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第18話【オリヴァースの魔王】

セリナが魔王カリアスと話をしている間、奈緒とラピスは応接室へと通された。

クィラスの領事館も広かったが、それとは比べ物にならないくらいの広々とした空間に彼らはいる。

その場にいるのは奈緒とラピス、そして王妹のラフェンサだ。

黒髪に香りの良い草花の雰囲気を漂わせる彼女は、奈緒と向かい合うように座っていた。


「…………」

「エリス様……いえ、セリナ様のことが心配ですか?」


ラフェンサの問いかけに奈緒は答えなかった。

奈緒の背後に控えるラピスもまた、奈緒が沈黙を守っている以上、何かに答えるようなことはしなかった。

どちらもセリナが心配なのは当たり前だった。無言だったが態度が示していた。

二人の態度を見ていたラフェンサは困った顔をしてしまう。


「セリナ様と私の兄上は面識があるの。だから危険な目にあわせるようなことはありません」

「……そう、だね。分かっているつもりだよ」

「あなたたちは正直ね。お菓子はどうでしょうか、お口に合うといいのですけど」

「…………」


奈緒は促されるままに差し出されたコーマの実を口にした。

チョコレートのような甘い味が口の中に広がるが、気分が晴れるようなことはなかった。

眉根を寄せる奈緒は一度首を振ると、改めてラフェンサを見据えた。


「ラフェンサさん。オリヴァースはラキアスに対してどのような対応を取るつもりですか?」

「わたくしのことはラフェンサで結構です。それで、どのような、とは?」

「セリナがエルトリア家であることを知っている。そしてオリヴァースの国は少なからずラキアスと外交をしている」


外交とはつまり、政治的な繋がりがあるということだ。

同盟関係と考えてもいい。不可侵の条約があるからこそ、オリヴァースはまだ保っていると言える。

そして、そんな国にとってエルトリア家の生き残りは火種だ。


「オリヴァースは、どんな対応を取るつもりなのかな」

「それは王が決めることです。あなたはそれ・・も覚悟して、あなた方はカーリアンを訪れたのではありませんか?」

「じゃあ、今のうちに言っておくね」


ともすれば、奈緒の言葉は宣言というよりは挨拶のような気軽さがあった。

自然とそんな言葉が飛び出してくるほど、奈緒の心の中はざわついていた。


「オリヴァースがセリナの敵になるというのなら、僕がこの国を潰すよ」


ざわり、と。

応接室の空気が一瞬で重くなった。

簡単に紡がれた言葉はその場に居る全員の背筋を凍らせた。


「……あなたに、何ができるのですか?」

「セリナを奪還し、ラピスたちと共に城を脱出するぐらいなら。ついでに、あなたを人質に取るぐらいのことは」

「この城の五百以上の兵を相手にして、ですか。一国家を相手にできるほど、あなたは有能なのでしょうか」


不穏当な言葉の応酬に背後のラピスが慌てていた。

ラフェンサは表情は変わらないが、内心では緊張と不安の織り交ざった気持ちが強かった。

ここまで大言壮語を口走る奈緒という存在、その本性が分からない。


「キブロコス」

「……?」

「クィラスの町に攻めてきた敵大将が連れてきていた魔物だよ。中々手強かった」


ラフェンサの表情が驚きの色に染まる。

それに脈があると見た奈緒は後ろで泡でも食いそうなラピスへと視線を向けて言う。


「最終的には闇魔法で葬ったんだ。敵大将は後ろのラピスが一撃で沈めたしね」

「ご冗談を。あなたは人間でしょう?」

「そうだね。僕は人間で……でも、魔法を使える。異端ミュータントって言うんだっけ、よく分からないけど」


それが何処まで真実で、何処までが虚偽なのか、ラフェンサには判断が付かなかった。

