第22話【傭兵、ゲオルグ・バッツ】
オリヴァースの協力を取り付けてから一週間が経過した。
クィラスの町の人口が膨れ上がる。
住民たちは一時的に隣のミオの町へと避難させ、代わりに戦うための兵士たちが集ったのだ。
中には正規兵だけではなく、傭兵たちの姿も見える。
あまり大きくないクィラスの町は何とか全員を受け入れ、仮の宿舎や宿を提供することになっている。
「さて。みんな、聞いて」
今日は会議だった。
クィラスの領事館で、集まった首脳陣に向けて奈緒が告げる。
集まった人材は多種多様なもので、奈緒もこっそりと驚愕しているほどだった。
まず蛮族国討伐軍、総司令官ナオ・カリヤ。
この討伐軍の発案者であり、大体の指揮を執る存在として奈緒の存在が大きくなっていく。
「クラナカルタ軍が一週間経っても攻めてこない。その理由がようやく分かった」
「どういうこと?」
奈緒の隣で疑問の声を上げるのが、飛行部隊長のセリナ・アンドロマリウス・エルトリア。
集結した兵たちのなかでも、竜人やバード族を指揮して空中戦を行う部隊の指揮官だ。
彼女が指揮する飛行部隊はクィラスの守備隊、約三十名。
兵力としては頼りないが、もともと飛行能力を有している魔族自体、数が少ない。
あまり危険なことをしてほしくない奈緒からすればちょうどいい話だし、基本的には奇襲と補給を担当する。
「どうやら、クラナカルタの部族同士で衝突があったらしい。以前撃破した軍団についてね……ラピス、お願い」
「はっ、それがしたちの部隊の調べによりますと、オーク族とゴブリン族の仲が急速に悪くなっているようです」
「原因は何なのですか?」
「オーク族の幹部だったボグが殺されたことで、大将を置いて逃げ帰ったゴブリン族をオーク族が糾弾したそうで」
奈緒とセリナの背後で、未だ従者の姿勢を見せるラピス・アートレイデ。
彼女は傭兵たちの中でももっとも身軽な者たちを選んで、少数精鋭の切り込み部隊を作り上げた。
兵力はこれまた三十名ほどなので、先鋒というよりは遊撃部隊ということになるだろう。
選ばれた種族は獣系の魔族が中心だ。
「つまり、クラナカルタの二大魔族である、オーク族とゴブリン族が仲違いし、足並みが揃っていない、と?」
「そういうこと。僕たちからすれば助かる話ではあるけどね」
「ナオ様。先ほどの書状の件、お話しても宜しいですか?」
「うん、頼むよ、ジェイル」
クィラス町長、ジェイル・コバールは奈緒の補佐を担当する。
軍や兵といったものはセリナたちに一任し、自らは傭兵や義勇兵の受け入れなどを行う役目だ。
地味な仕事だが、これをうまくやってくれる人材がいなければ軍は機能しない。
奈緒のような常識を知らない者に代わって、そういった細かいやり取りを行う彼は、首脳陣の前で咳払いをする。
「は、以前にオリヴァース魔王からラキアス魔王へ、クラナカルタ討伐の援軍要請を行いました」
「…………そう、その返事が来たのね」
「は、それによりますと、ラキアスは我々の援軍要請に応じるそうです」
おおお、と感嘆の溜息のようなものが流れた。
オリヴァース単体が挑むよりも、大国であるラキアスと共に戦うほうが心強い。
セリナは仇敵に援軍の要請をすること自体、正直言って消極的だったが、奈緒の策ならば、と従っている。
もともと、こういう形でラキアスを利用することが決まっていたのだ。
「詳しい内容は?」
「こちらがクラナカルタ打倒の意思が真実だと確認したときに、一軍を送るとのことです」
「なるほどね。初戦で相手を撃破しなければ、ラキアスからは協力しないか……それとも、最後の最後かな?」
「ナオ殿。ラキアスはしたたかです。最善のタイミングを計ってくるでしょうね」
ラキアスの動きに注意を払うように発言したのは、オリヴァース遠征軍の将、ラフェンサ・ヴァリアー。
