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第24話【ナザック砦】




リウイ暦五十五年、五月二十一日、風の日。

討伐軍は正式にクラナカルタへと宣戦布告を表明し、ラキアスとオリヴァースもそれを支持した。

クラナカルタ魔王のギレン・コルボルトはそれを受理。

元よりオリヴァースを滅ぼすつもりだった彼からすれば渡りに船、というところだったのだろう。

即座に千を超える軍を動かし、兵を要所へと配置するように呼びかけた。


奈緒を総大将とした討伐軍、約四百名はクィラスの町を出発する。

百人単位の動きはやはり遅々としたもので、特に砂漠に不慣れなオリヴァース正規軍が苦戦した。

砂漠の途中で奈緒は首脳会議を開き、集まった首脳陣に向けて言う。


「現状の報告を、参謀ジェイル」

「は。我々はただいまクラナカルタ領の砂漠を横断中ですが、正直に申し上げまして苦戦しています」


砂漠の横断は体力を消耗する。

水の補給でどうにか持っているのだが、遠征軍の弱点は移動時間と言っても過言ない。

百人規模の水を用意するにも労力を必要とするのだ。

結果として進軍速度は落ち込み、士気の低下などを誘発する危険性が高い。


「これまでの遠征軍も砂漠の行軍で体力を使いきったところを奇襲されています」

「天然の要塞、のようなもんなんだよ。大国ラキアスも易々と手を出せねえ理由のひとつってわけだ」


傭兵隊長、ゲオルグ・バッツは大きな身体を揺らしながら地図を指差した。

クラナカルタは国としては最北に位置し、山や荒地に囲まれている。更には隣接する国の前に砂漠がある。

砂漠で体力を奪われた遠征軍を待ち受けるのは、クラナカルタが誇る前線の砦だ。


「ここが問題だな。ナザック砦だ」

「ご存知のとおり、堅牢な砦で難攻不落を誇っています。規模は小さいのですが、周囲の地形が問題ですね」

「クラナカルタ領は入り口すべてが砦っていうふざけた国だ」

「この地図を見てください」





    山       ナザック砦      山   

―――――――――[_____]―――――――――      


            ↑ ラピス

    ↑ ラフェンサ    ↑ 奈緒

         ↑ 傭兵団       ↑ セリナ



            砂漠一帯


※ナザック砦は東西南北に門がある

※山は険しいが、軽装備の者なら乗り越えられる




「基本的にこのような形となってしまいますね」

「……難しいわね」


カスパールの説明に苦虫を噛み潰した顔をするのはセリナだった。

攻略が困難だと分かるのは奈緒を初めとした他の者たちも同じようで、むむう、と唸る。


「本来、攻めは篭城する相手の三倍の兵力が必要、というのが鉄則ですからね」

「むしろこっちが三倍の兵力を付けられてるね」

「攻め落とすのは容易じゃないのは確かですが……申し訳ありません。わたくしたちが足を引っ張って……」


ラフェンサは難しい顔をしているが、それも仕方がないだろう。

傭兵たちは砂漠に慣れているし、クィラス軍は全員が飛行能力を持っているが、ラフェンサの正規兵は違う。

普通に歩いていかなければならないし、砂漠に不慣れなのも致し方ない。


「仕方ないよ。それよりも方法を考えようか……鉄則としては誘き寄せて各個撃破が望ましいね」

「ナオ殿、いかに蛮族とはいえ……挑発に簡単に乗るでしょうか?」

「うーん、むしろ相手のほうが挑発って得意そうだよね。傭兵たちにやらせてもいいけど……」

「そうこうしているうちに体力使っちまうぜ」


だよねえ、と奈緒が顎に手を当てながらぼんやりと思考を巡らせた。

蛮族たちは篭城しているからこちらが消耗してしまう。

自分たちは何とか誘き寄せたいと考えている。

そして、蛮族はこちらの消耗を待ってから攻めてやろう、と考えている。


(ん……? この三段論法から導き出せる答えは……?)


