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第1話【魔界へようこそ!】




狩谷かりや奈緒なお鎖倉さぐら龍斗りゅうとは幼馴染だ。

両親同士が親友同士で、二人が生まれたのも大体同じ季節だった。僅かに龍斗のほうが早かったくらいか。

二人ともが男だったことを親友同士だった親は苦笑しながらも、僅かに残念がっていた様子だ。

もしも男女で分かれたなら、許婚にされていたかも知れない。


そんな彼らは高校生活最後の一年を過ごすべく、青春の学び舎である学校へと向かっていた。

近所にある高校だから、というのが志望理由のありふれた高校の選択。

彼ら二人は当たり前のように同じ幼稚園、同じ小学校、同じ中学校を卒業し、そして同じ高校へと入っている。


「そのうち、大学と就職まで同じじゃねえのか?」

「最終的には入る墓が一緒になってたりして」


ぎゃははは、ねえわー、と馬鹿笑いをするのが奈緒の親友である鎖倉龍斗だ。

武術の全国大会の常連で、つい去年にはなんと優勝してしまうほどの腕っ節の持ち主である。

野性味の溢れる言動をしながら、その赤い髪と紅蓮の瞳で空を見上げる彼の姿はとても絵になるのだそうだ。

クラスでも人気者で、男女関わらず付き合いが多い。


「しっかし、生まれてから十七年か? ほんと、腐れ縁ってやつだなぁ、奈緒」

「なまじ性格が正反対だから、奇妙なところで合うんだろうね」

「ぎゃはははは! 奈緒は大人し過ぎだ、もっと女遊びとかしねーと経験不足で愛想つかされるとダメージでかいぞ?」

「龍斗みたいに千人斬りを伝説にしたくないからやめとくよ」


淡々と受け流しながら笑うのが、狩谷奈緒である。

童顔な顔つきと華奢な体つきは女のような印象を与えるが、立派な男だということを力強く断言しておきたい。

龍斗とは対照的に運動音痴な少年だが、かつては神童と呼ばれていたほど聡明だった。

注目されるのが苦手だったので、目立つことは極力しない。


「なんて勿体無い。奈緒は可愛いから女受けするのに」

「知ってる? 僕と龍斗、どちらが受けか攻めかで女の子たちが議論しているの」

「聞こえねえ」

「ギャップ萌えって知ってる?」

「知りたくねええええええええええええええええッ!!!」


耳元を押さえて聞きたくない、と意思表示する龍斗。

薔薇色の世界は妄想される男の側からすれば、あまり考えたくない世界である。

出来ることなら自分たちの知らないところで議論してほしいのだった。


「で、俺たちはどうして学校に向かってるんだろうな」


今日は祝日だった。

しかも時刻は昼を過ぎ、まもなく夕方になろうとしている時間帯だ。

龍斗は部活も午前中で終わっているし、別に補習を受けているというわけでもない。

用件を忘れた龍斗に対して、奈緒が苦笑いで説明する。


「龍斗が泣かせた女の子の一人が職員室に駆け込んだって」

「ぎゃあああああああああああッ!!!」

「というのは冗談で。明日から学校で宿題も出てるのに、龍斗がノートを忘れたって言うから取りに来たんでしょ?」

「………………ああ、そうだっけ?」

「……忘れるの早いね、相変わらず」


意地悪く笑う奈緒。

神童と呼ばれていた時代はもっと素直な良い子だったのに、捻くれたなぁ、とこっそり龍斗は嘆いてみる。

とはいえ、龍斗は彼のような親友の存在が必要だった。

奈緒もまた、龍斗を頼りにして生きてきた。二人は気の置けない親友として、一緒に人生を歩んできた仲だった。