本来は近衛軍として王国の守備を仰せつかるはずの彼女が加わっている。
三将軍の誰が行くか、で協議されたところ。
右将軍は老齢のために砂漠の戦いは辛い、とされ、左将軍は謁見のときにあばら骨を数本骨折している。
結果的に残った彼女は、オリヴァース軍二百名を連れて参戦したのだ。
「さあ、それじゃあ僕たちの戦力を確認しようか……ジェイル」
「は、オリヴァース軍二百。飛行部隊三十と遊撃隊三十名。そして傭兵も百名ほど集まりました」
「合計は三百六十、か……魔族は個体数が少ないみたいだし、妥当なぐらいなのかな」
「ですが、蛮族たちの兵力は千人を超えています」
討伐軍、360名。
蛮族軍、1100名。
国を抱き込んだとしても戦力差が覆らない。
「どうして蛮族はこんなに多いのさ……」
「その、蛮族たちは繁殖能力が人間たちとそれほど変わりませんで……はい」
「うーん、人間並みと思えば少ない、んだろうなぁ……きっと」
元々いた世界の人口は何十億人、といった具合だ。
魔族にも戦いの才能がある者と、そうでない者がいると知ったのはついこの前のこと。
考えてみれば当然の話だろう。そうそう才能がある者が生まれるとは限らない。
魔族全員が戦えるならクィラスの守備隊だけではなく、町民たちも共に戦えばいいのだ。
それが出来ないということは、戦えるほど魔法を使いこなせる者が少ないということになる。
「人間は圧倒的な兵力『だけ』が自慢ですからな」
「ジェイル。今は魔族たちとの戦いだよ?」
「は、失礼致しました」
実際、奈緒が人間だと知っているのはセリナとラピス、そしてラフェンサだけだ。
逆に言えばこの会合で知らないのはジェイルだけということになる。微妙に哀愁が漂う話だ。
「ところで、傭兵たちの代表はいないの?」
「混成部隊ですので、同列の者の指示に従うということが、なかなか……」
「いや、それじゃ困るんだけど」
「は、申し訳ございません……」
ジェイルを責めても仕方がないのは分かっているので、それ以上は言わない。
だが、ただでさえ兵力が少ないということも考えれば、ばらばらに動かれるようでは困る。
傭兵自体をもっと増やすという手もあるが、それでも蛮族たちのほうが兵力では上になるだろう。
いかに正規兵よりも盛況なことが多いとはいえ、少しこれは困ったことになる。
(なー、奈緒ー? 結局、セリナの持っている五万セルパって使ってねえよな?)
(うん。別に使い道があるからね)
(兵を増やすよりも重要なやつ?)
(もう、兵力増やすことよりもずっと重要なやつ)
半分以上はクラナカルタを落としたときの、国家の運営資金ということになるだろう。
あくまでオリヴァースは一軍を援軍として貸しているだけに過ぎない。
これから他国と対等に接するためにも、資金面で借りを作るわけにはいかないのだ。
他にも日本政府でいうような秘密の埋蔵金として、各所で活躍してもらうことになる。
「ねえ。傭兵たちはどんなメンバーが多いの? やっぱり魔法の才能があったり?」
「どちらかというと、腕っ節の強い者が多いですね。ゴブリン、オーク……ミノタウロス族も見かけました」
「あれ、ゴブリンやオークもいるの?」
「傭兵という職業は強ければ差別というものは一切ありません。人間と魔族が共同で働く傭兵団もあるとか」
なんとも、夢の広がる話である。
上辺だけの付き合いや偏見ではなく、実際に背中を預けて信頼を築いていくのだ。
逆に言えばクラナカルタと同じように、強い相手は認めることが出来るというものだろう。
ふむふむ、と直は無心に頷くと、龍斗へと声をかけた。
(龍斗、頼みがあるんだけど)
(おー?)
(傭兵全員ぶっ潰してきて。怪我させない程度に、相手に力を見せ付ける意味で)
(えええーー!)