もう少し考えてみろ、と自分に言い聞かせた。

自分の手札を再確認する。どのカードを切ることができるかを改めて考えてみる。

セリナの飛行部隊、ラピスの切り込み部隊、ゲオルグたちの傭兵部隊。

ラフェンサの正規兵は僅かに疲労している。犠牲を減らすためには彼らは牽制に利用したほうがいい。

そして他ならぬ狩谷奈緒自身は、五色の異端ミュータントだ。


「…………これは」

「どうなさいましたか?」

「ごめんちょっと黙って。もう少しで考えがまとまるから」


ジェイルの言葉を抑えて、直は更に思考を巡らせる。

ナザック砦に到着するのは明日だ。自分たちは砂漠のど真ん中で陣を張らなければならない。

長期戦は不可能。何故なら水が足りない。物資も足りない。

クィラスから輸送してくるだけで一苦労だし、ナザック砦の蛮族たちは砦の中にたくさん持っているに違いない。

それらも全て再確認、再確認、再確認。


「……ねえ、ゲオルグ。あの砦は魔法でぶち破れたりしないの?」

「あ? あ、ああ。壊れねえことはねえけど、よほど強くねえといけねえな。曲がりなりにも魔族用の砦だ」

「門を全軍の魔法で一斉に放ってぶち破る、とかは?」

「あー……一応は鉄製の門だからな。例えば、鉄にちょっと火や水をぶつけても、びくともしねえだろ?」

「結論を言うと、完全に破壊することはできません」


カスパールの結論を聞き流しながら、新しい情報を頭の中に叩き込む。

ナザック砦の門は鉄製らしい。この世界にも鉄というものは存在する、ということを改めて頭に叩き込む。

問題は彼らの言う鉄と、奈緒の世界にあった鉄が同じかどうか、ということだが。


「ジェイル。ナザック砦と同じ材質の鉄、取り寄せられる?」

「は……? は、はあ。一応リーグナー地方は鉄や鉱物の特産地ですから、すぐにでも……」

「持ってきて。掌に乗るサイズぐらいでいいから」

「は、はい!」


ジェイルに指示を送りながら、奈緒は思考を回転させて今後の展開を考える。

うまくいかない可能性も十分にあるし、ただの高校生の知識だけでは限界というものがある。

情報だ、情報が足りない。様々な情報が欲しい。


「ラピス」

「はっ!」

「ラピスの部隊を五名一組に分けて、周囲の情報を索敵。敵の詳しい兵力から、どうでもいい情報まで」

「ど、どうでもいい、ですか?」

「そう。ナザック砦の事情とか、見張りの兵が何人だとか、何でもいいから無理はしない程度に」

「は、はい!」


奈緒の命令を受けて、ジェイルに引き続いてラピスも天幕を飛び出していった。

矢継ぎ早に命を下す奈緒を見てゲオルグは口笛を鳴らす。

考え事をする彼の翡翠の瞳は爛々と輝いていて、何故だか生き生きしているように見えた。


「ラフェンサ。水は何日くらい持つかな」

「……はい。砂漠では消費のペースが早く、一週間も持たないかと……」

「分かった、一週間以内に砦を落とす必要があるね」

「い、一週間ですか?」

「とにかく、ラフェンサの部隊は牽制に回ってもらうよ。ある意味では遊撃隊、だね」


奈緒は地図を凝視しながら、ゲオルグとカスパールにも声をかけた。

戦いにおいて彼ら以上に参考になる者はいない。


「ゲオルグ、カスパール。傭兵団には働いてもらうよ」

「おう」

「一時的に僕の指揮下に入って。精強な傭兵団の力を見せてもらうから」


二人は奈緒の言葉に不敵な笑みを浮かべて頷いた。

既に傭兵たちは奈緒に歯向かうようなことはしないし、彼が矢面に立つのなら士気が上がる。

本来なら大将が前に出る、という行為自体が愚行なのだが、文句は言わなかった。

この戦いは厳しい。恐らく、よほどのことをしなければ勝てないだろう。


「最後にセリナ、本当ならやらせたくないんだけど」

「なにかしら?」

「明日には出撃するよ。飛行部隊三十名、きっと一番大変だと思うけど」

