違うよ、と言いたいがそれどころではない。
龍斗は魔法の雨の中を掻い潜り、一気にナザック砦への距離を詰めていく。
総司令自らの先陣を切った影響からか、傭兵たちもまた士気をあげてナザック砦へと殺到した。
「カスパール! 援護は頼むぜえ!?」
「はいはい、隊長」
ゲオルグの背後には眼鏡をかけた悪魔族の青年、カスパール・テルシグが弓を構えていた。
傭兵団副長の彼は引き絞った矢を発射すると、狙いすましたかのように飛翔していく矢は敵兵を撃ち抜いた。
距離は百メートルほど。弓の射程距離のギリギリの地点で狙いをはずすことなく、彼は次の敵兵を貫く。
弓を射るカスパールを見て、敵兵の一人が横へ避けようとするが。
「逃がしません。魔弾を見せてあげますよ」
ヒュン、と風を切る音がした。
弦から放たれた矢を確認して、敵兵はすぐに横へと回避行動を開始した。
既に射られている矢は方向を変えることは出来ない。それは絶対の真理というものだったが。
カスパールの放った矢はその概念を軽々と打ち破る。
矢は直後に方向転換し、敵兵が避けた方角へと一直線に進んだのだ。
敵兵が驚愕するまでもなく、カスパールの矢は彼の胸元へと突き刺さり、呆気なく敵兵は絶命した。
龍斗は口笛を吹き、ゲオルグは得意そうな顔で解説する。
「カスパールの魔法は低レベルの風なんだがよお、これを矢に付加することで曲がる矢にできんだよ」
「すげえなぁ、そういう使い方もあんのか……」
「ま、カスパールの魔法の力は弱いんだけどな。精密射撃だけがあいつの取り柄みてえなもんだ」
「隊長の取り柄は図体だけですけどね」
「なんだとぉ!?」
相変わらずの緊張感のない漫才で、龍斗の緊張も少しほぐれた。
今回の戦いは直接ナザック砦を落とす戦いではないので、深入りはしないように命令している。
あくまで相手の出方を窺うための前哨戦であり、そして奈緒の作戦を詰めるための情報集めでもあるのだ。
そうこうしているうちに、一番乗りの龍斗はナザック砦の外壁へと辿り着いた。
近くにはいかにも頑丈そうな門がある。
(試験その一、門の硬さ。龍斗、思いっきり鉄の門を大剣で斬り付けてみて)
(よっし、任せとけ!)
破剣の術で筋力を増強した龍斗は、大きくナザック砦の南門に向けて大剣を振り下ろした。
叩き付けた直後に、酷い金属音と両手が痺れるほどの激痛が龍斗を襲う。
ぎっ、と嫌な叫び声をあげたくなるが、そこはグッと堪えることにした。
叩き付けた門の跡を見て、龍斗は詳細を報告する。
(っ……ダメだぁ! 破剣の術を使っても打ち破れねえ! 相当に硬いわ、これ!)
(やっぱりね……単純に力任せで破れるわけないか)
(……魔法も無理って言ってたよなぁ)
(龍斗。ちょこっと欠けた破片を持っていこう。少し調べたいこともあるし)
龍斗の一撃で僅かに欠けた鉄の破片を、龍斗は言われるままにポケットの中へと入れる。
周囲を見渡すと傭兵たちも既にナザック砦の外壁で攻防を繰り返していた。
何人かは一気に攻め登ろうとして、城兵の攻撃で大地へと叩き付けられている。
ゲオルグとカスパールも龍斗の身を案じている場合ではないらしく、あちこちを転戦して戦線を維持している。
(……試験その二、外壁の硬さ。龍斗、同じように叩きつけて)
(相変わらず人使いが荒いぜ……)
痺れた両手に喝を入れながら大剣を振り下ろした。
外壁もがりがりと音を立てて破砕するが、ナザック砦そのものに影響はしない。
石造りの外壁らしいので、鉄の門よりは若干脆いらしい。普通の砦とは違うなぁ、と奈緒は思う。
(……普通、門が弱くて外壁が硬いと思わない?)
(まあ、あれだ。自然の要塞だから入り口だけガードできればいいんだろ、きっと)
(確かにそうかも。外壁を崩されたからってそれが砦を落とされる、には繋がらないだろうし)
石のほうは魔法で崩れないかなぁ、と奈緒は思うのだが、壊すのはやめることにした。
それはまた後の話だ。いま、ここでやる必要はないだろう。
最悪、全軍の魔法で一気に外壁を打ち崩してナザック砦を廃墟に変える、という作戦も視野に入れている。
だがそれぐらいならラキアス軍だってやっているに違いない。
きっと外壁は崩れても地の魔法で簡単に修復できるから、という常識で誰もやらないのだろう、と奈緒は思った。
(それじゃあ、試験その三。龍斗は、この外壁を登れる?)