心の中で驚愕の意思を示す親友に笑いかけると、再び会議へと戻っていく。
今の議題は好き勝手に動くだろう傭兵たちを、どのように纏めていくべきか。
奈緒自身が指揮してもいいのだが、奈緒は全体に指令を与えなければならないので難しい。
やはり、傭兵たちの中で長を決めるべきだ。
「傭兵団はどのくらい集まってるのかな?」
「『猛虎団』、『火熊傭兵団』、『ガルアス兵団』、『ゲオルグ牛鬼軍』の四つです」
「個人参加の傭兵は?」
「それほどの数ではありませんね。個人参加である以上、こちらは指示に従ってくれるかと思います」
つまるところ、リーダー役は四つの傭兵団に絞られるわけだ。
問題はリーダー役になった相手の人柄とカリスマと実力、加えて言うことを聞くかどうか、だが。
これについては一考しなければならない、と奈緒は考えを巡らせる。
「ジェイル。その中で一番規模が大きいのは?」
「ゲオルグ牛鬼軍でしょうな。リーダーのゲオルグはミノタウロス族ですが、魔法にも精通しています」
「白兵戦の実力も相当なものだ、とわたくしたちの耳にも入っていますわ」
ラフェンサの耳にも入っているぐらいだ、きっと強いに違いない。
そのゲオルグという傭兵と一度逢ってみるべきかも知れない。彼がどのような人物なのか。
自分の傭兵団を犠牲にせず、他の傭兵団ばかり働かせるような人物であれば意味がない。
それでは、いずれ傭兵団は空中分解をしてしまうだろう。
「分かった。ゲオルグに逢って話を聞いてくる」
「こちらに呼び寄せましょう」
「いや、僕のほうから行くよ。セリナ、ラピス、二人も来てくれるかな?」
「分かったわ、ナオ」
「はっ」
即断即決する奈緒だったが、ジェイルの表情は渋いものだ。
総司令が他の部隊長を率いて、直々に傭兵たちの宿舎に訪れるというのは少し無用心ではないだろうか。
奈緒の決定なら問題なく従うだけだが、何かあってからでは困る。
不安げな表情でジェイルは助けを求めるようにラフェンサへと視線を向けた。
ラフェンサはクィラス町長の視線に、穏やかな笑みを浮かべながら、奈緒へと申し出る。
「わたくしも行ってよろしいですか、ナオ殿?」
「えええええ!」
「うん、いいよ。ラフェンサも一緒に」
「ええええええええええ!!」
ジェイルが驚きの声を連発するが、やはり奈緒の行動方針は変わらない。
彼の中では傭兵とは信用ならない者たちだし、礼儀も何もない無法者というイメージがある。
実際、それは限りなく正しい。傭兵たちは自分の好き勝手に生きている。
町長のような官吏には彼らの生き方は理解できないし、信用することも出来ないのだろう。
ちょうど、がり勉の少年が体育会系の少年に苦手意識を持つようなものだ。
「ジェイル。ゲオルグが泊まっている宿舎は?」
「は、は……彼らは宿舎ではなく、町の外にテントを張って待機しております」
「そっか。分かった、それじゃジェイル、細かい作業は頼んだよ?」
「は、お任せください」
雑事を押し付けられ、苦労人ジェイルはこっそりと息を吐く。
テーブルの上に積み上げられた書類の数々を見て辟易するが、最終的にはそれがクィラスの町のためになる。
クラナカルタからの侵略から身を守るため、ジェイルは椅子に座ると己の戦いを始めた。
◇ ◇ ◇ ◇
傭兵たちはクィラスの町の外で野営していた。
これは決してジェイル町長が傭兵嫌いだから、という理由ではなく、自然なスタイルなのだ。
傭兵は基本的に町の外で野営し、必要に応じて戦いに身を投じていく。
命を懸けるに値するだけの金を手に入れるためなら、野営のひとつやふたつで文句は言わないのだろう。
「よー、坊主。綺麗どころばっか連れてんじゃねーの!」
「お嬢ちゃんたち、うちのテントに来ねえかー? おもてなししてやるからよお、いーっひっひ!」
「なんというか、僕のイメージ通りの無法地帯」
大柄の男たちが戦国武将のようにがっはっは、と笑いながら奈緒たちを冷やかしてくる。
声は無遠慮だが、むしろ奈緒の印象はこんなものだろうなぁ、というものだ。
セリナやラピスを連れてきたのは、こうした傭兵の現状を一緒に知ってもらうためでもある。
一番の目的はセリナに詳しいことを聞きたいためであり、ラピスはセリナの護衛という立場だから、なのだが。