彼の言うことを丸々鵜呑みにするならば、奈緒を敵に回すことの恐ろしさが分かる。

何しろ闇魔法だ。威力も大型魔獣を葬るだけの実力を持っている、という。最悪、暴走でもされたら惨劇だ。

どう対応するのが正解か、ラフェンサは静かに考えている中、奈緒が懐から書類を取り出した。


「これ、見てみる?」

「……これは?」

「クィラスの町は僕たちの支持を表明する、って内容の書類」

「なっ!?」

「町長ジェイル・コバール直々の書類だよ。もはや、オリヴァースに命運は託せない、ってことだね」


ラフェンサの表情から余裕が消えた。

美しさを失わないながらも厳しい表情で、しっかりと奈緒を見据えた。

奈緒も応対するように彼女を睨み付けた。緊張感が漂う応接室のなか、ラフェンサの思考が回転する。

彼が持ってきたカードは内乱の引き金だ。よりにもよって最悪の爆弾を持ってきた。

セリナという没落貴族と、反乱の引き金。このふたつを持って国そのものを脅そうというのだ。


「正気、ですか」

「酔狂でこんなことを言うとでも?」

「何を敵に回しかねない発言か、理解していますか?」


ごう、と見えない重圧が奈緒とラフェンサの間で流れる。

本格的な交渉はセリナに任せるしかない。奈緒が交渉の舞台に立つことはできなかった。

なら、奈緒がやらなければならないことは、何か。

そんなことは決まっている。

目の前の相手が王族だというのなら、聡明な将軍だというのなら、己の立場を知ってもらわなければならない。

奈緒が切るカードは常に強気で。狩谷奈緒ができる数少ない戦いだ。


「何をいまさら。国に喧嘩を売ることなんて、僕たちの最低条件だよ」




     ◇     ◇     ◇     ◇




「なるほど、そう来たか」


魔王カリアスは疲れた息を吐くように、そんな言葉を呟いた。

本交渉に入ったセリナが魔王に提示したのは己の立場と、そしてこちらの要求だった。

利用しようとしているのが向こうにも分かっているのなら、容赦をするつもりはない。

彼女の参謀が考え、選んでいった切り札カードを切っていく。


「セリナ殿。君は内乱を起こされたくなければ、協力してオリヴァースの軍を貸せ、というのだな」

「ええ、そうよ」


オリヴァースの政治状況を鑑みてみる。

財政は苦しく、兵の質も他国と比べれば良くないだろう。

現にラキアスの属国として考えても良いし、隣国のクラナカルタの侵攻を止められないでいる。

クィラスの町の戦いにしても何の対策も講じられていないことを考えれば、離反も妥当な判断だろう。

このまま内乱を起こされれば、確実にオリヴァースという国は滅びるに違いない。

それを全て承知した上で、魔王カリアス・ヴァリアーは笑った。


「お笑い種だな、セリナ」


カリアスの動きは速かった。

セリナが反応する前に一瞬で彼女との距離を詰め、ベッドに座っていた彼女の手を掴む。

エルドラド族らしからぬ運動能力に反応が遅れ、呆気なくセリナはベッドに倒されてしまう。

彼女を押し倒す形になった魔王が笑う。


「いま、ここで君たちを捕らえてしまえば内乱もできまい? クィラスの希望は君たちあってのものだ」

「っ……!」

「おっと、炎も風も勘弁してもらおう。ここは我の私室でな、散らかすと妹に叱られてしまう。なにより……」


セリナは抵抗も出来ないまま腕を押さえられる。

歯噛みするセリナを見下ろしてカリアスは目を細めた。互いの唇の距離は三十センチもない。


「君の『鎌』より、我の『弾』のほうが迅いぞ?」

「……っ、私はともかく、ナオを敵に回すのは利口ではないわよ」

「君を人質にすれば降伏してくれるのではないかな。何しろ、君を中心に成り立っている集団だ」


奈緒がセリナに力を貸す理由は、エルトリア家復興のためだ。

セリナが死ぬようなことがあっては目的も何も無い。