「望むところよ、ナオ」


セリナは笑顔で彼の言葉を肯定した。

元より彼女が願った戦いの序章だ、彼女が命を賭けて戦うことは当たり前だろう。

奈緒本人は戦わせたくない、とすら思っていたがそういうわけにはいかない。

彼女もまた二色の属性を持つ才能ある者だ。並みの傭兵たちなどよりも、よっぽど戦力になる。


「ああ、それとラフェンサ。炎属性と氷属性の魔法を使う兵たちを全員選定しておいてくれないかな」

「……? どうするのですか?」

「無駄かも知れないけど、もしかしたら、って可能性があるんだ」


奈緒はそう言うと地図をたたみ始めた。

会議は終わり、といったところだろう。それを確認してゲオルグとカスパールの二人も天幕から去っていく。

残されたのはセリナとラフェンサ、そして奈緒だけだ。


「それじゃ、セリナ。詳しい作戦を伝えるから残って」

「ええ」

「ラフェンサ。選定ついでにそろそろ出発するから、指揮をお願いね」

「分かりました」


それではこれにて首脳会議、終了。

ラフェンサが足早に去り、残されたのは奈緒とセリナの二人だけ。正確には龍斗も入れて三人だが。

ふう、と息をひとつ吐いて奈緒は椅子に座り込むと、頭を抱えた。

作戦は下したし、人事も尽くしたがそれでも不安は消えてなくならないのだろう。


「……大丈夫?」

「ん……」


ぐてー、とテーブルの上に突っ伏した。

今では軍の指揮というのもかなり慣れたものだが、それでも胸を抉る罪悪感は収まらない。

奈緒がやっていることは戦争であり、殺し合いの指揮だ。

自分の指示ひとつ、指先ひとつ、号令ひとつで何十人も何百人も死んでいくことになるのだ。

ある程度割り切ったとしても、やはり精神的な疲労というものはどうしようもないだろう。


「少し部屋で休んでからのほうがいいかもしれないわ」

「んー……でも、一応は作戦を伝えとくよ」


むくり、と起き上がる奈緒の表情は疲れが色濃い。

実際、周囲から見た彼は不眠不休だ。この一週間で彼が寝たのは十時間にも満たない。

魂状態で片方が眠り、片方が起きる、という荒業を行ったためだ。

二十四時間働き続けるエリートサラリーマンも夢じゃない、と思っていたが、人生はそう上手くはいかないらしい。

やはり魂とは別に身体も休みを入れなければ、壊れてしまうということが良く分かった。


「まず、僕が考えたのはね。水の確保をどうしようかな、って」

「水、ね。確かに砂漠の行軍には必要不可欠よね」

「うん。一週間しか持たないし、相手は砦の中にたくさんあるだろうから、問題はないんだろうけど」


だからこそ、と奈緒は疲れを滲ませるような痛々しい笑みを浮かべながら。


「砦から水を奪っちゃえばいいかなぁ、って。飛行部隊を使って」


奈緒の献策にセリナの瞳が静かに細くなった。

彼女自身も戦争の素人であるから断言はできないが、その作戦自体は難しい気がする。

水は砦の中にあるだろうし、飛行部隊で侵入することはできても室内での戦いとなれば、飛行能力の意味がない。

よしんば水のある場所まで辿り着けたとしても、三十人が運ぶ水が三百人以上の部隊の水となるかどうか。


「難しいわよ、それ。危険も大きいし、成功しても一週間から十日に期間が延びるだけ」

「ううん、水自体は目的じゃないんだ。危険なのは確かだけどね」

「……?」


首をかしげるセリナだが、さすがに総司令は無謀な作戦は立案しないらしい。

一週間の間で得た情報を鑑みながら、必死に考えた高校生の作戦。そんなものに千人以上の命が関わる。

その重圧に耐えながらも奈緒の言葉は止まらない。


「水はむしろ、そこら辺にぶちまけてしまってもいいよ。重要なのは相手を怒らせることだから」

「……挑発?」

「うん。少なくとも砦の攻略をするよりは、野戦のほうがまだ勝算があるからね」