「おい、シカトすんなよ……」
「坊主っ! 一人くれえこっちに回してくれよぉ、毎晩楽しんでんだろお?」
「ぎゃははははは!」
セリナは僅かな不快感を見せているが、表面上は冷静だ。
ラフェンサも同じだろうが、こちらは完璧に偽装を施している。彼女の微笑が崩れることは一切ない。
悲惨なのは主を侮辱されたラピスで、悪鬼降臨、と背後に文字が出てきそうなほどの形相である。
一睨みしただけで向けられた傭兵たちの声が小さなものになっていくのだからすごい。
「おお、怖ええ……」
「気の強ええ姉ちゃんだなあ、おい」
「他の二人は色っぽいなぁ、なんだかお姫様って感じだぜ、おい!」
「あの坊主も実は女じゃねえのか? なんだか男らしくねえしよぉ」
「ぎゃはははははは!!!」
ぶちり、と。
奈緒の脳の血管が切れた音がした。
セリナは間近でその音を聞いたため、可愛らしく身体を震わせると思わず身を引いてしまう。
ラピスは思わず睨むのも忘れ、ラフェンサはその笑顔が一瞬だけ崩れかける。
彼女たちの想いはひとつだ。
ああ、なにかいま、踏んではいけない地雷を踏んだっぽい。
童顔の可愛らしい外見の狩谷奈緒は、天使のような笑みを浮かべると傭兵たちへと近づいていく。
おっ、と傭兵たちが期待に満ちた瞳で奈緒を見て、そして凍りつく。
彼の右腕が雷とか、風とか、色々なものが混ざった嵐と化していることに気づいたからだ。
「お、おお!?」
「なんだかやべえ! 傭兵としての直感が這い蹲って許しを請え、と言ってやがる!?」
「なんか良く分からねえけど逃げろ!」
さすがは命を奪い合う戦場で戦ってきた猛者たちである。
一瞬で分が悪いことに気づいた彼らは、傭兵の生存本能を舐めるでないわ、とばかりに退散していく。
雲の子を散らすように消えていく彼らを見て、怒りの振るいどころが分からなくなった奈緒が静かに問う。
「セリナ……この怒り、何処にぶつければいい……?」
「こ、今夜あたり、一緒に月を眺める?」
「うん……」
閑話休題。
たった数分間で格の違いを見せつけた奈緒は更に歩く。
野次が飛ぶことを止めることはできなかったが、ラピスの睨みで全員が口を固くした。
彼女の瞳は僅かな必死さをもって、語っている。
『今のナオ殿を怒らせるな』
炎を見たときの暴走並みの危うさを見た彼女たちは、傭兵たちの命のためにもそう言うしかなかった。
中にはそれに気づくことなく、近づいてちょっかいをかけてくる傭兵もいた。
だが、奈緒の憤りが爆発するよりも早く、セリナの抜刀術(峰打ち)で彼らの巨体を地に沈める。
二人も倒されれば、傭兵たちは高嶺の花を見るかのごとく、遠くから眺めることしかできなかった。
「ここか」
「あん? 嬢ちゃんたち、うちの傭兵団に何の用……」
思いっきり素で見間違えた傭兵団の男は、それ以上の言葉を言うことができなかった。
ついに爆発した奈緒の怒りが不幸にも見張りの男を直撃した。
風で舞い上がった身体に、雷の電撃が怪我をしない程度に放たれ、一瞬で彼は夢の世界へと旅立った。
ゲオルグ牛鬼軍の一員は後に、このときのことをこう語る。
『何が起こったのか分からなかった。突然風に巻き上げられたと思ったら、視界が真っ暗になった。走馬灯を見た』
回転しながら、遠くへと放り投げられる傭兵を見てこっそり合掌する女性陣。
奈緒はある程度の怒りが収まったらしく、ふー、と息を吐くと元通りの純朴な表情へと戻っていく。
童顔、気にしてたのね、とセリナは密かに心の中で思うのだった。
そんなとき、奥のテントから僅かにかちゃり、と音がする。
「……っ!」
金属の交わるような音は武器を構えたときのそれだ。
テントの奥から聞こえてきた音に警戒し、奈緒が足を止めたそのときだった。
「おおおおおおおおおおおおお、りゃあああああっ!!!」
テントが爆砕した。
本当に爆発したわけではない。ただ、圧倒的な質量によって崩れたのだ。
ついで、突撃してくる巨体の姿を見た。体長は二メートルのオーク族すら優に超えるほどの体躯だ。
雄叫びと共に牛頭の男が振るうのは、以前に龍斗が買い求めた大剣と同じぐらい重そうな、巨大な斧。
ごう、と風を切る音がして、奈緒を両断するべく斧が振るわれる。
(っ、龍斗!)