「いや、奈緒がいると細かいこと考えなくて楽だぜ」

「龍斗がいると喧嘩に巻き込まれても心配しなくて済むから、助かるよ」

「よし、意思疎通完了。お前の脳は俺のもの、俺の筋肉はお前のもの。それでいいよな?」

「いや、よくないけど……」

「頼む! お前の脳が必要だ! 主にお前の脳がはじき出した回答が記載されているノートだけどな!」


正直すぎるのも考え物だ、と奈緒は思う。

こんな真っ直ぐなところが付き合いやすいのが正直な奈緒の気持ちなので、有りがたいとは思っている。

そんなわけでノートを回収しに学校へと到着。

龍斗は写してもらうつもり満々らしく、帰り際には奈緒の家に寄る算段を立てていた。


「もう、夕方か」

「ああ、夕方だねえ。黄昏とも、逢魔ヶ時とも言われるけど」

「おうまがとき?」

「人が魔と逢う時間帯のこと。昼は人間の世界、夜は魔物の世界って感じでニアミスするらしいよ」


まあ、僕は魔物とかなんて信じてないんだけど、と続けて奈緒は説明を終える。

龍斗はそんな彼を見て夢がない、などとまた嘆く。


「いるかもしれねえだろ、魔物。黄昏は一番危ないんだろ?」

「夜にエンカウントする変質者のほうが怖いよ?」

「嫌に現実的な意見に思わず、俺は目から鱗がはらはらと落ちた気分だよ」

「どうして泣くのさ……」


感受性豊かで夢やロマンを追いかける少年。

理論的で現実と向き合うことが得意な少年。

彼らは互いの欠点を補足しあいながら、漫才のように言い合って日常を謳歌していた。

それはずっと続くものだと信じていた。こんな日常がずっと長く維持されていくのだと信じていた。


だから、目の前で起こった出来事が余計に信じられなかった。




     ◇     ◇     ◇     ◇




「………………え?」


学校の階段、二階への踊り場に差し掛かったときだった。

奈緒と龍斗の前に悪夢の産物が生まれ落ちた。一目見れば理解できるこの世ならざるモノの姿が階段の上にいた。

人間を更に一回り大きくした体躯の、上半身が裸で山羊の顔をした人間だった。

最初は仮想大会の衣装だと思っていた。文化祭で使った残り物の衣装を悪ふざけで着けているのだと、奈緒は思った。


ブォォォォオオオオオオオ。


リアルな泣き声は山羊のそれとは若干、異なっている。

奈緒は彼の鳴き声を聞いてなお、これを正しい現実として認識することは出来なかった。

ついさっきまでいた日常と、目の前にある非日常の落差があまりにも強すぎて。

夢でも見ている気持ちでその光景を呆然と眺めてしまっていた。


ブォォォォオオオオオオオ。


再び鳴く山羊男。頭の回転が速いはずの奈緒は硬直したまま、動けない。

最初に動くことが出来たのは龍斗だった。彼は快活だった顔を蒼白にして、そっと奈緒の肩を叩く。


「人が……死んでる」

「は?」


龍斗が震える手で指差した場所がある。

山羊男の足元。見上げる階段の上に、夕闇に滲みだすようにして人が倒れていた。

服装から学校の女子生徒だろうと思われるが、それ以上のことは分からない。

何故なら彼女らしき人には頭を初めとして、人間が機能するために必要なものがごっそりと無くなっていたのだ。


「え、あ?」


恐怖で喉が干上がる。

彼女の絶命を示すように黄昏の光に混じるような形で、真っ赤な鮮血が階段に散乱していた。

山羊男の口元からも同じ朱が零れ落ちているのを自覚したとき、奈緒はようやくこの悪夢を自覚した。


「うわああああああああああああっ!!?」