(そう、だなぁ……ラピスも外壁に登れたみてえだし、多分できると思うんだが……)
(危ないかな、やっぱり)
(危険なのは確かだけどよ……それってただの試験か?)
(ううん、作戦をちょっと実行に移す。ちょっと卑劣って言われるかも知れないけど)
試験じゃなくて作戦の一環というのなら、龍斗にも否やはない。
外壁は完全に断崖絶壁なので、ところどころを大剣で破壊して足場を作りながら外壁をよじ登っていく。
ロッククライミングの要領で龍斗はどんどん上へと上がっていく。
(俺は登山家選手権で全国大会に出たこともあるんだぜ!)
(龍斗のハイスペックが地味にすごいと最近思うよ)
しかし、途中でやはり敵兵に気づかれてしまった。
大きな石を落として侵入を防ごうとする敵兵に対し、龍斗は片手で外壁の凹凸を掴み、片手で大剣を振る。
薙ぎ払うようにして石を弾き、そのまま一気に外壁を登り切った。
龍斗は石のお礼として投げつけたゴブリン族の敵兵を大剣で一気に薙ぎ払い、気絶させた。
(な、なんとか……なったけどよ)
(うわぁ……)
龍斗と奈緒の眼前に存在したのは夥しいほどの敵兵、敵兵、敵兵。
砦の上だけでぎゅうぎゅう詰めのようにして、二百名以上もの蛮族たちの瞳がこちらを睨み付けていた。
瞬間的に二人は判断した。
此処にこのまま留まっていたなら、確実に死ぬ。
奈緒の魔法や龍斗の破剣の術といった、個人の戦いでどうにかなる問題ではないことが明らかだった。
(龍斗!)
(おう、分かってる! もう、あれだ! こうなったら飛び降りるぞ、こら!)
(その前に『シェラ』をさっきのゴブリン族の服に引っ掛けておいて!)
(ああん!? まあ、いいけどよ! とにかく、もうさっさと逃げるぞ! 三十六計逃げるに如かず!)
龍斗は高速で気絶したゴブリン族の男の服に、持っていた伝達魔術品シェラを取り付けた。
ちなみに新品であり、奈緒は破壊されたときのことも考えて予備のシェラを持っている。
結構値段が張るため、このような雑な扱いはしたくない。
だが試してみる価値のある作戦ではあるため、奈緒はシェラを相手に渡すように指示し、龍斗は実行する。
そして逃げるようにして十メートルほどの高さがある外壁を、一気に飛び降りた。
「うおおおおおおおおおおああああああああああ!!?」
重ねて言うが、十メートルという高さである。
昔の龍斗の身体でも足の骨が折れるかも知れない、というのは馬鹿にはならない。
下を見たら飛びおりるという意思が挫けそうだったので下は見なかった。
直後、怒りと狂気のこもった魔法の一撃が、砦の上のほうで放たれ、衝撃波でさらに身体が揺れた。
まずっ!? と龍斗の身体がバランスを崩したまま、地面に叩きつけられようとして。
がしり、と飛行部隊長のセリナが、彼の体を受け止めて飛翔した。
さすがに重力の影響もあってか、セリナの美しい顔立ちにも苦痛の色が見て取れた。
それでも何とか衝撃は緩和したらしく、そのまま奈緒を抱えて空を飛ぶ。
彼女は大変ご立腹のようで、怒鳴り散らすような声は戦場での怒号の中でも奈緒の耳に届いた。
「馬鹿! 馬鹿じゃないの、ナオ!? あんな危険なことして!」
「痛い痛いっ! 俺は龍斗のほうだぞ、セリナぁー!」
「知らない……知らないわよ、馬鹿! 一人単身で外壁をよじ登るだなんて……あなたたちは馬鹿よっ!」
何だか、とんでもなく怒っているらしい。
実際に怒られているのは奈緒なのだが、心の中に避難中であり、龍斗が耳元に怒声を浴びせられている。
覚えてろよ、奈緒、という龍斗の恨めしい声に拝み倒す奈緒だった。
龍斗は何とかセリナに怒りを収めてもらうようにすると、予備のシェラを取り出した。
「総司令より全軍へ! 一度退却だ、味方の回収を忘れんなよ!」
総司令からの退却命令が各陣営の長へと伝わり、隊長から指揮している兵たちへと伝令が伝えられる。
ゲオルグとカスパールの二人はアイコンタクトで頷きあうと、退却の号令を下した。
傭兵たちは気絶したり、足をくじいたりして動けない仲間たちを背負うと、すぐさまナザック砦から距離を取っていく。
奈緒は龍斗と体を入れ替えると、すぐにセリナへと矢継ぎ早に指示を下す。
「セリナ! 飛行部隊で援護をするよ! 蛮族たちの追撃を許さないように!」