(おうっ!!)
即座に人格の交代を行った。赤い瞳がぎらぎらと光る。
龍斗は腰に下げていたクロノスバッグから自慢の大剣を取り出すと、我武者羅に振り回した。
これまた、風を大きく凪ぐような音がしたと感じた直後、二つの得物が激突する。
大きな金属同士が擦れる音がして、その場にいた全員が硬直する。
「ぐあっ……!?」
「ぬう!」
上段から斧の一撃を振り下ろされた龍斗は、思わず膝を突いてしまう。
今までで一番重い一撃だったし、取り出した直後ではどうしようもないほどに絶対的な不利が決まっていた。
あまりの衝撃に龍斗の手が痺れて、一瞬だけ右手の感覚が無くなった。
ギリ、と情けない体たらくに歯噛みした龍斗は、獣のように咆哮した。
「な、めんなよ、おらあああああああああああっ!!!」
「ぐおっ……!?」
牛頭の膂力を押さえつけ、もう一度対等な位置まで剣を戻していった。
鍔迫り合いが続くが、龍斗は相手の姿を改めて見て、目を丸くした。
ミノタウロス族、要するに半獣、半人という神話上の怪物のイメージそのものの魔族ということだ。
確か迷宮の魔物だったか、と心の中で奈緒が分析しているうちに、勝負が決していた。
「それまでよ」
「狼藉は許さん」
「降伏してもらいましょう?」
ミノタウロス族の男の背後にラフェンサが頼もしい笑みで立っていて、その柔らかな右手が男の背中に触れていた。
セリナは僅かにだが、本気の敵意を剥き出しにして腰のところへと白磁のように白い手を当てている。
二人とも妙な真似をすればいつでも魔法を食らわせる、と言外に公言していた。
ラピスなどはもっとあからさまで、ミノタウロス族の首を薄皮一枚切り裂いて、動けば首を切り落とすと目が言っている。
「お、おっとっと……」
ミノタウロス族の男は苦笑いを浮かべようとして、それでも失敗したらしく、口元を不自然に歪めた。
降参を示すように両手を挙げると、へへへ、と声を立てて笑いながら斧を捨てた。
それでとりあえずは収まったな、と安堵の溜息をついたところで。
「おっらああああ!!!」
「なっ……!?」
牛頭の男が丸太のように太い足で地面を踏みつけた。
突如として訪れるのは地響きだった。小規模の地殻変動を起こさせたのか、と思うほどの地震だ。
面白いことに周囲の被害が狭く、近くにいた傭兵たちは巻き添えを食らって地面を転がっている。
しかし、遠巻きに眺めていた傭兵たちは平然と立っているところから、速やかに奈緒は魔法だと判断した。
「くっ……」
セリナ、ラフェンサの両名も立っていられないらしく、座り込んでしまっていた。
ラピスも地震の影響でうまく刀が操れない。揺れた拍子にミノタウロス族の男の首に刀がぶつかる。
どうやら通常の人間よりも硬いらしい皮膚のおかげで、怪我はそれほどでもないようだ。
かなりの威力を持つ牛頭の魔法は、今の奈緒の地の魔法の実力を上回っている。
「ひゅーひゅー! いいぜー、ゲオルグさーん!」
「生意気な坊主ともどもやっちまえー!」
あちこちから傭兵たちの無遠慮な声援が飛ぶ。
龍斗も地震の影響でその場から動けないらしく、立ち往生をするしかできなかった。
彼に向けて奈緒が心の中で叫ぶ。
(彼がゲオルグみたいだね!)
(見てえだなぁ……おい、奈緒! どうしよっか、滅茶苦茶反抗的だぜ!?)
(魔法には、魔法!)