「……っ、奈緒、逃げ」


龍斗の言葉は最後まで続かない。

奈緒の悲鳴は階段の上で歓喜に浸っていた悪魔の意識を引き寄せることとなってしまった。

重厚な、汽笛のような鳴き声がもう一度響いた。

今度は新たな獲物を見つけたことに対する喜びと、それに伴う悪魔の哂いだったのだろう。


悪魔が飛翔した。


背中を見せて逃げ出そうとする二人の男性を引き裂こうと、階段を跳躍したのだ。

重力の法則に従って二メートルを超えた巨体が奈緒たちの眼前へと降り立つ。

大きな身体に似合わぬ俊敏さに加え、悪魔の両手にある長い爪に龍斗は注意を向けた。

あれで引き裂かれれば、階段の上の女子生徒と同じ運命を辿る。


「ブォォォオオオオオオオオッ!!!」


間近での悪魔の咆哮が学校中に響いた。

丸太ほどもある大きな右腕が、龍斗と奈緒を引き裂くために振るわれる。

動きは学生の喧嘩の延長戦のような鈍いものだが、龍斗はともかく奈緒には避ける術がない。


「や、やらせるかよぉ!!」

「龍斗!?」


怒号と悲鳴が交差した。

龍斗は震える身体を強引に押さえ込むと、地面を強く蹴って跳躍した。

狙いは悪魔の黒い体躯の中心点。人間ならば水月にあたる場所を狙い、龍斗の飛び膝蹴りが炸裂する。

体格は明らかに悪魔のほうが上だが、的確に急所をついた反撃に悪魔の身体が引っ繰り返った。


「よっしゃ!」

「龍斗! こっち!」

「おう!」


ちゃっかり退路を確保した奈緒に返事をして、一目散に逃げ出す。

後ろから悪魔が高速で追いかけてくるような幻想を振り払い、一階の職員室へと避難を開始した。

これがどんな殺人事件か知らないが、とにかくこういうときに頼りにするのは大人の存在だ。

だが、その目論見は呆気なく外れることになる。


「げっ、今日って学校休みじゃねえか!」

「そんな!」


奈緒が焦燥を隠すことも出来ずに悲鳴を上げる。


「そんなはずないよ! いくら休みだからって先生が一人もいないなんてあるはず、」


やはり、その言葉は最後まで言い切ることが出来ない。

背後から巨大な気配。即座に二人は職員室に篭城することを決め、何とかドアに鍵を掛ける。

巨大な身体の持ち主では、ドアから入ることは出来ないだろう、と一安心したところで。


豪快な破砕音と共にドアが粉砕された。


鍵を掛けることはおろか、学校のところどころに設置された防災扉すらも打ち破りそうな膂力の持ち主。

悪魔は一度見つけた獲物を逃すことなく、職員室の中へと侵入を開始する。


「嘘だろ!?」

「そんな……」


対照的な反応だが、二人の感情は一致していた。

驚愕と絶望だ。


「どうするよ奈緒! これじゃ教室にも立てこもれねえ!」

「何とか撒くしかないよ! あいつの視界から完全に消え失せるしかない!」

「畜生、鬼ごっこかよっ!」


悪魔は職員室へと侵攻していくが、机などの障害物が多いために思うようにはいかないらしい。

これを好機と見た奈緒は混乱する頭を必死に考えた。

相手が何者なのか、何が起こっているのか。そんなことを考える余裕はない。どうにかして逃げることだけを考える。


(校庭はだめだ、あんな広いところじゃ追いつかれる。屋上もだめ、あいつには翼っぽいのがあるし、退路も断たれる)


そうこうしている間にも、悪魔の進軍は続く。

刻一刻と死が近づいてきていて、それが奈緒の思考を追い詰めていく。


(いや、あいつの力じゃこれから何処に逃げても同じだ。警察や自衛隊が来てくれるまで逃げ続けるなんてできない!)