そのいう彼らの中だけの本質を鋭く感じ取ったカリアスが、王手を指す棋士のように鋭い声で言う。


「オリヴァースを舐めるなよ。どうせ力を貸して欲しいのなら、脅迫ではなく懇願で来い」


そうだ、何より気に入らないのはその脅しという方法を取ったことだ。

アンドロマリウスの変のことはカリアスも知っている。また、エルトリア家の仕業とも思ってはいない。

だからこそカリアスは好意的に接することに決めていた。

それに対して脅迫で力を得ようという態度を示すのであれば、カリアスもまた彼女たちに同じ対応を取るだろう。


「ラキアスに、リーガル家の復讐したいという君の気持ちは分かる」

「……いいえ、きっと分からない」

「どうして、そんなことが言える」

「私はね、カリアス。処刑されたのよ。あなたと一緒に踊ったエルトリア家のセリナじゃないの。分かるかしら?」


それは自嘲を込めた笑みだった。

痛々しいほどの微笑みと彼女の中に渦巻いている闇を、一瞬だけ垣間見た気がした。

艶やかな美しさで笑うセリナに、カリアスは息を呑んだ。


「まさか、身をひさいだのか、セリナ」

「……そうね。似たようなことは、したわ。あなたが軽蔑するようなことも」


正確には、しようとしていた、だが。

彼女の計画ではオリヴァースを滅ぼそうとしていた。

一緒に踊った顔見知りだとか、友人だとか、そういうものにすら目をやらないくらい彼女は追い込まれていた。

この手で何十という魔族も殺したし、これからもそうするに違いない。

成り上がりは決して綺麗なものではない。戦争を起こすとは、戦うとは、生きるとは、そういうことだ。


「私は最低の女よ、カリアス。打算的で、犠牲も厭わない女よ」

「セリナ……」

「そんな女でもね、カリアス。私は絶対にやらなくちゃいけないことがあるの……それを叶えたいの、私は」


リーガル家への復讐……もちろん、それもある。

エルトリア家の復興も当然ある。だが、それ以上に彼女の心を動かしているのは自責の念だ。

公式ではセリナ・アンドロマリウス・エルトリアは処刑されている。

つまり、彼女の身代わりとなって処刑された少女の存在がいるということにもなる。

セリナの知っている人たちはラピスを除いて全員が殺された。そんな中で一人だけ生き残った彼女が望むのは。


「だから、私は」

「もういい。もう言わなくていい。言いたいことは分かった」

「……そう」

「それじゃあ、提案だ、セリナ。君の覚悟を試させてもらおうか」


押し倒されたまま、セリナは首をかしげた。

提案という言葉を迎え入れ、事態を把握したセリナに向けて致命的な言葉を告げる。


「我の妻になれ、セリナ。オリヴァースを掌握したいのなら、我が一族に入るのが一番だぞ」




     ◇     ◇     ◇     ◇




「ラフェンサ。このお茶、紅茶みたいだけど何なのかな? セリナも良く飲んでた気がするけど」

「それはキリィの葉をひたした飲み物ですね。赤い葉っぱです、ご存知ありませんでしたか?」

「割と一般的な飲み物みたいだね……いや、あまり常識を知らなくて」

「まあ。キリィの葉をご存じないとは変わった方ですね」

「………………あの、お二人とも」


場所は変わって応接室。

先ほどの険悪な雰囲気から打って変わった対応をする奈緒とラフェンサの姿があった。

一言で言うなら和んでいる。何というか、それ以上の答えが見つからない。

つい数分前までは刃傷沙汰になるのでは、と戦慄していたラピスは逆に耐えられなくなって声を上げた。


「どうして、こんな和やかな雰囲気に?」

「いや、何と言うか、ここで僕が騒いでも仕方が無いって結論に……」

「さっきまで水面下の戦いでも何でもやるって意気込みでしたのに!」

「だから、ラピス」


ラピスもやはりセリナのことが心配なのだろう。それはもちろん奈緒も同じ気分だ。