もっとも、勝率一割にも満たない戦いがようやく二割に届くかどうか、という厳しい戦いになるが。

砦の中に篭もっている敵軍を誘き寄せる策ならいくつか用意できた。


「後は、僕が砦に向けて毎日大きい魔法をぶつけることかな……さすがに砦が壊されていったら、相手も出てくる」

「……そうね。でも、魔法の直撃を恐れてどんどん引き篭もる可能性がないかしら」

「そのときを狙って水を奪う。強奪じゃなくて破棄の方向だけど……水や食料が必要なのは野戦も篭城も同じだよ」


そしてクラナカルタは生産性がない国だ。

無くなってしまったものを手っ取り早く得るためには、相手からそれを奪うしかない。

そして砦の目の前には水を持っている討伐軍がいる。

例年、何度も撃退してきたオリヴァース軍を初めとした、絶好の獲物が目の前にいるのなら。


「水がなくなれば、彼らは出てこざるを得なくなる」


もっとも、出てきたから確実に勝てる、などという甘い戦いではないことはいうまでもないが。

砦にどれくらいの兵力がいるかを知ること、これが第一だ。

もしも早速千人という人員が集まっていたなら、野戦はおろか水を破棄するために侵入することすらできない。

これもまたラピスの情報待ち、といったところだろう。

それもちゃんと把握した上で、もしも敵軍の兵力と自分たちの兵力が互角ならば、勝ち目はある。


「野戦はどうするの?」

「相手の戦力の詳細にも寄るだろうね。以前のクィラスの町みたいに、魔物との混成軍なら対処が難しいから」

「そうね……でも、十中八九、混成軍だと思うわ」

「うーん、ゴブリン族やオーク族だけの、前線で戦う気満々の彼らならなぁ……出てきたところを遠くから狙撃で」

「…………酷いわね」


戦争なので、と適当に返して奈緒は大きく背伸びをした。

この作戦の致命的な欠陥は相手の兵力がそれほど集まっていない、というところに賭けるしかないところだ。

それなりに勝算はあるにしても確実ではない。

むしろ確実に勝てる戦争なんて言うのは、もはや戦争ではなく虐殺なんだろう、と何となく思う。


「仮にそれが成功したとしても、結局野戦部隊を撃破できただけで砦は落とせないんじゃない?」


敵戦力を削ることができたとしても、砦の中にはまだ兵力が残っている。

野戦を戦ったその足で一気に攻め落とす、というのが出来ればいいのだが、やはりそこまで甘くないだろう。

奈緒がナザック砦の指揮官ならば、野戦は兵力の半数を僅かに上回る程度の兵力をけしかける。

相手が確実な勝利によって全軍出撃してくれるならやりやすいのだが。


「砦についても、一応いくつかは」

「え、あるの?」

「……ごめん。まだ自信はないんだ。まだ絵に描いた餅、って感じだけど」

「うまくいくかは別にして、考えてはいるのね?」


うん、と机に突っ伏しながら肯定するように首を縦に振った。

セリナは向かい側の椅子に座って、奈緒の黒髪へと手を伸ばし、髪質を楽しむように撫でている。

何だか凄く気持ちいいので、奈緒は子ども扱いされる文句も言わずに話を続ける。


「何にせよ、情報が第一。戦争に勝つために必要なのは兵などの戦力が三割、情報が七割ぐらいだからね……」

「オリヴァースに協力の取り付けとか、傭兵制圧戦とかのアレって三割しかないの?」

「良く言われる話だけど情報は武器だからね……情報……ん?」


ふと、再び奈緒の脳裏に何かがよぎった。

うーん、と考え込む少年の顔をセリナは楽しそうに眺め続けるだけだ。

考え事をしている奈緒には声をかけないほうがいい。


「……そうか……そういう手も……いや、しかし……」


そんなことを呟く奈緒だったが、やがてかしゃり、と瞳の色が切り替わった。

紅蓮色の瞳の持ち主である鎖倉龍斗は、苦笑いにも似た表情を浮かべながらセリナに手を振る。