篭城は不可。

鬼ごっこでは運動音痴の奈緒は間違いなく捕まる。

逃げていてはやられる。


「……龍斗」

「なんだ!」

「逃げたら殺される。だから、戦うしかない」

「しょ、正気ですか奈緒さん!?」


思わず敬語になってしまう龍斗に、唇を噛んで奈緒が真摯な瞳を向ける。

ああ、と龍斗が嘆息した。こうなってしまった奈緒は絶対に意志を曲げない。妙なところで頑固者なのだ。

幼馴染だからこそ分かる彼の心に、龍斗はヤケクソ気味な同意を示すしかなかった。


「しょうがねえ、策はあるんだろうな!」

「……多分」

「命を懸けるには頼りなさ過ぎる返事だけど、いい! 奈緒を信じてやる!」


龍斗は頬を二度叩くと、気合を入れなおした。

奈緒は心の中で龍斗に感謝する。龍斗だけなら逃げ切れるのに、奈緒を見捨てようとはしない。

一緒に戦ってくれる親友は今も昔も、ずっと頼りがいのある男だった。


「運動部の部室に逃げよう! 色々と武器があるはずだから!」

「了解……って、もう近くまで来てるぞ、あの野郎!」

「龍斗、これを投げつけて! 投げたら全力で逃げるよ!」


奈緒の言うこれ・・は火災の際に使われる消火器だ。

学校の至るところに配置されているそれは、炭酸カリウムの濃厚な水溶液がたくさん詰まった凶器と言える。

薬剤は強力なアルカリ性であり、人体に対する刺激が強い。

……ということを龍斗は知らないまま、奈緒に言われた通り、重い消火器を悪魔に向かって投げつけた。


悪魔は突然、投擲された赤い物体を鋭い爪が切り裂いた。

直後に起こった出来事は強力なアルカリ性の幅広い散布だ。淡い黄色の薬剤が悪魔に直撃した。

奈緒と龍斗は結果を確認することなく、職員室から退避する。


ブォォォオオオオオオオオオオオオオオオオッ!