だが、奈緒は苦笑を交えて顎に手を当てながら口を開く。


「僕は『本音』を語ったよ。何もかも包み隠さずに」

「え……?」


息を呑むラピスは彼の言っている言葉の意味が分からなかった。

交渉とは本音を隠して行うもののはずだ。少なくともラピス本人はそういうものだと思っている。

分けが分からない、と言いたそうなラピスに助け舟を出したのはラフェンサだった。


「お互いの立場を理解した……というのが、正しいのでしょうか?」

「ラフェンサは僕たちの素性や目的を知りたかったみたいだから。だから包み隠さずに言ったよ」

「い、いや、それは……」

「聞いて、ラピス。今のオリヴァースの取るべき方針はふたつにひとつ」


奈緒は一度言葉を止めると、ラフェンサを見た。

国の要職に就く彼女なら理解しているはずだ。クィラスが祖国を裏切ってまで奈緒たちに付いた理由が。

もはや事態は取り返しのつかない段階まで来ているのだ。

このまま座して滅びを待つなんて有り得ない。何らかのきっかけがあれば、オリヴァースは再び立て直すことができる。


「僕たちを捕らえてラキアスに差し出し、完全な属国となることで庇護を求めることか」

「もしくは」

「僕たちの提案を受け入れ、一軍を動員して悩みの種であるクラナカルタを討ち滅ぼすか」


だからこそ、奈緒は初めに脅して見せたのだ。

もしもラキアスに差し出す選択肢を選ぶのなら、内乱を起こしてオリヴァースを空中分解させる、と。

クィラスの件は恐喝に近いが、それは保険に過ぎない。

わざわざ属国になり、その上で内乱を起こされるのを望むよりは、奈緒たちに力を貸したほうが有利と思わせること。

それが狩谷奈緒が交渉で求めていた全容だ。


「あとは、セリナが何処まで説得できるかどうかだけど」

「それについて言っておくことがあります」


ラフェンサはそう言うと、少し考え込んだ。

言っておいてなんだが、言うべきかどうか悩んでいるらしい。

奈緒が促すように視線を向けたのを見て、諦めたかのようにラフェンサは驚愕の事実を語った。


「兄上ですが、実は以前からセリナ様のことを気にかけておりまして」

「…………えっ?」

「要するにセリナ様のことが好きなのです、兄上は。舞踏会でお逢いしたときに一目惚れしたとか」

「……ごめんちょっと僕トイレに」

「ナオ様。そちらは謁見の間です。お手洗いではありません」


ぐっ、と奈緒の顔が焦燥その他で歪んだ。

今のセリナは、彼女のことが好きな男の部屋に二人きりで交渉、という状況だ。

不安すぎる。壮絶なほどに不安すぎる。

やっぱり手遅れになる前に一暴れしておくべきか、と黒い考えが頭を過ぎった。

復讐という目的のために彼女が身体を捧げるような真似をするのではないか、とすら考えた。

現に奈緒に対してもそうしていたのだから。


(………………)

(奈緒……どうする?)

(どうするって……そんなの、決まってる)


この場において奈緒がやらなければならないことは決まっていた。

誰が考えてもやることはそれしかなかった。

復讐のためなら何でもする、と誓ったセリナ。危うい行動方針で動いていた彼女のためにできること。

それを宣誓として心の中で言葉にする。



(セリナの言葉を信じるよ。それがきっと一番正しいんだと、思う……)



そうだ、セリナは言った。

いいから、私を信じなさい、と。

他の誰でもなく、他の何でもなく、奈緒の知っているセリナを信じなさい、と。

奈緒が信じている彼女の姿を。彼女は決して約束を違えるような人じゃないと信じている。

それが一方的な価値観の押し付けだとしても、一番の正解はセリナを待つことなのだ。


(……いいのか?)

(約束、したから。協力する条件として……自分を大切にすることが、条件だって)

(そう、か……そうだよな)