「……あら。ナオは内側に引っ込んじゃったの?」

「みてえだな……最近、ほんとにあいつが頭を悩ませるシーンばっかりな気がするぜ」

「そうね……ナオにだけ負担を背負わせている気がするわ」


龍斗が出てきたので頭を撫でるのもやめておく。

彼は奈緒と違って子ども扱いされるのは好きじゃないらしい、というか男全員そういうものだと言われた。

甘えてくれるほうが嬉しいときが多い、という女性陣の言葉もあるが、これについても千差万別。

それも含めて人それぞれ、という意見で一致する今日この頃なのだった。


「それで、今日もするの?」

「ほんのちょっとだけだろうけど、頼むわ。俺に出来ることはこれだけだからな」

「分かったわ」


そんな言葉を口にしながら、二人もまた天幕から去っていく。

場所は人目につかない、敷かれた陣の端っこの端っこへ、警邏の者すら通らないような場所へ。

明らかに裏取引が行われてます、とか。イチャイチャするにももってこい、とか。

そういうブラックゾーンで龍斗とセリナの二人が向き合った。




     ◇     ◇     ◇     ◇




「準備はいいかしら?」

「……おう、来い」


龍斗の表情は悲壮なものだった。

死ぬと分かっても戦いに行く兵士の顔をした龍斗は、息をひとつ吐いてセリナを睨み付けた。

彼女はその瞳に挑戦の意思を感じ取って、ゆっくりと頷くと。


龍斗の天敵である炎を右腕から出現させた。


ごうごう、と唸るそれは間違いなく質量を持った凶器であり、直撃すれば火傷ではすまない。

彼女はさらに中空に鎌の形をした炎をいくつか具現化させた。

その姿は圧巻とも言うべき光景で、業火を背後に控えさせて不敵に微笑むセリナが魔王にも見えた。


「行くわよ、死ぬ気で避けなさい」


この一週間、奈緒が寝ていたり考え事で心の部屋に閉じこもっているときは、毎日こうしていた。

破剣の術をある程度制御できた龍斗が、次に克服するべき対象はトラウマだ。

龍斗は自分に向けられる業火を凝視した。

それだけで腰が砕けそうになり、足が凍りつき、背中からは嫌な汗が流れ、舌が乾いて声が出せなくなる。

それでもセリナは躊躇うことなく、龍斗に目掛けて炎の鎌を投擲した。


「ぐっ……! があ……!?」


強引に恐怖を捻じ曲げて、龍斗は横っ飛びをして一撃を回避した。

最初は動くこともできずに、ぎりぎり外された軌道のおかげでどうにか助かったり、と情けない姿を見せた。

だが、今は何とか回避しなければ、という心が体を動かしているらしい。

それでも攻勢に移る、などといったことはまだ出来ない。死なないために、受けに回るのが限界だった。


それでも。

それでも。

それでも……龍斗は足を前に進める。


トラウマが何だってんだ、と。

獣のような咆哮をあげて龍斗は更に前へと進む。

炎が視界いっぱいに広がっても、飛んでくる炎の鎌に対処しながら。

ゆっくりと、しかし着実に前へと進んでいく。


「……どう、よ」

「ええ。良い調子ね」


その瞬間、セリナの背後に控えていた炎が消え失せた。

これ以上の訓練は危険だ、と判断したからだろう。現に消えたのが理解できた瞬間、龍斗は倒れてしまった。

力が入らないらしいが、無理もない。


「あなたも寝なさい。身体を休ませてあげないと……」

「悪りぃ……」

「いいのよ」


そのまま意識を失う龍斗に肩を貸す形で連れて行く。

龍斗はお礼を言っていたが、自分は礼を言われるようなことはしていない。

奈緒と龍斗、この二人を自分の都合に巻き込んで戦争という地獄と関わらせたセリナに謝罪なんて必要ない。

ただ、こうしろ、と。そのように命令しても構わないのだ。

むしろ、そうするべきなのにお人好しの二人はセリナに力を貸してくれている。龍斗の理由はセリナのためではないが。


(ほんと、私は幸せ者よね)