「分かったわ……飛行部隊! 遠方から砦に向けて魔法攻撃、開始!」
セリナの号令でナザック砦の外を旋回していた竜人族やバード族が一斉に魔法を放った。
炎、風、水などの色鮮やかな攻撃が砦にいる蛮族たちへと降り注ぐ。
奈緒もまたセリナの代わりに魔法攻撃を駆使して、蛮族たちが追撃の兵を出す余力を奪っていく。
『こちらゲオルグ、退却は完了したぜ!』
「了解。セリナ、飛行部隊も退却させよう」
「ええ!」
セリナは飛行部隊へと退却の号令を伝え、大空を舞う彼らもまたナザック砦を離れていく。
今回の戦いでナザック砦の要害としての力を思い知らされた。
やはり真正面からの戦いではどうしようもない。全軍を一気に突撃させたとしても、消耗戦となって敗北する。
一計を案じなければ、この天然の要塞を打ち破ることは出来ない。
そして、そのための布石も今回の戦いで用意した。残りはうまくいくように全力を尽くすだけ、ということになる。
セリナに抱えられながら、奈緒は唇を噛み締めて戦いの厳しさを実感していた。
◇ ◇ ◇ ◇
「傭兵団の負傷兵は二十名ほど、飛行部隊も数名が戦線を離脱しました」
「死者は奇跡的に出ていません。ですが、負傷兵に関してはもはや戦力にはならないと考えてください」
「そう……犠牲者が出ていないのは、ほんとに僥倖だったね」
後方支援のジェイルと、傭兵団副長のカスパールの報告に奈緒は溜息をついた。
予想通りの結果に終わった砦攻略戦。最初から勝てるとは思ってなかった戦い、と言うと聞こえが悪い。
奈緒が情報を集めるために負傷した兵には申し訳ない、と思っている。
だが、そんな弱音は言ってはならないことを奈緒は肌で感じ取り、罪悪感を無視して発言した。
「でも、今回の戦いは無駄じゃなかったよ。それは間違いない」
「ナオは何か分かったの?」
うん、と自信をもって首を縦に振った。
この場に集まっている首脳陣の顔色は、ナザック砦という要害に対して不安げに揺れている。
彼らの不安を僅かでも払拭するために、奈緒はジェイルへと呼びかけた。
「ジェイル、鉄は手に入った?」
「えっ? あ、はい! ここに……」
「ありがとう」
ジェイルから前もって頼んでおいた鉄の塊を受け取った。
奈緒はこれをテーブルの上に置くことなく、床へと転がした。全員の表情が怪訝そうなものになる。
転がされた鉄を見やる奈緒は、やがてセリナへと視線を向けて言った。
「セリナ。この鉄に炎の魔法をぶつけてくれないかな」
「え? ええ、いいわ」
「出来る限り長時間がいいな。鉄が火に炙れて、僕が持てなくなるぐらい」
奈緒に言われるままに、セリナは炎の魔法を鉄の塊へとぶつけた。
飛び火しないように注意を払いながらも、まるで融解させてやろう、とばかりに炎が鉄を熱していく。
だが、何も起きない。何も起ころうとはしない。
鉄に炎を当てる作業を数分間続けていたが、痺れを切らしたゲオルグが呆れ顔で語った。
「なあ、大将。確かに鉄は炎で溶けるけどよ、それはすげえ高熱じゃねえといかんのよ」
「うん、そうだね。さすがに炎だけで鉄の門をどうにかなるとは思ってないよ」
「それじゃあ……」
どうすんだ、と言おうとしたところで奈緒はセリナの肩を叩いた。
セリナは炎の魔法をやめると、ふう、と疲れたように息を吐く。彼女にありがとう、と伝えて奈緒は微笑んだ。
そして改めて熱された鉄を見下ろすと、右手を向けて挑戦するように語る。
「こうしてみたら、どうかな」
右手から放たれたのは氷の魔法だ。
凍結せよ、という言霊をもって空気中の水分が集まっていき、鉄という塊を急速に冷やしていく。
この作業の数分間ほど続けた。
「おいおい、わざわざ熱した鉄を冷やしたって……あん?」
変化は、唐突に訪れた。
硬い鉄の塊にひびが生じ始めているのだ。
ぱき、ぱきり……と音を立てて崩壊を始めていく鉄を首脳陣が呆気に取られて見つめていく。
奈緒だけはこの光景を予想していたようで、口元に笑みが零れた。
「知識でしか知らなかったけど……どうやら、この世界の鉄は僕の想像以上に不純物が少ないみたいだね」
「ふ、不純物……?」
「うん。あ、セリナ……疲れてるのを承知で頼むけど、これも同じように熱してくれないかな」
ポケットから取り出したのは、鉄の門の破片だ。