重ねて言うが、奈緒の心は不安に押し潰されそうだ。

胸が針に刺されたように痛むし、心は逸ってしまって居ても立ってもいられない。

それでも、今すぐにでも飛び出したい気持ちを抑えて待つしかない。

狩谷奈緒がセリナを信頼する仲間だと思っているのなら。

ここは『待つ』ことが正解なのだ。


「セリナ様を一族に迎えることは、ラキアスへの敵対を表しています」

「……つまり?」

「それを承知した上でセリナ様を我が一族に入れるというのなら、兄上はラキアスと戦う気持ちがあるということです」

「そんなことにはならない」


即答だった。

奈緒の言葉は子供が駄々をこねるようなものだった。

多分に願いというものも含まれているに違いない。

どうして自分がこんな気持ちになるかどうか、それが奈緒自身にも正確なところは分からないが。


「……あなたは、セリナ様とどのようなご関係ですか?」


問いかけられ、奈緒は一瞬考え込んだ。

セリナは奈緒とどんな関係か。明確化されると答えるのは難しい気がする。

仲間、とか。家族、とか。同志、とか。友達、とか。

色々な単語が頭の中に浮かんでは消えていき、沈んでは浮上していく。


「……一言で表すには難しい関係、かな」

「恋人、ではありませんか?」

「うーん……と、友達以上恋人未満、なのかな?」

「中途半端な関係ですね」


やかましい、と心の中で吐き捨てた。

確かにそれが奈緒とセリナの仲だ。友達よりは少し親しくて、恋人というほどのものではない。

背後のラピスが何だか可笑しそうにしていたが、後ろを振り向く余裕の無い奈緒は気づかない。


「ラフェンサは? 恋人は居ないの?」

「えっ……あ、いません……と言いますか、プライベートは黙秘します」

「いないの? こんなに綺麗な人なのに」

「……率直に申し上げますと。あなたの行動が天然なのか計算済みなのか、たまに理解できません」




     ◇     ◇     ◇     ◇




そんなこんなで時間を潰していた奈緒たちだったが、やがて応接室の扉が開く。

がちゃり、とドアひとつにしても立派なものが白い手で開けられ、そこから二人の人物が現れた。

振り返ってその内の一人を視界に収め、奈緒は顔を綻ばせた。


「セリナ」

「ただいま、ナオ。遅くなったわね」


彼女は応接室に入ると真っ先に奈緒のところへと向かい、嬉しそうに笑みを浮かべる。

奈緒は思わず抱きしめたくなる衝動を抑えて、同じように笑みを作った。

再会を噛み締める彼女の背後でカツン、と音がする。

奈緒はそこにいるオリヴァース魔王カリアス・ヴァリアーへと、挑むような視線を向けて尋ねた。


「……それで、答えは決まりましたか」

「そちらの意見は伺った。これから重臣たちを集めて協議をするところだ」

「王が決めればいいこと、ではないのですか?」

「最終的には我が決める。だが、国はそう単純ではない。独裁者でいるには限界があるのだ」


その通りだ、と奈緒も納得する。

独裁者が起こしてきた戦争は悲惨な運命を辿っている。

魔王カリアスは畏怖ではなく、政治で国を治めていると聞いている。

なら、手順に従って行動を起こすのは当然のことだと言えた。


「ついては、ナオ殿。君にも協議に参加してもらおう」

「……僕も?」

「そうだ。セリナ殿とラピス殿は一室を用意する。どうやら、我は勘違いをしていたらしいからな」


怪訝そうな顔をする奈緒に、カリアスもまた挑戦するような瞳を向ける。

その器を試すかの如く。その実力を測るかのごとく。


「君がこの集団の中心だ。なら、協議に対して見事重臣たちを黙らせてやるがいい」


カリアスの提案したそれは挑戦状だ。

その程度もできないようでは、お前たちの未来は先が知れている、と言わんばかりに。

望む未来があるのなら、その口先三寸で手繰り寄せてみろ、と。


「セリナは君の期待に応えた。次は君が応える番だ、ナオ・カリヤ」


面白い、と奈緒は口元から笑みが零れるのを止められなかった。

居ても立ってもいられなかったさっきまでとは違う。

今度は奈緒自身が攻勢に出ることが出来る。その好機をセリナは掴み取ってきたのだ。

ならば、奈緒の返事は聞くまでもなかった。


「分かりました。遠慮も容赦も加減もしませんよ、オリヴァース魔王」




     ◇     ◇     ◇     ◇




一度、彼らは解散した。

協議を開くのは一時間後、謁見の間で舌戦が繰り広げられることになる。

奈緒は今後のカードを改めて確認しながら部屋へと戻っていく。

カリアスは彼らを見送ると、妹のラフェンサと共に赤い絨毯を踏みつけながら玉座のほうへと歩いていく。

その途中でカリアスは気まずそうな苦笑いを浮かべながら語る。


「いや、見事にフラれてしまった」

「兄上……やっぱり迫ったんですね。容赦のない人」