苦痛と憤怒が混じった鳴き声が遠くから響く。

龍斗は若干、興奮気味に口を開いた。


「あ、危ねえなぁ! ちょっとでも遅れたら巻きこまれてたぞ!?」

「龍斗の運動能力なら可能かと思って」

「まあ、いいや! これって倒すまでもなく逃げられそうじゃねえか!?」


安堵が全身を包んだ瞬間だった。

直後に職員室で爆発音が響き渡った。

何事かと思って背後を振り向き、そこで再び信じられない光景を二人は眼にする。

悪魔が紅蓮の炎をまとって職員室を粉砕し、奈緒たちに迫っていたのだ。


「お、おい! そんなのアリかよ!?」

「……そろそろ本当に現実かどうか自信がなくなってきた……」


気を失いそうになる奈緒。

運命も魔法も魔物も信じていなかった彼にとって、目の前の光景は悪夢にしか思えない。

鳴り止まない頭痛と死の恐怖に怯えながら、どうにか運動部の部室へと辿り着く。

陸上部や剣道部、弓道部など色々と便利な道具を取り揃えていそうな部室を一生懸命に散策する。


「おっ、槍投げ用の槍発見。なあ、この場合は正当防衛って適応されるよな?」

「あんなの法律の適応外だから何やってもいいよ」

「ひでえ……」


極限状態に置かれながらも屈託なく龍斗は笑う。

気楽にも見える彼の態度に、奈緒もまた緊張が取れていくのを感じながら武器になるものを漁る。

野球部からバット。

射撃部からはエアガンらしきものを押収。

ついでに部室の中でタバコとライターを発見。夏場に使う虫除けスプレーと共に応用することが決まった。


「正直に言っていいか?」

「なに?」

「バットなんてあいつの爪の一撃で粉砕されるよな?」

「………………」


普通なら頼りになりそうなバットも、今では少し頼りない。

基本は遠距離での戦いになるだろう。

奈緒と龍斗は顔を見合わせて頷くと、部室の前にまで迫ってきた悪魔を迎え撃つ。


「…………これは、お怒りだな」

「……そうだね」


山羊頭の男は身体に紅蓮の炎を纏わせ、口も僅かに焔の明かりが見える。

強烈なアルカリ性の散布によって片目をやられたらしく、もう片方の血走った瞳が爛々と輝いていた。

その眼には一方的に蹂躙するべき獲物からの反撃に対する怒りが見える。


「ブォォォォオオオオオオオオオッ!!」

「喰らえ!」


悪魔が大きな腕を振り上げようとするよりも早く、奈緒がスプレーを持って先手を取った。

虫除けスプレーにライターを当てて着火。化学反応を起こしたスプレーの中身は、火炎放射器へと変貌する。

突然の炎の出現に悪魔の動きが止まった。

その隙を狙って龍斗が跳躍。二メートルを越す悪魔の脳天に、全体重を込めてバットを叩き付けた。


ぐしゃり、と骨を砕く音と感触が響く。


身体の硬さは先ほど水月に一撃を当てたときに把握していた。

悪魔の身体は人間とそれほど変わらない。

頭蓋骨を陥没させることによって打倒を狙った龍斗だったが、予想に反して悪魔の反撃は続く。


「ブルグアアアアアアアアッ!!!」

「やべ……」


悪魔が口を開いた。

口の中では炎が渦巻いていて、龍斗の本能が最大限で警鐘を鳴らしている。

生々しく、龍斗は自分が丸焦げに焼かれて炭化する姿を幻想した。


「死んで、たまるかああああああああっ!!」


自暴自棄な叫び声をあげて、持っていたバットを悪魔の口に向けて投擲した。

炎を吐き出そうとしていた悪魔は突然の異物の侵入に、身体をくの字に折って苦しんだ。

その横では奈緒が残ったもう片方の目をエアガンで潰していたところだった。


「ナイス、龍斗!」

「お前、さっきからやることがえげつねえな……」

「相手の目を狙うのは立派な戦術だよ。それより、両目とも塞がった今なら!」

「よっしゃ、任せとけ!」


龍斗は意気込んで槍投げ用の短めの槍を構える。

バットを呑み込んだことによる苦痛と、両目から光を失ったことによる恐怖が悪魔を苛んでいた。

苦しみ、その場でのた打ち回る悪魔は炎を吐くこともできずに身体を痙攣させる。

龍斗は全体重を乗せ、何の迷いもなく地面を蹴った。


肉を貫く感触が龍斗の手に残る。


悪魔の心臓に槍が突き刺さり、二メートルを超える巨大な身体を貫いた。

それは吸血鬼に心臓に杭を打ち込む様に似る。

悪魔は聞くに堪えない絶叫を黄昏の世界で響かせたのち、その身体を停止させた。




     ◇     ◇     ◇     ◇




「……はあ、は……はあっ……」

「はっ、はっ、はあ……」


しばらく、二人の荒い息遣いだけが彼らの耳に届くばかりだった。

悪魔は横たわったまま、動かない。


「やっ……た?」

「み、みてえだな……」


二人は呆然としながら、その事実を噛み締めた。

ふらふら、と奈緒は地面に尻餅をつく。

緊張の糸が切れた瞬間、身体に力が入らなくなってしまったらしい。


「な、なんだ。情けねえぞ、奈緒……へへ」

「そ、そっちこそ声が震えてるよ、龍斗」


お互いに生きていることを噛み締め、冗談めいた口調で笑いあう。

ただの高校生に過ぎない奈緒も龍斗も、今のこの状況では何も考えられないまま笑うしかなかった。


「龍斗。今度からもっと積極的になることにするよ。はあ……あのまま死んだら浮遊霊になるとこだった」

「俺も何ていうか、あれで死んだら憑き霊になってた」

「それは大変だね……はあ、はあ……」


ようやく息を整えることができた頃には、太陽が半分以上も沈んでいたときだった。

なんとか立ち上がることが出来た奈緒は、龍斗に肩を貸してもらいながらその場を立ち去ることにした。

その道中で襲い掛かってきた化け物について考える。


「な、なんだったんだろうね、あいつ……」

「分からねえ。そーいうのは警察の仕事だろ……っていうか、携帯で助けを呼ぶって考えが出てこなかったな……」

「混乱していてそれどころじゃなかったよ……」


そう言いながら何とか校舎を出て行き、外へと出る。

校庭を渡ったその先に校門があり、惨劇の舞台となった学校を出ることが出来る。

家に帰ってから、今日のことについて考えようと二人は思っていた。



だから、学校から出られないことを悟ったそのとき、彼らの運命は決まった。



「…………なに、これ」

「……うそ、だろ……?」


希望が絶望へと引っ繰り返る。

生の実感も死への恐怖へと切り替わる。

その瞬間、二人は本能で悟った。この学校は地獄だったんだ、と。


ブォォォォォオオオオオオ。

ブォォォォォォォォォォォォ。

ブオオオオオオオオ……オオオオオオオオッ!