命を賭けても自分を守ってくれるラピスがいて。

利害関係も損得勘定もなしに助けてくれる奈緒たちがいて。

そして、セリナという少女は自然と笑顔を浮かべられるようになっている。

これほどの幸福は見つからないに違いない。最低の自分にはもったいないぐらいの幸せだ。


そう、戦争なんてものに巻き込んでおきながら、笑顔を手に入れている自分には。


それが原因で奈緒も龍斗も疲労している。

連日、頭を悩ませている奈緒の姿を見ていると心が痛むし、龍斗の頑張りには胸が痛む。

重圧を押し付け、責任を押し付け、殺し合いを強要しているのだ。


「……ほんと、最低よね」


そんなことを呟きながら、気絶した龍斗……奈緒の身体を天幕の中にあるベッドに横たえる。

久しぶりに見た奈緒の寝顔は幼い少年そのものだ。彼の顔が多少なりとも童顔なのがそれに拍車をかけている。

その頭をもう一度、そっと撫でてみる。

意外にも柔らかい髪質の感触を楽しむと、僅かに少女は微笑みながら天幕から退出していくのだった。

彼女の根底にある決意の一言を残して。


「ごめんね、ナオ。私は甘いだけの女だから……でも、それでも、戦うから」




     ◇     ◇     ◇     ◇




偵察隊として、ラピス・アートレイデは既にナザック砦の周囲に潜んでいた。

五人一組となり、六つの隊を作って情報を探れ、という指示を総司令から下され、その通りに諜報活動をしているのだ。

ラピスと、その部下四人。いずれも敏捷性と身のこなしに優れた獣系の魔族のひとつ、リンクス族で統一されている。

リンクス族のイメージとしては半人半猫を想像してくれると良いだろう。


「山を伝ってナザック砦に侵入。決して気取られないでください」

「はっ!」


破剣の術を使用したラピスと、リンクス族独特の身のこなしで険しい坂道を軽々と歩いていく。

少数精鋭という条件ならばこのような方法でナザック砦に侵入したり、超えたりすることができるのだ。

ただ、やはり身のこなしの軽い魔族は数が少ない。

飛行部隊を含めても六十ほどでしかなく、それだけの人数で千人以上の蛮族たちを打ち破ることは不可能だ。

だが、今の彼女たちは敵を倒すために侵入しているのではない。


『こちら第三部隊ですにゃ、ナザック砦の中に侵入。情報を集めますにゃ』

『こちら第五部隊ですにゃ、見張りの兵たちの会話を盗み聞き。水を飲みたい、と駄弁ってますにゃ』

『こちら第六部隊ですにゃ、ゴブリン族の姿があまり見かけられませんですにゃ』


情報を集めること。

どんな小さなことも見逃さずに、できるだけ多くのことを知る。

ちなみに彼女たちの会話を可能にしているのは魔術品の一種である宝玉、『シェラ』だ。

お互いを触れさせてさえいれば意思疎通が可能になる、という優れものの魔術品。

奈緒はこれの存在を初めて知ったとき、電話みたいだね、と言って人々の首を傾げさせたものだ。


「こちら第一部隊。敵兵力の数、種類、砦の構造、兵たちの会話、一切聞き漏らさないでください」


指示しながら自らの部隊もナザック砦へと侵入する。

ナザック砦は四方に門があり、東と西にある門は山から入ることが可能だ。

だが、当然の如く見張りの兵士がいる。彼らを叩き切って侵入したとしても情報を得る前に騒ぎになる。

だからこそ砦の石の壁をよじ登ったり、跳躍で飛び越えたりしなければならない。


『こちら第二部隊ですにゃ、食堂に侵入。水はもっと奥らしいので、とりあえず魚を貰うのですにゃ』

『こ、こちら第四部隊です! あ、あの、あのあの、何だかオーク族とゴブリン族の二人が一触即発に……!』

『こちら第五部隊ですにゃ、会話の盗み聞き継続。砦の中は構造上の関係で五百人までしか入れないらしいですにゃ』

『こちら第六部隊ですにゃ、ぶっちゃけオリヴァース軍は舐められてるみたいですにゃ』


ラピスは部下四人と共にナザック砦に小さな傷をつけていく。

砦内で遭難することは死と同義であることを彼女たちは知っているからだ。

さすがに最奥に行けるほど警備状況は甘くない。

ラピスたちが侵入できているのも、まだ本隊が砦前に到着していないからこそ、だろう。


「こちら第一部隊。第六部隊。何故、舐められていると?」

『何というかやる気が感じられませんにゃ。ゴブリン族の姿が少ないことも気がかりですにゃ』

『こちら第四部隊! あの、あの、確かに全体的に見てゴブリン族の数が少ないような……』

『こちら第三部隊ですにゃ、こちらの見解も同じですにゃ』


ふむ、とラピスは奥へと進みながら考え事をする。

ゴブリン族とオーク族が不和になっている、ということがより鮮明に表れているような気がする。

戦力も総合するとオーク族と数が少ないゴブリン族、それに魔物部隊が少々といったところか。

これ以上の詮索は危険と判断したラピスが撤退を告げようとして、別の言葉を口にした。


「第一部隊より全隊へ。沈黙してください」


直後、絶えず聞こえていた報告が途切れた。

伝達魔術品シェラの問題点は偵察には本来、向かないというものだ。

見つかってはいけない、という大事なときに向こうから報告が入れば一発でバレてしまう。

それを防ぐためにも沈黙という言葉を用意し、それを合図として撤退していくことになっている。

ラピスが沈黙、という言葉を使ったのにはもちろん理由があった。


(あれはオーク族の……)