「勝算はあった、と思ったのだがなあ。残念ながら彼女は我になびかなかったよ」


私室でのことを思い出す。

ベッドに押し倒したまま脅迫したときのことを。


「彼女は身体を捨ててでも、復讐を叶えようとしていた。我は彼女がそんな生き方をするのが耐えられなかった」

「一目惚れ、でしょう?」

「そうだ。勝手な思いだが、彼女は誇らしい貴族だった。その彼女が追い詰められていた、ように見えた」


カリアスは瞳を瞑って舞踏会のことを思い出す。

小国とは言え、次期の玉座に座るだろう王族のカリアスを相手にセリナは堂々とした態度で臨んだ。

媚びるわけでもなく、馬鹿にするわけでもなく、対等の立場で接してくれた。

大抵の貴族は『王族』という立場に惑わされて媚びるか、小国という立場を馬鹿にして鼻で笑うか、だった。

だが、彼女は対等に接し、それでいて無礼をいうこともなく、優雅な仕草でダンスの相手を誘ってくれた。


「だから、彼女が苦しんでいるのなら助けたかった」

「…………」

「エリス・セリナだろうが、エルトリア家のセリナだろうが、身をひさいだとか、そんな小さなことはどうでもよかった」


カリアスはただ、彼女の人柄と誇らしさに惚れこんだ。高嶺の花、という言葉すら頭に浮かんだほどだ。

アンドロマリウスの変の報を受けたとき、どれほどカリアスの心を締め付けただろうか。

処刑された、と言われたときの悲しみを憶えている。

今日、生きてカリアスの元に訪れたときは、感極まって泣きそうなほどだった。それくらいには彼女が好きだった。


「だから、手段も選ばずに言った。オリヴァースを掌握したいのなら、我の妻になれ、と」

「正直に申し上げます。最低です」

「ぐはっ……い、いや、ラフェンサの言いたいことは分かる。だが、汚い手を使ってでも彼女を救いたかった」


私室でのことは鮮明に思い出せる。

今後しばらく、カリアスは彼女の言葉を思い出してしまうことになるだろう。

ふと、あのときの言葉をもう一度反芻した。


『だめよ、カリアス……最低の私でも、破っちゃいけないことがあるから』

『……それは、なんだ?』

『約束。自分の身体を犠牲にするようなことはするな、って……私は、彼にその条件を突きつけられたの』


そのときの彼女はカリアスの理想の姿だった。

例え没落した貴族であろうとも、泥にまみれて生きてきたとしても、彼女は誇り高いままだった。

艶やかな大人の笑みを浮かべていた彼女が、少女のように顔を綻ばせて言ったのだ。


『彼……ナオ、という少年か?』

『ええ、ナオ・カリヤ。身をひさぐから力を貸して、と言った私に……それをしないなら、力を貸す、ですって』

『…………』

『おかしな人でしょう? 私には彼の本音が読めないわ』


ナオ・カリヤという少年のことを話す彼女はとても楽しそうだった。

カリアスという存在がその間に入り込むことすら躊躇うほど、セリナの表情は明るいものだった。

苦しそうではなかった。悲しそうではなかった。


『なんだ、君は……』


カリアスは憑き物が落ちたような笑みで返した。

押し倒す体勢は変わらないまま、しかし、それでも心の中が温かかった。


『辛くも、悲しくもなかったんだな』

『ええ、もちろん。辛いのも、悲しいのもあったけど。それでも笑顔ぐらいは取り戻せた』


それが単純な真実だ。

辛かっただろうし、悲しかっただろうが、それでも彼女は何かを手に入れた。

願いを叶える過程で笑顔を出せるほどの何かを手に入れていた。


『はは、我の早とちりだったわけか……そうか』

『カリアス……?』

『ははは、済まなかったな、セリナ殿。無礼を許してくれ』


あの楽しそうな笑みを消したくは無かった。

己の勝手な願いで奪ってしまいたくは無かった。あのまま攻めていたなら、彼女がこの手に収まっていたとしても。

彼女の笑顔が消えると分かっていて、それでもなお奪うということができなかっただけ。

その誇りを汚してはならない、と自然に思うことが出来た。


「勝手に、我は彼女に不幸を押し付けていたらしい。今の彼女は、貴族でなくなっても幸福を見つけている」

「……兄上」

「我の出番はなかった。ただ、それだけのことだよ、ラフェンサ」


玉座へと座る。

間もなく続々と重臣たちが集まってくるだろう。

その中には彼女に僅かの幸福を与えているだろう、一人の少年がいる。

少年を見極めるためにカリアス・ヴァリアーは協議を開く。


「見せてもらうぞ、ナオ・カリヤ」


そっと、謡うようにカリアスは呟いた。

重臣が一人、二人と集まってくる中で彼は挑むような視線を向けた。

謁見の間にようやく現れた、黒髪に翡翠色の瞳を持つ少年を真っ直ぐに見据えながら。


「君が彼女に幸せを感じさせることが出来るような、夢を見せられるような、そんな男かどうかを」




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