逢魔ヶ時。

人と魔が交差する時間帯。

校庭には悪魔の大群が歓喜の咆哮をあげていた。

その数は優に十体を超え、中には先ほど打ち倒した悪魔よりも更に巨大な体つきの怪物がいる。


「はっ……はは」


どちらからともなく、笑みが浮かんだ。

どうしようもない現状。どうしようもない戦力差。どうしようもない運命がそこにある。

理解した。どうして学校に教師が一人も残っていないのか。全員、あいつらに殺されたんだ。

絶望に沈んだ彼らの乾いた笑いに反応して、悪魔たちの動きがぴたり、と止まる。


「ひっ……!」


そして次の瞬間、一斉に彼らは奈緒と龍斗を見た。

無表情でありながら虫を見るような冷たい瞳。動物の群れがそうするような動きに悲鳴が上がる。

恐怖と戦慄が背筋を駆け上がった。

ゆっくりと距離を詰めてくる悪魔たちを眺めて、龍斗はそっと奈緒に呟いた。


「……うまく逃げろよ、奈緒」


ハッとして奈緒が龍斗を見た。

彼は恐怖を押し殺しながら、無理やり口元に笑みを浮かべていた。

止める暇はなかった。それよりも早く、龍斗は地面を蹴った。

奈緒の制止の声は間に合わない。


「龍斗ッ!?」

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」


悪魔の大群へと突っ込んでいく親友の姿を奈緒は見送るしかなかった。

彼が考えていることなど簡単に予想がついた。

何とか一目散に敵中を突破し、校門の外に出ようとしたのだ。

たとえ失敗したとしても、その間に悪魔たちの注意は自分に逸れる。奈緒を救えるかも知れない可能性がある。


だが、現実はあまりにも理不尽で無常なものだった。


突撃していった龍斗に向けて、業火の炎の群れが襲い掛かった。

今度こそ悪魔たちの吐く炎が龍斗へと直撃し、彼の身体は炎を上げて真っ黒に焦げた。

炭化した身体は力なく校庭の中央へと倒れ、その衝撃でばらばらになる。

鎖倉龍斗は本当に呆気なく死んだ。


「あ……」


そして、親友を簡単に殺した悪魔たちの標的は奈緒へと向けられた。

奈緒はもはや、悪魔たちを見てはいなかった。

炎を上げて燃え尽き、四散した親友の身体しか奈緒の瞳には写っていなかった。


「あ、ああああああああああああああああああああああああッ!!!」


地獄で生贄の悲鳴が響き渡る。

この日、この時、この瞬間。世界中に溢れた悪魔によって世界は滅ぼされた。

奈緒も例外に漏れることなく、その命を失うことになっただろう。

彼の意識は最期の瞬間を感じることなく、発狂しかけた精神を護るために気絶した。


そうして、狩谷奈緒は漆黒の世界へと堕ちていく。




     ◇     ◇     ◇     ◇




「ちょっと待ちなさいよ」


僕は語っていた物語を一旦止め、中断を促した少女へと視線を向けた。

金色の柔らかい髪を左右で結んだ外国人らしき女の子。

いや、正確に言うなら外国人なんてものじゃない。新しい言葉を作るとしたら、外界人がいかいじんの少女だ。

彼女は人とはほんの少し違うことを示す、蝙蝠にも似た小さな翼で扇ぎながら言う。


「今の話だと、あなた。死んじゃってるんだけど」

「間違いなく死んだと思うよ」


本当は認めたくないのだけど、真実なんだから仕方がない。

僕は死んだ。狩谷奈緒は突如として現れた怪物によって、その人生に幕を下ろされた。


「じゃあ、あなたは誰よ」

「狩谷奈緒です、こんにちは」


頭を下げると、物凄く冷たい視線を向けられた。

慌てて僕は取り繕う。


「何ていうか、死んだはずなんだよ。第一、僕はこの世界の住人じゃないんだ」