彼女の視線の向こう側に数人の人影があった。

場所は砦内部ながら比較的浅い場所で、偵察する側からすれば無用心というほかない。

ラピスが驚いたのは体長二メートルなど遥かに超える巨体の持ち主、オーク族の男の存在だ。

周囲にいる部下らしきものたちが小さく感じられる。

もう少しで三メートルに届こうかという巨体は、とあるオーク族の男を思い出させた。


(あれが、ナザック砦の将……ということでしょうか)


ラピスはその場を後にしながら、恐らくはそうだろう、と当たりをつける。

大将が目の前にいるのなら叩き斬れれば一番楽なのかもしれないが、ラピスはその行動を取れなかった。

基本的にラピスは一対一では負ける気はしない。

だが、相手が数の暴力で攻めてくるというなら話は別だ。今ここで暴れれば部隊は恐らく全滅する。


(口惜しいですが、ここで引き上げをするのが賢明でしょうね……)


無理をするな、と言われていた通りにラピスはその場から引き上げようとして。

かつん、と部下の一人が足音を立ててしまう。

みぎゃっ、と言いたげな表情のリンクス族の部下を視線で叱咤しながらオーク族たちへと注意を向けるラピス。

これで気づかれなければ、有り難いのだが。


ぎょろり、と。オーク族の大将の瞳がこちらへと向けられた。


それを合図にして他の兵たちの視線もラピスたちへと向けられた。

かろうじて壁に身体を隠すが、残念ながら誤魔化せたとは言いづらい。


「散開! 生き残りに全力を!」


直後、ラピスと四人の部下は同時に床を強く踏みしめた。

砦の中では蜂の巣を突付いたような騒ぎとなるが、ラピスはとにかくナザック砦からの脱出を試みる。

一人の犠牲者も出なかったことは奇跡に近い。

こうして初陣となったラピスたち偵察隊の情報は、後日改めて奈緒の下へと届くことになる。




     ◇     ◇     ◇     ◇




「逃ガシタダト!? コノ役立タズドモガ!!」


ナザック砦に怒号が響き渡った。

平伏するのはゴブリン族たちだ。彼らを使役する役割でオーク族の男は砦の守備についていた。

クラナカルタ軍、幹部。ナザック砦の司令官、ベイグ。

今にも叱咤だけでゴブリン族を殺してやろう、とするベイグを周囲の側近が押し留めている。

何とか怒りを押さえ込んだベイグは、鋭い歯を剥き出しにして怒鳴る。


「モウイイ! 鼠ヲ逃ガシタトコロデ、何モ変ワラン! 砦ノ守備ニ付ケ!」


その言葉で転がるようにしてゴブリン族の兵士たちが四散していく。

恐怖に歪んだ滑稽な姿を見て、ベイグはふん、と鼻を鳴らした。


「コレダカラ臆病者ハ……弟ヲ見殺シニシタ、馬鹿ドモガ……」


ベイグの頭にあるゴブリン族というのは、オーク族よりも弱く、小さく、そして臆病者の存在だ。

オーク族の劣悪種、と言っていい、とまで思っている。

彼らがクィラスの戦いで我先にと逃げ出したからこそ、ベイグの弟は戦死したのだ。


キブロコスに乗って出撃した、オーク族のボグ……ベイグの弟にして、クラナカルタの幹部だった。


だからこそ、彼がこの戦いにかける思いは強い。

ベイグは砦の上から、もう間もなく来るに違いないオリヴァース連合軍のいる方向を睨み付けた。

身体には怒気が溢れ、今にも周囲の兵たちに八つ当たりしそうだった。

彼はギザギザの棘の付いた棍棒を握り締めると、憎悪と共に宣告した。



「早ク来イ、皆殺シニシテクレルワ……弟ノ、仇ハ必ズ取ル……!」





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