かしゃり、と人格が入れ替わった。
途端に持っていた大剣が鉄の塊へと変わって、奈緒は溜まらず取り落としてしまう。
危うく自分の足の上に落ちるところで肝を冷やしたが、とにもかくにも奈緒の出番だった。
「<風に巻かれて吹き飛べ>!」
突風が吹き荒れ、ゲオルグへと放たれた。
げっ、とゲオルグが心底嫌そうな顔をしたかと思ったら、いつもの二倍近く遠くへと吹っ飛ばされた。
ぎゃあああああああ、と段々フェードアウトしていく悲鳴が生々しい。
地は風に弱い、というのは本当らしい。地震はあっという間に収まった。術者が空の旅に出かけたからだろう。
だが、被害はそれだけに留まらなかった。
「きゃあ!」
「やっ!」
女の子の悲鳴が聞こえた。
それは奈緒の知っている声であり、更により正確に言うなら付いてきたセリナとラフェンサだ。
彼女たちの服装はセリナが懲りずに黒のワンピース、ラフェンサは上半身に鎧を着ているが、下は膝までのスカート。
で、先ほどゲオルグを吹き飛ばすために風を使ったわけなのだが。
「………………」
「…………」
「…………」
「……えっと……?」
痛いほどの沈黙が降りた。
位置関係から見ても二人は奈緒の目の前にいて、座り込んでいたところから即座に立ち上がるところだった。
黒のワンピースに映えるように見えた白いものとか、薄緑色の鎧と同じ色をしたそれとかが視界に入るわけで。
唯一、袴を着ていたために被害を逃れたラピスというと、傭兵たちを追い払っているところだった。
おかげで衆人環視という最悪のシチュエーションは回避したわけだが、言い訳のしようもなく、奈緒には隠せていない。
「……見た?」
「えっと、何を?」
「見ましたよね、ナオ殿?」
「あ、あの……ですね?」
二人は両手でスカートを抑えながら、涙目になって恨めしい顔を奈緒に向ける。
思わず敬語になってしまう奈緒は別にヘタレなわけではない、はずだ。
何か言い訳でも弁解でもしなければならない気がしたのだが、情けないことにまったく口が開かない。
「いや、今のは、その、ゲオルグを追い払うためのものであって……」
「すけべ」
「えっち、です」
「ぎゃあああああああああああっ!!!」
女性陣の好感度が下がったような気がして、奈緒は頭を抱えるのだった。
一方その頃、非殺傷に設定した風の一撃を受けて吹き飛ばされたゲオルグは、別のテントへと突っ込んだらしい。
がらがらがっしゃーん、と何か色々なものが破砕した音が響いて、二重に奈緒は頭を抱えたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
「いやー、参った参った。ガキどもが何の用かと思って、ちょいと一捻りするつもりだったんだがなあ」
「…………」
「まあ、ほら、あれよ、おい! こっちも団員が一人吹っ飛ばされてるし、オレも吹っ飛んだし、ここは痛みわけでな?」
「………………」
「な、なあ、お嬢ちゃんたち。この痛い沈黙をどうにかしてくれよ、な?」
ゲオルグ・バッツ。
今では個体数も少なくなったミノタウロス族の中年の親父だ。
寿命は三百年で、現在は百歳ぐらいだとか。人間に換算すると三十歳の後半ぐらいだろう。
元は冒険者だったが、彼の強さと人柄に惚れ込んで一緒に仕事をする仲間が増えていったのだとか。
それが二十人ほどの規模になったとき、ゲオルグは傭兵団として名を轟かせることになる。
今では奈緒の軍にいる傭兵たちの四割以上を占める、それなりに大きい傭兵団となっている。
「…………」
「…………」
「な、ナオ殿。そろそろお話を……」
「……分かってるよ」
顔を赤らめて無言のままそっぽを向いているセリナとラフェンサ。
ラピスが唯一、困った表情をしながらも奈緒へと取り成していき、奈緒も本来の目的を思い出して頷く。
もちろん、納得はしていない。一応雇い主なのに切り掛かられるとは思わなかった。
さすがは無法地帯で生きてきた者たちだ。
「クラナカルタ討伐軍、総司令の奈緒。よろしくね、ゲオルグ・バッツ」
「おうよ。まさか、こんな子供が総司令かよっ、てビビってたんだけどなぁ……」
ゲオルグは裏表のない、屈託のない笑みを浮かべながら。
「すげえなあ、あの大剣。オレ、初めて自分より小さい奴に斧を受け止められたんだぜ?」
「……まあ」