「それがそもそも納得できないのよ。何よ、別世界の住人って」

「うん、僕も同じ気持ちだよ、間違いなく」


何だよ、異世界って。それが僕、狩谷奈緒がこの世界に来て思ったことだ。

非常識オカルトは一切信じていなかったし、そういう幻想ファンタジーな展開はゲームや漫画で十分だと思う。

未だに現実を信じたくない僕を見て、親友の鎖倉龍斗が可笑しそうに笑う。


(お前、しばらく現実逃避してたからな。あれは見てて傑作だったぜ)

(うるさいよ、もう)


龍斗は生きていた。

僕と同じようにこの世界で生きていた。

文字通り、僕の心の中に。

いや、冗談でも比喩でも例えでも綺麗な思い出でもなく。


(今にして思うんだけど)

(何だよ?)

(憑き霊ってのが全然冗談じゃなくなっちゃったね……)

(……言うな)


一心同体となった親友と会話をしている間に、少し落ち着いてきた。

目の前の少女は納得できないまでも、理解は示してくれているらしい。


「……あなたは別世界の人なのよね?」

「はい、そうです」

「それで、向こうの世界で死んで。気づいたらこっちの世界に来た、と?」


もう一度、首を縦に振ることで肯定する。

金髪ツインテールの彼女はうーっ、と頭を少し抱えて何かと戦っている。

彼女の気持ちはすごく分かる。

僕も元の世界で異性から『私は別の世界から来ました、こんにちは』などと言われたら、同じことをしている。

もしくは彼女は少し、頭がさわやかな人だ、ということで完結する。


「……まあ、いいわ。嘘をつくならもっとマシな嘘があるだろうし」

「嘘をつく理由もないしね……」

「分かってるわよ」


少し厳しい表情で彼女は僕の言葉を肯定する。

丸い椅子に腰掛ける僕と、ベッドの上で足を組んで座っている彼女は向かい合っている状態だ。

スカートと組まれた足が眩しいのだが、全力で眼を向けないようにしている。

僕の中で悪魔が囁く。


(見ちゃえよ、見ちゃえよ、罰は当たらねえって……)

(やあ、僕の中の悪魔。君は本当に悪魔だね、その手には乗らないよ)

(ちなみに憑き霊っぽい俺は見放題だ。色を教えてほしいか? 親友の仲だからタダで教えてやるぜ)

(僕の中の天使りょうしんー! 早くこの悪魔バカを黙らせてー!)


心中で文字通りの葛藤に苦しむ僕を見て、彼女が眉をひそめた。

自分の無防備さに気づいていない少女は言う。


「どうしたの? 心配しなくてもちゃんと信じてあげるわよ、話が進まないもの」

「あ、うん。ありがとう、それじゃあ続きを話してもいいかな。僕が君と出会うまでのこと」


気分をそらすためにも、話を続けたほうがいいと判断した。

悪魔が心の中で何が積極的になるだー、などと叫び声をあげているが、心の中の牢獄に放り込んでおく。

しっかりと心の鍵を掛けたことを確認して、少女の返事を待つ。

彼女は当然のように頷いた。


「ええ、分かったわ。でもせっかくだから、その前に言わないとね」


彼女はベッドから立ち上がる。

僕と彼女の距離は三歩ほどだったが、その手がそっと僕に差し出された。



「ようこそ、魔界レメゲトンへ。歓迎するわ、ナオ」



魔界レメゲトン

それが今まで僕たちが住んでいた世界とは違う別世界の名前。

人と魔が暮らす群雄割拠の地獄。

その住人たる少女の差し出された白い右手を、しっかりと握り締めて握手をした。


「ありがとう、セリナ」


それでは回想を続けよう。

僕と龍斗が死んで、魔界ここに訪れたときのことを。




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