奈緒の言葉に否、とは言わないセリナは崩壊した鉄を見て呆然としながらも、その言葉に頷く。
改めてもう一つの鉄を熱するセリナを尻目に、奈緒は今の現象について説明した。
「熱疲労って言うんだけどね。端的に言えば、岩石とかは高熱を受けた後で冷やすと、脆くなるんだ」
どうやら、この世界には熱疲労という概念がないらしい。
初めて聞いた、と言わんばかりの彼らの表情に奈緒は苦笑するが、実は奈緒自身もおぼろげな知識だった。
鉄は果たして熱疲労を起こしたっけ、などと思っているのだが、少なくとも『この世界の鉄』は大丈夫のようだ。
恐らくは鉄の中にある不純物が少ない、純正の鉄なのだろう。
「どれくらいかというと……」
奈緒は最初に冷やしておいた、ぼろぼろの鉄を拾い上げると、思い切り地面に叩き付けた。
それだけで龍斗の剛剣でも歯が立たなかった鉄は、真っ二つに割れてしまう。
おおお、と驚きの声があがるなか、奈緒はホッとしたような表情で語る。
「こんな簡単に崩れるぐらいに」
「こりゃあ……すげえぞ」
「……つまり。あの鉄の門に炎の魔法をぶつけ、そして氷や水の魔法をぶつければ、同じように『ネツヒロウ』を……?」
「ナオ殿が、わたくしに炎と氷の魔法を使う兵を選別しておくように言ったのも、それなのですね……?」
うん、と再び奈緒が首を縦に振って肯定した。
セリナの肩を叩いてありがとう、と労いの言葉をかけ、改めて鉄の門の欠片に冷気をぶつけた。
結果は同じだった。ぱきり、ぱきり、と罅割れていく鉄の欠片は作戦の有効さを証明している。
奈緒の想像以上にこの世界の鉄は、熱疲労に弱いらしい。
「でもこれは、鉄の門をぶち破る手段であって、敵軍を打ち破るための策略じゃない」
「……そうですね。それがしが見たところ、想定より少ないとはいえ、敵軍の数は四百以上です」
「こちらは三百……差はそれほどでもないのでは?」
「いえ。鉄の門を打ち破るのに炎使いと氷使い、あわせて百名を使います。実際には二倍以上でしょう」
ラフェンサの冷静な指摘に首脳陣も唸るしかない。
現に炎を使ったセリナですら、かなり疲れが溜まっている。奈緒は今日、魔法を使っていないから平気だが。
実際の鉄の門はもっと巨大だ。故に炎も氷もそれなりの人員を配置する必要があるだろう。
敵軍をどうするか悩む彼らに対し、奈緒が第二の策を語る。
「そこで、このシェラの出番ってこと、かな」
からん、とテーブルの上に伝達魔術品シェラの予備を置いた。
わざわざ砦の上まで登った理由は、相手にこのシェラを届けるためだった、と奈緒は龍斗に語っている。
どんな意図があるのか分からず、首をかしげたゲオルグが代表して発言する。
「そいつを、どうすんだ?」
「シェラを相手のゴブリン族の兵の一人に忍ばせている。これを使って工作をする」
「工作……具体的に言うと?」
「うん。ゴブリン族とオーク族の仲を更に悪くする。うまくいけば、ゴブリン族はこちらの味方に加わってくれるかもね」
ざわざわ、と大きく首脳陣たちの表情が崩れた。
皆が偏に驚愕、という感情を刻み付けていた。シェラをそのように使う、という発想が今までなかったのだ。
彼らの中での常識は良くも悪くも『魔法』に依存していた。
魔術品も魔法強化や補助魔法としての効力を生み出すものばかりが作られ、シェラもそうした補助の一環だ。
だが、奈緒のように魔法に疎く、シェラも携帯電話のようなものだと判断したからこその案に驚いた。
「で、ですが……そう簡単にゴブリン族を味方につけることが……?」
「分からない。言っておいてなんだけど……僕も初めての試みだから。でも、やってみる価値はあると思うけど」
「そうね。試しにやってみましょう」
「それじゃあ、皆は少し黙っててね。スイッチを入れるから」
がちゃり、とシェラへと触れ、魔力を流通させた。
この宝玉は魔力を流通して初めて使える魔術品であり、それがなければただの宝石だ。
ラピスも偵察のときには部下のリンクス族の魔力を利用している。基本的に魔力が通れば一時間は使える。
いま、この瞬間、ナザック砦の内部との連絡手段が繋がった。
「もしもし。こちらはナオ・カリヤです。ナザック砦、応答願えますか?」
さあ、誰が出てくるだろう。
期待と不安に、奈緒は人知れず動悸を激しくさせながら口元を歪めた。