「やっぱ、若いのに総司令ってことは、それなりに理由があんだなぁ。とりあえず歓迎するぜ、ナオ総司令」
どうやら人格的にそれほど問題はないらしい。
なんというか、龍斗に近い精神を感じる。すごく滅茶苦茶なのに人に好かれるというタイプのようだ。
周囲の傭兵たちからの評判の良い。これはきっと彼の表裏がはっきりしているからだろう。
「で、今日は何の御用なんだ? 総司令が女を引き連れて視察、だってんならあまり感心しねえぞ?」
「一応言っておくけど。この三人も首脳陣だからね?」
「……あ?」
「飛行部隊長のエリス・セリナ、切り込み隊長のラピス・アートレイデ、オリヴァース軍指揮官のラフェンサ・ヴァリアー」
一人一人の紹介をしていく。
ゲオルグの表情が苦笑いのまま、時間が止まったかのように硬直した。
ラフェンサが愛想笑いを浮かべながら会釈するのを見て、やっと石化状態から回復したゲオルグは泡を吹く。
「お、おいおいおい……そんな討伐軍のトップたちが、オレに何の用だってんだ……?」
「討伐軍の傭兵団百名のリーダー、君にやってもらおうと思って」
「……はあ!?」
「君を首脳陣の一人に抜擢しに来たんだよ。実力は問題なさそうだし、人格はこれから判断するつもりだけど」
さらっ、とそんなことを口にする奈緒だが、実は爆弾発言だ。
本来、傭兵とは捨て駒として扱われる。要するに兵力の水増しとして利用され、最前線に立たされる。
もしも敗戦のときには殿として敵を足止めする、という使い捨ての兵隊だ。
雇い主も傭兵も、そういうものだと割り切っている。
それを承知しているうえで、彼らは傭兵をやっている。だというのに、奈緒の言葉はそうした傭兵の立場で考えてない。
「……オレたちは兵隊だ、ナオ総司令。その一人を首脳陣に加えるってのが、どういう意味か分かってんのかよ?」
「軍議には必ず顔を出すこと。自分の意見をきちんと口に出すこと。不明な点があったら聞くこと」
「いや、聞けよ! 傭兵なんて得体の知れない輩を重職に就かせるってのが異常なんだぜ!?」
「率直に言うと、とっとと頷け牛頭」
「ひでえ! 二重の意味でな!」
ゲオルグの反論は当然、無視だ。
既にそのことについてはクィラス町長のジェイルと口論し、その上で説き伏せてきている。
常識人のジェイルに加え、ラフェンサからも苦言を呈されたが、あえて奈緒はこの決まりを強引に押し通した。
何しろ狩谷奈緒はただの高校生だ。軍事なんて詳しいことが分かるはずがない。
実戦で戦うためには、戦闘経験が豊富な者が一人はいて、間違ったところがあれば指摘してもらいたい。
「ていうか、他の傭兵団の奴らが納得しねえよ。いきなり、別の奴らから命令されるなんてオレも嫌だしな」
「そこのところについては、これからちょっと」
「あん?」
「ゲオルグ。人員をやって、これから総司令が君たちに言いたいことがあるから、って言って呼び寄せて」
一応は雇い主の命令なので、ゲオルグは首を傾げながらも部下たちに伝言を頼む。
しかし何人集まるかな、この無法地帯の住人たちは、とゲオルグがそんなことを考えていると。
「十分後に、傭兵団のリーダーは必ず集合。それ以外も来なかったら、キブロコスを葬った魔法を食らわせるって」
「……へ、へい!」
大型魔獣の存在は本当に格が付くらしい。
何しろ一人で葬ったとしたなら、普通の兵隊五十人以上の実力がある、ということに繋がるのだから。
慌てながらあちこちに伝令に走る部下たちを眺めながら、ゲオルグも感心したように言う。
「お前、確か風使いだろ? 実際、首長竜を一人で倒した、っていうのに勝算を感じてオレたちは集まってるけどよ」
「そのときは闇の魔法を使ったんだよ。今は禁止されてるけどね」
粗雑なテントの中で奈緒は困ったように苦笑した。
いつものように椅子に座っているセリナは、ふん、と鼻を鳴らして奈緒から視線をそらした。
ラフェンサはセリナの対面に座ったまま、セリナの反応を見てくすくす、と笑っている。
ミノタウロス族のゲオルグは闇魔法、という言葉に目を丸くしながらも言う。
「……で、何をするつもりなんだよ?」
「これから傭兵たちを力で黙らせる」
ゲオルグの三度目の驚きの声が、テントの中に木霊した。
力で解決って方法は下策だと思うんだけどなぁ、とは憂鬱気味な龍斗の言葉だった。
残念ながら彼の溜息は奈緒の心の中で虚しく溶けていくのだった。